六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

誰がお嫁に行くんだろう?

2011-01-31 21:23:17 | よしなしごと
 今朝はまたまた銀世界。
 この前の30センチほどではない。
 午前中に止んだと思ったら、昼過ぎにまた降り出した。
 どうしても出さなければならない郵便物があったので、降りしきる雪の中、震えながらポストへ向かった。

      
 
 帰って読書などしていたら、突然、燦燦と陽が輝きだした。
 なんとまあ浮気な天候かと窓の外を眺めると、その輝く陽光のなかで雪が降りしきっている。
 それもはらはらぐらいはない。まさに降りしきっているのだ。
 それが陽光に煌めいてまるでダイアモンド・ダストのようであった。
 私の携帯でもキャッチできるほどだからかなりの降りであった。

 陽が射すなか、雨が降るのは狐のお嫁入りというが、雪が降りしきるのは誰がお嫁に行くのだろうと考えた。

      

 こんな日でもお嫁に行くひとがいるのだろうなぁとカレンダーを見たら「先負」とあった。「先んずれば即ち負ける」の意味らしい。
 まあ、そんなことはどうでもいいから、ダイアモンド・ダストのように輝く花嫁が、雪の降りしきるなか、輝く陽光に面を挙げて進むのをイメージしてみた。 
   

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デフレ・スパイラル共犯者と1,000万円の茶碗

2011-01-30 16:24:46 | インポート
 前回、半日の買い物が1,000円という私のデフレ・スパイラル共犯者ぶりを紹介したのだが、今日もまたそのしわん坊ぶりを紹介しよう。
 小雪のちらつくなか、いつものように農協へ野菜の買い出しに行った。
 雪のなか意外と品物が豊富なのでその旨おねえさんにいうと、「いやあ、明日からが心配で・・・」とのこと。
 ならばと以下のようなものを買い占めた。
 私にしては大盤ふるまいなのだが、諸賢姉諸賢兄のお見立てはいかがであろう。

     
 *赤蕪(4玉)100円 *白蕪小玉(葉付きで10個)70円 *大根(中)70円  
 *葉付き人参3本 100円*小松菜 100円 *大根葉(小大根付き)100円 
 *ねぎ10本 100円 *白菜(小)100円 *ブロッコリー1個80円 


 以上9点、合計820円である。
 やはりデフレ・スパイラルの共犯者といわれるであろうか。

 話は全く違うが、TVで「お宝鑑定団」(再放送)を途中から観た。
 中小企業の経営者で、この不況のなか3分の2の従業員をリストラして頑張っているという。
 「ほう大変だなぁ」と思ってみていたら、その鑑定対象は「古唐津」の「彫り唐津茶碗」で、1,000万円を投じて買った国宝級のものだとのこと。

            
       これはネットから TVで観たものとそっくりである

 で、鑑定結果はというと真っ赤な偽物で三万円。
 私は可愛そうになってしまった。この経営者ではなく、リストラされた従業員たちがである。
 1,000万円といえば中小や零細の企業では二人分以上の年間人件費に相当する。
 その金額ががらくたの購入に充てられたのをリストラされた従業員はどんな思いで観たことであろう。

 規模は全く違うが、飢える人々がいるなか、数千足の靴やきらびやかな装身具を蓄えていたどこかの国の元大統領夫人を思い出した。

 さて、私ことデフレ・スパイラル共犯者は、買ってきた野菜を前に、あれは漬け物、あれは酢漬け、そしてあれは揚げと煮付ける、それから、そうそうあれはペンネと合せると美味しそうだ、などといろいろ思案するのであった。
 古唐津の偽物を小鉢に見立ててそれに盛り付けるのも面白いかも知れない。
 

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私の半日 そのお買い物の怪など

2011-01-30 02:10:15 | インポート
 今日は図書館の返済日です。
 善良な市民である私はそれらを守ります。
 ただし出不精の私は、ただそのためにだけ外出するのはもったいないと前日から「ついで」のプランを用意していました。

 以下はその報告と、そこで出会った不思議なことがらです。

 まず図書館へ行きました。
 前回、欲張って七冊を借り、それぞれ専門書でノートを取ったりしていた関係で五冊半しか読めませんでした。
 カウンターでその旨を告げ、二冊を改めて借り継ぎたいと申し出たところ、そのうち一冊は予約が入っているからダメとのことでした。幸い半分読んだ方ではなかったのでそれを借り継ぎ、その他に五冊も借りてしまいました。また返済日に延長を申し出そうな気配です。

 図書館からの帰途にお酒のディスカウント店があります。
 そこでお酒を買いました。
 何を買ったかは内緒です。
 <ヒント>今それを飲みながらこれを書いています。
 これで分かるひとは霊能者でしょうね。
 ここでは、ポーランド産のオイルサーデンも買いました。

      

 続いて、百円ショップに立ち寄り、ノックペン二本ひと組と、梱包用のクラフトテープ、1メートルぐらいの幅の紙を買いました。しめて420円です。
 これだけあれば、人ひとりぐらい切り刻んで梱包できそうです。
 ご安心下さい。今のところあなたを切り刻む予定はありません。
 何に使うかは内緒です。

 ブック・オフへも行きました。
 手持ちの何十年も使っている古語辞典を更新しようとしたのです。
 もう、古文を辞書を頼りに読むことはありませんが、古典的な名歌や名句を解読できればと思ったのです。

 買ったのは写真のものです。使われた形跡のない新本同然です。
 定価は2,500円ですが、価格のラベルは105円とあります。
 それをレジへ持っていって、「これって本当に105円ですか?」と確かめました。
 レジの若い女性はマニュアル通りの笑顔を満面に「ハイ間違いございません」と答えてくれました。

      
 
 なぜ私がそんな回りくどいことをしたかというと、この本の一つ上の段に、全く同じものがあり、その程度も全く変わらないにもかかわらず(版もともに第二版)それには1,050円の価格がついていたからです。
 ブック・オフは 時々覗きますが、実に面白いですね。
 昔の古本屋さんの目利きがマニュアルに取って代わられた現象でしょうか。
 
 その後、銀行のATMにいって来月の生活費を引き落としました。
 いくら引き落としたかは内緒です。
 預金残高が少なくなって心細い思いをしたことだけ申し上げます。

 その後、売り出しをやっているエイデンで、コピー用紙A4500枚、240円をふたつ買って帰りました。

 一時半ぐらいに出かけたのに、もうすっかり日が傾いていました。
 よく計算してみたら、お酒とオイルサーデンに以外の私の買い物はわず1,000円ほどでした。
 私のような人間がいる限り、デフレ・スパイラルは続くのではないかと、申し訳なく思っています。
 
 

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「棗(なつめ)がみのる村」から来たひとと逢う

2011-01-28 04:18:33 | よしなしごと
 「棗(なつめ)がみのる村」から来た友人に逢いました。
 その村は日本ではありません
 中国は山西省、臨県という地方の南部に位置する村、黄河の近くのいわゆる黄土高原の村からやってきたのです。

     
 
 やってきたといっても彼女はもともと日本人で、私とは30年来の知り合いなのですが、ここ数年以上、その棗がみのる村に居住し、日中戦争の経験を持つ老人たちから聴き取りを行い、それを記録にまとめるいわば国際的なオーラル・ヒストリーの取りまとめをしているのです。

 なぜそんなことになったかというと、この地方こそ、日中戦争時の「三光作戦」(奪い尽くせ、焼き尽くせ、殺し尽くせ)の対象になった土地だったからです。

 しかし、彼女がそこへ足を踏み入れたのは全くの偶然でした。当時北京に住んでいた彼女は、観光旅行のつもりで延安に出かけたおり、バスの故障か何かでその地に降り立ったのでした。
 その地は、三光作戦の残響もあって、何と戦後60年近くを経ていながら、日本人は全く近寄らず、彼女はその地に足を踏み入れた最初の日本人となったのです。

 村人たちにとって、日本人は「鬼」でしたから、彼女への抵抗はむろんありました。しかし、彼女はそれを逆手にとって、なんとその村に住みついてしまったのです。そしてはじめた活動が上に述べた老人たちへの聞き取り調査です。

 今回彼女が日本に一時帰国したのは、これまでの聞き取り調査の結果をまとめ出版するためでした。それらは戦争を経験した老人たちの話をそのままテープで起こし、中国語で出版されます。それによりこの資料は彼女の主観を交えたものではなく、まさに史料として国際的に認可されるでしょう。

 実は彼女、一昨年に日本語でも中間報告のような書を出しています。
 「記憶にであう―中国黄土高原 紅棗がみのる村から」(大野のり子・未来社・1,575円)がそれです。

     

 そんな彼女と翌日中国へ帰るという夜に逢い、旧交を温めました。
 おでんと日本酒で語らいました。
 私は彼女の過去の事象の聴き取りを大いに評価しながら、さらに今日的に彼女は面白いところにいると思っています。
 それは中国が異常なほどの後期産業社会としての発展を遂げながら、一方、彼女の住む「棗がみのる村」は典型的な農業文明に留まっていて、その格差が著しいという事実です。しかし、村人たちは出稼ぎなどで以前より暮らしは良くなったということです。

 ところがです、彼らの住居はヤオトンといって今なお横穴式住居で、それらに落盤などの危険性があり、やがて北京郊外などに移住が予定されているようなのです。
 こうして村人たちは半ば自給自足の生活様式から貨幣経済のまっただ中に投げ出されるのです。

     

 そうした場合、彼らがその生活様式の変化に対応しきれるかが大いに心配なのですが、同時に、彼らが守ってきた伝統的な儀式や生活文化がどうなるかが大いに心配です。
 幸い彼女は、老人の戦争体験を聴き取るかたわら、村の伝統儀式(結婚式や葬儀、農作業のありよう)の映像などの記録をたくさんもっています。
 それ自身、やがて中国から失われてゆく貴重な記録になるのではという思いがあるのです。

 彼女による過去の記録の整理が一段落したら 、今度は大きく変動する中国の山村で失われてゆくであろうそうした記録の公表を期待するものです。
 そんなことなど語り合う内に、時間がどんどん過ぎてしまいました。

     

 今朝ほど、彼女が住んでいる山西省の省都、太原まで着いたが、雪のためまだ村へは行き着けていない旨、コメントがありました。

 写真は彼女に貰った二年物の乾燥したなつめの実です。
 日本でも棗はかつて童謡に歌われるほど*でしたが、最近は余り聴きません。
 確か子どもの頃ナマの実を食べた覚えがあるのですが余り思い出せません。

     

 彼女から貰ったそれを、毎日一つづつ、焼酎などと一緒にかじっています。
 ほのかな甘みが口腔に広がり、黄土高原を味わっている感じになります。


棗が出てくる童謡


あの子はたあれ (昭和13 ) 作詞:細川雄太朗 作曲:海沼実?

1、あの子はたあれ だれでしょね なんなんなつめの 花の下?  
  お人形さんと 遊んでる かわいい美代ちゃんじゃ ないでしょか?
2、あの子はたあれ だれでしょね こんこん小やぶの 細道を?  
  竹馬ごっこで 遊んでる 隣の健ちゃんじゃ ないでしょか?
3、あの子はたあれ だれでしょね とんとん峠の 坂道を?  
  ひとりでてくてく 歩いてる お寺の小僧さんじゃ ないでしょか?
4、あの子はたあれ だれでしょね  お窓にうつった 影法師?  
  お外はいつか 日がくれて お空にお月さんの 笑い顔


 註1 よく「あの子はだあれ」と歌われますが原詩は「たあれ」です。
 註2 棗の花は写真で示すように比較的地味な花です(これはネットから)。?
       (ついでながらこの昭和13年は私が生まれた年です)
 

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予告!

2011-01-27 05:31:19 | よしなしごと
 愛機が退院してきます。
 またダラダラとした記事が書けそうです。
 この間、三年ほど前まで使っていたPCを引っ張り出して必要な作業をしていましたが、その間、OSやソフトのグレードアップやバージョンアップをしていなかったので全く使い物にならず、大変な苦労をしています。

 この間の情報機器の飛躍的な進歩に舌を巻くと同時に、私自身がもはやそれらに完全に捉えられ、もう後戻りできない地点にいることを知らされた数日でした。

 技術革新の怖さは、それらがいつのまにか私たちの身体の延長になっていて、それなくしてはいられない状況が出来てしまっていることですね。
 私たちは、もう10年前はおろか、2、3年前にも戻れないのです。

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しばらくブログが書けません。

2011-01-24 23:22:09 | よしなしごと
     
 
 しばらくブログが書けません。
 入院してしまったのです。
 退院してくるまではとても無理です。

 いいえ、私が入院したのではありません。
 私のPCのことです。
 
 今これは、以前使っていたPCを騙し騙し使って書いています。
 もともとメモリーが少なく、しかも使わなくなって以来、OSやソフトのグレードアップやバージョンアップをまったくしてこなかったため、使い物にならないのです。

 すぐフリーズしたり、ダメが出たりで、スムースに使うことができません。
 これだけ書くのにも大した手間(従来の数倍以上)です。
 今日一日かかって、仕事に必要な最小限の機能を確認したところです。

 そんなわけで、愛機が退院してくるまで日記は無理なようです。
 病名は外部的損傷(ヒンジ部分の破損)で、シリアルナンバーからその時期の製造段階での問題によると診断され、入院費用(約6万円)は無償です。

 いただいたコメントへのお返事や、人様のブログへのイチャモンぐらいは書けますが、今までのような自分のブログは当分書けません。
 え?ウザイものを見ないで済んでよかった?
 あ、そう。

 多分、今月中には退院できると思うのですが・・・。




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枇杷の花、そして全く関係がありませんが似たもの同士

2011-01-20 23:13:39 | よしなしごと
 当地では珍しく-5℃を記録する寒さの中、またその枝に先頃降った際の残雪を留めている樹で、枇杷が花を付けました。
 この前からつぼみが膨らんではいたのですがちらちらっと咲き始めたのです。

 目立たない地味な花ですが、房状になった花の一つ一つは桜や梅に似ています。
 けっこう花房を付けていますから、今年も沢山実を付けることでしょう。

     


 話は全く変わりますが、今朝の新聞で見た週刊誌の広告についてです。
 私は週刊誌を読む習慣(ここんとこ洒落ではありません)はないのですが、その広告は電車の宙吊りなども含めてよく見ます。結構面白いですね。
 ところでここに並んで載っている「週刊文春」と「週刊新潮」の二誌の構成、同じ人が編集長ではないかと思うくらい驚くほど似ていますね。
 右のトップ部分は民主党とその内閣の批判記事、そして左の特集部分は東宮ネタと全くうり二つです。

     

 あんまり似すぎると両誌の特徴がなくなってしまうのではないかと心配するのですが、もちろん余計なお世話でしょうね。

 読んではいないのでこの両紙の内容については言及しませんが、これらとの比較において、一般の新聞の政治面での論調がほぼ同じであることが気にかかります。
 かつては一般紙はそれなりの矜持があり、特に政治面については世論誘導的な記事は慎重に避けていたのですが、昨今はここに載せた両週刊誌と余り変わらないようです。
 
 ようするに、一般紙は比較的淡泊で、週刊誌の方は一般紙が書かないレベルまで言及するという棲み分けがあったようなのですが、どうもそのボーダーが怪しくなっているように思うのです。

 報道というのはいろいろ多様性があることが望ましいと思います。
 一般紙はその社なりの一つの筋に従って冷静に書くべきでしょうし、週刊誌はさらにえぐい記事をものにして一般紙を出し抜く、そうした棲み分けや多様性がないと単一の世論形成にお互いに寄与しているようで、面白くはないし、また恐い点もあるように思います。


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「トイレの神様」の話ではありません・・・落書きについてです。

2011-01-19 16:13:28 | インポート
 かつては公衆のトイレに入った場合によく落書きを見かけたものでした。
 駅でも学校でも、公園などでもそうでした。

 場所がらか、男性器や女性器をデフォルメしたものや、時としては、実に写実的なものや解剖学的なものもあり、うぶな私にはちょっとした性教育にもなったりしました。 

               

 また、相合い傘マークに実在の男女の名前が記されていて、「そうか、あいつとあいつはそんな仲なのか」と思わぬ情報源となったりもしました。もちろん、ガセネタも多かったのですが。    
 
 「右を見よ・・・左を見よ・・・上を見よ・・・」などとあり、それに従って行くと「トイレの中できょろきょろするな」というおきまりのものもあり、一度引っかかるともう二度とは見ない様にしたものでした。

               

 「ああ、ついにはカミにも見放された!今日からはこの手でウンをつかもう!」という詠嘆調のものもあるかと思えば、「揉んで使えぬアルミ箔、揉めば使える段ボール」というありがたい教訓もありました。
 後者については、ロールの紙がなくなっていて段ボールの芯だけ残っていたのを分解し、ていねいに揉んで使用したという体験談も聞いたことがあります。

               
 
 しかしです、最近はそうした落書きを見たことがありません。
 一つにはトイレ自身の壁面が昔のように漆喰や板張りではなくほとんどタイル張りになったため、手持ちの筆記用具では簡単に落書きができなくなったことにもよるでしょう。
 さらにいえば、かつてよりもトイレの管理や清掃が行き届き、たとえ書かれてもすぐ消されてしまう運命にあるのかも知れません。

               

 公衆道徳の徹底によるのかも知れませんが、それにしてもトイレは番外地ですから、どうもそればかりではないでしょうね。
 むしろ、書き手の側にそれだけの余裕がなくなったのかも知れません。

 かつてトイレは「哲学する場所」といわれたり、中間子の存在を予告して日本人初のノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士は、その理論をトイレの中で思い付いたといわれたりもしました。
 しかし今、人々はもはやトイレで哲学をすることもなく、ただただ排泄のための機能的な場としているとしたら、少し淋しい想いもしますね。

               

 どこかで、ネット上の2チャンネルがかつてのトイレの落書きに相当するというのを読んだことがありますが、トイレの話だけにそれもまた一つのウンチクだとは思いました。
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雪です。さて、私はどこを歩いたらいいのでしょう?

2011-01-17 15:49:08 | 写真とおしゃべり
 雪が降りました。
 岐阜気象台の発表では、私の棲息地域は25センチの積雪だそうですが、まだまだ降り続いていますので(17日午後3時現在)、30センチぐらいにはなる様な気配です。
 もっとも、雪国の方からいわせればなんだそれぐらいといわれそうですが、日頃の備えがないものですから移動などもままならず、今日、私がでるはずの集まりも中止となりました。

     
      部屋の窓から・1        部屋の窓から・2
 
 最近の天気予報は当たるようになったといわれていますが、ここ二、三日に関しては外れです。
 15日が厳しく雪も降るというのでフル装備で外出したのですが何ともありませんでした。
 16日からは回復し17日にはピーカンだといわれたのに、その16日から17日にどかんと降り、なお降り続いています。

     
       近くの駐車場     枝が枝が、いいえ五月さんではありません

 予報の誤りというより、自然現象はまだまだひとの予測を裏切るものなのだということに関心を持ちます。どんな精度の高い予報も、自然のすべてを網羅できない以上、それをこえた現象が常に起こるということでしょう。

 ところで、雪の害といえば先に見た公の交通への影響もさることながら、私個人への影響としては、家を出て移動することに極端な危険が伴うということがあります。
 車は、以前毎日乗っていた折はチェーンを積んでいたのですが、車種を変えて以降は積んでいません。前のものは捨てずに持っていますが、車が小型化したため合わないでしょう。

 次いで自転車ですが、これも道ばたに雪があったり、自動車道を離れると全面冠雪であったりしてままなりません。

     
     さて、どこを歩けば・・・ 左の白い部分が通常の歩行ゾーン

 それでは歩行ということですが、私の家の前はバス通りなのですが歩道がありません。
 車の轍の部分が解けているのみで、むしろそれで押しのけられた雪が路肩に積もります。
 むろん雪国と違い、公の除雪などというものはありません。

     
        かなりの危険覚悟で歩かねばなりませんね
 
 ですから、実に危険な目に逢いながら歩行しなければなりません。
 車の轍を歩くのですが、車がやってくると路肩の雪の中へ避難します。
 かくして靴も靴下も濡れることとなります。
 
 買い物にも行けません。
 あり合わせの余り物を食べて生活しています。
 「岐阜市郊外で老人餓死」とニュースにあったらそれは私です。
 あ、まだこの前漬けた赤蕪もあったし、大根のぬか漬けもある筈です。
 これで2、3日は生きていられそうです。
 

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腰痛のモルバランが掟の門を通りすぎる

2011-01-14 23:38:36 | ポエムのようなもの
 昨年末来の腰痛が一進一退するなか、
  こんな戯れ歌を作ってみました。

   
   モルバランは旅に出た
   黒い森を抜け
   滲むような泉の湿地を除け
   半透明な街を進んだ

   そのときモルバランは
   老人であり 少年であり
   少女ですらあった
   母の子でありその父であった

    

   だからすべてがモルバランの
   体内に宿ったのだが
   それらが重すぎたので
   モルバランの腰は激しく痛んだ

   腰の痛みは旅の友と
   モルバランはひるまず進む
 
   老人はあえぎ
   少年は飛躍し
   少女は戸惑いながら
   進む 進む 進む

    

   カフカの門が現れた
   モルバランは知っていた
   この門の不条理を
   だからひとまず立ち止まった

   彼の中の少年が
   立ち塞がる門番をなじった
   門番の冷笑は少年を
   しこたま傷つけた

   彼の中の少女は
   美しい詩を門番に捧げた
   門番はそれを懐中に収めたが
   それだけだった

    

   モルバランが近づいた
   この門を通って通らないのと
   通らなくて通るのと
   どちらがいいのかと尋ねた

   門番は動揺した
   上司に指示を仰ぐといい
   ダイアルのない黒い電話で
   交換手にそれを告げた

   モルバランは構わず進む
   門はあくまでも厚かったが
   するりと通り抜けることが出来た
   それはモルバランのための門だったから

    
 
   掟の門のはずなのに
   掟などは見あたらなかった
   掟はどこかに置かれる様なものではなく 
   だから新しい旅立ちだけがあった
 
   モルバランは今日も旅する
   少年と少女と老人と
   そして腰痛を連れて
   メルリッチェルの待つあの草原まで
 

 

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