六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

【ちょっと真面目な手紙】

2007-10-31 17:57:13 | ラブレター
 僕をいつも、批判的な眼差しで眺めていてくれることで友人である K への手紙

 もう十月が終わってしまうというその時の流れや区切りに、いまさらのように驚いてみても始まらないのだが、しかし、そういう機会には何となくもっとスパンの長い流れ、例えば自分の個人史のようなものがヒョイと顔を覗かせることがあるものなのだ。

 むろん個人史といっても、自分がどのように育ち、誰を愛し、何を食べてきたのかのような、手を伸ばせば届くような狭い範囲でのものから、少し大げさかもしれないが、自分がこの世界、あるいは時代とどう関わってきたのかというレベルのものまであるのだと思う。

 

 前者の狭義の個人史は、君もある程度知っているように、改めて述べるようなものはほとんどないのだが、後者に於いては、一時期、きみとも一緒に行動してきたこともあって、多少は話題性を持たせることが出来るだろう。

 あの若い時期、僕らは現実の虚妄を捉え得たように思った。あまつさえ、僕らが夢見る「現実」こそが、「真理」であると思うに至ったのだ。だから、いまだ潜勢態にしか過ぎない僕らの「真理」を現実化すべく様々な行動を展開したのだったね。

 

 しかし、僕たちは敗れた
 始め、僕たちは何に敗れたのかすら分からなかった。もちろんその折りのそれぞれの「狭義の政治課題」に於いても敗れたのだが、やがて、それに留まらず、僕らが抱いていた「真理」の現実化というレベルでも、僕らは負けてしまっていたことに気付いたのだった。

 これは何も相手の力が強かったからと言うだけではなく、僕らが抱いていた「真理」、そして「現実」のイメージそのものがいつの間にか崩壊してしまっていたのだった。
 ようするに、僕らが立っていた地盤そのものが、地震の際の液化現象のように崩壊してしまっていたのだ。

 

 それはいわゆる狭義のスターリニズムやその体制の虚偽性のことではない。そんなことはもっと前からお互いに知っていた筈だ。
 だからこそ、僕らの敗北は深刻だった。
 そのひとつは、僕ら自身が、広い意味でのスターリニズム的な思考の内にあったということだ。僕らの掲げていた「反スターリニズム」は、当のスターリニズムに、もっと真面目にピュアーにやれと迫るようなものであった。

 僕らは、極端に言えば、「世の中には唯一の真理や正義があり、そのためには、人を殺しても自分が死んでもいい」という固定した真理や正義への全体化の運動の内にあったのだと思う。そう、この「全体化」こそ、「全体主義」のそれであることを君は十分知っているね。
 そして、君も気付いているように、それへの固執が、その後の連合赤軍事件に濃い影を落としているのだ。あれは、僕たちの分身でもあったといえるかも知れない。

 

 もう一つは、僕たちがそれと戦っていたと思っていた現実そのものの大きな変貌だった。それはすでにして1960年代から、いわゆる先進国に於いて始まっていて、今日のグローバリゼーションへと繋がるものなのだが、僕はそれを、狭義の資本主義の定義のうちでしか捉えることができなかった。

 なんだかだらだらと長い手紙になってしまった。
 このまま書き続けたら、本当に11月になってしまうだろう。
 途中で申し訳ないが、この続きはまた改めて書くつもりだ。

 尻切れとんぼだがひとつだけ言っておこう。
 1960年代に端を発する現実とは、いわば「ポスト近代」とも言われるものだ。
 これは、ひと頃はやった「ポストモダン」とも当然関わるが、それも含めて次回に書くつもりだ。

 

 寒くなるから、おたがい体には気を付けよう。
 またどこかで杯など交わしながら、僕の手紙に対する君の酷評に耳を傾けたいものだ。

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「沖の石」と六の時事川柳

2007-10-29 07:57:52 | 川柳日記
 

 日曜日、半分仕事がらみ(ということは後の半分は遊び)で、秋の若狭湾へ。
 前日の荒れ模様とはうってかわって晴天。だが、その余波で波は高かった。
 帰途、「沖の石」が望見できる地点にさしかかる。
 この沖の石は、百人一首にある、二条院讃岐の下記の歌の題材とされている。
 折からの大潮で、歌の主旨とは違い、はっきりそれと見て取れたのだが、遠方過ぎて、私のデジカメではそれと捉えることはできなかった。

 
          この水平線あたりに沖の石が・・
  
*二条院讃岐の歌  
  
   わが袖は潮干に見えぬ沖の石の
      人こそ知らねかわく間もなし

 
 <歌意>私の袖は潮が引いても見えない沖の石のように人は知らないでしょうが、涙に濡れて乾く時がないのです(むろん、恋の歌です)。

<今週の川柳もどき> 07.10.29

 防衛はまず喚問を突破から
  (防衛省不祥事続発)

 取り敢えず白黒つけた碁盤上
  (与謝野氏・小沢氏囲碁対決)

 産み月をたらい回しじゃ子は増えず
  (受け入れ施設の70%がしていた)
 
 時移り女性がリードするタンゴ
  (アルゼンチンに女性大統領)

 一万語増えてメタボな広辞苑
  (ニート、メタボなどカタカナ語増加)

 線路上痴漢は逃げるヘリ落ちる
  (JR品川と南海電鉄)

 吉兆が問われる偽装またひとつ
  (高級料亭吉兆の子会社でも)

 悪ふざけを電波に晒すバラエティ
  (番組過剰化)

 駅前で耳を垂れてるNOVAウサギ

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【嘘が嘘になる構造】

2007-10-25 03:24:52 | 社会評論
 嘘つき大会があった。
 それぞれの出場者が、さもありなんという嘘をつきまくった。
 優勝者は最後に出てきて、たった一言、こう言った人だった。
 「私はこれまで嘘というものをついたことがありません

 

 人は嘘をつく。
 しかし、それが嘘として成立するためには、ある条件が必要なのではあるまいか。
 要するに、それを誰かが嘘だと知ること、あるいは、それと指摘することによって嘘は嘘としてはじめて明らかになるのではないだろうか。

 ということは、私が意識的についた嘘でも、それを皆が信じるならば、それは嘘ではないということである。裸の王様は、少年が裸であると指摘するまでは煌びやかな衣装をまとっていたのだ。
 逆に、極めて真面目に真実を語ったつもりが、その観察や結論への過程に誤りが見いだされ、嘘として告発されることもあるだろう。例えば、私の言説がそれであるように。

 

 要するに嘘は、嘘をつく私の側で嘘となるのではなく、それを嘘として指摘する誰かに依存しているということである。そうした誰かがいなければ、私は嘘をつくことすら出来ないし、嘘が嘘として明らかになることもない。

 「赤福」は30年以上前から嘘をつき続けてきたといわれているが、誰もそれを嘘だと指摘しなかったので、それが嘘だと指摘されたほんの何週間前までは、「当日作ったものしか売らない」というそのうたい文句は「本当」だったのだ。
 同様に、相継ぐ各種の偽装はすべて、誰かがそれを嘘だと指摘するまでは嘘ではなかった。
 「宮崎地鶏」は、東国原知事が飛び回ってPRを続けたおかげで、ピッカピカの「本当」であった。それが嘘だと伝えられた昨日(10月24日)までではあるが。

 

 こうして偽装や嘘が驚くほど続出すると言うことは、内部告発であれ何であれ、それを嘘だと指摘する力があったればこそなのであろう。
 だとするならば、嘘が続出することを嘆くより、嘘を嘘として告発する力が強まったことをこそ評価すべきではないだろうか
 
 だいたい、世の中が本当のことで出来ているとか、そうあるべきだというのはナイーヴ過ぎる。世の中は嘘に満ちているし、それを告発することによって、さらに巧妙な嘘が生み出されると考えて間違いないのだ。
 私たちは、まさにそのいたちごっこを生きているのだ。
 
 いわゆる広告宣伝は、いかに巧みに嘘をつくかということのオンパレードである。音響、色彩、ある種の心理学まで動員して、本当らしさを演出している。
 だから賢い消費者はそれを鵜呑みにすることなく、自分の検索能力を駆使し、そのフィルターを通じて改めて判断する。

 
       ごみ箱をなくしたらテロがなくなる?

 政治の世界には、未だ嘘として指摘されていない怪しい事柄が腐るほど堆積していると考えて間違いない。
 彼らは権力を行使して、それを嘘として告発する者をねじ伏せ、もって虚構の館に「本当」の看板を掲げ続ける。

 冒頭の嘘つき大会の結果のように、本当の嘘つきは、「私は嘘はつきません」という者たちであることは間違いないのだ。

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祭りが私を呼んでいる!

2007-10-23 17:19:15 | よしなしごと
 中山道は加納宿(現岐阜市南部)にある天満宮の秋祭りに行って来た。
 などと書くと、大した祭りに行って来たようだが、実は、私が子供の頃この近くに住んでいたこともあって、その頃は幾度となくいったお祭りなのだ(実はここで結婚式も挙げた)。
 だが、今回は実に久しぶりであった。

 
  本殿をバックに、真ん中が本神輿、その右が山車(鞍馬車)

 伝統のある祭りではあるが、いかんせんその運営には苦労が忍ばれる。
 最近はやりの商店街の祭りのように、エコノミーの延長として街ぐるみで行われるといったこともない。
 また外部から観光客が呼べるほど著名な祭りでもない。
 
 いや、昔は町ぐるみの祭りだったのだろうが、地域社会の変貌とともに、かつての氏子制度もあまり機能せず、ほとんど中心メンバーのボランティアによって行われているようだ。
 そして、昔は近郷近在から善男善女集まったのだが、近年の娯楽の多様化の中ではそれもままならない。
 若い人には信じられないだろうが、昔は、いついつはどこそこの祭りなどとカレンダーに印を付け、それらを見物に行ったものである。

 
       最後に本殿前で気勢を上げる神輿。元気な女性達

 さて、私の出かけたお祭りの話に戻ろう。
 先に、運営の苦労が忍ばれると言ったが、その労苦の成果は上がっていると思う
 私の子供の頃よりも、催しもいろいろ多彩で、写真で見て頂くようにカラフルなのだ。

 カラオケ大会のような催しもあったが、それらはほんの一部で、神事や神楽舞い、御神輿、それに山車のカラクリ演技などが現代風にアレンジされていたり、わかりやすい解説付きのパフォーマンスになったりしているのだ。

 
     名古屋は南区から応援に駆けつけた「猩々」保存会の人たち

 もう一つは、他の地域との協力が見られ、たとえば、他地域の神輿が乗り込んだり、名古屋の南区からは、大男を模した「猩々」などが終日境内を往来し、子どもたちを追いかけたりして、その道化振りが人気を呼んでいた。
 
 子どもたちの参加も微笑ましい。
 神楽隊やお囃子組などで大活躍である。やはり祭りの子どもたちは活き活きと輝いている

 
          少年少女神楽隊の演舞     


           演舞を終えて楽しい会話

 戦争にまつわる話が、山車の解説の中で出てきたのも印象的だった。
 かつてこの町には、10基の山車があったのだが、その内の9基がすぐる大戦の空襲で灰燼に帰したという。それらの中には、残っていれば重文級のものもあったというからまことにもってもったいない話である。

 
      真剣な面持ちでのお囃子、これに合わせてカラクリが。
          ほんらいは山車の中で演奏する。


 残った山車は、岐阜市の有形文化財で、カラクリの演技は無形文化財となっている。
 この山車、鞍馬車といって、義経が鞍馬山の天狗に武術を習うというシーンを、お囃子と謡曲「鞍馬天狗」にのせて、人形達が演技をする。
 長刀がクルクル回るシーンなどでは観客から思わず拍手が湧く。

    
           山車・鞍馬車のカラクリ演技

 私はかつて、商店街の祭りの実行委員長などつとめたことがあるので、これだけの催しを執り行う準備と苦労の厳しさはよく分かる。
 だから、もっと多くの人がやってくればいいと思う。確かに神社は神道の場ではあるが、ここには靖国のように血なまぐさい神とは違う、地域に溶け込んだ伝統的な鎮守の神がいるのみである。

     
 このおっさん、カラクリに合わせて義経のつもり。日本一面白い義経。

 観光化した祭りでも、商店街の祭りでもなく、地域の祭りもなかなか捨てがたいと再評価しながら、来年もまた覗いてみようかなどと思っている。
 
 



 
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『いのちの食べかた』の私の観方

2007-10-22 14:16:19 | 映画評論
       

   『いのちの食べかた』 
   <あまりネタバレはないと思う>  

   原題 OUR DAILY BREAD (日々の糧)
   監督・撮影  ニコラウス・ゲイハルター

 試写を観た。
 私たちが日常口にする食料の食材段階での生産のありようを描いている記録映画である。対象は、肉類、魚類、野菜、穀物、果物、調味料と多岐にわたる。

 結構衝撃的な場面もあるが、映画は淡々とそれらを映し続ける。
 ある意味では、実に寡黙な映画である。ナレーションも科白も、音楽もない。すべての音がその場面での現実音に限られる。いわゆる説明のようなものもなく、ただ映像が与えられるに過ぎない。もちろん、結論やアジテーションもない。
 その意味では、マイケル・ムーア監督の手法とは全く対極的である。

 しかし、その映像は圧倒的な迫力で私たちに様々なインパクトを与える。
 しかも、それらの映像が実に美しいのである。幾分残虐ともいえる場面も登場するのだが、その場面でも映像は美しさを失わない。
 食材が単なるオブジェとして扱われているのが映画の注視点であるとしたら、映像もまた、オブジェとしてその美を表現している。

 かくして、食材をめぐる様々なありようが、映像の連続として私たちにダイレクトに手渡される。これを編集し、何であるかを明らかにするのは、観客であるあなたの責任だといわんばかりにである。

 しかしもちろん、人為的な編集がないわけではない。
 食材生産の実状の映像に、まるで箸休めのように挿入される、それら食材生産に従事する人たちの食事風景は印象的である。
 彼や彼女たちの食事は、パンやサンドイッチようなものと多少の飲料物、あるいは調味料といった至って質素なものなのだが、その食事風景がかなり丹念に撮られている
 
 それは、アキ・カウリスマキ監督の映画に於いて、しばしば登場人物が食事をしたり煙草を吸ったりするシーンに似ている。要するに、単に空腹を充たすためのものというより、食べることそのものに於いて彼や彼女がそこにいるといった描き方なのだ。
 もちろん、同時にそれが、彼や彼女がなしている作業との関連や対比を示していることはいうまでもない。

 要するに全体としては、今日私たちがそれを前提としている現実を端的に描いているにすぎないのだが、それが美しい。それは、この内容がかくも美しく描かれて良いのかというほどなのである。
 結論は私たちに委ねられているとはいえ、これを見た途端に、「スロー」だとか「ロハス」だとかいう言葉が、なんだか戯れ言のように空々しく思えてしまったことを告白しておこう。

 最初に、ある意味で寡黙な映画だといったが、実際には必ずしもそうではない。実に多くのことが提示されていて、私たちがそれについて考えることを促すのだ。逆に、一見寡黙であるがゆえに、私たちをある限定された結論へと誘導するのではなく、多様な印象と思考への誘導を残すのだ。

 見終わった折り、「ん、もう終わりか。もう少し見せて欲しい」と感じるのは、この種の映画としては珍しいのではなかろうか。

 名古屋地区では「名古屋シネマテーク」にて、12月1日(土)より上映。

 
 
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駅の市場と六の時事川柳

2007-10-21 13:54:52 | 川柳日記
 

 JR岐阜駅の構内にはやや小ぶりだが食品のみのスーパーマーケットがある。
 近隣の人たちの利用はもちろんだが、名古屋あたりへ勤めている共稼ぎの女性には重宝である。家へ帰って、着替えをして、スーパーへ出かける手数が省けるからだ。
 あるいは男性そのものが、携帯などで奥方から指示されて買い物をしている

 そんなこともあって結構繁盛している。
 そして、利用者が増えたのか、それに比例して品揃えもよくなってきているようだ。

 私も時折利用している。
 何も買わないときでも時間があれば一通り見て歩く。
 飲食店をやっていたときの習性のようなものだ。
 そこには確実に季節がある。
 鍋物の魚が出始めた

 
           JR岐阜駅南口=私の家の方角


<今週の川柳もどき>  07.10.21

 大臣より偉いはず金蔓がある
 防衛という名で税を食っている
 いろいろと施設が決まるゴルフ場
  (守屋前防衛事務次官の汚職)

 アメリカのサブプライムがサプライズ
  (まだまだ影響が)

 地に落ちたブランド名古屋秋田でも
  (コーチン、比内鶏の偽装)

 後ろざま投げた硬貨が血の海
  (ローマ、トレビの泉に赤ペンキ)

 伊勢うどんだけで済ませる伊勢詣で
  (赤福沈没

 昇り龍あれよあれよでハムくわえ
  (中日CS無敗で日本シリーズへ)

 電波から消え電線を盗っていた
  (EEJUMPの後藤祐樹)
  
          
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【とりにいってとられている?】

2007-10-18 14:04:56 | よしなしごと
 駄文であろうがものを書いたりしているため、辞書は欠かせない。
 国語辞典や古語辞典、英和、和英、独和、仏和、哲学、音楽、経済、他に川柳辞典などを傍らに置いている。

 以上は比較的よく使うのだが、最近、持っているにもかかわらず、滅多に使わないのが百科事典である。

 

 パソコンで、GoogleやYahoo!の検索でほぼ用が足りてしまうからだ。
 しかもこれらの記事は、そのリンク先を辿ることによって、百科事典では得られない幅と広がり、視点の差異なども知らせてくれる。
 これぞ情報社会のメリットと、私もふんだんに使わせて貰っている。

 ところがである、私たちが情報社会を謳歌していると思っているとき、同時に、私たちの情報も確実にキャッチされているのだ。

 
 
 例えば私がある検索機能へ接続し情報を求めるとする。
 しかし、その時、私がどんな情報を求めたかがその検索機能へも記録されるというのだ。

 ということは、私が、いつ、どんな項目にわたって検索を行ったかがデータとして蓄積されるならば、そこには私のありよう、ある種の知的関心の領域、あるいは思想的傾向までもが見えてしまうことになる。

 

 そしてそれは、現実に行われていることなのだ。
 かつて、情報というものは書や新聞であれ、ラヂオやTVであれ、匿名の私たちがそれをとり、利用するものであった。しかし、今や双方向性を常とするような情報の在り方に於いては、とりにいったものがとられるが常態なのである。

 ホラホラ、そこのあなた、裸のねえちゃんばかり見に行くと<A=どすけべえ>と記録されますよ。
 などというレベルの内は良いが、これがある種の権力機関によって管理保管されるとしたら、これはやばいのではあるまいか。
 現に、中国などでは、それが公然と行われ、Googleなどもそれに協力しているといわれる。

         
 
 また、これとは次元が異なるが、私が本名で検索を行った結果、Googleでは122項目、Yahoo!では55項目がヒットした。
 なかには同姓同名や似通った人の名もあったが、ほとんどは私のものだった。
 これは、10年ほど前に一冊本を出していることによるのが大きいのだが、それに付随して誰かがブログで私のそれに触れたもの、あるいはまったく無関係に 私についてどこかで何かがいわれていることなども網羅されていて、我ながら驚いた次第である。

 情報化社会というのは、見えざるバリアーで包囲され縛り付けられている社会でもある。






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【ゴキブリ・言葉・ホロコースト?】

2007-10-16 13:10:02 | よしなしごと
 ゴキブリが古くはゴキカブリといっていたというのは知っていた。
 御器、つまり器をかぶる(=囓る)虫というわけだ。
 古くは平安時代から使われていたらしい。

 それが、今日のようにゴキブリと言われるようになったのは、どっかでなまったのだろうと思っていた。それでその旨をある知り合いの方の日記にコメントしたところ、なまったのではなく、脱字の誤植によってそうなったのだという指摘があった。

 それによると、明治17年に出た日本初の生物学用語集『生物學語彙』で一箇所目はゴキカブリとルビが振られていたのに、二箇所目以降でゴキブリと誤ってルビが振られてしまったというのだ。
 しかも、その本は初版しか出なかったため、その誤植が訂正されず、そのために、その五年後に作られた『中等教育動物学教科書』にもそのままゴキブリと記載されてしまったということだ。
 それ以降、ずっとゴキブリで定着してしまって今日に至っているらしい。

    

 ということは、私の母方の祖父は、確か明治のひと桁の生まれだから、彼は子供の頃はゴキカブリといっていたのだろうかと考えてしまう。

 この話は同時に、言葉というものは、「否定的差異の体系」(ソシュール)であるということを立証しているようでもある。小難しい言葉を使ったが、要は、言葉というのは、何かと何かを区別さえ出来ればいいということである。
 
 ちょっと乱暴は言い方をすると、明日から、林檎のことを梨といい、梨のことを林檎といおうということになっても、それが周知徹底すればいっこうに差し支えないということである。

 言葉の話になったが、この前、知り合いの「りりこ@マタハリ」さんんのところへ「吉田隆一バリトンサックスソロ 」のライブに行った折(これは素晴らしかった)に、たまたま隣り合わせになった言語学者の方の話が面白かった。
 
    
          吉田氏のバリトンサックス


 この方、どちらかというと、人の言語習得の研究などをしていらっしゃるようなのだが、そのある実験例がとても面白かった。

 一歳前後の、まだ言葉を習得していない赤ん坊が寝ているとき、その近くで何か物語か詩の朗読のようなものをテープ(ここが注目点なのだが、それは後述)で聞かせ、その脳波を測定すると、それに対して確実に反応するというのだ。
 そしてまた、その物語や詩を、英語やその他の言語にしても確実に反応するというのだ。

 ここまで読まれた方は、それはただ単に音や話し声に音として反応しただけだと思われるだろう。
 ところがである、先ほどテープでといったが、そのテープを逆回転させて聞かせると赤ん坊はほとんど反応しないというのだ。

 ここには二つの問題があるようだ。
 ひとつは、赤ん坊は、有意味な言葉の流れには反応するが、その逆転(大人にとってもテープの逆回転は有意味ではない)には反応しないということ。
 もう一つは、それが日本語であれ、英語であれ、有意味な言葉の連続に対しては反応するということ?ナある。

 

 ここまでの私の聴き取りが正確であるかどうかはいささか怪しいが、まあ、正確に近いとして、話を進めよう。
 ただしこれから先は、私の独断に過ぎない。

1)赤ん坊には、日本語であれ、何語であれ、言語体系に対して反応できる能力があること。
 従って、赤ん坊は、その能力に従い、自分の育った環境での言葉を習得する。

2)赤ん坊は、音としての言葉に反応するのではなく、意味を持ったその系列に反応するのであり、ひよっとしたらここに、人間のみが狭義の言葉を持ちうる種であることの特殊性があるのではないか。

3)これは2)と関連するが、赤ん坊には、何語だとかどんな内容だとかという以前に、コミュニケーションへの渇望が内在しているのではないか(ある哲学者はこれに近いことを言っている。超越の可能性として)。

             <photo src="5546246:1277511242">

 以上が私のまとめであるが、ライブの会場で、その合間を見ての会話と言うことで、もっと突っ込んで聞けなかったのが悔やまれる。
 
 さて、話はゴキブリに戻るが、どう呼ばれようが彼らはそれに関わりなく生きている
 いくぶん涼しくなった今、いささか活動力は鈍ったがまだまだ健在である。

 

 私は別にゴキブリが好きではないが、ある種の人たちはそれに対して過剰に反応すると前々から思っている。「ギャー」とか「キャー」と言ってことさらに騒ぎ立てることが分からない。
 確かに、衛生上の問題はあろうが、たかが昆虫ではないか。しかも、長年にわたって人類と共存してきた仲間ではないか。

 蚊や蠅と同様駆除されるのは止む得ないとしても、「ギャーギャー」騒がれるいわれはあるまい

 これは少年時代、飛んでいたゴキブリを捕らえて昆虫採集の中に加えて家族の顰蹙をかった私の思いである。
 ゴキブリでもゴキカブリでもいいが、それらが完全にいなくなる社会はかえって異常ではないか
 平安や江戸の昔、わがゴキブリは今ほど忌避されたろうか。
 
 そこには、自分の気に入らない他者を過剰に抽出し、その絶滅を図る危うさがある。
 ナチスがユダヤ人をそうしたように。



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ハッとする鳩の群と六の時事川柳

2007-10-14 05:44:18 | 川柳日記
 街を歩いていたら、路傍の街路樹がざわざわと姦しい。
 何ごとかと見れば、何羽かの鳩が一本の樹に群がって、たいそう賑やかな様子だ。

 こんな情景はあまり見たことがないので、何なんだろうと近寄ってみると、街路樹に稔った黒い実を奪い合うようにして食べているのだった。
 
 それが何の実か知るよしはないが、こんなに群がっているからには鳩たちの好物に違いない。
 至近距離で写真に収めてやろうと近づくと、大半の鳩たちが逃げてしまった

 しかし、これは考えてみれば不思議なことである。
 ふつう、鳩たちはすぐ足元にいても、こちらが特別なアクションを起こさない限り逃げないはずだ。
 それなのに、鈴なりほどにいたのが逃げ去るなんて、きっとこの実は、彼らにとっては禁断の実であるのかもしれない。

 写真に捕らえられているのは、禁断を破ることを意識的に選択した鳩であろうか。

 



<今週の川柳もどき> 07.10.14

 野党案憲法違反という首相
  (アフガン派兵の小沢案
 出兵と給油しかない選択肢
  (これぞ二大政党制)

 沖縄を今もなお切り捨てている
  (強制などしない美しい日本?

 いざなぎを越えて倒産二割増し
  (長期回復の影で)

 ノーベルが託す地球の未来像
  (温暖化対策に平和賞

 エコライフ家畜に食わす餌がない
  (トウモロコシ急騰で酪農ピンチ)

 切符切るハサミが急遽カムバック
  (自動改札のトラブル)

 スポーツが殺し合いへと逆戻り
  (亀田家のボクシング)

 

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昆虫・木瘤・そしてサルトル

2007-10-12 05:29:40 | よしなしごと
 この公園は、道路が不規則に交差した結果出来た、三角のゾーンにある本当に小さい公園です。それでも子どもたちが遊ぶのでしょう。遊具などがあります。

 故あって、二ヶ月に一度ぐらいこの公園に面した道を通ります。
 惚れた女性のもとに通うわけではありません。それなら、二ヶ月に一回なんてことはありません。情熱的な私は、毎日通います。

 

 今月もここを通りかかりました。
 ひとりのおじさんが、すでに始まった落葉などを丹念に掃除しています。服装などからして市の清掃員ではないようです。どう見ても近所のおじさんです。

 ボランティアでしょうか、それともやはり市に依託か何かされているのでしょうか。いずれにしてもご苦労様です。
 ですから、傍らを通り過ぎるとき、「ご苦労様です」と挨拶をしました。そしたら、いいえどういたしましてと、私より深々と頭を下げられてしまいました。私の負けです

 

 写真の昆虫たちは、その公園の車止めなどに描かれているものです。

 それから、一見不気味な木瘤(最後の二枚の写真)は、青桐のそれですが、この木、交通の妨げになるとかの理由で低いところの枝が払われると、それにすねるかのようにその箇所に瘤を作るのです。この裸の生命力は私に不気味なものを感じさせます。

 

 ここまで書いてきて、突然思い出したことがあります。
 サルトルに、その名を一挙に響かせることとなった『嘔吐』という小説があります。
 主人公ロカンタンは様々なものに反応して嘔吐を催すのですが、とりわけ有名なシーンは、マロニエの根っこに対して嘔吐を覚えるものです。

 サルトルはこれを、裸形の存在、本質から解き放たれた実存そのものへの不気味さとして提示しています。
 でも、果たしてそうでしょうか?
 私たちが裸形の存在に直接お目にかかることなど出来るのでしょうか。

    

 果たせるかな、その後を襲ったいわゆる「構造主義」は、私たちの認識はすでに常に構造化されていて、裸形の存在や、裸形の自由などはあり得ないことを明かしました。
 その構造主義自体が、スタティック(静態的)であるとして批判されるのですが、まあ、これ以上述べますまい(私の能力を超えそうだから・・笑)。

 何を言いたかったかというと、サルトルが見て嘔吐を覚えたというマロニエの根っこは、彼のいうような「裸形の存在」ではなくて、樹木の生命力が、私たちの存在いかんに関わらず厳然として存在しているというその、まさに「具体的な事実」、現象、現れに立ち会っている自己に気付いたからではないでしょうか。

    

 フロイトが不気味なものから「死への欲動」を導き、ハイデガーが同様に不気味なものへの不安から「存在の開示」へと至る過程を、サルトルは存在そのものとの出会いと考えることによってその後に続くべき出口を自ら閉ざしてしまったのではないでしょうか。

 晩年のサルトルは、「自由への恐怖」を充たすためにマルクス主義(しかもあまり洗練されていないもの=スターリニズム的なもの)を導入したりして、悪戦苦闘したように思います。
 それあってか、あれほどの影響力を持ち、風俗にまでなった実存主義が、急速にその影響力を失うのを見ることは悲惨ですらありました。

 確かに、今となっては彼の限界をあげつらうことは簡単かも知れません。
 しかし、思想というものは現実から紡ぎ出されたものでなければならない(被投)、そしてまた、現実にフィードバックされねばならない(企投)という彼の声は、私の中では今もなおこだまし続けているのです。

 
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