■僕をいつも、批判的な眼差しで眺めていてくれることで友人である K への手紙
もう十月が終わってしまうというその時の流れや区切りに、いまさらのように驚いてみても始まらないのだが、しかし、そういう機会には何となくもっとスパンの長い流れ、例えば自分の個人史のようなものがヒョイと顔を覗かせることがあるものなのだ。
むろん個人史といっても、自分がどのように育ち、誰を愛し、何を食べてきたのかのような、手を伸ばせば届くような狭い範囲でのものから、少し大げさかもしれないが、自分がこの世界、あるいは時代とどう関わってきたのかというレベルのものまであるのだと思う。
前者の狭義の個人史は、君もある程度知っているように、改めて述べるようなものはほとんどないのだが、後者に於いては、一時期、きみとも一緒に行動してきたこともあって、多少は話題性を持たせることが出来るだろう。
あの若い時期、僕らは現実の虚妄を捉え得たように思った。あまつさえ、僕らが夢見る「現実」こそが、「真理」であると思うに至ったのだ。だから、いまだ潜勢態にしか過ぎない僕らの「真理」を現実化すべく様々な行動を展開したのだったね。
しかし、僕たちは敗れた。
始め、僕たちは何に敗れたのかすら分からなかった。もちろんその折りのそれぞれの「狭義の政治課題」に於いても敗れたのだが、やがて、それに留まらず、僕らが抱いていた「真理」の現実化というレベルでも、僕らは負けてしまっていたことに気付いたのだった。
これは何も相手の力が強かったからと言うだけではなく、僕らが抱いていた「真理」、そして「現実」のイメージそのものがいつの間にか崩壊してしまっていたのだった。
ようするに、僕らが立っていた地盤そのものが、地震の際の液化現象のように崩壊してしまっていたのだ。
それはいわゆる狭義のスターリニズムやその体制の虚偽性のことではない。そんなことはもっと前からお互いに知っていた筈だ。
だからこそ、僕らの敗北は深刻だった。
そのひとつは、僕ら自身が、広い意味でのスターリニズム的な思考の内にあったということだ。僕らの掲げていた「反スターリニズム」は、当のスターリニズムに、もっと真面目にピュアーにやれと迫るようなものであった。
僕らは、極端に言えば、「世の中には唯一の真理や正義があり、そのためには、人を殺しても自分が死んでもいい」という固定した真理や正義への全体化の運動の内にあったのだと思う。そう、この「全体化」こそ、「全体主義」のそれであることを君は十分知っているね。
そして、君も気付いているように、それへの固執が、その後の連合赤軍事件に濃い影を落としているのだ。あれは、僕たちの分身でもあったといえるかも知れない。
もう一つは、僕たちがそれと戦っていたと思っていた現実そのものの大きな変貌だった。それはすでにして1960年代から、いわゆる先進国に於いて始まっていて、今日のグローバリゼーションへと繋がるものなのだが、僕はそれを、狭義の資本主義の定義のうちでしか捉えることができなかった。
なんだかだらだらと長い手紙になってしまった。
このまま書き続けたら、本当に11月になってしまうだろう。
途中で申し訳ないが、この続きはまた改めて書くつもりだ。
尻切れとんぼだがひとつだけ言っておこう。
1960年代に端を発する現実とは、いわば「ポスト近代」とも言われるものだ。
これは、ひと頃はやった「ポストモダン」とも当然関わるが、それも含めて次回に書くつもりだ。
寒くなるから、おたがい体には気を付けよう。
またどこかで杯など交わしながら、僕の手紙に対する君の酷評に耳を傾けたいものだ。
もう十月が終わってしまうというその時の流れや区切りに、いまさらのように驚いてみても始まらないのだが、しかし、そういう機会には何となくもっとスパンの長い流れ、例えば自分の個人史のようなものがヒョイと顔を覗かせることがあるものなのだ。
むろん個人史といっても、自分がどのように育ち、誰を愛し、何を食べてきたのかのような、手を伸ばせば届くような狭い範囲でのものから、少し大げさかもしれないが、自分がこの世界、あるいは時代とどう関わってきたのかというレベルのものまであるのだと思う。
前者の狭義の個人史は、君もある程度知っているように、改めて述べるようなものはほとんどないのだが、後者に於いては、一時期、きみとも一緒に行動してきたこともあって、多少は話題性を持たせることが出来るだろう。
あの若い時期、僕らは現実の虚妄を捉え得たように思った。あまつさえ、僕らが夢見る「現実」こそが、「真理」であると思うに至ったのだ。だから、いまだ潜勢態にしか過ぎない僕らの「真理」を現実化すべく様々な行動を展開したのだったね。
しかし、僕たちは敗れた。
始め、僕たちは何に敗れたのかすら分からなかった。もちろんその折りのそれぞれの「狭義の政治課題」に於いても敗れたのだが、やがて、それに留まらず、僕らが抱いていた「真理」の現実化というレベルでも、僕らは負けてしまっていたことに気付いたのだった。
これは何も相手の力が強かったからと言うだけではなく、僕らが抱いていた「真理」、そして「現実」のイメージそのものがいつの間にか崩壊してしまっていたのだった。
ようするに、僕らが立っていた地盤そのものが、地震の際の液化現象のように崩壊してしまっていたのだ。
それはいわゆる狭義のスターリニズムやその体制の虚偽性のことではない。そんなことはもっと前からお互いに知っていた筈だ。
だからこそ、僕らの敗北は深刻だった。
そのひとつは、僕ら自身が、広い意味でのスターリニズム的な思考の内にあったということだ。僕らの掲げていた「反スターリニズム」は、当のスターリニズムに、もっと真面目にピュアーにやれと迫るようなものであった。
僕らは、極端に言えば、「世の中には唯一の真理や正義があり、そのためには、人を殺しても自分が死んでもいい」という固定した真理や正義への全体化の運動の内にあったのだと思う。そう、この「全体化」こそ、「全体主義」のそれであることを君は十分知っているね。
そして、君も気付いているように、それへの固執が、その後の連合赤軍事件に濃い影を落としているのだ。あれは、僕たちの分身でもあったといえるかも知れない。
もう一つは、僕たちがそれと戦っていたと思っていた現実そのものの大きな変貌だった。それはすでにして1960年代から、いわゆる先進国に於いて始まっていて、今日のグローバリゼーションへと繋がるものなのだが、僕はそれを、狭義の資本主義の定義のうちでしか捉えることができなかった。
なんだかだらだらと長い手紙になってしまった。
このまま書き続けたら、本当に11月になってしまうだろう。
途中で申し訳ないが、この続きはまた改めて書くつもりだ。
尻切れとんぼだがひとつだけ言っておこう。
1960年代に端を発する現実とは、いわば「ポスト近代」とも言われるものだ。
これは、ひと頃はやった「ポストモダン」とも当然関わるが、それも含めて次回に書くつもりだ。
寒くなるから、おたがい体には気を付けよう。
またどこかで杯など交わしながら、僕の手紙に対する君の酷評に耳を傾けたいものだ。