一日に、ARATA改め(いきなりシャレかよ。でも事実だから仕方ない)井浦新が主演、ないし主演級の映画を2本観てしまった。
この人が出た映画、気がつけば、『DISTANCE』(是枝裕和:監督)、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(若松孝二:監督)、『空気人形』(是枝裕和:監督)などなど、そこそこ観ている。
で、昨日観た最初のものは、今年8月に名古屋シネマテークで上演される『かぞくのくに』(監督/脚本 ヤン・ヨンヒ)の先行試写会。
この「かぞく」は東京に住む在日朝鮮人の一家で、父親はいわゆる「総連」の幹部級であるらしい。そんな関係で、1970年代、まだ10代の息子のソンホを帰国事業の一環として北へ送り出すのだが、その息子が「北」では治療不能の病にかかったため、同じような他の患者とともに三ヶ月限定の日本での滞在が許されて帰ってくる。
物語はその父と母、それにソンホの妹のリエの4人の「かぞく」に関するものである。
総連の幹部といっても、単に東京の下町の路地にある喫茶店の経営者にすぎない。
また、日本滞在が許されたといってもそれはお目付け役の厳重な監視下においてである。
この監視役を韓国の俳優にして監督のヤン・イクチュンが演じているが、なかなかの存在感である。
物語は主として妹・リエの視線で進むが、ソンホが離日する前の同級生たちやかつての恋人との出会いなどさまざまなエピソードを縫って三ヶ月が経過するかに思われる。
ここで私たちは、思い描いた物語の中断を告げる不可解な事態へ突き当たることとなる。
まさに出口なしの不条理なのだが、例えば、カフカの不条理がその根っこを人間のある種のリアリティにもつとはいえ、想像力で昇華されたものになっているのに対し、この映画の登場人物が突き当たる不条理は、まさに私たちが作り上げてきたもの、国家やその諸関係、その接近と分断の歴史のなかで醸成されたもので、現実に抜き差しならぬものとして突きつけられてくるものである。
それは、総連幹部の父や、監視役のヤン同志にすらなんとも出来ない、あるいは質問することすら許されない不条理なのだ。
例えていうならばそれは、ハンナ・アーレントが描く誰も命令主体がいないにもかかわらず、運動として事態が推移する「全体主義」の化物の様相にも似ている。
そうした不条理のなかで、最も理性的に振る舞うのが実は母親(オモニ)であることも見逃せない。この辺りを宮崎美子が抑制を効かせた立ち居振る舞いで好演している。
以上は極めて抽象的ではあるが、ネタを明かさない限りではこのくらいしかいえない。
実はこの映画の背景になっている北へのいわゆる「帰国事業」であるが、私がサラリーマン生活をしている折に一度だけそれに関わったことがあった。
この「事業」は、1950年代末から84年にかけて行われた在日朝鮮人の北への集団帰国、ないしは集団移住のことで、「帰国」したのはもともとの北の出身者に限らず、南出身の人たちのなかでも、北の方により希望を見出した多くの人たちが移住した。
私が関わったのは(といっても工業用ミシンの営業活動のなかでたまたま遭遇したのだが)1960年代の後半、昭和40年代の半ばであった。
名古屋市の西区でワイシャツの製造をしている縫製工場から相談を持ちかけられた。
従業員10人程度の小さな工場であったが、その技術には定評があった。
経営者の中年のおやじさんは在日の人で、もう名前もすっかり忘れたが、仮に李さんとしておこう。李さんの自慢は、「うちで作ったシャツの襟で頬を突くと血が出る」というものであった。たしかにワイシャツの生命は襟の出来栄え、前立のステッチ、胸ポケットの美しさにある。
ところでこの李さん、帰国事業で北へ帰るというのだ。
ついては、向こうにはいい機械がないから、新しく買った機械を持って行く、だからその相談に乗ってくれとのことであった。
単なる見積ではない。機種の選定、それら機種に適合した消耗部品(針、ボビン、ボビンケース、釜、送り歯、その他メンテ用の部品などなど)の選定とその必要個数の割り出しなど結構厄介な仕事なのだ。加えて技術者を同行し、メンテナンスの指導もしなければならない。
それらをこなし、見積でも最終の調整ができた段階で、李さんが最後に切り出したのが国内出荷用のダンボールの梱包ではなく、輸出梱包をサービスでやってくれないかというものだった。木箱で梱包し、金属製のベルトで固定するのだ。
交渉は難航した。李さんとの間ではない、私と本社との間でである。
私はせっかくの門出だからと粘り強く本社と交渉した。
結果としてその了承を取り付けることができた。
李さんはたいそう喜んでくれた。
出発が近づいたある日、李さんから突然電話がかかってきた。
「今夜うちで送別会があるのだがお前も来ないか」との誘いであった。
いろいろ無理もいわれたが、この愛すべき職人、李さんの門出のためならと私は出かけた。
出席者は在日の人達が圧倒的に多く、日本人は私とご近所で親しくしていた少数の人のみであった。
料理も、酒も、宴も朝鮮半島一色のものであった。
今のようにあちらの料理や酒が出回っていない頃のこと、口にする全てのものが私には初体験であり、珍味であった。
酒が回るほどに歌舞宴曲が入り乱れ、その異国の歌や踊りがまた面白かった。
李さんは、取り巻きたちのなかで顔を赤くしてすっかり上機嫌だったが、時折私のところへ来て、「ありがとうな、ありがとうな」と繰り返すのだった。
そしてついには私を立たせ、「この人の世話で機械類が整い、私は大威張りで帰国できる。この人はよくやってくれた。将来きっと社長になるだろう」と大変な持ち上げようで、最後には熱いハグを交わして別れたのだった。
それっきり、私は社長になることもなく、ず~っと李さんのことも忘れていた。
それを思い出したのは梁石日の自伝的小説を映画化した『血と骨』(2004年 崔洋一監督)を観た時だった。
ビートたけし(北野武)が怪演する親父は、いろいろきわどいことを繰り返しながら稼ぎ出し、それら大金を携えてやはり「帰国」するのであった。
そして、収容所とおぼしきところで彼がぼんやりしているラストシーンがとても印象的だった。
そのとき、私は李さんのことをハッと思い出したのだった。
あの職人気質で曲がったことが嫌いな頑固者の李さんが、あの体制のなかでうまくやって行けたのだろうか、やはり、それに馴染めず収容所のようなところに入れられたのではないだろうか。
私のこの遅れてきた不安は、彼の国のニュースなどに触れるたび、今なお、頭をめぐるものである。
最初の映画に戻ろう。
不条理で不気味なものについて触れた映画だといった。
たしかに彼の国を取り巻く状況の中ではそれが際立っているかのようにも見える。
だが果たしてそうか。
私たちが住む現にこの場所においても、一皮めくればそうした不条理で禍々しい「主体なき意志」のようなものがとぐろを巻いているのではあるまいか。
原発事故とそれへの対応が明らかにしたもの、そしてその再稼働に向けての動きが隠蔽し続けるもの、それらもまた不条理で不気味なものではあるまいか。
一見、開かれた体制であるかのように見えながら、私たちの手に届かないところでさまざまな事態の推移が為されている体制、そうしたヤヌスの神、ヤヌスの鏡に、私たちもまた支配されているのではないだろうか。
妹のリエが見張り役のヤンに、「あなたもあの国も大嫌い」となじるのに答えてヤンはいう。
「あなたが嫌いなあの国で、お兄さんも私も生きているんです。死ぬまで生きるんです」と。
ここには高い目線から一方的に、かつ一律に彼らを非難する者には決して理解し得ない深い悲しみがある。
*もう十分長くなりすぎた。もう一本の『11・25 自決の日 三島由紀夫と若者たち』に関するものは他日に期したい。
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