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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

恥ずかしながら初体験 「サラマンカ能狂言」を観る

2018-01-31 00:48:46 | よしなしごと
 恥ずかしながらこの歳まで能狂言をちゃんと鑑賞したことがない。したがって、それらについて知るところも少ない。
 それがこの度、ちょっと変則的ではあったが、それらの片鱗に触れることができた。

 岐阜にサラマンカホールという主としてクラシック演奏用のホールがある。キャパシティは700人程度だが、音響がとてもいいと演奏者にも好評を得ている。
 私はサラマンカメイトといって、そのホールの会員になっている。
 昨秋、このホールが、4回の公演を通しで申し込むと同じS席で20%オフぐらいの格安のチケットを売り出したのでそれを購入した。

 その組み合わせはバラエティに富んでいて、第一回は4台のピアノによる「ピアノパーティ」、第三回は藤村実穂子のメゾソプラノリサイタル、そして第四回が大阪フィルの岐阜公演といった具合だ。
 で、その第二回だが、それが今回の「サラマンカ能」であった。

              

 先にちょっと変則的と述べたがそれは能舞台の仕様についてである。
 普通能舞台は、四本の柱に囲まれた六メートル四方の本舞台、そして本舞台と楽屋(鏡の間)をやや斜めにつなぐ橋掛り(歌舞伎の花道に似ている)とでなってるのだが、今回は柱も舞台も改めて設置せず、舞台上に照明で六メートル四方の本舞台、それに続く橋掛かりを浮かび上がらせる仕掛けで、したがって本格的な能舞台に比べ、開放感がある空間での演技となった。
 さらにいちばん大きな違いは芝居のホリゾントとともいうべき舞台背後の鏡板に、普通は老松の絵が描かれているのだが、今回その役割を果たしたのは舞台後方に設置されているパイプオルガンであった。
 後述するように、このパイプオルガンは老松の代わり以上の役割を果たすこととなる。

           

 さて、肝心のプログラムだが、最初に極めて実験的な演目が登場した。それは、創作能舞「サラマンカ SALAMANCA」と題されたこのホールのための本邦初演のもので、なんと、パイプオルガンの演奏と能舞いのコラボであった。
 能舞は辰巳満次郎、そしてオルガン演奏はあのバッハ・コレギウム・ジャパンの鈴木優人。
 曲目は、バッハやメシアンの宗教曲をアレンジしたものだが、その荘厳な響きと、能舞独特の腰をどっしり落とした舞いとが東西の文化をまたいだ幽玄な世界を繰り広げる。

            

 ついで、仕舞「江口」キリ で、これは能面や能装束も付けず、袴姿で地唄のコーラスのみをバックに舞うもので、とても地味なのだが能のエッセンスともいうべきものだという。(江口の君 玉井博祜)

            

 前半最後は狂言で「仏師」。
 仏像を求めるため田舎から来た男を騙し、自らを仏師だと偽り、仏像のふりをする「すっぱ(詐欺師)」との掛け合いのドラマ。
 すっぱを野村又三郎、田舎者を野村信朗。そのやり取りや掛け合いの間合いが面白い。そのやり取りのテンポが次第に早くなり終曲を迎えるという構成も見事な喜劇。

           

 休憩を挟んでメインのプログラム、「能 船弁慶」。(静御前&平知盛= 辰巳満次郎 武蔵坊弁慶=福王和幸 源義経=片桐遼 船頭=野村又三郎 etc)
 もちろん名前はしっているし部分的にその映像を観たこともある。ただ、こうして落ち着いて通しで見るのははじめtだ。音曲も入り、これまで第一部で観てきたものの集大成といった感じだ。
 ストーリーの前半は、頼朝に忌避された義経がその追っ手を逃れるのに、静御前を同伴しないことを決意しその別れの場面である。泣き別れであるが、それを隠して宴の宴となり、静御前の舞いをもってして前半のピークとなる。

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 後半は、船で逃れる義経一行を、義経に滅ぼされた平家の猛将・平知盛の怨霊が襲いかかる場面となる。太刀を抜いて応戦する義経、これを護る弁慶、その息が合った対応で知盛の亡霊はついに退けられるという活劇である。
 このクライマックスは、目も耳も存分に楽しめる。音曲は太鼓も混じえてここぞとばかりに演じられるし、様式美に満ちているとはいえ、その立ち回りはじゅうぶんに迫力がある。

              

 当初、前半のプログラムにある舞いなどで、そのスローテンポにいささかの違和感を感じながら観ていたのであるが、ここに至って、やはり決してテンポが早くない活劇場面が、次第にとても迫力があるように感じられるのは、かえってそれが様式化された動きの交換によるものではと改めて思う。

              

 以上が私の能狂言の初体験であるが、それを熟知していらっしゃる方からすれば何を今更寝ぼけたことをということになるだろう。
 しかし、私にしてみればこの齢にして未知の領域と出会えるということは、自分の生の幅が広がったかのようにうれしいことなのである。何も伝統芸能の権威にすがろうというのではない。ただただ、このような表現形式を生み出した人間の文化の多様性と恣意性に触れた思いがしてそれが嬉しいのだ。

            

 文化に必然性などはない。さまざまな時代、さまざまな場所でさまざまなものが生じる。そしてさまざまなものが歴史のうちに消え、あるものたちが残る。だからそれらに触れ合うということは、それを生み出した壮大なバックグラウンド、それらが生き残った反面、跡形もなく消えていった幾多のものたち、その生成と消滅のドラマの場そのものに触れるということだ。
 かくして私は、人間たちが生み出した壮大なドラマの一端に万感の思いでしがみつきながら余命を送るのである。

能の装束は、当日、サラマンカホールのロビーで展示されていたもの。
 


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睡眠障害のなかでの「死」についての妄想

2018-01-27 11:36:11 | よしなしごと
 時折睡眠障害に襲われる。寝付きが悪いわけではない。バタンキューとは行かないにしても、割合すぐ眠りに就く方だ。
 問題はその後である。三、四時間で目が覚める。そしてその後、寝ることができない。これではダメだから、寝なければ、寝なければと思うのだが、そう思えば思うほど眠ることができず、そのまま悶々と朝を迎えることがある。いわゆる途中覚醒である。

           

 周期的ではないにしろ、忘れた頃にやってきて、何日かその症状が続く。
 眠れないままにいろいろな想念が駆け巡るのだが、まとまったことを考えうるわけではなく、したがって生産的な思考などとは程遠い。だいたいは、さまざまな気がかりや不安などが駆け巡ることになる。

 最近は、というか一昨年あたりから、親しかった友人や先達、私自身の連れ合いの死に見舞われたせいで死をめぐっての想念が多い。死んだ人たちを数え上げる。そして、それに次ぐのではという不安な人、その人に万一のことがあったらという人たちが思い浮かぶ。そのうちに誰が生きていて誰が死んでいるのかの境界が曖昧になる。その曖昧なうちに自分自身が登場する。

           

 自分の死を考えることは事実上不可能で、どこでどのように死ぬのだろうなどとは思うのだが、そんなことを考えているうちは厳然として生きているのだからさして現実味はない。ましてやまだ死んだ経験はないのだからその内実を想像することもできない。
 にもかかわらず、自分の死についての想念はその死後にまで及ぶ。そのときには死んでしまってもういないのだから、自分の死後をも支配しようとする想念は妄想にすぎない。

           

 そんなことを考えていると、最近自死した西部邁のことを考えたりする。
 彼とは袖擦れ合うで、1960年頃、少しばかりのの縁があった。いってみれば、お互いやさぐれていたわけである。
 しかし、東大はいい。多少やさぐれていても、少し恭順の意を表すれば学者や大企業の列に復帰することができる。西部もそうだった。

 それに反し、東大の連中などに煽られて、地方でやさぐれた私のような半端者はそうは行かない。結局私は、新聞広告でミシンのセールスマンに就職した。それを恨んでいるわけでもない。お陰で私は、一粒で2度も3度も美味しい人生を経験をさせてもらったし、多種多様な人びととの交わりももつに至った。

           

 ところでその西部は、生前から自らの自死に言及していた。自死を選ぶ理由として挙げられていたのは「老醜を見せないうちに死ぬ」ということであった。これは尊厳死や安楽死との関連である意味では理解できる。
 ただし、これが一般化され「そうあるべきだ」とされることには恐ろしい危険が伴う。
 その一般化は、要するに、老醜を晒すもの、意識が明晰でないものは抹殺すべきであるというヒトラー並の優生学的選別に行き着くからだ。

           

 話が逸れた。
 そんな状態で眠れないままでいるなか、世間はもう目覚め活動し始める。車の往来も多くなり、生活音が聞こえ始める。もうこの睡眠は諦めるほかはない。

 そんな寝方だから翌日が大変だ。
 しかし、幸い現在は一定の家事のほかはわりあい気ままに過ごしているので、頭が重く気だるくとも、対外的な影響を生じることはない。小難しい書などをめくっていると、活字が蟻のように這い出したり霞んだりで、睡魔がやってくる。
 そこでの午睡で足りなかった分を補うことができる。ただし、午睡はまた、どういうわけか熟睡とはゆかなくて、完全な補完とはなりえない。それでも少し楽になりさえすればいい。
 昼間、ジイさん・バアさんがウツラウツラしている。私もそのお仲間である。

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笑ってから考えるか、笑いながら考えるか 映画『はじめてのおもてなし』

2018-01-24 15:24:27 | 映画評論
 もともとのタイトルは『WELCOME TO GERMANY』、ドイツの映画である。
 喜劇である。その展開の一部始終が面白く笑える。館内でこれほど笑いの起きた映画に出会ったのは久しぶりだ。
 
 映画のシュチュエーションを明かしてしまえば、定年すぎだが未だにポストに君臨しているエリートの外科医。彼は家でも家父長的な姿勢をなにがしか保っている。
 そんな夫のもとで裕福に暮らしながら、どこかで社会的な役割にコミットしたいその妻。
 国際社会をまたにかけて活躍する超多忙な企業弁護士の息子。彼は妻に去られていて、一人息子を引き取っている。
 30歳近くても、自分の進路が見えなくて学生を続ける娘。

              

 ことの始まりは、妻・アンジェリカが亡命申請中で収容所にいる難民を支援するため、その一人を自宅へ引き取りたいと決意するところから始まる。
 その顛末が映画の内容なのだが、その詳細はネタバレになるから語らない。

 こう書くと、重くて深刻な問題なのだが、それらが徹頭徹尾、喜劇として、あるいは想像を超えた展開として描かれる。だからハチャメチャに面白い。
 しかし、そこに描かれた問題は今日的にアクチュアルで、たんなる荒唐無稽ではない。だからこそ笑えないものを笑うというひねりをもった喜劇となっている。

          

 やはりストレートな主題は難民をめぐる問題である。EUの中でその先端を切りながら、それが故にいろいろな問題にも直面しているドイツならではの映画ともいえる。
 かなりカリカチャライズされた難民支援派とネオナチ風の連中が登場するが、一方は、過剰な抱擁の使命感によるとしたら、一方はむき出しの憎悪に支配された連中である。後者は、この国の在特会と完全にオーバーラップするような存在である。

          

 もうひとつの問題は家族、並びに世代間ギャップの問題である。
 それはこの三代にわたる家族構成の中でも、過去の栄光にすがる外科医の職場にも顕著に現れる。とりわけこの家族は、崩壊の危機すらはらんでいる。もちろん映画はそれらをも笑いのネタとして容赦なく直撃する。

          

 この映画の最大の特徴は、そうしたギャップのなかに投げ込まれた難民の青年が、それら家族の抱える問題と極めて有機的に関わるところにある。異文化から来たこの青年の発する言葉は、しばしば機能本位の合理主義を超えて不思議な説得力をもつ。
 ここへきて、難民問題と家族の問題が見事に絡み合いこのストーリに厚みをますこととなる。

            

 結末は言うまい。
 ただし、監督のサイモン・バーホーベンは、最後まで訓戒めいた展開を避け、喜劇として語りきっていることを付け加えよう。
 もうひとつ付け加える点がある。それは映画の舞台がミュンヘンだということだ。このミュンヘンこそ、かつてヒトラーが政治的にデビューしたところでもある。監督はそれを完全に意識している。父親が激してきて語る口調は完全にヒトラーのカリカチュアだし、おそらくドイツではそこで多くの笑いを誘ったことだろうと思う。日本人でそこに気づいた人は少ないだろう(と、ちょっと自慢する)。

          
 
 「面白うて やがて・・・・」という芭蕉の句ではないが、さんざん笑って、なおかつ考えさせる映画であった。

なお、1月13日に掲載した、アキ・カウリスマキ監督の『希望のかなた』は、同様に難民の受け入れを扱ったものとして類似の主題を持つ。そのタッチに喜劇的要素をもたせたりする点でも似通っている。にもかかわらず、まったく違った味付けになっているのはいうまでもない。両方観てよかった。
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パラレル・ワールドを生きたパット+トリッシュ=パトリッシュ

2018-01-19 17:00:09 | 日記
 縁あって、ジョー・ウォルトン『わたしの本当の子どもたち』を読んだ。
 作者は1964年生まれのイギリス系カナダ人女性作家、詩人でもある。

 物語は2015年、介護施設にいる89歳(1926年生まれ、私の10歳上)の老婦人、パトリシアの回想からはじまる。
 彼女は施設の看護人などから意識が混乱しているとみなされている。確かに、認知に侵されてはいるものの、聡明なパトリシアは自分の混乱を自覚している。
 彼女の記憶は二重なのだ。二つの記憶がオーバラップしている。子供の数は?記憶のディティールにおける様々な差異と二重性、それらが同居している。

              

 なぜそうなのかを彼女は回想する。
 少女時代、多感な学生時代などの記憶は一つのものとして統一されている。
 しかし、ある契機でこの統一は破れ分裂する。
 その契機とは、彼女が23歳の折、敬愛する男性から求婚された際に生じる。

 一人のパトリシアはそれを真正の愛と受け止め、結婚を承諾するだろう。
 そしてもうひとりのパトリシアは、彼をめぐるやや微妙な問題点を感受したのか、その求婚を受け入れることはないだろう。

 ここに二つの可能性に応じた物語、そう、SFでおなじみのパラレルワールドが展開することとなる。
 結婚したパトリシアとしなかったパトリシアが交互に登場する。
 これが結構な大河小説なのである。文庫本だが細かい活字で450ページもある。

 やがて、パトリシアの呼称も別れることとなる。
 結婚しなかった方はパット、した方はトリッシュ。

 かくして、パットとトリッシュの物語は交互に展開される。
 それが微妙に(ほとんどそれとわからないほどに)クロスするエピソードがあるのも面白い。

 この二人の経験と記憶は、最終章において、施設に入った89歳の老女、パトリシアの記憶において統合されるだろう。ただし、二つに分裂したそれぞれに異なる記憶として。
 ここまでお読みになった人は、つまるところウイットに富んだ、SF定番のパラレルワールドものだとお思いになるであろう。

            

 そう、それが物語の大筋であり骨子である。
 普通、私が映画や物語を紹介する場合、あとからご覧になる方のためにここまでネタバレ風に書くことはない。
 その禁をあえて破ったのは、ここまで種明かしをしてもじゅうぶんに面白いからである。

 まず両方のパラレルワールドは、私たちが知る現代史と平行に進みながら、微妙に違う。片方では小規模な核戦争が起こり、その弊害は主人公たちにも及ぶ。もう一方も月世界での基地の存在などリアルな世界とは微妙に異なる。
 しかしその双方とも、決して荒唐無稽ではなく、私たちが共有するこの現実の中でじゅうぶん起こり得ることなのだ。

 しかし、面白さはそこにではなく、そしてそれが荒唐無稽な物語を免れることになるのだが、その双方に、戦争と平和、テロル、ジェンダーやフェミニズム、女性の社会進出、政治参加の問題、同性婚や複数婚を含む結婚の形、それに伴う家族の形、親子の問題、認知症の問題、介護の問題、相続の問題などなど、まさに私たちが直面している問題が、評論としてではなく物語そのものの、パットの方もトリッシュの方もそれと対峙しなければならないストーリーそのものの必要不可欠なファクターとして登場してくることである。

 それによってこの小説は、思いつきとしてのパラレルワールドのシチュエーションにはとどまらず、それを超えたものとなる。
 ここでは、(普通の)結婚をしなかったパットの方も、そして(普通の)結婚をしたトリッシュの方にも、リアルな問題に直面しながら成長してゆく女性の、というか人間のありようへの真摯な対応が読みどころといえる。

               

 既にみたように、その二つの人生が、最終章で、パトリシアという老女に於いての重複した二つの記憶として回収されるわけだが、そこでパトリシアは自らに問うている。
 どちらの選択が何をもたらしたのか。それが自分にとって、世界にとってどうだったのかと。
 ここには、例のアマゾンの奥地での蝶の羽ばたきが世界に何をもたらすのかという「バタフライ効果」にも似た問いがある。私たちの人生にはたった一度の分岐点や決断ではなく、多くの分岐点(そうとは気づかれないものも含めて)があり、その数だけ決断に迫られているとしたら、それらが私を造ると同時に世界をある相のもとに現前せしめるという意味において、そこには倫理的な問題が含まれているともいえる。

 それをも考え合わせると、タイトルの『わたしの本当の子どもたち』はパットとトリッシュがそれぞれの世界で生み出した「子どもたち」という意味をも超えて、他ならぬ私たちが、その決断において生み出すであろう未来の「子どもたち」をも含意しているといえるかもしれない。
 
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私の老いの進行、そして『中くらいの友だち』ってなんだろう?

2018-01-16 00:44:06 | 日記
 歳はとりたくないものだ。これ自身、年寄りの慣用語だが。

 ことの起こりはこうだ。旧知の方から同人誌を頂いた。こうした場合、よほど私と縁のない分野やまったく興味のないものを一方的に送りつけられた場合以外は、ちゃんとお礼状を差し上げ、私の理解に及ぶ場合には読後感などお送りすることにしている。
 その場合もそうするつもりだった。
 後述するように、その内容も、エスニックな街・名古屋の今池で30年を過ごした私にとって興味のあるものだった。
 それが昨秋、10月末のことだった。

 年が改まり、10日も過ぎた頃、買ったり、図書館で借りたり、頂いたりしたままで、まさに積ん読状態になっている書籍類を整理していたとき、「それ」は出てきた。
 「それ」とは、上に書いた10月末に頂いた同人誌だった。
 あまり厚くはないその雑誌は、不幸にして他の書籍の間に鎮座ましまして、私の目から遠ざけられていたのだった。

 改めてそれと対面したとき、ドッと汗が流れるような衝撃を覚えた。なんという失礼なことをしてしまったのだろう。せっかくお送りいただいたものを無視したまま放置するなんて・・・・。
 併せて、それを頂いたことをすっかり忘却していたという事実に対して、さらなる衝撃を覚えた。年齢とともに記憶力が低下するのは致し方ないとしても、これほどの忘却はこれまでなかったからだ。
 自分なりの言い訳はある。これを頂いたすぐ後、私自身の所属する同人誌のメンバーにして先達の風媒社の稲垣さんが急逝され、ショックで動転し、塞ぎ込んでいたことがそれである。
 しかし、落ち着いた時期に思い起こす力が失われていたことは厳然たる事実だし、その結果礼を失したことも事実である。

 慌ててお詫びの葉書を書いた。それに対していただいたご返事もちょっとショックだったが、それはまあ許容範囲である。
 というのはそのご返事では、私はその当時、一応、頂いた旨のお礼の葉書は出し、その上で改めて感想などをお書きするといっていたというのだ。
 
 それすらをも忘却していたというのはちょっと問題なのだが、実は私の方にも、お葉書だけは出したかもしれない(あるい、はそれも出していないかもしれない)というグレーな記憶があったからだ。
 いずれにしても、頂いたままほとんど放置し、読後感などお送りしていないのは事実だし、その間の私の記憶が極めて曖昧なのも事実だ。

              

 前置きが長くなったが、お送りいただいたものについて触れたい。
 タイトルが雑誌のそれとしては実にユニークである。
 『中くらいの友だち』というのだ。この雑誌のキャッチコピーは「韓国を語らい・味わい・楽しむ雑誌」とある。
 送付していただいた方のお手紙にはこうある。
 「・・・・主に韓国に暮らす日本人と〈在日韓国人〉が中心となり」ということで、書き手はそうした人々で、彼らが「韓国と出会ったことではじまる人生の機微が多種多様につづられている」と。

 そのとおりである。しかし、これだけでは「中ぐらい」はわからない。「創刊の言葉」のなかにそれが語られているのだが、私なりの読みでそれを見いだした箇所があるのでそれを述べたい。

 この号には、映画研究家で評論家、エッセイストで、韓国建国大学の客員教授をつとめたこともある四方田犬彦(この人の著作はかなり前に2,3は読んだことがある)が寄稿しているのだが、そのなかにこんな記述があった。
 彼は、『われらが〈他者〉なる韓国』という著書を出す際、「韓国とは何かという問いにまだ自分が答えられずにいる」とその刊行を躊躇していたという。それを故中上健次に話したところ、「馬鹿だなあ。日本人には一生かかってもわからないんだから、いままで考えたところだけでいいから、途中経過として出しておけよ」と一喝されたという。

 私はここに「中くらい」の意味するところがあるように思う。
 まったくの無関心はもってのほかで「友だち」とはいい難いが、反面、「完全な理解」に基づくマブダチというのもまた危うさをはらむのである。
 こうした「完全な理解」を目指す場合、些細な差異が契機で決裂することがある。その意味では「中くらい」の交わりをベースとしながら、それらを育んでゆく方がリアルな関係といえる。中上健次風に言えば、まさに「途中経過」でいいのである。「完全な報告」はむしろそれで終わってしまう。

 この同人誌の具体的な内容は、そうしたコンセプトを受けて、バラエティに富んだ記事が多い。
 「ソウル鞍山物語」の伊東順子は、マスター・リーという老武術家を通じて、韓国の人びとの海外移住の一側面を描いているが、併せて、東洋においての類似する武術、テコンドー、空手、琉球空手などの相互関係、差異と同一性なども垣間見させて面白い。

 また日本人のバンドでありながら韓国でデビューし、活躍を続けるコブチャンチョンゴルに所属するミュージシャン、佐藤行衛(この人の歌がいい。下記添付のYouTube参照)の音楽と食についてのエッセイは痛快で面白い。「メニュー=お品書き」と題する自分たちのアルバムに即した韓国のB級グルメの紹介はちょっと恐ろしかったりするものの、怖いもの見たさ(食いたさ?)で奇っ怪にも面白い。

https://www.youtube.com/watch?v=nd9js03e_4M&list=PLDERdQUW8woWS8frg6cnOcmDGb9-DiO42

 その他、韓国と日本での接客の違いを一つの考現として漫画付きで表現したものや、食についての考察も面白い。

 韓国の伝統的農楽、サムルノリの担い手にして舞踊家、金 利恵(私はこの人の公演を見たことがある)の「私のソウルものがたり」は、その内容もだが、それを語る文章が端正で素晴らしく、光るものがあると思った。

 その他、肩肘張らないで読みならが、まさに普段着でありながらすこしレアな韓国を知ることができる。

 『中くらいの友だち』の書き手は、私のような平均的日本人からするとやや特殊は人たちである。そしてそれを前提にして読むだけで結構面白いのだが、私はついそれを韓国と日本との現実的な関係のなかでの私のような平均的日本人のありようの問題として考えてしまう。
 この両国は、かつての歴史を背負う中で近くて遠く、かつ遠くて近いかのようで、微妙なズレをもっている。
 この同人誌の書き手たちはその存在そのものにおいてそれを中和する役割を担っているのであるが、一般的なこの両国の関係の問題としても「中くらい」の概念が活かせるのではないだろうかと思うのだ。

 私が具体的にイメージしているのは、四方田犬彦の文章にあったような中上健次の喝破したところである。要するに「完全な理解」などというのは不可能なのだし、そんなものがあったとしても、ちょっとした差異の出現によってもろくも崩れるのであるから、「途中経過」としての「中くらい」からの出発でいいのではないかということだ。
 この場合の「中くらい」は、足して2で割るような算術的なものや、利益配分のようなものではない。差異は差異として認め、未解決な問題の所在はそれとして認めながらも仲良くし得る道としての「中くらい」は、いい意味でのプラグマティズムのそれでもある。

 神ならぬ私たちは、所詮、自分の置かれた立場からしかものを考えることはできない。もちろんそれは相互にそうなのだ。だとするならば、自他共に「完全な理解」は望むべくもない。
 そこで、「中くらい」が生きてくるのではないだろうか。

 この同人誌に戻ろう。ここでの書き手たちは、みな「中くらい」を悠然と生き、それを表現している。
 だから、まだ一度も韓国へ足を踏み入れたことがない私は、ソウルの屋台文化や、地方都市にぽつねんと建つ高い塔(この記事も面白かった)に掛け値なしの憧憬を覚えることができるのだ。

 銀子さん、申し訳ありませんでした。そして、改めてありがとう。
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これで引退はないでしょ。アキ・カウリスマキさん!『希望のかなた』を観る

2018-01-13 14:20:52 | 映画評論
 今年始めて名古屋へ出る。
 今日は目の保養と決めて、まずは映画を観ることに。 

 映画を観たあとで知ったのだが、アキ・カウリスマキ監督はこの映画を最後としてもう映画を作らないといっているようだ。私よりも二〇歳も若く、六〇歳になるかならぬかなのに、まだ早すぎるではないか。独特のその作風をまだ観たいではないか。
 それから、これもはじめて知ったのだが、彼はアメリカの監督、ジム・ジャームッシュと親交があるという。ジャームッシュといえば、昨秋観た『パターソン』(これも素晴らしかった)を思い出す。そういえば、二人の作風には過剰な説明を排除した映像という点で共通点があるかもしれない。

              

 今回観た『希望のかなた』は、フインランドに流れ着いたシリア難民というそれ自体はかなり重いテーマによるものだ。しかし彼は、それを高所大局から語ろうとはしない。
 主人公を取り巻く人びとの、じわじわ~っとした情感のようなものの蓄積、それが物語を紡ぎ出してゆく。具体的にいえば、難民問題を政治的にどうするのかといった「現実」を超えた「もうひとつの現実」、いくぶん固い言葉でいえば人間への共感、その尊厳へのプリミティヴでリアルな反応、それが随所々々で現れ、彼を窮地から救い出してゆく。

          
 
 しかし、現実はそればかりではない。一方には、もはや言語や情感を超えたところで、差異を排除する憎悪のみに支配された連中がいる。ネオナチ風スキンヘッドの連中がそれで、彼らは理不尽な暴力で彼に襲いかかるのだが、これもまた「もうひとつの現実」なのだ。
 格差社会の中で底辺へと貶められた彼らは、仮想敵としての難民や移民に有無を言わせず襲いかかる。それらは、「ヘイト」や「フェイク」の言説によって日々その憎悪を増殖してゆく。

          

 しかも今日、それらは国際的に認知された一つの立場なのだ。それに太鼓判を押しているのはアメリカ大統領トランプの立場そのものといってよい。
 そして、それほど顕わではないにしても、この国の為政者はそれと同じ方向を向いている。否、難民認定率(難民申請を認めた率)については、0.6%と先進国中ダントツで最低なのだ。この数字の惨めさは、アメリカにおけるそれが23.4%であることからも歴然としている。つまり、アメリカにおいては4人に1人は認められる難民申請が、この国では1,000人に6人しか認められないということだ。ちなみに2015年にこの国が迎え入れた難民は27人、2016年は28人です。
 ブルゾンちえみ風に「それでは質問します。世界にいる難民は何人?」 「6,500万人!」。

          

 それはともかく、映画はあくまでも難民である主人公と共感で繋がる人たちとの交流で構成されてゆく。しかしながら、そうした善意の繋がりの反面、現実はそうともばかりいえないことも示唆している。
 難民としての彼の最大の目標は逃避行の中で別れわかれになってしまった妹を見つけることにあり、そしてそれは善意の繋がりによって実現するのだが、それ自体がはたしてハッピーエンドな物語であったかどうかはその妹の表情の中にいささかの疑問として残っているとみるのは穿ちすぎだろうか。

          

 まあしかし、カウリスマキの映画は、一見ドライとみえる人間の関係のなかにある暖かさが描かれたものが多いのだから、この映画もその面からポジティヴに観てゆくのがいいのかもしれない。

 まあ、堅い話を抜きにしてもじゅうぶん楽しめる映画である。日本の寿司文化の「インターナショナルな」広がりを揶揄したような一場面は場内のどよめくような笑いを誘っていたし、使われる音楽はどれも北欧風のイントネーションを伴ったもので、それらはジャンルの違いを超えて、日本の古きよき時代の「流行歌」に似た哀愁を帯びたものであったりする。
 こうした音楽の使い方はまた、カウリスマキの独自のやり方で、それらはたんなるバックグラウンドであるばかりではなく、映画の中の現実音としてその存在を誇っている。

          

 この映画は、昨年からの続映なのだが、昨年のそれはデジタル版だったのに対し、年が明けてからの今回観たものは35ミリのフィルム版とのことだ。しかし、それら両者を比較して観たことがない私には、残念ながらその違いを知ることはできなかった。おそらく画質に違いがあるのだろうが、ひょっとしたら編集そのものも多少違っているのだろうか。

          

 映画の後、名古屋市美術館でのシャガール展を観て、ときおり寄る私の隠れ家のような居酒屋で、今日観たものを反芻しながら地酒などをたしなみ、早い時間に帰った。
 雪こそ舞わなかったが、名古屋、岐阜とも、とても寒い一日だった。


これを書いてから、キネマ旬報の17年ベストテンを見たら、この『希望のかなた』は洋画部門で7位に入っていた。
 1位は『わたしは、ダニエル・ブレイク』(ケン・ローチ)、第2位は『パターソン』(ジム・ジャームッシュ)で、この両方とも観ている。ほかに6位の『沈黙ーサイレンスー』も観ていて、結局ベストテンのうち4本は観ていたことになる。
 去年は映画を観る機会はあまり多くはなかったが、それでもまあまあ、一般的に評価されるものを観ていたことにはなる。あるいは、キネ旬風の基準に飼い慣らされたというべきか。

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「男性チア」・「#MeToo」・ハンナ・アーレントそして『泣いた赤鬼』

2018-01-08 11:30:45 | 社会評論
 7日付「朝日新聞」の「希望はどこへ」への朝井リョウの寄稿は面白かった(名古屋版では7ページ)。
 ここで朝井は、男のチアリーディングの普及に力を入れている友人との会話を紹介しているのだが、この友人の気持ちの推移が実にリアルで共感できる。
 というのは、彼が知人に、「男性チアをやっていた」と話すと、「女がやるものだろう?」とか「ミニスカはいて踊っていたのか?」といったいくぶん揶揄がこもった応答が返ってきたというのだ。そうした反応に対して彼は、嫌悪感を抱きながらも、一緒に笑ったり、過剰におどけてその場をやり過ごしてきたというのだ。

          

 しかし、ここからが大切なのだが、彼は最近、そうした揶揄や嘲笑に対し、自分をごまかして受け流すことに強い抵抗を感じるようになったというのだ。それを促したのは、彼の後輩たちの男性チアへの熱心な取り組みを考えたからだという。
 それについて彼はこんな言葉で語ったという
 「俺が嫌だと思った言葉を受け流すってことは、次の世代にその嫌な言葉が流れ着くってことなのかなって」
 それ以来彼は、男性チアへの嘲笑や揶揄を受け入れない、少なくとも自分もその場に合わせてヘラヘラ笑うことをしないようにしたという。

          

 朝井リョウはそれを、「#MeToo」に関するインタビューで語った女性小説家の言葉と重ね合わせる。
 「私たちが声を上げてこなかったから、いまも若い女の子たちが被害を受け続けているとしたら」
 そうなのだ、チア男子が受けていた揶揄も立派なハラスメントであり、それを受け流すことは次世代までそれを持ち越すことなのだ。

 私は「#MeToo」のムーブメントを、侮辱されたらそこで闘えということだと理解している。それを教えてくれたのはハンナ・アーレントである。
 彼女の最初期の論考に『ラーエル・ファルンハーゲン―ドイツ・ロマン派のあるユダヤ女性の伝記』という書がある(執筆は1920年代から30年代はじめ。ただし出版は50年代後半)。
 ラーエル・ファルンハーゲンはドイツ系ユダヤ人であるが、極力それを隠し、非ユダヤ人に「同化」することによって、18世紀から19世紀初めにかけてヨーロッパ社交界に名を成した。彼女のサロンにはゲーテを始め往時のヨーロッパの著名人が出入りしていたという。

          

 アーレントはこれを批判する。周囲がいわれもなくユダヤ人を差別抑圧するとき、自分の出自を隠してこれら差別者と「同化」することは、自分もまた差別者の側に回ることだと。
 ようするに、男子チアの場合でいうならば、それを揶揄する人びとに自分を同化し、ヘラヘラ笑っているということは、自分もまたハラスメントの側にいるということに他ならないというわけだ。
 男子チアの彼がその態度を改めたように、ラーエル・ファルンハーゲンもまた、晩年、自分はユダヤ人女性であることを深い述懐とともに確認するに至る。
 その足跡を辿ったアーレントは、最後には、「ラーエルは150年前の人ですが、私の親友です」といっている。

          

 私はこれらの話から、濱田廣介の童話、『泣いた赤鬼』を連想する。
 赤鬼は、人間と仲良くなりたいばかりに、友人の青鬼を悪者に仕立て、それを退治することによって人間社会へ受け入れられる(差別者への同化)。しかし、赤鬼は、自分が人間に同化することを追い求めるあまり、真の親友、青鬼を失ったことに気づき泣くのである。

 これらはすべて、差別と同化の物語である。差別者に同化することによって得られる平穏は一時的なものであり、それは差別者の側に加わる、ないしは差別を黙認することである。
 アーレントのいうように「差別されたら、そのとき、その場で闘え」というのはそれに対する正当な立場ではないだろうか。

 そんなことを考えると、「#MeToo」というムーブメントは、女性に対するハラスメントにとどまらず、あらゆる差別者、差別されたくなければ同化せよと迫る者たち全般に対して広まる可能性を秘めているように思われる。

 朝井の友人が話していた男子チアのはじめての全国規模の大会が今春開かれ、朝井も出かけるという。「男らしくない」という馬鹿げたハラスメントが払拭される日も近いだろう。





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正月に観た三本の古い映画 『2001年宇宙の旅』の凄さ

2018-01-06 14:42:34 | 映画評論
 映画は映画館の大きな画面で観る派なのだが、正月中に、随分前にとりためていた録画など三本を観た。ただし、最後の『2001年宇宙の旅』はこの4日にBSで放映したものを録画して観たもの。

          
 
 『戦争と平和』 米伊合作版 監督:キング・ヴィダー 1956年
 オードリー・ヘップバーンのナターシャの華奢で危うさがやたら目立つが、演出に難があるのか、群集劇や歴史的背景との絡み合いがじゅうぶん描かれていない感があった。
 とりわけ、ヘプバーン演じるナターシャが、一人の主体として状況とどう向き合ったのかの描写が希薄で、ただただ受け身で流されるのみのように感じてしまう。
 ここんところ、トルストイの原作はどうだったのか、もう大昔のことなのと、その頃はそうした点に関心がなかったせいとでまったく覚えていない。
         
          
 
 『それでも恋するバルセロナ』米スペイン合作 監督:ウッディ・アレン 2008年 
 あまりたくさんは観ていないが、ウッディ・アレンの作品はシニカルでかつ饒舌である。
 この映画でも、登場人物の所作もだが、ナレーションがその状況を説明するシーンが多い。映像で状況を表現する作品を見慣れていると、いささか小うるさいが、それがウッディ・アレンの映画のスタイルであり、それでもって登場人物の自意識にもかかわらず、その逆のことをなしてしまう人間たちの不合理さをシニカルに掲抉しうるのであろう。
 いってみればアレンは、映画の中で演じられている人物と、観客である私たちのあいだにあって、それら登場人物の無意識というか隠された行為や言葉の意味などを補足しようとしているのである。
 その行為というか演出がまさに彼の流儀であり、それ自身がシニカルな構えというほかない。
 なお、スカーレット・ヨハンセンは好きな女優さんだが、別に追っかけではないので久々に出会えた感じでよかった。

          
 
 『2001年宇宙の旅』 監督:スタンリー・キューブリック 1968年
 映像も発想も50年前の作品とは思えないリアルさがある。まだCGなどという技術がない時代に作られた映像は、独創的で素晴らしい。その後に作られたSF的映像がチャチに見えるほどだ。
 物語は、人類が道具の使用を覚え、「人間」になる瞬間から、AIを駆使して宇宙空間を支配せんとする未来社会にまで及ぶ。
 その未来を描く想像力は素晴らしい。2001年はとっくに過ぎたが、現実はまだその映像に追いついていない。
 私見では、主人公は人間たち(原始人を含めて)ではない。
 人間がまさに人間になろうとする折に現れ、その後も節目ごとに現れる石碑=モノリスなのだ。それは中途の月面にも現れ、ラストの木星にも現れる。

 ハイデガーは、人間(彼の言葉では現存在)は、道具関連の連鎖のうちで「世界内存在」、すなわち人間独自の「世界」を獲得するという。この映画の前半は、まさに類人猿が道具を手にするところから始まる。
 しかし、問題は、それが自然の過程での偶然による作用によってではなく、人類に先行する何者かの営為によって示唆されて始まるところにこの映画のポイントがある。
 それがまさに人類に先行するように現れるモノリス=石碑なのだし、類人猿はそれに触発されて道具の使用へと至る。

          

 それは人間がひとつの限界を超える際のチェックポイントとして、あるいは超自然な能力を獲得し、神の領域を窺う際に現れる警告として作用しているかのようにもみえる。
 今でいうところのAI の描写も見逃せないが、後半の木星探索場面でのAI の「意志をもった」反逆は、今日、どれほどAI が支配的になろうとも、「意志」や「意味」は人間固有の領域であり、案じるところはないという一般的な見解が、実はとてつもない楽観にしか過ぎないことを示してはいないだろうか。

 人類は、人間の能力を超えた領域まで、AI に任せようとしている。しかし、「人間的な領域の特殊性」(「意志」や「意味付与」を指すようだが、それ自体は明らかではない)を人間に残したまま、AI を「道具関連の頂点」として使いこなすことなんてことができるのだろうか。

          

 モノリスは、それを嘲笑するかのようにそびえ立つ。もし私が観念論者なら、そのモノリスをあらゆるものに先行する絶対精神=神としてためらわないだろう。
 しかし、モノリスは、「神なき時代」の人間的事象に差し込まれたひとつの仮説的な解釈にしか過ぎない。その存在の肯定は一つの超科学的宗教へと至る。

 この映画の終焉は、胎児と思われるものの浮遊の映像である。
 私はここにいたって、「人間ひとりひとりの生誕は、この世界へ新たなものが到来する可能性そのものの出現なのです」というハンナ・アーレントの言葉を思い出す。
 ただし、すでにしてモノリスの支配するらしい世界、否、宇宙にあって、新しい人の生誕は、その絆を断ち切って、新しいものを生み出すことができるのだろうか。
 そしてその新しいものとは一体何であろうか。
 思考は人類史をも超えて宇宙史に至らねばならないだろう。





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これが老い相応の日々なのだろう・・・・たぶん。

2018-01-05 14:43:53 | よしなしごと
 よく考えたら、というか考えなくともそうだが、昨年の23日からこちら、物を買いに行ったりした場合の店員さんと、家族以外の人と口を利いていない。

          
             荒田川の合流点 左上方は金華山

 ようするに、家からほとんど出ていないのだ。ちなみに歩数計の履歴をチェックしてみたらやはり昨年の23日に7,000歩を記録して以来、連日、1,000歩を超えた日はない。ただし、元日には、出していないところから来た年賀状への返信を投函しに行ったのと、そのついでに初詣をしたりしたので3,000歩ほど歩いている。


                                 
                     孤高

 ようするに、ほとんど半ヒッキー状態といっていい。
 そこで昨日は、溜まっていた要件を済ませるために、寒風のなかあえて徒歩であちこちへ出かける。
 まずは銀行での残高確認。ネットでもできるのだが、行く途中にあるので銀行のATMに。久々に通帳への記入も行う。

          
                大手の酒屋のケース置き場

 その後、コンビニに寄って依頼してあったコンサートのチケットを受け取る。ハガキに記載されたナンバーを打ち込み、代金を支払うとチケットが受け取れる仕組み。3月の公演だが今から楽しみだ。

          
                 年越しのカエデの黄葉

 ついで郵便局へ。こちらも音楽絡み。加入している岐阜サラマンカホールの会員・サラマンカメイトの年会費2,000円の納入だ。
 この会員になると諸公演の案内が来るし、チケットの発売の際には先行して購入できる。また、10%のメイト割引という特典もある。
 今年はこの権利を最大限利用して、いい音楽を聴きたいものだ。

              


 郵便局の帰途は、元旦にも来た鎮守の森を横切った。正月用のかなりの装飾が外されていて、もう初詣の人影もないが、やはり大きな木立に囲まれていると落ち着く。
 ヒヨドリのけたたましい鳴き声が頭上に行き交うが、それに混じって聞きなれない鳴き声が。なんだろうとしばらく見上げていたが、何か鳥影がチラチラとするのみで葉陰に遮られてその実像を捉えることはできない。首が痛くなってきたので諦めた。

          

 うちの前のドラッグストアでちょっとした買い物をして帰宅し、歩数計を見たら、5,000歩を記録していた。
 やはり、各店舗で店員さんと応答したのみで話はしていない。応答といっても一昔前の対面販売とは違って、レジで「ああ」、とか「うう」とか言うのみだからそんなものは会話のうちには入らない。

 しばらく知人に逢ったり、名古屋へ出る機会もないから、たぶんもうしばらく半ヒッキーは続きそうだ。
 日本語の話し方を忘れなければよいが・・・・。 
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地味〜な元旦ですみません・・・・って誰に謝ってるの

2018-01-02 01:43:08 | 日記
           

 私の住む地方の元日は穏やかな良い日であった。
 新聞を読む。何部にか別れているが興味のない部分はまったく読まない(当然か)。
 ただし、特集ではなく、本紙の方でわりと読み応えがあるものがあった。

          

 「闘争・逃走2018」浅田彰のコメント付き、「何のために本を読むのか」柄谷行人×横尾忠則、「1対1が指す未来」藤井聡太四段×経済学者安田洋祐、「五敬遠があったから 松井秀喜」、「耕論 希望はどこに 水野良樹×森下佳子」などなど。
 
              

 とりわけ藤井聡太くんの応対には感心した。前からインタビューなどへの応答で並の少年ではないと思っていたが、この対談ではそのバックにある知識もだが、それらを駆使する思考能力がすごいと思った。とりわけ「ツェルメロの定理」(私もそんなもの知らなかったし、説明されてなるほどと感心した)につき、直ちにその原理を見破るなんてやはり大したものだ。

          

 ひとしきり新聞を読んでから、今度は年賀状のチェック。
 私が出していないのにくれたひとが六人。いずれも親しい人だから礼を欠いたままにはしておけない。早速返事を書いて投函に行く。ついでに近くの鎮守の森へ初詣に。この辺の集落の神社とあってさほど参詣者は多くないが、それでも私がうろちょろしている間に、3~4組の人たちが。

          

 神社近くで、何年か前にみた栴檀の実が折からの明るい冬空をバックに黄金色に輝いているのをまた見かけた。美しい。
 ついでに、近くの集落を散歩する。いつも通る栗の木が年を越して黄葉している。栗の黄葉なんてと思ったが、それなりにきれいなのでそのそれぞれをガラケーで撮る。

          
          

 午後になってから、息子夫妻がやってくる。
 娘も混じえて、久々に賑やかな晩餐。

 今年もよろしくお願いいたします。
 
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