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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

 しばしのお別れ ご報告と予めのお詫び

2016-01-31 21:15:20 | ラブレター
 先般、左腕を骨折しました段はお知らせいたしましたが、その治療に関し、明日2月1日より一週間ほど入院のうえ、手術を受けることとなりました。

            

 従前の手首の機能を蘇らせるには、手術以外はないという医師の判断に従ったものです。
 やがて私は、「白鳥の湖」のダンサーの如く、しなやかな手首をもつ者として、不死鳥のように蘇ることでしょう。 
 生まれてこの方77年余、メスが入ったことがないわが聖域を賭しての再生のパフォーマンスです。

 ところで、入院いたします病院は無線LANの設備がなく、従いまして、PCとガラケーしか装備していない情報弱者の私といたしましては、しばらくは皆様と電脳空間で接触いたすことができません。
 私といたしましては、有象無象、魑魅魍魎が跋扈する(失礼!)この空間を離れ、しばしの間、雲流れる果て、宇宙空間に漂う森羅万象に思いを寄せるのも一興かと存じている次第です。

            

 つきましては、皆様から頂きますコメントなどに応答することができません。これはいうならば、寄せられたゴマンのラブレターを棚上げにされる心境でございます。
 無事、出獄の暁には、皆様方のご厚志に能う限りお応えいたす所存ですが、入獄中につきましては数々のご無礼があろうかと思います。
 その段、平にご容赦賜りたく、予め、お詫び申しあげたいと存じます。

 これをもちまして、しばしのお別れの挨拶と致します。
 私の不在中、どうかお元気でお過ごしください。
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隻腕奮闘記 衣類と食についての経験

2016-01-30 02:52:43 | よしなしごと
 左腕の骨折でにわか隻腕になってから一週間が経つ。
 いろいろ不自由しているが、この間、経験したことをレポートしておこう。
 ユニバーサルなものの開発やそのデザインの参考になるかもしれない。

【衣類について】
*ボタン
 大きめで、ボタンホールもざっくりしているものはいい。
 しかし、ワイシャツサイズでホールがきっちりしたものはとてもはめにくい。

            

*ファスナー
 ズボンなどの固定したものはほとんど問題はない。
 ジャンバーなどの左右に分かれているものは、最初のかみ合わせをしなければならない。
 これがけっこう、難しい。

*ホック
 押すだけで済むはずだが、実際にやってみるとけっこう難しい。
 はずすときは、布地を引っ張ってということになるが、これが薄手の場合は布そのものを傷つける可能性もある。

            

*靴下
 これが難物で、履き口が緩んだようなものはいいが、まだ新しく、履き口がすぼまっているようなものはたいへんだ。
 動物を檻の中に誘導するように、その履き口へつま先を誘うのだが、これが難しい。
 親指に引っ掛け、小指まで入ればいいのだが、この段階で慌てると、するり、するりと逃げられてしまう。慎重に事を進めて、つま先全体を入れる。
 しかし、ここでしめたと急いで引き上げると、因幡の白兎が最後のワニザメに捕まったように、靴下の場合は逆に、いったん入ったと思ったつま先が、するりと逃げてしまう。

            

【食について】
 食べる方はほとんど問題ない。カツやステーキをフォークとナイフで食べるとか、ラーメンのスープを丼を抱えて豪快に飲む、などということはできないが、前者は予めまな板の上で切っておくとか、後者の場合はれんげで品よく飲めばいいだけだ。
 まあ、箸一膳でなんとかなる。

            

 問題は調理の方だ。
 下ごしらえで、魚をおろすとか、里芋や馬鈴薯など芋の皮を剥くことができない。
 切る段になると、逆に芋類や大根、人参など硬くて抵抗のあるもののほうが切りやすい。
 青菜などは、まな板に横たえて、据え物のように包丁を振り下ろして引くのだが、手を添えてのようにはうまくゆかない。

 刺し身も、予め切ってあるものは鮮度などイマイチなので、短冊で買ってくるのだが、これがうまくゆかない。
 包丁の切れ味にもよるが、だいいち、包丁が研げない。
 煮物、揚げ物、味付けなどは、調味料の蓋が開かないなどの不便はあるが、基本的には問題ない。

            

 あとは洗いものである。固定していない器や鍋を洗うのは極めて難しい。たっぷり洗剤をつけるのだが、どうしても表面を撫でるだけで、ゴシゴシというわけにはゆかない。

 
 以上は愚痴ではなく、隻腕になった場合、克服すべき実態である。
 これらをこなしている人たちは偉いと思う。
 私も、もうしばらく、隻腕生活を余儀なくされるが、こうした経験を工夫や発想の転換で克服しながら、頑張ってゆきたい。
 



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隻腕奮闘記

2016-01-28 15:05:58 | 想い出を掘り起こす
 隻腕とは片腕を失った人で、生まれつきであったり、病や事故でなくした人のことであるから、私のように骨折で一時的に左腕の機能を失ったいるだけの人間をそこに加えてはいけないのだろう。
 ただし、私と隻腕とは縁があって、私の父方の祖父が隻腕であった。
 戦前、つまり70年前、岐阜で一緒に住んでいた頃は両腕が揃っていた。父が戦争にとられ、母と私が母の実家の大垣郊外へ疎開した折、父方の祖父と祖母は、故郷の福井県の山村ヘ帰っていった。
 事故はここで起こった。若者たちが戦場にとられるなか、林業の手伝いをしていた祖父は、ある日、伐採作業に立ち会っていて、伐採した木が、当初の方角から逸れて倒れてきたのに巻き込まれ、左腕を失った。

            

 父がやっとシベリアから引き揚げてきた1948(昭和23)年夏、父母と私は、岐阜・福井間の県境、油坂トンネルを越えて、山深いその地へと向かった。いまはトンネルであっという間に越えるこの県境も、つづら折れの山道を喘ぐようにして登るバスに揺らてゆくのだった。かくして当時は隣県と言いながら、早朝に大垣郊外を出て、美濃赤坂線で大垣、東海道線で岐阜、高山線で美濃太田、そして、越美南線で白鳥と乗り継ぎ、そこからバスで県境越え、しかも、朝日という町で降ろされてからは、数キロを歩くという旅程であった(今なら車で2時間強)。
 かくして、到着時には、さしもの夏の日もトップリと暮れ、一族の人たちが揃って遠来の私たちを迎えてくれたのだが、ランプしかまだなかったこの山村で、小学生の私には誰が誰であるかの見極めも困難であった。

            
 
 したがって、祖父の隻腕をそれとわが目で確認したのは翌朝だった。
 数年前の両腕揃った祖父を知っていただけに、やはり痛々しく感じた。
 しかし、快活な祖父はそんな私の同情の眼差しを裏切るようになんでも陽気に話してくれた。
 その冬には若い衆と雪の山に熊を撃ちにでかけたこと、ついこの前もそこの川の淵へ潜って大きなアマゴを獲ったことなどなどと。
 「片手で鉄砲が撃てるの?」と私。
 「こうやって台尻を肩に当ててドンとな」と祖父。
 私の薄っぺらな同情心などはとっくにすっ飛んで、目を輝かせたその話に聞き入るのだった。尊敬の念さえ抱きながら。

            

 いま、こうして一時的に隻腕を味わってみて、とはいえ、祖父も隻腕に慣れるまではいろいろ大変だったろうとつくづく思う。
 私自身の「隻腕」生活、5日目にあたり、私自身の奮闘の模様、体験記を書こうと思ったが、その書き出しで結構長くなってしまった。
 この続きは次回・・・。

 写真は隻腕隻眼の剣士、丹下左膳の挿絵から





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とべ とべ とんび 空高く

2016-01-25 14:18:20 | 書評
 「BIRDER」という鳥好きの人にはたまらない雑誌の最新号(2月号)が私の机上にある。
 なぜこんな雑誌が、鳥影を見かけると、「おや、なんだろう」とは思うものの、それが何かがわかるとホッとし、わからないと多少のもやもやが残るといったぐらいの、Birderとはとてもいえないような私のもとにあるかというと、この号には、私の友人の娘さんが記事を書いているからである。

             

 彼女は、アマチュアのBirderではなく、鳥好きがこうじてプロの鳥類調査員になった人である。
 例えば、何かの施設ができるとした場合、その近辺にはどのような鳥類が棲息していてどのような影響を被るのかを調査するような仕事をしているらしい。だから、彼女の仕事場は自然の山野であり、ほとんどがフィールドワークなのだという。
 そんな彼女が、とくに好みとしている対象は、ワシやタカなどの猛禽類だといいうから面白い。

 彼女が記事を書いたという雑誌の表紙写真を見てほしい。今月はまさにドンピシャリ、彼女の専門の猛禽類なのだ。
 彼女がこの号で書いているのは、そのうちでトビについてである。「え?トビが猛禽類?」と思われる方もいるかもしれない。むしろ、田舎育ちの方ほどそう思われるかもしれない。私も長い間そうだった。私の田舎にはトビはいなかった。いたのはトンビだ。トビというのは彼らに対してのどこかよそよそしい呼び名だ。それほど身近な鳥だったから、猛禽類と認定するのにかえって時間を要したのかもしれない。

 私たち田舎の少年は、トンビと遊んだ。夕方など、トンビが頭上で輪を描いていると、それにむかって紐にむすびつけた石などをできるだけ高く投げ上げるのだ。するとトンビは、それを餌と誤認してスーッと降下してくる。しかし、目のいい彼らはけっして最後まで騙されはしない。「オット、違った」とまた上空に舞い戻るのである。

 大人たちもトンビとの相性はまあまあ良かったようで、農繁期に畦に広げていた弁当をさらわれても、「やあ、これはやられてしまった」と笑いのうちに許容していたようだった。
 そうしたトンビについて書いているのがわが友人の娘さん、山下桐子さんである。

           

 猛禽類が専門で、しかもフィールドワーク専門ということから彼女を理系のお固い研究者だとするのは誤解である。それは彼女の文章を読むとよく分かる。「文系女子」という言葉があるそうで、彼女がそれに相当するかどうかは分からないが、少なくとも、古典や伝承、そして絵画作品などを援用してその対象の鳥に迫る彼女の文章は、とかく実証的な記述の多いこの雜誌のなかでは、異色でとても面白い。

 今号に関していえば、「へえ~、トビ…ではなくて…トンビにそんな話がねぇ」と、トンビファンのこの年寄りが思わず頷くような内容なのだ。
 子供もころにあんなに馴染んだトンビ、この頃では私の住む都市郊外でもめっきり見る機会が減ったこの鳥への、郷愁のような思いを新たにした次第である。

 なお、この雑誌は、いつもながら写真やイラストが精密で美しい。
 それらを眺めながら、鳥と人間との太古からの関わりに思いを巡らすのも楽しいものだ。

おまけ これ改めて聴くと、のびやかでいい歌だなぁ。
  https://www.youtube.com/watch?v=dMXzb--_QZw
 
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年越しの紅葉・黄葉

2016-01-22 17:53:35 | 写真とおしゃべり
 寒いっ。
 これまで暖冬だったせいもあって余計この寒さは身にしみる。
 今週末にはさらなる寒波がやって来るという。
 嫌だっ。
 全く無責任だが、地球の温暖化というのは、まもなくこの世を去る私のような老人にとってはありがたいのだ(ごめんね。未来の人たちよ)。

             
          

 これまでの暖冬のせいもあって、私んちの周辺には年越しの紅葉・黄葉が残っている。今のところ花といえば水仙がチラホラあるだけだから、それらの葉が庭に彩りを添えている。
 それぞれ、紫陽花、南天、ツツジ、雪柳、の順だが、このうち雪柳は一週間ほど前のもので、現在はこの前の雪でほとんど落葉してしまった。

          
          

 最後はアケビである。山で採って来たのだが、花が咲き、実をつけたのは二年ぐらいで、あとはやたら植木に巻き付くのみなので、駆除したのだが、時折、残党が出てくる。
 しかし、昔日ほどの勢いはない。

          

 勝手に採って来てじゃまになったら駆除するなんて、アケビにとってはいい迷惑だろう。やはり山のものは山に、野のものは野にということか。
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書籍流通の謎と韓国の抵抗詩人

2016-01-19 01:39:52 | よしなしごと
 一つの謎が解決しそうに思った。
 それで、それを決定づけるための書を一冊読んだ。
 しかしそれは、また新たな謎を生むものであった。
 したがってそれを埋め合わせるためにまた書を入手して読んでいる。

           
             私が追いかけている謎の人物
 
 その謎についてはやがて文章にするつもりだが、ここに書こうとするのはそれについてではない。
 そのために入手した最後の一冊の本についてだ。

 町の本屋さんを贔屓にしたいのだが、まず、絶対に置いていない本や急ぎのものはやはり、AMAZONに依拠してしまう。今回もそうだった。

 必要としたのは韓国の抵抗詩人、金洙暎の全詩集だったが、参照したいのはそのうちの1、2篇だったので、新本は諦めて中古のなかから程度の良さそうなものを選ぶこととした。送料ともで970円ほどだった。

 来てみて驚いた。未確認だったのだが、500ページ近い大著だったことがひとつだ。
 もう一つ驚いたのは、全くの新本だったことだ。
 人がページを開いた形跡なないし、愛読者カードのハガキから、「スリップ」とか「短冊(たんざく)」と呼ばれる「補充注文カード」もそのまま入っている。

 もう一度、AMAZONのその箇所を見てみた。
 新本は4,700円プラス税で、5,076円とある。それにさらに送料がかかる。 
 私の場合は送料込みで970円だった。
 なお、この書は2009年末の発刊だからそんなに古いものではない。

           

 なぜこんなことが起きるのだろう。
 書籍とは馴染みがある割に、その流通には暗いが、出版社から取次があり、そこから一般書店へという経路があることぐらいは知っている。
 そのうちのどこがどうなって新本が五分の一以下の価格で流通するのだろう。全くの謎だ。

 せっかく金洙暎の詩集の話がでたのでそのうちからの引用を。

 
「青空を」(若干改行の変更あり)

 青空を制圧するヒバリが自由だと
 羨んだ詩人の言葉は修正されなければばならない

 自由のために 
 飛翔してみたことがある人ならわかるだろう
 ヒバリが何を見て歌うのか
 なぜ自由には血の臭いが混じっているのかを
 革命はなぜ孤独なのかを

 革命は
 なぜ孤独でなければならないかを

 (1960年6月15日 奇しくも樺美智子さんがなくなった日の詩だ)

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コジェーヴ・FOUJITA・赤かぶの千枚漬け

2016-01-13 16:53:55 | 書評
 1月12日の平凡な日記から。
 少し勉強に集中できた。
 テキストはアレクサンドル・コジェーヴの『無神論』。面白い。
 
 世界内にある三つの対象をについて考える。
 1)世界内人間 2)世界内にあって人間ではないもの 
 3)人間でも世界でもなく、それゆえ「人間を含む世界」の「外部に」「ある」もの

 問題はこの 3) が有意味であるかどうか。
 有神論者 自己自身と自己が生きている世界とからなる全体の外部に何かがなお存在。
 無神論者 このような全体の外部には厳密な意味で何もない。
 ようするに有神論者にとってはこの外部は何かへの道であるのに対し、無神論者にとっては外部には何もないということ。
 ここまでは当たり前だが、事態はそれほど単純ではない。

               

 無神論者にとって外部は何ものでもなく無であり、したがって何らの関係も取り結べないのに対し、有神論者は外部には何ものかが存在し、それらはわれわれと何らかの関わりをもつとされる。
 ところで、この何ものかであるが、それが神であるとして、それをどう形容するかに一つの分岐がある。その何ものかはわれわれの絶対的他者であり、それらはいかなる属性をもつかという点では形容不可能であるとするのが純粋有神論である。
 
 しかし、形容不可能で属性を持たないものというのはすなわち無ではないか。だとすると、純粋有神論は無神論とほとんど同じになってしまう。
 ほかにもこんな類似が出てくる。
 純粋有神論での神的なものの形容不可能は、それらが複数あることを意味しないから必然的に一神論となる。
 そして無神論もまた、神々の差異そのものも含めてその実在そのものを否定するのだから一神論的といえる。

 もう一つ問題がある。
 神の否定というのは即、宗教的態度の否定ではないということである。ようするに「無神論的」な宗教的態度が存在しうるということである。
 どういうことかというと、「無神論者」がこの世界を支配している何か、あるいは絶対的な法則のようなものを信じている場合、それを神と呼ぶかどうかという単に言葉を巡る論争に過ぎなくなる。
 例えば、「私は神を信じない。この世界は科学的な法則によって成立しているのだから」というような自称「無神論者」は、まごうことなき有神論者で、単に神の名を巡る論争にしか過ぎない。

 と、まあここまでしか読んでいないのだが、後半がどのように展開されるのかが楽しみである。
 この書は神を巡るものであるかのようであるが、実は神を巡る人間のありようを考察しているもので、その意味では「人間学」ともいえるものだろう。

 もう一つの成果は、この書の解題を読むなかで、コジェーヴの「承認を巡る命がけの死闘」というヘーゲル哲学の解釈について、不明だった点が少しわかったことである。

           

 この種のものを論理を追いながら読み進めるのは大変疲れる。
 そうした折、年末にゲットし、その後、京都の友人が送ってくれた国立近代美術館のものを含めた藤田嗣治の4冊の画集が目を癒やしてくれる。
 ずさんな私にしては丁寧に観ている。その絵画の中に描き込まれたディティール、バックや配置された小物、そしてそれらが描かれた年代などにも注意をはらいながら舐めるように観てゆく。

 おかげで、1910年代と20年代の作品にある一つの区切りのようなもの、その差異と同一性のようなもの、あるいはその移行の過程を示すものがわかるような気がしてきた。
 さらには20年代の作品にあるメインの対象を取り巻く衣装や小物、バックに掛けられた絵画などなどが、丹念というか実に緻密に描き込まれていて、そこにも立ち止まって鑑賞できるようになった。

 これもまた、丁寧に観ているせいもあってまだ全体の四分の一ぐらいしか観ていない。ここから30年代を経て日本に帰国し、戦争画を描く時代、そして敗戦後、逃れるようにフランスへ去り、そこで過ごした晩年の作品へと至るのだが、長編小説を読むように、しかも一つひとつの作品のディティールを味わいつくすように観てゆきたい。

           

 夜、農協で求めた中玉3個で100円の赤かぶで今季三度目(白かぶを含めれば四度目)の千枚漬けを作る。
 赤かぶの品種が違うせいか、漬けて幾ばくもしないのに鮮血のように赤く染まった。まだ青臭いが味加減もまあまあですぐ食べごろになるだろう。

 今日13日、先般名古屋でゲットしたバッハの『平均律クラヴィーア曲集』を聞きながらこれを書いている。ピアノはヴィルヘルム・ケンプ。

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【新春読書】「歴史知」と古代日本史の謎

2016-01-10 16:45:57 | 書評
 やすいゆたか氏の近著、『千四百年の封印 聖徳太子の謎に迫る』(社会評論社)を読んだ。
 日本古代史には暗いほうだし、記紀に出てくる神々や人物の名もなかなか同定困難という門外漢ぶりで、かすかな拠り所としては、子供の頃に聞いた神話の細切れの記憶という頼りのなさである。
 にもかかわらず、通読しえたのは、著者のこの問題にかける情熱と、目前の謎を解き明かそうとする好奇心あふれる熱意、そして、あえていえばそれを支える方法についての関心である。

             

 端緒は、明治維新以前は、天皇家は伊勢神宮に参拝しなかった(できなかった?)のはなぜかという問いである。
 それに対する大胆な仮説は、書の冒頭部分で示される。「聖徳太子の大罪」とされるそれは、天皇家の主神は天御中主神であり皇祖神は月讀命であったものをいずれも、天照大神に差し替えてしまったというものである。
 
 この天御中主神は天の回転の中心、時間・空間の基準点である北極星であり、月讀命は文字通り月であるから、ともに夜の神である。それを太陽神である天照大神に差し替えてしまったというのだから、いわば価値観を根底から覆すような大改ざんといえる。
 なお、この改ざんの歴史上のバックグラウンドだが、聖徳太子の生きた6世紀から7世紀の倭国は、それまでの海洋民族から農耕民族ヘの移行を遂げつつある時期であり、かつ、精神的な環境としては、そうした差し替えによって惹起されるであろう天御中主神の祟りや報復を、当時導入された仏教の力により和らげることができると踏んだかららしい。

 したがって、著者の総括的な見解としては、これら改ざんの過程は、「日本国の自己否定的な再構築の感動的なドラマ」として了解すべきものだということになる。

             

 いささか本書の趣旨を簡略化しすぎ、先を急ぎすぎたかもしれない。実際には著者は、この仮説を元に、記紀に描かれた記述を丁寧に読み解いてゆくことによって、日本古代史の全体像を再構築しようとする。

 率直にいって私には、著者のこの作業の当否を判定する学識も力もない。ただし、著者の採用する方法には大いに関心がある。
 戦前の天皇絶対制のなかで、記紀の神話的世界がほぼ歴史そのものとされ、1940(昭和15)年には皇紀2600年祭が大々的に繰り広げられ、西洋の歴史を上回るという自負が叩きこまれた。そして、その翌年が真珠湾攻撃に端を発する一連の戦争への無謀で最終的な局面ヘの突入であった。

 これらへの反省から、敗戦後は科学的歴史観が喧伝され、実証史学による記紀などの記述の殆どの否定、あれもなかった、これもなかったという「なかった」論による覆しが横行するのだが、これによって、記紀での記述が依って来るところ、日本全土に現実に残っている様々な史的な痕跡が宙に浮くこととなった。
 これに対して、著者は先に見たように可能性のある仮説を元に記紀の再検討を行いそのなかからありうるであろう歴史物語を紡ぎ出そうとしている。

           

 著者はそれを、「科学知」に対する「歴史知」とし、その方法を以下のように説明する。
 「私は神話をこねまわして、科学的な歴史的事実を確定できるといっているのではない。説話からもとの説話を導いて、それらを材料に古代史像を再構成すれば、それは科学的歴史ではなくても、歴史物語としてより歴史の現像に近づいた物語が見えてくる、それが文字のない時代の歴史を見る《歴史知のメガネ》ではないかというのである。」

 これは首肯できる。私はこのくだりで、フロイトの無意識の発見と通底するものを感じた。フロイトは些細な人間の錯誤をとりあげ、なぜそのひとは多くの錯誤の可能性があるなか、この錯誤を犯したのだろうかと問うことにより、錯誤を誘導する要因としての無意識を見出した。そして、神経症患者の夢や症状、自己についての論述を素材として分析するなかから、症状などの改善に繋がる新しい物語を見出してゆくのだ。

 著者の記紀に対する細やかな手つきのなかには、それと通底するものがある。それにより、実証史学が「錯誤」として投げ捨てた記紀の諸要素を救い出し、それらを古代日本の歴史物語のパーツとして再度見出してゆくのだ。

              

 この書を読んで、久しく忘れていた記紀にある神話の復習、あるいはまた、著者の仮説によって浮かび上がる古代日本の姿、などなど具体的に学んだ点も多かったが、冒頭に述べたように、それらの正否を語る資格は私にはない。
 ただそれらを導く著者の姿勢と方法に共感することしきりなのだ。

 話は全く飛ぶが、今年の神社への初詣の際、かなりの神社で神社本庁が推し進める改憲運動の署名簿が設置されていたと聞く。
 この忌まわしい事実は、記紀の描く壮大な古代のロマンに対し、神社本庁がいかにちまちまとしたリアルポリティックスの世界に囚われているかを示すものである。
 著者が描く古代の神々が、こうした現在的欲望によって汚れた手付きで扱われる神とは全く異なる次元のものであることを改めて確認しておきたい。

 
 
 
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1月8日にゲットした宝物たち 「こいつは春から・・・」

2016-01-09 11:58:21 | 日記
 今年はじめての名古屋行き。
 まずは初映画で『美術館を手玉にとった男』。
 これは全米、20州以上、数十箇所の美術館へ、自らの描いた贋作をを送り込んだ男についてのドキュメンタリー。
 これだけの所業にもかかわらず、彼は一切、罪に問われることはない。なぜか?彼はそれを、母の遺品、姉の遺品と偽って持ち込みながらも、その対価を一銭も受け取ることはなく、全て寄贈だったからである。
 
 彼の作品に一度は騙された学芸員が、その他の作品を追跡調査するなかで、奇妙な縁が生まれる。
 そしてついには彼の贋作を集めた個展の開催に至る。この会場で、二人は恩讐を超えて改めて出合うシーンが面白い。

         
 映画館の隣の料亭が取り壊されて、駐車場になっていた。その横、ビルの谷間にこんな風景が取り残されていた。懐かしい村里の風景。
 
 彼の贋作は、確かに学芸員を欺くだけのデッサン力、技術力を持ち合わせている。だから少なからずの人たちが、彼に自分の作品をと勧める。しかし彼は、自分はアーティストではないといって頑なにそれに従うことはしない。

 彼にとっては、贋作を描き、それを美術館へ寄贈して歩く一連の行為すべてが、いわばひとつの美的な生き方、つまりはアートなのである。贋作の傍ら、彼が牧師に扮して、人々の悩みを聴くというパフォーマンスをしていることにも、その役を演じるという衝動を満たす演劇的な所作を感じさせるところである。

 この国でも、佐村河内氏のゴーストライター問題や、東京五輪のエンブレム問題などかしましい折から、芸術における模倣(ミメーシス)の問題、オリジナリティとは何かの問題、はたまた、問題を広げてAI=人工知能にアートは創造できるのかといった問題にも関連付けて考えることができそうである。

 映画の後は、今池の友人Cさんが営む音楽媒体やDVDなどの中古屋さんに顔を出す。
 あいにくCさんは不在だったが、その相方と挨拶を交わすことができた。
 CDの掘り出し物が二枚あった。
 ひとつは、バッハの『平均律クラヴィーア曲集1・2』(Pf:ウィルヘルム・ケンプ)、もう一枚は、ヘンデルとA・スカルラッティ(息子のドメニコの方ではなく、父のアレッサンドロの方)のそれぞれ数曲のトッカータのオルガン演奏集(Or:ダニエル・カルカグノ)。後者は、曲自体が初収録(first recordinng)とある。ともに300円。

 その後、栄で中国在住の旧知のNさん、同人誌でもお馴染みの幼馴染(?)Yさんと夕食をともにしながら懇談。この三人は、Nさんが帰国するたびに年、二回ほど逢っているが、実に楽しく、話題が尽きることはない。
 とくに、山西省の山村で頑張っているNさんにはいつも元気をもらっている。

 今回彼女は、日中戦争中の経験者、約300名の中国の人々の証言集の第2集をほぼ編纂し終えて、晴れやかな顔つきをしていた。一見、地味な仕事だが、東洋文庫に入れられたそれは、東アジアのあの時代の歴史を実証的に伝える貴重な記録であると思う。

         
 8日にゲットしたものの全て。12年もののブラックニッカ、バロックのCD2枚、それに、山西省の山村の香りがする乾燥ナツメ。昨年は不作だったとのこと。

 この集いで、心弾む対話以外にも思わぬ福徳があった。
 ひとつは、Nさん持参の、あの懐かしい山西省は賀家湾村の乾燥ナツメの実をもらったことである。もう一つは、YさんがNさんのために持ってきた「ブラックニッカ」の12年もので、ラベルには「誕生40周年記念限定製造」とあるのだが、これがひょんな拍子で、私が持ち帰ることとなった。
 YさんにもNさんにも、申し訳ないことしきりである。

 しかしながら、この乾燥ナツメをつまみに、レアなウィスキーを飲みながら、バッハやヘンデル、スカルラッティを聴けたら、これにまさる幸せはないではないか。
 ゆっくりできる機会に、ぜひこの桃源郷を味わいつくしたい。

 Nさん、Yさん、ほんとうに楽しい時を、そしていいものをありがとう。
 
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栴檀(せんだん)は毒にも薬にもなる千団子?

2016-01-02 18:08:50 | 写真とおしゃべり
 初詣にも登場したわが家の近くの鎮守様の一隅に、やや黒く沈んだ鎮守の森をバックに、ひときわ輝いでいる木立の一群がある。
 写真でご覧になるようにそれらは、黄金色の実がびっしり熟している数本の栴檀(せんだん)の木々である。

 栴檀といえば、「栴檀は双葉より薫じ、梅花は蕾めるに香あり」といわれるように、その香をもって珍重されるのかと長年思い込んでいたが、ここでいう栴檀とは実は白檀のことであり、通常私たちが栴檀と呼んでいる樹木とは関係がないことをつい最近になって知るに及び、目から鱗ものであった。

           

 なぜそんなことになったのかを調べてみたら、この木が文字として現れるのは万葉の頃からだが、ただし、その名は栴檀ではなく、楝(あうち)としてであり、その後に文献に登場する際にもそれはずっと楝であり、栴檀と呼ばれるようになったのはたかだか江戸時代からだとのことらしい。
 そしてそれは、三井寺で行われている千団子祭と関わるというのだ。
 ではその千団子祭とはどのような祭りなのかを三井寺のHPから引用してみよう。

           
 
 「三井寺の守護神である鬼子母神の祭礼。千個の団子を供えることから「千団子祭り」と呼ばれ、600年以上続く伝統的な祭礼として大津の人々に親しまれています。鬼子母神は訶梨帝母と称する女神で、自らは千人の子供を持ちながら、人間の子供を奪って食べる鬼神でしたが、お釈迦様の説法を聞き、懺悔して仏法を守護する神となりました。
 わが国では、子供の無事成長を守護し、また婦人の無事安産をかなえる女神として信仰されている。祭礼では、子供の無事成長にちなんで植木市、苗市が開催されます。
 また、堂前の放生池では、生きとし生きるものすべての命を大切にする「放生会」が行われます。これは子供の無事成長の願いをこめて、その子の名前と年齢を亀の甲羅に書いて池に放す行事です。」

           

 では、それと栴檀の由来とがどう関わるのかは、その形状の類似にあるというのだ。
 ようするに、楝の木には千団子に似た実が鈴なりになる。この木は千団子の木である。それが三井寺の千団子祭(または千団子講)と関連付けられ、千団講から音が同じ栴檀講になり、さらにそれが千団子の木=栴檀の木になったというのだ。
 なんだか語呂合わせのような話だが、これ以上に信憑性のある説にはお目にかかれなかったし、上に載せた千団子祭の団子の写真はかなりの説得力をもつ。

           
  
 栴檀の木に関してもう一つ。この木の樹皮や果肉は漢方の材料となることである。その効能は、腹痛、しもやけ、ひび・あかぎれ、腸管寄生虫症などとある。ただし、この実を食べ過ぎると死にも至るという。
 ようするに、薬にも毒にもなるのだ。こうした「毒」と「薬」の両義をもつ語としてよく知られているのはギリシャ語の「パルマコン」という言葉である。いわゆる「両義性」をもつということであろうが、現代思想などではもう少し含意のある言葉として用いられている。

           

 このパルマコンは、既成秩序から排除されるものや観念(思想)がもつ性格をいい,それらの観念やその持ち主は毒として排除される。しかし、同時に新たな社会と共同体の結束の媒体ともなり、ソクラテスやイエスがその代表例とされる。
 いってみれば、既存の社会に対しては毒と言えるような人間こそが、その社会の更新にとって薬となり得るというところだろうか。
 もっと突っ込んで勉強したい方は、J・デリダに、ずばり『パルマコン』という書があるので参照されたい(私は未見)。

           

 私が疎開先で入学した国民学校(1947年=昭和22年からは小学校)の校庭には、栴檀の大木がどんとそびえていてなかなかの偉容であった。それにもまた懐かしい思い出があるが、長くなるのでそれはまた。
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