*写真はJR岐阜駅前のバスロータリー内に集められた岐阜県下の名桜の子孫です。
これはもう10日前ぐらいに写したものですから、ほとんど散ってしまっているかもしれませんが、「淡墨桜」や「荘川桜」の親木はもっと北部の山地にあるため、開花はまだまだこれからです。
前回書きましたが、特攻隊員の死は無駄に消費された死だと思います。
前にもそんなことを書いたら、それでは彼らがあまりにもかわいそうではないかといった反論がありました。でも、それは事実なのです。
こういったからといって決して彼らの死を卑しめたりしているわけではありません。私の一世代上の人たちですし、彼らが突っ込む同時代を生きてきた身としては、それが並大抵のことではなかったことはひとしお分かっているつもりです。
それだけに、彼らを無為な死に追いやった時代、そして、その時代を支配していた人たちを許せないのです。
私を批判する人たちは、彼らの悲壮な死への対峙、そして覚悟の形成などをその手記や遺書に見て、それでもなおかつ彼らの死を無為だとするのかと迫ります。
しかし、私はあえてそれを無為だったとします。
これは彼らにたいする非情や無関心ではありません。
私は素直に彼らの死に至る述懐に涙します。と同時に、こんなことがどのような意味においても、ましてや、とってつけたような美意識(散る美学)の名において肯定されてはならないと思うのです。ですから、涙しながらも「それは無為だったのだ」と叫び続けなければならないのです。
彼らの手記や遺書は、その結論のみをみると潔く美しいものにみえるかもしれません。
しかし、それへと至る彼らの逡巡や忌避への気持ちは書かれてはいません。
それを書くことは、あえて当時のことばでいえば、「女々しい」として非難されたからです。
彼らとしては、外部から強要される理不尽な死(死はいつだって理不尽なものです)を、あたかも自らが望んだものであるかのように内面化しなければならなかったのです。
そのために彼らは、これはと思われる宗教や思想、哲学、そして文学や詩歌などあらゆるものを利用しました。
彼らが、その置かれた状況の外部へと逃亡する道を精神的にも物理的にも絶たれたところで、その死を自ら選んだものとして内面化しようとすればするほどその軌跡は美しくみえるかもしれません。
しかし、それを肯定してはならないのです。
なぜなら、すでにみたように、彼らの描いたその軌跡がどんなに美しくみえようが、その前提には理不尽な死への強要が絶対的なものとして既に立てられてしまっているからです。
それらをキッチュな無常感や、薄っぺらな美意識で肯定してしまうことは、街宣右翼の大音響軍歌の垂れ流しの悲壮感とさほどの距離はないのです。
だから私は、逆説的といわれようが、非情といわれようが、(ここからは二人称として語りかけます)「あなたたちの死は無為であった」と叫び続け、その分、あなたたちに死を強要し、あまつさえそれをあなたたちの内面からであるかのような偽装工作すらをあなたたちに強要した連中を許せなのです。
あなたたちがどんなに美しいセリフや仕草でそれを語ろうが、その脚本をほんとうに作ったのはあなたたちではないのです。
ですから、あなたたちの死を無為だといい切る私は、あなたたちがそこへと動員されなかったら可能であったかもしれないもう一つのドラマ、もうひとつのセリフ、もうひとつの表情、つまり、生き続ける自然体というドラマの観客でいたかったと思うのです。
これはもう10日前ぐらいに写したものですから、ほとんど散ってしまっているかもしれませんが、「淡墨桜」や「荘川桜」の親木はもっと北部の山地にあるため、開花はまだまだこれからです。
前回書きましたが、特攻隊員の死は無駄に消費された死だと思います。
前にもそんなことを書いたら、それでは彼らがあまりにもかわいそうではないかといった反論がありました。でも、それは事実なのです。
こういったからといって決して彼らの死を卑しめたりしているわけではありません。私の一世代上の人たちですし、彼らが突っ込む同時代を生きてきた身としては、それが並大抵のことではなかったことはひとしお分かっているつもりです。
それだけに、彼らを無為な死に追いやった時代、そして、その時代を支配していた人たちを許せないのです。
私を批判する人たちは、彼らの悲壮な死への対峙、そして覚悟の形成などをその手記や遺書に見て、それでもなおかつ彼らの死を無為だとするのかと迫ります。
しかし、私はあえてそれを無為だったとします。
これは彼らにたいする非情や無関心ではありません。
私は素直に彼らの死に至る述懐に涙します。と同時に、こんなことがどのような意味においても、ましてや、とってつけたような美意識(散る美学)の名において肯定されてはならないと思うのです。ですから、涙しながらも「それは無為だったのだ」と叫び続けなければならないのです。
彼らの手記や遺書は、その結論のみをみると潔く美しいものにみえるかもしれません。
しかし、それへと至る彼らの逡巡や忌避への気持ちは書かれてはいません。
それを書くことは、あえて当時のことばでいえば、「女々しい」として非難されたからです。
彼らとしては、外部から強要される理不尽な死(死はいつだって理不尽なものです)を、あたかも自らが望んだものであるかのように内面化しなければならなかったのです。
そのために彼らは、これはと思われる宗教や思想、哲学、そして文学や詩歌などあらゆるものを利用しました。
彼らが、その置かれた状況の外部へと逃亡する道を精神的にも物理的にも絶たれたところで、その死を自ら選んだものとして内面化しようとすればするほどその軌跡は美しくみえるかもしれません。
しかし、それを肯定してはならないのです。
なぜなら、すでにみたように、彼らの描いたその軌跡がどんなに美しくみえようが、その前提には理不尽な死への強要が絶対的なものとして既に立てられてしまっているからです。
それらをキッチュな無常感や、薄っぺらな美意識で肯定してしまうことは、街宣右翼の大音響軍歌の垂れ流しの悲壮感とさほどの距離はないのです。
だから私は、逆説的といわれようが、非情といわれようが、(ここからは二人称として語りかけます)「あなたたちの死は無為であった」と叫び続け、その分、あなたたちに死を強要し、あまつさえそれをあなたたちの内面からであるかのような偽装工作すらをあなたたちに強要した連中を許せなのです。
あなたたちがどんなに美しいセリフや仕草でそれを語ろうが、その脚本をほんとうに作ったのはあなたたちではないのです。
ですから、あなたたちの死を無為だといい切る私は、あなたたちがそこへと動員されなかったら可能であったかもしれないもう一つのドラマ、もうひとつのセリフ、もうひとつの表情、つまり、生き続ける自然体というドラマの観客でいたかったと思うのです。