六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

My おせち for 2016

2015-12-31 17:49:37 | グルメ


 おせちができました。
 取り立ててうまいものはないのですが、田舎風の伝統的おせちの系列になります。


 
 以下アトランダムに列記です。
 ・たつくり・ゆり根・金柑シロップ煮・くわい・酢れんこん・長芋白煮・ごぼうきんぴら・だし巻き・野菜五目煮・数の子・赤かぶ千枚漬け


 
 ほかにお重に盛り込まない一品として、カモ燻製(既成品)のマリネー、牛もも肉ローストビーフ(自家製)、白菜漬け(自家製)のほか、既成品の変わりかまぼこ、わさび漬け、などなどです。
 なお、ローストビーフは初チャレンジ。味見はこれから。


 
 たくさん用意しましたが、かつての主婦同様、主夫である私も正月3が日の炊事労働から開放されようという魂胆です。
 あ、でも、年越しそばと元朝のお雑煮も作らなければ・・・。
 厨房男子は忙しい。
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私的各ジャンル、2015年のベスト・ワン

2015-12-31 00:25:19 | よしなしごと
 各新聞社の、各ジャンルについての今年のベストワンとかベストスリーとかの企画もここへきてほぼ終わったようだ。
 
 以下は、私なりの今年のベストワンだが、あくまでも私が出会った限りでの、そしてまた、その選考基準は一般的な良否とも関わりなく、私が勝手に衝撃や感動を覚えたものである。ようするに「極私的ベストワン」であるから、これを読む人の参考にはほとんどならないだろうことうけ合いである。

 そして、それらが、いずれも今年の後半に経験したものであるという事実は、前半の出来事などはとっくに記憶の彼方へ消し飛んでいるという老境ゆえの悲喜劇によるものである。

             

1)映画  『真珠のボタン』 
   監督:パトリシオ・グスマン (2014 チリ ドキュメンタリー)
 【理由】私がうっすらとしか知らなかったチリ南部の原住民、インディヘナが19世紀以降ほぼ絶滅の危機にさらされる前半と、つい前世紀の後半、アメリカと手を組んだクーデターにより、政権を奪取したピノチェト独裁政権下での幾つかの収容所で、アジェンデ派の虐殺が日常的に行われていたという事実を回想する後半とに別れるのだが、映画はこれらの実に重い問題を、決して絶叫型の追及や糾弾という「言葉」に訴えるのではなく、詩情溢れる映像によって、私たちの心の襞に訴える。
 それらは、その風土に根ざす「水の記憶」ともいえる物語でもある。
 なお、「真珠のボタン」はこの前半と後半をつなぐささやかだが重大で痛切な意味を秘めたキーとなる。

           

2)音楽 タリス・スコラーズ(英国のアカペラ混声合唱団)の岐阜公演
 【理由】ルネッサンス期の宗教曲をはじめとする彼らの歌声は、もう何十年前から知っていて、媒体を介しては聴いていたが、ライブははじめて。
 圧巻はこのグループおハコの、かつてバチカンの秘曲であった「ミゼーレ」。この曲は、5声合唱と4声合唱が交互に応答する二重唱で、この二つが空間的にも離れて歌うということは知っていた。しかしそれはあくまで舞台上で、おそらく左右に分かれて掛け合うのだろうぐらいに思っていた。
 しかし、第二部が始まるや二階バルコニー席で軽いどよめきがあって、なんと4声のほうがバルコニー席に陣取る私のすぐ後ろに位置しているではないか。舞台正面には5声の歌い手たちが、そして正面上部のパイプオルガンの前にはソロを歌う歌い手が控え、縦系列に三つのパートが位置し、その延長線に私はいたことになる。
 一階席の人は5声を間近に聴き、4声は天から降るように聴いたであろうが、私は4声をすぐ背後で、そして5声を地から湧くように聴いた。近くで聴くソプラノやバスは、耳にというより、体全体に滲みとおり、戦慄が走った。
 以下がそれだが、生で、しかも私の位置で聞いたそれは、こんなものではなかった。
  https://www.youtube.com/watch?v=xkfN98XoZow

             

3)読書 
 『権力の空間/空間の権力 個人と国家の〈あいだ〉を設計せよ』
             山本理顕 (講談社選書メチエ)

 【理由】はじめて読んだ建築学の本であるが、ハンナ・アーレントの私的空間と公的空間、フーコーの生政治などで、概念的に解釈していた問題を、まさに私たちが現実に住む住居などのありようの問題として正面から突き付けていて、目から鱗の思いであった。
 建物や住居は、決して単に区切られた空間を意味するものではない。それを、開かれたものや閉じたものにしてゆくのは、私たち自身のもつ権力のありようなのだ。

          

4)絵画
 藤田嗣治をめぐっての一連のことども
 きっかけは敬愛する友人に誘われての岐阜県立美術館での「小さな藤田嗣治展」の鑑賞であったが、それ以前から彼には関心があり、とくに、戦前日本に帰国時に描いた「戦争画」をもって、敗戦後、戦犯扱いし、石もて追う如く国を離れさせ、ふたたびこの国の土を踏ませなかった彼への扱いが正当なものであったかどうかにはずっと疑問をもち続けていた。
 この美術展ではそれを解き明かすすべはなかったが、とかく派手にとりあげられる彼の作品群が、いかに緻密なデッサン力と、揺るがせない技量に裏付けられているかをまざまざと知る機会になった。
 その後は『戦争画リターンズ──藤田嗣治とアッツ島の花々』(平山周吉・芸術新聞社 これはとても面白かった)など藤田本を2、3読み、そして小栗康平の映画『FOUJITA』を観た。
 そしたら、それらを書いたブログを見てくれた、やはり私の畏友、京都大学の大学院教授のSさんが、国立近代美術館所蔵の戦争画を中心とした画集をわざわざ送ってくださった。
 先に自ら求めた、小学館の全三巻の画集「FOUJITA」ともども、正月のあいだ、私が眺めて過ごす対象としてキープしてある。

             
                 姉夫妻と妹

5)私事
 私は生後すぐに生母を亡くし、里子に出されて育った。
 今年の晩秋、別のところに養女に出された実姉と久々に逢い、生家の名残りの人々、実姉の子女や孫たち、それに私の腹違いの妹などに再会や初対面を果たすことができた。そして私が知らなかった親族たちの生きざまを知ることができた。
 そのなかには、戦中戦後の歴史のなかで、いわゆる「数奇な」運命を生きたひともいた。私はいま、その人についての記録を残したいと思っている。
 戦中戦後は、私のなかに生きているし、実はそれを全く知らない若い人たちの今日のありようをも規定しているものだと思う。

《終わりに》
 年が改まるからといって安易に希望を語ることなどはできない。老兵はただ、自らが経験したことどもを噛み締め、それをただただ咀嚼し直すのみなのだ。この辛くて苦い現実を!
 それとはかかわりなく、みなさんの新年がいいものでありますよう!
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ドン・キホーテばかりが「どんき」ではない 三河の奇祭

2015-12-30 01:31:24 | 写真とおしゃべり
 過ぐる20日、三河の奇祭「どんき」を見に、地域のクラブの人たちと愛知御津へ出かけました。
 100km以内は一日乗り放題というJR東海の「青空フリーパス」を利用。これだと正規の料金だと往復3,320円のところ2,570円と割安で、豊橋にも足を伸ばせるし、途中下車や支線も乗り放題です。


 岐阜を8時頃に発ったのですが、10時にはもう目的地へ着いてしまいました。それはいいのですが、祭りのスケジュールもろくすっぽ調べないで来たせいで、午後から始まるという祭りには随分余裕があります。そこで町を流れる音羽川沿いに海の方角へと南下して田園風物などを堪能することに。

 途中、東海道新幹線の橋梁があるのですが、けっこうダイヤは過密です。東西からひっきりなしに列車が差し掛かるのです。先般、こだまで三島まで行ったのですが、ひと駅で2本の列車に追い抜かれるさまを経験した折にも、それを実感したのでした。



 時間も迫ったので祭りの会場へ。祭りと聞くと神社を連想しますが、ここの祭りは長松禅寺という寺の行事なのです。
 祭りの前半は、寺の本堂で厳かに行われます。もちろん、私たちは中へは入れないのですが、漏れ聞こえるのは禅宗独特の打楽器を交えて祈りと「火の用心」や「喝!」という言葉。パンフによるとこれらは防火の祈りとのことです。

 ただし、この祈りの儀式が行われる本堂には、児童たちとその保護者と思われる人たちの参列(ただし位置取りは別。仏事は児童中心で保護者は参観席)が許されます。そしてこれが、祭りの後半の子どもたちの参加に関わることとなるのです。
 儀式が終わった一行は街を少しだけ練り歩き、また寺へと戻ってきます。


 
 そしてここからが奇祭の始まりなのです。
 行列でも練り歩いた天狗と烏天狗、それに白狐二匹が、手にした用具に紅殻を含ませ、それを子どもたちの顔に塗りつけてまわるのです。このとき、白狐のもつ棒状のものが、鐘を叩く撞木であり、それが「どんき」といわれることがこの祭りの名称の由来のようです。
 そして、この紅殻を塗られた子は無病息災で育つといわれています。


 
 子どもたちはこの紛争したもののけを囃し立てて逃げまわるのですが、そこは毎年の行事のこともあり、馴れあいもあってだいたいは捉まって顔に朱色の紅殻が塗られます。なかには本気で逃げてしまう子もいますが、反面、「塗って!」といって顔を差し出す子もいます。



 母親に抱かれた幼児未満の子もいます。母は子供の健康を願って子を差し出します。火がつくように泣き出す子もいれば、訳がわからずきょとんとしている子もいます。
 ある若いお母さんは、子供が暴れたのでしょうか、自分の白いブラウスも赤く染まっています。インタビューをしました。
 「紅殻って簡単におちるのですか」
 「いいえ、なかなかおちません」
 「でもブラウスが・・・・」
 「大丈夫です。毎年のことですから、汚れてもいいものを着てくるのです」



 白狐のパフォーマンスが圧巻でした。たぶん、もう祭りの酒がかなり入っているのでしょう。しぐさがオーバーで、嫌がる子を本気で追いかけねじ伏せて紅殻を塗っていました。

 写真には一見、祭りとは関係のない子どもや若い母親のものがありますが、前半の本堂での仏事から出てくる祭りの参加者です。みんないい表情でしょう(って私の好みがそのまま現れている)。



 この祭り、行政区分でいえば愛知県豊川市(お稲荷さんで有名なところです)の一地域のお祭で、参加者自体はさほど多くはないのですが、奇祭とあってカメラマンが多いのには辟易しました。せっかく良いシーンを撮ったつもりなのに、その前景やすぐ横にカメラを構えた人たちが写っていて台無しです。まあしかし、かくいう私もほかのカメラマンにとっては障害物であったかもしれないという点ではお互い様です。
 ちなみに関西訛りの人たちがいたので、「どちらから?」と尋ねたら、「神戸のグループです」とのこと。



 師走にこんなお祭りがあるなんて、いいですね。
 紅殻を塗られた子、塗られなかった子、ともにいいお正月を!

【蛇足】なぜ、この仏教行事で紅殻を顔に塗るのかはよくわかりませんが、インドの女性が顔に赤い点をつけることや、稚児行列でやはり額に赤い点をつけるのと関連があるのかもしれません。
 顔ではないけど、チベット仏教などでは紅殻色は高貴な色とされ、その寺院の柱や格子などは紅殻塗りのようです。






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かわいい男たち『厨房男子』 今年最後の映画

2015-12-28 16:22:25 | 映画評論
 今年最後の映画は、畏友、高野史枝さんの初メガホンになるドキュメンタリー、『厨房男子』を観ることととなった。
 かくいう私も厨房男子の端くれ、これを見逃す手はない。
 ましてや作り手の高野さんとは、かつて、某雑誌で丁々発止とやり合った仲とあっては、なおさらである。

             

 様々な厨房男子が登場する。必要に迫られたひと、趣味の領域のひと、それが高じてプロにまで至ったひと、これだけは引けをとらないと自負するひと、そして、リタイア後に集団で素材から調理からその販売までをやってのけるひとたち。

 「男子厨房に入るべからず」といわれたのは古~い昔のことであるが、それ以後、男子が厨房に入る時代になっても、どことなく、女性の領域を手伝う、ないしは補うという意味合いがあったような気がする。しかし、この映画に出てくる大半の人たちはそうではない。
 最後のほうで集団での調理を行うメンバーが、「調理をすることは自立をすることだ」といった意味のことを語るシーンが印象に残った。

               

 この自立は、つれ合いに先立たれたリ、離婚をした際に必要な技量という意味合いも含むとはいえ、それにとどまらず、それらを超えたものであると思う。
 というのは、料理というのは一定の時間をさいて作業をするということ以上に、ある能力を必要とするということなのだ。その能力とは、いってみでばある種の構想力のようなもので、どんな単純な料理でも、その素材を取り揃え(何をどこでどれほど入手するか)、その調理の手順(どんな調理器具を使い、焼くのか、湯がくのか、煮るのか、揚げるのか、そして味付けには何をどれだけ用いるのか)を考え、最後に盛りつける器(もちろん盛り付け方も)を選んだりする一連の思考作業が必要で、それに付随して肉体を行使しなければならない。さらにいうなら、たいていの調理は刃物や火を用いるから、安全も考えねばならない。

               

 こうしてみると、調理というのはその設計から資材の取り揃え、作業から仕上げと、建築にも似た総合作業といえる。また、この映画にもあるように、有機栽培の素材や自然そのものの採取などを考え合わせると、外部との社会的な広がりをももつ営みともいえる。
 こうした作業であればこそ、自分に役立つ自立にとどまらず、行為する主体としての自立=自律にも繋がるように思うのだ。

               

 もちろん、調理の到達点は食にある。豊かな調理、自分自身が行った調理は結果としても豊かな食を生み出す。ましてやそれが、自分のみならず家族や仲間の胃袋を満たし、笑顔を生み出すとしたら、厨房男子の生きがいこれに過ぎたるはない。

 この映画は、それらの過程を、出演者のそれぞれのシチュエーションに合わせて、展開してゆくのだが、そこに登場する男子の表情が素晴らしくいい。実は、旧知の人も2、3登場するのだが、彼らがおやっと思うほど安らいだ表情で調理をするさまは実に新鮮であった。

               

 映画好きの高野さんがついに一線を越えて自分で作ってしまった映画だが、そのキャッチコピー通りに、おいしく、面白いものに仕上がっている。「おかわり」ならぬ次回作も期待したい。

 なお、この映画は年明けの16日まで、名演小劇場で上映される。







 
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「神」について

2015-12-26 21:18:04 | 日記
             

 今年最後の図書館。5冊を返却し、禁欲的に一冊のみ借りてきた。A・コジェーヴの『無神論』。
 いまさら、無神論のすすめではない。人間はなぜ、神を信じたり信じなかったりするのか、またそれらは何を意味しているかの人間学的考察。
 ちなみに「私は科学に依拠しているから神を信じない」というひとは立派な有神論者。こういう人に限って、原発を「信じたり」する。
 信仰家が有神論で信仰を持たないひとが無神論とも限らない。仏教が有神論であるかどうかも議論が分かれるところ。
 まあ、ごちゃごちゃいってないで、この書を熟読しよう。
 正月は、この書のほか、年末に頂いたり買ったりした藤田嗣治の画集をじっくり眺めたり、今秋以来いただいた数冊の恵贈本のうちで興味のあるものを読むつもり。
 それに、そろそろ書き始めねばならない文章が3つほど溜まっている。

【蛇足】マルクスは宗教はアヘンであるといった。しかし、誤解されているように宗教の害毒をいいたてたのではない。19世紀、産業革命下の過酷な労働条件において、宗教が人々の慰めになっているという事実を指摘したに過ぎない。彼はそれを踏まえて、現実の厳しい労働からの開放を考えたが、宗教についてとり立てては言及していないように思う。
 私には、宗教をもった何人かの友人がいるが、それは普通のことだと思っている。宗教者が、その信仰ゆえに苛酷なものに抵抗することはあるし、無思慮で無信仰な人間が大勢に流され、巨悪に加担する危険性も十分にあるのだ。
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読書ノートと私の感想

2015-12-23 23:12:22 | よしなしごと
 カント先生曰く。「たとえ私たちが未来のために何かをしても、未来の人は感謝をしないだろう。それどころか逆恨みさえする」。
 私たちもそうだ。さほど過去の人に感謝はしていない。

           
 
 にもかかわらず、私たちもまた「他者」である未来の人ために何かをしようと試みる。感謝されるどころか恨まれることすらあるかも知れないのに。
 それは私達が自分の有限性(=死すべき存在)を知っているからだろう。それを知るもののみが永遠を考え、未来を、しかも自己の不在の未来をも思考することができる。
 
 考えてみたら、人間というのは、時間に対しておせっかいな(あるいは過剰反応をする)存在なのだ。ハイデガー先生もそういっている。
 ほかの生物たちはそのように時間を支配しようとはしない。
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「一億総中流」始末記 (付)当世阿呆陀羅経

2015-12-19 15:13:51 | 日記
 写真は内容と関係ありません。近影のものをアトランダムに。

 「一億総活躍」という上からのスローガンに触発されて、「一億火の玉」、「一億玉砕」、「一億総懺悔」、「一億総白痴化」などを見てきたが、残るは「一億総中流」であろうか。

 これは確か、1970年代の後半からいわれ始めた言葉で、ある意味、高度成長期から続いた好況感やそれを裏付ける経済指標もある。しかし、国民全体が主観的に抱いた幻想的な自己確認、その大多数が、自分は中流階級に属すると考えたことにこそ問題があったように思う。
 そうした意識は、ジャパン・アズ・ナンバーワンという80年代のそれにつながり、日本人が国際的に傲慢になってゆく下地が作られたといえる。

           

 もはや完全に「戦後」を脱却したという意識は、戦争そのものを忘却の彼方へ押しやり、そこで一体何があったのかも都合よく加工されるという今日まで続く歴史修正主義の基盤ができたといえる。
 いま、中国などで起こっている新興ゆえの歪みの殆どをこの時期この国も経験している。ショッピングを主体にした海外旅行(爆買いという言葉はなかったのでまとめ買いとでもいおうか)、川崎や四日市で起こった深刻な大気汚染、各都市を襲ったスモッグ禍、河川、海洋の汚染と公害などなどがそれである。

 なんにもわからないそこらのおじさんやおばさんまでが株を持ち、電電公社の民営化に伴うNTT発足時には当初100万円前後で売りだされた株価が2ヶ月後には318万にまで高騰したものの、当然のこととしてその後は下がり続ける一方で、素人投資家はていよくカモにされるという事態。もちろんこれは、NTT株に限った話ではない。投資信託なども含め、にわか投資家が増えたのもこの頃であった。

           

【以下、一億総中流社会の顛末を阿呆陀羅経風に・・・】
 
 生兵法は怪我のもと、痛いお灸を据えられて、やっと悟ったとき遅く、もはやバブルの崩壊期、「お祭り済んで日が暮れて~」、はっと目醒めて見回せば、「一億すべて中流」は、夢のまた夢、泡の夢。世界を席巻したはずの、日本的なる経営も、あっという間に崩壊し、終身雇用や年功の序列制度に守られて、まったりしていた勤め人、競争社会の荒波に放り出されて窓際や、肩叩きをも日常の、沙汰となり果ておのが身が、格差社会のただ中に、突き落とされたをやっと知る。
 こうなりゃ頼みは組合と、見回したれどそれらしき、ものはとっくに成仏し、あるは政権・経営者・連合名乗る団体の、三位一体足並みを、揃えた管理の包囲網。

 終身雇用はいやだよね、自由な職業選択と、豪語していたフリーター、気がつきゃただの失業者。ピンはね業者の絶好の、カモとなりはてネギ背負う。
 経営夢見て地位を捨て、前途洋々大海に、乗り出してみた「脱サラ」の、船は笹舟、木の葉舟。名を成したるは一握り。「脱サラ」というはようするに、所詮「脱落サラリーマン」。せいぜい舵取る難破船、板ご一枚その下は、借金地獄かホームレス。

           

 お上推奨口入れ稼業、そのピンハネに耐えながら、辿り着いたが真っ黒け、「お主もようやる」越後屋の、ブラック企業の労働者。じっと手を見るまでもなく、「あゝ働けど、働けど」、命すり減るばかりなり。
 かくなる上は生活の保護を受けんと窓口に、至れば水際大作戦、ご用のない者通しゃせぬ。通ればこんどは監視の眼。子供の小遣い貯金すら、あげつらわれてチクられて、一家心中も自己責任。チンチン電車が走るのも、郵便ポストが赤いのも、カラスの羽が黒いのも、み~んな私が悪いのよ。こんな世間に誰がした・・・・。


 と、まあ、こんな次第が「一億総中流の」顛末。しかし、上記で述べたように、その現実はまっすぐに今日の私たちの現実を規定している。

           

 ここらで、三回ほどにわたって述べてきた一億シリーズを締めくくらねばなるまい。
 「一億」というのが日本の人口の概略を示すものであると同時に、そこに所属する(この所属はその折々の状況に任される。その都度、そこへ組み込まれたり排除されたりするマイノリティがいる)「すべからくの者」を指し示していることはすでに述べた。

 日本というこの限定された領域内にも、実に様々な人たちがいて、当然多種多様な生活、文化や趣向をもっている。それらを「すべからく」でくくることなどはできないということが、過去からの「一億総◯◯」のスローガンは示している。それに迎合し、それに合わせようとする人々は、意識はしなくとも、そこへと包摂されないマイノリティを除外する側に加担してしまう結果となるようだ。

 ということは、そこへと包摂される人たちの複数性、多様性を見ないということでもある。人々を、そこで規定された「すべからく」のうちに閉じ込め、それから逸脱する者たちへの無言の抑圧にもなりかねないということである。これの極限が、全体主義であることは見やすいところである。

           

 このシリーズでの第一回でも書いたが、現今の「一億総活躍」というスローガンもわかったようでわからない。一般的、抽象的、かつ無内容な気もするが、ただひとつ具体化しそうなのが、収入の乏しい老人に3万円を支給するというものだ。老人たちが、このお金を使って市場を潤すという目論見のようだが、それは老人たちが「活躍」したことになるのであろうか。
 ここでは老人たちはマスとしての消費者としてしか見られていない。消費という事態そのものが、今日では生産に付随する行為としてしか見られていない。老人たちは、行為する主体としてよりは、むしろ影の主体である生産者や流通システムに奉仕し、それを下支えする客体的な対象としてしか取り扱われていない。

 早い話が参院選前の税を使った買収運動にほかならないのだから、もともと真面目なコンセプトなど一顧だにされていないのだが、いずれにしても、「一億総◯◯」という言辞を弄ぶ者は、その一億のうちにある人間の複数性をまったく見ないもので、素直に迎合するわけにはゆかない。
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酒は選ぶ段階から楽しい!

2015-12-16 22:31:18 | よしなしごと
 10月の終わり、F出版社のR編集長、C大学のベテラン司書M氏と会食する機会があった。四方山話に弾んだのだったが、その折、「長良ワイン」という文字通り岐阜に醸造元があるオーガニック・ワインを知った。そこそこの味であったし、岐阜といえば私の地元であるから、半分ボケている私の記憶にも引っかかっていた。まあ、アルコールの話は忘却の対象外といっていいのだが。
 
 過日、テーブルワインの在庫が少なくなってきたおりから、それを思い出してネットで検索し、醸造元を突き止めてどこで入手できるかを聞き出した。それによると最寄りの取扱店はほぼ岐阜市の南端に近いところにあるHという酒店だとのこと。少し距離はあるが、飲兵衛にとってそれくらいはなんのそのと馳せ参じた。

            
 
 近くにスーパーがあるというロケーションには恵まれているが、いわゆる繁華な町並みの酒屋さんではない。しかしながら、ワインと日本酒の品揃えはかなりのものと見受けた。
 酒類のディスカウントショップにも顔を出すが、そうした店の品揃えの多さとはまた違ったものがある。ようするに、売り手のコンセプトの違いといっていいだろう。

 ガブガブ飲むくせにワインに関しての造詣はそれほどないが、見たところ、その品揃えは半端ではない。時間の制限もあるので、次回、ゆっくり探検してみたい。
 日本酒に関しては、いわゆる地酒を主体にかなりマニアックなものを揃えている。12月の入荷と近日入荷のもののみのリストが数十種におよぶ。なかには、酒類をを客に飲ませる仕事をしていた私が知らない蔵元がかなりの数含まれている。

 日本酒は好きだが、最近あまり飲む機会がない。また酒量もぐんと減っている。もっと早くここを知っていたらと悔やまれるが、しかし、これからもハレの日に飲むものはここで買おうと思った。まずは正月の酒か。

                    
 
 いろいろ、眺め回していて、笠置シヅ子の「買い物ブギ」(例えが古いなぁ)ではないが、「お客さん、あんた一体なに買いまんねん」の段になって、当初の目論見通り、「長良ワイン」をゲットした。普通の750mlももちろんあるのだが、1.800ml(一升瓶)のものも同じ品質とあって、そちらの方を2本買った。1本が税込みでおおよそ1,950円、テーブルワインとしてもとてもリーゾナブルな価格だ。
 もちろん、買い物をしたと威張るような額でもないが、無所得老人としてはちょっと心が豊かになるような贅沢なのだ。
 
 なお、この種の店は、客の好みなどを聞いてくれるスタッフがいて、マンツーマンの会話を介在させた買い物ができるのがいい。スーパーやディスカウントショップのコンピュータ管理システム相手の買い物ではこうはゆかない。
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「真珠のボタン」はどんな色に輝いていたのか?

2015-12-13 14:12:21 | 映画評論
 12日、ある会合の前に今年最後になるかもしれない映画を観た。
 岐阜を出て、名古屋のその会合に出る前の時間調整にということで、気になっていた映画のなかから、もっぱら時間的な段取り主体でセレクトしたのだった。しかし、それは間違いであった。
 映画がダメだったのではない。そうではなくて逆に、そんな消極的な理由からではなく、もっと積極的に見るべき映画だったことを痛感したのだ。

             

 チリのドキュメンタリー監督、パトリシオ・グスマンの手になる『真珠のボタン』は、私たちの殆どが知らないままに過ごしてきた過去の現実を、美しくかつ貴重な記録映像とともに繰り広げる。

 映画は、チリの最南部に住んでいたかつての先住民・インディヘナ(よくインディオといういい方をするが、それは差別語だというのをこの映画について調べる過程で知った)を紹介する前半と、アジェンデ社会主義政権をアメリカと組んで暴力的に打倒したピノチェト独裁時代を語る後半とに分かれるが、それをつなぐキーワードが「真珠のボタン」なのである。

 同時にこれは全編、水をめぐって語られているという意味では「水の記憶」と名づけてもいいようである。事実、映画は、もし水に記憶があり、それを語ることができるとしたらこんな具合にといったかたちで展開される。

             

 前半は、パタゴニア地方に何千人といたインディヘナが、現状ではその純粋な子孫が20人にまでなった歴史的経緯である。それは白人が渡来して以来のことであるが、その象徴が真珠のボタンと交換にロンドンに見世物同様に連れてこられ、「土人の文明化」の実験台にされたジミー・ボタン(と英国人が名付けた)の物語であった。
 なお、映画では語られていないが、この連れ去りにはビーグル号でチャールス・ダーウィンとともに南米に航海した英国海軍軍人、ロバート・フィッツロイが関わっている。もっともこれは、ダーウィンが同乗していない第一回目の航海においてであった。
 もちろんそれだけではない。その後、入植者などによる「インディオ(あえて蔑称を用いる)狩り」などの悲惨が続くのだが、それらは、男女の生殖に関わる局所を切断して持ち帰ると賞金に交換されるというゲーム感覚のジェノサイドとして実施されたものであった。

           

 後半は、20世紀にまで話が飛んで、1973年、アメリカの後押しによるクーデターで民主的に選ばれたアジェンデ政権を倒し、1990年まで大統領に居座ったピノチェトの独裁時代の話になる。
 
 この軍事独裁政権のアジェンデ派への弾圧ぶりは凄惨を極めたという。何か所かに設けられた強制収容所での虐待や拷問は日常茶飯事で、それによるおびただしい死者の亡骸は、砂漠や(同監督の姉妹作品『光のノスタルジア』で描かれているようだがそれは未見)、そしてこの作品で語られているように海洋へと投棄された。
 後半でのボタンは、その亡骸を投棄するときに重しとして使われた鉄塊(それはやっと近年に引き上げられたのだが)に僅かにくっついていた人間の痕跡として残されたものだが、悲惨を通り越した海洋ロマンの趣すら感じさせるエピソードである。

           

 これは映画では描かれていないが、ピノチェトの独裁時代に取られた経済政策が、アメリカのミルトン・フリードマンが主張する「新自由主義政策」で、それらは「チリの奇跡」と華々しく喧伝されたにもかかわらず、アジェンデ時代には4.3%であった失業率が22.5%に上昇するなど、国民の貧困は一挙に進んだのだった。
 そのフリードマンばりの新自由主義路線をひたすら突っ走っているのがほかならぬわが国の現状である。

 こうして見てくると、この映画は悲惨の極みで、重く苦しいように思われるが(描かれている対象はまさにそうである)、しかし、美しく幻想的な描写の数々と、すでに述べたように、水の記憶を聞き取るというスタイルのため、決して醜悪なものではない。むしろ所々の描写は息を呑むほどに美しい。
 ここには、この種のドキュメンタリーがもつ追及や糾弾一方といった感じではなく、人間が為してきた具体的な事実として、むしろ淡々ともいうべき語り口がある。

           

 映画に登場するインディヘナをはじめとする登場者たちの顔つきがいい。そこに刻まれた皺の数々も含めて、人間の表情というのはかくも荘厳に満ちていたのかと思わせるものばかりである。
 哲学者、エマニエル・レヴィナスが語る、顔(visage ヴィザ-ジュ)という現前、「汝、殺すなかれ」というそれが倫理の基盤となるという言葉がうなずける瞬間でもある。

 もはやそれを伝える人が何人かしかいないインディヘナの言葉を聞き取るインタビューのシーンも印象的である。
 いろいろな名詞をその言語に置換してゆくなかで、「神」に対しては「ない。それはなかったから」(あえていうと汎神論か)、「警察」に対してはやはり、「ない。そんなもの必要なかったから」、などが印象的である。

 映画館を出て、暮れなぞむ空を眺めたとき、表現しがたい思いがこみ上げてくるのを感じた。作品の良し悪しなどのレベルを超えて、今年もっとも印象に残った映画であった。

 https://www.youtube.com/watch?v=yu1U3UbdQjI


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「一億総懺悔」と「一億総白痴化」について

2015-12-12 00:32:09 | 社会評論
 「一億総◯◯」シリーズの2回目です。

 前回は「一億総活躍社会」が政権筋から提言されている折から、「一億」という言葉が指し示すものと、その戦中時での使われ方について述べたが、その後もしばしば「一億」を冠した言葉が流通したことがあるので、それらについて考えてみたい。
 
 戦中の「一億総火の玉」、「一億総玉砕」の掛け声虚しく、敗戦に至った時に主張されたのは「一億総懺悔」であった。ようするに、この惨状に対し日本国民たるものすべからく懺悔をすべきであるということであるが、字面だけからいうと、この戦争の責任はそれを阻止し得なかった私たちすべての責任であるからそれを懺悔せよということなる。
 今様に考えると、この戦争で散った多くの人命、わが国のそれも含め、被害諸国の人たち全てに対して私たちは懺悔をすべきだということだろうが、ところがどっこい、そんなきれいなものとはこの趣旨は全く違うものだった。

               

 1945年(昭和20年)8月17日、敗戦の責任を取り辞職した鈴木貫太郎の後を継いで内閣総理大臣に就任した東久邇稔彦内閣(最後の皇族内閣)によってこの「一億総懺悔」は語られたもので、なんとそれは、大日本帝国の臣民として不甲斐なかったことを《天皇に対して謝罪し、懺悔する》という意味だったのだ。
 これが天皇を始め、具体的な戦争犯罪人を日本人自身が指摘し裁くという必要不可欠な作業が完全に失われてゆく過程の最初であった。味噌も何も一緒にした懺悔、これが「一億総懺悔」であり、しかもその懺悔の対象が全く違ったのだった。

 日本における戦争犯罪は、戦勝側の連合国による成敗のような形をとって行われた。しかしこれも茶番で、予め国体(天皇制)が護持されることが前提になっていて、天皇は超法規的に免責されていたのだ。「一億総懺悔」の一億のなかには天皇は入っていなかったのだ。

 これはまさに戦後史の始まりにおいての瑕疵であるといわねばならない。ようするに日本人が自らの手で自らを裁くことなく、この過程をやり過ごしてしまったのだ。
 そのくせ、チマチマとしたところで、どの作家が、どの芸術家が、戦争に協力したかを暴きだすという作業のみが行われた。大本の戦争責任は曖昧なままにである。

 これが、同じ敗戦国のドイツと日本を今日に至るまで分け隔てている点である。そして、恥知らずな歴史修正主義が大手を振ってまかり通り、「われわれは一貫して正しかったのだ」との歴史認識のもと、その正しかった「日本を取り戻す」というスローガンが上からのキャンペーンとして語られている。もちろん、「戦後レジームの解消」というお題目もこの路線の上にある。
 そうした修正史観に基づく外交政策が、かつてこの国が甚大な被害を及ぼした東アジアの国々(中国や韓国etc.)にも反作用を及ぼし、その間の関係がギクシャクしているのも、遠因はその辺りの「一億総懺悔」の裏に張り付いた「一億総無責任」にあるといえる。

 ちょっと端折るが、ついで「一億総◯◯」が登場するのは、1957年2月、評論家・大宅壮一が、その頃出回り始めたテレビについて語った「一億総白痴化」という言葉によってであった。
 この創成期のテレビ番組は、まだまだ見世物的要素も多く、「電気紙芝居」などともいわれたが、大宅壮一は「紙芝居以下の低俗」として切り捨てたのだった。その年の夏には、松本清張も、このままでは一億総白痴化に至るとこれに追随している。

          

 この年、まだわが家にはテレビはなかった。一般家庭にテレビが普及するのは、今の天皇の成婚並びにパレード(1959年4月)が契機になったといわれているから、60年代になってからだろう。

           
 
 だから私自身は、この頃の番組については何もいえないが、それほどひどいものだったかなぁという思いがある。大宅壮一にしても、松本清張にしても、その後のテレビの変貌を知り、今様に、ニュースだろうがドキュメンタリーだろうが何でもかんでもバラエティにしてしまうのを見たら腰を抜かすのではないだろうか。

 ただひとつ、こうした批判が説得力をもって流通したのは、教養を尊ぶということ、しかもそれらは主として書物を介して取り入れられるべきだといういわゆる教養主義、啓蒙主義の影響下においてであったことは留意すべきだろう。
 メディアのあり方は一様ではないし、教養主義、啓蒙主義のもろさもある。端的にいって、大正から昭和のはじめに続くそうした知的あり方は、戦争を止めることはできなかった。もっとも今のおちゃらけテレビにそんな力があるというわけではないが。

 次回はまとめとして、「一億ってだ~れ。あなたそれとも私?」について書くつもりです。
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