六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

夏目漱石、小林秀雄、そして五代目古今亭志ん生

2014-08-28 16:27:04 | 日記
 「朝日」が、夏目漱石の「こころ」連載100年を記念して、その復刻を連載しているが、その横に、漱石をめぐるエピソードが囲み記事で載っている。
 8月27日のそれは、彼の話しぶりについてだったが、当時、「朝日」の大阪勤務だった長谷川如是閑が大阪へ来た漱石と対面した折の証言が紹介されていた。それによると、如是閑自身が東京生まれの東京育ちのくせに、漱石の話し振りを、まるで高座の落語を聞いているような東京弁だったと記している。
 ちなみに二人の年齢差は8歳で漱石が上だが、やはり維新以来の言葉の変化を反映しているのだろうか。

          

 これを読んで、ハタと思い出したことがある。それは小林秀雄の講演をYou Tubeで聞いた折、その声も語り口も、そしてその間合いも五代目・古今亭志ん生とそっくりだと思ったことだ。

 下に添付しておくが、志ん生の生前をご存じの方はとても懐かしいのではなかろうか。念の為に、志ん生の声もYou Tubeで確認してみたがやはり似ている。
 この下のものが志ん生だが、この「千両みかん」というのは元々は上方落語で、最後にちょっとしんみりした悲哀が残っていい話だ。

   https://www.youtube.com/watch?v=aEWmHb6Rp-w
   https://www.youtube.com/watch?v=5DBR10jJGyo

           

 ついでに余勢をかって、漱石そのものの声がないだろうかとやはりYou Tubeで検索してみたら、それがあったのだ!
 それは夏目漱石が五高開講記念日に教員代表として読んだ教員代表祝辞で、熊本市坪井町の漱石旧­居で公開されている音声だという。
 早速、聴いてみた。
    
   https://www.youtube.com/watch?v=UCmQJ_1ysrA

          

 内容は紋切り型だが、その声はしっかりしていて、よくこんな明瞭な録音が残っているなぁ、その頃の録音手法といったらレコード盤だろうけど、それにしてはすごいなぁと感心することしきりだった。
 しかし、その下のコメントを読んでがっかりした。
 
 「これは夏目漱石の肉声ではなく、日本音響研究所が、人間の声が指紋同様それぞれ異なっ­た紋様を持つという原理を応用、漱石の肖像画や写真から口腔の容積、構造などを割り出­して紋様を合成したものです。」だって・・・。


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久々のおでかけとJCの観察

2014-08-27 02:37:02 | 日記
 ここ2、3日、集中してすることがあって一歩も外へ出なかったが、図書館の返済日だったのと、食料が尽きたのとで、久々に家を出た。

 わが家の駐車場から見える建物はもう何十年も経っているので、どうやら解体作業をしているらしい。覆われた中から、ギギギギギとかガガガガ~ンとかドスンドスンといった音が聞こえる。

          

 家から出てしばらくしたところにある道だが、シラサギ君が悠然と道路を闊歩している。こういうのっていいなぁ、田舎住まいの良さだなぁとしばらく見とれる。

          

 ちょうど中学生の下校時で、いろんな中坊が三々五々通りかかる。
 この際、男子学生にはあまり興味がないのでJC(青年会議所ではなく女子中学生ですぞ)に注目する。

 歩きスマホは禁止されているのかそんなのはいない。
 かたまってケタケタ笑いながらふざけあっているのはまさしく青春してるなぁという感じである。

 ツンとして正面を向きひたすら歩く子もいる。どこを向き、どこへ行こうとしているのか。もちろん「うちへ帰るのよ」ということだろうが、つい問いただしてみたくなる姿勢である。

 そうかと思うとうつむき加減で、自信なさげに見える子もいる。いやいや、それは私の主観で、本人は確固としたものを抱いていて、それを悟られないようにしているのかもしれない。

 興味をもったのは、ちょっと小生意気な表情で、そのくせ四肢にはほとんど緊張感がなく、ふてくされたように歩を進める子である。別にヤンキーではない。そのちょっと世にすねたような佇まいがなにか面白そうなのだ。こういう子って何か独自性のようなものをもっているのではとつい思ってしまう。

 それらを観察しているうちに、私がいま、ネットやリアルで親しくしている成人した女性たちが中学生の折、どんなタイプだったのだろうと考え、あの人はこうかな、そしてあの人はこんなんかなと、いろいろ想像してみた。
 たぶん私の想像は的を射ていはいないだろうとは思うが、ちょっと楽しい空想ではある。

          

 スーパーの屋上駐車場に車を止めたのだが、なんだか怪しい空模様になってきた。
 果たせるかな、帰途、雨に見舞われた。
 今日も植物たちに水をやる必要はなさそうだと思った。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パフォーマンスではなく公的支援体制の充実を!

2014-08-24 15:41:05 | 社会評論
 頭っから氷水をかぶるパフォーマンスが流行っている。
 最初見たとき、なんというバカバカしいことが流行るのだろうと笑うことすらもできなかった。
 やがて、それらが、難病のALS支援のためのものだと知ったが、それでもなおかつ、というかいっそう釈然としなかった。
 
 まず第一に、ネットで見る限り、登場する人たちが実に嬉々としてそれを行っているのだ。たしかに、たとえどんな状況でもお金が集まればいいという考え方もあろう。実はここに落とし穴がある。こうしたパフォーマンスが一時の流行であることは間違いない。やがてそれ自身がしぼんでゆくことは目に見えている。そうすれば当然支援金も減少するわけだ。
 しかし、患者やその周辺は、なおかつ支援が必要は状況に置かれるだろう。

            

 この病気はその他のものとともに指定難病になっていて、治療費などの公的支援も行われてはいる。しかし、それでも、患者やその周辺への支援が十分とはいいかねるためにこうした運動が起こるのだろう。それは理解できる。

 だとしたらその王道は、こうしたパフォーマンスによる一時的な支援策ではなく、税金を用いた公的支援体制のさらなる充実をこそ目指すべきではないのか。
 その時代が生み出すすべての富は、時代そのものによって支えられている。したがって、不幸にして病や貧困で適応しえないひとをも含めて、この時代の成員である以上、それらの富はそうした成員の生活に対しても当然用いられねばならない。

            

 それがセーフティ・ネットの基本的な考え方であるはずだ。
 ところが最近、自分さえ良ければという「自己責任論」が跋扈して来て、時代が生み出した富で時代の成員全体の生活を支え合おうとする考え方が否定されつつある。
 そして、そうした自己責任論は、福祉関連の予算圧迫として機能しつつある。

 冒頭の水かぶりのパフォーマンスであるが、それに参加している人たちの大半は善意であろう。しかし、そこには憐憫もあるだろう。
 憐憫があってはいけないといっているのではないが、憐憫に依拠した寄附行為に依存するのでは、現状の「自己責任論」を越えられず、あるいはその範囲内での寄附行為に終わってしまって、公的制度としてのより手厚い支援には結びつかないということが問題なのである。

          

 格差社会が悪しき方向で固定されるなか、一層のセーフティ・ネットが必要な段階に差し掛かっているにも関わらず、20世紀型の福祉国家はどんどん後退しつつある。
 その現状を見据えた上で、一時的なパフォーマンスに依拠しない公的資金、すなわち税による手厚い助成が実施されるよう監視してゆかねばならない。
 そのための消費税値上であったのではないか。
 日々の買い物のなかで、ボディ・ブローのようにじわじわっと効いているこの実感は、その税が適切に使用されていることによってはじめて我慢できる性質のものだ。
 
 以下の私の友人のブログがそれを言い得ていると思い、転載いたします。

 http://www.bedman.jp/2014/08/blog-post_24.html?spref=fb
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年の夏も終わろうとしているが・・・

2014-08-17 18:05:11 | よしなしごと
 またまた広島の方で大きな災害があった。
 犠牲者や被災者の方にはお気の毒という他はない。
 ヘリからの映像を見て、あんな山裾にまで住宅地が密集する日本の住宅事情を思った。
 同時に、最近の気象状況の変化や季節の移り行きが、以前よりもとても鋭角的になっているような気がする。

 おかげで私の地方は、時折来襲する短時間の雷雨以外、まとまった降りもなく、庭の草木に水やりが必要なほどだ。

          
          

 買い物に出かけた。35度を越えるという予報だが、湿気が少ないせいかさほどに感じない。それでも帽子をしっかりかぶって、足元は涼しく雪駄チャラチャラで出かけた。
 途中で、毎年見かける2メートルもあろうかというテッポウユリを眺める。
 もう枯れた花もあって、やがて夏の終わりとともに終わる命だ。
 花言葉は「純潔 偽れない」ということで、俗物の私にはいささか眩しい言葉だ。

 さらに行くと、槇(マキ)の生け垣に絡んだカラスウリの花を見つけた。
 この花は暗くなってから開き、朝にはもう閉じてしまうから夜でないと目撃できない。
 私は何度も見たことがあるが、その時期には携帯もデジカメももっていなかったので写真に収めたことはない。
 上は私が今日撮ったもので、一見ピンぼけに見えるがそうではない。携帯ではこの程度にしか写らないのだ。
 そこでネットで拾った夜の開花の様子も掲げておこう。
 私の撮ったものでも上の花はその開花の徴候を示しているのがお分かりでしょう。

          
          
 
 うちへ帰ったら、オッ、今年もついにやってきた、あのツクツクボウシが!
 「ツクツクホウシ、ツクツクホウシ、・・・・」と鳴いてから最後に独特の調べを2度ほど繰り返す。
 私が少年の頃過ごした大垣の郊外では、それを「ドバッチンショー、ドバッチンショー」と表現していた。そして、これには意味があって、「ヤ~イ、バチが当たったろう」というのだそうだ。
 なぜツクツクボウシに「このバチあたりめが!」といわれねばならないのかはもちろん分からないが、やはり、いろいろ懺悔すべきものをもつ身としてはなるほどとも思う。

    誰が罪を 責めて夜半の 蝉しぐれ

 と、いうのは私の旧作の川柳である。

 ツクツクボウシが鳴くと夏の終わりは近い。
 季節の変わり目に、もう大きな災害は起きないことを祈っておこう。
 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鎮魂と献花

2014-08-15 11:19:42 | 日記
 敗戦記念日、メディアでネットで多くのことが語られている。
 「朝日」の、1、2面の特集がなぜそこなのかいくぶん気になるが、敢えて触れまい。

          

 近隣諸国、2,000万人の死者とこの国の300万人の死者に対し、静かに鎮魂の礼を尽くしたい。ちなみに、敗戦の年、1945(昭20)年、この国の男性の平均寿命は24歳を切っていたという。

          

 鎮魂の対象には私の実父も含まれる。1944年、あの無謀なインパール作戦のビルマ(現ミャンマー)において戦死している。

          

 今日は同時にお盆だ。
 上記の父、私を産んでまもなく亡くなった実母、そして、孤児になった私をこんなにもいい子に育ててくれた養父、養母、彼らの御霊が私の身辺に帰還するこの日、それを丁重に迎えたい。

          

 人間の生は、この世へと現れ、人々と交わったあと、自然にまたこの世を去ってゆく。その極めて当たり前の過程を、禍々しい人為によって、無残に断ち切ることがあってはならない。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日航123便墜落事故とトンデモ陰謀説について

2014-08-13 01:30:23 | 社会評論
 520人の犠牲者を出した日本航空123便墜落事故からもう29年目になるという。私は当時、この事故を仕事帰りの深夜のカーラジオで知った。しかし、その折はまだ、墜落現場も特定できず、さまざまな情報が錯綜していたのを記憶している。

          

 昨日、Wikiなどで当時の状況を再確認していたら、そのすぐ下にあるとんでもないブログの記事に出会った。
 それによれば、あの事故そのものが日米合同の軍事訓練の際に発射された小型核ミサイルによる撃墜事件だったというのだ。
 
 場所の特定に手間取ったのと、当時はまだ夜間の山地での救助が困難だったことなどからして、実際の救助活動は翌朝からになったのだが、そのブログによれば、実は夜間にすでに別の自衛隊の部隊が現場に到達していたというのだ。
 そこで彼らがしたこととは、実際にはまだ100名ほどいた生存者を撃墜の証拠隠滅のために火炎放射器で焼き殺したという驚くべき「事実」であった。

 もちろんこれはトンデモ説のひとつなのだが、それにしてもその例証のためのエネルギーは凄まじく、傍証などの枝葉も含めると膨大なボリュームのブログである。
 なぜこんなにも精力的にこんなくだらないことを延々と書き続けるのかというと、どうやらこのブログ主は、旧約聖書以来の世界史的ユダヤ陰謀説の信奉者で、世界は彼らの浸透によって危うくなっているということらしい。彼のいう、「ユダヤ教パリサイ派」の陰謀は、この日航機墜落事故にかぎらず、9・11から3・11(地震津波誘導核爆発による)に至るまで、すべてがそれによる攻勢だというのだ。
 世界のほとんどはすでにその勢力に屈し、日本でもかなりの部分が彼らに侵食されているらしい(29年前、すでに自衛隊が侵食されていた?)。

 こんなバカバカしいものと思ったが、それに付けられたコメントを見て驚いた。高校生などの若い人たちがこれに賛同し、「目から鱗がとれた」とか、「学校での歴史の授業は陰謀派の洗脳にすぎなかったのだ」とかいったことを続々と書き込んでいるのだ。

          

 私はこれらに接して、気色の悪さと胸くその悪さを禁じえず、吐き気を催すほどであった。
 もちろん、こうしたトンデモ説が横行しているのを知らなかったわけではないし、ほかでも度々お目にかかっている。だから、どうしてこんなに無性に腹が立つのか最初は分からなかった。

 しかし、そのうちに、前にもこうした思いがこみ上げてきたことに思い当たった。
 それはもっと若い頃のことだが、列車でたまたま隣に座り合わせたおばさんがカルト的な教団の信者らしく、私に話しかけてきて次のような問いを発してきたのだ。
 「あんたは、どうして伊勢湾台風で名古屋のひとがたくさん死んだのか知ってるか」
 「え?どうしてですか」
 「それはな、私らの教団が名古屋では少なかったからだ」
 と彼女はドヤ顔で得意気に私を諭しにかかった。
 私は急に怒りがこみ上げてきて少し声を荒らげていった。
 「あなたは、名古屋でひとがたくさん死んで、自分たちの教義が立証されたというので嬉しいんですか」
 私はこういい捨ててまだ降りる駅ではなかったが席を立った。

          

 そう、この時と同じ怒りである。
 このブログ主は、御巣鷹山で520人の人々が命を失ったことを自らの陰謀説の証として(もっともそれ自体彼の後出しジャンケンのような論理だが)喜んでいるのだ。9・11の死者も、3・11の膨大な死者も、彼の陰謀説を立証する道具にしかすぎず、それが悲惨であればあるほど、彼は嬉しいのだ。

 陰謀説というのは、この複雑にして錯綜した世界を、一元的で透明にして見せる麻薬のようなものである。一旦これを手に入れると、世界のどんな事象も、彼にとっては極めてわかりやすいスッキリしたものとして示される。

 それだけなら罪がないといえるが、この陰謀説には暴力や残虐が内在している。彼らによれば悲惨の大きさは彼らの説の正しさに比例するかのようである。
 それはかつて私に話しかけてきたおばさんと上のブログ主とに共通する態度である。彼らに死者を悼む気持ちはいささかもない。死者は、彼らの教義を立証する道具にしか過ぎない。

          

 もっと怖いのはこの陰謀説が実際に権力と結びついた場合だ。
 中世の魔女狩りがそうだったし、前世紀のナチズムがそうであった。
 そしてスターリニストたちも、CIAの陰謀にそそのかされた者として無数の「同志たち」を粛清したのであった。

 最後に言い添えると、陰謀論者たちは一見、理性を欠いているように見えるが実はそうではない。この世界を一元的で透明なものとして秩序づけたいとするのも理性の一つの働きなのである。
 オウム真理教の信者に高学歴者が多かったのもそれ故である。
 世界とは何であり、自分は何であらねばならないかという問いを立て、それに安易に答えようとするとき、陰謀論の落とし穴が待っている。
 そしてそれにもっとも引っかかりやすいのが、理性的であろうとする欲望だといえる。
 かつて、それに近かった私がいうのだから間違いない。

 以下に、私が吐き気をもよおしたブログのアドレスを記すが、お読みにならないほうがいいだろう。理性的でありたいとお望みのあなたが、その虜になると困るから・・・。

 http://blog.livedoor.jp/ijn9266/archives/4121599.html
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【講座】空疎な文章・空疎なおしゃべり

2014-08-10 11:31:58 | 社会評論
 安倍首相の広島でのスピーチが去年とほぼ一緒でコピペ挨拶だといわれていましたが、長崎でのスピーチもまた昨年のそれとほとんど一緒でした。それのみならず、広島と長崎のものもほぼ同じなのです。
 このひとにとっては、去年も今年も、広島も長崎もひとつの雛形で処理できてしまう軽~いものでしかないのです。被爆者と国民を徹底的に愚弄しているというべきでしょう。

          

 私は商業学校の出身ですから、商業実践の時間というのがあって、そこで商業通信文の雛形を習いました。
 例えば以下の様なものです(当時を思い起こして書いてみました)。

 「謹啓 猛暑の候、貴社ますますご清栄の段、大慶に存じます。
 平素は格別のお引き立てに預かり、厚く御礼申し上げます。
 さて、お問い合わせの弊社商品出荷の件に関しましては、鋭意努力を重ねておりましたところ、誠に申し訳ございませんが、お申し付けの期限内にはお届け致しかねる仕儀に至りました。
 つきましては、弊社内情などご賢察賜り、何卒ご寛怒の上、遅延に伴う延滞金のご請求などご容赦下さいますよう、この段、伏してお願い申し上げます。
 まずは簡略ではありますが、書中をもちまして、ご報告傍々、衷心よりお詫び申し上げる次第です。
 末尾ながら、貴社の一層のご発展をお祈り申し上げます。                       敬具 」

 まずは「ご挨拶」、相手を持ち上げこちらはへりくだる。
 「さて」で始まるところで用件に関する状況報告。
 「つきましては」で、相手に対する要求など。
 「まずは」で、この手紙の結びの言葉。
 「末尾ながら」で、再び持ち上げるご挨拶。

 これはほとんど血肉を欠いた手紙ですが、ビジネスとしては相互に了解の上での世界ですから、かえってこのように形式化されたもののほうがわかりやすいのです。

 ただし、このパターンはラブレターには使えません。
 「さて、私儀、貴殿をお慕いいたしております。
 つきましては、何卒我が胸中をご賢察の上・・・」
 ではなんともいただけません。

 安倍首相に、ラブレターをよこせというわけではありません。しかし、商業通信文的なパターン化された物言いを、少なくとも原爆の記念式典ではして欲しくないと思うのですが、まあ、この人にいっても無駄なようですね。

 ようするに、上記のような挨拶の中には、述べ手としての安倍氏も、そしてどんな人間も住んではいないのです。
 曰く「空疎」!
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恥ずべきことは恥ずべきこと

2014-08-06 14:28:10 | 社会評論
 今日はヒロシマへ原爆が投下された日である。
 それについては多くの人が触れていて、安倍首相ですら「平和主義者」を演じているのだから、あえて触れない。

 「朝日新聞」がここ二、三回、連続して「従軍慰安婦」に関する過去の報道の点検と、それに関連した状況についての特集を行っている。
 この特集は、「河野談話」を読んだこともないのにそれを批判する人たちも多いなか、この問題のおさらいとしても役立つが、一方、この問題自体が「朝日」の捏造であるというネット上などでの批判に対する「朝日」の対応や弁明を含んでいる。

 とりわけ、強制連行の有無についての言及に焦点がしぼられているようで、「朝日」自体が過去の報道を検証するなかで、一部に誤報があったことを認めている。
 それは、1982年9月に報じられた吉田清治というひとの、自分自身が済州島で200人の朝鮮女性を「狩り出した」という講演内容を記事にしたもので、さらにその後、後追い記事を何回かにわたって掲載したのだが、済州島現地での検証などでそれが全くの虚言であったことが立証されたというものだ。

          

 しかしこの報道は、「朝日」のみのものではなく、「毎日」も、そしてその後「朝日」捏造説に加担するかのような「産経」や「読売」も当時はちゃんと報道しているのである。とりわけ「産経」は、吉田氏を紹介する記事で、「韓国・済州島で約千人以上の女性を従軍慰安婦に連行した」と報じている。

 さて、「朝日」捏造説だが、この誤報の発端を生み出したという点で「朝日」の責任は重大だといえるが、その点を捉え、鬼の首でもとったかのように言い立てて従軍慰安婦問題そのものを「なかった」かのように葬り去ろうとしている人たちがいる。
 そうした立場はさらに、従軍慰安婦という事実がたとえあったとしても、それは当時としてはあたりまえのことであり、またどこの国でもやっていたことだと居直るに至っている。

 たしかに済州島の件が吉田という虚言癖のある人に端を発する誤報であったことは事実であるが、だからといって、さまざまな形での強制性があったことが全て否定されたわけではない。
 そして、従軍慰安婦という制度が、日本軍の積極的な、したがって当時の日本政府の容認のもとに存在したことは紛れもない事実なのである。

 この件に関して、小熊英二氏は8月6日付朝日の同特集のなかで、「ガラパゴス的論議からの脱却を」と題して「軍人や役人が直接に女性を連行したか否かだけを論点にし、それがなければ日本には責任がないと主張する」人たちを批判している。小熊氏がいうごとく、「そんな論点は日本以外では問題にされていない」のであり、「見苦しい言い訳にしか映らない」ことは確かである。

          

 小熊氏の主張は、「まずガラパゴス的な弁明はあきらめ、前述した変化(=情報化とグローバル化は、民主化や人権意識向上の基盤となった)を踏まえることだ」とし、その上にたっての「情報公開、自国民への説明、国際的な共同行動」を提案している。
 ようするに密室での外交上の駆け引きではない、すべての情報の公開と共同行動の提案である。

 具体的には、「日本・韓国・中国・米国の首脳が一緒に、南京、パールハーバー、広島、ナヌムの家(ソウル郊外にある元慰安婦が共同で暮らす施設)を訪れる。そしてそれぞれの生存者の前で悲劇を繰り返さないことを宣言する」ことを提起している。

 その実現の可能性はともかく、そうした開かれた態度でこの問題に接することなく、「ガラパゴス的な弁明」に終始しているこの国の為政者たちの姿勢をみる限り、解決への道は遠いように思うし、被害者を出した朝鮮半島やオーストラリアのみならず、国際的な信頼も得られないだろうと思う。

 戦場に女性集団を帯同し、性行為の対象にすることはどんな屁理屈をつけようが今日から見れば恥ずべきことなのであり、そのおおもとを直視しない態度は恥の上塗りというべきだろう。

 恥ずべきことは恥ずべきこと、この単純な事実から逃れてはならないと思う。


【追記】私自身、復員してきた兵士から以下のような話を直接聞いている。
 それによれば、「これが本日の突撃用の兜だ」だと上官からコンドームを支給され慰安所の前に並んで順番を待ったというのだ。待ちくたびれた兵士からは、「お~い、早く済ませろ!」という野次もとんだという。
 この場合のコンドームは、女性を妊娠させないためではなく、兵士たちを性病から守るためのものだった。
 
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この格差はひどい ! といっても経済的な話ではないが・・・

2014-08-04 16:48:04 | よしなしごと
 梅雨の間にも、そして梅雨が明けてからも、台風だの何だので各地で豪雨による災害が続いている。沖縄や奄美諸島はもちろん、九州、四国でもひどいようだし、東北の秋田などでも被害が出ているところがあるという。
 先にはおとなりの三重県の尾鷲などで信じられないほど降ったようだし、東隣の長野県でも奈良井宿の土石流で今も中央線が不通になっている。

        

 なのにである。私の住む岐阜県では、梅雨のはじめ以来雨らしい雨も降らず、私の記憶では一日通しの雨はわずか一日、雷雨の襲来も二度ほどしかない。いわゆる完全なカラ梅雨であった。
 その後も、明日は雨との天気予報で、植木に水などやらないでおくと結局は降らなかったり、邪魔だなと思いながら傘を持ってでても役に立たなかったり、そんなことの繰り返しなのである。
 どういうわけか、この地方だけ雨が避けているような気がしてならない。

        

 確かに降りそうにはなるのである。空はどんより垂れ込めて、いつ降ってもおかしくはないのにそのままんまで、ちょっと降りだして、おっ来たと傘を取り出したらその間に止んでしまうといったこともあった。
 それはいいことじゃないかと思われるかも知れないがやはり私としては災害で苦しんでいる人たちと比べてこの格差はひどいのではないかと思ってしまうのだ。

           

 どうやら、高気圧だの低気圧だの前線だのが絡んだ気象条件のなせる技のようだが、それにしてもそんなの無視してガラガラポンと一緒くたにした上で、全国均一に降らすことは出来ないものか。そうすれば、局地的に被害が出ることはあるまい。
 ようするに雨降りをシェアーするのである。

        

 かつて、台風を途中で撃退するために、その目のなかで水爆を爆発させたらとかなりまじめに考えたのがいるようだが、それが温帯性低気圧に変わったとして、それと一緒に訪れる放射能をたっぷり含んだ風雨のことはどうするつもりだったのだろう。
 まさか、どこかの国の水爆は「キレイ」なのだと本気で信じたわけではあるまい。

        

 そんな荒業はともかく、今のこの気象上の格差は何とかならないだろうか。
 例えば前線の端をちょいと摘んです~っと移動させ、日本列島に穏やかな雨を均等に降らせるとか、福祉を削減して企業減税をするアベノミクスなどよりこちらのプロジェクトほうがよほど生産的だろうと思う。

 え?そのプロジェクトの名前ですか?
 そりゃ、あんた、「アメノミクス」。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悪あがきはしてみるものだ 薄氷を踏む悪戦奮闘記!

2014-08-01 15:12:47 | 日記
 昨日は我が家の冷蔵庫の製氷装置がおかしくなったので修理を依頼したところ、三日後でないと来られないとのことで、いろいろドタバタしたことを書いた。
 
 しかし一方では、自己責任での修理をも試みていたのだった。
 修理をするにはその装置の仕組みと、故障の原因、ないしはその箇所が特定できなければならない。
 メーカーによって違いはあるもののその装置の概略は添付した図のようになっている(赤い長方形や説明は私が付けたもの)。

        

 まず製氷皿であるが、これは指標室の天井部分に引き出し状にくっついていて、この部分で凍ったものが回転したりして下の製氷室に貯まる仕掛けになっている。

 ここを引き出してみた。水が全然ない。そこでこの製氷皿に直接水を入れしばらく待った。すると、すっかり時間が経って諦めかけた頃、ガラガラッと音がして氷が落下するではないか。
 ということは、製氷機能そのものが損なわれているのではないことが判明したのだ。

 そして同時に判明したことは、上の給水タンクの水が下の製氷皿に送られていないということで、それが原因だと特定できることだ。
 しかし、この給水ホースは完全に目視できない構造になっており、針金などを突っ込んでみることも考えたが、万一ホースを損傷させたら元も子もない。

 私の折角の探求もここに窮するかに思われた。
 それでも諦めずに、同様の体験をもつようなブログなどを物色していたら面白い記事に行き当たった。

 そのブログ主は、何らかの拍子に給水ホースそのものが凍ってしまい、水を送らなくなったのではないかと考えたのだ。
 そしてその対策として、なんと給水タンクにお湯を入れてみたというのだ。
 そしたら、ちゃんと氷ができるようになったというではないか。

 これなら失敗をしても実害はあるまいと早速真似をしてみることにした。
 何度ぐらいとは書いてはなかったが、まさか熱湯ではと思い、40度前後(お風呂程度の温度)でやってみた。
 5分ほどしたら、ドアの表示部分に、庫内の温度が上昇したり異様に内容物が多い時の注意シグナルがでたが、これは現状復帰をすれば消えることがわかっていたのでしばらく放置しておいた。

 頃合いを見てお湯を取り出し、冷水に変えてセットしなおした。
 しばらくして、さきにみた製氷皿を開けてみたら、ちゃんと水が張られているではないか。
 しめしめと思ったが、実際に氷ができてみるまでは安心できない。
 そしていくばくかが過ぎて・・・・できたっ!
 見事氷ができたのだ。

 こうして書くといともスムーズに解決したかのようだが、ネットで調べたり、製氷皿を取り出す際にいちいち製氷停止を確認したり、そして何よりも一つ一つの経過を待つ時間を要したりで、結局、半日を要したのであった。

 この方法、一般的にはお勧めしない。試みられるのならあくまで自己責任でお願いしたい。
 というのは、私の参照したブログ主、それで一時的には回復したが、結局はダメになったそうだからである。
 実際のところ私もまだドキドキしながら経過を見ている段階なのだから。

        

 オマケの写真は我が家の桑の木に来たアブラゼミの4重連。
 D51 の三重連はたしか伯備線だったと思う。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする