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六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

白い予兆

2025-04-15 11:22:48 | フォトエッセイ
 「みよちゃん」と名乗る白鳥に逢った。みよちゃんは金具がついたグラスで自分の羽の色のようなミルクを飲んでいて「あんたもお飲みよ」という。戸惑う私に、「もうすぐお別れなんだから」と。あ、そうか、みよちゃんたち白鳥も、もすぐ北へ帰るんだと気づいたところで目が醒めた。
 
           
 
 起床し、洗濯物を乾したのち、昨夜の雨と今日の日照で白いツツジが開花し始めたのを見る。
 みよちゃんの夢はこの予兆だったのかも知れない。
 
       
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「夜桜お七」と林あまりの短歌

2025-04-06 11:30:11 | フォトエッセイ

 5日の夜、名鉄岐阜の前での女性の街頭ライブ。珍しく演歌。曲目は坂本直美のヒット曲「夜桜お七」。
 この歌は歌詞が面白い。作詞者は林あまりさん。濃艶でエロチックな歌で知られている。
 濡れ場を詠ったものでは、公にはとても紹介しかねるすごいものが何首もある。
 林さんにしてはとてもおとなしいなと思う歌でも以下のようなものだ。

舌でなぞる形も味もあなたは知らない
 わたしにはこんなになつかしいのに

うしろからじりじり入ってくる物の
 正体不明の感覚たのしむ

右脚をしずかにひらかせ首にかけ
 ピアニストの指芯に届きぬ

文脈は無視して犬のように仕える
 振るべき尻尾などないままに

まず性器に手を伸ばされて
 悲しみがひときわ濃くなる秋の夕暮れ

            林あまり『ベッドサイド』(新潮社)

      

 街頭ライブに戻ろう。それを聴いてからJR岐阜駅まで歩く。バスターミナルに囲まれた小公園の桜がライトアップされていた。改めて「夜桜お七」を思い起こした。

 知ってる人は今さらと思うだろうが、「夜桜お七」を載っけておく。林あまりさんの歌詞を改めて聴いていてほしい。

 https://www.youtube.com/watch?v=f3cmggPaQMw

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ああ!カタリナ・ヴィット(フィギアスケーター)の東独はいま・・・・

2025-04-01 00:42:22 | フォトエッセイ

31日、NHK総合午後10:00からの「映像の世紀 東ドイツの41年」、とても重い番組だが興味が尽きなかった。
昨夏、ドイツを旅し、ベルリンでもどちらかというと東側を見て、また畏友K氏が住むライプチヒでは、東独崩壊の最後のひと押しになった大衆的デモの発祥地、聖ニコラウス教会(バッハのいた聖トーマス教会とは徒歩数分)のすぐ前のホテルに二泊したからである。
ここで何十人かで始まった集会やデモが、やがて何十万人になり、東独各地に広がり、ついには東独41年の歴史にピリオドを打つこととなった。
しかし、問題は現在にこそある。そうして西側に編入された東独だが、労働者の賃金は旧西側より20%ほど低い。しかも最近は流入する外国人労働者との職の奪い合いの中でしか生きて行けない。
そんなことから、いま、旧東独地域では、排外主義的急進右翼政党が大幅に支持を広げ、旧東独地域に関していえば第一党ともいえる。
彼らが、旧東独よりもと選んだ体制は、ネオリベ支配下で弱者は去れという冷酷な体制に堕していたのだ。
これは、ウクライナ・ロシア戦争へのヨーロッパの立場にも共通する「ヨーロッパ中心主義」の問題かも知れない。
東独では、西へ走ったことへの反省すら出ているという。
世界はまた、20世紀末とは違う次元を迎えようとしてる。
 なお、私のライプチヒ二つの教会の記事はこちら。
  https://blog.goo.ne.jp/rokumonsendesu/d/20240805

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もう一つの100年目を知っていますか?

2025-03-26 17:58:44 | フォトエッセイ
          
 
NHKは今年が放送開始100年で、さまざまな特集で浮かれてるが(NHK関連の方、ゴメンナサイ)、今年、100年を迎えるもう一つのものがある。
それは治安維持法だ。若い方は知るまいが、軍国化する大日本帝國を支えた弾圧の立法化である。
国家意志に反するものはすべてこの法でもって囚われ処分された。作家の小林多喜二や、川柳家の鶴彬のように、起訴や裁判に至る前に、拷問死させられた者も多い。
政治、法律、経済、文化、宗教などなど、あらゆる分野の団体や個人が、この法の名において抹殺された。
その結果があの悲惨極まりない戦争!
ようするに、「電波を使って情報を流させてやるが、それが国家意志の範囲を脱するやいなやこれがありますよ」とヌッと現れた治安維持法。
NHKは「治安維持法生誕」の特集も組んでみてはどうだろうか。
 
 
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【初冠雪】

2025-01-10 16:48:56 | フォトエッセイ
目覚めたら一面の銀世界。10センチほどの積雪か。豪雪地帯なら降った中に入らないかも。
農協の朝市へ行くつもりだったが、路面も関節しているし、まだどんどん降っているので急遽中止。
私のポンコツ軽ではとても歯が立たない。野菜のために命を賭ける必要もあるまい。
      
          
      
          
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お年賀です。

2025-01-01 00:44:01 | フォトエッセイ

         

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久々の自作弁当公表

2024-12-06 01:22:13 | フォトエッセイ

 自作弁当の久々の公表。おかずは上から、白カブあっさり煮、ついで削った皮を上にしたためわかりにくいがカボチャ煮付け、赤ウィンナー、鶏もも肉ソティ、卵焼き。ご飯は、岐阜県産米ハツシモ。自己採点、81.6点。ちょっと甘いか?

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【今日の工作】材料は百均。合計300円。

2024-10-05 16:50:34 | フォトエッセイ
 玄関脇の大型郵便物など専用のポストを作った。
 
 前のものが壊れそうになったからだ。プラスチックは太陽光のもとでは劣化して壊れやすい。というのは前のものも、私が百均のプラスチックの箱を細工して作ったものだった。5,6年はもったろうか。実は今回のもので三代目に当たる。


 今回のものも百均でA4用紙用のプラスチックトレイ二枚と幅広の黒の粘着テープの都合300円で作った。色が黒しかなかったので、写真では見にくいであろう。
 大きさは、高さ32cm、幅26cm、奥行き、つまりものを出し入れする間口の幅は8cmである。

      

 この左上に、レターパックが入るような幅18cmぐらいの普通郵便受けがあるのだが、それ以上の大きさ、ないしは厚みのあるもの用なのだ。
 郵便局はこれをきちんと守ってくれる。チラシ入れなどは、これを守ってくれるのとくれないのがいる。後者については、それが何であるかを問わず目を通すことなくゴミにすることとしてる。
 こちらが書いているものを読みもしないで自分の方のものを読ませようというのは太い了見だからだ。

 さあ、これは何年もつかな?
 これが壊れるのが早いか、私が逝くのが早いか、競争だなぁ。
 
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ヨーロッパは面舵(右方向)に転じるのか?

2024-09-03 16:48:30 | フォトエッセイ
       
先般のドイツ地方選において、極右政党が第一党に躍進した。
今夏の私の旅は、どちらかというと東独圏であった。
そのライプチヒに住む畏友K氏とドイツの政治状況について会話した際、彼はやはり東側に不満が蓄積していると指摘していた。
三十数年前、東西ドイツは統合されたが、平等になったわけではない。
K氏の指摘によると最近まで、同一労働についての東西の賃金格差は85%ほどであったという。むろん東が低いのだ。
この差は、是正されつつあるとはいえ、いまなお不平等は残る。
だから、東の勤労層にとっては外国人の導入などはますます危機と思われる。
アメリカでトランプを支持するプアーホワイトと似た立場といってよい。
加えて、東独時代を懐かしむ層もいる(極限すればナチズムとスターリニズムは類似点もある)。
そんなことでの今回の結果だが、ドイツはEUの核をなす国である。そこでのこの事態は、ヨーロッパ全体に、否世界全体に影響を及ぼしかねないともいえる。
この国のネット上にも、ヘイト画像なども含めた外国人排斥の記事がどんどん増えている。
私は操舵手としてはもう老いてしまったが、中立などという生ぬるいことを言っていないで、取舵をいっぱいに切りたい。
 
 
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来なかったソ連軍=ワルシャワ蜂起の悲劇 八五歳ヨーロッパ一人旅

2024-08-16 14:57:00 | フォトエッセイ

 ワルシャワ蜂起の痕跡を見ること・・・・これが今回のワルシャワ訪問のひとつの目的であった。この事件は、国際的にはともかく、ワルシャワ市民にとっては忘れ難いもので、今も八月一日の同時刻にはサイレンや鐘が鳴り、市民は黙祷に伏すという。

       

    ワルシャワ蜂起記念碑会館 右側の大きな塑像は残念ながら修理中

 1944年7月31日、敗走するドイツ軍を追ってきたソ連軍は、ワルシャワ中心地区のすぐ東を流れるヴィスワ東岸に到達してた。そして、そのソ連軍とワルシャワ市内のレジスタンスの間で、翌8月1日を期してソ連軍はワルシャワ市内に進行し、それに合わせて、ワルシャワのレジスタンスがドイツ軍に対しいっせいに蜂起するという約定が交わされた。

     

    左側の塑像にて 残念ながら写っている女性は私とは関係のない人


     

手前兵士は地下へ潜るようなポーズ アンジェ・ワイダの『地下水道』を思わせる

 それに従い、ワルシャワ市内で訳5万人の市民が蜂起した。とはいえ、武器を持つものは数人に一人であり、ドイツ軍の兵庫を急襲するなどして武装率を高めていった。こうしてレジスタンスはその急襲により優位に立つかに見えた。

      

            ワルシャワ蜂起の説明ボードなど

 しかしである、わずか数百mのヴィスワ川東岸のソ連軍は約定に反し、補給の不十分などを理由に全く動かなかったのだ。これをみたドイツ軍は、レジスタンス撃滅作戦に専念することができた。
 ソ連軍の動きがないまま、レジスタンスは果敢に戦った。それでも2ヶ月後の10月はじめには、ドイツ正規軍には歯が立たないまま、降伏を余儀なくされた。

       

              記念碑館前の庭園にて

 この間、ワルシャワ市民の死者は18~25万人、街から追放された市民約70万人に達した。前回述べた旧市街が跡形もなく破壊されたのもこの時期であった。
 なお、ソ連軍がヴィスワ川を渡り、ワルシャワを「解放」したのは翌45年の1月であった。

      

       王宮裏の庭園 向こうの赤い橋がヴィスワ川にかかるもの

 『灰とダイアモンド』の映画監督・アンジェ・ワイダのもう一本の映画『地下水道』は、ソ連軍の援助のないなか、地下水道を拠点に戦い続けるワルシャワ・レジスタンスを描いたもので、私は日本公開当時(1958年)に観ている。
 その映画のシーンにも、地下水道のヴィスワ川に面した鉄格子越しに、対岸に来ているはずのソ連軍を待望する映像があったような気がする。

      

         この向こう側にいながら蜂起軍を見捨てたソ連軍

 今回のワルシャワ旅行ではその記念碑を訪れたほか、「ソ連軍はここまで来ていながらなぜ蜂起軍に呼応しなかったのか」というヴィスワ川を確認した。前回書いた、徹底して破壊された旧市街からはほんの何百mの距離であり、ワルシャワ市民の無念さが改めて理解できる気がした。

      

          さらに南方で撮したヴィスワ川に掛かる橋

 ポーランド=ワルシャワは、かねてより、西はドイツ、東はロシアという強国に挟まれてその運命を左右されてきた。しかし、それにもめげず、またそれに全面的に屈することなく、したたかに自己主張をしてきた。
 それがあの誇り高き44年の蜂起であり、その折の全面破壊を完全に復興した「新」旧市街の実現であるように思った。

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