六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

図書館 アメリカハナミズキ ワイン20%オフ

2015-09-27 16:48:45 | よしなしごと
 県立図書館へ行く。
 まず、出来立ての同人誌、最新号をカウンターへ持って行く。
 ここでは、創刊号以来のものを収納してもらっている。

 一般カウンターへ行き、借りていたものの返却。
 新刊の陳列コーナーへ向かう。
 興味のあるものが2冊あったのでそれをすぐゲット。

              

 一冊はミラン・クンデラの最新訳小説、『無意味の祝祭』。
 このチェコ出身でフランスで活躍する作家は、68年のプラハの春などの運動に関わったのを理由に、著作の出版禁止措置が取られるなどしたため、75年にフランスへ出国した。追っかけるように、79年、チェコの国籍が剥奪された。
 1984年発表の『存在の耐えられない軽さ』は世界的ベストセラーになり、88年には映画化もされた。

 しばらくの間、この作家のものを集中して読んだのは何年前のことだろうか。いろいろ懐かしい作家だ。

           

 もう一冊は、韓国の思想家、李珍景の『不穏なるものたちの存在論』。
 見過ごそうかと思ったのだが、題名が気になったので手にして目次を見たら結構面白そうな項目が並んでいる。
 こうした未知の著者の本を探る時、各章の末に添えられた〈註〉が役に立つ。そこには、その著者の参照や引用のリストが並んでいるからだ。

 で、この李珍景であるが、そのカバーする範囲は極めて広い。ヘーゲルからハイデガー、マルクスからフロイトやカフカ、さらに近いところでは、デリダやドゥルーズ、フーコー、そして谷川雁にまで及んでいる。ほかに、ダーウィンやベルグソン、アーレントなども散見できる。
 何たる幅の広さだ。それらがどう組み合わされて彼の思想を形成しているかは読んでみないとわからないが、いずれにしても楽しみな書である。

           

 なにも、西洋と日本でのみ思考活動が行われているわけではない。
 当たり前だが韓国にもこんなに考えている人がいる。
 それに触れる機会を持てたことはいいことだ。
 ほかにも借りようとしていたが、この間、読むべき寄贈本などが結構あるので、この2冊に限定した。

 雑誌のコーナーで、青土社の『現代思想』が、亡くなった鶴見俊輔さんの臨時創刊を出しているのを見かけたが、最新号は貸してくれない決まりなので、これは改めて本屋で買うこととした。

 図書館を出てその中庭で一息ついていたら、アメリカハナミズキが真紅の実をつけている見かけた。この赤は、いつ見てもすごい。
 隣接する県美術館の方を見たら、折からの日比野克彦の参加型野外展示作品がチラッと目に写ったが、事情があって今回は立ち寄らないことにした。

          

 帰途、秋の日は早々と落ち始めていた。
 あ、まだ買い物をしなければ今夜の夕食、特に動物性蛋白質が何もない、と気づいた。最近の検査で、貧血が指摘され、年齢とともにひかえていた肉類を食べろといわれたばかりなのだ。

 買い物に行っていいこともあった。
 ワインコーナーで、全製品20%オフのセールをしていたのだ。
 食料品とともに、いつも飲むよりも少しだけ高価な、といっても20%オフでいつもと同じぐらいだからちょっぴりの贅沢だが、それらを3本(スペインが1本とチリが2本 いずれも赤)買った。
 
 よき書とよきワイン、なんという小市民的幸福感!
 明日、世界が崩壊するやも知れないのだから許せ!

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Speak Low!「あの日のように抱きしめて」(2014年 ドイツ)を観る

2015-09-25 11:56:15 | 映画評論
 邦題が良くない。原題の「PHOENIX」、または「フェニックス」のままでよかったのではないか。
 そうでなければ、アウシュビッツから生還した彼女が、赤いドレスで最後にジャズのスタンダード・ナンバー、「Speak Low(スピーク ロウ」を歌い、それがこの映画のすべてを語り尽くすという意味が失われてしまう。
 そう、「Speak Low」の歌詞にあるように「Love is pure gold and time is thief(愛は純金、時は泥棒)」なのだ。

 これは盗まれた純金の愛を泥棒の手から取り戻そうとするヒロインの物語なのだ。だからこそ「フェニックス=不死鳥」でなければならない。

          

 純金の愛を盗んだ泥棒は誰か? 時? でも、時は人間が関わってこその時だ。だとすると泥棒は人間一般? だけど、人間一般なんているわけはない。常に、すでに、状況と関わり合っているのが人間なのだ。

 では、状況そのもの? 戦争? ナチズム? イデオロギー、あるいはテロル? しかし、それらは人間を規定しながらも人間によって生み出されたものではないか?
 かくて私は堂々巡りの回廊を経巡ることとなる。
 声高には叫べない。そう、「Speak Low」なのだ。

   

 この映画は、単なるサスペンスとしての面白さもあるし、私のようにもって回って考えることもできる。
 この辺まで突っ込むとネタバレになるが、本人が本人に扮するという自己言及性の迷宮もある。そしてそれもまた、彼女が不死鳥のごとく蘇るための必要な行為といえる。

 「東ベルリンから来た女」(2012年 ドイツ)という作品の監督、並びに主演(男女)のトリオによる作品。
 
   

 そして、ジャズの「Speak Low」が使われるのにもれっきとした理由がある。この曲は、かの「マック・ザ・ナイフ(匕首マッキーの殺し歌)」を含む「三文オペラ」の作曲家で、アメリカへの亡命者であるクルト・ヴァイルによって作られたものだ。彼は、ドイツ在住時代のクラッシク志向から、アメリカ亡命後は大きな転換を遂げて蘇ったといわれる。

 こうしてみると、「PHOENIX」はこの映画では多重な意味内容を秘めている。だからこそ、この邦題は、この映画の持つ独自の世界を殺してしまっていると思うのだ。


《余談》映画半ばのショーシーンで歌われる「Night and Day (夜も昼も)は、やはりジャズのスタンダード・ナンバーで、作詞作曲は、コール・ポーター。これはフルコーラスを聴かせるが、
 「あなたを求めてやまない気持ちが燃え盛っている
  そしてこの苦しみは終わることなく続く」
 と、歌われている。


 

 




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C級グルマンの貧乏料理手帳

2015-09-23 02:59:06 | グルメ
 金はないけどうまいものを食いたいという志向で自分の餌を作っています。
 そのためには、冷蔵庫を開けたら何もなかったという恐怖の瞬間にも耐えうる即応力と、ほとんど見向きもされない安価な食材を自己流に美味に変えるという試練に耐えなければなりません。
 ここ何日かに行ったその厳しい現実への対応の記録です。

【しょのいち】玉ねぎラーメン

          

 業務用の生ラーメン(5食分税込み350円ほど)を買ってきたのはいいけれど、具にするものがほとんどない。あるもので作るしかない。中玉7個入り300円ほどで買ってきた玉ねぎしかない。あとは香味野菜のみ。
 で、玉ねぎをを使うことに。中玉一個の半分を使う。中華丼一杯分の水を鍋に入れ、適当に切った玉ねぎを入れて、少量の塩味で煮込む。
 中華丼には顆粒状の鰹だし小さじいっぱい分ぐらいと、少なめの醤油、胡椒、胡麻ラー油少々を入れて待機する。
 もう一方の鍋では、生ラーメンを所定の時間に即して湯がく。
 玉葱の甘味が程よく出たころに、そのスープを中華丼に注ぎ込む。玉ねぎは鍋に残す。
 ここでスープの味を確かめる。
 麺が湯がき終わったらそれをスープに入れ、少し撹拌しスープになじませる。
 その段階で鍋に残した玉ねぎを麺にのせる。

 ほかの具は、ボロニアソーセージとカイワレ。
 ただしこのままでは味に締りがないので、薬味の野菜をやや多めにのせる。
 ネギの小口切り、オオバを刻んだもの、それに旬のミョウガの小口切り。

 美味い! スープに玉ねぎの甘みが出ていてまろやかだ。
 玉ねぎの甘みと、香味野菜の刺激とがとても面白いハーモーニーになっている。
 たぶん、何やかや含めてワンコイン。ただし100円玉ですぞ。

【しょのに】さつまいもの茎

          
 
 これはスーパーの野菜売り場では見かけたことはない。手に入れるのは農協の野菜売り場で、ひと束80円ほど。
 毎年、この時期はこれにこだわる。
 何故かと言うと、戦中、戦後の食糧難時代、さつまいもはほぼ主食の位置を占めていて、この茎は「代用食」の一つであった。収入の道もない疎開民の母子家庭、スギナやイタドリなど、食えるものは何でも口にしたが、このさつまいもの茎は何とか食べれれるものだった。
 
 茎の長さは25センチ前後、フキの要領でまず皮を剥く。細いほうから剥くと意外に簡単にスルスル剥ける。それを、3、4センチほどに切りそろえて煮る。
 水分は具材とひたひたになるくらい。顆粒カツオだしと味醂、少々の塩、醤油、砂糖は入れない。後で述べるがそれ自身の甘みが出てくるからだ。
 10分も煮ればじゅうぶん柔らかくなる。慌てないならば、火を止めてもそのまま煮汁に浸しておけばいい。あらゆる煮物がそうだが、そうすると味がよく沁みる。

          

 口にすると、やや硬いフキの感じだが、やがて、さつまいもと共通するほのかな香りと甘味が口腔に広がって美味しい。
 これを食さずにおくのはもったいない感じがする。さつまいも畑をお持ちの方、家庭菜園で栽培していらっしゃる方、近くにさつまいも畑がある方、これは季節の味としてぜひ一度味わってほしい。
 同時に、戦中、戦後の代用食の時代を振り返ってみてほしい。

 これも何やかや含めて、100円玉のワンコイン。

 C級グルマンの貧乏レシピを求めての旅は続く。





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終わったわけではない!新たな出発のために!

2015-09-19 17:21:00 | 社会評論
 安保法案が参院でも通過し、法制化されることになった。
 私も含めてがっくりしている人も多いであろう。
 
 私の場合には、ちょうど55年前のいわゆる60年安保での敗北が、その運動にかなり深く関わりあった一員であったこともあり、否が応でもオーバーラップする。
 あの時も、国会を30万人が取り巻くという未曾有な盛り上がりにもかかわらず安保条約を阻止することはできなかった。それだけに、敗北の反動は大きかった。
 そしてそれが今回の法案につながってしまったという忸怩たる思いや自責の念もある。

             

 当時と今との共通点のひとつは、学生たちの運動が大きなウエイトを占めたことである。60年では当時の全学連が国会構内まで突入するなど突出した運動を展開し、それが全体の運動を牽引したともいえる。
 今回でいうとSEALDsがそれに相当するだろうが、全学連は60年当時においては、各大学の学部ごとの自治会、それらの連合としての県単位の県学連、そして全学連と内紛はあったもののかろうじて学生の自治組織の体裁を保っていた。

 しかし、一方、全学連は、伝統的な左翼を超えるという意味で「新左翼」を体現するかたちで、現今のSEALDsに比べて遥かに党派的であったから(その是非は今はいうまい)、それだけに、その総括をめぐっての論争は熾烈であった。闘争の規模を捉えて勝ったという者、その質的内容を捉えて問題にするもの、今後の変革の主体を形成し得なかったが故に敗北とするるの、などなどまちまちであった。

 それらの総括をふまえ、その数だけの新たな党派が形成され、四分五裂の状態に入った。
 党派間の闘争は賑やかではあったが、成立した法案への事後的なフォローの運動、反対に結集した人たちに新しい目標を提示し、そのエネルギーを継承してゆく面では決定的に不十分で、全体的な退潮現象は否定すべくもなかった。
 しばらく後の事ではあるが、それら各党派が相手の殲滅を図り殺し合いにまで発展するに至って大衆的離反は決定的になった。

 これは痛ましい記憶である。
 それらの状況下で、いわゆる55年体制をもじわじわと崩壊し、自民党が一時的に危機に陥ったこともあったが、二大政党制という掛け声のもと、小選挙区制が実施され、過半数を下回る得票数でも政権を握ることができ、おまけに公認を餌に党内の複数性が失われ、政権党首の独裁的支配がモノ言うようになった。
 この間の自民党の劣化、ひいてはこの国の政治の劣化は目に余るものがある。

 しかし、今回の運動の尻上がりの拡大、これまでとは違った各階層、各年代への拡大は評価できる。従来の労組動員とは質的に違う運動の展開といえる。
 ついでながら、この間、連合は形式的な参加以外にほとんど姿を見せることなく、企業追随の御用組合であることをはっきり印象づけた。

          
               明日また、陽は昇る!

 ここまで頑張りながら、残念だという感もあるだろう。法案そのものを見たら敗北には間違いないが、しかし、この間の運動前と後とでは政治地図はかなり変わってきたと思う。どの勢力がどうということではなく、人びとの政治への意識が変わったように思う。
 これを契機に人びとの政治を見つめる目は厳しくなるだろう。
 既存の組織ではなく、ネットや各種SNSを通じての情報や呼びかけの拡散も大きく広がるだろう。

 したがって、絶望したりアパシーに陥る必要もない。
 政権をしてあの醜態にまで追い込んだ事実を成果として確認しながら、廃案に向けて、また、この醜悪な政治の終焉に向けて、改めて顔を上げて歩みを始めるべきだろう。追撃のつもりで注視を続けるべきだろう

 そうでなければ、この政権はこんどこそ憲法に規定された平和で安全に暮らすという私たちの基本的諸権利(それは300万人同胞と、2000万人の近隣諸国の犠牲の上に築かれたものなのだが)を、根こそぎ奪い去るだろう。

 もう10年以上前に、柄谷行人はいまや戦後ではなく戦前だといった。それが単なるレトリックではなくまさに現実になろうとしている。
 そうした戦前回帰を、そして戦時中への雪崩れ込みを阻止するために、今回示された力を改めて整え、新たな出発の契機としたいものだ!


 
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ああ、落胆を残して消えてしまった!

2015-09-15 15:54:41 | 日記
 これは本当は書きたくなかったことなのだが、すでに2、3回書いたことの続報でであり、これを書かずにいては推理小説の前編だけでやめてしまった感があるので、やはり書こうと思う。

 書きたくなかった理由はそれ自体が不幸でどうしようもないことだったからだが、書くのを伸ばしてきた理由は他にもある。
 ひとつには、関東地方で痛ましい水害が発生し、そのことが幾分関連するからだし、もうひとつは安保法案が山場に差し掛かっている折から、何をセンチメンタルなことをいわれそうだからである。

 そう、こんな時期に、たかがキジバトごときのためにという思いがあったからである。
 しかしこれまでこれについて書いてきた以上、ひとつの結末を迎えたという事実は報告せねばなるまい。

 台風がこの地区の真上を通過し、さいわい、その割に大した被害はなかったものの、断続的な激しい雨に見舞われ、わが家のキジバトの雛が孵ったばかりの時期とあって、気が気ではなかった。しかし、キジバトの親たちはよく耐えて、そのヒナたちを守り通した。

              
              在りし日の姿 今はもう・・・

 台風一過、彼ら親子が無事であったと私自身の喜びとともに、その記事を載せようと思った矢先、鬼怒川の堤防決壊の報に接し、浮かれたことを書くべきではないと自粛したのだった。
 翌日もこの好天は続き、真夏日を思わせる暑さであった。
 そして異変はこの日にあった。

 私の家の南側には、帯状の庭があり、そこに草木があり、その木の上にキジバトは巣をかけていた。そしてさらにその南側には、材木屋の倉庫が連なっている。
 その倉庫の、さらには、キジバトの巣の至近距離で材木の積み下ろしが始まったのだった。

 賑やかな労働の掛け声、トラックの荷台に材木が積まれる鋭い音、それらがおおよそ小一時間続いたのだ。
 親鳥(たぶん雄)はこの間、体を膨らませるようにして雛を隠し続け、時折威嚇するように体を震わせるのだが、下で労働している人たちはその存在すらも知らないのだった。

 私はよほど、出て行って、このすぐ上にはキジバトの巣があって雛を育てているのだから、静かにしてほしいといおうかと思ったが、炎天下、汗みどろで仕事をしているひとにそれをいう権利は私にはない。
 ただひたすら、キジバトがこの喧騒に耐えてくれることを祈るばかりであった。
 
 というのは、危険を察知した場合、キジバトは巣を放棄したり、育児そのものをやめてしまうということを知っていたからである。だから、この喧騒が一時的なものであることを理解し、耐えてほしいと切に願ったのだった。
 材木の作業は午前で終わり、静寂が戻った。
 キジバトも落ち着いたかに見えた。
 午後1時、私が確認したところでは、変わりなく雛を抱いているようだった。

 安堵して自分の部屋にこもり、読書などをして午後3時、下へ降りて巣を見たら親鳥がいない。ノーテンキな私は、しめた、雛を撮影するチャンスだと思い、カメラを用意した。
 しかし、何だか様子が変だ。動くものの気配が全くない。
 今度は2階のベランダから巣を見下ろしてみた。
 この角度からの見下ろしは、彼らが上空の天敵を恐れることを知っているのであまり覗かないようにしてきたのだった。

           
            なにもいないもぬけの殻は虚しい

 しかし、巣はもぬけの殻で何も見当たらない。雛か親鳥の腹の毛か、わずかに羽毛が見えるだけだ。
 やはりさっきの刺激が応えたとみえて、巣を放棄したようだ。
 しかし雛たちはどうしたのだろう。
 ひょっとしてと思って、巣の下あたりを丹念に探して見たがそれらしいものが落ちている様子がない。

 ということは、親鳥が運び去ったということであろう。
 あの小さいくちばしでは無理だろうから、脚に掴んで運んだのだろう。しかし、そうして運べる距離に予備の巣があったのだろうか。あったとして、無事そこへの転居はできたのだろうか。
 不安は残る。

 念の為にうちにある他の木を丹念に見て回ったが新しい巣があるようには見えなかった。
 巣立ちまで見届けたいと思っていたので大変残念だ。
 しかし、それが悲惨に終わったのを確認したわけでもないので、どこか転居先で、雛たちが無事で巣立つことを祈るばかりだ。

 しかし、午後1時から2時間の間に、跡形もなく消え失せるなんて、まったくミステリアスであるし、なにか虚しい思いを残す結末ではある。
 彼らを思い続ける不安はなくなったが、同時に、新し生命の巣立ちを間近に見るという楽しみも、跡形もなく消え失せた。

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畳と図書館は新しいほうがいいという話

2015-09-11 16:07:17 | よしなしごと
 もう、10日ほど前になるが、7月に移転オープンした新しい岐阜市立図書館ヘ行ってきた。図書館通いが多い私にとっては遅い訪問だが、正直いってこれまで県立図書館の方が主体で、市立の方へはあまり行ってはいなかった。
 
 それはいうならば、蔵書数の数とその分類の曖昧さに辟易していたからだ。とりわけ専門書籍が少なく、その分類も至極怪しいもので、哲学のところや心理学のところに、文字通り、リッチに生きるとか金運に恵まれるとか、何事も気の持ちよういったハウ・ツーものが大きな顔をして並んでいたからだ。

          

 そんなこともあって、新築オープンといっても大したことはあるまいとたかをくくっていたのだ。それでも一応は見ておくべきだろうと、市の中心部ヘ出かけた機会に足を伸ばしてみたのだった。

 
         イントロ メインの道路の横に、せせらぎがある

 新しい図書館は、「みんなの森 ぎふメディアコスモス」という施設の中に、そのメインを占めるものとして入っている。外観などがこれまでとはまったく違うのは当然としても(これまでがひどすぎた)、問題は中身である。
 メインは2階部分で、アーカイブズの書庫が一階の一角を占めているが、この部分へは2階からしか入れなくなっていて、その他の一階部分は、ホールやギャラリー、市民交流センター、子供部屋、喫茶室、コンビニなどなどとなっている。

 さて肝心の図書館だが、まずは広い。これまでの本館のゆうに10倍以上はあってゆったりしている。そして、デザインがとても斬新である。
 インフォメーションや貸出・返却のコーナーを始め、天井から吊り下げられた白いランプシェード状の円形の傘の下に、やはりドーナツ状のカウンターや、椅子などがしつらえられ、さらに特徴的なのは、その円形を中心に、スパイラル状に書架(それほど高くはなく書が手にしやすい)が設置されている。

 
 
 
 図書館というと、建物の方形にそって、整然と書架が並んでいる様相を思い浮かべるが、ここではまったく違って、書架は曲線を描いている。
 はじめは戸惑うが、どんな図書がどこにあるかのあたりがついてしまえば、大丈夫だ。それに、館内に図書の検索機が10基以上あるのもいい。

 さて、その蔵書だが、私の目当ての人文科学や社会科学が、「郷土のグローブ」という箇所に大まかに分類されているのがやや気になり、期待がしぼみそうになる。案内に従い、そのコーナーの、哲学や思想の棚にいってみる。

 まず蔵書数だが、かなり大幅に増えている。今までなかった新しいものが多く、この開館を機に取り揃えたようだ。そして、その配列も、今までのでたらめなものとちがって、ちゃんと年代別、ジャンル別に整理がされている。
 おそらく、学芸員そのものが補強されたのだろう。

        
        


 これなら、私も利用できそうだ。ちょっと遠く、駐車場(2時間まで無料)が混んでいるのが気になったが、ウイーク・デイにうまくしたら、それも可能だろう。
 さっそくご祝儀に、なにか借りようと思い、検索機で探したが、私の狙い目のもの2冊は、貸出中だった。他に興味のあるものもあったが、県立の方で借りて読むべきものもあるから、ここは無理をしないことにして、又の機会を待つことにした。

 県立にはないメリットもある。それは、返却がここへ来なくとも、うちの近くのコミュニティセンターでできることだ。
 今度、ゆっくりと遊び方々再訪したいと思う。

 出かけたのは、昼なお薄暗いどんよりとした日で、写真のバックがあまり良くないのが残念だ。
 中のデザインや陳列の斬新さはお分かりいただけると思う。

 
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マルティンとフリッツ、そしてハンナ

2015-09-06 16:07:21 | よしなしごと
 県立図書館で以下の書などを借りてきた。
 今月は中頃から多忙になりそうだが、何とか返済日までに読了したい。
 
 「マルティンとフリッツ・ハイデガー  哲学とカーニヴァル」
     ハンス・ディター・ツィンマーマン・著 平野嘉彦・訳  平凡社

 「ハンナ・アーレント講義 新しい世界のために」
          ジュリア・クリステヴァ・著 鈴木隆嘉・訳  論創社

            

 前者のタイトルの「マルティン」の方は、20世紀最大の哲学者といわれたマルティン・ハイデガーの方であるが、「フリッツ」の方はその弟の方である。
 この書はどうやら、その二人の関係、フリッツの残した記録や証言などから、二人が生まれ育ったドイツ西南部の小都市・メスキルヒの精神的風土などを紹介し、もってこれまで知られていなかった哲学者の伝記的な側面の補佐、さらには、その思想形成に与えた隠れた面をも追求しようとしたものらしい。
 「らしい」というのはもちろんまだ読んでいないからだが、とても面白そうな予感がする。
 なお、マルティンに弟がいたことは知っていたが、それがどんなひとで、この兄弟がどんな関係にあったのかはまったく知らないので、その点でも興味がある。
 そのフリッツの書き残したものにはこうある。
 「聖堂内の香部屋のなかで育ったミサの侍童としてのマルティンを知らぬ者は、たとえその外観はしばしば異なってみえようとも、畢竟、その哲学を理解しませんでした」(1947年)
 
            

 後者は、ブルガリア生まれで、フランスに移住し、ポスト構造主義の火付け役になった雑誌「テル・ケル」の共同編集者であり、自身、文学理論、記号論、精神分析、哲学の各分野にわたって横断的に活躍しているジュリア・クリステヴァの書で、その彼女が、カナダのトロント大学に招かれ、5回にわたって行ったハンナ・アーレントに関する連続公演の記録である。
 ハンナ・アーレントについては、わたし自身、かなり勉強したつもりだが、アーレントがその生を終える頃から活躍し始めたクリステヴァが、どの様にアーレントと向き合うのか、この二人の才女のあいだの対話的な講義に、少しときめくようなものを感じる。

 ところで、この二つの書にはかすかだが関連がある。
 若き日の「マルティンとハンナ」の関係は知る人ぞ知るところだが、それもあって、ハンナは、弟・フリッツとも何らかの交流があったようで、1970年の3月には、マルティン宛にフリッツの手紙に触れた文章を送っている。
 「・・・・あなたの弟さんの手紙について書こうと思っていました。・・・・あなたは、カントの弟の手紙を知っていますか。あなたの弟さんの場合は、まったく違っています。堅苦しいところがはるかに少なくて、そんなにも自在で、こんなにも愛すべき皮肉に満ちていて、だけど、どこかしれ似ているのです」(1970年)

 
 私の好奇心をそそる書、2冊に出会えたという意味で、今回の図書館行きは実りあるものであったと、まだ読む前から満足している。
 書を読み、理解する能力は年々衰えているが、こういう書に出会い、刺激をもらうと、何だか再活性化してくるような気もする。
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秋の植物たちと、そしてうちの同居人(?)

2015-09-05 00:51:32 | 日記
 もう稲刈りを迎えたところもあるという。
 しかし、この辺りは総じて遅場米の産地(ハツシモなど)であり、今は稲の花盛りである。
 田園地帯に育ったひとには珍しくもなんともないが、なかには、「エッ、稲って花が咲くの」という都会ぐらしの人もいらっしゃると思い、ここに近くで撮したものを掲載。

    

 もう一つは、二階の私の部屋の窓辺のマサキの実。こんなまんまるで可愛い表情をしている。この樹、3ヶ月ほど前には、こんな細かな花をつけていたのだった。
 やがて秋が深まり、冬に近づくと、この実は赤く色づいてくる。鳥たちがそれを目ざとく見つけて食べにやってくる。それを観るのも楽しみだ。

  

 そしてこの樹の下の方の枝には、この前も書いたが、目下、キジバトが巣をかけ、抱卵中なのだ。2週間ほどで孵化し、さらに2週間ほどで巣立ちを迎えるという。
 それから逆算するに、孵化は間近いといえる。わくわくするほど楽しみだ。

 なぜこれを同居人というかというと、巣の位置が、一階の南側、私の目線より少し上で、その距離はわずか2m程の至近距離にあるからなのだ(2階のベランダからも見下ろせる)。

            
 
 だから、私が巣の方を見ると、当然目線が合うのだが、若干の警戒はするかもしれないが、外見上(鳥の表情はわからない)さして動揺もせず、抱卵を続ける。
 それでも、できるだけ刺激は避けているのだが、用があって、たまたますぐ下を通りかかっても平然としている。
 これだけの信頼関係(?)にあるのだから、同居人といっていいだろう。

 外出の折、近くの鎮守様を通りかかったら、心なしかモミジの色が変わり始めたような気もする。
 「ひとはいざ心も知らず」ではないが、季節の営みは、そして動物たちの営みも、確実にその時間軸に沿って歩み続けているようだ。

         

 それにしても、昨日と土曜日は天候に恵まれたが、日曜日からはまた雨に見舞われるという。これも自然の営みだから致し方ないが、今はあまり激しく降るなと祈っている。
 子育てに専心しているキジバトのためにだ。
 叩きつけるような雨のなか、身じろぎもせず卵を守る親鳥の姿は、あまりにも切なくいじらしい。




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田舎の老人、絵画を値切って買うの巻

2015-09-03 01:48:08 | よしなしごと
 しばらく前に、この間集中していた仕事に一区切りがついたので、さあ、これで日常に戻って勉強でも始めるかと思ったのだが、そうは問屋が卸さないという日が続いている。
 溜め込んだ家事などの日常の用件、いろんなアクシデントが続き、図書館の返却日までに読了できない本も出てきそう。

 そんななか、気分転換にエイッとばかりにおでかけ日を作った。
 まずは、同人誌の先達のご子息が、岐阜の百貨店で絵画の個展をということで、それに出かける。

         

 予めネットでその方の作品をチェックしておいて、私の感性とマッチする部分があると見当をつけておいたのだが、ほぼそれが外れるところがなかった。
 風景と生物が多いのだが、色調はややパステルカラー気味で、ギラギラした自己主張がないのがいい。

 ひと通り見終わった私には、ある目論見があった。それは、生まれてすぐに生き別れになり、その後40年ほどして再会した実の姉(静岡県在住)が、このほど自宅を新築し、今月末か来月には出来上がるという知らせを受けていて、そのお祝いに絵でもと思っていたことによる。
 絵の下には、価格が掲示されている。ひと通り、作品中心に見て、今度は絵画よりも価格の方を見て回った。SMサイズ(22.7x15.8cm)の2点ほどに、私の許容範囲をいくぶん上回るものがあった。しかし、やはり十分に手が届く範囲とは言い難かった。

         

 さいわい、作者が会場に詰めていたので面談し、自己紹介をするとともに事情を話し、田舎者の老人丸出しで、不躾にも、「あのお値段は動かさないものですか」と尋ねた。
 そうしたら、「そういうことでしたらここまでは」という価格が提示された。それでもなお、こちらの腹積もりを少し上回っていて、端数を切ってもらえば何とかと思ったのだが、そこまではさすがの私も言い出せなかった。

 結局、それで求めることとした。
 2点の内、一点は明るい風景画、他方はややしぶい色遣いの静物画。
 たぶん前者のほうが一般ウケするのだろうが、ここは姉の意志いかんにかかわらず、私の好みを通すことにして、静物画の方を選ぶ。
 契約は、百貨店の美術売り場の担当者との間で行った。

             

 この夏は、クラッシュしたPCの買い替え、そしてこの買い物と、臨時の出費が続いた。今年いっぱいは、がまんがまんの耐乏生活を強いられることになる。

 この後も、面白い箇所へいったのだが、それはまた次に報告しよう。

 写真の絵画は、それぞれ展示されていたものではなく、ネットで拾ったものだが、風景の方は私が買わなかった方のものに色調などが似ている。
 静物は、構図やバックが異なるが、色調は私が買ったものに似ている。バラとレモンもほぼ似ているから、同じ頃に描かれたものかもしれない。

 
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エンブレム問題と安保法案 類似と違い

2015-09-02 02:02:31 | 社会評論
 東京五輪のエンブレム問題が騒がしいが、大して興味がない。
 メインスタジアムでゴチャゴチャし、また今度のエンブレム問題、いっそのこと、五輪そのものを返上すべきだとすら思っている。
 東京で開催することについての私のメリットなどは全くない。
 しかし、熱心に進めている人たちには、経済効果を計算し、皮算用をしている。ようするに、スポーツの祭典というより、稼ぎのネタなのだろう。

         

 そんなわけでエンブレムそのものには関心はないのだが、しかし、取り下げの記者会見を改めてネットで見て、不快感がこみ上げてきた。ようするにここでの五輪組織委員会事務総長の武藤敏郎の言い分が全くおかしいのだ。
 彼はいう。「盗用ではないのは専門家にはわかるけれども、一般の国民が納得するかどうかが問題だから取り下げる」というのだ。
 つまり、組織委員会にはまったく瑕疵がないが、ド素人の国民が無理解だから取り下げるというわけだ。この上から目線はまったく不快である。
 「国民の皆さんの理解が得られない」というのは、当初の会見、そしてそれに続く質疑応答でも何度も何度も繰り返されている。責任は無理解なくせに騒ぎたてる国民の方にあるというのだ。

         

 この図式はどこか既視感がある。そう、いま山場にさしかかっている安保法案に対し、世論調査でも過半数が反対を表明し、それにより安倍内閣の支持率が下がっているのに対し、安倍氏や菅氏が繰り返し言っているのが、「これが戦争法案だというのは国民の無理解のせいだ」、したがって、これを説得してゆくのだというということだ。
 この「説得」というのが上から目線なのだ。説得というのは、よく知っている者が知らない者たちに教えてやるという含意がある。対等の者同士の話し合いならそれは「説得」ではなく「対話」なのだ。
 彼らに「国民との対話」という概念はまったくない。

             

 こうしてみると、五輪組織委員会にも傲慢さがあるが、安倍内閣の安保法案との違いもある。
 それは、五輪組織委員会の方が上から目線ながらも「国民の理解が得られない」として取り下げたのに対し、安倍氏は「国民の理解が得られていない」ことを承知しながら、最終的には強行採決や60日規定に基づいて、突破しようとしていることである。

 そうしてみると、五輪組織委員会の方がまだしもましかもしれない。
 安保法案も五輪組織委員会にならって取り下げるべきである。

 
 
コメント (2)
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