名古屋ボストン美術館で開催中の「ボストン美術館 北斎 浮世絵名品展」に行ってきました。
北斎の絵の概略はもちろん知っていました。その大胆な構図や描写も好ましく思っていました。ただ、その人物について興味をもつに至ったのは、実は作家の山田風太郎を通じてでした。
山田風太郎には、『八犬伝』について書いた2冊の書があります。最初のものは1964年、彼の「忍法帳」シリーズの一環として書かれた『忍法八犬伝』ですが、そちらの方は読んだ記憶がありません。
私が覚えているのは、1983年の『八犬伝』で、この書の構成は、『南総里見八犬伝』の翻案紹介と、その作者、曲亭馬琴その人をめぐるエピソードとが交互に出てくる仕組みの大長編となっています(どこの出版社も上・下二冊の分冊にしているようです)。
『南総里見八犬伝』のダイジェストともいうべき部分は、山田風太郎独自の筆致で簡潔ながら面白くまとめられているのですが、それにもまして、曲亭馬琴に関する後半部分、視力を失った彼が早逝した息子の未亡人・お路の口述筆記に助けられてこの作品を仕上げてゆく過程は、壮絶でありかつ美しく、感動をも呼ぶものでした。
これはまさしく、自身、優れたストーリー・テラーであった山田風太郎が、やはり、江戸の一大ストーリー・テラー、曲亭馬琴に捧げたオマージュといっていいでしょう。
さて、悪い癖で何やらゴチャゴチャ書いてきましたが、それがどうして北斎と関係があるんだと叱られそうですね。
で、その山田風太郎の『八犬伝』に、気難しい曲亭馬琴のほとんど唯一といっていい気の許せる友人としてこの北斎が登場するのです。そしてまたこの北斎も、画号を30回以上変えたり、90歳の生涯のうち、江戸市中で93回の転居をするなどのいわくつきの変人なのに、馬琴とは親しい友として登場するのです。
ちなみに、ベートーヴェンもウィーン市内で80回ほど引っ越していますが、回数では北斎が勝っています。ただし、ベートーヴェンは57歳で亡くなっていますから、北斎の歳まで生きていたらおそらく引っ越し魔の栄冠は彼のものだったでしょう。
この馬琴と北斎の関係は山田による創作ではなく事実の裏付けがあって、北斎はしばしば馬琴の書の挿絵を担当しています(馬琴のもう一つの主著『椿説弓張月』など。ただし、『南総里見八犬伝』の挿絵は北斎のものではありません)。
しかも、馬琴の家にしばらく居候をしていた時期すらあるのです。
ちなみに二人の生没年は以下のようです。
北斎は1760~1849年、馬琴は1767~1848年と、二人とも当時としては長命で、しかも晩年まで旺盛な創作意欲を欠かすことはなかったようです。
今回の北斎展では、最晩年の北斎が炬燵のなかで寝転ぶようにして絵を描いている姿を、その弟子が描いたものが展示されています。
ちなみに山田風太郎の生没年は1922~2001年です。
さて、美術展の話なのに、だらだらと書き連らねてしまいました。
音楽もそうですが、絵の話を言葉にするのは難しいから逃げたのです。
今回の展示品は、タイトルにあるようにアメリカのボストン美術館が所蔵するものの展示です。これらは、この国の明治期、浮世絵が陶器輸出の包装紙や緩衝材としていとも無残に使われていた頃、アメリカ人のモースやフェノロサ、ビゲローなどによってせっせと収集されたものです。
北斎だけで、若年期から最後期に至るまでこれだけの収集をと驚かざるを得ません。しかも、日本ではとっくに失われたものも含まれていて、良好な条件のもとに保存され、こうして里帰りをするのですから、それだけでも感動モノですね。
ちなみに出品点数は大小取り混ぜて142点、その他、資料的な特別出品などもかなりあります。
北斎はその画法や題材、それにアイディアなどが実に多彩で、延々と長時間観て回っても飽きるところがありません。いささかの疲れもなんのその、最後までじっくりと観ることが出来ました。
この美術展の今後の予定について書いておきます。
名古屋ボストン美術館は3月23日までです。
以下、順次各地を回ります。
*神戸市立博物館 4月26日~6月22日
*北九州市立美術館分館 7月12日~8月31日
*東京上野の森美術館 9月13日~11月9日
■おまけとして北斎で著名な「蛸と海女」を載せます。
Wikiの「蛸と海女」で検索すると、ここに書かれている文章も読むことができます。興味のある方はどうぞ。
これは、いわゆるあぶな絵の中でも傑作に属すると思います。
ただしこれは、残念ながら出品されていません。
北斎の絵の概略はもちろん知っていました。その大胆な構図や描写も好ましく思っていました。ただ、その人物について興味をもつに至ったのは、実は作家の山田風太郎を通じてでした。
山田風太郎には、『八犬伝』について書いた2冊の書があります。最初のものは1964年、彼の「忍法帳」シリーズの一環として書かれた『忍法八犬伝』ですが、そちらの方は読んだ記憶がありません。
私が覚えているのは、1983年の『八犬伝』で、この書の構成は、『南総里見八犬伝』の翻案紹介と、その作者、曲亭馬琴その人をめぐるエピソードとが交互に出てくる仕組みの大長編となっています(どこの出版社も上・下二冊の分冊にしているようです)。
『南総里見八犬伝』のダイジェストともいうべき部分は、山田風太郎独自の筆致で簡潔ながら面白くまとめられているのですが、それにもまして、曲亭馬琴に関する後半部分、視力を失った彼が早逝した息子の未亡人・お路の口述筆記に助けられてこの作品を仕上げてゆく過程は、壮絶でありかつ美しく、感動をも呼ぶものでした。
これはまさしく、自身、優れたストーリー・テラーであった山田風太郎が、やはり、江戸の一大ストーリー・テラー、曲亭馬琴に捧げたオマージュといっていいでしょう。
さて、悪い癖で何やらゴチャゴチャ書いてきましたが、それがどうして北斎と関係があるんだと叱られそうですね。
で、その山田風太郎の『八犬伝』に、気難しい曲亭馬琴のほとんど唯一といっていい気の許せる友人としてこの北斎が登場するのです。そしてまたこの北斎も、画号を30回以上変えたり、90歳の生涯のうち、江戸市中で93回の転居をするなどのいわくつきの変人なのに、馬琴とは親しい友として登場するのです。
ちなみに、ベートーヴェンもウィーン市内で80回ほど引っ越していますが、回数では北斎が勝っています。ただし、ベートーヴェンは57歳で亡くなっていますから、北斎の歳まで生きていたらおそらく引っ越し魔の栄冠は彼のものだったでしょう。
この馬琴と北斎の関係は山田による創作ではなく事実の裏付けがあって、北斎はしばしば馬琴の書の挿絵を担当しています(馬琴のもう一つの主著『椿説弓張月』など。ただし、『南総里見八犬伝』の挿絵は北斎のものではありません)。
しかも、馬琴の家にしばらく居候をしていた時期すらあるのです。
ちなみに二人の生没年は以下のようです。
北斎は1760~1849年、馬琴は1767~1848年と、二人とも当時としては長命で、しかも晩年まで旺盛な創作意欲を欠かすことはなかったようです。
今回の北斎展では、最晩年の北斎が炬燵のなかで寝転ぶようにして絵を描いている姿を、その弟子が描いたものが展示されています。
ちなみに山田風太郎の生没年は1922~2001年です。
さて、美術展の話なのに、だらだらと書き連らねてしまいました。
音楽もそうですが、絵の話を言葉にするのは難しいから逃げたのです。
今回の展示品は、タイトルにあるようにアメリカのボストン美術館が所蔵するものの展示です。これらは、この国の明治期、浮世絵が陶器輸出の包装紙や緩衝材としていとも無残に使われていた頃、アメリカ人のモースやフェノロサ、ビゲローなどによってせっせと収集されたものです。
北斎だけで、若年期から最後期に至るまでこれだけの収集をと驚かざるを得ません。しかも、日本ではとっくに失われたものも含まれていて、良好な条件のもとに保存され、こうして里帰りをするのですから、それだけでも感動モノですね。
ちなみに出品点数は大小取り混ぜて142点、その他、資料的な特別出品などもかなりあります。
北斎はその画法や題材、それにアイディアなどが実に多彩で、延々と長時間観て回っても飽きるところがありません。いささかの疲れもなんのその、最後までじっくりと観ることが出来ました。
この美術展の今後の予定について書いておきます。
名古屋ボストン美術館は3月23日までです。
以下、順次各地を回ります。
*神戸市立博物館 4月26日~6月22日
*北九州市立美術館分館 7月12日~8月31日
*東京上野の森美術館 9月13日~11月9日
■おまけとして北斎で著名な「蛸と海女」を載せます。
Wikiの「蛸と海女」で検索すると、ここに書かれている文章も読むことができます。興味のある方はどうぞ。
これは、いわゆるあぶな絵の中でも傑作に属すると思います。
ただしこれは、残念ながら出品されていません。