そんなに映画をチェックしているわけではないが、ここしばらくの間に観た「恋愛映画」のなかで、最高のものだった。
といっても、ロマン派好みの身を焦がす灼熱の愛や葛藤があるわけではない。むしろそれとは対極の、静謐で持続してきた愛、自ずから育まれてきた愛があるのみだ。
舞台は韓国の江原道横城(カンウォンドウフェンソン)郡の古時里(コシリ)という小さな村、しかも周辺には人家がなく、山裾を流れる渓流の辺りにぽつんと建つ一軒家。
登場人物はこの家に住む98歳と89歳の夫妻、そして2匹の犬。結婚歴は76年に及ぶという。
その二人の暮らしぶりが、春夏秋冬の美しい自然の移ろいとともに描かれてゆく。
冒頭は秋、庭に降り積もった落ち葉をかき集めるる二人。突然二人はせっかく集めた落ち葉を相手にぶつけあってふざけ合う。まるで児戯のように。
こんなシーンが続く。降り積もった雪での雪合戦と雪だるま作り、春の川辺と庭先で続く水の掛け合い、そうかと思うと、摘んできた花でお互いの髪を飾り合ったりする。
それらが、この山村では不釣り合いな美しい民族衣装、いわゆる韓服、しかもお揃いのそれをまとった二人によって展開される。
脚本があり、それに即しての演技だと受け止めれれても決して不思議ではない。しかし、これはれっきとしたドキュメンタリーで、この夫妻の一年半にわたる記録なのだ。
ほとんどの場合、彼らは四季折々の韓服をまとっている。山仕事や日常の肉体労働の折でもそうなのだ。彼らの子どもたちや孫がつどうシーンが2、3度あるが、彼らの服装は、私たちの日常のものと大差はない。
それだけに老夫妻のそれが、映画のための装いであり、ヤラセ臭いというネットでの指摘もあるが、この衣装がもつ重みが最後に明かされ、それがまた感動を呼ぶ。
先に述べた子どもなどが集うシーンでは、この老夫妻のケアーをめぐって激しい論争がおきる。はっきりいって、彼らに関係する話なのだが、それを聞いてひたすら涙する二人がどこか哀しくも状況からは超越している。この二人にとっては、もはやその次元のはなしはどうでもいいのだ。
二人が愛する二匹の犬との情愛も面白い。この二匹は、生死という明暗を分けるのだが、それへの彼らの対応も面白い。
夫のほうが日々衰えてゆく。それを案じる妻。この辺りは、観ている方にとっては「時間よ止まれ」と願うような推移である。
そうした折に妻の独白が挟まれる。
「おじいさんと結婚したのは14歳。おじいさんは、私が壊れるといけないと思って手を触れなかった。私が16歳になったとき、私の方から抱きついた」
なんかジーンとするセリフである。持続する愛は、この頃からもう芽吹いていたのだ。
ラストはまさに感動モノである。先に触れた、綺麗な韓服にまつわる話も、「そうだったのか」と納得させる映像とセリフが出てくる。
これ以上深追いすると、ネタバレになるからいわないが、上記の各シーンが、山村の美しい四季の映像とともに展開される。
監督と撮影はチョン・ミョン。長編ドキュメンタリーははじめてのようだ。
終盤、クレッシェンドをともなって使われているエリック・サティの音楽、「ジムノペディ」が効果的である。思えばサティは、19世紀ロマン派の激しい音楽とは対象的な静謐な「壁紙音楽」を作った人だった。
その意味では、私が冒頭に述べたロマン派の激しい恋愛とは対象的な持続する愛にまさにふさわしい音楽だといえる。
この種の文章を書くとき、普通は禁欲的にネタバレを避けるのだが(実際にラストシーンの詳細は避けている)、今回は多少はみ出たかもしれない。しかしながら、実際に観なければわからない感動がもっともっと詰まった映画であることを言い添えたい。
もう一度言おう。近年観た「恋愛映画」のベストであると。
人と人の愛が、あんなに素朴で、自然や生活と融け合いながら存在したこと自身に感動した。
といっても、ロマン派好みの身を焦がす灼熱の愛や葛藤があるわけではない。むしろそれとは対極の、静謐で持続してきた愛、自ずから育まれてきた愛があるのみだ。
舞台は韓国の江原道横城(カンウォンドウフェンソン)郡の古時里(コシリ)という小さな村、しかも周辺には人家がなく、山裾を流れる渓流の辺りにぽつんと建つ一軒家。
登場人物はこの家に住む98歳と89歳の夫妻、そして2匹の犬。結婚歴は76年に及ぶという。
その二人の暮らしぶりが、春夏秋冬の美しい自然の移ろいとともに描かれてゆく。
冒頭は秋、庭に降り積もった落ち葉をかき集めるる二人。突然二人はせっかく集めた落ち葉を相手にぶつけあってふざけ合う。まるで児戯のように。
こんなシーンが続く。降り積もった雪での雪合戦と雪だるま作り、春の川辺と庭先で続く水の掛け合い、そうかと思うと、摘んできた花でお互いの髪を飾り合ったりする。
それらが、この山村では不釣り合いな美しい民族衣装、いわゆる韓服、しかもお揃いのそれをまとった二人によって展開される。
脚本があり、それに即しての演技だと受け止めれれても決して不思議ではない。しかし、これはれっきとしたドキュメンタリーで、この夫妻の一年半にわたる記録なのだ。
ほとんどの場合、彼らは四季折々の韓服をまとっている。山仕事や日常の肉体労働の折でもそうなのだ。彼らの子どもたちや孫がつどうシーンが2、3度あるが、彼らの服装は、私たちの日常のものと大差はない。
それだけに老夫妻のそれが、映画のための装いであり、ヤラセ臭いというネットでの指摘もあるが、この衣装がもつ重みが最後に明かされ、それがまた感動を呼ぶ。
先に述べた子どもなどが集うシーンでは、この老夫妻のケアーをめぐって激しい論争がおきる。はっきりいって、彼らに関係する話なのだが、それを聞いてひたすら涙する二人がどこか哀しくも状況からは超越している。この二人にとっては、もはやその次元のはなしはどうでもいいのだ。
二人が愛する二匹の犬との情愛も面白い。この二匹は、生死という明暗を分けるのだが、それへの彼らの対応も面白い。
夫のほうが日々衰えてゆく。それを案じる妻。この辺りは、観ている方にとっては「時間よ止まれ」と願うような推移である。
そうした折に妻の独白が挟まれる。
「おじいさんと結婚したのは14歳。おじいさんは、私が壊れるといけないと思って手を触れなかった。私が16歳になったとき、私の方から抱きついた」
なんかジーンとするセリフである。持続する愛は、この頃からもう芽吹いていたのだ。
ラストはまさに感動モノである。先に触れた、綺麗な韓服にまつわる話も、「そうだったのか」と納得させる映像とセリフが出てくる。
これ以上深追いすると、ネタバレになるからいわないが、上記の各シーンが、山村の美しい四季の映像とともに展開される。
監督と撮影はチョン・ミョン。長編ドキュメンタリーははじめてのようだ。
終盤、クレッシェンドをともなって使われているエリック・サティの音楽、「ジムノペディ」が効果的である。思えばサティは、19世紀ロマン派の激しい音楽とは対象的な静謐な「壁紙音楽」を作った人だった。
その意味では、私が冒頭に述べたロマン派の激しい恋愛とは対象的な持続する愛にまさにふさわしい音楽だといえる。
この種の文章を書くとき、普通は禁欲的にネタバレを避けるのだが(実際にラストシーンの詳細は避けている)、今回は多少はみ出たかもしれない。しかしながら、実際に観なければわからない感動がもっともっと詰まった映画であることを言い添えたい。
もう一度言おう。近年観た「恋愛映画」のベストであると。
人と人の愛が、あんなに素朴で、自然や生活と融け合いながら存在したこと自身に感動した。