過日、自動車免許取得に関する高齢者講習にいった折、天皇の免許はどうなっているのかを調べてここに書いたその当日に、生前退位の話が出てきて驚いた。別に、私が書いたものを読んでそう思ったわけではなく、すでに数年前から検討していたようだ。
昨年12月の誕生日を迎えた談話にも、「年齢を意識すること」、「それによって式典の手順など間違えることがあること」などを率直に語っている。
宮内庁やら政府筋が何やらごちゃごちゃいっているが、常識で考えたら、直ちにそれを実現する方向で考えるべきだろう。
昨年の天皇のいわゆる公務を見ると、270回に及び、そのうち、国内外の出張は75回にもなるという。今時、82歳になってこんなに働いているひとはいない。私も含めて、60歳や65歳でリタイヤーしているのが多く(年金のみでは食えないで働いている人もいるではあろうが)、多少忙しがっていても仕事が趣味だったりしている人もいて、公務として押し付けられたものではない。
摂政でもなんでもいいから、とにかく公務から開放するのが先決だろう。法的な措置として、皇室典範を改正しなければならないそうだが、どうせいろいろ怪しげな「見識者」がごちゃごちゃいうのだろうから、何年もかかりそうだ。そんなものは事後的にやればいことだ。
後継者の皇太子について聞くに堪えない悪口雑言を言っている連中もいる。例えば、デヴィとかいう女性。なんかの拍子にそのブログを覗いて驚いた。皇太子一家の悪口に専念しているようで、よくもまあ、あんなにあることないことを並べてることができるものだ。そして、それに同調している連中もかなりいるのも驚きである。その質は、ヘイトスピーチとほとんど変わりない。
皇太子一家を擁護するかどうかはともかく(これだけ書かれると、一つの家族として弁護してやりたくもなる)、こうした連中にはある種の危険性を感じる。
彼らは、概して皇室に対して過剰な期待をもっている。たとえば、それはリーダーシップのようなものであったり、古風な家族関係などの価値観への期待であったりするのだが、いずれも余分なことである。
それらは、いってみれば憲法に定める象徴の域を超えた期待であり、彼らの天皇解釋は明らかに政治的な偏向を示している。ようするに、自分たちの価値観のために天皇を利用しようとするものといっていい。
ついでながら、天皇家を平和の守り手であるかのようにいう向きも問題があるように思う。確かにそう感じられる点もあるが、それは現政権が憲法を捻じ曲げてまで著しく平和主義を脅かしていることから、本来、ニュートラルな天皇家の言動がそうみえるのであって、平和を守るのは天皇家ではなく、私たちなのだ。
何はともあれ、同じ老人としての私の感想は、早く楽にしてやるべきだということだ。私よりも5歳も上なのだから。
天皇であれ誰であれ、老いたるひとを縛り付け徹底的に利用しようとすることは許されるものではない。