先週のことである。白川公園内にある名古屋市美術館の「モネ それからの100年」展に行った。
予想していたより面白いものであった。そのコンセプトが、モネを印象派という共時的な時代のなかでみるのではなく、むしろ、没後100年近い現代から振り返って通時的に彼の仕事を位置づけようとするものだということは、そのタイトルからもわかっていたのだが、その展示方法を含め、その奥行きは想像以上に深かった。
モネの作品へのオマージュ、彼の作品にインスパイアーされた表現者たちの作品が、モネの作品に従うかのように展示され、彼が、印象派の巨匠という規定を超えて、現代芸術にまで至る裾野をもっていることがよく分かる展示であった。
この種の展示会にでは、その大元ともいえる画家の展示は少なく、その影響下の取り巻きが多いのが普通で、それを覚悟していたのだが、その割にモネ自身の作品も多く、嬉しい誤算であった。
モネの描く絵画は、睡蓮にしろ積み藁にしろ、ルーアンの大聖堂(今回の展示にはなかった)にしろ具体的な対象をもつが、その対象がどのように見えるのか、その対象と自己との間にあるアトモスフェア-のようなもの、表象そのものを描いたのが特徴だと思う。だから彼は、同じ対象を何度も描き、その都度、それらはそれぞれ異なる。
この表象の領域への肉薄が今日の表現者にとっても新鮮な刺激を与えているのだろう。
結論としてこの展示は、「印象派の」モネではなく、そうした規定を超えた表現者としての彼の、現代に至る系譜を観せてくれることにある程度成功しているのではないかと思った。
写真は、その美術展が行われた名古屋市美術館の周辺で撮ったものである。
この美術館は、その他に市の科学博物館、広大なグランドなどを備えた白川公園のなかにある。
市科学館の野外展示のHⅡBロケットは、「こんな大きなものが宇宙空間へ」と驚かされるが、同時に、この先端に核兵器が装備され、それが宇宙空間ならぬ大陸間を飛び交うとしたら、との恐怖も湧いてくる。
そのほかの写真は、いかにも美術館周辺といった感じのもだと思う。
なお、この白川公園は、今でこそ平和で文化的な空間といえるが、実は、戦争の歴史が染
み付いた場所でもある。
そもそも、この公園の計画は、多くの家々を立ち退かせて、「防空公園」として計画されたものだったし、敗戦後はその空間がそっくり米軍に接収され、キャッスル・ハイツという在日米軍の家族住宅地になった。
その、通称アメリカ村は1958年まで存続し、57年に学生として名古屋へ出てきた私は、アメリカ人の住居というものがどんなものかを見に行ったことがある。
高い金網に囲まれた広大な敷地に、緑の柱に白塗りの横板が張られた住宅が広い前庭をもって並んでいた。その前にはには、当時の各家庭ではまず見られなかったブランコや滑り台、などの極彩色の子供の遊具が備えられていた。
完全にお上りさんだった私は、金網に頬をくっつけるようにしてそれらを見つめていた。
すると、MPの腕章を巻いた兵士が、いつでも発射できるように銃を構えたまま塀沿いに巡回警備をしていて、見物人の私に、銃をグイッと動かして、「立ち去れ」という仕草をするのであった。
当時は、各基地の周辺で、日本人が射殺される事件もあったので、ほんとうに怖かった。
写真でご覧になるように、今やこの空間には巨木ともいえる大きな樹々が枝を伸ばしていて、返還以来の60年という歴史が、その過去をすっかり古層に沈めているかのようだ。しかし、それもいいだろう。戦前の強制立ち退きの歴史、防空公園、米軍の接収、それらを下層に埋めたまま、平和な空間であり続けることはきっといいことには違いない。
ただし、私は忘れられない。