いわゆる飲み屋や飲み屋街が存続の危機にあえいでいる。
もうとっくに廃業に追い込まれたところもあるし、今年ダメだった分をこの年末でと意気込んでいた店も、そのマイナスを取り返すどころか、客足が遠のいたままという惨憺たる有様である。
この年末を期しての廃業・倒産が、またどっと増えるであろう。
その業界の一端に位置し、30年間それでおまんまを食わせてもらった私としては、他人事とは思えず、激しく胸が痛む。そのせいか、最近は居酒屋時代の夢をよく見る。
私は、カウンターで焼き物を担当しながら、接客をしていた。
昼間の労働の疲れを癒やし、ついでに愚痴や上司批判をこぼすひと、侃々諤々、天下国家を論じる人たち、その横で痴話喧嘩をするカップル・・・・これらのなかで、私は多くを学んだ。いわば、考現学的人間の諸様相が展開されるその真っ只中で毎日を過ごしたのだ。
そうした飲み屋全体が危機に瀕している。
ここ何年か、私自身が客として高校時代の同級生と年に数回は通っていた昭和レトロを思わせる店も、4月に「諸般の状況からしばらく休業します」との張り紙を残してシャッターを閉めたままだ。
しばらくが師走に至り、その張り紙も変色し、木枯らしにはためいている。
年が明けて、コロナ禍が収束したら、運良くここを通過し得た店や、廃業した店の代わりの新規参入店で飲み屋街の灯りは復活するかもしれない。
しかし、ここにもうひとつの問題がある。
店の営業はいまのような規制から解放されて自由になるだろう。しかし、それに呼応して、客足が戻るかどうかである。
というのは、この間、推奨された「家飲み」、「リモート飲み会」などが主流になって、飲み屋街へ顧客が戻らない可能性があるからだ。ようするに、飲み屋というのは、お上のお達しのように不要不急のもので、あるいはもっとも不要なものであるとの位置づけが普遍化する可能性もあるのだ。
これまでの歴史の中でも、何かの契機である業態が衰退することはよくあった。TVの普及は映画を娯楽の王座から引きずり下ろしたし、ネットの普及は多くのものを、たとえばCDなどの音楽記録媒体をも駆逐しつつある。総じて、デジタル文化はアナログのそれを一掃しつつあるし、より進んだデジタルが初期のデジタルを追いやっている。
その場合の価値基準はいうまでもなく効率だ。
飲み屋街の存在も、この間の事態のなかで、その効率性からして不要なもの、なくていいものに格下げされるのではないか。
もちろんそうならないことを願ってこれを書いている。生産と流通、消費の合理化、効率化のみが世の中の唯一の価値基準として称揚され、その周辺の雑然たるものの存続が危ういなんて、味も素っ気もないではないか。
飲み屋街の存在を、ことさら文化として持ち上げるつもりはない。しかし、世の中の顔つきが効率一辺倒で険しくなる折から、その僅かな間隙に存在し、たてまえとは異なる空気を吸わせてくれる場所としてのそれらを擁護し続けたいと思うのだ。
*ちょっと恥ずかしいが、三十数年前の私の写真を載せる。客同士が、そしてときには私自身が、さまざまな思いをクロスさせることができたとてもいい時代であった。それを反映しているのがこの笑顔だと思う。
鳥たちよ!
とくによくくるムクドリやヒヨドリたちよ!
君たちの食欲からサクランボを護るために、不要になったCDを吊るした。
このサクランボが熟したら、学童保育の子どもたちのおやつになる予定まのだ。
だからどうかしばらくはそっとしておいておくれ。
懐かしいCDもあるだろう。
1995年に、私が初めてインターネットに接続した折のディスクだ。
それらを含めて6枚を吊るした。
でも意地悪だとは思わないでほしい。
ある程度収穫したら、君たちへの分前も残してやるつもりだ。
その折には、このCDをはずすつもりだ。
そのときには存分についばんでくれて結構だ。
きみたちを駆逐しようとしているわけではない。
一時的にきみたちの旺盛な食欲に待ったをかけるのみなんだ。
そこんところをわかってくれて、これらのCDがぶら下がっているときには近づかないでおくれ。お願いだから。
とくによくくるムクドリやヒヨドリたちよ!
君たちの食欲からサクランボを護るために、不要になったCDを吊るした。
このサクランボが熟したら、学童保育の子どもたちのおやつになる予定まのだ。
だからどうかしばらくはそっとしておいておくれ。
懐かしいCDもあるだろう。
1995年に、私が初めてインターネットに接続した折のディスクだ。
それらを含めて6枚を吊るした。
でも意地悪だとは思わないでほしい。
ある程度収穫したら、君たちへの分前も残してやるつもりだ。
その折には、このCDをはずすつもりだ。
そのときには存分についばんでくれて結構だ。
きみたちを駆逐しようとしているわけではない。
一時的にきみたちの旺盛な食欲に待ったをかけるのみなんだ。
そこんところをわかってくれて、これらのCDがぶら下がっているときには近づかないでおくれ。お願いだから。
毎日毎日熱暑の地獄
脳みそとっくに沸騰し
せっかく拾って集めた文字も
脳に達する寸前で
ジュッと蒸発消えてゆく
拾いきれない文字の列
うごめく蟻の列が行く
霞み揺らめき流れの果は
決して届かぬ綾なす秘義の
チョットだけよのお披露目騒ぎ
アウシュビッツのそのまたあとに
詩を書くことは野蛮であるか
40度をこす気温のなかで
書を読むことの蛮行をこそ問え
こうなりゃひたすら「松の実」だ
いやいや違った「待つのみ」だ
天使の夕立 車軸の雨を
待てど暮らせど来ぬ人を
松帆の浦の夕凪に
まつとし聞かば
きみが袖振る
あんだこりゃ
沸騰した脳 オーバーフロー
百均でフト目についたコンセント
おフランス用のコンセント
怪盗ルパンが電気を盗む
バスティーユ牢獄のエアコンは
今宵も恋するナポレオン
嗚呼それなのにそれなのに
後期高齢者医療制度被保険者証は
(なんと詩には不向きな言葉)
簡易書留でやってくる
ピンポンパンたらピンポンパン
病に備えてピピンのパン
太平の眠りを覚ますドラの音に
赤い真っ赤なユリカモメ
地上の夢をかすめて飛んで
台風の目で錐を揉む
さよなら三角もう来ぬ視覚
お前の母ちゃん不倫して
週刊文春バッタバタ
ボードにベタベタワイドショー
一枚一枚剥がしてゆけば
アララ真実丸裸
はい出来上がったこの事実
〇〇サプリの提供で
お一人三箱までですよ
これが私のラブソング
イロハに金平糖の
ラブソング
暑い暑いは東京の
4年経ったらまた逢いましょの
オリンピアード熱中症
世界の国から熱中症
金・銀・銅の熱中症
何が何でも熱中症
これでおしまい熱中症
先般、左腕を骨折しました段はお知らせいたしましたが、その治療に関し、明日2月1日より一週間ほど入院のうえ、手術を受けることとなりました。
従前の手首の機能を蘇らせるには、手術以外はないという医師の判断に従ったものです。
やがて私は、「白鳥の湖」のダンサーの如く、しなやかな手首をもつ者として、不死鳥のように蘇ることでしょう。
生まれてこの方77年余、メスが入ったことがないわが聖域を賭しての再生のパフォーマンスです。
ところで、入院いたします病院は無線LANの設備がなく、従いまして、PCとガラケーしか装備していない情報弱者の私といたしましては、しばらくは皆様と電脳空間で接触いたすことができません。
私といたしましては、有象無象、魑魅魍魎が跋扈する(失礼!)この空間を離れ、しばしの間、雲流れる果て、宇宙空間に漂う森羅万象に思いを寄せるのも一興かと存じている次第です。
つきましては、皆様から頂きますコメントなどに応答することができません。これはいうならば、寄せられたゴマンのラブレターを棚上げにされる心境でございます。
無事、出獄の暁には、皆様方のご厚志に能う限りお応えいたす所存ですが、入獄中につきましては数々のご無礼があろうかと思います。
その段、平にご容赦賜りたく、予め、お詫び申しあげたいと存じます。
これをもちまして、しばしのお別れの挨拶と致します。
私の不在中、どうかお元気でお過ごしください。
ハイチャ!
従前の手首の機能を蘇らせるには、手術以外はないという医師の判断に従ったものです。
やがて私は、「白鳥の湖」のダンサーの如く、しなやかな手首をもつ者として、不死鳥のように蘇ることでしょう。
生まれてこの方77年余、メスが入ったことがないわが聖域を賭しての再生のパフォーマンスです。
ところで、入院いたします病院は無線LANの設備がなく、従いまして、PCとガラケーしか装備していない情報弱者の私といたしましては、しばらくは皆様と電脳空間で接触いたすことができません。
私といたしましては、有象無象、魑魅魍魎が跋扈する(失礼!)この空間を離れ、しばしの間、雲流れる果て、宇宙空間に漂う森羅万象に思いを寄せるのも一興かと存じている次第です。
つきましては、皆様から頂きますコメントなどに応答することができません。これはいうならば、寄せられたゴマンのラブレターを棚上げにされる心境でございます。
無事、出獄の暁には、皆様方のご厚志に能う限りお応えいたす所存ですが、入獄中につきましては数々のご無礼があろうかと思います。
その段、平にご容赦賜りたく、予め、お詫び申しあげたいと存じます。
これをもちまして、しばしのお別れの挨拶と致します。
私の不在中、どうかお元気でお過ごしください。
ハイチャ!
年度末で資産の整理をした結果、現金や預金などが大幅にだぶつき、そのほとんどが遊んでいることに気づいた。
何か使い道はないかなとネット上で探していたら、30万トン級の新造クルーザー(いわゆる豪華客船)が売りに出ていることがわかり、執事に命じて早速購入の手続きに入らせた。
船を動かすスタッフを探していたら、かつて、クイーン・エリザベス号を操ったことがあるという男が、リバプールの郊外でゴロゴロしているのを知って、彼をカピタンにし、その他の人選は彼に任せることにした。千人単位のスタッフを直接集めるより、彼の動かしやすい連中をつけたほうが良いチームが出来るだろう。金に糸目は付けぬから、各分野で最高のスタッフを集めろと指示しておいた。
とくに料理はこれ以上ないというものを出せるように、できればミシュランの三つ星店のシェフを全部集めろといっておいた。
買った以上、具体的に航海させねばならないので、まずはこの船が現在就航しているどの豪華船よりも優れたサービス機能をもっていることを世界中の大富豪(一般的にいわれているそれで、私に比べれば大したこともない連中ばかりだが)やセレブリティに知らせるべくDMを送ったら、気の早いAUEの王族の一人から、ぜひ初航海に乗せろと言ってきた。
しかし、そうはいかない。
初航海の予定はすでに決めているからだ。
私の直接間接の知人たちを招待して、世界一周をするつもりだ。
これを読んでおるあなたもその対象だ。
もちろん料金は取らない。
いや、むしろ、多忙なのに参加してくれるのだから、一日ン万円の日当をつけようかと思っている。
え?私? 私ももちろんご一緒するつもり。
それならやめた? そんな人は来なくてもよろしい。
いまや世界各地がいろいろ物騒だから、セキュリティの方面でも気を使っている。
昨日、防衛庁の中谷を呼びつけて、イージス艦何隻かで護衛体制を取るよういいつけた。
もちろん私の船から見える範囲でうろちょろされるのは景観を台無しにするから、必要なときに飛んでこれる範囲内で密かに警護するよういっておいた。
ついでに、辺野古でのやり方は目に余るから直ちに手を引くようにともいっておいた。
これだけのものを動かすのは大変だが、なんとか目処はついた。
初航海はやはり、4月1日にしようと思っている。
何か使い道はないかなとネット上で探していたら、30万トン級の新造クルーザー(いわゆる豪華客船)が売りに出ていることがわかり、執事に命じて早速購入の手続きに入らせた。
船を動かすスタッフを探していたら、かつて、クイーン・エリザベス号を操ったことがあるという男が、リバプールの郊外でゴロゴロしているのを知って、彼をカピタンにし、その他の人選は彼に任せることにした。千人単位のスタッフを直接集めるより、彼の動かしやすい連中をつけたほうが良いチームが出来るだろう。金に糸目は付けぬから、各分野で最高のスタッフを集めろと指示しておいた。
とくに料理はこれ以上ないというものを出せるように、できればミシュランの三つ星店のシェフを全部集めろといっておいた。
買った以上、具体的に航海させねばならないので、まずはこの船が現在就航しているどの豪華船よりも優れたサービス機能をもっていることを世界中の大富豪(一般的にいわれているそれで、私に比べれば大したこともない連中ばかりだが)やセレブリティに知らせるべくDMを送ったら、気の早いAUEの王族の一人から、ぜひ初航海に乗せろと言ってきた。
しかし、そうはいかない。
初航海の予定はすでに決めているからだ。
私の直接間接の知人たちを招待して、世界一周をするつもりだ。
これを読んでおるあなたもその対象だ。
もちろん料金は取らない。
いや、むしろ、多忙なのに参加してくれるのだから、一日ン万円の日当をつけようかと思っている。
え?私? 私ももちろんご一緒するつもり。
それならやめた? そんな人は来なくてもよろしい。
いまや世界各地がいろいろ物騒だから、セキュリティの方面でも気を使っている。
昨日、防衛庁の中谷を呼びつけて、イージス艦何隻かで護衛体制を取るよういいつけた。
もちろん私の船から見える範囲でうろちょろされるのは景観を台無しにするから、必要なときに飛んでこれる範囲内で密かに警護するよういっておいた。
ついでに、辺野古でのやり方は目に余るから直ちに手を引くようにともいっておいた。
これだけのものを動かすのは大変だが、なんとか目処はついた。
初航海はやはり、4月1日にしようと思っている。
もうなんじかんもしたら、おてらのかねがゴ~ン、ゴ~ンとなってお正月がくるというおおみそかのことでした。
六さんはふとげんかんをあけて外へでました。りっぱなかどまつやシメカザリはないけれど、こころづくしの花などをげんかんにかざったので、こんなことでお正月さんがきてくれるだろうかと気になってみにいったのです。
六さんはもうおじいさんです。ですから、お正月がくるといってもすこしふくざつなきもちがあります。あたらしい年をむかえることができるというよろこびと、あとなんかいお正月をむかえることができるのだろうかというおもいがいっしょになってやってくるのです。
六さんのいけた花はナンテンの赤いみをちゅうしんにきれいにかがやいています。六さんはすこしあんしんしてうちにはいろうとしました。そのとき、ゆうびんうけに、大きなふうとうがはいっているのをみつけました。
それは、A4という紙の大きさぐらいで、ふつうのときならせんでんやらなにやらでそんなゆうびんぶつがよく来るのですが、こんなおおみそかに来るのはめずらしいことだとおもいました。
このくれにこんな大きなものをおくってくるのはだれだろうとおもってふうとうのうらをみると、ネットでしりあった北のまちにすむ女のひとのなまえがかいてありました。あったことはないのですが、もうなんねんもまえからいろいろネットでおはなしをしていて、まるでずっとまえからのおともだちのようなひとです。
さっそくへやへもってかえってふうをきりました。すると中から、大きな絵本がでてきました。絵本といっても本やさんでうっているものではありません。絵も字も、そして本のとじかたもまったくの手づくりの絵本なのです。
さっそくよみはじめました。「まりちゃん」という女の子がしゅじんこうで、お話はおもちつきの日のことです。そのおもちつきのお話は、ちょっとしたちがいはありましたが、六さんが子どものころ、そかいをしていたいなかでのおもちつきとそっくりでした。やはり、つきたてのおもちをダイコンおろしといっしょにすすってたべたり、あんころもちでたべたりしました。きいろいアワもちや、すこし赤みがかったキビもちなどのおもいでもどんどんひろがって、まるでまりちゃんといっしょにおもちつきをしているようでした。
絵本の絵もとてもあたたかいものでした。出てくるおじいさんやおばあさんのかおつきもとてもいいのです。え?まりちゃん?それはもうまりちゃんもとてもかわいいのですよ。
それにおだいどころのおクドさんや、おじいさんがいまもなおだいじにしている「のうきぐ」が六さんの子どものころのものとそっくりおなじで、とてもなつかしくおもいました。
おもちはだんだんかたまり、そのいちぶはうすくきられてほされ、カキモチになります。このあたりも六さんの子どものころといっしょで、「そうそう、そうだった」とうなづきながらよんだのでした。
そのうちに六さんはあることにきづきました。どうしてまりちゃんはおじいさんやおばあさんといっしょにいて、お父さんやお母さんは出てこないのでしょう。まりちゃんはとてもさみしい子なのではないでしょうか。
そうなのです。まりちゃんはどんなにおじいさんやおばあさんにかわいがられていてもやはりお母さんにあいたいのです。まりちゃんはお母さんにあえるのでしょうか。
でもあんしんしてください。このお話のさいごはこんなふうになっているのです。
「お母さんはまりちゃんのしらないにおいがしました。・・・・・・・・お父さんとお母さんがかえってくるんだ。そうしたらお母さんも、ワラとおもちのにおいになるだろうとまりちゃんはおもいました」
六さんはすこしうるうるっとしながらこの話をよみおえました。そしてもういちど、絵をながめました。こんなお話と、こんなすてきな絵がかけるひとはきっとこころやさしいひとだとあらためておもいました。
そして、いろいろくらい話はあっても、にんげんのよのなかもそれほどすてたものではないなとおもいました。そして、つくったひとのひとがらがつたわるようなこの絵本が、あたらしいとしをむかえる六さんのおまもりのようにおもえたのでした。
六さんは絵本から目をあげて、北のきびしいきこうのなかで、いろんなやさいや花をつくったりして、しぜんにやさしくいきているこの絵本のさくしゃのことをおもいました。絵本のなかにもあったように、きっと北のほうはゆきでしろくなっているにちがいありません。
まりちゃんもこの絵本のさくしゃも、かぜなんかひかないようにね、と六さんはつぶやくのでした。
フルフルトマトさん ありがとう!
六さんはふとげんかんをあけて外へでました。りっぱなかどまつやシメカザリはないけれど、こころづくしの花などをげんかんにかざったので、こんなことでお正月さんがきてくれるだろうかと気になってみにいったのです。
六さんはもうおじいさんです。ですから、お正月がくるといってもすこしふくざつなきもちがあります。あたらしい年をむかえることができるというよろこびと、あとなんかいお正月をむかえることができるのだろうかというおもいがいっしょになってやってくるのです。
六さんのいけた花はナンテンの赤いみをちゅうしんにきれいにかがやいています。六さんはすこしあんしんしてうちにはいろうとしました。そのとき、ゆうびんうけに、大きなふうとうがはいっているのをみつけました。
それは、A4という紙の大きさぐらいで、ふつうのときならせんでんやらなにやらでそんなゆうびんぶつがよく来るのですが、こんなおおみそかに来るのはめずらしいことだとおもいました。
このくれにこんな大きなものをおくってくるのはだれだろうとおもってふうとうのうらをみると、ネットでしりあった北のまちにすむ女のひとのなまえがかいてありました。あったことはないのですが、もうなんねんもまえからいろいろネットでおはなしをしていて、まるでずっとまえからのおともだちのようなひとです。
さっそくへやへもってかえってふうをきりました。すると中から、大きな絵本がでてきました。絵本といっても本やさんでうっているものではありません。絵も字も、そして本のとじかたもまったくの手づくりの絵本なのです。
さっそくよみはじめました。「まりちゃん」という女の子がしゅじんこうで、お話はおもちつきの日のことです。そのおもちつきのお話は、ちょっとしたちがいはありましたが、六さんが子どものころ、そかいをしていたいなかでのおもちつきとそっくりでした。やはり、つきたてのおもちをダイコンおろしといっしょにすすってたべたり、あんころもちでたべたりしました。きいろいアワもちや、すこし赤みがかったキビもちなどのおもいでもどんどんひろがって、まるでまりちゃんといっしょにおもちつきをしているようでした。
絵本の絵もとてもあたたかいものでした。出てくるおじいさんやおばあさんのかおつきもとてもいいのです。え?まりちゃん?それはもうまりちゃんもとてもかわいいのですよ。
それにおだいどころのおクドさんや、おじいさんがいまもなおだいじにしている「のうきぐ」が六さんの子どものころのものとそっくりおなじで、とてもなつかしくおもいました。
おもちはだんだんかたまり、そのいちぶはうすくきられてほされ、カキモチになります。このあたりも六さんの子どものころといっしょで、「そうそう、そうだった」とうなづきながらよんだのでした。
そのうちに六さんはあることにきづきました。どうしてまりちゃんはおじいさんやおばあさんといっしょにいて、お父さんやお母さんは出てこないのでしょう。まりちゃんはとてもさみしい子なのではないでしょうか。
そうなのです。まりちゃんはどんなにおじいさんやおばあさんにかわいがられていてもやはりお母さんにあいたいのです。まりちゃんはお母さんにあえるのでしょうか。
でもあんしんしてください。このお話のさいごはこんなふうになっているのです。
「お母さんはまりちゃんのしらないにおいがしました。・・・・・・・・お父さんとお母さんがかえってくるんだ。そうしたらお母さんも、ワラとおもちのにおいになるだろうとまりちゃんはおもいました」
六さんはすこしうるうるっとしながらこの話をよみおえました。そしてもういちど、絵をながめました。こんなお話と、こんなすてきな絵がかけるひとはきっとこころやさしいひとだとあらためておもいました。
そして、いろいろくらい話はあっても、にんげんのよのなかもそれほどすてたものではないなとおもいました。そして、つくったひとのひとがらがつたわるようなこの絵本が、あたらしいとしをむかえる六さんのおまもりのようにおもえたのでした。
六さんは絵本から目をあげて、北のきびしいきこうのなかで、いろんなやさいや花をつくったりして、しぜんにやさしくいきているこの絵本のさくしゃのことをおもいました。絵本のなかにもあったように、きっと北のほうはゆきでしろくなっているにちがいありません。
まりちゃんもこの絵本のさくしゃも、かぜなんかひかないようにね、と六さんはつぶやくのでした。
フルフルトマトさん ありがとう!
第一編ではまさに生まれ巣立とうとする仔バトたちへの私の一方的な片思いを綴りました。
第二編では、この間の変わりやすい天候にもめげず、彼らが順調に生育していることを書きました。
この第二編を載せたのは8月31日の午後のことでした。
その日、日暮れてからです。岐阜地方に竜巻・突風注意報が出されました。
やがて怪しげな風がふき、木々がかなり揺れ始めました。
竜巻や突風ではないのでしょうが、時折、風を伴った横殴りの雨が襲います。
う~ん、これぐらいなら耐えることができるのではないか。
以前にも同様な風雨があったが耐えています。
しかし、その折はまだ小さくておそらく親鳥が保護していました。
今は、かなり大きくなった仔バトたちだけです。
しかも、その図体が大きくなっているだけに風あたりも強いはずです。
とても心配ですが闇の中、確認することもできません。
できたところで打つべき手はありません。
ただオロオロするばかりです。
激しかったのは小一時間でしょうか。
急に止んだかと思うと、今度は虫のすだく音が聞こえます。
スッカリ安心して自分の領域に戻りました。
翌朝、9月1日です。
昨夜の就眠が遅かったせいもあってスッカリ朝寝坊をしてしまいました。
木の葉越しに巣の観察です。
いません! 二羽ともにいないのです!
慌てて巣の周辺を見て回りました。
昨夜の風向からして飛ばされたとしたらこの辺りというところまで探索しました。
いません。
多分、落下はなかったと思いました。
第二の可能性は、私が用心していたように、この辺りにうようよいるカラスに襲われたということです。
巣の周辺を注意してみました。
羽毛が散るなど狼藉の証拠がないかとチェックしました。
しかし、そうした兆候はありません。
巣の下の木々に、糞の跡を見つけました。
こんな糞をするほど大きくなっていたんだなぁと改めて思いました。
あとひとつの可能性は、私が寝ている朝に巣立ったということです。
そういえば前日、親鳥が餌を運んできた折、羽ばたく雛を見て、おう、もうこんなに立派な羽がと思ったものでした。
そうであってほしいと思いました。
巣立ったとしてもそんなに遠くに行っていないはずだと、近くを見て回りました。
それらしいハトは見かけませんでした。
昼ごろです。
うちの前の電線で、父親が何度も何度も鳴いています。
やはり、キジバトの巣立ちを経験した人の記録に、巣立ってどこかへいった若鳥が父親の鳴くのに呼応して帰ってきたという記述がありましたので、それに期待しました。
父親の呼び声が続くなか、それらしい影は現れません。
やはりダメなのかと諦めていた午後、ノートをとりながら書を読んでいた私の部屋(二階)でなにやら気配を感じ、ふと顔を上げると、すぐ前の電線にとまっているキジバトを見つけました。
まだ、父親が探しているのかとも思いましたが、もう一羽の影がかすめるのを目撃しました。それと同時に電線に止まっていた一羽も下降して私の視界から見えなくなりました。
慌てて階下に降り、ハトが降りたあたりを見ました。
そこに、二羽のハトがいました。
自分たちが巣立った巣の下で、昨日の雨で出来た水たまりで水を飲んだり、その辺を歩きまわったりしていました。
私が見たのは二羽のように思うのですが、家人は三羽いたといいます。
もしそうなら、この二羽は確実に巣立った子どもたちです。
あちこち動きまわり、この辺にいたのは数分に満たない時間でしたので、よく観察はできなかったのですが、昼ごろ、鳴いていた父親よりも一回り小さく華奢な感じがします。もちろん、私の鑑識眼には確信はもてません。
明日以降、また遊びにきてくれたらいいのにと思います。
疑念は、私がネットで調べたよりも巣立ちが早すぎるということです。
孵化から十数日とのことですがまだ一〇日を経たかどうかなのです。
ただしこれも、私がヒナを目視した8月22日以前にすでに孵化していたとしたら辻褄が合います。
いずれにしても、ここで不孝な事実があったという痕跡は何ひとつないのですから、よりよい結果の方を信じたいと思います。
それにしても、巣立ちの瞬間を見たかったのに果たせなかったことが残念です。
かくのごとく、私たちが愛でる花鳥風月は、私たちの思惑を裏切ってその姿を見せるものであり、実は、それを楽しむことが花鳥風月に接することではないかと思った次第です。
ようするに自然は常に私たちの思惑の外にある「他者」であり私たちは謙虚にそれに接するほかはないのです。
なんだか少しあっけない幕切れになって肩透かしを食ったようですが、最後に、私のアイドルたちが去った今、毎夜のように現れるもうひとつのアイドルを紹介しておきましょう。ヤモリ君です。どうも数匹いるようなのですが、これは大きい部類です。
モザイク模様のようで面白いでしょう。いわゆる型ガラスの向こうにはりついているのです。
第二編では、この間の変わりやすい天候にもめげず、彼らが順調に生育していることを書きました。
この第二編を載せたのは8月31日の午後のことでした。
その日、日暮れてからです。岐阜地方に竜巻・突風注意報が出されました。
やがて怪しげな風がふき、木々がかなり揺れ始めました。
竜巻や突風ではないのでしょうが、時折、風を伴った横殴りの雨が襲います。
う~ん、これぐらいなら耐えることができるのではないか。
以前にも同様な風雨があったが耐えています。
しかし、その折はまだ小さくておそらく親鳥が保護していました。
今は、かなり大きくなった仔バトたちだけです。
しかも、その図体が大きくなっているだけに風あたりも強いはずです。
とても心配ですが闇の中、確認することもできません。
できたところで打つべき手はありません。
ただオロオロするばかりです。
激しかったのは小一時間でしょうか。
急に止んだかと思うと、今度は虫のすだく音が聞こえます。
スッカリ安心して自分の領域に戻りました。
翌朝、9月1日です。
昨夜の就眠が遅かったせいもあってスッカリ朝寝坊をしてしまいました。
木の葉越しに巣の観察です。
いません! 二羽ともにいないのです!
慌てて巣の周辺を見て回りました。
昨夜の風向からして飛ばされたとしたらこの辺りというところまで探索しました。
いません。
多分、落下はなかったと思いました。
第二の可能性は、私が用心していたように、この辺りにうようよいるカラスに襲われたということです。
巣の周辺を注意してみました。
羽毛が散るなど狼藉の証拠がないかとチェックしました。
しかし、そうした兆候はありません。
巣の下の木々に、糞の跡を見つけました。
こんな糞をするほど大きくなっていたんだなぁと改めて思いました。
あとひとつの可能性は、私が寝ている朝に巣立ったということです。
そういえば前日、親鳥が餌を運んできた折、羽ばたく雛を見て、おう、もうこんなに立派な羽がと思ったものでした。
そうであってほしいと思いました。
巣立ったとしてもそんなに遠くに行っていないはずだと、近くを見て回りました。
それらしいハトは見かけませんでした。
昼ごろです。
うちの前の電線で、父親が何度も何度も鳴いています。
やはり、キジバトの巣立ちを経験した人の記録に、巣立ってどこかへいった若鳥が父親の鳴くのに呼応して帰ってきたという記述がありましたので、それに期待しました。
父親の呼び声が続くなか、それらしい影は現れません。
やはりダメなのかと諦めていた午後、ノートをとりながら書を読んでいた私の部屋(二階)でなにやら気配を感じ、ふと顔を上げると、すぐ前の電線にとまっているキジバトを見つけました。
まだ、父親が探しているのかとも思いましたが、もう一羽の影がかすめるのを目撃しました。それと同時に電線に止まっていた一羽も下降して私の視界から見えなくなりました。
慌てて階下に降り、ハトが降りたあたりを見ました。
そこに、二羽のハトがいました。
自分たちが巣立った巣の下で、昨日の雨で出来た水たまりで水を飲んだり、その辺を歩きまわったりしていました。
私が見たのは二羽のように思うのですが、家人は三羽いたといいます。
もしそうなら、この二羽は確実に巣立った子どもたちです。
あちこち動きまわり、この辺にいたのは数分に満たない時間でしたので、よく観察はできなかったのですが、昼ごろ、鳴いていた父親よりも一回り小さく華奢な感じがします。もちろん、私の鑑識眼には確信はもてません。
明日以降、また遊びにきてくれたらいいのにと思います。
疑念は、私がネットで調べたよりも巣立ちが早すぎるということです。
孵化から十数日とのことですがまだ一〇日を経たかどうかなのです。
ただしこれも、私がヒナを目視した8月22日以前にすでに孵化していたとしたら辻褄が合います。
いずれにしても、ここで不孝な事実があったという痕跡は何ひとつないのですから、よりよい結果の方を信じたいと思います。
それにしても、巣立ちの瞬間を見たかったのに果たせなかったことが残念です。
かくのごとく、私たちが愛でる花鳥風月は、私たちの思惑を裏切ってその姿を見せるものであり、実は、それを楽しむことが花鳥風月に接することではないかと思った次第です。
ようするに自然は常に私たちの思惑の外にある「他者」であり私たちは謙虚にそれに接するほかはないのです。
なんだか少しあっけない幕切れになって肩透かしを食ったようですが、最後に、私のアイドルたちが去った今、毎夜のように現れるもうひとつのアイドルを紹介しておきましょう。ヤモリ君です。どうも数匹いるようなのですが、これは大きい部類です。
モザイク模様のようで面白いでしょう。いわゆる型ガラスの向こうにはりついているのです。
雨にも負けず、風にも負けず、二羽ともに順調にに育っています。
産毛に変わって、キジバト特有のうろこ状の模様の羽が生えてきました。
親があまり姿を見せないので、どうやって給餌しているのだろうと心配していましたが、今日、直に親が餌を運んできて、仔バトたちがそれをねだっているのを目撃しました。
ツバメなどですと給餌の瞬間、ヒナが騒ぐのでよく分かるのですが、キジバトのヒナは全く鳴きません。おねだりの動作はただ羽ばたくのみです。
その羽ばたきの瞬間、おう、もうこんなに立派な羽がと思いました。
巣立ちは9月10日ぐらいと踏んでいますが、ひょっとしたらそれより早いかもしれません。
嬉しくも寂しい瞬間ですね。
とりあえずは、それまでの間、激しい風雨などなく、またカラスに襲われたりしないことを祈っています。
産毛に変わって、キジバト特有のうろこ状の模様の羽が生えてきました。
親があまり姿を見せないので、どうやって給餌しているのだろうと心配していましたが、今日、直に親が餌を運んできて、仔バトたちがそれをねだっているのを目撃しました。
ツバメなどですと給餌の瞬間、ヒナが騒ぐのでよく分かるのですが、キジバトのヒナは全く鳴きません。おねだりの動作はただ羽ばたくのみです。
その羽ばたきの瞬間、おう、もうこんなに立派な羽がと思いました。
巣立ちは9月10日ぐらいと踏んでいますが、ひょっとしたらそれより早いかもしれません。
嬉しくも寂しい瞬間ですね。
とりあえずは、それまでの間、激しい風雨などなく、またカラスに襲われたりしないことを祈っています。
お陰様で拙ブログの来訪者を示すカウンターが30万を超えました。
むろん、ちょっと覗いて「な~んだ」と去っていった人もいるでしょうが、「お気に入り」に入れて熱心にお読みいただく方もいらっしゃいます。
内容やタイトルによって、その日のカウンターが跳ね上がるところを見ても、やはりこのディスプレイの向こうにいる多くの人たちを意識せざるを得ません。
10年以上前、あまりポピュラーではないが知る人ぞ知るある音楽学者のページを覗いたら、そのカウンターが10万を超えているので驚いたことがあります。当時はその先生も私も、今のブログと違ってホームページで、私のカウンターはというと、わずか数千のところで停滞していました。
しかし、その折のその先生のカウンターの数字は、ネットを介しての個人の情報発信、ならびにその受容の可能性を知らせてくれるいい刺激となりました。
このブログはそれからさらに数年して、何の挨拶もなく、また、コンセプトの説明もなく唐突に始まっています。
タイトルは「あかいもの同士」で、真っ赤な名鉄電車と、並行して走る道路のやはり真っ赤な郵便車のコラボの写真を載せています。加えて、若干の川柳を。
この「あかいもの同士」は、頭に「W」をくっつければ「若いもの同士」になりますからダジャレのようなものですね。
それから数年、さして力みもせず、日常茶飯の報告から、少旅行の見聞、映画や読書の感想などを淡々と語ってきたつもりです。
加えて、私の年齢からくる戦争体験や戦後体験などもかなり書いてきました。
いずれにしてもそれらが積もり積もって、延30万人の方々のご来訪を見ることとなりました。
お越しいただいたすべての方にあらためて深く感謝いたします。
これを機に、何かをどうしようという取り立ててのことなどないのですが、事情が許す限り続けてまいりたいと思います。
年齢からくる情報の質の低下を恐れる気持ちはいくぶんあるのですが、そんなことで引っ込み思案になってはならないと自分に言い聞かせています。
むしろ、このブログへの記載があるからこそ、よく見、よく聞き、よく学ぶことができるのだとポジティブに考えてゆこう思っています。
ほんとうにありがとございました。
これからもよろしくお願い致します。
*28日午後10時現在のカウンターは 300138 を示しています。