六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

水清くして魚住まず・・・ですね。

2009-06-30 22:53:54 | よしなしごと
 前回の大ナマズのつづきです。
 私が見かけたのは、中都市郊外でかろうじて保たれているオイカワの住む川での出来事でしたが、川ではなく、田圃の中でそれを見かけたというネットで知り合った友人の日記をしばらく前に見かけました。

 http://minn.maxs.jp/ph/09/06/13/090613na.html

 なんだか羨ましくなりました。
 私の住んでいる辺りも、以前には、といっても30年ほど前ですが、田圃の中に魚がいるということが当たり前でした。
 小鮒やメダカ、ドジョウ、それにタニシなどもざらにいました。そしてマイミクさんが目撃されたように、時として大きなものが迷い込むこともありました。愚息が子供の頃、田圃の中でウナギを捕ってきたこともありました。

 
         我が家の井戸を打ち負かした強力なポンプです

 しかし、今はこんなことは絶対にありません。
 なぜなら、私の近くの田圃はもはや生きた川と繋がってはいないからです。
 かつては田圃の水は生きた川から供給され、従って川に住む小動物たちが田圃と川を行き来していました。その給水路の小川には年中水が絶えることがなく、四季を通じて生命の営みが循環していましたし、田圃と川の往来がまた、その生態系を支えているのでした。

 では現況はどうかというと、かつて田圃へと水を運んでいた小川はコンクリートのU字溝に取って代わられ、しかも、一年の半分以上、ようするに稲の生育に必要な期間以外はまったく水がないのです。
 それではどうやって水を供給するかというと、随所に掘られた井戸から地下水を汲み上げ、その期間のみU字溝を経由して配られるのです。

    
         かつては魚たちが群れなしていましたが・・・

 ようするに、井戸水がまったく枯れ果てていたU字溝を経由してやって来るのですから、そこに生物の気配はありません。従って、前述したように、田圃では誰かが放流でもしない限り(放流して育つかどうかは疑問ですが)魚影を見ることはありません。
 もちろんタニシもザリガニいません。蛙も激減し、家族の会話が聞こえなかったくらいの私の家の前の田圃のそれも、あそこで一声、ここで一声と聞き分けられるほどなのです。

 一番近いこの種の井戸は、私の家から直線にして100メートル未満のところにあります。実はこの井戸、それが出来た折に我が家に絶大な被害をもたらしました。
 我が家は当時も現在も井戸水を使用しているのですが、その田圃用の強力な井戸が出来た途端、水が出なくなったのです。どうやら同じ水脈から水を取っているようなのです。

 加賀の千代女でがありませんが、もらい水の生活をしながら、もう一段深い水脈へと井戸を掘り直しました。ン十万の出費です。もちろん、米作りという公共の目的には勝てません。泣き寝入りです。

 この給水用の井戸、当然電気を使用しています。従ってこの辺りの米は、電気がなくなれば出来ないわけです。ちょうど野菜が重油を炊いて出来るのと変わらないわけです。

    
        このどこに魚類の住む余地がありましょうや

 ネットの友人が田圃で大ナマズを見かけたのというが羨ましかったというのは以上のようなわけです。要するのその田圃は生きた川と繋がっていて、その田圃もまた、生きているということなのです。
 私が大ナマズを見かけた川も、かつては田圃へ水を供給していたのですが、今では井戸水が巡り巡って、その余剰分を捨てるだけの場所のようです。

 渓流が開けた山村から、下流に至るまで、山で生まれた水が 田圃を潤しながら平野を経て海へと至る、それが日本の水管理の自然の形態であり、その経路が各種の生態系をも維持しているという神話が崩壊しつつあります。
 先般来、徳山ダムの話や長良川河口堰の話を時折していますが、それが上の状況と関連するのは言うまでもありません。

 そのうちに、田圃のナマズと川のナマズが相談をして暴れるかも知れませんよ。


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大ナマズとポルシェの墓場

2009-06-29 14:44:08 | よしなしごと
 母の病院への往復、「見るべきものは見つ」といった愚痴を書きましたが(6月26日付拙日記)、気を取り直してより細心に辺りを見回すこととしました。
 午前中ですでに三十度以上、帽子嫌いの私にとっても自転車で行くには着用は致し方ないようです。
 
 私のように公明正大なる者、白昼、おのれの花のかんばせを帽子なんぞで隠したりはしないものですが、とはいえ、もとより薄い脳味噌、これ以上蒸発させてはなるものかと、仕方なしにそれを目深にかぶって出かけました。
 怪しいおじさんの出来上がりです。

 怪しいおじさんは自転車を漕ぎます。早く漕げば漕ぐほど、体に当たる風が豊富で涼感が得られます。ただし、早く漕げば漕ぐほど、肉体への負荷は増し、汗ばんでくるのです。
 この二律背反を止揚するには熟練が必要です・・・というほど大したことではなく、ほどほどのところにとどめればいいのです。

    
     この鳥、醍醐天皇から従五位の位を授かった偉い鳥だそうです

 川を渡るとき、ゴイサギを見かけました。実に忍耐強いハンターです。
 餌になるものが捕獲範囲内に至るまで、身じろぎもせず待ちます。
 このサギ、アオサギとともに結構人擦れがしていて、人が近くによってもあまりあたふたしません。反面、シラサギの仲間は警戒心が強く、カメラを向けただけでサッと飛び立ちます。サギ心・・・いや猜疑心が強いのでしょう。

 同じこの川で、ゴイサギとは少し離れた場所で大変なものを見ました。
 ゴイサギが狙うだけあって、小魚たちが群れています。オイカワでしょうか、橋の上からでもその婚姻色が分かります。ひときわ大きな雄が反転するごとに、コバルトとレッドの色合いがキララッと光るのです。

 それを見ていたときでした。川縁のえぐれた部分から、突然黒い影が躍り出たのでした。
 体長は五十センチほどあります。すわ、こんな街の郊外でオオサンショウウオがと思いました。しかし、よく見るとそれはナマズでした。たぶん、群れ遊ぶ魚群のうちから一尾をせしめたのでしょう。散り散りになった魚群を尻目に、悠然ともとのえぐれへと戻って行きました。

 ナマズの揺らめく尻尾がその住み処へ消えてからも、しばらくの間、息を飲んで見ていました。
 しかし、ナマズはとりあえずその一尾で満足したのか、もう現れませんでした。いつの間にやら、一瞬散り散りになったオイカワたちが、また群れをなして遊び始めました。まるで何ごともなかったかのように・・・。
 それもまた自然の摂理なのでしょうか、ここは危険だとして、場所を変えることはないようなのです。

 
               ポルシェのお尻

 私がポルシェの墓場と呼んでいる場所にさしかかりました。
 ここは二年ほど前に見つけたのですが、黒塗りの二台のポルシェが廃車状態で置かれています。
 こんなに形骸だけになっても、まだ外したり持ち帰るものがあるのか、どんどん惨めな形になって行きます。
 百恵ちゃんが歌っているような「真っ赤なポルシェ」でなくてよかったと思います。

 

          夏草や兵どもが夢のあと・・・でしょうか

 ついでながら、紅白に出た折、NHKはポルシェの固有名を許さず、百恵ちゃんはこの部分を、「真っ赤な」と歌ったのでした。しらけました。ポルシェ・フェチではありませんが、ポルシェは車一般やトヨタではないことによってあの詩が成り立っているのです。固有名詞はそれ自身のイメージとともにあり、普通名詞には還元できないものを持っているのです。
 「百恵ちゃん」が「真っ赤なポルシェ」と歌うところにこの歌のアウラが浮かび上がるのだと思います。

 あ、脱線ですね。
 もうひとつ見てきたものがあります。
 結構意外なところに蓮根畑があるのです。
 別に沼地でもなく、周りも畑ばかりで水田すらない場所にぽつんと蓮根畑があるのです。
 去年は花の時期にここを通ることがありませんでした。花の時期は七月から八月といいます。今年こそ、その花にお目にかかり、写真になど収めたいものです。

 
           深い緑の葉が重なり合うようにして

 といったわけで、病院への行き帰り、心を改めてものを見ようと思います。
 自然は、ものを見ようとするものに対しては、自分を開示してくれるのではないでしょうか。
 そう、あのゴイサギのように。
 あるいは、あの大ナマズのように。
 そしてまた、やがてその開花の瞬間を見せてくれるであろうハスの花のように。

    川辺には川辺の掟自転車を漕ぎ行く方にわたしの掟    六

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ムクゲはどんな夢を見るのだろうか?

2009-06-28 02:59:34 | 花便り&花をめぐって
 私の二階の部屋の眼下で、ムクゲの花が咲き始めました。
 まだちらほらですが、写真でご覧のように沢山のつぼみを付けていますから、9月頃まで楽しめそうです。

 

 ところで、この花、朝開き夕方にはしぼんでしまうことをご存じですか?
 といっても一日限りの命ではありません。朝になるとまた開きます。これを2、3日繰り返すうちについに開かなくなり、花の命を終えるのです。そしてやがては、しぼんだままで木から離れます。
 ですから、「ムクゲの花びらが散った」などと書いてあったらこれは嘘ですね。

 
     眠っているムクゲの花 フラッシュで起こしてしまったかも

 このムクゲ、地方によってはモクゲともいわれるようです。漢字で書くと「木槿」ですから、単に読み方の違いのようですが、別の説もあります。
 実はこの花、お隣の韓国の国花なのですが、ハングルではこれを無窮花(ムグンファ)あるいは木槿(モックン)というのだそうです。この発音の違いに従って、前者がムクゲ、後者がモクゲになったという説です。

 原産は中国あるいはインドといわれていますが、温暖な地方にはどこにでもあるようで、何かの本を読んでいた折、イスラエルのムクゲの話が出てきて、ヘエーと思ったことがあります。
 色も多彩で、その形状も一重、八重といろいろあるようですが、私は我が家のこのシンプルなものが好みです。
 そのそれぞれに名前があるようで、ネットで調べたら、我が家のものはどうも以下のもののようです。

 「宗旦(そうたん)  茶花として良く利用される。花は白地に赤である」

    夜しぼむ木槿は正直者ならむ夜を明かしおるわが罪深し   六






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道草行状記 途中の景色

2009-06-26 18:23:56 | よしなしごと
 写真はすべて母の病院への道草によるもの

 季節が変わるとはいっても、同じ場所の風景ばかり見ていると飽きが来るものです。
 なんの話かというと、母の病院への経路です。

 今のところへ移ってもう一年近くになりますから、ひと月に20回として、100回以上往復しているわけです。急いで事務的に行き来したり、天候などで車で往復するときはともかく、そうでないとき、とりわけ自転車の時などは往復の風景など楽しみたいものです。

  
        鴨「こっちへ来るなって、うっとおしいなぁ」
 
 とくに帰途はそうです。やはり、病んだ母を見ているのはそれなりに精神的負荷がありますから、何か変わったものでも見て写真に収めたりして気を紛らわせます。
 もちろん、往復の経路を変えてみたり、遠回りを覚悟で寄り道や道草を食ったりしてしてきました。その成果(?)をここに載せたりもしました。しかしそれも、母の病院と自宅の間を直径とした円周内にを収まってしまいます。そしてそれらはほぼ行き尽くしたのです。しかも季節も一巡しようとしていますから、すでに見たものを繰り返し見ることとなります。

  
                檻の中の花

 ではどうしたらいいのでしょう?方法は二つあります。
 まずひとつは、母の病院を変えることです。
 風光明媚で、周りにいっぱい寄り道できそうなところがあるそんな病院へ移ることです。
 
 でもこれは不可能なのです。
 母のような容態は、普通、三ヶ月で入院先を追い出され、次の病院へ移動しなければなりません。母は、最初の病院を三ヶ月で追い出され、今の病院へ移ってからも最初の三ヶ月を過ごした病棟から今のところへ移され、やっと落ち着いたのです。三ヶ月ごとに病院を放浪することは、病人にとっても家族にとっても負担なのです。

  
           錆びちゃってもこんなに鮮やか

 というわけで、これは不可能なのです。
 で、もうひとつというのは私自身が引っ越すことです。
 出来れば病院を中心として一八〇度方角の違う辺りです。
 地図で確認するとその辺りは、もう長良川にも近く、サラマンカホールや県立図書館、美術館にも近いところです。
 寄り道のし甲斐があるところがたくさんありそうです。

  
      高さ三メートルもあろうかという大樽 水が張ってある

 よっし、きめたッ!といいたいところですが、カタツムリではあるまいしそんなに簡単に引っ越せるものではありません。
 といったことで、この地に縛り付けられ、限られた経路で母の元へ通うわけですが、もうひとつだけ方法があります。
 森羅万象を見る私の眼差しそのものを変えることです。
 出来れば、今見えているものたちのうちに、あるいはそれらを越えて、不可視のものを見ることが出来る眼差しをもつことです。

  
       里芋の畑です 気持ちいいくらいに整列しています

 で、最終的にはこれに決めたのですが、ところで、どうやったらそれが可能になるのか、どなたか知ってるひと教えて下さい。
 え?ナントカ教団に入ったら目からウロコがとれる?
 あ、いや、ウロコはですね、まあ、眼の中のまんまでいいんです。
 


    抑留の父に「異国の丘」重ねともに歌いし母は病床    六







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この建物は何? 官舎から公舎へ、そして・・・

2009-06-25 02:29:39 | 想い出を掘り起こす
 なんの変哲もない街角に、なんの変哲もないというかいかにも古めかしい、一見洋館風の木造建築があります。私の家から徒歩10分ほど、旧国道21号線沿いの角地です。

  

 最近まで、この手前のコンクリートの土台の上には立派なカラタチの生け垣があって、中が見通せなかったのですが、最近、伐採されて建物の西の側面が道路から見えるようになりました。
 それにしてもこの生け垣の伐採、いかにも不揃いですね。プロの手を煩わせず、身近な人が切ったのでしょうか。

  

 正面の方へ回って見ましょう。広い門構えがあって、そこから撮ってみました。玄関は門から少し横に入ったところにあり、そこへと玉砂利を敷き詰めたイントロがあります。
 辺りに誰もいないのをさいわい、正面玄関に近づいてみましょう。

  

 これが正面エントランスです。
 質素には違いないのですが、どこか普通の民家とは違ったたたずまいが感じられませんか?

 私の記憶によれば、この建物は昭和30年代までは岐阜県知事の公舎だったのです。
 しかし、知事が選挙で選ばれるようになったのは戦後(1947=昭和22年)の新憲法以後で、それ以前は官選知事、つまり知事も官僚だったわけですから、知事公舎ではなく知事官舎といっていたように思います。
 余談ですが、現憲法以前の知事は、お上が地方へ派遣するお代官様のような存在だったわけです。だいたい、地方自治という概念そのものが、現憲法以前にはなかったといっていいでしょう。

 で、現在は何になっているかというと、長年、岐阜県知事を務めていた人(岐阜の県産酒の蔵元)の一族がここを引き取ったというか払い下げられたというか、とにかくここを入手し、その知事だった人の末裔が使用してきました。その子供は国会議員になり、大臣などを歴任しましたがもう引退し、今は孫に当たる人で、やはり現在国会議員になっている人の事務所として使われて来ました。
 
 ただしこの人は、選挙区制の変動により、今やこの選挙区を地盤としていないため、近々事務所を引き上げるのではという噂が出ています。
 近年、生け垣などが刈り込まれず荒れ放題で、ついには上に述べたように伐採されてしまったのはそのせいかもしれません。

 そうした噂を聞いて、ひょっとしたら取り壊されるかも知れないと思い、写真に収めたわけです。
 それにしても、質素というか質実剛健というか、議員宿舎などに無駄な税金を使い、あまつさえそこへ自分の愛人を泊めるなどということを平然と行う連中に見せてやりたいものです。
 
 しかし、現状の知事公舎はどんなものでしょうね。以前の愛知県のそれは知っていましたが、今の岐阜県のそれは知りません。
 でも、知事さんもだんだん偉くなって、「国会議員になってやってもいいが、そのときには総理にしろ」などと啖呵を切る時代ですから、いろいろ様変わりしているでしょうね。
 ま、それも地方自治のひとつのありようでしょうか。


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老人たちの柳ヶ瀬ブルース

2009-06-24 03:44:42 | よしなしごと
写真は過日、養老公園で撮したもの。内容とは関係ありません。


 高校時代からの友人二人と飲んだ。
 15歳からの付き合いだから、もう半世紀以上、具体的には55年の間柄である。
 よく飽きないものだ。

 夕刻少し前に集まり、まずは長良川の支流、武芸川を見下ろす高台にある武芸川温泉に繰り出して汗を流す。ここは初めてだが、結構いい湯で気持ちが良い。
 風呂から上がって駐車場に向かうと、周りの緑が目に優しく、その緑の奧から爽やかな鶯の鳴き声が湧き出るように響き渡る。

  

 岐阜の街へとって返して柳ヶ瀬で飲む。
 私たちが出会った頃のあの繁華な面影はもはや失われてしまった街だが、しかしやはり、「柳ヶ瀬で飲もう」が何となく合い言葉になる。
 県産酒の名前を冠した老舗の居酒屋に入る。
 
 友人の一人はリタイアしたサラリーマンだが、この春、連れ合いを癌で亡くして元気がない。
 「余命1年といわれて5年もったのだから儲けもんではないか」
 というのは慰めたことになるのであろうか。
 「連れ合いを先に亡くした男やもめの平均寿命は2年ぐらいらしい」と彼。
 「それはないだろう」といいつつも、その逆のケース、つまり女性が残った場合の方がはるかにその寿命が長いことを、彼も含めて私たちは知っている。
 だから変な慰めは言わない。ただ彼の言葉を聞くのみだ。

  

 もう一人の友人は自営業で、今なお現役で頑張っている。
 後継者はいない。老舗ではあるが、彼の代で店じまいをするほかない。
 だからそのタイミングをいろいろ推し量っているのだろう。
 「頑張れるだけ頑張るったって、自分がボロボロになってからでは遅いぞ」
 というのがほかの二人の意見。
 実際のところ、こうして集まるのも彼の仕事上のスケジュールを縫うようにしてなのだ。

      

 「で、お前は?」と二人からの問い。
 「あ、俺はなるようになる派だから特に問題はない」と私。
 「お前はずるい」と二人。
 確かにそうかも知れないが、この際は笑って誤魔化すしかない。
 実際のところ、自分に与えられたものを甘受するつもりなのだ。

 こんな一身上の話に終始したわけではない。
 それこそ天下国家から、徳山ダムについて、あるいは最近の風俗からTVのくだらなさに至るまで、話題の広がりは尽きない。
 惜しむらくはそれらに余り一貫性がないことだ。
 しかし、一方、少年の頃から抱き続けてきたある種の批判精神のようなものは、けっこう健在である。

  

 三人ともかなり以前からの顔なじみであるスナックに移動して、また飲みかつ話す。
 各務ヶ原へ帰る友人の終電車の時刻まで飲む。
 私は彼とともに岐阜駅まで歩き、そこから自転車で帰宅。
 家に着いたら、日付が変わっていた。
 お互い、古稀を過ぎたというのに午前様とは無茶なじじいたちだ。
 次回また、ということだから、こんなパターンがまだ続きそうだ。
 続けられる間は続けばいいのではないか。


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雨の日のドラマ  ふゆこさんのうた

2009-06-23 01:25:50 | よしなしごと
 雨の日は何かうら哀しいなどといい歳こいてほざく奴がいたら、まあなんという単純で紋切り型な奴だろうと思う。ましてやそれが自分だったりすると、「けっ、馬鹿じゃないか」と思わず罵りたくもなろうというものだ。
 ほら見ろ、雷だってゴロリンゴロリンと笑っているじゃないか。

  
             カボチャですが、何か?

 だいたい気象条件と自分の気分とをストレートに結びつけるなんて余りにも浅薄で芸がなさ過ぎる。まあ、しかし、「雨もまた楽し」とか、「空は晴れても心は闇だ」というのもどこかきざな台詞ではある。

 てなわけで、ありもしないおのれの内面なんてものの幻影に落ち込むと、不定愁訴の塊のようになって老人性鬱に引きずり込まれること必定だから、まったく関係のない近影の写真など散りばめてお茶を濁すことにしよう。

  
  ハルジオン(春紫苑)の群生 こんなにきれいなのに泥菊などと呼ぶなかれ

 とはいえ、無為に過ごしたわけではない。
 Yさんから借りたCDから、パソの iTune にダウンロードしておいた古いラジオドラマを再生して聴いた。
 1987年のNHK制作のドラマ『止まってしまった時計 モーレンカンプふゆこのうた』である。
 一宮市の出身で若くして渡米し、現在はオランダに在住する歌人にして俳人の前半生を描いたドラマである。

 劇中の雰囲気と外の雨音とがしばしばオーバーラップして、奇妙な雰囲気を醸し出す。
 後半に気になる部分があって、最後から20分ぐらい(全部で60分)を繰り返して聴く。
 何が気になったかはここでは述べないが、さいわい、現在来日中の彼女と明後日には会えるかも知れないので、機会があったら直接訊いてみるつもりだ。

  
           田圃の脇の立派なガクアジサイの株

   国を出でし時止まってしまった我が時計巻いても巻いても二十二歳
   五月晴れ家出国出の太平洋駆け切る波は無限より来し
   異文化の壁に囲まれ独房の刑受けるごと祖国捨てれば

            モーレンカンプふゆこ歌集『還れ我がうた』より

 おまけにもうひとつふゆこさんのうた
  
   夏の日の動物園も冷雨なり檻のゴリラも遠き眼をもつ

  
      上のうたのゴリラはまさかこんな風ではないでしょうね

   病院の窓辺にあれば剽軽を縫いぐるみたるゴリラ密けき   六
 

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梅雨の晴れ間の可愛い訪問者たち

2009-06-22 01:09:40 | 写真とおしゃべり
 二階の窓から見下ろせるところに柾(マサキ)の花が満開になりました。
 小さくて地味な花ですがよく見るとけっこう可愛いのです。
 今年は例年になく賑やかに咲き誇っているようです。

  

 それに誘われてやって来たのか、アオスジアゲハが一頭*、花から花へとせわしなく飛び回りっているのを見つけました。
 こんな地味な花にもそれなりに蜜があるのでしょうね。
 蝶の飛翔は意外と早いのです。それにとまってもすぐに飛び立ちます。
 それでも懸命に追っかけてなんとか写真に収めました。

  
 
 *蝶は「一頭、二頭」と数えると習いました。
 なぜそうなのかには諸説あるようですが、現在では「一匹、二匹」でも構わないということです。
 そういえば、安西冬衛の一行詩「春」は、「てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた」で、「匹」を使っていますね。

 しばらくの間、目の保養をさせてもらったと思っていたら、今度はすこし離れたところに白いものが動いているではありませんか。
 目を凝らしてみると、そこにはアゲハチョウが一頭いました。
 こちらの方は余り動きません。まだ羽化したばかりかも知れません。

  

 しかし、こんな狭いところに、二種類のアゲハが同時に来るなんて初めてのことです。
 すこし、幸せな気分になれました。

おまけ

  
 
 県立図書館の庭で撮した夏椿、別名沙羅の花です。
 よくご覧になると、上の花弁に蟻が、右の花弁に緑色の蜘蛛がいます。
 これもまた可愛い訪問者といえますね。


  
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エコロってるンじゃないよ!エコノミってるくせに・・。

2009-06-21 02:00:03 | 社会評論
 剃刀の話(何で4枚も5枚も刃がいるんじゃという話)や、歯磨きの話(何で歯磨きペーストを口いっぱい頬張らねばならないのか)を書いてきましたが、それと関連して、エコポイントとかエコ商品に関する助成金の話を述べてみたいと思うのです。

 エコポイントとかエコ商品に関する助成金の話は、よほどナイーヴな方でない限り、実際にはエコロジーの話ではなくエコノミーの話であることにお気づきだと思います。ようするに、それらしくエコと名のつくものを買わせ、経済を活性化しようというところに本当の力点はあります。

  

 エコロジーにとっての最大の問題は、実は人間の欲望の拡大と、それに伴う生産や消費の幾何級数的な拡大にあることは冷静な視点からはごく見やすいところであります。しかし、現今行われているエコ運動なるものは、それらに目をつぶり、消費者に新しい消費を強要するものなのです。

 「あ、今ご使用の○○は、余計なエネルギーを使っていますから、これにしなさい」
 「現在のものは不合理ですから、打ち切りにし、新しくします。それに対応する装置を」(地デジ化など)

 余計なお節介です。ほっといて下さい。
 新しい商品を作るためにどれだけの資源とエネルギーを消費し、どれだけの廃棄物がでますか?
 新しい商品を運ぶのにどれだけのエネルギーを要しますか?
 古い商品を壊すのにどれだけのエネルギーを用い、どれだけの廃棄物を出しますか?

      
 
 答ははっきりしています。余分な「新しいエコ商品」などを買うことなく、現状のものを使えるうちは使いこなすこと、あるいは、出来るだけ消費そのものを抑制することの方がよっぽどエコなのです。
 その意味では前々回述べたように5枚も刃がある剃刀は疑問ですし、例え失言にしろ、かつてみのもんた氏がいったように、歯磨きのペーストはそんなにべっとり付ける必要はないのです。

 現今のエコ運動のうさんくささははっきりしています。「ものを買ってくれ」というエコノミーの問題を、「これを買った方がお前のためにも世の中のためにもなるぞ」とエコロぶって居丈高にがなり立てるところにあります。
 それくらいなら、「物が売れなくて困っているから、買って欲しい」と率直に言われた方がすっきりするというものです。

      

 先に見たように、最大のエコとは生産や消費を抑制することですが、それが出来ないばかりにエコという衣を着せた消費拡大を図っているわけです。「地球に優しいエコ」という衣の下には、依然として、「消費は美徳」という鎧が見えています。

 エコ商品を買うとエコポイントというものがもらえて、それでもって別の商品の購買に充当できるそうなんですが、そのエコポイントで買えるものがどんどん拡張して500品目近くになり、その中にはエコに関係のないものやエコに反するものさえあるとのことです。
 どうしてそうなったかというと、選挙間近で各業界にまんべんなくおこぼれをということらしいのです。こうなると、もう何をやっているか分からない茶番になってしまうわけです。

 私のような貧乏人は、容易に車を買い換えたり、エコ電化製品を買ったりはしません。
 現在使っているものが使用不能になるまで使い倒します。
 そしてそれが慎ましやかですがエコになると考えています。

  

 しかし、私のような者ばかりですと、ものを作り売らんかなという企業はたいそう困りますね。
 だから、取って付けたようなエコを看板に迫るのでしょうね。
 さて、そうなると、本当に地球に優しいエコを実現するということは可能なのでしょうか。
 企業の維持がありますし、国際競争もありますし、雇用対策もありますし・・。

 とはいえ、私のような消費者は、そのために要らないものを買ったりはしないのです。
 とりわけ、「エコのためだから」という押しつけがましい商法には、「アカンベエ」をするほかないわけです。

<追記> 言い忘れましたが、このエコポイントやエコ助成金、私たちの税金から支出されるわけです。ですから本当は「アカンベエ」では済まない問題なのです。

 

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みのもんた氏の教訓と歯磨き

2009-06-20 00:43:32 | よしなしごと
 前回はひげ剃りの話を書きましたが、今回は歯磨きです。
 みのもんた氏の出ている番組を好んで観ることはありませんが、何せよく出ていらっしゃるので、TVを付けたらそこに彼がいらっしゃったということはしばしばあることです。

 以下の話はもう10年以上前のことですが、彼の影響力が今よりさらに大きかったと思われる頃のことであります。
 例えば彼が、「ニンジンはビタミンAやカロテンが豊富な緑黄色野菜で」などとおっしゃろうものなら、その日の野菜売り場ではニンジンが飛ぶように売れ、従ってスーパーの食品売り場の担当者たる者、彼の番組のチェックが欠かせなかったという時代でした。

 そんなおり、何気なく昼のワイドショーを観ていましたら、彼がなんの話の脈絡か歯磨きの話をしていらっしゃって、チューブ入りのペースト状のものは研磨剤などが入っていて歯を削るのみだから、ブラシの長さ全体にペーストをべったり絞り出す必要はまったくなく、その二分の一か三分の一で良いのだとおっしゃっていました。

 なるほど、歯を磨くというのは主として磨き方の問題ですから、やたらペーストをどっさり使う必要はないのだというその至極まっとうなご指摘に、目から鱗、鼻から鱈子とばかりに納得いたしました次第です。どうせ後で吐き出すものですし、その方が経済的にも助かるというものです。みのもんた氏もなかなか良いことをいうではないかといささか見直した瞬間でありました。

       

 ところがです。番組の後半になって、みのもんた氏がいささか緊張し、こわばった表情でコメントをし始めたのでした。
 それによりますと、
 「先ほどの歯磨きペーストの件ですが、それには研磨剤のほか様々な薬用成分が含まれていますので、やはり、たっぷり付けて磨いた方が歯にとって良いというご指摘が一部の方からございましたので、先ほど申し上げたことを撤回させていただきます」
 とのことでした。

 その「一部の方」がどんな一部の方かは、いつもの笑顔が全く見られない彼の表情の堅さが如実に示していましたし、何よりもその番組を提供された方のテロップの中にその「一部の方」と思われる方のお名前も明示されていたのでありました。
 その番組提供のメーカーのみならず、その他の同業他社のメーカーさんたちも、「一部の方」共々、局に対していろいろ「ご指摘」をなさったであろうことは容易に想像されるところでした。

 何しろ、味の素の容器の穴を大きくしただけで売り上げが増えたといういう話がまことしやかに語られていた時期だけに、みのもんた氏のお言葉に、「一部の方」が戦慄を覚え、次の瞬間、激怒されたことは容易に想像できるところでした。

 といった次第でその番組は終わったのですが、私は、みのもんた氏が最初におっしゃったことと、その後、「一部の方」がご指摘されましたこととを慎重に秤にかけてみるのでした。
 結論として、「一部の方」のお怒りをかうかも知れませんが、やはりこの際、みのもんた氏の最初のご高説を採用させていただくこととし、以来、それを守り続けてまいりました。

  

 ようするに、まるで北朝鮮のアナウンサーのようにこわばった表情で「一部の方」のご意見を述べたみのもんた氏より、笑顔で、自信を持って話されたみのもんた氏の方を尊重させていただいたのであります。

 歯磨きのペーストを絞り出す都度、みのもんた氏に感謝を捧げ続ける私なのであります。

<おまけ> 戦中戦後は塩のみで磨きました。それさえなかったこともあります。
 そのうちに、缶入りの歯磨き粉というものが出回りました。
 裕福な家は家族それぞれに一缶ずつあったのかも知れませんが、庶民は一家で一缶でした。その缶に家族全員が自分の歯ブラシを突っ込んで粉を付けるのですから余り衛生的とは言えませんでした。

 いずれにせよ、今のように「ナントカ配合」などというペースト状のものをべったりと使うことはなかったわけですが、かといって、当時の方が歯の悪い人が多かったという確証はありません。
 みのもんた氏の、「ペースト最小使用論」を信じる所以であります。

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