六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

紅から紅へ

2007-01-30 17:18:23 | よしなしごと
   紅蓮の花びらを振りまいてサザンカがゆこうとしています。

    
              岐阜県立図書館中庭にて
 
 
 そして新しい紅、紅梅がはち切れんばかりに蕾を膨らませて・・。                                  

                                            
                拙宅にて

 
 安易な無常観など必要としない厳粛な交代のセレモニー。

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古時計と六の時事川柳 07.1.28

2007-01-28 14:42:23 | 川柳日記
 古い時計たちが手許にある
 いずれも安物ばかりだが
 捨てきれない時計たち

 時計が文字通り時を計るとしたら
 私が時を計ったのではなく
 時計たちが私の時を計ってきたに違いない
 
 私の過ぎ去ったあの時たち 
 古時計はそれを分有している

 だからきっと捨てられないのだろう





<今週の川柳もどき> 07.1.28

 耐震の偽装安倍川餅一家
  (アパの元谷外志雄は安晋会の副会長)
 
 になり対米批判する余勢
  (久間防衛相。政府はもみ消しに必死)

 産む機械産ませる機械雌と雄
  (柳沢厚生相少子化問題での発言)

 詰め腹を切らせ与党に向き直る 
  (民主党。角田副議長を片づけ、さて)

 タレントを超えた手腕の見せ所
 陰湿な虐めの影もちらほらり
  (宮崎県東国原知事)

 菓子だとて甘くは出来ぬ安全値
  (不二家など)
 
 保険屋の約定に似た謝罪文
  (読むなという字の小ささ
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昼と、そして、『夜のプラットフォーム』

2007-01-26 17:32:03 | よしなしごと
 プラットフォームはもちろん、人が発ち、帰るところです。
 それは即、様々な人生がクロスするところとして、歌や詩になってきました。


 

 私には、プラットフォームで切ない別れをしたという艶っぽい話はないのですが、ただ、胸キュンものを経験したことは二度ほどあります。
 
 ひとつは、昭和19年、もう逢えぬかもしれない父の入営を駅頭に見送った時です。入営後の父は即、当時の満州へと送られました。
 もうひとつは、生死不明であったその父が、シベリア抑留を終えて昭和23年の春、帰還することとなり、深夜のプラットフォームへ出迎えたことです。


 
 そんなことがあったせいか、『夜のプラットフォーム』というのは私の好きな歌なのですが、最近は余り聴くことがありません。

 この歌、最初は昭和14年に、作詞:奥野椰子夫、作曲:服部良一、唄:淡谷のり子でレコーディングされましたが、そのメロディの哀愁感と歌詞の切なさが既に非常時体制に入りつつある中、厭戦気分をかき立てると言うことで、即、発売禁止になりました。

 とくに、出征する兵士にとっては、生還を意味する「いってまいります」も許されず、「行きます」(往きます、逝きます)しかなかった時代にあって、「君いつ帰る」は禁句だったのです。
 以下がその歌詞です。


1 星はままたき 夜ふかく
  なりわたる なりわたる
  プラットホームの 別れのベルよ
  さよなら さようなら
  君いつ帰る

2 ひとはちりはて ただひとり
  いつまでも いつまでも
  柱に寄りそい たたずむわたし
  さよなら さようなら
  君いつ帰る


3 窓に残した あのことば
  泣かないで 泣かないで
  瞼(まぶた)にやきつく さみしい笑顔
  さよなら さようなら
  君いつ帰る


 
 メロディを知りたい方はGoogleかYahoo!で検索していただくと、それが付いたものが結構あるはずです。


 戦争が終わり、この歌が甦ったのは昭和22年2月のことでした。その折り、歌手は、淡谷のり子から二葉あき子に変わりました。

 ここまでは、私は以前から知っていたのですが、今回ネットで調べているうちに、面白いことが分かりました。




 というのは、昭和14年の折り、発売禁止にされた服部良一はどうしても諦めきれず、それに英語の詩を付けて、洋楽として発売にこぎつけたのでした。
 当時はまだ、日米開戦以前でしたから、英語の歌もかろうじて許されたのです。
 その折りの英訳の歌詞は以下の通りです。

  I'm waiting

Soon, I will be all alone.
Soon, you will be gone.
How sad each long day !
How dark each long night !
I will be waiting you,
Counting the hours you are away.
Good-bye, my lover, though we part now.
Soon be back to me, certainly !

 最後の方は「必ず帰ってこい」で、日本語の詩(「君いつ帰る」)よりも強烈なのに、軍部の目をよくかいくぐることが出来たものだと思います。

 しかし、折角のこの英語版も、昭和16年の日米開戦を持って、敵性歌謡として葬り去られたのでした。

 この話に、余分な注解は付けません。敢えて、冬の陽射しの明るいプラットフォームを載せたことをもってお察し下さい。
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ナルキッソスの憂い

2007-01-24 17:19:25 | よしなしごと
 庭の水仙が咲いた。
 さして広くない庭の4カ所ぐらいに生えてくる。
 何の手入れもしないので、野生児そのままの水仙である。

 それでも年毎に様相が変わって、今年は花のつぼみが多い。
 やはり暖冬のせいだろうか。

        

 水仙というと思い出すのはギリシャ神話のナルキッソスの物語だが、ざっと読むと、このナルキッソス、とても自己顕示の強い奴に思われそうだがそうではない。
 彼は他者に対して己を誇示したのではなく、文字通り自己を対象として自己陶酔(ナルシシズム)をしたのであった。要するに、そこには、他者との関わりが欠落していて、それ故の植物化とも読めるのである。

       
       カラヴァッジョによるナルキッソス

 そう言えばそのナルキッソス、その前には、彼を愛しながら彼の言葉を繰り返すことしかできないニンフのエコーを振ってしまったという前歴があり(エコーはそれを哀しむあまり、姿を消して声だけ、つまりコダマになってしまった)、それを併せ読むと、「聴くこと」「視ること」においての他者の欠落という、なんかツボにはまった話になるのだが、その辺の深追いはよして花を楽しむにとどめよう。


 以下は、まだ蕾のもの二題

      

         

 おまけ:一ヶ月以上遅れて咲くラッパ水仙。まだ発芽したばかり

      

私もしばしば、自分の容姿にうっとりすることがありますが、水仙に変えられないのは、それが単なる自己陶酔ではなく、自他共に認めるものだからでしょうか。
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日比野克彦と六の時事川柳 07.1.21

2007-01-21 16:17:57 | 川柳日記
 過日、岐阜の中心街、柳ヶ瀬付近に出かけました。
 親しい友人との今年の初顔合わせです。その時、こんなものを目にしました。
 行灯状につくられた数字が、アーケードの下にぶら下がっているのです。



 実はこれ、岐阜出身の日比野克彦のアート作品なのです。
 彼は昨年、岐阜の街を自分の作品と連動させる様々な試みを行いました。



  夏の長良川には、やはり行灯状の自分の作品を乗せた舟を浮かべました。
 その他多くの街頭パフォーマンスを行いました。
 その集大成として、昨秋10月から12月にかけては、県の美術館で、彼の作品展が行われました。

 この写真は、その一環として岐阜の繁華街をデコレイトしたものです。
 その全体的な感じは以下のようです。


 
 しかしです。友人と食事をし、二次会に出かけ、帰りに再びそこを通りかかると、この日が最終日であったようで、ご覧のようにその撤収が始まっていました。
 先ほどまで、頭上で光をたたえていた作品群は、路上に置かれていました。



 なんだか酔いが醒めるような寂寞感がありました。
 そして、季節はずれですが、
    面白うてやがて哀しき鵜舟かな  芭蕉
 という句を思い出したのでした。 



<今週の川柳もどき> 07.1.21
  
  吹けば飛ぶみたいに軽い首相の座
  後継でもう揉めている首相の座
  ジャンケンのように後継論議する
   (麻生氏や谷垣氏)
  
  詰め込みゆとりを行ったり来たりする
   (教育再生?)
  
  戸締まりをしても悪魔が忍び寄る
   (北見のガス漏れ

  地下鉄の談合地上に漏れてきた
   (名古屋で。こちらは漏れた方がいい)
  
  校長のおよばれ次第旅行先
   (修学旅行の仕組み)

  納豆の過熱はやはり臭かった
  ねっとりとこの問題は糸を引く
   (データ偽造)

  モナリザの微笑少しは謎が解け
   (モデルとされた女性の埋葬地分かる)
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狼狽? いや、道草の勧めです。

2007-01-20 18:03:11 | よしなしごと
 新しい道が好きです。
 それを求めてわざわざ散策するほどの余裕はありませんが、どこかへ用事で出かけた折りなど、その帰り道は、多少遠回りになっても出来るだけ今まで通ったことがない道を選びます。

 新しい「道」で「未知」との遭遇なんてやはりオジンのギャグですね。
 でも、やはり今まで気付かないものに出会うこともありますよ。

   
 この木もそうです。遠目には銀杏の紅葉の名残かなと思いました。
 それにしても黄色が鮮やかすぎるので、少し回り道をしてそこへ行きました。

 
 花でした。真っ黄色な蝋梅(ろうばい)です。去年知り合いの方にこの花の名前を教えて貰いました。その時に観たものはもっと小さな木で、花も白っぽいものでした。



  これは大きな木で、花も鮮やかな黄色です。
 触ってみると、花びらの感触がやはり蝋細工のようです。

 これが、私の家から僅か5分ぐらいのところにあったのです。
 やはり、いろんな道を通ってみるものです


    路地を抜けると一面の砂漠
    Gパンを裏返しにはいた女が
    「東はどっち?」と尋ねた

    空を見上げると太陽が三つ
    赤紫に爛れたのが
    くるりと反転して消えた

    振り向くと一陣の砂嵐

    女はもうナツメ椰子だった
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枯れたものへのフェチ

2007-01-19 00:48:07 | 写真集
 枯れる。多くの草木が枯れる
 冬は枯れたもののオンパレードだ。

 枯れるって何だ。  
 老いの始まりか?
 死への接近か?
 あるいは死そのものか?

 それとも再生のための・・。

 最近、間接的にではあるが、「老い」に触れた書に接した。そのせいか、「枯れる」という現象が幾分気になり、目に付くようになった。しかし、よく観ると、それはそれで結構美しいのだ。

 ではパレードの始まり。

     
        これは草むら
 
          
       紫陽花の立ち枯れ

      
         ススキ

       
        セイタカアワダチソウ

     
          これも草むら

     
          カラスウリ

     
          休耕田の立ち枯れ
 
     
          キャラブキの花

     
         おなじみネコジャラシ
   
     
      最後に新しい息吹を・紅梅の蕾
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『雨月物語』と戦後民主主義

2007-01-16 17:57:00 | 映画評論
 映画『雨月物語』を観て、「これは戦後民主主義の映画だ」と口走ったばかりに、ネット上のあるところで、「それはまたどうしてか」と詰問されるはめになった。まことに口は災いの元、いや書いたのだから筆禍というべきか。

       

 まあしかし、書いてしまったものは仕方がない。また、そう感じたのも事実なのである。ただし、その時発した感想はあまりちゃんと考えた結果というより、漠然とした感想ではあったのだが。

 しかし、問われた以上もう少し丁寧に答えるべきであろう。小学生の頃から、宿題にしても何にしても、リスクを背負ってからする癖が付いているのだから、これに答えるために後知恵で考えるのも悪くはあるまい。

 周知のように、この映画は上田秋成の原作を踏まえながらも、その全九話のうちから「浅茅ヶ宿」と「蛇性の婬」から材を得て川口松太郎依田義賢が脚色したものを溝口健二が撮ったものである。

       
 
 そこには金を稼ぎ色情に絡め取られて行く男と、出世を夢見る男がいる。そして、それをそれぞれ支えながらも、その男たちの野望のために犠牲を強いられる女たちがいる。
 結局、男たちの野望は挫折し、その野望を悔いることによって、元の場所へ(映画においてもまさに同じシーンへ)と回帰する。
 
 ここには明らかに意図された循環がある。要するに、「生活者の座」のようなものに端を発し、それからのテイクオフを試みた結果、結局はこの「生活者の座」のような場へと回帰するという循環である。

 もうひとつ、見逃せない要素は、全編を貫いている戦乱というバックグラウンドである。
 彼らを脅かしたのも戦乱であるし、彼らを欲望へと奮い立たせたのも、女たちを災難に突き落としたのも、あのあやかしの姫、若狭が彷徨うことになったのも、全て戦乱の故なのである。

 あの日本の敗戦から八年という1953年、脚本家や監督が、映画における戦乱を、あの戦争とオーバーラップしないで描いたとはとても考えられない。
 まさにあの映画は、あの戦争へのひとつの総括としてあるのだ。
 これは言い添えるべきだろうが、あの頃の映画で、戦争の爪痕を何らかの形で刻印されていないものはほとんどない。例えそれが、一見、単純と見える喜劇や時代劇であろうとも・・。

       

 しかし、こうした一般論には解消出来ないであろう。私は「なぜ、この映画がとりわけ戦後民主主義に関わるのか」と問われているのだから・・。

 この映画は、やはり男たちの野望そのものを戦争そのものとして捉らえていると思われる。それは日本が、「近代の超克」や八紘一宇、大東亜共栄圏を掲げ、戦争そのものに突入して行く様を如実に示しているようだ。要するに現実からのテイクオフとしてのある種の決断である。そして、あのあやかしの姫、若狭への関わりは、美学における日本ローマン主義への耽溺にも思えるのだ。

 考えてみれば、戦争そのものが非日常的な例外状態の連続であり、それ自身が幻影の世界なのである。それを男たちは己のものとして生きようとした。そして挫折した。
 その帰り着くところは、結局は女性たちが守り続けたリアリズムの世界なのである。それを私は先に「生活の座」から出でて、「生活の座」へと回帰する円還として示してみた。
 これはこの映画のかなり核心的なモチーフといって間違いない。

 もうひとつ、付随的かもしれないが、一度は娼婦になった女性を、むしろそれ故に迎え入れるという設定は、それ以前にはなかったシチュエーションではないかと思う。要するに、ここにもひとつの戦後がある。

 これでもってこの映画が「戦後民主主義の映画である」と立証し終えたとしてもいいのであるが、根が親切(おせっかい?)な私はこれしきでは終われないのだ。
 要は、あの戦後の総括はこの映画でなされているような形で果たしていいのか、あるいはそこにこそ戦後民主主義の限界があるのではなかろうかという疑念が残るのである。

 この映画では、戦争はあたかも自然現象でもあるかのように外在的に扱われている。確かに、武士という階級が争った時代においては、庶民にとってはそうであろう。
 しかし、すぐる戦争においては庶民=無罪ではない。「生活の座」≠戦争ではない。
 庶民の「生活の座」そのものが、例えイデオローグのアジテーションによるとはいえ、戦争と無縁ではなかったのだ。庶民は、戦況に極めて具体的に関わり、一喜一憂したのである。

       

 だからこの映画を、戦後の総括としてみた場合、そこには決定的な欠落がある。
 その一つは、戦争を外在的な、何か私たちに無縁の場所から降りかかるかのように描いていることである(むろん、あそこで描かれている時代においてはそうであったろう)。しかし、日本が経験した戦争はそんなものではなく、庶民が一丸となり、その一丸から外れたものを非国民として告発したような戦争だったのである。

 したがって、庶民は(少なくとも近代国民国家の庶民は)戦争の被害者であるのかという問いが依然として残る。彼らが戦場で何をしたのかという問題もむろん含むが、それ以前の戦争へと事態が進む過程において彼らがどう関わったかの問題である。
 だからここでは、彼らは単に戦争の「被害者」であったのかが問われなおされねばならない。それと同時に、「生活者の座」は、本当に戦争とは無縁な場であるのか、戦争がなければそこはユートピアなのかという問いも残るのだ。

 「生活の座」として政治や戦争と一見無縁な座が、要するに、生産と消費の座が、戦争へと結びつく、あるいはそれを媒介として戦争肯定へと至ることは充分あり得るのだ。
 
 『雨月物語』は優れた映画である。脚本、演出、そして何よりもカメラの宮川一夫の絵が素晴らしい。
よく読んでいただければお分かりのように、私はこの映画そのものを批判したり否定したのではない。
 これ程見事に、古典に依拠しながら、「戦後民主主義」を、その限界までも含めて描写したことにただただ感心しているのだ。
 ただし、あの回帰の楽天主義には疑問符を付けながらではあるが・・。

 これで、質問者の問いに答えたことになるのだろうか?
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交差点のモニュメントと六の時事川柳 07.1.14

2007-01-14 16:22:42 | 川柳日記
 今池は長年お世話になってきた街だが、同時に私自身もそれなりに足跡を残してきた街でもある。
 
 年明けのある日、あるフリーペーパの依頼でこの街の一角を取材した。
 以下の写真は、その取材とは直接関係ないのだが、その折りの余った時間に撮ったものである。

 この今池の交差点、それぞれの角にモニュメントがあって、そのうち、上の二つは、今を去ること18年ぐらい前、私が第一回の今池祭りの実行委員長をした折りに出来たもので、その除幕式にも立ち会ったものである。

        
          お馬の親子のブロンズ(交差点東南角)

       
  上のブロンズに添えられたプレート。今池の地名の由来を示す。寄贈者の故森春義氏は、第一回今池祭り時の商店街連合会の会長。

     
 まあるいステンレスの玉。今池はパチンコ屋が多いからだと推理しているが、一説に依れば、もっと高邁な芸術作品だとか。(交差点西南角、ガスビル前)

 
 あとの二つは、それから何年かして、アメリカの現代アーティストに依託して作ったもので、背の高い(10mぐらいか)カラフルなものがそれである。

          
  いかにもアメリカンといったモニュメント。設置が、今池ブロードウェイ計画の一環で、これと同時に、通りの名称が、「西一番街」とか「南二番街」とかに改称された。(西北角)
       
        
  上と対になったもので、JAZZとある。(東北角、千種郵便局前)


 なかなかこうして四つ揃えて紹介したものがないようなので、まとめてみた次第。

 





<今週の川柳もどき> 07.1.14

  大臣がいなくなりそな尻尾切り
   (美しい日本の内閣で不祥事続発)

  になり次は軍部が出番待つ
   (昭和の初めに似てきた)

  殺してから刻むのが今年のはやり
   (専用刃物売り出し中)

  頭数揃えて押さえ込むつもり
   (イラク増兵2万
  発表と同時に賛意示すポチ
   (米でも賛成は20%なのに)

  お土産はなく注文を持ち帰る
   (山拓の訪朝)

  期限切れ客の胃袋へと捨てる
  ペコちゃんポコちゃんもうなだれている
   (不二家)
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車の旅・列車の旅 新春映画二題

2007-01-11 16:37:18 | 映画評論
 年が改まってから映画を二つ観た。

 ひとつは、ジョナサン・デイトン 、ヴァレリー・ファリス 監督による『リトル・ミス・サンシャイン』

      
 
 他の所用で名古屋へ出かけた折りの時間調整で観たのだが、これがなかなかの拾いものであった。

 文字で堅くいってしまうと、アメリカンドリームに翻弄され、それから脱落して行く家族のあわや崩壊かと思わせるいきさつと、ある瞬間に狐付きから目覚めるようにそれから脱却して行く再生の物語なのだが、それらが、オンボロ車で、7~8歳児のミスコンへ出かける少女に連れ添う総勢6人のロードムービーとして描かれる。

 それぞれがそのエピソードを抱え込み、その個性も明らかで、その絡み合いが実に面白い。
 事態はほとんど喜劇として展開されるが、その推移の端々に、堅くいえば批判的要素、砕けていえばクスグリがいっぱいちりばめられている。

 冒頭部分の朝食の場面の食卓が、既にしてこれぞアメリカという実態を映像としてたっぷり提示してくれる。
 しかし、とりわけ素敵なのは、全てをぶっ飛ばし、ひっくり返す再生のカーニバルとして演じられる最後のあの少女のダンスシーンである。

 それはもはやディオニソス的な饗宴と化し、リアルを装うもの全てを虚構の淵へと誘う
 あのダンスを振り付けた祖父に乾杯!
 
 こいつは春から縁起がいいぞ、という映画に出会うことが出来た。


 次いで観たのは、エルマンノ・オルミ、アッバス・キアロスタミ、ケン・ローチの三人の監督によるオムニバス映画『明日へのチケット』

       

 
 オムニバスといっても全くシチュエーションが違う三つの物語ではない。オーストリアのインスブルック発、ローマ行きの一本のインターシティ列車に乗り合わせた人々の織りなす連続と不連続のドラマである。

 それぞれの監督の特徴がよく現れているが、そのタイトルから見ても、その時間量から見ても、そして、エンディングへの結びつきから見ても、ケン・ローチによる第三話が大半を担っているようだ。

 それぞれの物語は、一見なんの繋がりもないようだが、しかしそれらを結ぶ糸のようなものがないではない。
 第一話の教授の妄想めいた恋の話のラストにある一杯のミルクのエピソードは、第三話の青年たちが対面する難民の問題に繋がるし、第二話の将軍婦人付きの青年の自立へのテイクオフは、やはり、第三話の青年たちのとまどいと思考の先の決断へと繋がる。

 そして、彼らがこの列車に乗り合わせた背景が、テロルの予告による緊張した状況であってみれば、まさにここにはヨーロッパがあるのである。

 脚本段階で、三人の監督が協議を重ねただけあって、このオムニバスには、見た目以上の有機的な繋がりがある。

 そして、最後のローマ駅。全てが清算されるかのように登場人物たちが降り立つ。しかし、第三話の青年たちはまだ、拘束されたままである。そこに意外な「サポーター」が・・。
 そう、青年たちは、セルチックの応援にわざわざイギリスからやって来たのだった。

 半世紀ほど前に観たイタリアのニューリアリズの映画、『屋根』をなぜか思い出した。
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