六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「有朋自遠方来、不亦楽乎」で、動物園と植物園へ

2019-06-26 17:15:26 | 写真とおしゃべり
 もう、四分の一世紀にわたるお付き合いの三重県にお住まいのご夫妻と名古屋で落ち合い、東山動物園と植物園に同行させていただいた。
 やや蒸し蒸しする天候ではあったが、やはり戸外はいい。時折、風などが吹くと、それがほんのかすかでも、身体まわりの熱気を運び去ってくれるようで心地良い。

 この同行した方が、すでにいろいろ写真などを載せていらっしゃるので、それとあまり重複しないものを載せておきたい。ちょっと忙しいので、キャプションもあまり付けない。
 不親切、かつズボラな記事で申し訳ない。

        
     後ろのアオサギ(?)は動物園のキャストではなく外来のお客様

        
        
        
        動物園の突き当りの池 これより先が植物園

        
        
        
        
      花を見ながら散策 木陰の道は人通りも少なく涼しい

        
        
        
        
          白川郷から移築した古民家にて

        
        
        
        
        
        
        
 上はそれぞれ温室内にて 温室のメイン部分は改装中で、かつて見たジャングル様なインパクトがある空間に出会えなかったのは残念だった。
        
     半夏生の群落の下の野鳥、帰って調べたらセキレイの幼鳥のようだ

        
      帰路の動物園出入口付近の池で見かけたカルガモの赤ちゃん
        これも動物園の正式メンバーではないお客様
    かつて、この池は水鳥で溢れていたが鳥インフェル騒ぎで一掃された

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動物三態 @名古屋東山動物園にて

2019-06-25 16:28:55 | 日記
【其之壱】
 名古屋の夏ってどうしてこんなに蒸し蒸しと暑いんだろう。インドへ避暑にでも行きたいな。

        

【其之弐】
 アッカンべ〜をしている顔に見えるって? サイですか。ちっともシリませんでした。
 え?舌に見える赤いものはなにかって、ちょっと恥ずかしくて言えません、

           

【其之参】
 近頃のテレビって、実にくだらないことやってるなあ。もう観てられないや。寝ちまお〜っと。ごろん。

        
        

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水無月某日「みのかも健康の森」とその周辺

2019-06-22 11:34:42 | 写真とおしゃべり
 先般、美濃のアジサイ寺・三光寺の後に立ち寄ったのは、美濃加茂市の郊外の里山をひとつ、散策地にしてしまったような広域公園、「みのかも健康の森」だった。
 http://mkkenkounomori.sakura.ne.jp/index.htm

 ここは天然の起伏や、自然の水流を活かし、散策するにはいい場所だ。もちろん、人工の平地や、水流の最後を睡蓮の池にするなど、人の手が加えられているが、それらが周辺とマッチして自然の景観を大きく損ねることはない。

           
           
           
        
           


 いくつもの散策コースがあるが、水辺の好きな私は、その水流沿いのコースを歩いた。
 以下、そこで撮った写真をアトランダムに載せておく。本当はちゃんとしたキャプションをつけるべきだが、同人誌発行後の雑務や、読者からの感想などへの応答で多忙なので、載せっぱなしにする。

        
        
           
        
        
        
        
        
           


 なお、写真は「健康の森」主体だが、その行き帰りに撮ったものも混在している。最後の方は、美濃加茂市の木曽川河畔のものだ。

        
           
        
        
           

 あ、ひとつ特筆したいのは、「健康の森」の管理棟近くのレストランについてだ。こうした場所のそれは、冷凍の戻しやレトルトのものが多いのだが、ここは違う。メニューの数は多くはないが、ちゃんとしたものを、しかもリーゾナブルな価格で出している。公営だからだろうか。

 多忙にかこつけたずさんな記事で申し訳ない。ゴメン!

 
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山椒は小粒でピリリと辛いのを煮てみた。

2019-06-20 18:16:16 | よしなしごと
 農協の野菜売り場に、小さな袋に入った山椒の実が150円であったので、見境いなしに買ってしまった。小女子やチリメンとの佃煮のイメージは一応あったのだがもちろん未経験…。
 
 帰宅してネットで調べたら意外と手数がかかることが判明。
 まずは、葡萄の房状になている山椒の実を、ひとつずつとり外さねばならない。そんなことに根を詰められない性分なので、TVを観ながらの手探りのやっつけ仕事に。多少、茎の残っているものもあるが、これくらいはまあいいか。
 記事によっては、それから水に晒すとあるので、そのまま一昼夜たっぷりの水につけておく。

        
 翌日、それを指でつまむとつぶれるほどに湯がく。そしてそれをたっぷりの水に晒しておく。
 ここからがポイントなのだ。これ以後、どれほど水に晒すかによって山椒の辛さが違ってくるのだ、山椒の辛味が好きな人は、その段階でチリメンなどとの佃煮を作りはじめる。
 
 ただし、注意すべきは山椒の辛さは唐辛子のそれなどとは違って、味覚そのものを痺れさせてしまうことだ。たぶん「辛い」とは違うのだろうと思う。
 こんな話がある。
 山あいの小さな沢で、イワナがいそうだったら、山椒の葉っぱや実を布袋に入れ、石で叩き潰してそれを沢ですすぐと、近くにいるイワナがみんな麻痺をして浮かび上がってくる、それをすくい上げる漁法がある程なのだ。

        
 話を戻そう。湯がいた後、水に晒した山椒の辛さは、その経由に従い辛味が低減するという。辛さが苦手な人は数時間以上晒せとある。
 私は辛党だが、舌が痺れてほかの味覚が失われるのは困るので、結局、2時間ほど晒したもので調理をすることとする。
 ともに煮るのはかえしチリメン900g、山椒の粒は大さじ3杯ほど。
 
 煮汁は、出汁のほか、酒・味醂・醤油、1:1:1の黄金比。砂糖は好みに応じる。
 ただし、かえしチリメンにも下ごしらえが必要だ。チリメンにはその釜茹での過程で、かなりの量の塩が用いられている。それを多少とも取り除くため、熱湯を用意し、そこへぶち込んで、あとはザルに上げ、水分を切るのだ。
 鍋はフライパン、もしくは広口のものを使う。これには後述するように合理的なわけがある。
 まずは、煮立ったところへ山椒の実を入れる。しばらくしてそこへかえしチリメンを入れる。それをしばらく中火ぐらいで煮詰めるのだが、その折、箸などで撹拌するとチリメンが崩れる恐れがある。だから、フライパンや広口の鍋で、揺するようにしながら弱火で煮詰めてゆくのだ。煮汁がなくなる頃が仕上がりだ。

        
 出来た!想定よりやや薄味だが、それはそれでいい。山椒の辛味も、それを噛んだとき、やや痺れがくるが、それほど強烈ではなく、チリメンのいい引き立て役、ないしはアクセントになっている。なんたって、よほどの失敗でない限り、自分が作ったものは美味い(と決めている)。
 詳細は記さないが、並行して作った普通捨ててしまう蕗の葉を小刻みにした伽羅煮もうまく出来た。

        
 山椒の実入りのチリメンの佃煮、蕗の葉の伽羅煮、それに旬のカリモリの浅漬けなんぞがあったりしたら、酒二升でも飲めてしまう。困ったもんだ、
 
 
 
 
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各地に「あじさい寺」がありますが、美濃のそれです。

2019-06-18 01:32:24 | 花便り&花をめぐって
 日曜日、学区のクラブ活動の一環で、岐阜県山県市谷合の通称あじさい寺、三光寺を訪れた。
 山県市などといわれても私にはピンとこない。いわゆる合併機運の中でそうなってしまったのだが、私にとってここは、山県郡谷合村で、村を流れる武芸川上流でアマゴが棲むところなのだ。
 半世紀前、30代の頃、ここへの釣行を経験している。余り釣れなかったけど(汗)。
 
 植物の名前には疎いのだが、ここのアジサイは、ふっくらしたボリューム感のあるものがそのスペースを陣取るのとはいささか違う。色とりどりのヤマアジサイ主体で、それらが網羅されているといった感じだろうか。

 これはというものを写真に収めたが、ここんところやや多忙で、それを調べたりちゃんと整理はできていないが、重複も恐れず、撮ってきた写真を列挙する。

 驚いたのは、もう4半世紀のお付き合いの三重県在住の友人夫妻が、前日の土曜日にここを訪れていらっしゃって、すでにその日記に掲載されていることだった。したがって、共通の友人には二番煎じの感は免れ難いのだが、何ごとものろまな私には致し方ないこととご了解いただきたい。

        
        
        
           
                       
              
        
           
        
        
        
        
        
        
        
           
        
           
        
        
        
        
        
        
        
        
           
        
        



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クリニックの帰途の散歩と老いの繰り言

2019-06-13 01:34:17 | よしなしごと
 ほぼ二週間に一度、近所のクリニックへ行っている。なんにもなければ、血圧を測り、所定の処方箋(私の場合は降圧剤と睡眠薬)をもらうのみ。診察室にいる時間は数分以内。
 昨日もそうだった。
 「変わったことはありませんか」と、女医さん。
 「ありません」と、私。
 「この前、おっしゃっていた腰痛は?」
 「やや鎮静ですが、歳が歳ですから」
 「体重の減少は止まりましたか」
 「一応、55キロで安定しています」
 「それではお大事に」
 「ありがとうございました」
 で、近くの調剤薬局で処方箋通りの薬をもらって帰る。

           
           
      はかなげなミニトマトの花 その下にはもう実が覗いている
 
 ちなみに、昨日の血圧は、上が122で下が72。
 いつもは130&78ぐらいだからそれに比べればやや低い。
 でもいくぶん腑に落ちないことがある。
 というのは、昨日の朝は降圧剤を飲むのをつい忘れていたのだ。
 飲まなかった日のほうが低いなんてナンタルチア、サンタルチア。
 しかし、降圧剤は飲みだしたら中途でやめることは出来ないと聞いている。
 60代に脳梗塞に見舞われて以来の服用だから、今更やめるのもはばかられる。

        
        キュウリの赤ちゃん イガイガの自己主張が可愛い
 
 ついでながら、睡眠薬についてもそうだ。
 私がそれを服用するのは寝付きが悪いからではない。
 昼間、けっこう活動的だし、夕刻からはアルコール分も入るから寝付きはいいほうだ。
 私の睡眠障害は寝付きではなくて途中覚醒なのだ。
 就寝後何時間かで目が醒める。それからの寝付きがだめなのだ。
 寝よう寝ようと努力をするが、だいたいそんな努力が邪魔をして再び睡眠に戻ることが出来ない。悶々としているうちに世の中が動き出し、結局は、実質睡眠時間が3、4時間にとどまることもある。そうなると、翌日がボーッとしていてものにならない。

           
             新緑がとても鮮やかだった
 
 そのための、つまり熟睡するための睡眠剤なのだが、それも効かないことがある。そんな時は、夜中にウィスキーや焼酎をぐいっと煽ったりする。
 しかし、さいわい、ここしばらくはその障害も出ない。
 ということは、二つの薬ともに、よくわからないままに服用していることになる。
 もともと、薬は最小限にという私だが、しかし、調剤薬局で、何種類もの薬をもらっている同年輩の人たちに比べると、まあ、このくらいはいいかと納得している。

           
     珊瑚樹の花 秋になると花の数だけ赤い玉の実が だから珊瑚樹

 クリニックの帰り、朝からほとんど歩いていないことを思い、少し遠回りをして散歩と洒落込む。
 野菜の赤ちゃんや、樹々の美しさを見ながら歩いていたら、一天にわかにかき曇り、これはやばい、と急ぎ足で家路に。
 この付近では降らなかったが、少し離れたところで激しい降雨があったようだ。

        
 香港では、中国による締め付けと権力支配の強化に、若者たちが立ち上がり、当局の規制措置により負傷者も出ているようだ。
 1960年のわが国の今頃を思い出している。
 
 ひるがえって現在、やりたい放題の政権も怖いが、もはやそれを知ろうともせず、怒ることもしない世代の未来に忸怩たる思いがするのは、たんなる老いの干渉癖に過ぎないのだろうか。

 







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いまから少し前、梅雨入り前の情景(付:愚痴)

2019-06-12 01:04:47 | 日記
 わが街、岐阜にも梅雨がやってきた。
 梅が実る頃の雨の季節、「梅雨」とはよく言ったものだと毎年感心している。
 以下は、梅雨入り寸前に岐阜北部で撮ったもの。
 しばらくはこんな好天には恵まれないかもしれない。

          
 長良川球場の照明塔越しに観る金華山、山頂には岐阜城。

             
          
 屋上庭園風の個所。手入れが大変だろうと思う。

             
             
 その近くにある山法師の樹。ラグビーボールのように刈り込んである。
 この花が秋に赤い実に転じたらけっこう観ものだろう。

          
 この時期、どこでも南天は咲き誇っている。

 お前らの後半生の面倒なんてみきれないんだよ、自己責任でなんとかしろと国はいう。
 そんなこと言われたって、額面も、実勢的にも減少し続ける年金を補充するために、80歳の翁ができることなどなにもない。
 ただひたすら、出費を抑えることで防衛するしかない。
 
 アララ、風物詩のつもりがつい愚痴になってしまった。
 でも、老人の同士たち、参院選のあとには、もっとひどい状況が突きつけられそうな気配があるのですぞ。
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梅雨入りに梅酒を作り、前世紀の梅酒を発見する

2019-06-09 18:04:31 | よしなしごと
 私のうちには一鉢の紅梅がある。亡父譲りのものだが、その死後四半世紀になるから、おそらく樹齢は三〇年以上だろう。
 さしたる手入れもしていないのだが、「東風吹かば」で毎年律義に花をつける。以前は気づかなかったのだろうか、近年はちゃんと実をつける。

        
 今年はそれがちょうど一〇個になった。このまま朽ちさせるのも可愛そうなので、戯れに梅酒でも作ってみようという気になった。
 ネットで一通り作り方を見たのだが、たった一〇粒のために、わざわざ何かを買い求めたりすることはやめて、ありあわせのもので間に合わせることとした。

           
 氷砂糖がない。これとは著しく趣が異なるが、キザラならある。躊躇していたら、ネットにブランデーをベースにした梅酒が載っていたのを思い出した。これならもともと味が濃厚だからキザラでもと思ったが、ブランデーそのものがない。

        
 で、結論。手持ちの安物のウィスキーとキザラで作るということに。だんだん本道から外れ、まがい物になってゆくが、それはそれで楽しみではないか。失敗しても、風邪薬ぐらいにはなるだろう。

 というわけで出来たのがインスタントコーヒーのビンに入ったもの。梅にポツポツ傷があるのは、エキスを滲み出させるためにつけたもの。
 さて、出来たものの保存だが、冷暗所がいいとある。さして広くないわが家、冷暗所などというのは限られている。階段下の収納スペースの一角がなにもないままに空いている。
 
           
 その時、何かひらめくものがあった。そう、そこには確か、すでに梅酒があるはずなのだ。数年前、その収納部分を大整理したとき見かけ、もう少し待ってみようと改めてそこへ収めたのだった。
 作ったのは一九九〇年台の中頃で、当時はまだ飲食店をやっていて、カウンターに来た顧客から、氷砂糖をあえて使わず、単に梅を焼酎に漬けるだけで、辛口のリキュール風の飲み物になると聞き、作ってみたものだ。
 
           
 あった。経年のことで蒸発などの目減りが心配だったがそれもさほどない。ただし、フタを開けるのにかなり苦労した。
 香りをかぐ。梅独特の香りが一挙に鼻孔を襲う。小さじに掬って恐る恐る口にしてみる。いいではないか。当初の(といっても二〇年前のだが)イメージ通り、辛口で梅の香が強調された飲料になっている。これなら、ロックや水割りで食中酒にもなる。

        
 なんか思わぬ拾い物をした気分だ。これで、我流のウィスキーの梅酒ができれば万々歳だが、どうだろう。
 
 田舎に疎開していたガキの頃、毎年この時期はちり紙に包んだ塩を持って、梅の木の下で、青梅をガリガリ食っていたのを思い出した。
 梅に降る雨で「梅雨」とはよく言ったものだ。
 
 

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初夏の夕景@名古屋・伏見

2019-06-08 23:29:08 | 写真集
 片田舎に住んでいて、ときおり都会へ出ると、その風景が新鮮に見えたりする。
 写真はいずれも名古屋市中区伏見界隈の夕刻。
 最後のものは、ザ・コンサートホールがある名古屋電気文化会館の前庭のオブジェへの映り込み。ステンの表面への映り込みとリアルな風景とが、複雑にクロスして、そのカオスが面白い。

           
        
           
           
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映画・コンサート・小説を読みながらのイタリアン

2019-06-06 01:11:15 | よしなしごと
 久々に午後から名古屋へ。映画を観て夕方からコンサート。終わって岐阜へ着いたら10時。
 これから帰宅して夕食は面倒なので駅構内のサイゼリアへ。250ml の赤ワインのデキャンターと、キャベツのアンチョビ炒め、たらこスパを注文。


 多和田葉子の小説を読みながらの夕餉。会計は798円。懐の寂しいときにはありがたい。
 ちなみに、映画は『誰もがそれを知っている』。アスガー・ファルハディが監督と脚本を担当した誘拐事件ものだが、単なるサスペンスに終わらせず、家族や血縁に絡ませたところに深みが加わる。


 コンサートは3丁のチェロとピアノを加えた珍しい編成のもの。チェロは、L・カンタ、花咲薫、野村友紀(&pf 加藤麻里)。
 ほかの編成をチェロ用に編曲したものより、もともとチェロの奏者であったD・ポッパー(1843=1931)、J・クレンゲル(1859=1933)がチェロのために書いた曲のほうが断然よかった。


 多和田葉子の小説は『地球にちりばめられて』。全体的には彼女の問題領域、言語に関するものだが、個別的にはそれを駆使した言葉遊び、言葉の音(シニフィアン)が横滑りして多言語と混濁するような表現が随所にあって面白い。
 またいつともしれぬ近未来のSF的設定も面白い。ここではもう、日本国という国家は消滅し、その言語はまさに「地球にちりばめられて」散在しているに過ぎない。
 いろいろ、横断的に散策した一日であった。 
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