六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

伝統芸能の資料としてではなく生きた地歌舞伎の面白さ

2017-11-27 14:27:59 | 催しへのお誘い
 私は歌舞伎については暗い方だ。まともな公演は、名古屋の御園座で2回ほど観たのみ。あとはTVなどで断片的に。
 あ、そうそう、名古屋は大須の街を拠点に活躍していたスーパー一座の歌舞伎は何度か観たことがある。これはここで述べる「地歌舞伎」に近かったかもしれない。

           

 岐阜は全国一といっていいほど地歌舞伎の盛んなところである。県内に30箇所の保存会があり、それぞれの伝統を継承し、それらを形として守るのみではなく、祭礼などのことあるごとに、その地で現実に生きたパフォーマンスとして公演が行われている。

            

 地歌舞伎は、メジャーな大歌舞伎に対しては、大メーカーに対する地ビールや地酒のような位置づけだろう。演じる人たちも、みんな素人の地元の人たちである。
 ただし、それはマイナーな歌舞伎が今もほそぼそと生き続けているということではなく、地域に溶け込んだ独自な伝統文化としてヴィヴィットに生きている。
 だから、もはや大歌舞伎ではほとんど演じられなくなった演目を保持していたり、古くからの歌舞伎のための芝居小屋が残っていたり、社寺仏閣などの境内で奉納されたり、公演に協賛した人びとの名前がところ狭しと表示されたり、おひねりが飛び交ったりする。

            

 その脚本も、おひねりが飛んだり、大向うから声がかかるための見栄きりの場面が多いという。その掛け声も、役を演じる人の本名や下の名前であったり、はたまたあだ名であったり、職業であったりいろいろだ。
 ここには、むしろ、東京や大阪の大歌舞伎として集約されたものの、かつての原点のようなものが生きているといってよい。

            

 そんな地歌舞伎の、中津川地域を中心としたものの公演が岐阜市で行われ、それに行ってきた。そのきっかけは、舞台を取り仕切る仕事をしている友人のY氏がFace Bookにそれを告知していたからである。
 開演、30分前に会場に入ったが、演者の所作や表情がよく見える前方や中ほどは既に全て埋まっていて、後方からの鑑賞を余儀なくされた。
 舞台の写真がボケているのは後方からガラケーで無理やり引っ張って撮したせいである。

             

 さて、中身の方だが、地方に伝わる伝統的なものの資料と言った面を超えて、文句なしに楽しい。
 今回は地元での公演と違って劇場での披露だが、それでもなお、大歌舞伎と違って客席との距離や交流が、とても近くて温かい。
 ここぞというところで大向うから掛け声がかかり、前方ではおひねり がバラバラと舞台に投げ込まれる。

 それにみんなうまいのだ。なかには端役が台詞につまり、プロンプターの声が聞こえてしまうというご愛嬌もあったが、主だったところはみな上手い。浄瑠璃や囃子方もなかなかのものだ。

            
             舞台にバラバラと見えるのは飛んできたおひねり
 
 出し物では、『一谷嫩軍記』(いちのたにふたばぐんき)「熊谷陣屋」が面白かった。この『平家物語』を下敷きとして展開される大河ドラマにも似た延々と続く物語は、そのパロディとも言える異説で成立しているのだが、それにさらに後世の江戸期の武家のモラルが加算されて、独特の物語構成となっている。
 頼朝と義経の確執を前提とし、史実とはいささか異なる展開は、まるで陰謀論のように、なるほどそうだったのかと思わせる整合性も備えている。

 この長い物語を、凝縮したようなのが三段目の中の「熊谷陣屋」といえる。その前後には膨大な物語が散りばめられているのだが、やはりその核心は「熊谷陣屋」だといえる。脚本もうまくできていて、この部分だけでも全体像を推し量ることができる完結したドラマになっている。

                 

 最後は町家の物語、いわゆる世話物で、『増補八百屋の献立 新靭八百屋』。これは中津川保存会の十八番らしく、NHKホールなどでの上演されたことがあるという。
 母・くまを演じる役者さんは、かつての「ばってん荒川」のお米婆さんを彷彿とさせる演技で客席を沸かせていた。
 こうした世話物になると、ダジャレや風刺、現代風物なども飛び出して楽しいのだが、このお芝居は最後は悲劇に終わる。

 芝居も楽しかったが、それをめぐる全体も楽しかった。ロビーでは東濃地方の名産が販売され、五平餅やみたらし、焼きそばといった屋台が設えられ、幕間の人たちを惹きつけていた。
 前に八百津の方に行った折、そこで求めたせんべいが美味しかったので、「昔懐かしいふる里せんべい」というのを三袋500円でゲット。そしたら、「ハイ、これもおまけ」と煎茶の入った袋を付けてくれた。

            

 私がものごころついて始めてみた芝居は、疎開先の片田舎で70年ほど前の敗戦直後、村の祭礼での田舎芝居。復員してきた兵士たちも混じえて、手造りの装置や衣装、カツラによるものであった。出し物の詳細は忘れたが、戦争は終わった、もう戦地へ駆り出されることもなく、降り注ぐ爆弾のもと、死地を彷徨うこともないという解放感が溢れ、弾けた舞台であった。
 これらが、戦時中は決してできなかったものだったことを考え合わせると、芝居を観せる・観るという関係も平和ならでこそのものだとしみじみ思う。

 今度はおひねりを用意して、実際に地歌舞伎を上演している「現地」へ乗り込みたく思った。またひとつ地歌舞伎の「地」性が強く感じられることと思う。
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霜月終わりのダラダラ日記

2017-11-25 20:09:55 | 日記
 過日、仏事があった。
 本堂はキンキラキンだ。
 極楽浄土の象徴か。

          

 こんなところで一心に念仏を唱えたら浄土へ行けそうだ。
 ん~、しかし、勧善懲悪でいったら私は完全に地獄だろうな。
 待てよ、親鸞さんは「悪人なおもて往生をとぐ」といってるではないか。
 だとすれば私にも・・・・。
 などと不埒なことを考えながら読経を聴く。
 つつがなく終わってよかった。

 今日、手紙とはがきを書く。
 投函に出たついでに少し足慣らしの散歩。
 10月はじめに目撃し、撮した私の頭よりでかい柑橘類が、かなり色づいてまだ木についていた。
 両者を比べると、写真のような感じ。

          
          

 今月予定していた主なスケジュールが一段落し、なんだか気が抜けたようで、立ち居振る舞いに力が入らない。
 来月はじめに図書館に返さねばならない本もあるから、早く読んで勉強しなければ。
 
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ピアノ・パーティ スティーヴ・ライヒ&ベートーヴェン

2017-11-21 00:16:58 | 日記
 岐阜サラマンカホールでの、ちょっと珍しいコンサートに行ってきた。
 ピアニスト4名と4台のピアノによるもので、「ピアノ・パーティ」と名付けられていた。
 ピアニストは、松本和将、菊地裕介、宮谷理香、近藤嘉宏。中堅どころといったところか。
 ピアノはスタインウェイ2台とヤマハ2台を入れ子状に並べた状態。

             

 プログラムの構成も面白かった。
 第一部はそれぞれのピアニストによるソロ。ただし縛りがあって、それぞれが小品を2曲弾くのだが、そのうち一曲は、スタンウェイ、もう一曲はヤマハで弾くこと。曲想によってどの位置のどちらのピアノを選ぶかが味噌。
 この部分が終わったところで、4人が揃って登場し、それぞれの曲をどうしてその位置のそのピアノを選んだのかを種明かし。
 なるほどとそれぞれ納得。さすが音を相手にしているだけに、ただ弾くというだけではなく、自分のかもし出す音がどのように聴き手に届けられるべきかをちゃんと計算している、と改めて感心。

          

 余談だが、この第一部で演奏されたショパンのエチュード「木枯らし」は、いつ聴いても、「あの子はだあれ」と執拗に聴こえて来て、微笑ましくなってしまうのだった。嘘だと思ったら、弾き手はちがうが以下を聴いてみてほしい。
  https://www.youtube.com/watch?v=GGtsWVIXFg4

 第二部は2台4手によるスティーヴ・ライヒの「ピアノ・フェイズ」。
 ライヒといえば、1990年代初頭、彼のミニマム・ミュージックの代表作、「ディファレント・トレインズ」に接して、驚嘆した覚えがある。
 この「ディファレント・トレインズ」、何がディファレントかというと、ライヒが子どもの頃、その父と離婚した母親に逢いにゆくために乗った列車と、同時期に、ヨーロッパでユダヤ人たちを最終処分所へ運んだ列車との差異である。その差異と、少しずつの微小とも思える差異を積み重ねてゆくミニマム・ミュージックの特色とがピッタリはまっていて、何か哲学的な響きを感じたものである。
 
 それをこのように表現し得たのは、彼自身がユダヤ人であったからだろう。ここには、幼い彼が実際に乗った列車はニューヨークからロサンゼルスへのものだったが、もし、自分がヨーロッパにいたら、「違う」列車に乗っていたろうという厳しい現実が表現されている。

          

 脱線したが、今回演奏された2台のピアノのためのミニマル・ミュージックは、2台のピアノがそれぞれ違った短いフレーズのメロディを重ね合わせてゆくうちに、それらの差異のなかから不思議な調和が構成され、それぞれのメロディが少しずつ変化してゆくにつれ、そこに醸し出される調和そのものが次第に変化し、それらがもはや2台のピアノからの音であることを忘れさせる次元にいたり、その異次元の感興が最高点にさしかかったかと思う瞬間、断ち切られるように終焉を迎えるといったもので、聴く者を異次元に誘導しながら、ハッと現実に差し戻すような効果をもつ。
 久々に、ライヒのミニマム・ワールドに浸りきることができた。

 最後の第三部は、4台のピアノ8手による、ベートーヴェンの第五「運命」全曲で、編曲はテオドール・キルヒナー(1823~1903 スイスのやや異色な作曲家にして編曲家 ドイツロマン派との交流が多かった)。
 第一楽章の前半は、小節の出足などでやや不揃いの箇所もあったが(指揮者がいないからやむを得ないかもしれない。指揮者がいてもずれることがあるのだから)、その後はすっかり息が合い、最後まで疾走した。
 金管などの華やかな音色がないのはやや高揚感に欠けるが、これはこれで立派なベートーヴェンの「運命」。オケの音が空間全体への広がりだとすると、8手から繰り出される音色の絡み合いは、その4台のピアノの上空に集約し、形成されるされる音の塊といったところか。

                             右はキルヒナー  

 アンコールは、ラヴィニャックの「ギャロップ・マーチ」。
 こちらは1台のピアノに4人8手が取り付いて演奏するというもの。
 これはけっこうYou Tube などにプロではない人のものが投稿されているが、今回のプロによるそれはまったく違う。椅子を取っ払って全身を使っての演奏は、そのスピードがまったく違い、You Tube のそれが4分ほどで演奏するのに対し、おそらく1分近く短縮したスピード感あふれる快適な演奏。ギャロップ(=全速力の疾走)はやはり、こうでなくっちゃ。

 いろいろ、面白いコンサートであった。
 帰途の車中、ピアノの残響が耳の底で、まだとぐろを巻いていた。


 

 

 
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ダヴィンチ×ミケランジェロ&ジム・ジャームッシュ

2017-11-18 01:27:50 | アート
  岐阜市歴史博物館で開催中の「レオナルド×ミケランジェロ展」に行ってきた。
 こうしたビッグネームの催しが岐阜で行われる機会は少ないのだが、今年は、信長の岐阜入城450年、そしてこの地(旧・井ノ口)を岐阜と命名をして450年ということで、そのメモリアル行事の目玉として、東京についでの開催となった次第。

    

 やはり「モナリザ」などの著名なものは来ず、素描や習作が多く、完成したタブローや彫刻を期待した向きには、その少なさにいささか期待はずれかもしれない。
 ただし、それでもなお、彼らの対象へのにじり寄るような姿勢、ないしは誠意といってもいいほどのディティールへの執着などを観ることができ、それ自身が立派な作品であると同時に、最終的な作品を生み出す表現という活動そのものの痕跡であることを知ることが出来る。

            

 ここに載せた写真は、ほとんど会場で観られるものである。人間の筋肉や馬の肢体の観察、情景の構想などなど、それぞれがその詳細を極めようとする努力にほかならない。バチカンのシスティーナ礼拝堂で十数年前に観たミケランジェロの天井画や祭壇背後の「最後の審判」などという大作も、その各部分ごとの詳細な下絵や習作があってのものだったことを改めて知った。

        

 最後に載せた大理石の彫刻は、会場のなかで唯一撮影可という作品で、慌ててガラケーで撮ったものだが、「十字架をもつキリスト」、別名「ジュスティニアーニのキリスト」といわれているものである。
 ただしこれは、ミケランジェロの生前には完成を見ず、その死後、弟子によって補作されたものという。

             
 
 普通、ゴルゴダへ向かうキリストは、もっと痩身で、少し暗く悲劇的な様相で表現されるものが多いような気がするが、このキリストは骨太で肉付きもよくどっしりしていて、地上の王者の趣を持ったものとして表現されている。
 その表情にもほとんど曇りや陰りは見られず、逆に明るさと威厳に満ち溢れているようだ。
 中世や近代ロマン派などとはまた違った、人間肯定のルネッサンスの精神を具現したものではと愚考する次第。

           

 今日一日は目の保養と決め込んで、帰途、柳ケ瀬でバスを降り、本屋へ立ち寄ったあと映画館へ。
 観たのは、ジム・ジャームッシュ2016年の作品『パターソン』。 
 ニュージャージー州のパターソンに住む、地名同様の名前パターソンというバス運転手の一週間を描いたものである。

           

 彼の日課はほぼ決まっている。
 朝、その連れ合いよりも早く起き、朝食を済ませて仕事に出る。バスの運転中の乗客の会話に耳を傾けながら仕事を終え、帰宅して連れ合いと一緒に夕食を済ませたあと、飼い犬のブルドッグをつれて散歩にでる。そしてそのついでに行きつけのバーに寄っていっぱい引っ掛ける。

           

 こうした何の変哲もないような日々の連続なのだがもちろんさまざまな差異が生じる。それらの差異が物語を紡いでゆくのだが、そこには一本の芯のようなものがあって、それは、彼が詩人だということだ。
 彼は仕事の合間などに、秘密のノートに詩を書き付ける。どうも出版や発表の意図もあまりないようだ。にも関わらず彼はことばを反芻し、それを書きつける。
 さまざまなエピソードはともかく、詩人としての彼が遭遇するものがこの映画の核心であるが、その経緯は語るまい。

           

 彼の連れ合いが面白い。
 愛らしい感受性をもつ草間彌生ばりのアーティストなのだ。こちらの方も、そのアートを売りにするのではなく、それを活かしたクッキーのデザイン、その売上などで成果を示す。
 この二人、羨ましいぐらい仲がいい。

           

 最後に、日本人役で永瀬正敏が出てくる。
 短い出番だが、落ち込んでいるパターソンの再生を促すポジティヴな役どころである。

           

 ルネッサンス芸術とジム・ジャームッシュの映画、時代もジャンルもまったく異なるが、微細な差異へのこだわりがひとつの物語を形成するという点では共通するのかもと無理やりくっつける次第。
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「国難」を叫び、日の丸を林立させる人たちのもたらす難儀

2017-11-14 12:07:06 | 日記
 過日、ある集まりで名古屋へ出た折、その駅頭で出くわした光景がある。
 街宣車の上に立つ男の大音響の演説を取り巻いて、日の丸の旗が取り巻いているのである。とっさに、去る総選挙の最終日、秋葉原での安倍首相の締めの演説を連想した。
 いわゆる右翼の街頭集会である。

          
 
 目にも鮮やかな日の丸が林立しているので、参加者は多そうだが、実際に数えたところ二〇人前後にすぎない。日の丸を掲げず、立ち止まってそれを聞いている人(その中には私も含まれるのだが)が何人かいて、それを含めても三〇人がいいところだろう。
 他の人たちは、そうした喧騒を無視して、むしろ逃れるように通り過ぎるのだった。

 ただし二枚目の写真に写っているように、主催者が用意した日の丸が数十本ほど束になって用意されていて、実際に集まったのはその思惑をかなり下回るものだということがわかる。
 しかし、たとえ二〇本の日の丸でも、それが立ち並ぶと、そのあでやかさから言って、もっと大勢の人たちがいるかのように思えるのである。

          
 
 写真を撮りながら、その演説を聞いた。
 それは、朝鮮半島の南北の国家と中国をとりあげ、レイシズムやヘイトスピーチとほとんど変わらない非難を浴びせ、取って返す刃で日本の諸政党をなぎ倒すものであった。

 共産党や立憲民主党に、さらには自民党内のリベラルと目される人を捉えての「売国奴」呼ばわりは分かるとしても、その非難が決して安倍政権並びに安倍氏へは及ばないことに特色がある。
 むしろ、それらの売国奴どもと闘って状況を切り開いているのが安倍氏だという位置づけで、何の事はない内容は安倍ヨイショという演説なのである。

 これは、かつて大音響で軍歌などを流して歩いたいわゆる「街宣右翼」ともかなり異なっている。街宣右翼は、左翼やリベラルへの攻撃は当然したのだが、同時に、自民党を中心としたその政権が生ぬるいとして、より過激な主張を繰り返していた。その意味で彼らは、右からの反体制派として公安のマークをも受けていたはずであった。

          

 この二〇本の日の丸を相手にした演説では、安倍氏に対する批判はいささかもなく、むしろ、「賢明な首相」としての安倍礼賛の言辞が続いた。これがかつての街宣右翼との大きな違いであると思われる。

 右翼自身が、そのピュアーな右翼性を投げ捨ててリアルな政権支持に回ったのか、政権そのものが右翼のイデオロギーをうちに秘めた存在になったのか、おそらくその双方が歩み寄ってこの種の街宣になったのであろうが、どちらかというと、現政権の右傾化が主であるともいえる。

 毎回の選挙最終日に見られる、安倍氏の街宣と、日の丸を林立させる集団との近親性が如実に感じられる一幕であった。

 こうした光景を、なんだか気味の悪いものとしてつい忌避してしまう私は、戦後民主主義の洗礼のなかで、民族の魂を失った「売国奴」として糾弾される立場にある。

 私自身としては、無批判に国家を礼賛することへは決して与みし得ず、国家の名においてなされる民衆への過分な抑圧、規制こそが危険であり、それが過ぐる戦争の総動員体制を導いたものとしてむしろ断固として拒否したいと思っている。

 すぐる選挙で、安倍氏が掲げた「国難」は「国家の背負う難儀」の意味であるが、私たちが背負っている難儀はそれには決して還元されないこと、むしろ、「国難」の名のもとに私たちを同一のものとしてカテゴライズしようとするものに抗うことこそが、私の立場であり、実感であるとあらためて思った次第。
 








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かくて怠け者の秋はいぬめり

2017-11-10 20:04:48 | 写真とおしゃべり
 秋について何ごとか書こうと思って、それなりに写真を撮りためてはいたのだが、季節の歯車はガッタンと音を立ててめぐり、立冬を過ぎてしまった。

 生来の怠け者、それなりの用件がなければ冬眠の熊よろしく、自分の巣穴から動こうとはしない。
 実際のところ、日常の買い物などのほか、家を離れたのは名古屋での事務的な用件の2、3度を除いてはなかった。

   
               

 秋の行楽とか、紅葉狩りなどはほとんど無縁の世界であった。
 唯一の例外は、ウェルズ国立美術館の所蔵展を観に、岡崎美術館へ出かけたことぐらいである。
 岡崎美術館は、ここ何年か前、村山槐多展を観に来て以来2回目である。市の郊外の丘陵地帯にあって、そのロケーションはいいのだが、鉄道の駅とを結ぶバスが1時間に一本というのがいささか不便である。



 今回の展示で、とりわけ印象に残るものはなかったが、やはりターナーの絵に惹かれた。
 彼は港や海、あるいは産業革命真っ只中で、蒸気機関車や蒸気船などを描いているが、その対象よりもそれを取り巻く空気、あるいは気、ないしは雰囲気=アトモスフィアを描くのがうまいと思う。
 それを描ききることによって、その対象がまた引き立つという弁証法的な(?)作風だと勝手に思っている。

   
               

 なお、夏目漱石の「坊っちゃん」には、瀬戸内の風景描写に、「まるでターナーの絵」といった記述がある。彼はイギリス留学でその作品に触れたのであろう。
 岡崎美術館で多少の秋を見たものの、あとは身近な場所ばかりである。



 岐阜県立図書館と道一本を隔てたところには、私がウオッチングしているナンキンハゼの樹がある。つい先日行ったのだが、ちょうど五色に紅葉していた。
 五色というのは写真で見ていただくように、たいがいのナンキンハゼが赤単色に色づくのに、この樹は色とりどりに色づくのだ。
 その紅葉のなか、真珠を散りばめたような実が白く輝く。これぞ、ナンキンハゼのもっとも美しい瞬間であると私は思っている。



 最後は私んちの菊である。なんの手入れもしないまま、狭い庭の片隅で勢力を拡大しつつある。直径3センチほどの黄色単色の花をつけるが、この透明感のある黄色が好きだ。他所で咲いている菊を覗くが、この黄色はありそうであまりないような気がする。
 大きく一輪を撮したものには、小さなカメムシのような虫がいる。大きさは5ミリ以下である。もう一つ虫がとまっているのがあるが、これはハエではない。ハナアブの一種である。


   
               

 ご覧のようになんの手入れもしていない。よくみると雑草も混じっている。近年、草を引いたりするのがおっくうでそのままなのだ。そこで「ポジティヴな」言い訳を考えた。
 「世の中に雑草などというものはない。それはたんに、商品価値や利用価値、歴史的に形成されてきたに過ぎない人の美意識なるものによって選別されているに過ぎない。だから、それらを雑草として引っこ抜くのは、人の僭越なエゴに過ぎない」
 というのだがどうだろう。

 え?それは単に怠け者の屁理屈に過ぎないって?それに対しても「ポジティヴ」な言い訳を考えてある。
 「確かに私には怠け癖などの欠点がある。しかし、それは私の個性ではないか。それらすべてを是正したら、私はもはや私ではなくなってしまう」
 というものだ。

 というわけで、怠け者の「秋はいぬめり」である。
 「いぬめり」は以下のように使われている。
 
 
   契(ちぎ)りおきし させもが露を 命にて
             あはれ今年の 秋も去(い)ぬめり

      「百人一首」第75番  藤原基俊 『千載集』雑・1023より

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霜月の不定愁訴とご近所散策

2017-11-04 01:14:49 | 写真とおしゃべり
 遅めの台風が去った10月末からの好天続きで、霜月の出足、気候は快適だ。
 しかしこちとらの気分はいまひとつ晴れない。「月は晴れても心は闇だ」というのは「金色夜叉」の間 貫一の台詞だが、折しも昨日今日は月が満ちている。

          

 ひとつには、30年以上前からの知り合いにして、ここ10年ほどは毎月一回以上はお目にかかっていた同人誌の先達、稲垣喜代志さん(地方の出版社ながら、マイノリティの目線から問題提起を続けた「風媒社」の創設者)の突然の訃報に接したことにもある。

              
 
 ましてや、亡くなられてからの幾ばくもしない時間に、そのお連れ合いからの涙ながらの電話でのお知らせは、生々しく、いまもこの耳にこびりついている。
 私はスリッパの不意打ちを食らったゴキブリのように、返す言葉を失ったまま、ぐるぐると同じところを回っていたのであった。

          

 この歳になると、世の無常は幾度も経験し、知り尽くした感があるが、それでもなお、身近でそれが続くと、なんだかじわじわっと包囲網が狭められたようで気が滅入ることこの上ない。

          

 むろん、それのみが要因ではないが、私自身の不定愁訴のようなものがそのはけ口を失ったまま蓄積され、いささか自傷気味となっている。
 そういえば、30日に外出して以来、ほとんどこもりっきりで、したがって他者と言葉もほとんど交わしていない。

          

 ただしこの2日、歯科医へ行って医師と言葉を交わしたが、これとて症状の説明ぐらいでいわゆる対話とは程遠いものである。これはちょっとヤバイ。
 こんなとき、稲垣さんがよくそうしていたように、誰かに電話をしたりするのも手なのだと思うが、あいにくその習慣もないし相手もいない。

          

 そんなときは書く以外ないとこれを書いてるが、とくに誰かに何かを伝えようとするものではない。
 だから、これを読む人は、何か有意味なメッセージとしてではなく、私が自分の傷口を縫合するための所作、ないしはルーティンだと思って読み流してくれればよい。

          

 写真は2日に歯科医へ行ったついでに、気を紛らわそうと散策をした折のものである。いずれもわが家を中心に半径500メートル内の円周に入る場所でのものだが、いろいろ複雑に入り組んで歩いたため、歩数は4,000歩に近くなった。

          

 写真の中の柑橘類、いちばん凸凹しているのが私の頭ほどもある鬼柚子で、次に凸凹している(三個の実が写っている)のが普通の柚子、そして、すべすべして複数の実が映っているのが大型のミカンの仲間。赤い小さな実の集団はサンザシ。
 そのほか、わけのわからないのは生け垣に張られた細やかな蜘蛛の巣。
 ナンテンの紅葉のみが、わが家のもの。

          

 今月は月末近くにしっかりこなすべきスケジュールが重なっている。そろそろエンジンをふかして始動しなければと思っている。

 
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