六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

同人仲間・津田さんの水彩画を観る@岐阜県美術館

2024-04-28 13:38:34 | アート

 金曜日、岐阜県美術館へ同人誌「追伸」の仲間、津田正夫さんの作品が出品されているというので観にゆく。
 これまでも、津田さんの作品は3,4度観ているが、これまでは所属する絵画教室などの発表会が多かったのに対し、今回のそれは「第68回 岐阜水彩展」と伝統ある全県を対象としたもので、そのスケールも、作品のレベルもかなり違う。

     

     

 第一部はこの会の会員の作品であろう。わが津田氏はこの世界ではまだ駆け出しということで第二部での出品だ。

 作品は多様で面白い。水彩独自のさらっとした表現や、油彩と間違えるくらいこってりしたもの、リアル一筋から、デフォルメを施したもの、全くの抽象などなど。

     

     

 津田さんのものは「夏を待つ」と題した写実風の水着の女性図である。ただし、リアルな写実ではなく、裸に近いモデルさんにシャイな津田さんが水着を着せて描いたと本人が語っている。

     

 ド素人が上から目線で申し訳ないが、初めて観た数年前から比べて確実にその腕を上げていることは女性の肢体の表現からもわかる。この第二部から一定の作品に優秀賞がついているが、津田さんのものはその一歩手前だったようだ。

     

 これからは私の勝手な想像だが、津田さんの右隣りの作品が「メモリー」と題して裸婦をややデフォルメして表現し、優秀賞をとっている。
 ところでこの裸婦、そのポーズや津田さんの証言などからして、ひょっとして津田さんの描いたのと同じモデルさんを、横からではなく正面から描いたものではないかとも思えるのだ。
 だとしたら、裸婦を正面から描かず、横に回って水着を着せた津田さんのシャイ、純情さが選を漏らした原因ではないかと思ったりもするのだ。

 美術館内外の写真も添えてみた。

     

     
           これは道一つ挟んだ県図書館

     
 
なお、この展示会は明日29日まで。ただし最終日なので午後4時まで。
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二本ツツジと桜ん坊と鳥よけ対策

2024-04-26 00:32:36 | 花便り&花をめぐって

 24日はちょっと小寒い天候だったが、それを除くと初夏の陽気である。
 わが家には樹齢五〇年ほどのツツジが二本あり、双方が満開を迎えている。一本は白で家の南側、私の二階の部屋の真下辺りにある。もう一本は濃いピンクで、そちらは東側玄関の前、ガレージ横にあり、その距離は十数メートル程だろうか。

     

         まさに満開 この右上が二階の私の部屋

     

             私の部屋からみたツツジ

     

         ベランダから身を乗り出して撮ったもの

 はじめの頃は紅白がはっきり別れていて、白は全て純白であったが、いつの間にか、一枝の数輪が濃いピンクになったりし始めた。そして最近は、そうしたはっきりしたピンクもあるが、白い花に赤い斑入りのものが増えてきたり、全体が淡いピンクのものが出てきたりし始めた。これがけっこう美しい。

    

    
    
        
     薄紅色のものも含めてすべて白いツツジの木で咲いたもの
 
 一方、濃いピンクの方はそうした色変わりの気配は一向にない。朱に交われば赤くなるというが、白に交わっても白くはならないということか。まさか、悪には染まりやすいがそこからの更生は難しいということでもあるまい。

         
       赤いツツジの半分はガレージの方へ伸びて咲いてる

         

             バス通りにも面している   

      


 ツツジに囲まれている間に、桜ん坊が色づき始めた。かつては、開花はソメイヨシノより二週間ほど早く三月一〇日頃、桜ん坊の色づきはは五月一〇日頃だったが、年々早くなり、今年は二月末の開花、そして昨日ぐらいから食べることができるほど熟した実も見かけるようになった。

         

 そこで今日は鳥害よけのCDを吊るした。近辺はすっかり市街地化して、ヒヨやムクを見かける機会は少なくなったが、それでも、桜ん坊の時期にはやってくる。
 今日もCDを吊るしている折に、頭上の電線にヒヨが一羽やってきて、「余分なことをするな」とばかり抗議の鳴き声を発していた。

     

 毎年、何回か収穫した後にはCDを外し、鳥たちに任せている。「それまで待てよ」といって作業を続けた。
 これを書きながら、かつて「鳥」をテーマにしたSF風の小説を書いたことを思い出した。あれはもちろん未発表のままだが、原稿はどうなったろうか。PC前の手書きだったろうか、それとも、PCのどこかにあるのだろうか。それすら怪しい話だ。一度探してみよう。

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散歩道から 春の終わりの花々を中心に

2024-04-21 02:26:02 | 写真とおしゃべり

 六〇年ほど前、この地へやってきた折は田んぼの中の一軒家だったのが、次第に市街地化が進み、とりわけここ2,3年のそのスピードは急速で、ついに田んぼが視界から全く消え去ってしまったことはすでに述べてきた。
 今となっては、空き地の叢から雉の親子が列をなして現れたり、周辺の田んぼのカエルの大合唱にウシガエルのバスが呼応してやかましくて眠れなかったなんて夢のまた夢だ。

 散歩をする箇所もなくなってしまった。田んぼを埋め立てた新興住宅地を歩いてもなんの興も湧かないではないか。
 しかし、やはり多少は歩かねばということで先般、午後一で近所の歯科医へいったついでに、自然が残っていそうな箇所を求めてふらふら彷徨ってみた。以下はそこで撮った写真。

 矢車草。かつてはポピュラーでどこにでもあったが、園芸対象の花としては少数派か?

山吹も最近はあまり見ない。立派な八重だが、もう終わりかけであった。

残っている畑から。上はえんどう豆、下はそら豆の花。

ダイコンバナ。大根の花ではない。花の形状が似ているから。大根の花は概して白い。

 遠目には黄緑にみえる。立派なオオデマリだ。

イチジクの蕾。もっともイチジクの実そのものが花だからこれが大きくなってゆくのみ。

 松の雄花。松ぼっくりは雌花の方で、受精した翌年、松ぼっくりになる。

こんな箇所が残っていると嬉しくなる。

これは途中で撮ったなんでもない風景。

 散歩のお土産。柿の新芽と法面が残っていたところで採った野蒜。

 上の二品は、湯がいてあった筍とともに天ぷらにした。

 

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亡くなっていた旧友の遺作写真作品を観る。

2024-04-17 15:54:45 | ひとを弔う

 ネットの黎明期、90年代の中頃に「パソコン通信」というものがあった。今のSNSの走りのようなもので、私はそのうちの「東海フォーラム」に参加し、いろいろな人と知り合い、情報の交換などをした。
 時折、ネットを通じないオフ会という飲み会などもあって、当時まだ居酒屋をやっていた私の店がその会場になるなど、営業上の恩恵を受けたこともある。

 その折の会員の交流はけっこう濃密で、パソコン通信がなくなり、MIXIやFB、Xの時代になってからも交流が続いている人がいまなお数名以上いる。ほぼ30年のつながりだ。

      

 そのうちの一人に、大垣市在住のTさんがいた。元国鉄の機関士で組合は国労(国鉄労働組合)に所属していた。国鉄が民営化しJRになる折、JR当局は国労から離脱し、より穏健なJRの労組へ鞍替えすることを求めた。組合の骨抜きを警戒し、それに応じない人たちもいた。そうした人たちにJRは露骨に差別待遇を行い、JRへの移行に際し、役職やこれまでの職場を取り上げたりした。

 Tさんもその一人で、かつて関西線の機関士として並走する近鉄特急とスピードを競い合ったという彼は、キオスク勤務という命を受けた。
 私が居酒屋を辞めて以後も、名古屋でのオフ会の帰りなど、大垣の彼と岐阜の私は岐路をともにし、よく話をしたものだった。
 その後、新たなSNSの時代では、そこでは合わなかったものの、彼の勤務地が岐阜駅ということで、そこで顔を合わせ、よく近況を語り合ったりした。

 彼が退職してからはそうした機会もなくなったが、つい先日、当時からの共通の友人から大垣でのある写真展の案内が送られてきて、それにはTさんの名もあったので、その写真を観ながら、うまくゆけば彼と久々の出会いを楽しめるかもと思い出かけた。

 車で出かけた。市内以外へと出るのは久しぶりだ。大垣は近い。駅まで出てJRで行き、そこからバスなどを探していいる間に着いてしまう。久々の郊外だから安全運転には心がけたが、道路も広く、ほぼ一本道で混雑もなく、あっという間に着いた。

 スイトピアセンターにある展示会場を見つけ、まず入口にいた会員とおぼしき人に、「今日は高木さんはいらっしゃいますか」と尋ねた。途端に三人いた人たちの顔に、驚きと暗い表情が走った。

       

 「ご存じなかったですか?」と逆に問い直される。「は?なにをですか?」と私。「先月、16日にお亡くなりになりました。今回のご出品はそのご遺作です」とのこと。
 驚いてその事実を確認し、私自身の自己紹介をし、個人との関係を話す。そのうえで、心を鎮め、写真を鑑賞する。もう35回の展示会を重ねるところからかなり伝統ある写真クラブだと思われる。それぞれのレベルも高そうだ。

 写真の対象やジャンルなどには統一した方向性はなさそうだから、作風については会員個人の自由な選択に任されているようだ。中にはPCでの処理を最大限に活用した抽象画風のものもある一方、あくまでもリアルな対象を明瞭に表現しようとするものもある。

 目指すTさんの作品は猛禽類を中心とした動物写真だった(他にもう一人、同様の作品を寄せている人も)。タイトルは「イヌワシ」、「琵琶湖のオオワシ」、「ハヤブサの空中餌渡し」、「ツキノワグマ母さんの授乳中」、「イヌワシ幼鳥」、「草原の貴公子ハイイロチュウヒ」の6点で、これら対象はどこにでもいるものではなく、その生態や居住区域、季節ごとの行動など、あらかじめのリサーチとそれに基づく粘り強い追跡行が必要なことはいうまでもない。加えて相手は動くもの、それを確実に、しかも鮮明にキャッチする技能が伴わないと作品として対象化しうるものではない。

 生前のTさんの、とことん対象に粘り強くこだわる性格が見て取れるようであった。とりわけ、「ハヤブサの空中餌渡し」や「ツキノワグマ母さんの授乳中」などは、珍しい瞬間をキャッチしたものとして、撮影者、つまりTさんの「やったぜ!」という表情がみえるようであった。
 見終わってから残っていた会員の方と再び多少の言葉をかわし、会場をあとにした。

          

 ところで、このスイトピアセンター、なかなか大きな施設で、他にも展示会などがありそうなのでついでにそれも観てきた。
 まずは同じ階でかなり広い空間を使って行われていた「清雅会書展」という書道展。この会は1950年代後半に発足したとあるから西濃一体を地盤とした大きな団体らしい。書は全くのド素人だから作品の評価などは出来ないが、どれも堂々としたものが多かった。むろん書体はいろいろ。
 
 特別な催しとして、太い竹に書いた文字の部分をくり抜き、中からライトを照らす書行灯のコーナーがあり、竹の内側に好みの色の紙を巡らすと、光の文字の色が浮き出すという優雅な試みだ。

 一階下では二つの絵画展をやっていて、それぞれ、絵画教室の発表会のようであった。同じモデルや同じ風景を対象とした作品もあって、作品の良し悪しというより、その習熟度が見られるということだろう。なかには、やや面白い表現というか個性的な筆使いをしている人もいる。

 それらを駆け足程度に見て回り、Tさんの訃報とその遺作のイメージを抱いたまま大垣の地を離れた。
 来月、5月の11・12日は大垣祭りでからくりの山車も出る。近所のサークルで行くことになっている。1944年に大垣に疎開して以来6年間住み続け、そのうち何回かは大垣祭りを観ている。山車では「瓢箪鯰」をよく覚えている。今回実に久々だが、その瓢箪鯰に逢えるだろうか。Tさんも何度か見ているはずだ。

 最後に改めて、Tさんの御冥福を祈りたい。Tさん、あなたの写真、観たよ。素晴らしかったよ。

 写真はいずれも大垣スイトピアセンターの庭で。

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春の食欲日記と旬の筍、そして地三つ葉

2024-04-14 00:34:27 | グルメ

 春になって食欲が増したかもしれない。久しぶりに体重を測ったら2〜キロ増えていた。この歳になってあまり肥ると、そのへんでぶっ倒れても誰も助け起こしてはくれなくなるから要用心だ。

 どんなものを食べているかは写真のとおりだが、一見独創的に見えるものもそうではない。昨日の余り物や賞味期限が切れるものをどう処分するかでかなり無理をしてつじつまを合わせたものが多いからだ。

 もっとも時たま、その取り合わせの意外性が思わぬ味覚を引き出したりするから、それもまた調理をする者の僥倖かもしれない。

 焼きそばだが、ソース味ではなく、顆粒かつおだしと薄口醤油のあっさり味。

 揚げが入った志の田ラーメン。赤ウィンナーは期限切れのため無理やり入れた。

 前日の余り物、舞茸の天ぷらとわかめネギのうどん。

 前日の余り物をぶち込んだパスタ。あっさり味にし、上に大葉をのせた。

 そろそろ冷たい麺をということで乾麺からのざるそば。

 ベーコンとネギのカレーうどん。出汁はカレー粉と手持ちのスパイス、タバスコなどをぶち込み、メリケン粉と混ぜたもの。

 前日の小海老の天ぷらの余りで作った「天ぷらラーメン」。

以下、筍の話

 農協で500円で買った1キロ余の筍。直径35センチ、うちで一番大きい鍋で湯がく。

 小糠と鷹の爪を入れ、落し蓋をして1時間半湯がく。

 鍋のまま平熱になるのを待って、皮を取り去り、真水に浸す。この水は時折取り替える。写真には撮らなかったが、竹皮の下の部分の柔らかいところ(姫皮)は包丁できれいに取り外せば、生姜と薄口出汁のおひたし風でつまみが一品できる。吸い物やみそ汁の具にもいい。 

 筍は煮付けなどにしたが、一部は筍ご飯にして弁当に。

 弁当にしなかったものは私自身の昼食に。

付・地三つ葉の話

 最近、農協の朝市でゲットしたもののうち、一番嬉しかったのはミツバの100円。これがそこらのスーパーで売ってるヒョロヒョロっと去勢されたような代物と違って、茎も太く、しっかりした古武士の風貌をもついわゆる「地三つ葉」なのだ。

 三つ葉はこれでなくっちゃと思う。これをお浸しにしたらしっかりとしたくせのある味と強い香りでたまらないのだ。

 子供の頃、疎開先で家の周りやちょっと湿気のある土地でこれを採ってきては食べた。これぞわが三つ葉の原点。三つ葉は吸い物や茶碗蒸しなどの添え物ではなく、それ自身紛れもなく主役なのだ!

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春・桜・祭・子供みこし・そして花々

2024-04-06 16:59:07 | 花便り&花をめぐって
 二月には、今年の花の開花は早いといわれた。それが三月の寒さで結局は例年より遅い開花となった。未来予測の難しさを感じさせる。
      

 この地区は今が桜の満開だ。
 昨日、花曇りのなか、すぐ近くの「マイお花見ロード」へ出かけた。わざわざ「マイ」とつけるのは、川沿いにそこそこの桜の並木をもちながら、決して知られた名所でもなく、また各種情報に載ることもなく、近隣の人や買い物帰りにたまたま通りかかった人たちが眺めるのみだからだ。
          

 この地に住み着いて、もう数十年にわたってここでの花を楽しんでいるが、幾分の変化が見られる。要するに無名の地域だから、観光地並みのメンテナンスはされないまま樹々の老齢化は進み、寿命の尽きた樹もあってもその補充はなく、歯抜け状態の箇所がかなりある。
          
      

 また、ソメイヨシノの寿命や樹の最盛期も短いため、残った樹の花の付きも次第に衰えてくる。毎年、ほとんど同じ場所で写真に収めるが、素人目にもかつてよりボリューム感が衰えてきたことがわかる。盛り上がるように花をつけるのが最盛期のソメイヨシノだが、それが感じられないのだ。
 しかしそんななか、懸命に花をつける樹々への愛おしさもある。
          

 今年の満開のこの時期は、ちょうど春の岐阜祭りと重なった。かつては5日と定められていたが、今はそれに近い土日に設定されるため、今年は6日が宵祭、7日が本祭となる。
      

 それに合わせて、この地区では例年、子供みこしが出る。今年も午前中にそれがやってきたが、桜のボリューム同様、少子化でかつてより参加者が減りいささかさみしい一行である。
 この辺りは、旧来の住民を凌駕するような市街化が進み、居住者の戸数はぐんと増したのだが、それらも少子化であったり、町内会や子ども会への不参加があったりして事情は複雑なようだ。
          

 みこしの一行に些少の心付けをする。返礼で小さなポリカップに注がれた酒とスルメをもらった。今日は車に乗る予定はないので縁起物とばかりに朝から口にする。と言ってもほんの一滴だから、もうほとんど醒めてしまった。
          

 子供の頃や若い折は、祭りというと友人たちと計らって街の中心部へ繰り出したものだがもうその元気はない。

 末尾に、桜を撮した昨日、別のところで撮した花も添えておこう。チューリップとオキザリスである。
          
         
         
         
         

 

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鮮度のいい魚は弾けてしまうということ

2024-04-03 16:20:11 | グルメ
 日曜日午後、釣り師Yさんが敦賀沖の釣行のお帰りにわざわざお立ち寄りいただき、さっきまで泳ぎ回っていた釣果の一部をいただく。鯛、ウマズラハギ、イサキを各一尾。死後硬直でまだそっくり返っている。

 全体の写真を撮るのを忘れた。
 鯛はやはりお造りにした。
 ウマズラハギは大きかったが、娘が在宅していたので、二つに切って煮付けにした。
 鮮度の良い鯛刺しの旨さは言うまでもない。
 それに劣らず、ウマヅラが美味しかった。
 煮付けにしても鮮度によって味が全く違う。
 味はもちろん、口腔内での身の感触そのものが違うのだ。

      

 翌日、鯛のあら煮を造る。鮮度が良いので煮しめず、あっさりと沢煮風に仕上げる。
 そのため、合わせた大根はあらかじめ湯がいてアク取りをしたものを用いる。鯛も大根もあっさりと仕上がって私にしては品のあるあら煮となった。

      

 併せてイサキを塩焼きにする。久々の踊り串、魚の形状を思っての串打ちは楽しい。
 これには自信があった。波に踊る魚体、その表面にV字型に刻まれた飾り包丁。
 しかし、その仕上がりは予想に反した。「V字型にクッキリ入る飾り包丁の跡」が乱れてしまっているのだ。
 
 原因はすぐに思い当たった。焼いたのは頂いた翌日だったが、まだじゅうぶん刺身でもいける鮮度だったため、飾り包丁を入れた箇所で身が弾けるようになってしまったのだ。

 そんなことで見た目は60点ぐらいになってしまったが、その代わり味は120%でこれまでイサキはほとんど焼きにして食べているが、こんなに身がしっかり・しっとりと味わいが深い者は初めてだと思う。

      

 海なし県の岐阜にいながら、こんな鮮度の良い海魚が口にできるなんて、これを「口福」といわずになんといおう。
 Yさん、わざわざお立ち寄りいただいてお届けいただけるそのご厚志、ほんとうにありがとうございます。

魚料理以外の写真は、ほうれん草おひたしと新玉ねぎと焼きベーコンのオリーブオイルとポン酢和え。

 

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