前回の大ナマズのつづきです。
私が見かけたのは、中都市郊外でかろうじて保たれているオイカワの住む川での出来事でしたが、川ではなく、田圃の中でそれを見かけたというネットで知り合った友人の日記をしばらく前に見かけました。
http://minn.maxs.jp/ph/09/06/13/090613na.html
なんだか羨ましくなりました。
私の住んでいる辺りも、以前には、といっても30年ほど前ですが、田圃の中に魚がいるということが当たり前でした。
小鮒やメダカ、ドジョウ、それにタニシなどもざらにいました。そしてマイミクさんが目撃されたように、時として大きなものが迷い込むこともありました。愚息が子供の頃、田圃の中でウナギを捕ってきたこともありました。
我が家の井戸を打ち負かした強力なポンプです
しかし、今はこんなことは絶対にありません。
なぜなら、私の近くの田圃はもはや生きた川と繋がってはいないからです。
かつては田圃の水は生きた川から供給され、従って川に住む小動物たちが田圃と川を行き来していました。その給水路の小川には年中水が絶えることがなく、四季を通じて生命の営みが循環していましたし、田圃と川の往来がまた、その生態系を支えているのでした。
では現況はどうかというと、かつて田圃へと水を運んでいた小川はコンクリートのU字溝に取って代わられ、しかも、一年の半分以上、ようするに稲の生育に必要な期間以外はまったく水がないのです。
それではどうやって水を供給するかというと、随所に掘られた井戸から地下水を汲み上げ、その期間のみU字溝を経由して配られるのです。
かつては魚たちが群れなしていましたが・・・
ようするに、井戸水がまったく枯れ果てていたU字溝を経由してやって来るのですから、そこに生物の気配はありません。従って、前述したように、田圃では誰かが放流でもしない限り(放流して育つかどうかは疑問ですが)魚影を見ることはありません。
もちろんタニシもザリガニいません。蛙も激減し、家族の会話が聞こえなかったくらいの私の家の前の田圃のそれも、あそこで一声、ここで一声と聞き分けられるほどなのです。
一番近いこの種の井戸は、私の家から直線にして100メートル未満のところにあります。実はこの井戸、それが出来た折に我が家に絶大な被害をもたらしました。
我が家は当時も現在も井戸水を使用しているのですが、その田圃用の強力な井戸が出来た途端、水が出なくなったのです。どうやら同じ水脈から水を取っているようなのです。
加賀の千代女でがありませんが、もらい水の生活をしながら、もう一段深い水脈へと井戸を掘り直しました。ン十万の出費です。もちろん、米作りという公共の目的には勝てません。泣き寝入りです。
この給水用の井戸、当然電気を使用しています。従ってこの辺りの米は、電気がなくなれば出来ないわけです。ちょうど野菜が重油を炊いて出来るのと変わらないわけです。
このどこに魚類の住む余地がありましょうや
ネットの友人が田圃で大ナマズを見かけたのというが羨ましかったというのは以上のようなわけです。要するのその田圃は生きた川と繋がっていて、その田圃もまた、生きているということなのです。
私が大ナマズを見かけた川も、かつては田圃へ水を供給していたのですが、今では井戸水が巡り巡って、その余剰分を捨てるだけの場所のようです。
渓流が開けた山村から、下流に至るまで、山で生まれた水が 田圃を潤しながら平野を経て海へと至る、それが日本の水管理の自然の形態であり、その経路が各種の生態系をも維持しているという神話が崩壊しつつあります。
先般来、徳山ダムの話や長良川河口堰の話を時折していますが、それが上の状況と関連するのは言うまでもありません。
そのうちに、田圃のナマズと川のナマズが相談をして暴れるかも知れませんよ。
私が見かけたのは、中都市郊外でかろうじて保たれているオイカワの住む川での出来事でしたが、川ではなく、田圃の中でそれを見かけたというネットで知り合った友人の日記をしばらく前に見かけました。
http://minn.maxs.jp/ph/09/06/13/090613na.html
なんだか羨ましくなりました。
私の住んでいる辺りも、以前には、といっても30年ほど前ですが、田圃の中に魚がいるということが当たり前でした。
小鮒やメダカ、ドジョウ、それにタニシなどもざらにいました。そしてマイミクさんが目撃されたように、時として大きなものが迷い込むこともありました。愚息が子供の頃、田圃の中でウナギを捕ってきたこともありました。
我が家の井戸を打ち負かした強力なポンプです
しかし、今はこんなことは絶対にありません。
なぜなら、私の近くの田圃はもはや生きた川と繋がってはいないからです。
かつては田圃の水は生きた川から供給され、従って川に住む小動物たちが田圃と川を行き来していました。その給水路の小川には年中水が絶えることがなく、四季を通じて生命の営みが循環していましたし、田圃と川の往来がまた、その生態系を支えているのでした。
では現況はどうかというと、かつて田圃へと水を運んでいた小川はコンクリートのU字溝に取って代わられ、しかも、一年の半分以上、ようするに稲の生育に必要な期間以外はまったく水がないのです。
それではどうやって水を供給するかというと、随所に掘られた井戸から地下水を汲み上げ、その期間のみU字溝を経由して配られるのです。
かつては魚たちが群れなしていましたが・・・
ようするに、井戸水がまったく枯れ果てていたU字溝を経由してやって来るのですから、そこに生物の気配はありません。従って、前述したように、田圃では誰かが放流でもしない限り(放流して育つかどうかは疑問ですが)魚影を見ることはありません。
もちろんタニシもザリガニいません。蛙も激減し、家族の会話が聞こえなかったくらいの私の家の前の田圃のそれも、あそこで一声、ここで一声と聞き分けられるほどなのです。
一番近いこの種の井戸は、私の家から直線にして100メートル未満のところにあります。実はこの井戸、それが出来た折に我が家に絶大な被害をもたらしました。
我が家は当時も現在も井戸水を使用しているのですが、その田圃用の強力な井戸が出来た途端、水が出なくなったのです。どうやら同じ水脈から水を取っているようなのです。
加賀の千代女でがありませんが、もらい水の生活をしながら、もう一段深い水脈へと井戸を掘り直しました。ン十万の出費です。もちろん、米作りという公共の目的には勝てません。泣き寝入りです。
この給水用の井戸、当然電気を使用しています。従ってこの辺りの米は、電気がなくなれば出来ないわけです。ちょうど野菜が重油を炊いて出来るのと変わらないわけです。
このどこに魚類の住む余地がありましょうや
ネットの友人が田圃で大ナマズを見かけたのというが羨ましかったというのは以上のようなわけです。要するのその田圃は生きた川と繋がっていて、その田圃もまた、生きているということなのです。
私が大ナマズを見かけた川も、かつては田圃へ水を供給していたのですが、今では井戸水が巡り巡って、その余剰分を捨てるだけの場所のようです。
渓流が開けた山村から、下流に至るまで、山で生まれた水が 田圃を潤しながら平野を経て海へと至る、それが日本の水管理の自然の形態であり、その経路が各種の生態系をも維持しているという神話が崩壊しつつあります。
先般来、徳山ダムの話や長良川河口堰の話を時折していますが、それが上の状況と関連するのは言うまでもありません。
そのうちに、田圃のナマズと川のナマズが相談をして暴れるかも知れませんよ。