六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

私は何を食らって生きているのか。

2021-08-30 23:15:38 | グルメ

 同人誌原稿締め切り目前。これも間に合わせの記事で申し訳ない。

 ここしばらく、食したもので、写真に撮ってあったもののまとめ。基本的には在庫しているもの、余り物の寄せ集め。

8月某日 昼餉

 前にも書いたが、そうめんよりも冷や麦派。子供の頃、周りにそうめんがなかったのと、チュルチュルと上品に食べるより、ズルズルッとすすり上げるほうが性に合っているせい。薬味にネギ、オオバ、ミョウガ、煎りゴマを揃えた。

 あっ、これはもう前に載せていましたね。ずさんでごめんなさい!

      

8月某日 夕餉

 左上から、時計回りにトリもも肉シンプルソティ。塩・コショウのみで焼き上げ、あとから細かくした。ニラとアゲの炒めものは酢醤油とゴマ油少々。ナスぬか漬けはもちろん自家製。ゴーヤのおひたし。半分に割って種をとりだした段階でさっと湯がく。旨味と成分を逃さぬため、切るのはその後。オカカと薄口醤油。

       

8月某日 夕餉

 やはり左上から時計回りで。ナスの輪切りソティ(塩・コショウ)。タラ切り落としカレー風味ソティ。タラは切り身では二切れ数百円だが、切り落としは150円ぐらい。味は変わらない。ただし、骨が残っている可能性があるので手で探って取り除く。塩、コショウにカレー粉を振りまき、メリケン粉をまぶして油で焼く。カレーの風味がタラの癖をとってくれる。
 ハモ入りチクワ。既製品。賞味期限間近で格安に。歯ごたえがあってうまい。
 十六ササゲのおひたし。亡くなった連れ合いが濃い緑の方が好きだったのでこれにしているが、最近、ある人と話していたら、薄い緑のほうがうまいという。今度はそちらもチャレンジしてみよう。

      

8月某日 昼餉

 雨が上がったら暑い日々が続き連日の猛暑日。そこで冷製パスタ。といってもパスタを湯がいて冷やし、それに昨夕作りすぎた何でもぶち込みサラダの残りをぶっかけたのみの手抜き作業。パスタの味付けは、冷やしてから、ほんの少々のケチャップ、ウースターソース、マヨネーズを。サラダに塩・コショウや酢、オリーブオイルの味がしっかり滲みているので、パスタの味はほんとうにあっさりと。ワカメと豆腐のすまし汁も、少し濃い味のものを少し作り、あとから氷をぶち込んで冷たくした。
 夏は冷やっこいのがいちばん。

      

8月某日 夕餉

 時計回りに、上は豚こまと玉ネギのソティ。チリソースを少々。
 モロヘイヤのおひたし。これは湯がき過ぎるとぬめりが多くなってシャキシャキ感がなくなる。予め、茎と葉の部分を分けておいて、沸騰したお湯にまず茎を入れて20秒、そこでさらに葉を入れて20秒でさっと上げて冷やす(つまり、茎は40秒、葉は20秒)。オカカを添えた。
 キュウリのぬか漬け。自家製。
 そして何でもぶっこみサラダ。ハルサメ、チクワ、生ワカメ、カイワレ、玉ネギなど。ドレッシングは、塩、コショウ、酢、オリーブオイル、それに隠し味程度のタバスコ。

      

苦労しているところ
 できるだけお金をかけないで、しかも、あまり貧乏ったらしくならないようにすること。

 

 

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間に合わせでごめんなさい!

2021-08-25 13:32:18 | 写真とおしゃべり

 ここしばらく、同人誌の締切などでブログのほうがすっかりお留守になっている。
 そこで、間に合わせで申し訳ないが、SNSなどに載せた短いものの羅列でお茶を濁すことにする。

 ほんとうは、じっくり書きたいことがあるのだが、それはまた落ち着いて書こうと思う。

八月某日

【今日の昼餉】天気予報はまだ雨なのだが、久々に真夏の日射しが戻ってきた。そこで好物の冷や麦を選択。

 薬味はネギ、オオバ、ミョウガのミックスに煎りゴマ、おろしショウガはもちろんのこと。
 傘寿過ぎて一束半はやはり過食だろうか。
 
      

8月17日 

【アフガンと日本】アメリカ軍の全撤退を待たず、アフガンがタリバンの側に落ちた。ヴェトナム戦争ほどの衝撃はないにせよ、米国の敗退といっていい。
 アメリカのヴェトナム、イラク、アフガン侵攻のモデルはかつての日本ではないかと思っている。「鬼畜米英」などとほざいていても、一度占領してまえば、「平和と民主主義バンザイ、アメリカさんありがとう」になったのが日本だった。それをモデルとして、アメリカの進攻は続いてきたのではないか。
 ところがどっこい、日本のような尻軽(しかも実際にはなんにも反省していない)は、世界では稀であることをアメリカは学ぶべきだろう。
 タリバンのイスラム原理主義的な動向はおおいに気になる。しかし最近は、女性の教育権を認めるなど軟化の兆しもあるという。
 願わくば、アフガンの文明開化が進み、タリバン支配下においても、人びとへの抑圧的支配がなされませんよう・・・・。
8月18日
 
 名古屋入管でのウィシュマさんの死亡に関し内部文書の開示を求めたのに対し、返答されたのが黒塗りの文書1万5千枚。彼らが必死に隠そうとしている闇の深さを象徴しているかのようだ。
 しかし、1万5千枚の黒塗りの文書を作成するなんて、その労力からしてそれ自身、狂気の沙汰としか思えない。
 不利な情報は隠せばいいんだろうというのは安倍以降の顕著な傾向のようだ。
 
      
      
 
8月25日
 
【今日のおんさい朝市=農協野菜売り場】・ネギ1束100円・モロヘイヤ1束100円・ピーマン1袋100円・キュウリ4本100円・ゴーヤ3本100円・ナス3本100円・十六ささげ1束100円・ニラ1束100円(スーパーなどと同価格だが量が倍ぐらい)・インゲン1袋100円・トマト3個100円・ミョウガ大小とり混ぜ10個120円*合計1,120円
 路地もの主体だから、この時期葉物が少ないのが悩み。
 
      
          
 
8月25日
 
今日の昼餉】具だくさんの冷たい肉うどん。雨の心配はなさそうだが、蒸し蒸しするので冷たい麺に。豚肉は昨夕食の残り。ほかはチクワと生ワカメ。薬味はネギとミョウガを刻んだもの。
 
      

 

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俳句に生涯を賭けた人びと 『証言・昭和の俳句 増補新装版』をいただく

2021-08-18 15:24:05 | 書評

 東洋医学の研究・実践家にして俳人、宮沢賢治の権威にして名古屋は千種界隈の飲食店の探求家、そしてローマ字表記にすると私と同姓同名の友人から、『証言・昭和の俳句 増補新装版』のご恵贈を賜った。500ページ超えの大著である。

 この書は、その友人が所属する藍生俳句会の代表・黒田杏子さんが2002年に上梓した『証言・昭和の俳句』の増補新装版で、やはり黒田さんが編集にあたっている。

           

 内容は二部にわたり、第一部はまさに昭和を生きた私より年長の、学徒出陣や治安維持法、それによる京大俳句事件などの経験者13人の俳人に、黒田さんがインタビューしたものをまとめたもので、各俳人の代表作50句とその年表が添えられている。
 それら13人の顔ぶれは、表紙写真の上部に列記された人びとである。

 第二部は今回新たに増補されたもので、20人の俳人や作家、評論家たちが第一部に関する感想などを寄せている。その顔ぶれは、裏表紙の写真にある通りで、TVなどでおなじみの夏井いつきさんも登場する。

           

 すでに書いたように、第一部は戦前をも生きた私より年長の人たちで、2002年には存命した人たちも、1名を除いては既に故人である。
 それに対し、第二部に登場する人たちは私より年下で、現役でバリバリ活躍している人たちだ。

 だから、2002年の版は、黒田さんによる貴重な聞き取り、歴史で言ったらオーラルヒストリーのようなもので、今回の増補版は、それに対する現代人の反応を混じえたものといえる。

 はからずも私は、年齢的にいって、そのヤジロベエの中心にいるようなものだが、それもそのはず、編者の黒田さんは私とまったく同い年なのである。
 なお、この書を8月15日に照準を合わせて刊行した黒田さんの思いもちゃんと受け止めるべきだろう。

           

 この書は、俳句に暗い私にとってはまさに昭和俳句の百科事典のようなものであり、じっくり読み進めてゆきたい。

 ご恵贈のMさん、ありがとうございました。
 編著の黒田さん、改めて貴重な資・史料のお取りまとめに敬意を評します。


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痛い出費。だが職人さんの仕事ぶりに感激!

2021-08-15 16:08:24 | フォトエッセイ

 貧しいながらも二階建ての一軒家に住んでいる。ただし、築半世紀以上を経過しているのでメンテナンスが大変である。

         

 今回は二つの点での補修を余儀なくされた。
 ひとつは、激しい台風の場合、一番強く風が吹き付ける東側の板張りの一部が破損欠落し、下塗りの土壁が露呈するなど、全体に劣化が激しいので、この面全体を板金の貼り付けにしようということである。

         

 もうひとつは、一階、二階の瓦を点検した結果、近い将来、雨漏りになりそうな破損箇所が少なからずあるので、それらを補修するということであった。

 それぞれ一人の職人さんが数日づつやってきて、8月はじめから10日ぐらいで工事は終わった。

         

 ここに載せたのは、その経過を撮した写真だが、瓦の写真に関しては私が撮したものではない。職人さんが iPad でビフォアー&アフターなど私に示してくれたものである。それをUSB経由で私のPCに取り込んだ。

         

 で、その経費であるが、私の年金の半年分に相当する。とはいえ、私の年金は国民年金プラス・アルファであるから、支払ったのはン十万円である。

         

 もはやなんの収入もない身にとっては、痛いことには間違いないが、しかし、それ以上に感動したことがある。

         

               板金張替え終了

 これを書いてる今は列島に前線が居座り、激しい雨が続いているが、職人さんたちが仕事をした日々は、岐阜は連日猛暑日で、少し離れた多治見では、40度超えを記録している。

         

 そんななか、職人さんたちは、照り返しの激しい屋根の上で朝から夕方まできちんと仕事をしたのである。
 これには、彼らが熱中症にならないか大いに気を揉んだし、「熱中症に気をつけてね」と声もかけた。

            

 そんな私に、ふたりとも、「熱中症なんかに気をかけていたら夏の仕事はできませんよ」と平然としていた。
 夏の平地はともかく、照り返しの激しい屋根の上なんて、私なら10分が限度だろうと思う。

            

 こんな職人さんたちに、本当に敬意を感じる。
 そして、業者の営業マンに、ありったけの弁舌を尽くして値切り倒した自分を思わず反省してしまった。
 それによって彼らに支払われるべき賃金が縮小されたのではなかろうかと。

         

 とはいえ、年金半年ぶりの支出、私にできることは、仕事を終えた職人さんたちに「ほんとうにありがとうございました」と深々と頭を下げる以外はなかった。

         
           上の写真は修理前 これは修理後
 

 職人さんたちの世界は素晴らしく、また奥深い。彼らの存在によって、どれほど多くのものが支えられていることか。名演奏家のコンサートに酔うのと同様、彼らの職人技と職人魂に感動したのであった。



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ウィーン近郊で起こったこと 黒川 創の小説を読む

2021-08-12 15:05:34 | 書評

 黒川 創の中編小説『ウィーン近郊』を図書館の新刊コーナーで見かけて借り、読んだ。初出は『新潮』2020年10月号、単行本化は今年の2月。

 なぜこの書かというと、一度だけだが著者と逢ったことがあるということ、それが縁で彼の小説を2,3篇は読んでいること、さらにいうならば、海外旅行の経験は少ない私が、二度訪れた唯一の都市がウィーンだったということによる。

            

 冒頭から少しドキッとする。長年ウィーンに住んでいた兄の自死の報せに、日本から駆けつけた妹の話から始まるからだ。なぜドキッとするかというと、著者黒川の身内が自死していることを知っているからだ。
 しかし、そんなに驚く必要はないのかもしれない。というのはちょうど10年前、黒川はその身内の自死と直接向かい合って、死者と生前、縁があった知人、友人、親戚、行きつけの飲食店夫妻などとのインタビューをまとめた書『〇〇とは何者だったのか』を出版しているからだ。

 小説に戻ろう。
 話は概して、兄に自死された妹と、それをサポートするオーストリア大使館の外交官との視点が交互に現れて進む。
 ただし、それによって自死の真相・真実が明らかになるわけではない。自死する者の真実なんて事後的な推測にしか過ぎないだろう。明らかになるのは、その兄が、ウィーンにおいてどんな人びととどんな関係を結びながら生きてきたかということであり、それこそが現実なのだ。それはまた、前述した黒川の自分の身内の自死についてのインタビュー集の手法とも一致する。

 その兄の遺灰が墓地に埋葬される際、それに参列してくれた人びとに、妹が謝礼を兼ねたやや長い挨拶をするのだが、それがひとつのまとめになっている。
 最終章は上に述べた外交官の叙述だが、そのなかで、ソポクレスによるオイディプスから始まるテーバイ三部作のうちの『アンティゴネー』が引かれるに至って、なるほど、これは兄をきちんと葬ろうとする妹・アンティゴネーの話であったのかとも思えるのだが、もちろん、それも比喩的な類似にとどまるほかないだろう。

         

 この外交官による終章は、アンティゴネーの話の他、リトアニア、カウナスでの杉原千畝の話、エゴン・シーレの「死と処女」についてのエピソード、映画『第三の男』の当時の背景などなど、興味深い考察が続いていて、著者の関心の広さやそれらについての豊かな知が伺えるものとなっている。
 
 小説とは関係ないが、かつて私は、オーストリアの戦中戦後の立場についての疑義を描いたことがある。ウィーン、ザルツブルグ(ここに一週間滞在したことがある 1991年)、グラーツとどこの都市も、そしてそれらを取り巻く自然も素晴らしく、とても好きなところなのだが、歴史的には問題があると思うのだ。

 この国は1938年にヒトラー治下のナチスドイツに併合されるのだが、それは、他の周辺諸国のようにナチの軍事力によって蹂躙されたのではなく、極めて自主的に大ドイツ主義を背景に、国民投票による99%近い賛同のもと実現されたものだった。
 だから、ドイツ軍の進駐に対しては、各地でハーケンクロイツの旗による熱烈な歓迎でもって迎えたのであった。

         

 しかし、戦後、ナチスドイツが敗北するや、あたかも自分たちも被害者であったかのようにスルリと身をかわし、連合国側に媚びたのであった。
 したがって、自らのナチズムへの親和性はそのまま棚上げされ、ドイツ本国のようなきちんとした自己批判や再発防止措置も取らないまま現在に至っている。反ユダヤ主義をナチスと共有したことについての自己批判もない。
 そんな背景もあってかヨーロッパにおける最初のニューナチズム登場を許し、その勢力の侮れない進展といった結果を招いている。

 私のこの見解はあまり受容されないかのようだが、この書でのその辺の見方は私のそれとほとんど一致している。我が意を得たりといったところである。

 それはともかく、小説に戻るならば、その読後感をうまくまとめたり伝えたりはできない。
 ただ、著者がこのタイトルを「ウィーン近郊」としたことはなんとなくわかる気がする。ここで語られる一連の推移そのものが、あたかもウィーンという都市と不可分なものであるかのように語られるからである。
 人びとが出会い、そこで生き、生死に関わらずそこから離れてゆく結節点、それらの人びとが分有する不可視のエネルギーのようなものとしてのウィーン・・・・。 

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田園の減少と食料自給率、そして・・・・

2021-08-10 01:27:21 | よしなしごと
 ここしばらく、わが家の周辺では田圃の宅地化、休耕田の増加などが急速に進んでいることを書き続けてきたが、そうした趨勢はどうやらこの国全体の問題らしい。
 先月末の農林水産省の公表によれば、昨年度の田圃の耕作停止は、多い県では5%にも及ぶという。

         

 日本人の主食である米の生産のこの減少は、すわ食糧危機といった感だが、これまでの米余り状況からいって、そうではないという。ただし、このように耕作地が縮小してゆくということは、食糧自給率が低下してゆくことには間違いない。
 しかし、それはそれで良いのかもしれないとも思う。

         

 かつて、食料の自給率についてはかなり厳しい見方が多かった。しかし、最近ではそうした見方も変わってきたようだ。それはおそらく、物流や分業のグローバル化と関連しているのだろう。そしてそれらは、もはや後戻りできないところまで来ているのだろう。

         

 「それはそれでいい」といったのは、そうしたグローバル化の一環としてそれぞれの国が機能しているとしたら、もはや容易に戦争を起こすことはできないということだ。
 1941年、太平洋戦争へと踏み切ったこの国は、食料自給率においてはいまより上回っていたはずである。植民地や占領地からのその供給も計算に入れていたことだろう。

         

 しかし今、あの頃のような孤立した戦時体制になったら、食料の自給は絶望的である。これを書きながら調べてみたのだが、1965年には73%だった自給率は一昨年の段階でほぼ半分の38%でしかない。
 極めて単純に考えたら、いまこの国が孤立したら、まともに食えるのは3人に1人ということになる。

 戦争に反対することをなにか気高い使命感のように考える必要はない。もっとプラグマティックに考えて、戦争になると3分の2の人間が食えなくなるからやめた方がいいでもいいではないか。

         

 とはいえ、半世紀以上前、自分が居住地として選んだこの地の環境、つまり集落が点在し、その周りに広々とした田園地帯が・・・・という自然豊かな環境が日々、オセロゲームのように居住地帯にひっくり返るのをみているのもつらいものがある。

 なんだか変な話になってしまった。

写真は田ならしをし、給水をしたけれどけっきょく耕作されなかった田の地割れの模様と食料自給率推移のグラフ。

 

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錯綜する「事実」そして『ファーザー』の困惑と恐怖(映画の感想)

2021-08-06 11:04:57 | 映画評論

 私は結構いわゆる認知症には縁がある。
 50代には、いろいろな事情があって、そうした症状の義母を数年間預かったことがある。彼女の症状は普段はおとなしいのだが、ときおり、食に関してのトラブルがあった。食事をして10分も経っていないのに、まだ食べていないと言いはったり、知らない間に冷蔵庫のものを食べてしまったり、あるときなどは一房買ってあったバナナを全部平らげてしまったりした。徘徊もしばしばあった。今はもう故人である。

 妹の連れ合い、つまり義弟はまた少し違う。記憶の減退は著しく、一緒に葬儀に出た人について、「お義兄さん、最近あの人と逢ってますか」と尋ねられたこともある。ひところ、やや暴力的になったこともあったようだが、今は妹や姪の介護で落ち着いているようだ。

            

 私の連れ合いは数年前に亡くなったが、その前数年間は認知障害であった。
 彼女の場合は、健常時にはけっこう自己主張があって厳しい言動もあったのだが、障害後は一変してまろやかな「可愛い素直なおばあさん」になってしまって、これなら自宅療養でなんとかなるのではと介護者の私は思ったものだった。

 そしてもうひとり、昔っからの友人が時間や空間の認知が損なわれて来た事実に苦しんでいる。この人の場合、自分の症状の進行に充分自覚的であるだけに、そしてそれを嘆き、アイディンティティを守りたいと必死に願っているだけに痛ましいところがある。かえって、その段階を早く抜けて別の平衡に至ったほうがいいのではないかとも思われる。

         

 しかし、上記の観察は、いずれもその当事者の外部にいる、私の視点からのものに過ぎない。
 が、この映画はそうではない。そのほとんどが、認知障害をもったファーザー、アンソニーの視線や経験からなっている。だから、それを観ている私たちには、人物やシチュエーションが目まぐるしく変わってしまったりする異変が、まるでミステリアスなホラーであるかのように感じられる。

 時空や事物の同一性を撹乱したまま受容しなければならないアンソニーの葛藤は痛々しい。同様に、そんな父と付き合ってゆかねばならない娘、アンの立場もつらいものがある。

         

 ファーザー・アンソニーにとってはもはや失われてしまった「客観的」事実が明かされるのは最後のシーンである。ここに至って私たちは、これまで観てきた錯綜したシーンの、どれが「客観的」であったかが示され、納得する。
 しかし、忘れてはいけない。アンソニーにとってはそれは今なお錯綜したままであり、「樹の葉が全部落ちる」ように、事実は失われてゆくのだ。

         

 亡き母を思い泣きじゃくるアンソニーは、介護人にしがみつくようにして「現実」を受け止めようとする。カメラは、窓の外の公園の緑の樹々をアップして映画は終わる。
 アンソニーは失った「全ての葉」を、その樹々の下を散策することによって、多少は取り戻せるのだろうか。その錯綜した現実と折り合いを付けながら、新たな均衡のなかで生きて行くのかもしれない。そこに、かすかながら希望が、生きることの筋道のようなものがある。

         

 この映画を、客観的に語ることはできない。なぜなら、これは私の明日の姿であり、その予兆のようなものにすでにとり囲まれているからである。
 また、一般論からいうならば、私たちが客観的事実と信じているものは多かれ少なかれさまざまな差異を含んだ曖昧さのうちにある。そして私たちは、それをきっちり「事実」に合致させるチューニングの方法を知ってはいない。

 アンソニー・ポプキンスの演技はやはり素晴らしい。
 映画が好きな割に俳優にはあまりこだわらない私だが、この人については「羊たちの沈黙」のハンニバル・レクターや、カズオ・イシグロ原作の「日の名残り」のジェームズ・スティーヴンス の演技を記憶している。

         
 

 どうでも好いが気づいたもうひとつのこと。
 この映画、ほとんどのシーンが室内なのだが、それがどの室内なのかはアンソニーの認知のなかでは錯乱したままである。

 音楽は冒頭からオペラのアリアにより始まり、それらはしばしば聴かれるのだが、その音楽たちは外部から付けられたBGMではなく、アンソニーその人が聴いているものであり、したがって、彼の陥っている悲壮感を表す一方、彼が「健常」であった折の趣味をも示すものとなっている。

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ウチナンチュウの「楕円のハアト」が届いた!

2021-08-04 23:30:13 | ポエムのようなもの
 ハアトはどんな形?
 クリの頭にくびれができたような形?
 本当にそうなの?
 
 あんた、虹は七色だと思ってるでしょう
 それって少数派で、三色から十数色まで
 民族や地方によっていろいろなんだよ

 

 ハアトだってそう
 ぼくんちへ届いたのは楕円形のそれ
 しかもふたあつも

 これはウチナンチュウのハアト
 ぼくと心通うひとの完熟のハアト

 沖縄 それはぼくには禁断の地だった
 一億総玉砕で本土決戦をと豪語していた
 軍国皇民少年だったぼく

 でもぼくは天皇裕仁とともに生き延びた
 しかしその間に、ウチナンチュウの
 四人に一人が戦禍の生贄となった

 そんな島へ物見遊山に行けるか?
 ぼくにはその資格はない
 所属する会の旅行でも参加はしなかった



 それを認めてくれたうえ鎮魂の旅に
 招待してくれたのがおりざさんだ
 そして伊勢の国の夫妻が同行してくれた

 そんなわけで沖縄の地を踏んだのは
 一昨年の秋
 もちろん風光明媚な南の島
 物見遊山を全く外すことなんかできはしない
 近場の淡いブルーの珊瑚礁の海
 その沖合の紺碧に光り輝く広がりと水平線



 本土の森林地帯とはまったくちがう植生で
 したがってその色合いも違うヤンバルの森
 咲き乱れるハイビスカスとブーゲンビリアン
 ザワワと揺れる背高のっぽのサトウキビ



 だが、そのどこもが過去の、そして今の
 戦の痕跡を宿している
 赤茶けた土で埋め立てられる辺野古の海
 埋め立てに使われるその土は
 沖縄戦の遺骨が混じる激戦地からのもの
 かくして死者は二度殺される



 ヤンバルの森に潜むのは
 あのヤンバルクイナのみではない
 そこにある米軍のヘリポート基地から
 飛び立つヘリは人家近くに不時着する



 背高のっぽのサトウキビ畑を
 かき分けるようにして下ると
 昼なお暗き洞窟がある
 投降を許されないまま住民たちが
 親が子を、子が親を殺すという
 集団自決に追い込まれた
 あのチビチリガマが

   
 
 さつまいものユルキャラ「いもっち」が
 笑いかける「道の駅かでな」の屋上からは
 人間の視界では全貌を捉らえきれない
 広大な「アメリカ」が広がっている 



 ここでは物見遊山への専念は困難だ
 指折りの観光スポット・美ら海水族館から
 円錐形の美しい島・伊江島が見える
 ここは戦時中の激戦地だが悲劇はさらに続いた
 敗戦後三年の千九百四十八年八月六日
 この島の桟橋で弾薬を積んだ米戦艦が暴発し
 折から桟橋にいた一〇七名を死へと巻き込んだ


 
 最後の激戦地、糸満市摩文仁の丘に広がる
 沖縄平和祈念公園
 黒い御影石に刻まれた二〇万を数える死者たち
 一見、白い文字の無数の塊なのだが
 そのひとつひとつに物語があったのだ



 これらすべてが、ぼくが沖縄で見たものだ
 これを可能にしてくれたのが
 沖縄在住のおりざさんの案内であり
 同行してくれた伊勢の国の夫妻だ

 なお、おりざさんは、昨年の夏
 自作の詞による歌「祈り…命どぅ宝」の
 唄い手としてデビューを果たした

 おりざさんはハアトフルな人である
 だからそのハアトは並の形ではない
 完熟の楕円形 しかもふたあつ
 これがウチナンチュウのハアトだ

 それがぼくのもとに届いた
 ぼくのギザギザハアトを優しく繕い
 生き続けることを応援してくれるハアトだ
 
 ありがとう! おりざさん!
 

 https://www.youtube.com/watch?v=wwjb8wChELA
  FMラジオでの収録風景 収録の模様がわかって面白い
 

 

 
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【読書ノート】出てゆかない「テナント」の行方は?

2021-08-01 15:48:30 | 書評

 バーナード・マラマッド『テナント』 青山南:訳 みすず書房


           

 バーナード・マラマッド(1914-86年)というアメリカの作家による1971年に書かれた小説である。何の予備知識もないまま、図書館の新着書の中からヒョイとつまんできて読んだ。

 『テナント』というタイトルは、主人公がまさにとあるアパートのテナントだからである。ただし、このアパート、取り壊しが決定していて、他のテナントはすべて転居したのに、彼のみが居座っているのだ。
 
 大家は、早く取り壊し、新たなものを建てたいので、あの手この手で彼に退去を迫る。その中には、他の退去者に支払った金額の10倍以上という裏取引の提案もあるのだが彼は応じない。それは、彼の目的が金や次なる快適な場の追求ではないからだ。
 事実、彼以外無人のこのアパートは、水道光熱の支給も危うく、トイレの水も流れなくなったりして、居住環境としては最悪なのだ。

 なぜ彼は立ち去ろうとしないのか。
 彼、ハリー・レサーはユダヤ系白人の小説家で、すでに2冊の作品を世に問い(うち一冊は好評で、もう一冊はそうでもないらしい)、いままさに3冊目の作品の後半に差し掛かり呻吟しているのだ。大家のアーヴィング・レヴェンシュピール(この人もユダヤ系)は、だったら余計環境のいいところへ移ったら良いじゃないかと迫る。
 しかし、レサーはいう。この小説はまさにここで完結させられるべきもので、書き上がったら直ちに出てゆくからと繰り返すのみだ。
 
 このやり取りに終始するのかと思いきや別の展開が始まる。
 アパート全体が空き家だとうことで、新たな不法侵入者が現れるのだ。
 ウィリー・スピアミント(後半はビルと改名)という黒人で、なんと大型のタイプライターを持ち歩くやはり作家希望の男なのだ。彼の方は、まだその作品を世に問うてはおらず、書き上げたかなりのものをもってはいるが、どこかまだしっくりこないと自分でも思っている。

 この廃墟に近いアパート(数階建てか)での奇妙な共同生活が始まる。
 ハリー・レサーの方は一応契約入居者であるが、ウィリーの方は単なる潜りである。当然大家からの激しい追求がある。それをレサーはかくまい続けるどころか、ウィリーの要請に応じて、その原稿を読み、先行する小説家としてアドヴァイスすらする間柄になる。

 ただし、ほんとうに親密になったわけではない。ウィリーの白人に対する憎悪に近い感情は残ったままだし、レサーの助言も、そんなのはフォームに関するものに過ぎないと言い張る。しかし、その割に参考にはしているようなのだが。

 実はこのウィリーという黒人、それ以前の公民権運動や現今のBLM運動と比べ、いまひとつ過激な、60年代後半から70年代のかけてのマルコムXやブラックパンサーなどの、ブラック・イズ・ビューティフル、黒人至上主義を信奉する人物で、黒人である自分たちの優位性を主張してやまない。
 レサーが白人にもかかわらず黒人文化への偏見がないことやユダヤ人でも富裕層ではないなどを消極的理由に、加えて、自分の実存を小説でもって表現してゆこうとする共通する志とで二人の間柄は繋がっているのだが、その関係は危ういものである。

 小説以外に目がないとも思われるような二人の関係は、まさにその「それ以外」のところで、つまり、人は小説のみで生きているわけではないというレベルのところで崩れ始める。暫く続くその葛藤もまた、一応は小説家らしい形を保っているかのようなのだが、その最後の大詰めは凄惨極まりない暴力として描かれている。
 二人が最後に交わす言葉はこうだ。
 「血を吸うユダヤ人のクロンボ嫌い」
 「ユダヤ人嫌いの大猿」
 そして・・・・。

 終章。大家のレヴェンシュピールが登場して叫ぶ。
 「ハブ・ラフモネス(慈悲を)!」
 そしてその後に、およそ112回の「慈悲を」の言葉が並ぶ。

 ちょうど50年前の小説なのだが、古さはない。

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