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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

五嶋 龍 リサイタル @岐阜サラマンカホール

2018-07-31 00:34:04 | 音楽を聴く
 岐阜サラマンカホールでの五嶋龍のヴァイオリンリサイタルに行ってきました。
 そのプログラムの形式が(構成ではなく)ちょっと変わっているのです。
 普通は、作曲者と曲名があり、その簡単な説明があるのですが、そんなものは一切なく、ただ作曲者と曲名がぽんと書かれているのみなのです。

          

 曲目は、「シューマン ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第2番ニ短調」「イ・サンユン ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番(無調)」「ドビュッシー ヴァイオリンとピアノのためのソナタ ト短調」と、真ん中のものを除いては比較的演奏機会が多いものですが、先程述べたように、曲についての説明は一切なく、その代わりに、五嶋龍の散文が載せられていて、三人にさらっと触れたかと思うと、以下のようないくぶん挑発的な叙述が続きます。
 
 「くしくも今回のプログラムには、抗えない異次元の悲哀と叫びが渦巻く苦悩がある。それらが彼らの音楽の原点であろうが、誰がそんなものを味わってみたいか」
 そして次のように、続くのです。
 「とはいえ、聴き様によると、いや弾き様によると、同じダイナミックで、同じテンポで弾いても希望に繋がる音になる。そう思えるのは僕だけか?」

          
 
 ようするに彼は、シューマンの、イ・サンユンの、あるいはドビュッシーの曲に自らの解釈を加えてそれを表現するという一般的な次元を超えて、彼らの曲を「題材」にしながら、そのなかから自分だけにしか引き出せないものを引き出してみせようという自負を語っているのです。
 そこには、いくぶん尊大かもしれない自信が溢れているようです。

 で、実際の演奏はというと、その言葉に違わず、三人の作曲者のなかにあって五嶋自身にこだまするような響きを力強く引き出していたように思います。
 「シューマン節」は一層その輝きと艶を増し、イ・サンユンの現代音楽はロマン派のそれのようにスムーズに流れ、ドビュッシーの刹那的な身の翻しをも的確に表現していたように思いました。

          

 それに比べるとアンコールの最初の二曲は、彼にとっては鼻歌のようなもので、いくぶん物足りなく思っていたのですが、その三曲目の「サン=サーンス 序奏とロンド・カプリチオーソ」は、そのロマ的な情熱と血の騒ぎのようなものを存分に聴かせてくれて、その曲のボリュームと合わせて、まるまるプログラム一曲分を得したような気分で、観衆も最高潮に盛りあがっていました。

 ちょっと気取った自負のようなものが散見できたリサイタルでしたが、その気取りが彼自身の表現の質と幅を後押ししていたかのようで、終わってみると結構爽やかなコンサートでした。

 なお、ピアノはマイケル・ドゥセク。五嶋の演奏とうまくフィットしていたように思いました。


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瓦礫の前で立ち止まらない近代  小林敏明氏の評論から

2018-07-26 00:09:16 | 日記
 前回に続き、友人小林敏明氏の「文學界」(8月号)に連載し始めた評論読解の続きです。
 
 評論の後半、筆者は「アウシュビッツ以後、詩を書くことは野蛮である」という言葉を援用しながら、「フクシマの後に詩を書くこと」に言及します。
 アドルノの言葉は、あのような悲惨な現実があった後に、なおかつ詩など書いていられるかとという直接的な解釈も成り立つのですが、しかし、一方、詩そのものが人類が生み出してきた文明一般の換喩であるとするならば、そして、アウシュビッツそのものがそうした文明の行き着いたひとつの到達点であるとしたら、アウシュビッツ以後の、そしてフクシマ以後の詩というものは、そうした破壊的な文明そのものの双生児ともいえるものとして、やはり、野蛮のそしりから自由でありえないのではないだろうかということでもあります。

          

 しかし、一方、詩とはそうした文明の一端を担う存在でありながらも、科学技術やそれに支えられた産業を文明の中心とするならば、それらとは一定の距離を保ち、それ自体を相対的に反省を込めて見つめる作用ももっています。
 その意味では詩は、そうした文明の、とりわけ近代合理主義の申し子たるその最先端に対するお目付けのような機能を持ちうるのかもしれません。

 しかしながら筆者は、その「詩」というジャンルそのものが前回にも見た1980年代から目立って凋落し始めたのではないかと指摘するのです谷川雁は詩のペンを置き故郷を離れます。吉本隆明は完全に評論の世界へとシフトを替えます。

          

 さて、ついで引用されるベンヤミンの言葉の一節から瓦礫の話がはじまります。
 「彼(歴史の天使)は、絶えず瓦礫の上に瓦礫を積み重ね、それを自分の足元に投げつけてくるただ一つのカタストローフを見て取る」
 ようするに、私たちが進歩と呼び、飼いならしたつもりのものが挫折の憂き目を見るごとに、そこには膨大な瓦礫の山が出現するということなのです。

          

 これは単なる比喩を越えてとても良く分かります。
 かつて軍国幼年で国民学校一年生の私が、73年前のちょうど今頃、目前にしたのが、みごとに全焼した私の学校の焼けただれてくすぶる瓦礫の山でした。それは同時に軍国幼年の夢を打ち砕く一連の歴史の始まりでした。
 それからひと月経たないうちに、人類はこれまでに見たことのない広大で悲惨な瓦礫の広がりをヒロシマとナガサキで見たのでした。

            

 その後、私たちは朝鮮半島で、ヴェトナムで、中近東で、東欧諸国で、旧ユーゴスラビアの紛争で、幾度も瓦礫の山を見ています。
 戦争ばかりではありません。環境破壊によるほぼ人災ともいえる何度かの巨大災害で、そしてチェルノブイリで、フクシマで、私たちは瓦礫を見てきました。

 そうなのです。歴史とはまさにその句読点のように繰り返される瓦礫の風景にほかならないのです。そしてそれらは、ベンヤミンにいわせれば、「死者たちを呼び起こし、打ち壊されてしまったものをつなぎ合わせる」機会、つまり、そこで立ち止まってその瓦礫の堆積を生み出したものの腑分けをすべき機会なのですが、進歩といわれる烈風が立ち止まることを許さず、私たちを未来の方へと拉致してゆくのです。

            

 この進歩という強迫観念、そのためには瓦礫の記憶をまるでなかったことのように消し去る恐るべき健忘症、それが臆面もなき再稼働を許容してゆきます。
 フクシマの瓦礫は今なお引き取りてもないまま野ざらしの状態にあるのに、人々の記憶のなかではもはや古層に埋められてしまったかのようです。

          

 私たちの故郷喪失そのものの忘却を、まさに故郷そのものへと戻ることが叶わず、いまや猪や鹿、猿、熊の跳梁の地となった地域の存在が、まさに私たち自身が故郷喪失の忘却の時代を生きているのだということを如実に知らせてくれました。
 しかし、それでもなお、その瓦礫の前に立ち止まり、今一度思考を巡らす契機をも奪われたまま、私たちは「それを乗り越えて進め」と急かされているのです。
 そんな折から筆者は、ベンヤミンの言葉を借りて、失われた故郷へ向けての「虎の跳躍」を語ります。

          

 最後に筆者は、たまたまライプツィヒから日本を訪れ、東京郊外で東日本大震災に被災し、それらのパニックの中で、まずは岐阜の東濃地方にあるみずからの「実家」に思いを馳せたといいます。
 ここで、文明批評としての故郷の喪失に関する問題は、その実体としての彼自身の故郷へと結びつくのです。ハイデガーの故郷喪失が精神的なものとしてはギリシャでありながら、実体的にはメスキルヒやトートナウベルクであったように。
 これについては、私は敢えて言明しません。

          


以上はわが友、小林敏明氏の「文學界」(8月号)から連載し始めた評論「故郷喪失の時代 フクシマ以後を考える」を、ノート代わりに私なりになぞってみたものです。

最後の一節には私の僻みが入っています。生まれて以降、親戚をたらい回しにされ、やっと養父母に引き取られたかと思ったら、数箇所の小刻みの移動を余儀なくさせられたため、故郷といった折にすんなり浮かび上がる光景をもちあわせていないのです。まあ、長じてからのそれは岐阜なんでしょうが。

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故郷喪失の忘却と3・11がもたらしたもの  小林敏明氏の評論を読む

2018-07-23 16:45:42 | 日記
 昨日、外気が40度で脳味噌の沸点に至るような条件下で、私の友人が「文學界」(8月号)に連載し始めた評論を読んだ。
 小林敏明、「故郷喪失の時代 フクシマ以後を考える」がそれで、彼は今、ライプツィヒ大学教授で専攻は哲学、手軽に入手できる著作としては「夏目漱石と西田幾多郎 共鳴する明治の精神」(岩波新書)などがある。

 ということで一通り読んだが脳みそがグラグラする中では文字を追うのがやっとで文章の意味関連や論旨の概要がうまく整理できない。ということで諦めて中断。
 熱帯夜であまり熟睡できなかったが、脳内温度が少し下がったのを見計らって、午前からもう一度読み始める。

          

 さて、「故郷喪失」が一つのテーマなのだが、脳天気な私は、いつだって時代は故郷喪失だぐらいに思っていたのだが、筆者の観察によれば、1980年辺りから故郷喪失ということそのものが忘却され、人々の意識から遠ざけられたというのだ。
 1980年代といえば「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が叫ばれ、東大や京大でも政党支持で自民党が第一位になった頃であった。特にこの政党支持には驚いた覚えがある。私の在学中などは、自民党支持などと言おうものなら、その知性は無論、人格的にも著しい欠落があることは自明とされたものだった(実は密かにいまもそう思っている)。

 それはともかく、そうした表層から消されたかのような故郷(喪失)の問題が、3・11の原発事故による、もはや住めない故郷の存在があらわになるという決定的なその喪失によって改めてクローズアップされることとなった皮肉な事態を筆者は指摘する。

             

 ようするに、故郷を再生存続させるために原発を誘致し、その結末がその故郷そのものを失うこととなったというこの皮肉な結果を、使用済み核燃料を再び核燃料として再生させる「夢の核燃料サイクル・もんじゅ」の不可能性が顕になったこととを重ね合わせ、「近代が不可避に生み出す矛盾を同じ近代の産物たる科学技術によって克服するという自己完結的なシステム」の破綻の例として筆者は捉える。
 それは同時に、近代は近代自身によって修復再生されながら永遠に続くという幻想の破綻でもあるとするのだ。

 故郷の問題に戻ってもうしこし平たく言うならば、自転車操業の土建屋政治で故郷を食い物にしてきた意地汚いサイクルの結果がフクシマの破綻であるというだ。そしてそれは、再びそのサイクルによっては修復不可能なはずなのに、再稼働への懲りない動きはまたしても・・・・ということにもなる。

 ここで文芸誌の評論であるからして、話は文学の分野に至る。
 まず筆者は、東京生まれにしてもとよりの故郷喪失者である小林秀雄などに代表される「抽象人」の透明さが「西洋文学の伝統的性格」を歪曲することなく理解し始めたことどもを紹介し、その系譜としての故郷を持たざる文学者たちをみてゆく。
 しかしながら問題は、故郷の有無ではなく近代そのものであること、一見ニュートラルな抽象人たちも、戦前、農村問題などを背景に一種の知的エスタブリッシュメントを形成していた公認「マルクス主義」との対決を自己形成のバネにしてきたことなどをみてゆく。

              

 文学関連は少し端折るが、面白いのは、それぞれ「路地」と「苦海」という強烈な「故郷」を背景にした文学、いうまでもなく中上健次と石牟礼道子のそれだが、筆者はそれらが、冒頭でもみた1980年代に「透明で抽象人の抽象世界の未来」へと、すなわち村上春樹の文学へととって代わられたというのだ。

 しかしである、フクシマという故郷破壊の厳然たる現実は、一見無味無臭の抽象人の存在をも根底から揺さぶるものであったはずだ。
 一見、故郷とは無縁のニュートラルな未来を標榜していようとも、それ自体がじつは無数のフクシマを背景にし、それらを不可視の下層に追いやることによって成り立っていたに過ぎないことを3・11はまた暴露したのであった。

             

 ここでこの評論は終わるのではない。
 むしろこれを前振りとしながら、後半は廃屋フェチの私が好きな(?)「瓦礫」をキーワードにして話が展開される。
 次回、引き続きそれを追いかけてみよう。
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映画『万引き家族』と「カゾクノカタチ」について

2018-07-20 11:50:01 | 映画評論
 遅ればせながら是枝監督の「万引き家族」を観た。
 この人の作品はほぼ10本、すべて劇場で観てきた。そしてそのそれぞれが面白かった。ドキュメンタリー出身もあってか、その演出にあたっては物語の起承転結を出演者にあらかじめ伝えることはせず、そのシーンごとのシチュエーションのみを提示し、ディティールはその演者に任せるという。そのせいにもあってか、不自然なカット割りなどもなく淡々と進みながら、にもかかわらずそこには確実にひとつのドラマが刻まれてゆく。

             

 私が観たうちで、「誰も知らない」、「歩いても歩いても」、「奇跡」、「そして父になる」、「海街diary」などは家族のカタチを問うという点で共通点をもっていたように思う。
 そして今回の「万引き家族」は最もドラスティックというかラディカルにそれを取り上げてみせた。

 一つの極には、血縁によるいわゆる「自然的な家族」というものがある。伝統的な家族はこれが主であろう。
 そして一方には、人為的、事後的な「構成された家族」がある。ようするに、子どもができないために養子縁組をするとか、家督の相続のために血縁以外のものを迎え入れるといった家族である。
 ちなみに私は、父母の顔を知らないままにいたところを、子どもに恵まれない養父母にひきとられ育った経歴をもつので、家族=血縁にはもとより相対的な距離を保ってきた。

          

 以上観てきた家族のカタチであるが、これまでの家族観からいえば、「構成された家族」は、血縁による「自然的な家族」の不全を補うためのあくまでも例外的で消極的な存在でしかなかった。
 先に述べたこの映画のドラスティックにしてラディカルな点は、そうした「自然的な家族」と「構成された家族」との差異、そこにある優劣、主客の関係を徹底的に問い、極めて意識的に生み出された「人為的家族」を正面に打ち立ててみせたことである。

          

 もちろん、そうした「人為的家族」は現行の法体系の外にあるものである。だから彼らは、公の場で権利を行使することができないばかりか、そこから逃避しなければならない。
 子どもたちは学校へ行けないし、家族全員が市民的保障の外にいる。万引きもそれが故のたつきの道といえよう。
 そして、当然のこととしてその存在自体はつねに極めて危うい。

          

 映画の後半、その危うさが露呈し、「人為的家族」は解体されるであろう。その構成員は元の鞘へ、虐待されていた子は元の家族へ、パチンコ屋の駐車場に放置されていた子は施設に、法に触れた者たちは収監され刑期に服することになるだろう。
 しかし、そのことによって誰が一層幸せになれたであろうか。私たちはそれに先立って、危ういながらもじゃれあうようにして暮らしていた6人のヴィヴィットなありようを知ってしまっている。だからその落差はかえって痛々しい。
 虐待家族へ戻された女の子の一人ぼっちの映像が改めて私たちに問いかける。カゾクトハナニカ?

          

 流布している映画評などでは、この映画は現実の日本の福祉などの欠陥を撃つものだといわれていて、監督自身も映画の契機となったのは、亡くなった親の年金をもらい続ける子の話との関連であったとそれを肯定するような発言もしているようだ。

 しかし、この映画の射程はもっと遠くへ至っているように思う。問題は家族のカタチなのだ。
 敗戦後の家父長制の衰退、1980年代のニュー・ファミリーの登場などなどによって、家族のカタチは変わってきたといわれる。しかし、それらの変化も、所詮は血縁をもとにした範囲内での機能的な変化にしか過ぎなかった。

          

 現今の変化はそれにとどまらないだろう。ジェンダー問題やLGBTの権利拡張に伴い、これまでの血縁を中心とした子をなすための装置としての家族のカタチが劇的に変化しようとしている。だから、この映画のような「人為的家族」は今後、決して例外的なものではなくなるだろう。
 
 もちろん、血縁の問題は解消するわけでもないし、解消すべきだといっているわけではない。かくいう私自身も、すでに述べたように、先代との間には血縁はないが、子どもたちとの間には血縁があり、それが故の関係は厳然としてある。

          
 
 だから血縁がどうこうということではなく、それをも含め、ということはそれ以外も含め、ともに複数の人間が共存してゆく家族のカタチについては、いまや自明のパターンなどはないのであって、それを構成しようとする人たちの新たな選択が必要なのかもしれない。

 たとえ「人為的な家族」の「模擬」ではありながらも、そこで生き生きと瞳を輝かせていたのをすでにみてしまっている私たちが、虐待家族に戻されたその少女の孤独な佇まいに暗澹としているまさにその瞬間に映画は幕を閉じる。切ない!

【おまけ】リリー・フランキーと安藤サクラのそうめんを食いながらの濡れ場はほっこりと美しかった。

 
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熱中症のブルース

2018-07-16 16:36:44 | ラブレター

毎日毎日熱暑の地獄
脳みそとっくに沸騰し
せっかく拾って集めた文字も
脳に達する寸前で
ジュッと蒸発消えてゆく

          

拾いきれない文字の列
うごめく蟻の列が行く
霞み揺らめき流れの果は
決して届かぬ綾なす秘義の
チョットだけよのお披露目騒ぎ

アウシュビッツのそのまたあとに
詩を書くことは野蛮であるか
40度をこす気温のなかで
書を読むことの蛮行をこそ問え

             

こうなりゃひたすら「松の実」だ
いやいや違った「待つのみ」だ
天使の夕立 車軸の雨を
待てど暮らせど来ぬ人を
松帆の浦の夕凪に
まつとし聞かば
きみが袖振る

あんだこりゃ
沸騰した脳 オーバーフロー

             

百均でフト目についたコンセント
おフランス用のコンセント
怪盗ルパンが電気を盗む
バスティーユ牢獄のエアコンは
今宵も恋するナポレオン

嗚呼それなのにそれなのに
後期高齢者医療制度被保険者証は
(なんと詩には不向きな言葉)
簡易書留でやってくる
ピンポンパンたらピンポンパン
病に備えてピピンのパン

          

太平の眠りを覚ますドラの音に
赤い真っ赤なユリカモメ
地上の夢をかすめて飛んで
台風の目で錐を揉む

          

さよなら三角もう来ぬ視覚
お前の母ちゃん不倫して
週刊文春バッタバタ

          

ボードにベタベタワイドショー
一枚一枚剥がしてゆけば
アララ真実丸裸
はい出来上がったこの事実
〇〇サプリの提供で
お一人三箱までですよ

          

これが私のラブソング
イロハに金平糖の
ラブソング
暑い暑いは東京の
4年経ったらまた逢いましょの
オリンピアード熱中症
世界の国から熱中症
金・銀・銅の熱中症
何が何でも熱中症
これでおしまい熱中症



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小売業の変遷とドラッグストアの激戦!

2018-07-12 15:35:18 | よしなしごと
 私がこの地に住まうようになってから半世紀に及ぶが、なにせ当時は田んぼの中の一軒家、歩いて行ける範囲に買い物ができるところはまったくなかった。
 結構離れた商店にまで車で出かけた。当時は路上駐車の規制が緩かったので、ちょっと留めて買物をし、また少し移動して別のものを買うといった具合であった。

 やがて、都市化の波が郊外に及ぶに至って、ポツポツと小売店が現れ、ちょっと離れた場所には当時「市場」といっていた小売の集合店舗が現れるようになった。これで買い物はうんと楽になったが、先行した小売店のなかにはこれに押されて店じまいしたところもあった。

 やがて、駐車場を備えた、今のスーパーの原型のような地元資本の店が現れ、買物の集約性がうんと高まった。しかしそれらも、より大きな店舗が近隣に出来るにつれ、それらに飲み込まれるようにして姿を消していった。この半世紀、この繰り返しを何度みてきたことか。

          
           
 結果として、わが家の周辺についていえば、当初できた小売店はほぼ全滅した。
 残ったのは全国チェーンのスーパー2店舗で、そのうち一軒はほぼ全国展開の総合スーパ、またもう一軒は岐阜県に本店を持ち、中部地区を中心に展開している食品スーパー(それでも二百数十店舗を数える)である。
 これらも、改装や移転などを経由してきたのだが、ここのところこの二つで安定しているかのようだ。

          
           私んちの前にできたドラッグストア 
             

 今激しいのはドラッグストアのなりふり構わぬ出店ラッシュだ。
 一昨年、私の家の前に片側一車線のバス通りをはさみ、ここのところ旺盛な出店をみせているドラッグストアのチェーンがオープンした。
 最近のこの種の店は、食料品についても鮮魚や生鮮野菜以外は置いている。牛、豚、鶏の他、野菜も玉葱、人参、じゃがいもなどは置いているからカレーやシチューならじゅうぶん間に合ってしまう。

          
         少し引いて、手前で車が交差しているところが道路

 調味料類も多い。だから、調理をしているうちに不足しているものがあったら、火を止めて、つっかけ姿で、はねられるのを覚悟なら道路をまっしぐらに横切って30秒足らず、慎重に左右を確認して横断しても1分もあればたどり着ける。
 もちろん、日用品は一通り揃う。

 以前は、上に見た中部地方に本拠を置く食品スーパーチェーンの系列店のドラッグストアでそれらを買っていた。ここも便利で、行きつけのクリニックの薬を調合していたので、薬をもらいに行くと、そのドラッグストアの買物の割引券をくれるのでそれを利用していた。

          
         以下は閉店し引っ越しを準備している旧店舗の周辺

 しかし、ここも、上に見た私んちの前の新しい店に押されてついに閉店してしまった。ただし、少し離れた場所へ移転し、そこでより広い店舗で品揃えもよく再スタートということらしい。
 ただ、私んちからは遠くなるので利用機会はあまりないだろう。

 なお、その前に、かつて郊外型の書店として鳴り物入りで開店したところが撤退し(かつて私が、岩波新書を買いにったら、「そんなもの置いてません」とそっぽを向かれた店だ)、その後にまた別のドラッグストアがオープンした。

          

 今回、移転する古くからのドラッグストアは、南側と東側を新しい店に抑えられて、たまらず新天地へ移転となったのだろう。しかしこの3店は、互いに徒歩で行き来出来る距離だから、今後もしのぎを削る競争は免れないだろう。
 そのへんの主婦も、そして私も、3円安ければそちらへ行くから、その競争も熾烈であろう。そんな折から、それらから少し離れるが、またまた新しいドラッグストアが開店するようだ。

          
      すっかりがらんどうの旧店舗内部 ここへ何度足を運んだことか

 若い頃、アメリカの小説かなんかで、ドラッグストアに買物に行くというのを読んで、「薬屋へ買物に行く」っていうイメージがいまひとつよくわからなかったのだが、ここへきて、それはじゅうぶん分かる。

 このドラッグストアの乱立競争は、その相互間にのみ及ぶものではない。いまや、一般のスーパーにとっても脅威となっているはずだ。
 早い話が、この私も、このくらいならスーパーへ行く必要はないと、目の前のドラッグストアーで間に合うものはそれで済ませてしまう。だから、スーパーへ買物に出かける頻度はほぼ半減している。
 おかげで運動不足気味だ。

          

 もちろん、これに通販での居ながらにしての物品調達も加わる。
 気がつけば、この半世紀、流通の姿はすっかり変わってしまった。これらが、価格競争やサービスの面で、消費者にとってプラスの方向で進むのならいいが、知らぬ間に、私たち自身がこうしたシステムの歯車として巻き込まれ、自分では「賢い消費者」のつもりでいても、その実、視野の狭い「消費マシーン」として組織化され、機能しているのではという疑念もある。
 早い話が、なんとなく決まりきった品揃えのなか、私たちの欲望そのものがパターン化され、その消費もある定形へとはめ込まれつつあるのではないだろうか。

          
            どうしてこんなところに日の丸が?

 普通は消費者の欲望が新たな商品の開発や製作、流通を生み出すと考えられているのだが、商品開発者や流通業者の極度の合理化とその宣伝技術によって、消費者である私たちの欲望そのものが干渉を受け、それらの合理化に応じてその購入のパターンを規制されているとしたら、それは私たちの自由意志を装ったビッグ・ブラザーによる欲望と消費のコントロールというほかはない。

 情報リテラシー共々、流通、消費、買物などのリテラシーも必要な時代なのかもしれない。


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嗚呼! 柳ヶ瀬哀歌!

2018-07-03 01:32:58 | 想い出を掘り起こす
 久々に岐阜の中心街に出る。
 街は静かだ。
 平日ということもあって、私のようなジジババがちらほら。
 かつて、休日ともなれば、ひとと肩触れ合わずして歩くことが困難だった日々を回想してみる。
 あれは私の10代の頃だたから、もう60年前か。
 美川憲一が「柳ヶ瀬ブルース」をヒットさせたのは1966年だからそれからももう半世紀以上になる。
 古き良き思い出をもつ者にとって、時は残酷に振る舞うことがある。

             

 明治の初めの生まれだから、生きていれば140歳ぐらいになるハイカラ好きの父方の祖父と、藤山一郎とのデュエットで「青い山脈」を歌った奈良光枝の実演(当時はライブをこう呼んでいた)を観に行ったのは1950年代のはじめだった。
 彼女が歌った「赤い靴のタンゴ」は、しっとりとして、子どもながらもほれぼれと聴き入ったものである(その前に、近江俊郎とのデュエットで歌った「悲しき竹笛」も好きだった)。

          
 
 その会場が当時、岐阜一番の「岐阜劇場」。
 しかし、その跡地は、今や岐阜で唯一の百貨店、高島屋岐阜店になっている。
 市街地が広がる写真は、その上階から岐阜駅方面を見渡したものである。
 ちなみに現在の私の住まいは、この写真のずっと先になる。

          

 かつて、各都市の商店街や繁華街は、デパートやスーパーなどとある種の棲み分けを行っていた。しかし、高度成長期を境に、裸の資本対決のような様相を呈して今日に至っている。その間、大型店にあった規制もすべて緩和された。
 小資本の集合体である地方の商店街はよほどのことがない限り、これら大型店舗の戦略に対抗できない。

              

 柳ヶ瀬は哀しい。
 そこへ行く度に、私の古い記憶にあるものたちが確実に減少してゆく。私は、古いものがいいと言っているわけではない。問題はそれらがなくなるのに見合った新しいものが生み出されず、ただ商店街が廃墟と化してゆくのが哀しいのだ。

              

 相変わらずの年寄りの回顧談だが、地方都市の各地に、しだいに廃墟化しつつある商店街があるというのは事実なのだ。



*奈良光枝 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%88%E8%89%AF%E5%85%89%E6%9E%9D

*「赤い靴のタンゴ」
">https://www.youtube.com/watch?v=y5VBOrG4LXo
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