当初ここを知った折、ここは愛知県加茂郡挙母町と呼ばれていた。60年ほど前のことである。それがいまや豊田市と呼ばれ、愛知県では名古屋市に次ぐ人口を抱え、その面積たるやなんと愛知県の六分の一を占めるという。
いわずとしれたトヨタの企業城下町、したがって市名の豊田も「とよだ」と濁らず、「トヨタ」である。
この前、ここに来たのは豊田市美術館にフェルメールが来た折だった(2011年)。といってもたった一点(「物理学者」)で、しかもその展示が仰々しく、ここをこう見ろといったレクチャーにあふれていて、絵画鑑賞だかトレヴィアの開陳だかわからないありさまで、いくぶん引き気味に観た記憶がある。
今回もまた、アート鑑賞が目的だが、もう少しスタンスを広くとって観てこようと決めていた。
それにしても岐阜からは遠い。家を出てから2時間半ぐらいを要する。今回は見る対象も多かったので、朝寝の自分にしては早めに出る。
最初、豊田市駅構内の案内所で豊田市美術館で開催中のクリムト展とあいちトリエンナーレのセット券をゲット。
回る順序を決める。あいトレの方はいろいろなところでいろいろな展示があるようだが、豊田市美術館以外は涙をのんで一箇所に絞る。
その一箇所とは、国の登録有形文化財にも指定されているかつての老舗料理旅館喜楽亭を会場とした作品「旅館アポリア」(作者:ホ-・ツーニェン シンガポール出身)で、その理由は、この作品は数箇所に設置されたスクリーンで順次映し出される映像を時間系列で観てゆくもので、おおよそ1時間半を要するとあったからだ。もちろんそれが面白そうだという予感もあった(若干の情報も)。
他は見ていないのでなんともいえないが、ここを選んだのは正解だったと思う。なにより面白い
一階二階、合わせて五スクリーンのうち、三つは戦前戦中の小津監督の作品をコラージュした映像に主として短い手紙形式の往復の文字と音声(音声は女性男性のそれが微妙にずれながら発せられる)がオーバーラップする。
小津作品の登場人物は、すべてのっぺらぼうだが、その輪郭から、あ、笠智衆だ、佐野周二だなどとわかるのも懐かしい。私個人として懐かしかったのは、自身、『南の国に雪が降る』という戦争体験記を著している(映画化もされた)加東大介で、笠智衆との絡みで、「軍艦マーチ」に合わせて敬礼をしながら行進のフリとするやや長めの映像では、何かこみ上げるものがあった。
もっとも、作家としては敢えてこの顔を消し、のっぺらぼうにすることで、普遍性を強調したのだろうから、私のようにそこへ個を投入して懐かしんでしまうのはダメなのかもしれない。
この小津作品のコラージュものでもっともすごかったのは、神風特攻隊草薙隊に関するものだった。この草薙隊はこの豊田市にあったもので、しかも、命令が出て実際に出撃する鹿児島へ発つ際、まさにこの喜楽亭において、しばしば最後の宴会を催したというのだ。
それらが、喜楽亭の女将の回想によって語られるに及んで、空間のもつ多重性、歴史性が私自身の身体にまで及ぶ。以後、74年、その映像を観ているまさにこの部屋で、私がそれを観ているここで、その最後の宴が繰り広げられたかもしれないのだ。何という身を突き抜けるような臨場感。
ほかのひとつは、往年の少年漫画「クフちゃん」の作家、横山隆一の戦時中の戦意高揚アニメ三部作のうち、『フクちゃんの潜水艦』を取り上げたもので、その映像を部分的に紹介しながら、戦後の横山の言葉を紹介している。
彼はいう、「自分はただ命令に従ったのみのみで、なんの罪悪感もない」、「今後また、同様な状況になったら、同じように行動するだろう」と。アイヒマン裁判を連想するがその是非は言わない。ナレーションはただ、それらの作品や戦時中の一部の作品などは、高知にある「横山隆一記念まんが館」には見当たらないことを平坦に告げるのみである。
もうひとつのスクリーンは、何やら円形のものの下部のベルト上のスクリーンに文字が映し出される。そのほとんどは、戦時中の京都学派の天皇や国体、現人神に関するまさに哲学的解釈である。それらが、薄められることなく、哲学の言葉のままに表示されるので、哲学にある程度の造詣があったり、京都学派の独特の概念に通じていないとチンプンカンプンだろう。
私自身は、それを目で追っておおよそなにをいっているのか把握するのに精一杯だった。いってみればそれらは、戦時中の不合理極まりない体制をなぜ国民は甘受しなければならないのか、またその体制のうちで死んでゆかねばならないのかを理由付けるもので、それらは即、既にみた、特攻草薙隊の若者たちの死にリンクするものであり、彼らの死を当然なる当為ともいうべき倫理的行為として称賛し、かつ義務として強要するものであった。
部屋が明るくなると、帯状のスクリーンの上方の円形は、巨大な扇風機であることがわかる。そこから吹き付ける風は、現人神の御心を忖度した京都学派の、美しくも醜い言葉の群れとして往時の臣民を屈服させた風であり、それによりもっとも遠く飛ばされた者たち、国内三百万余、近隣諸国二千万余の屍へといまもなお、生暖かく吹き付ける風であるかのようであった。
映像と音声、とりわけ言葉そのもののコラージュといえるが、印象に残ったのは、言葉そのものが詩的に昇華されることなく、発せられたそのものの意味においてそこに並べられ、私たちにその受容の仕方を委ねていることだ。
その方法は、例えば戦時中、もっとも端正な言葉として受容された京都学派のまさにその言葉の群れが、どのような現実と対応しているかをまざまざとみせながら、私たちがその言葉といまなお対応しきれていない素朴な事実をあぶり出してゆく。
アートに関する見識など持ち合わせていないが、そこに繰り広げられている世界は、確かに、私に迫るものをもっていた。
惜しむらくは、各スクリーンの連携が今ひとつ不十分で、見損なったり、重複したりで、いくぶんイライラさせられたことだ。
いっそのこと、ワンスクリーンで通しで上映してもとも思うが、そうすれば、他ならぬ喜楽亭でそれを受容するというもっとも大きな臨場感を失うことになるのだろう。
あと、クリムト展、ならびに豊田市美術館でのあいトレの展示も観たが、もちろん言葉にする能力はもち合わせていない。
撮ってきた写真を羅列してお茶を濁すことにする。
なお、クリムト展のポスターにもなっている、彼の作品、「ユディト1」については、前々から女優の高畑淳子さんを思い出してしまうのだが、これってやっぱり変ですよね。
いわずとしれたトヨタの企業城下町、したがって市名の豊田も「とよだ」と濁らず、「トヨタ」である。
この前、ここに来たのは豊田市美術館にフェルメールが来た折だった(2011年)。といってもたった一点(「物理学者」)で、しかもその展示が仰々しく、ここをこう見ろといったレクチャーにあふれていて、絵画鑑賞だかトレヴィアの開陳だかわからないありさまで、いくぶん引き気味に観た記憶がある。
今回もまた、アート鑑賞が目的だが、もう少しスタンスを広くとって観てこようと決めていた。
それにしても岐阜からは遠い。家を出てから2時間半ぐらいを要する。今回は見る対象も多かったので、朝寝の自分にしては早めに出る。
最初、豊田市駅構内の案内所で豊田市美術館で開催中のクリムト展とあいちトリエンナーレのセット券をゲット。
回る順序を決める。あいトレの方はいろいろなところでいろいろな展示があるようだが、豊田市美術館以外は涙をのんで一箇所に絞る。
その一箇所とは、国の登録有形文化財にも指定されているかつての老舗料理旅館喜楽亭を会場とした作品「旅館アポリア」(作者:ホ-・ツーニェン シンガポール出身)で、その理由は、この作品は数箇所に設置されたスクリーンで順次映し出される映像を時間系列で観てゆくもので、おおよそ1時間半を要するとあったからだ。もちろんそれが面白そうだという予感もあった(若干の情報も)。
他は見ていないのでなんともいえないが、ここを選んだのは正解だったと思う。なにより面白い
一階二階、合わせて五スクリーンのうち、三つは戦前戦中の小津監督の作品をコラージュした映像に主として短い手紙形式の往復の文字と音声(音声は女性男性のそれが微妙にずれながら発せられる)がオーバーラップする。
小津作品の登場人物は、すべてのっぺらぼうだが、その輪郭から、あ、笠智衆だ、佐野周二だなどとわかるのも懐かしい。私個人として懐かしかったのは、自身、『南の国に雪が降る』という戦争体験記を著している(映画化もされた)加東大介で、笠智衆との絡みで、「軍艦マーチ」に合わせて敬礼をしながら行進のフリとするやや長めの映像では、何かこみ上げるものがあった。
もっとも、作家としては敢えてこの顔を消し、のっぺらぼうにすることで、普遍性を強調したのだろうから、私のようにそこへ個を投入して懐かしんでしまうのはダメなのかもしれない。
この小津作品のコラージュものでもっともすごかったのは、神風特攻隊草薙隊に関するものだった。この草薙隊はこの豊田市にあったもので、しかも、命令が出て実際に出撃する鹿児島へ発つ際、まさにこの喜楽亭において、しばしば最後の宴会を催したというのだ。
それらが、喜楽亭の女将の回想によって語られるに及んで、空間のもつ多重性、歴史性が私自身の身体にまで及ぶ。以後、74年、その映像を観ているまさにこの部屋で、私がそれを観ているここで、その最後の宴が繰り広げられたかもしれないのだ。何という身を突き抜けるような臨場感。
ほかのひとつは、往年の少年漫画「クフちゃん」の作家、横山隆一の戦時中の戦意高揚アニメ三部作のうち、『フクちゃんの潜水艦』を取り上げたもので、その映像を部分的に紹介しながら、戦後の横山の言葉を紹介している。
彼はいう、「自分はただ命令に従ったのみのみで、なんの罪悪感もない」、「今後また、同様な状況になったら、同じように行動するだろう」と。アイヒマン裁判を連想するがその是非は言わない。ナレーションはただ、それらの作品や戦時中の一部の作品などは、高知にある「横山隆一記念まんが館」には見当たらないことを平坦に告げるのみである。
もうひとつのスクリーンは、何やら円形のものの下部のベルト上のスクリーンに文字が映し出される。そのほとんどは、戦時中の京都学派の天皇や国体、現人神に関するまさに哲学的解釈である。それらが、薄められることなく、哲学の言葉のままに表示されるので、哲学にある程度の造詣があったり、京都学派の独特の概念に通じていないとチンプンカンプンだろう。
私自身は、それを目で追っておおよそなにをいっているのか把握するのに精一杯だった。いってみればそれらは、戦時中の不合理極まりない体制をなぜ国民は甘受しなければならないのか、またその体制のうちで死んでゆかねばならないのかを理由付けるもので、それらは即、既にみた、特攻草薙隊の若者たちの死にリンクするものであり、彼らの死を当然なる当為ともいうべき倫理的行為として称賛し、かつ義務として強要するものであった。
部屋が明るくなると、帯状のスクリーンの上方の円形は、巨大な扇風機であることがわかる。そこから吹き付ける風は、現人神の御心を忖度した京都学派の、美しくも醜い言葉の群れとして往時の臣民を屈服させた風であり、それによりもっとも遠く飛ばされた者たち、国内三百万余、近隣諸国二千万余の屍へといまもなお、生暖かく吹き付ける風であるかのようであった。
映像と音声、とりわけ言葉そのもののコラージュといえるが、印象に残ったのは、言葉そのものが詩的に昇華されることなく、発せられたそのものの意味においてそこに並べられ、私たちにその受容の仕方を委ねていることだ。
その方法は、例えば戦時中、もっとも端正な言葉として受容された京都学派のまさにその言葉の群れが、どのような現実と対応しているかをまざまざとみせながら、私たちがその言葉といまなお対応しきれていない素朴な事実をあぶり出してゆく。
アートに関する見識など持ち合わせていないが、そこに繰り広げられている世界は、確かに、私に迫るものをもっていた。
惜しむらくは、各スクリーンの連携が今ひとつ不十分で、見損なったり、重複したりで、いくぶんイライラさせられたことだ。
いっそのこと、ワンスクリーンで通しで上映してもとも思うが、そうすれば、他ならぬ喜楽亭でそれを受容するというもっとも大きな臨場感を失うことになるのだろう。
あと、クリムト展、ならびに豊田市美術館でのあいトレの展示も観たが、もちろん言葉にする能力はもち合わせていない。
撮ってきた写真を羅列してお茶を濁すことにする。
なお、クリムト展のポスターにもなっている、彼の作品、「ユディト1」については、前々から女優の高畑淳子さんを思い出してしまうのだが、これってやっぱり変ですよね。