11月19日、雨がそぼ降るなか、滋賀県は湖北の紅葉の名勝、鶏足寺を訪れましたた。彼女はお留守番。
帰途、訪れた道の駅で、野菜をお値打ちにゲットしました。
ネギ一束、日野菜一束、唐辛子一束、それに赤かぶの中玉二個で500円でした。とてもお値打ちですね。
ネギはともかく、唐辛子は干して鷹の爪として用いるつもりで吊るしました。
日野菜はネットを参照しながら、少しばかり凝った漬物にしました。
21日、彼女は、「ちょっと変わった味だねぇ」といいながらそれを食べました。
赤かぶは時差をつけて遅らせ、11月22日に漬けました。
当初、少し意地悪をして、「今度は塩漬けにしようかな」というと彼女はムキになって「嫌だ、酢漬けがいい」といいつのります。
もとより、こちらもそのつもりでしたから、「わかった、わかった。酢漬けにするよ」といいました。
彼女の好みはあまり酸っぱくはなく、千枚漬けのように甘口のほうだと心得ていましたから、そのつもりで作りました。いつもより甘みが強すぎたかもしれません。
「今日はまだだめだから、明日になってから食べ始めようね」といいました。「楽しみだよねぇ」と彼女。
その後、19日に撮ってきた紅葉の写真、何十枚かをスライドのように見せました。
「きれいだねぇ、きれいだねぇ」と幼子のように見入っていました。一巡して最初に戻っても飽きることなく見ていました。
赤かぶは、酢に入れた瞬間から赤味を増し、どんどん鮮やかな色になってゆきます。
夜になって点検し、味見をした頃には、既に全体が真っ赤に染まっていました。そして、これは彼女の好みの味だと確信がもてました。
しかし、彼女はそれを味わうことができませんでした。
赤かぶが、これ以上赤くはなれないというほどに赤く染まった頃、彼女は急逝してしまったからです。
できあがった赤かぶの酢漬けの一部は、ラップをして彼女の棺の中に入れました。せめて、冥土への旅路で味あわせてやりたかったからです。
私には、もうその声は聞こえませんが、きっと、「こんどは少し甘かったよねぇ」といっているのではないでしょうか。
息子夫妻にその物語を告げ、かなりのぶんを持たせてやりました。娘も食べました。私も箸をつけました。気づいたら、大きなガラス鉢にいっぱいあったのが、こんな小鉢におさまるほどになっていました。
あったもがなくなるということは寂しいものです。
時間とはあったものがなくなり、なかったものがあるようになることだといわれていますが、私の年齢になると、あったものがなくなるということのほうがはるかに多くて、私自身がやがてなくなる身だということを痛感するのです。
赤かぶの酢漬けが好きな女性は、いまごろ、どこを旅しているのでしょうかねぇ。