六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

景観の移ろい・・・・ついに田んぼが見えなくなった!

2023-10-27 16:29:55 | 写真とおしゃべり
 私がここへ住まうようになってから60年近くになる。わが家の前の道路は、岐阜駅から続く道にも関わらず未舗装で、路線バスとさほど多くない車が砂埃を上げて走っていた。その四方はすべて田んぼであった。近くの空き地の草むらからは、雛鳥を連れた雉の行列もしばしば見られた。ようするに、完全な田園地帯であった。

 やがて道路は舗装され、ぽつりぽつりと建物が増えはじめ、都市郊外特有の田園地帯とその市街地化せめぎ合いが始まった。そのせめぎあいは、この国の経済状況を反映しながら、その速度を早めたり遅めたりしていたが、ここ10年ぐらい前からの急速な市街地化で今や完全に決着が着いたかのようである。

 その指標としてわが家からの田んぼの目視率とでもいうものが挙げられる。当初は、一階のどの方向の窓を開けてもそこには田んぼがあった。そのうちに、一階からでは視野が狭くなり、二階からでないと見えなくなった。
 私の二階からの田んぼウオッチングは何年かにわたって続き、そこから田植えや稲刈りなどの模様を写真に収めたりした。

 しかし、10年近く前からそれも怪しくなり、今年に至ってついにまったく田んぼがその視野から消されてしまった。
 それらの経緯を、かつての写真と現在とを比較しながら観てみよう。

        
        
        

 最初の三枚の写真であるが、稲が青々と波打っているのは2011年9月の風の強い日のものである。
 稲刈りのものは2013年10月、そして子供神輿は翌14年の4月である。

        

 次の白っぽい家がどんと立ちはだかっているのは現在のものである。その向こうの田は、見えなくなっただけではなくもはやなく、広い駐車場をもったコンビニと化している。

        
            

 次に、ポーズを取ってくれている女の子たちのものは2012年の10月のもので、この女の子たち、もう立派な娘さんになっていることだろう。
 この同じアングルからではないが、この子たちの背後の田んぼには、いま、まさにその下のようなアパートが出来上がりつつある。

        
        

 その下の小型のコンバインでの稲刈りは2013年の10月のものであるが、ここな刈り取った稲を稲架掛けをして自然乾燥させていたが、もはやその田はない。
 そしてその田の上には、ドラッグストア-がでんと建っている。

        
        
            
        

 次の3枚はほぼ同じアングルを遠近を変えて撮ったものだが、いまそこを撮ると、その下のようになる。
 ようするに、すぐ手前の田も、道路の向こう側の田も、すべてなくなってしまったということである。

        

 最後はいま、わが家の対面で建設が始まった建物で、長年空地になっていたがもちろん以前は田んぼであった。建つのは小児科医院とのこと。生まれ変わってここの小児科にかかろうかな。

 

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告知が早すぎる?(笑) ボケ老人の嘆き

2023-10-24 01:52:32 | よしなしごと
 
 同人誌の畏友・津田正夫氏参加の水彩画展の告知が10日に発せられ、11日から25日までという。これはぜひ観なければと23日、会場に足を運んだ。
 過去、3,4度観てるので会場も熟知。いざと勇んで到着。オープンな会場なので入口付近から見渡せる。今年はF6以下の小さな作品ばかりだなぁと言うのが感想。

       

 近づいてみて驚いた。え?え?え?水彩画のはずがみんな写真。医療や介護現場のせいぜいA5版ぐらいの写真。これは違う!

 驚いて事務所のようなところで尋ねる。「あのう、水彩画展はもう終わったのですか?」「はあ~?」と今度はその女性が驚く。「いや、11日から25日までやってるはずですが・・・・」と粘る私。

       

 それを聞いていたのかやや年配の女性がでてきてとりなす。「ちょっとお待ち下さい。スケジュール表を確認しますから・・・・」と。
 しばらくしてその女性、「あ、たしかに11日から25日の水彩画展入っています。ただし、これは来月、11月です。

 ガ~ン!何タルチア、惨タルチア!。私はわざわざ、自分がボケ老人であることをあまねく知らすべく、ここへとやってきたのだった。
 「お、お騒がせしました」としょんぼり立ち去る私の背を、憐憫の眼差しが追うのであった。
 
写真は、まったく違う展示で埋められた会場。
 
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私の《秋麺》物語

2023-10-21 00:44:00 | フォトエッセイ
 基本、在宅一人飯の私にとって、昼食は麺になることが多い。
 そこで、最近の「秋麺」から。

1)志乃多蕎麦   
 備考:恋しくば訪ねきてみよ和泉なる志乃多(信太)の森のうらみ葛の葉
        

2)笊蕎麦 ネギ・ミョウガの薬味どっさり 蕎麦湯付
        

3)志乃多うどん
        

4)残り物パスタ ワカメ汁付
        

5)キノコうどん シイタケ・シメジ・マイタケ
        

6)山かけ蕎麦 薬味 青ネギ・ミョウガ 隠し味 すりゴマ
        
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テロルって本当に悪いことなの? では、どうしたら?

2023-10-19 14:11:23 | 社会評論

 歴史上の出来事のなかには、その折の、指導者格にあり、元々リーダーシップをとりうる人たちではなく、思わぬ人の思わぬ行為が世の中に広い影響を及ぼした例がたびたびある。

 50年代末から岸→安倍と三代、六〇年間にわたり自民党の中枢に深く入り込み、それを支えながら、一方では人の弱みに付け込み悪徳の限りを尽くして金を集めていた旧統一教会が、今やその宗教法人としての資格を剥奪されようとしている。同時に、自民党は過去においてのこの統一教会との関わりを必死になってもみ消し、なかったことにしようとしている。
 しかし、この事態、昨年の夏以前に予測し得た人はいたろうか?そんな人はいなかった。ではどうして?・・・・これには多くの人が答えうるであろう。そうなのだ、かの山上徹也被告の安倍元首相の銃撃事件がなければ旧統一教会の悪質な犯罪行為も、それと結託した自民党中枢部との醜い関係もほとんど闇のなかにとどまり続けた可能性が大なのだ。

       

 山上被告の行為は明らかにテロルである。そして人々は言う、「テロルはよくない。ましてや人様を殺傷するなんて」と。しかし、そうした一般論にも関わらず、一方には、山上被告への非難や告発がさほどなく、少なからずの人が彼に同情的であり、なかにはあからさまに彼を支持し、罪状軽減運動すら起こっているという事実がある。なぜなんだろうか。

 日本は民主主義国家だといわれる。しかしその内実ははたしてどうであろうか。基本的人権などは入管の収容施設ではまったく無視されているし、不正規労働者の末端での生存権も怪しい限りだ。三権分位も絵に描いた餅で、行政はもちろん、司法も立法もマジョリティの意のままだ。地方分権?沖縄の民意はすべて本土の権力によって無視され踏みにじられっぱなしだ。ようするに、「民主主義のルール」とやらでものごとは解決していないばかりか形骸化した多数決のみのマジョリティによる独裁を許しているのが実情ではないのか。

       

 山上被告に、なにもテロルに頼らなくとも諭すことはカンタンだ。だがもし、彼が司法に訴える手段をとっていたら、今頃はまだどこかの地裁でノロノロ審理が続いているか、旧統一教会と自民党が結託して形成された「優秀な」弁護団によって論駁され、審理不要として裁判所の門前で追っ払われていたことだろう。
 そして旧統一教会は、安倍の政策を継承するという岸田のもとで、やはり自民中枢との結託を継続し、悩み多い善男善女からあることないことを理由にして大金を巻き上げていただろう。

 これは私のこじつけではあるまい。あの事件がなかったら、実際にいまのようにはなっていなかったことはもっとも可能性のある事実なのだ。これらの観察から、旧統一教会をここまで追い詰め、自民党を慌てさせたのは山上被告のテロルのせいであったと断言できるのではないだろうか。

 もう一度問うてみる。「テロルって本当に悪いことなの?」と。それは現状のシステムのなかで虐げられながらも、それに抗して「民主主義的」手段では救済されない人たちの最後の手段ではあるまいか。なおかつ、「テロルは悪い」という人たちは、山上氏に「ではどうすべきだったのか」を語る必要があるのではないだろうか。民主的手段によって?それはどんな手段?実際に効果はあるの?彼は救われるの?旧統一教会と自民党中枢は正当に裁かれたの?

       

 似たようなことがいま、パレスチナで起こってる。今回の事態に限れば、先に攻撃を仕掛けたのはガザ地域の中のハマスという勢力だ。それはテロ攻撃として非難されている。しかし、パレスチナの状況を、そしてガザという塀に囲まれた強制収容地域が歴史的に形成されてきた経緯を知る者にとっては、今回の襲撃は起こるべくして起こったイスラエルによる抑圧と収奪の歴史への反撃として十分理解できるものなのである。

 欧米世界は、2000年にわたるユダヤ人差別と抑圧の歴史、そのピークとしてのナチスによるホロコーストの事実を受けて、ユダヤ人にその国家を与えることにした。しかし、狡猾な欧米は、それを自らの身を削ることによってではなく、なんとイギリスの植民地であったパレスチナの地を与えたのであった。
 自分たちの土地を一方的に奪われたパレスチナの人たちやアラブの人たちは当然それに反抗する。それを欧米の軍事支援によって抑圧し続けたイスラエルは、与えられた自分たちの領土をさらにこえてパレスチナ人の土地を奪い続け、その抑圧を強化してきた。

       

 これらの事実は、20世紀中頃の世界では常識であり、周知の事柄であった。しかし、それらが既成事実化し、その経緯が忘れ去られている現在、ハマスの攻撃をもって世界の人々はガザの集団収容所的、非人道的な地区へのイスラエルの支配を今更のごとく思い起こしつつある。
 この衝突は、何らかの形で収拾されるかもしれない。しかしそれは、パレスチナの人々の、ガザ地域の人々の、イスラエルの軍事支配を脱した自由な地位の回復でもって収拾されねばならない。
 ハマスが先制攻撃を行ったのは事実である。しかし、それによって久しく忘れられていたパレスチナでの非道なありようが国際的にあからさまになったのも事実である。

 山上氏の行動とハマスのそれは、それ以外の手段でもっては、世論や国際情勢が見向きもしなかった事柄を表面化したことにおいて共通点をもっている。それらを「テロルは悪い」と切って捨てることは簡単である。しかしそれは、それ以外にものいう手段を持たない弱者、マイノリティの声を改めて抑圧することであり、抑圧し続けるマジョリティを支えることになりはしないだろうか?

 以上はテロルを勧めるためのものではない。しかし、それをもってしか自分たちの被抑圧者としての声を発することができない人たちが存在することを理解すべきだし、それがいけないとするならば、ではどうすべきかという実効的な手段を「彼らの立場に立って」思考すべきではないだろうか。

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マジョリティが恐怖する時 映画『福田村事件』を観る

2023-10-15 02:29:21 | 映画評論

 森達也監督によるはじめての劇映画である。これまで、彼の作ったドキュメンタリーは2,3本観ていて、対象に真摯に向き合う監督であるとは思っていた。その監督の初めての劇映画ということで、やや上から目線の言い方になるが、お手並み拝見という意識もあった。さらに私には、ここは外さないで観ようという点が若干あった。

 映画が描いているのは、100年前の関東大震災の際、6000人に及ぶ朝鮮人虐殺に関し、朝鮮人と「間違われて」千葉県福田村で殺された香川県からの行商人老若男女9人(胎児を入れると10人)の経緯を描いている。
 私の関心は、この映画がそれをどのレベルまできちんと描いているかにあった。
            

 どういうことかというと、この朝鮮人虐殺事件は、通説では無責任な流言飛語によって(今日流にいえばフェイクニュースによって)広汎な付和雷同を生み出し、それが惨劇に繋がったということになっている。このレベルでさえ認めない小池百合子(惨劇は自然災害の一端であり改めて弔う必要はないとする)などを考えると、ひとまずそのレベルでの了解は妥当かもしれない。

        

 しかし、このレベルで終わらせてしまうと、流言飛語を飛ばし、それに惑わされた無知蒙昧の人々の責任に事態は決着してしまう。だが、本当にそうであろうか。私はこうした疑問をすでに自分のブログなどに書いてきた。
 なにがいいたいかというと、事実とは異なる流言飛語が生産され、流通する基盤が、他ならぬ国家権力とそれに追随するメディアによってすでに張り巡らされていたということである。

 震災に遡ること13年、1910年に日本がその軍事力をもって朝鮮を併合し、植民地とした。しかも、その言語や宗教、あるいは姓名をも奪うような内鮮一体を図りつつあった。もとよりそれは朝鮮の民衆にとって屈辱的であり、それに抗して解放独立への機運が高まってゆく。

        
 
 そして、1919年(震災の4年前)3月1日、朝鮮の宗教界(天道教、キリスト教、仏教)をリーダーとする独立運動が起こり、それは瞬く間に朝鮮全土に広がった。その中には一部、暴徒化するものもあったが、それに対する日本側からの警官、憲兵、軍隊による鎮圧行動は凄まじかった。一説によれば、朝鮮側の被害は、死者7,509名、負傷者1万5,849名、逮捕者4万6,303名、焼かれた家屋715戸、焼かれた教会47、焼かれた学校2に上るともいわれる。

        

 ところで、これに対する日本の国家権力の公式見解はどうであったかというと、独立解放の背景などには一顧だにすることなく、「不逞鮮人の不埒で無法な暴動」で片付けてしまい、当時のほぼ唯一のメディア(ラジオ放送は25年から)新聞もそれを垂れ流すに終始した。その結果、朝鮮人=不逞鮮人=無法な暴行殺戮の実行者というイメージが当時の日本人には予め刷り込まれていたのであった。

 なにがいいたいかというと、朝鮮人虐殺の要因は無知で無責任な連中の流言飛語とするのは事実ではない。そればかりか、日本の国家中枢が、震災後の非常時に不逞鮮人の(日常的な被抑圧に対する)報復的な行動がありはしないかと警戒した事実が報告されている。
 したがって、朝鮮人虐殺は、実際には日本の国家権力が直接的、間接的に主導したともいえるのである。

        
 
 日常の平穏時、マジョリティ(多数派)はマイノリティ(少数派)の力による抑圧の上に自分たちの体制が築かれていることに無自覚のまま、その平穏をむさぼることができる。
 しかし、一旦(大震災のような)コトがあると、その平穏はゆらぎ、自分たちが踏みつけてきたマイノリティによる報復があるのではという猜疑心のなかに立たされる。

        

 それが大震災時の「報復への反撃」として実行されたのが、自分たちがそれを抑圧することによって平穏を得ていた代表格としてのマイノリティ=朝鮮人であり、さらには、それと間違われたとされる香川県から来た行商人=部落民であり、東京亀戸署で殺された社会主義者10名であり、憲兵特高課で殺された大杉栄、伊藤野枝、甥で6歳の橘宗一少年であった。殺されはしなかったが、それらマイノリティの一員として、この映画は、当時の癩病患者(ハンセン病患者)の巡礼も登場させている。

        
 
 また、これも殺されはしなかったが、村長やその同級生で3.1運動での朝鮮人虐殺を目撃し、不能になり、教師も辞めて帰郷した男をともに大正デモクラシーの末裔としてマイノリティの地位へと格下げされる様子が描かれている。

 もちろん、このマジョリティ・マイノリティの関係はさほど単純ではない。本来、マイノリティである部落民が、朝鮮人に対する強烈な差別意識をもってることもこの映画は描いている。
 そんななか、朝鮮人かどうかを疑われ、それによって生死が分かれる境地にある部落民のリーダーが、「じゃ、朝鮮人だったら殺されてもいいのか!」と叫ぶシーンが強烈であった。

 結果的にいうならば、以上みたように、森監督はそれらの事象を描ききっていたように思う。
 
        
 
 さて、今日の私たちはどうであろうか。流言飛語やフェイクニュースから自由であろうか。日常的にはマジョリティに逆らうことなく生きたほうが暮らしやすいかもしれない。しかし、それ自体が実はマイノリティを抑圧する側にブレているのではないだろうか。例えば私たちは、辺野古に基地はいらないと何度も民意で示している沖縄の人たちを見殺しにしてはいないだろうか。

        

 私は、映画評論というのは苦手で、その映画が描いているものについてしか語ることは出来ない。しかし、森達也監督は、「福田村」で起こった事件について、過不足なく、その要因を描いているように思った。


なおこの映画には、私の40年近い友人、浪花の歌う巨人・バギやんこと趙博氏が出演している。在日である彼が、それを襲う日本陸軍の軍人で出ているのは皮肉だが、彼のこの映画の主旨への共感からの出演として、もちろんそれは納得できる。
 
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パレスチナを支持します!そして、イスラエル支持の西欧諸国に抗議します!

2023-10-11 01:34:00 | 社会評論
 歴史的にみて、パレスチナを一方的に侵略し、抑圧し、パレスチナ人を居住地域ガザへと押し込めたのはイスラエルの仕業です。イスラエルはかつてナチスによってなされた抑圧を、今やパレスチナで行っています。
 
 今回のパレスチナからの攻撃は、積年のイスラエルからの抑圧への反撃です。西欧諸国は今回の事態に対し、いち早くイスラエル支持を打ち出しています。まるで、自分たちが公正な「第三者」であるかのように。でも、違うのです。今回の事態の遠因はまさに西欧諸国にこそあるのです。
 
 彼らは2000年にわたってユダヤ人を迫害してきました。その頂点がナチスによるホロコーストでした。西欧諸国はそれを自分とは関わりがないとしていますが、それは違います。ナチスは西欧のユダヤ人迫害の突出した部分に過ぎませんでした。

 西欧はその闇の歴史をどう始末したのでしょうか。なんということか、自分たちは一切その責任を負うこともなく、パレスチナ人の土地にユダヤ人の国家イスラエルを強引にねじ込むことにしたのです。

          

 以来、イスラエルはそれに抵抗するパレスチナ(当然です!パレスチナにとってはイスラエルは突然やってきた侵略者なのですから)に対し、西欧の軍事支援を受けながら、ナチスばりの抑圧を展開してきました。ナチスによるホロコーストに反対する人は、イスラエルによるパレスチナへの侵略、抑圧行為にも反対すべきです。
 
 とりわけ、第三者ヅラで自らの2000年にわたるユダヤ人迫害をパレスチナへの侵略で清算しようとした西欧諸国は卑怯そのものです。
 
 以上の理由から、私はパレスチナの反抗を「造反有理」と認定し、これを支持します。
 
 停戦云々がいわれますが、それはまずイスラエルによる侵略、抑圧行為の終焉が条件になるべきだと思います。

 

 
 
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【読書録】E・H・カー『歴史とは何か』をめぐって

2023-10-10 02:13:37 | 歴史を考える

 岩波の『思想』7月号の「E・H・カーと『歴史とは何か』」を特集した号をやっと読了した。
 これを読んだ動機は、1962年、清水幾太郎訳の「岩波新書」版でその刊行時に読んだことがあり、加えて最近、教育実践の立場から高校教諭の小川幸知司氏が著した岩波新書の『世界史とは何か』をやはり教育実践の経験者A氏からのご恵贈で読んだことによる。
 なお、『思想』の特集号は、私が若い頃読んだ清水幾太郎訳のE・H・カーの『歴史とは何か』に代わる近藤和彦氏の新訳版が昨年刊行され、それが読書子や歴史専門家の興味を引き、ある種の刺激をもたらしたことによる。

                                 

                  E・H・カー 

 小川幸司氏の著は、いってみればE・H・カーの切り開いた地点を当然前提にしているといえる。それを、E・H・カーのものから引用すれば、「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります」(旧訳 第一講から)ということになる。

 この一見、当たり前のようにみえる前提は、実は含蓄が深いものを含んでいる。いってみれば、歴史とは、私たちとは独立した対象としての過去として存立しているようなものではないということ、歴史家の解釈、あるいは私たち自身の解釈の介在をもってはじめてその姿を表すものであるということである。

 ところで、歴史家も私たちも、まさに歴史がもたらした結果としての一定の立場に立っていて、その立場自体が歴史解釈に影響をもたらすとしたら、それは堂々巡りの相対論に陥ってしまうのではないかという疑念は残る。私たちから離れた確固とした歴史というものがあるということを否定した瞬間から、この疑念は不可避かもしれない。

 では、確固とした歴史が存在するとして、それを私たちはどのようにして知りうるのかということになると、今度は神秘的な啓示に頼るかあるいは不可知論に陥ってしまう。結局それは、「相互作用の不断の過程」や「尽きることを知らぬ対話」に頼らざるを得ないことになる。

               
              1962年 清水幾太郎:訳 岩波新書

 カーが前世紀の中頃、それを強調せざるを得なかったのは、一方では「確固としてるが不可知の歴史」というものがあるという伝統的な立場と、他方では、人々の個々の営為とは関わりなくその法則によって歴史は進行するとする「唯物史観=史的唯物論」が両立していたからである。
 歴史研究家でもあり、外交官として実践的な立場にもあったカーにとって、そのどちらもが不毛であった。ただし、社会的実践家であったカーが、マルクス的なものへの共感を持っていたという事実も指摘されている。

 ところで、私がこの書を旧訳で読んだ60年代のはじめ、私はソ連型の正統派マルキストには批判的であったが、その立場はニューレフトとしてのマルキストであった。したがって、「唯物史観=史的唯物論」には依拠していたのだが、一方、このカーの書にはかなりインパクトを覚えたことを記憶している。
 この辺のところを自分のなかでどう整合性を保っていたのか、いまとなってはさっぱりわからない。当時の私自身の曖昧さというほかない。

              
               2022年 近藤和彦:訳の新版

 あまり長くなってもと思うので、ここで、新訳の方からカーの歴史観のエッセンスのようなものを引用して、私の中途半端な勉強のアリバイとしたい。
 
 「歴史家の解釈とは別に、歴史的事実のかたい芯が客観的に独立して存在するといった信念は、途方もない誤謬です。ですが、根絶するのがじつに難しい誤謬です。」

 「過去は現在の光に照らされて初めて知覚できるようになり、現在は過去の光に照らされて初めて十分に理解できるようになるのです。」

 「本気の歴史家であれば、すべての価値観は歴史的に制約されていると認識していますので、自分の価値観が歴史をこえた客観性を有するなどとは申しません。自身の信念、みずからの判断基準といったものは歴史の一部分であり、人間の行動の他の局面と同様に、歴史的研究の対象となりえます。」

 「ちょうど無限の事実の大海原からその目的にかなうものを選択するのと同じように、歴史家は数多の因果の連鎖から歴史的に意義あることを、それだけを抽出します。」

 「歴史家にとって進歩の終点はいまだ未完成です。それはまだはるかに遠い極にあり、それを指し示す星は、わたしたちが歩を先に進めてようやく視界に入ってくるのです。だからといってその重要性は減じるわけではなく、方位磁石(コンパス)は価値ある、じつに不可欠の道案内です。」

 
以上の引用はすべて、新訳刊行に当たっての岩波の内容紹介による。
E・H・カー(1892~1982年)は英国の歴史家、国際政治家、外交官で、「ロシア革命の歴史」(全14巻)を始めとする幾多の著作があるが、ここでとりあげた『歴史とは何か』はいまもって歴史を語る人々にとって名著とされる。
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生活者の日記 朝市、洗濯、歯科など秋こもごも

2023-10-07 14:18:47 | よしなしごと

 農協の朝市へ。ここ一週間ぐらいの間に並んである野菜に変化が。しばらく姿を見せなかった葉物が出始めた。その代わり、胡瓜やとうもろこしなどは姿を消した。この地区で今採れるものというコンセプトに従っているからだ。
 スーパーでは切れることのない小松菜もここではやっとだ。スーパーのものほど茎が太かったり葉が硬いものではなく、むかしの餅菜風で柔らかくてこちらの方が美味しい。

           
          
 大根葉を3束買った。一束は煮物に使うが、あとの二束は塩漬け用だ。一束93円(税込み100円)だ。
 万願寺とうがらしも掘り出し物だ。半分に割って種などを取り出したものをさっと熱い油にくぐらせる。この時、天ぷらや唐揚げほどに揚げすぎないことが肝要だ。生ではないが完全にへたってもいない状態、固くはないがやや歯ざわりが残ってる状態。予熱も計算して、この状態で揚げる。それを味醂と醤油の出汁でさっと絡めたら出来上がり。万願寺の甘さと唐辛子類の癖とが相まってとても美味しい。

          

          

 掘り出し物はミョウガ。もうないと諦めていたが、あったのだ。スーパーなどで売ってるものよりやや小さいが、10個入って93円(税込み100円)はありがたい。二ケースをゲットした。

 帰宅し、洗濯物を乾す。秋の爽やかな天候、湿気も少なそうでパリッと乾くであろう。

 午後から、予め予約してあった歯科医へ。若い頃は葉が丈夫なのが自慢だったが、ここへ来ていろいろ故障が。歯磨きに気を付けているせいで虫歯にはならないが、思わぬところがポロリと欠けてきたりするのだ。今回もその治療。

            

 途中で、でっかい実をつけたかりんに出くわす。余分な枝葉をカットしてあるので、裸ん坊の実が、恥ずかしげに露出している。

        
 毎回述べているように、私の家の近くは猛烈な勢いで田が埋められ宅地化が進んでいる。ここは残された数少ない田。
 こちら側は稲刈りが終わったが、これはこの地区では早い方。向こう側はまだ。今日から来週末にかけてが刈り取りのピークになる。霜が降りる頃に熟すという県産米「ハツシモ」の収穫時は遅いのだ。

            
 田んぼの向こうを歩いてきた女の子、角を回ったすれ違った。その折に、「こんにちわ」の声。
 「ああ、おかえりなさい。気をつけてね」と私。
 ちょっと爽やかな秋の午後。

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クラシックコンサートと〈歴史(学)〉について

2023-10-06 01:27:30 | 歴史を考える
      
 
 3日のトークショーに続いての名古屋行き、最近の私の行動としては珍しい。4日は名古屋M協会主催コンサートで、「山本友重 ヴァイオリン・リサイタル Pf 河尻広之」。久々のライブを楽しむことができた。

 私は演奏の良し悪しに言及するだけの耳を持ち合わせていない。ただ、媒体を介した音楽鑑賞との違いはわかる。それは音楽の身体性とでもいうべきものだろうか。奏者の身体をもって音が発せられ、それが私という身体で受け止められる。その受け渡しの中にライブの快楽がある。

 演奏を堪能したあと、聴衆の中のA氏とI 氏と出会う。両氏はともに私の同人誌を読んでくれている人でもある。A氏はかつて私に、岩波新書の『世界史とはなにか』(小川幸司)を寄贈してくれたりした。

 折しも私は、それによる刺激もあって、若い頃読んだ歴史学の古典、E・H・カーの『歴史とは何か』の新訳(近藤和彦:訳)の出版に際し、岩波の『思想(7月号)』で組まれた特集を読んでいたこともあり、ひとしきりその話で盛り上がる。

 なお、このA氏と I 氏のご両名、近々、『世界史とは何か』の著者にして長野県の高校教諭である小川幸司に会いに、長野県へお出かけとの由、その強靭な探究心とフットワークにただただ敬服の至り。
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名古屋への行きと帰りに見たもの

2023-10-04 15:09:12 | よしなしごと
 10月3日、名古屋でのあるトークショーにでかけた。
 私自身40年ほど付き合いのある人の一区切りを期してのそれであったが、ちょっと全体に上わっ滑りの感があってかなりの欲求不満。
 
 だからそれには触れないで、往復の風景から。

 JR岐阜駅の歩行者デッキから見かけたネムノキの現状。もう茶色くなった実から、まだ緑色の実、それに花さえ残っている。繊細そうに見えて生命力が強いのだろう。
 子供の頃、この葉っぱを撫でながら、「ネムネム眠れ」と唱えて遊んだりした。

            

            
 
           

 帰りはJR東海道線大垣行快速。シートの色がいつもより淡くて緑に近い青色。なにげに車内を見ると、ドア付近に「整理券」が出る装置がついている。
 よく路線バスなど均一料金以外の路線で見かける料金の目安となるカードが出るあの装置だ。へ~、東海道線でねぇと思ってしまう。他の路線で走っていた車輌の転用なのだろうか。

            

 そういえば降車してみたら、やはりドア付近の外側に、ドアオープン用のボタンも付いていた。どうもかなりのローカル線を走っていたもののようだ。
 もちろん現在は、ドアはすべて車掌席からのコントロールで開閉している。

            

 ようするに、私の目撃した装置はもはや痕跡に過ぎないが、ちょっと想像力をくすぐり、対象も明らかでないノスタルジーをも感じさせるものだった。

 

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