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六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「昭和の日」その前日はいじめの日

2009-04-29 15:35:13 | よしなしごと
 今日は「昭和の日」だそうです。
 すわ、私の日・・ではなく、もっとやんごとなき辺りを偲ぶ日であります。
 まあ、同時にその時代を偲ぶことも合わせてでしょうが・・。

 昨日、名古屋では新しい市長の初登庁が行われたそうです。
 前回の日記で書きましたように私はこの人については幾分批判的なのですが、それでもかつてない51万人の期待を背負って市長になった以上、「願わくば彼が謙虚になって、自分に寄せられた名古屋市民の期待を噛みしめ、それにふさわしい市長になることを祈るばかりです」とその日記を結んだのでした。

 
           写真は本文と関係ありません。
        中央線の列車を利用した夕刊の搬送風景です。


 それは具体的には、彼が公約したような行政改革の徹底による市民税の軽減です。
 私は、それらが市民へのサービスの軽減や福祉の後退にならないように進められるならば大いに結構だと思いますし、そのように推進して欲しいと思います。

 今日の朝刊によりますと、そうした河村氏の出鼻をくじくような事態が散見されるようです。確かに、氏のはしゃぎ過ぎもあるでしょう。しかし、それを迎える方に選挙戦に負けた腹いせというか、陰湿ないじめというか、自分たちの地位にしがみつこうという保身というか、そんな嫌らしい様相が見られるように思います。

 
    夕刊のある日、午後2時ぐらいから3時ぐらいの間の作業です。

 氏の挨拶に皮肉っぽいチャチャを入れたり、自民党市議団のように挨拶に訪れた氏を室内にも入れず、「いま食事中」と断ったり、氏の念願であった公約明示の垂れ幕を(各官庁の「禁止」という申し合わせがあったそうですが)何とか実現する方向ではなく、とにかく実現しない方向で動いたりと、どうも大人げない対応が続いたようです。

 
      5分ぐらいの停車時間内に手早く整理して積み込みます。

 しかしこれは、氏に対してのみならず、彼に市政を預託した市民に対しても失礼な態度ではないでしょうか。その挨拶までをも拒否するなんて全く陰湿ないじめ以外の何ものでもありません。
 かつて、長野の田中知事の時もそうでした。
 地方の役所や地方議会といえども、中央同様、それなりの官僚機構や権益で守られていて、その外部からの参入に対しては極端な拒否反応を示すようです。ようするに、自分たちが自由に分配してきた税金の使い道に、余所様が来て首を突っ込むことへの警戒感でしょう。
 むろんこれは、税の私物化であり、これを打ち砕くこと、そしてそれを市民に対して解放してゆくこと、これこそが行政改革の根本です。

 
     いえいえ、迷惑だなんて・・。夕刊が無事届けば・・。

 そうした行政改革には基本的に賛成です。もちろん、ただ財政を健全化するという硬直したお題目のみではなく「市民のためのそれ」であることを前提としてです。
 
 従って、河村氏への批判はことがそのように進むかどうかを基本としたいものです。
 ですから、陰湿ないじめではなく、何が市民のためなのかを堂々と論じればいいのです。
 私の河村氏への距離は変わりませんが、彼と正面から論じ合うことなく裏へ回って姑息な陰謀に明け暮れるような対応には断じて反対します。
 


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白い街 白い花 そして名古屋市長・・

2009-04-27 04:13:38 | 花便り&花をめぐって
 かつて石原裕次郎はこんな風に歌いました。

 ♪ああ 久屋通りの花時計 花に遺した きみの微笑
  白い街 白い街 名古屋の街♪


 この「久屋通り」からひとつ東の「高岳」というところで地下鉄を降りました。その近くで行われた会合に出席するためです。
 地下鉄の階段を駆けのぼると(虚勢!ほんとはヨタヨタとのぼった)、いきなり白い群落が目に飛び込んできました。ン?ひょっとしたら?と思うまもなく、そのひょっとしたらはひょっとしたのです。

 
        ビル街を背景にこの木が見られるなんて・・

 そこに展開されたのは、かつては奇木の仲間であったヒトツバダコ(=通称ナンジャモンジャ)の並木なのです。以前は、どこそこで咲いたというと新聞種になった木がいつしか都市の並木に飼い慣らされたのです。
 飼われてから間がないのか、木によって花の付き方はまちまちです。いちめんに真っ白なものから、申しわけ程度に花をつけているものからいろいろです。

 
       これは一番適応した木 堂々とそびえている

 それらをカメラに収めてから会場へ向かいました。
 会場近くで私を引き留めるものがあります。色でもありません。音でもありません。芳香なのです。それが私の鼻孔をつんつくと刺激するのです。
 匂いというのは分子の飛行だそうです。同じ分子でも、その組成によって悪臭や芳香に別れるというのは気の毒な話です。
 もっとも、この悪臭/芳香の分節自体がある種の文化や伝統に依拠するもので、私のそれは、ある特定の文化圏のものかも知れません。

 
      雪が積もったようという形容は当たっていますねぇ

 まあ、屁理屈はともかく、私の足を留めたものの正体は私が通りかかったある寺院の駐車場の片隅に咲くモッコウバラでした。ツルバラの仲間で、ひとつひとつの花は小さいのですが、これだけ見事に咲き揃うとその放つ香も強烈です。
 早速これも写真に収めました。前のヒトツバタコとともに白い花です。
 これらの白い花の連想で、冒頭の石原裕次郎の歌を思い出した次第です。

 
           もっと近寄るとこんな風です

 私がこれらの写真を撮った日、この高岳という駅からさらに地下鉄で一駅行った辺りの出身の人が市長になりました。
 私は、この人の豹変ぶりを多少知っているのと、あの汚い名古屋弁*が生理的に嫌いなのでその当選を祝う気はさらさらないのですが、願わくば彼が謙虚になって、自分に寄せられた名古屋市民の期待を噛みしめ、それにふさわしい市長になることを祈るばかりです。

    
         これが私を足止めしたモッコウバラ

 * いわゆる名古屋弁は、彼が口にするような汚いものではありません。
  生粋の名古屋っこではありませんが、若い頃聞いた古老たちの京言葉
  にも匹敵する名古屋弁を懐かしく思い出します。




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草彅君と警察とそしてマスコミ・・・

2009-04-25 05:16:51 | 社会評論
 

 オイ、オイ、オイという話ではありませんか。
 確かにマスコミが食いつきそうなネタではあります。
 しかし、冷静にみれば、ひとりの若者が酔っぱらって公園で裸になり叫んだというだけなのです。
 あらかじめ言っておきますが、私は草彅君に特別な好感も嫌悪感ももっていません。

 天下のNHKをはじめ、各社がトップやトップ2で報じる話でしょうか。
 その間に、自衛隊のソマリア沖での活動範囲についてや、世襲議員の見直し論議などが問題となり、補正予算案の審議入りや年金機構の法改正などが控えている時になんたるチア、惨たるチアであります。
 普通なら、これは芸能ニュースとして控えめに報じられるような話なのです。
 
 それを、あの鳩山総務大臣までがしゃしゃり出て、あられもなく、草彅君の全人格をも否定するような差別的発現をなさいました。これはまさに、NHK自身が認めている2011年の地デジ移行の不可能性を、まるで草彅君のせいにしかねないヒステリックな対応といわねばなりません。
 さすがに、すぐ乱心するこの殿の側近たちが「あれはまずいのでは」と奏上されたのでしょうか、翌日には幾分のトーンダウンが見られました。

 しかしながら、問題はマスコミのこの問題に対する比重の置き方というより、その質の低劣さ、批判精神の欠如にこそあるといわねばなりません。彼らはどこを見てものを言っているのでしょうか。

 冒頭にも書きましたように、ようするに酔っぱらった若者が裸で騒いだということです。しかも、人が往来する場所ではなく深夜の公園です。誰も傷つけていませんし、確たる被害もなかったようです。普通ならこれは、「オイ、オイ、おまえ飲み過ぎだぞ」といってトラ箱へ保護すれば済む話です。
 それを警察は逮捕しました。百歩譲って「公然わいせつ物陳列罪」による逮捕だとしましょう(それ自身成立が危ぶまれるのですが)。しかし、何のための拘留、何のためのガサ入れでしょうか。
 
 これは明らかに別件逮捕による不当捜査に他なりません。
 彼が裸になったことの裏付けは家宅捜査をしなければ得られなかったのでしょうか。そんなことは決してありません。警察は、これを足がかりに何かほかの功績(例えば薬)を得られないかと画策したのです。
 だから彼が酔いも醒めやらずもうろうとしていて、弁護士らと連絡をしたり、適切な対応が出来ない段階でガサ入れをしたのです。
 これは明らかに別件逮捕であり、違法捜査であり、かつ基本的人権の侵害です。

 草彅君の釈放に当たっての警察、検察の発表は、逃亡や証拠隠滅の恐れはないということです。当たり前でしょう。彼がどこへ逃亡できるというのでしょうか。ましてや、裸でいたことの証拠をどうやって隠滅出来るのでしょうか。

 問題は、これをちゃんと取り上げてその違法性に触れた報道が一切ないということです。
 酔いつぶれていただけで、家宅捜査までされるということは異常なことなのですが、どこもその違法性や過剰捜査、そして重大な人権侵害に触れようとはしません。
 各社一斉にどぶに落ちた犬をつつき回しているのが実情です。

 恐ろしい国になったものです。
 マスコミが各種の行き過ぎを指摘できなくなった時、民主主義は終わります。
 日本のマスコミが、語り口こそソフトだけれど、あの硬直した口調で将軍様のお達しを語りかける北朝鮮の報道姿勢と本質的には変わらないことを見せつけられた何日かでした。
 

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映画のはしごと「湘南乃風」

2009-04-23 04:21:08 | 映画評論
 また映画のはしごをしてしまいました。

 ひとつは『プラットフォーム』、『青の稲妻』、『世界』や『長江哀歌』などの話題作で現代中国に内在する問題を凝視し続けてきたジャ・ジャンクーの新作、『四川のうた』です。
 ただしこれは、シネマテークの試写会で観たもので、一般公開は6月です。それが近づいたら感想など書きたいのですが、とりあえず以下の点だけを・・。

    
      「ささしまライブ」から見た名古屋駅タワービル

 前作などで既にその兆候はあったのですが、この映画はドキュメンタリーなタッチのインタビューを中心としながら、そのインタビューの相手に実際の人物と俳優が演じる人物とが混在するという実験的な手法がとられています。
 これは、歴史とは事実と想像の「混在物」であるとする監督が、それらが織りなすものを「語り」として回収する作業といえます。ようするに、オーラル・ヒストリーの手法ともいえます。

 
        シネコン「109」へのエスカレーターから

 題材はいかにも中国らしいスケールの大きなもので、成都にあった労働者3万人、家族を含めると10万人の巨大国営工場「420工場」が半世紀の歴史に幕を下ろし、移転ないしは一部廃業という事態を迎え、そこで過ごした人々のかつての営みを収録するというものです。
 名もなき人々の日々の思い出が、中国の巨大な歴史的変貌を浮かび上がらせます。

 
          入り口付近にたむろする若者たち

 もうひとつ観たのは、いま名古屋地区で上映中の『ミルク』という映画です。
 こちらの方は、1970年代後半のアメリカで、同性愛者であることをカミングアウトして公職に就いたアメリカ初の政治家ハーヴェイ・ミルクのを描いた伝記的ドラマです(監督は『エレファント』のガス・ヴァン・サント)。
 アラフォーを迎えた彼の関心の拡大と、暗殺されるまでが描かれます。

 これについてもいろいろいうべきことがありますが、簡潔に二点だけ。
1)人間のセクシャリティそのものがホモ・セクシャルであろうがストレート(いわゆる正常)であろうが、種の存続からは疎外された行為として、すでにして「変態」に他ならないこと。
2)あるマイノリティ(少数者)を差別・排除する者は必ず他のマイノリティをも差別し、他者との共生を拒否するに至ること。

 
              シネコンの待合室

 とりわけこの際、2)に関する理解が必要で、マイノリティへの差別は、性差、社会的地位、民族、人種と拡張する傾向にあります。
 趣味の違いとか、あるいはある種の嫌悪感で同意できないこともあるでしょう。ただし、それでもって相手を全面的に否定したりその生存を危うくするのは、また違う次元の問題なのです。

 この映画を観たのは、名古屋は「ささしまライブ」の「109」というシネコンです。
 ここは三回目ですが、まだ4時前だというのに若い人で溢れていました。「え?映画って今こんなに人気が・・」と思ったのですが私の勘違いでした。
 若者たちは、シネコンの隣にあるZepp Nagoyaというライブハウスで行われる夕方からの公演を待ちわびて集まっていたのです。ポスターを観ると、「湘南乃風」というバンドのようです。映画を見終えて出てくると、ちょうどライブハウスへの入場が始まっているところでした。
 スタッフが、「860番から880番の人」などと叫んでいました。そこから振り返るとまだ何百人が並んでいて、きっと1,500人ぐらいは入ったのではないでしょうか。

 
    映画を見終えて外へ出ると名古屋発18:00頃の上り新幹線が

 ところで、あなた、「湘南乃風」というバンド知っていますか?

写真はこのささしまライブからのものとシネコン付近のものです。
 


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神は細微に宿る・・・蜜蜂が消えた!

2009-04-21 02:07:51 | 歴史を考える
 確かにそう感じていたり、あるいはそのように経験していたのに、あらためて指摘されると驚いたり、なるほどそうかと思うことがことがあります。
 いきなり抽象的ないい方で申し訳ないのですが、ことは「ミツバチの減少」ということです。
 
 私のところは片田舎ですから、昆虫類はかなりいます。蜂類もいます(いました?)。それらが花の時期になると猫の額のような我が家の庭にも訪れるのです。
 桜ん坊のなる樹が開花した折りなど、その樹下で写真を撮っているとうるさいほどのミツバチが飛び交い、私のすぐ耳元でその羽音を響かせるのでした。
 ですから、「オイオイ、蜜はいくらでもやるから私を刺すなよ」と言い聞かせながら撮影したものです。

 

 
       これらはいずれも三年前 我が家の桜へ来た蜜蜂

 桜ばかりではありません。人の目には地味にしか映らないビワの花にも彼女たち(働き蜂は雌)はやって来ました。
 私の家で、桜ん坊やビワの実を楽しめるのはおそらく彼女たちのおかげなのです。
 もちろん、今を盛りのツツジやその他の花々へも頻繁にやってきました。

 しかし、それは2、3年前までではなかったでしょうか。
 最近はとんと見かけないのです。桜へもビワへもその他の花にもです。
 そのせいでしょうか、昨年の桜ん坊やビワの収穫量は少なかったような気がします。

 
             おかげでこんなに桜ん坊が

 それらに気づいてはいましたが、それはたまたま我が家という限られたエリアでの出来事で、しかも一時的なものだと思っていました。
 しかしです、最近の報道によるとこうした現象は全国的なもので、ミツバチによる虫媒がないため、果樹園や園芸農家などは筆の穂先などを使った手作業で受粉作業をしなければならないとのことです。
 と、ここまで書いて念のため確認したら、なんとミツバチの減少や失踪事件は世界的な出来事であり、自然な虫媒に頼って果実や穀類などを採取している地方などでは、食糧危機にまで見舞われているのだそうです。

 地球上からミツバチが消えつつある?なぜ?
 農薬説、ダニなどの害虫説、気候風土の影響などなどが語られているようですが、確とした理由はまだ見出されてはいないようです。

 
          こんな地味なビワの花にも来ました

 自然界にある膨大な各種現象のなかで、ミツバチの消息などは一見、たいしたことではないように思われます。しかし、何だか気味悪いものがありますね。
 「神は細微に宿る」とか、「微少な差異こそが実は問題である」とかいわれます。
 この地球という星に大きな変化が起こりつつあるのかも知れません。
 それは例えば、温暖化だとか太陽の黒点が云々といったデータや観測によっては捉えられない、もっと別の次元のある変化のようなものです。

 

 
      これらは昨日やっと見かけた我が家のツツジへ来た蜜蜂
      なんだか少しホッとしました しかし、たった一匹のみ

 
 地球の生命は約半分にさしかかり、余命は45億年ほどだといわれています。私も、そしてこれを読んでいるあなたも、その地球の余命のうちにあります。
 しかし、これは地球の余命であって人類の余命ではありません。だいたい人類の誕生はたかだか数百万年前のことであって、地球の全歴史においてはほんのちょっとしたエピソードにしか過ぎません。
 
 この偶然のエピソードにしか過ぎない人類という連中が、あたかも当初から地球の主人公に定められていたかのように振る舞っているのが実情なのです。
 やはり地球は、こんな厄介な連中のことを自らが生みだした失敗作として削除しようとしているのではないでしょうか。
 そのテストケースが、まずはミツバチの消去であったのかも知れません。

 ほら、地球の手が人類というフォルダを削除すべく、キーボード上の delete キーに触れそうになっているのが見えませんか?


また農協で竹の子を買ってしまった。だって、すこし小さいとはいえ、朝とれが4本で180円だったらこれは買いですよね。




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花・子供・虫・竹の子

2009-04-19 00:03:11 | 写真とおしゃべり
 桜の終わりを待ちかねたようにきびすを接してハナミズキが咲き始めました。
 久々の図書館でしたが、ここでも紅白のハナミズキの競演=饗宴です。
 珍しくはないでしょうが一応写真に収めました。

 

 

 探しに行った本がありませんでした。ちくま学芸文庫だから一応あるだろうと目星を付けていったのですがありません。
 他の本を三冊借りました。
 土曜日とあって図書館の内外は子連れのファミリーが一杯です。
 図書館の中でも甲高い子供の声が響いて幾分落ち着かないのですが、この子らが書物に馴染み、やがて次の時代の文化や学問の担い手になるのだと思えば苦にはなりません。
 子らよ!書物の海で自由に泳ぎ回れ!と密かに応援するのでした。

 

 館外の緑地などで憩う家族連れもいます。
 最初のお母さんはケイタイで誰かと話しています。
 子供は乳母車の中で気持ちよさそうにおねんねです。

 

 もうひとつは、手前で若い男女がいちゃいちゃしている向こうで若いお母さんが子供にものを食べさせています・・・と観るのはしろうとの赤坂見附は外堀通りです。
 これ実は手前の男女が実像で、母親が子供に何かを食べさせている方は、ステンレス製のオブジェに映った鏡像なのです。つまり、手前でいちゃついていると見えるのは若い夫婦で、二人揃って子供に食べさせている微笑ましい情景なのです。

 

 家へ戻ってから咲き始めたツツジなどに水をやりました。ツツジの横のマサキにも地味な花がついているので写真に撮ろうとしたらそこへ小さな虫がやってきました。ちょっと見たところ蛍に色調は似ているのですが、体長は3ミリ程度ですし時期的に見ても違うようです。名前はネットで調べても分かりませんでした。

 
 
 そうこうしていると今度は、足元でひらひらしているものがあります。見ると黄色い蝶です。まだ羽化したばかりかおぼつかない飛びようで、落ち葉の間に降りたって羽を休めています。
 これも写真に収めましたが、どう見ても紋がないようですから紋黄蝶ではなく黄蝶のようです。

 

 夕食は農協で買ってきた朝とれの竹の子を食べました。
 柔らかいところはワカメといっしょにヌタにし、その他のところは薄味で品よく煮付けました。
 もとの方といっても柔らかいのですが、それは竹の子ご飯用にとっておきました。

 といった次第で、ますます円熟しつつある春をたっぷり感じた一日でした。
 明日は、家族にとって大切な日です。
 ですから早く寝ようと思います。
 私にしては素直な日記ですね。










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稲荷にあるから「稲荷神社」。で、何か?

2009-04-17 15:14:58 | よしなしごと
 陽気がよくなったので、母の入院先へも自転車で出かけます。
 車より自転車の目線が好きです。ある程度の高さもあり、かつまた、そのスピード感からして周囲への観察能力が違うのです。さらにいえば、周辺の物音、鳥のさえずりなどがダイレクトに聞こえることです。
 それだけなら、ある程度見聞が広がるのみですが、もっと決定的なのは、興味の対象を見つけた場合、多少の細い路地だろうがたんぼ道だろうがどんどん侵入でき、しかもそこで停車も駐車も平気なため、いろいろ写真を撮ることができるということです。

    
              樹の上には白い月が

 そんなわけで新しい発見を報告いたします。
 車で行く際、そのルートとは少し離れたところに巨木ともいえる大きな樹木があり幾分気になっていました。そこで、自転車の気軽さ、細い路地を縫ってそこへと行ってみました。
 遠目で確認した以上の巨木です。岐阜市指定の「天然記念物」になっている椋(ムク)の木だそうです。二本の樹木が寄り添うようにそびえています。そしてその間にはしめ縄が張られています。ようするに、ご神木なのです。

 
              二本の樹の間には祠が

 このご神木を擁する神社はさほど大きくはありません。ご神木はこの神社の背後にそびえていますので、神社そのものの正面に回ってみました。かつての農村であったたたずまいを残している集落での小さな神社です。正面からも写真に収めました。
 そこへ都合良く、こぢんまりとした社務所で祭礼か何かの打ち合わせとしていたらしい地元の人が出てきました。チャンスとばかり私はそのうちのひとりをつかまえて尋ねました。
 「このお宮さんは何という名前ですか?」
 「あ、ここ?ここは稲荷神社だよ」
 人を食った答です。いくら私がこうした事情に疎くとも、赤い幟に「正一位稲荷大明神」と書いてあったり、狛犬の替わりにお狐様が鎮座していたらお稲荷様だぐらいは分かります。

 
                この右側が本殿
 
 いらだつ気持ちを抑えながら、もう一度尋ねました。
 「それは分かりますが、何稲荷なのでしょう」
 「何稲荷といわれても、稲荷神社は稲荷神社だから・・」
 と、相変わらず煮え切らない返事です。それでも、もう一度丁重に尋ねました。
 「でもほら、伏見稲荷とか豊川稲荷とか、お稲荷さんにはその地名が頭につくでしょう?」
 そうしたら、意外な返事が返ってきました。

 「ああ、そのことですか。ここの地名は今でこそ福寿町とかいうことになってしまいましたが、前は<稲荷>というでした。だから、稲荷にある神社だたら稲荷神社なのです」
 なるほど、稲荷にあるから稲荷神社、それにさらに地名を冠したら、「稲荷稲荷神社」になってしまうというわけなのです。

    
               正面付近

 ついでに面白い話を教えてくれました。ここのお稲荷さん、昔は近郷近在の善男善女で豊川や伏見などへ行けない人々がここへお参りしたそうなのです。そしてそれが、たいそう御利益があるという評判が立ち、著名なところへ行く必要がない美濃の稲荷としてとても栄えた時期があったそうなのです。おそらく、この地区が稲荷という地名になったのもそのせいなのでしょう。

 地元の人たちは、その往年の誇りを保ちながら、ここのお稲荷さんを○○稲荷としてローカルにすることなく、稲荷地区の稲荷神社として、今もなお、ストレートなその名を守り続けているのです。

    
            正真正銘、「稲荷神社」です
 
 ほら、自転車っていいでしょう。とある大木に注目し寄り道をしただけで、これだけ中身の濃い話が聞けるのですよ。
 話が面白かったので、つい、このムクノキの樹齢を聴くのを忘れてしまいました。
 何歳でしょう?私よりも老けてはいると思うのですが(私は化け物か?)。
 





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「山桜」にまつわる歌とお話

2009-04-15 02:47:21 | 花便り&花をめぐって
 当地では、終わりかけのソメイヨシノが昨日の雨に打たれて幾分無惨な姿をさらしています。この間まで感嘆の声を上げて見上げていた人も、もう見向きもしません。
 ソメイヨシノは人里近くにあるのでそれなりに目立つのですが、日本古来の野生の桜、山桜は山の稜線近くにぽつんとあったりします。

 
           山桜 ネット上の植物図鑑から拝借

    もろともにあはれと思へ山桜花より他に知る人もなし

 この歌は、平安後期の歌人・行尊によるもので、百人一首ににも採られています。
 この歌の情景はよく分かります。かつて、渓流にアマゴやイワナを追いかけていた頃、釣りに疲れてふと目を上げると、対岸の山並みのなかにぽつんとそれが咲いていたりしました。「あ、あんなところに桜が」と思うのですが、ということは花でも咲いていない限りそこに桜の木があることすら気づかないわけです。

 もっともこの歌は、そうした情景を借り、「お前のことをしみじみと思う私の心を分かって欲しい山桜よ」といった詠嘆や願望の意味もあらわしているようです。

 
              私の家の桜ん坊が実る桜

 ついでながら、かの本居宣長が詠んだ

    敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花

 も有名で、とりわけ戦前においては、その散り際の潔さをを賛美したものとし、それをもって神風特攻隊の部隊名を、「敷島隊」、「大和隊」、「朝日隊」、「山桜隊」と名付けたようですが、これは軍国時代のきわめて恣意的な解釈によるもので、この山桜は朝日に匂っているのであって、その散り際などとは全く関係がないのです。
 むしろ朝日に照り輝く素朴な山桜の生命力をこそ歌ったもので、愛国心や戦争での散華などとも一切関係ないのです。

 
                   紅桜?

 これは私の解釈ではなく、三重県の松阪市にある、本居宣長記念館の主任研究員・吉田悦之氏の見解でもあります。

 だいたい、本居宣長の「やまとごころ」は「からごころ」に対比される言葉で、唐様の「形而上学的」屁理屈にたいし、ありのままの現象をそれとして重んずる立場をいったのであり、そのどこにも愛国心やましてや戦の庭で散れというような意味合いは含まれていません。

 山桜にせよその他の桜にせよ、花は「なぜなし」に咲くのであり、それに勝手に恣意的な装いをもたせ、多くの若者たちを散華へと追いやったかつての歴史を思う時、今さらながらその浅薄な美意識と、にもかかわらずそれをもって人々に死を強要したおぞましさとを思わずにはいられません。

 
             これは夕日に染まるソメイヨシノ

 私も、そして私に続く世代も、山の峰近くぽつねんと咲く山桜を、何の忌憚もなく眺めやりたいものです。

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廃屋の再生・・定点観測による

2009-04-13 05:03:16 | 写真とおしゃべり
 前回、廃屋について述べました。
 廃屋は人の居住から解放され、それ自身の歴史を生きているのであって、それに対する感傷よりも、むしろそれがどのように変転を引き受けるかに興味があるともいいました。
 ようするに廃屋フェチなのです。
 え、お前が廃屋だから?ほっといて下さいといいたいところですが、当たらずといえども遠からずです。一見、終わったかに見える廃屋にも、その歴史があるのです。

 
     長い間廃屋でした。一回は倉庫、二階はアパートのようでした

 
      敷地内にはこうしたガソリンスタンド?もありました
   
 しかしその廃屋も、力ずくで取り壊され、更地にされ、そのうえに新しいものが建ったりすると、その前歴によほど思い入れがある人でない限り、そこに何があったのかを思い出せないのが実情です。
 私はつい、こうした状況といわゆる「歴史修正主義」との相関を考えてしまうのですが、話が煩雑になりますのでそれには触れますまい。
 ここに掲げる写真は、三年間ほどの定点観測の成果(?)です。
 そもそもここは、もともとは運送会社の倉庫のようなものでしたが、二階はアパートだったようです。
 今は成人している愚息が、同級生がここに住まっていたとかでよく遊びに来たそうです。
 結構広い敷地内には、倉庫ふうな建物の他、ここから発着するトラックのための給油施設もありました。

 
          いよいよ取り壊しが始まりました

 
         こんなものも出てきました。ガソリンタンク?

 何年位前からでしょうか、しばらくは無人のまま廃墟となり放置されていました。
 廃屋フェチの私の格好の観察対象です。ここを対象とした写真もかなり撮りました。
 ところが、昨年あたりから動きが慌ただしくなりました。
 取り壊し、更地にし、新しいものが建つのです。

 
              そして更地に・・

 それらの展開を一応カメラに収めえたと思います。
 新しく建てられたものへの評価はともかく、やはり個性を抑制した幾分キッチュなものでこの空間は埋められるようです。
 おそらく、ここの写真はもう撮らないでしょう。

 「今時の若い者は」というのは私のような老人にとっては禁句です。たいていは、現実の状況への無理解から発する苦言に終わるからです。
 むしろ、「今時の若い者」から学びたいのです。

 
          久しぶりに覗いたら、こんな風に
        手前は駐車場に、そして奥の方は住宅建設
    全部で四棟、真ん中の二棟は完成、左は工事中、右はこれから

 若い人たちが新しい建造物だとしたら、あなたたちはどんなコンセプトのもとに建っていますか?私たち廃屋を排除し、取り壊すとしたらその大義名分は何ですか?
 これは挑発ではなく、本当に知りたいことなのです。




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どっこい生きている・・廃屋物語

2009-04-11 04:16:33 | 写真とおしゃべり
 桜が咲き始める頃に始まりそれが盛んに散り染める今日まで、礼服がタンスに憩う間もない怒涛の葬式三連チャンが終わりました。
 終わったといっても、当分それがないことを仮定し、そう祈る限りのことですが。
 これだけ続くと、ひとりひとりの死者への思いが希薄になるのではと心配してしまいます。事実、それぞれのひとがもはや還らぬという実感が薄いのです。
 少し落ち着いて、本来会うべきところでその姿が見えなくなったりすると、きっと実感がこみ上げるのでしょう。

 
                廃屋の秋

 
                廃屋の春

 話は全く変わりますが(変えたいのです)、私は結構廃屋フェチで、それがあると歩を止めてしげしげ眺め、写真に撮ったりします。
 とりわけ年期が入った廃屋が好きです。家が傾き崩れ落ちるのはある種哀れを誘うことかも知れませんが、私が好きなのはそうした失われ行くものへの感傷によるものではありません。
 むしろ、崩れ失われる反面、そこに新たに宿る新たな風貌のようなものに関心があるのです。

 
               廃屋部分 秋

 
               廃屋部分 春

 それは徹底した風化・崩壊であったり、植物たちの進出であったりします。いずれにしても年期の入った廃屋はその風雪を刻み込まれた新しい貌を日々新たにします。
 そこには、人が去ってから幾ばくもしない間に取り壊され、新しいものが建って、古いものの記憶を一切合切もぎ取るという力任せの変化とはまた違う趣があるのです。それが廃屋の魅力です。

 
           廃屋 別アングルから 秋

 
           廃屋 別アングルから 春
 
 ここに載せたものは、私の家の近くの廃屋で、昨年の秋と今年の春に、ほぼ同じアングルで撮ったものを比較してみました。
 崩壊の進行と季節の彩りとが微妙に違って面白いと思うのです。
 夏になると、植物の様相が一層鮮やかになるはずです。

 
               裏側から 春

 もはや、取り壊しも再建も不可能な私には、廃屋が奏でる音楽やささやきが聞こえるのです。その自己主張も聞こえます。
 廃屋は死滅しつつあるのではない、変化しつつあるのであって、廃屋というジャンルを立派に生ききっているのだと・・。
 廃屋を死滅として否定的に捉えるのは人間の功利主義的パースペクティヴによるものにすぎません。
 よく見ると、廃屋はそれ自身、美しいはずです。

次回は、廃屋が取り壊され、幾分キッチュな風景になった様相をお届けする予定です。
 







コメント (3)
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