昨日の記事では、今年最後に農協の朝市に出かけ、買ってきたもののうち赤カブは切り漬けににし、白菜も漬物にすべく八等分して干したところまで述べた。以下はその続編である。
赤カブは今季三度めだが、最初は切り漬けにし、前回は甘酢漬けにしたので、今回は漬物にする番。
梱包を解いてすぐに玉の部分も茎や葉の部分も漬け込んだ。
夕方にその点検。やや塩分が不足かもしれないが、それは後で補正が効く。もう一日様子を見ることにする。
夕刻、洗濯物の取り入れと同時に、干していた白菜も取り込み、漬けの作業にかかる。予め水に浸しておいた昆布を小さく刻む。
鷹の爪は三本、辛いのが好きなので、種を捨てずにいっしょに刻み込む。
香り付けの柚子は、中球一個の皮を剥き、細かく刻み込む。
目分量で塩をまぶし、昆布や鷹の爪、柚子をふりかけて八分の一ずつを漬けてゆく。
あまり大きくない漬物用瓶しかもっていないので、八片全部を漬けたら瓶いっぱいになってしまった。
上から重石を乗せて全身の重量をかけて押す、押す、押す。
この石だけでは重さが足りないから、もう一個の重石も乗せねばならない。しかし、最初の重石の水平が出ていないと、上の重石は滑り落ちてしまう。
それを避けるために、ポリ袋を被せ紐で縛って固定する。それでもなかなか安定しない。一度なんか、夜中に寝静まってから、結んでいた紐が解けて上の重石が滑り落ち、ドスン、ゴロゴロとすさまじい音響で家じゅうに響いたことがある。交通事故の車が、家に飛び込んだかと思った。
これを避ける裏技がある。ポリ袋でくるんだ上からしかるべき布を被せ、その上に私が乗っかるのだ。そして、百ぐらいを数える。
老いたりとはいえ60数キロの体重、白菜への浸透圧攻撃にはそれなりの威力を発揮し、重石たちはその強力な助っ人のおかげでかなり安定する。
これで水分が上がってくれば漬かり始めた証拠。毎日、それをチェックして漬け上がりを待つ。
今年最後の農協朝市へ。
農協はありがたい。価格が安いのは従前からだが、年末の需要増大期といえども価格がいっさい上がっていないからだ。
スーパーなどでは、この間の諸事情での価格の上昇分はやむを得ないとしても、年末に入っての需要増を見越した大幅な値上げや、中には便乗値上げではと思われるものもある。いつもの感覚ではおいそれと買えない。
そこへ行くと農協は日常と一切変わらない。
今日買ったのは、・ネギ1束・白菜大1個、中1個・赤カブ4球・聖護院大根1個・正月菜(餅菜)2束・ほうれん草1・水菜1・菜の花1・キュウリ4本・ブロッコリー1・大根1・正月用切り花 計14点で、1,934円
一番高いのは切り花の330円、ついで白菜大の250円。あとはみんな100円前後。
早速赤カブはいつものように切り漬けに、そして、白菜は8等分にして干し、漬物にするつもり。
正月に間に合うかどうか・・・・。
あ、それと聖護院大根は千枚漬け風にしておせちの膾(ナマス)の代わりにするつもり。
目的は昨年後半から参加している勉強会だ。私が最年長で孫よりも若い人もいる。ただし、あまりそれは意識しないことにしている。ここでは私も一学徒にすぎない。
ただ、年齢ゆえに経験に根ざしたテキストの趣旨とはいささか違う話をしてしまうことが多いのは反省すべきだろう。ただ、私があまり学んでこなかった分野だから、自分では謙虚に学んでいるつもりだ。それでも出すぎるというのは、まさに老害だと反省している。
写真はすべて、行きのものだ。
最初はJR岐阜駅前のバスターミナルのデッキからだが、手前に見えるのは枯れ葉ではない。
そのひと月前にはこんな風だった。
この葉の形状から、分かる人はわかるだろう。
そして、さらにさかのぼって7月にはこんな可憐な花を付けていた。
そう、ねむの木である。
子供の頃、木の葉をとって、「ねむねむ眠れ」と唱えてさすると、まるでそれに従うかのように葉を閉じるのが不思議で、よくそれで遊んだ。
木曽川を渡ると愛知県だ。この時期、サギ類や他の水鳥がいるはずだが、まったく見かけない。やはり、彼らが水辺に集うのには今日は寒すぎるのだろうか。
いずれも右側が愛知県
前にも書いたが、稲沢駅では車中で読んでいる書から目を上げる。いろいろな機関車がたむろしているからだ。前々から気になっていたものをスマホに収める。
帰ってから調べたら、DF200型ディーゼル機関車、RED BEAR で、北海道で旅客列車や貨物を牽引していたとある。そのせいか、この辺で現実に走っているのを見かけたことはない。
名古屋駅の周辺は、月曜日というのに若い人たちでごった返していた。まだ各企業は休みになっていないはずなのにとも思う。冬休みに入った学生さんたちだろうか。
ミニスカで生足風の女性を複数見かける。そのおみ足の美しさに見惚れる前に、ブルブルブルっと背筋から寒くなる。いい年こいたジジイのくせに、自分がそんな格好をすることを想像してしまうからだろうか。
しかし、この寒さに彼女たちはどう絶えているのだろうか。
とりあえず、来年は行けそうだ・・・・と思う。正月に餅を喉につまらせて・・・・なんてことがない限りだが。
ありがとう、名古屋。来年もよろしくね。
あたり一面が銀世界。ただし、岐阜より南の小牧市や名古屋市内の方も積雪のニュースを載せているので、濃尾平野全体に降ったようだ。
昼近くになっても、前のバス道路は冠雪したままで、通りかかる車は恐る恐るだ。車で出かける用事は、昨日の間に済ませておいてよかったと思う。
大型車が通りかかると、踏み固まった路面の雪が、バリッバリッバリッと威嚇するようにきしむ。
昼近く、日射しが出てきたのに、大粒の雪が降り続く。しかし、ここまで来るとどこか陽気な雪だ。
https://www.youtube.com/watch?v=t2xLQp4FWR4
昼食を終えた頃、雪はやみ、バス通りの路上の雪もなくなったようで、車はジュルジュルジュルという音とともに走っている。
銀世界は楽しませてもらったが、洗濯物が乾かない。性能の悪い我が家の洗濯機の乾燥装置は半日かけてもだめだ。
何といっても地球は、お天道様の下僕なのだと思う。
それに、雪を置いた夜はしばれる。今夜の防寒対策をしっかりしなければ。
未払金などはないか確認し、必要なものは支払う。ついでに、正月の間、銀行へ行かなくともいいよう、ある程度の現金をおろしてくる。
セルフのガソリンスタントで一応満タンにしてくる(154円/リッター)。
日常の食品の買い出しの折に、暮が近づくと高くなるもので保存が効くものをゲットする。数の子、田作りなど。
正月に飲む酒を確認する。ワイン&日本酒。
他にもなにか、正月を意識してしたことがあるかもしれない。
今年は特に、上記の他に、子どもたちに遺言状のようなものを書き残したので、まあ、正月まではなんとか生き延びるとして、その後、なんかあっても安心して逝くことが出来る。 子どもたちが余計な延命治療を拒否し安楽死をとの遺言を守ってくれればのはなしだが。
なお、いろいろ遺品を整理していたら(これは冗談)、ほぼ40年前、プロの写真家が私をモデルにした写真を幾枚か撮ったうちの一枚が出てきたのでここに載せておく。かつて、お前が居酒屋だったなんてのは嘘だろうといわれたこともあったが、これが証拠だ。
なお、これはデジカメ以前の銀塩写真をスキャンしたもの。
他に、この間、あるSNSに載せた記事を転載しておこう。
■日本の防衛費を約二倍にするということで、その必要額をどう調達するかで自民党内でもいろいろ割れていて、野党はその蚊帳の外でウロウロしているのみです。
■問題の核心はなぜそれだけの増額が必要かということなのですが、それは十分論議されないまま、その目的それ自体はもはや前提にされたかのように議論は進んでいます。
■その目的というのは、相手国が攻撃してくる前にそれを受け、迎撃のみではなく、先制攻撃を行える能力を導入するとだといわれています。
■財源の確保以前に、この目的が果たして正当であるかどうか、下手をすると防衛ではなく先制奇襲攻撃になるのではという問題があるのですが、それはすっ飛ばされたままなのです。
■敵の攻撃に先んじて相手を攻撃し、それを阻止するというのはなんかかっこよさそうに思えますが、以下のような問題をはらんでいます。
■〈その一〉敵とされる国の、どのような動きをもって「攻撃される」と判断するのでしょうか。北朝鮮が繰り返しているミサイル発射などの演習と、実際の攻撃をどう見分けるのでしょうか。
攻撃の客観的指標をどう定めるのかが問題なのです。
■〈その二〉その国に攻撃されると判断した場合、こちらからはどこを攻撃の的とするのでしょうか。その基地?軍事的中枢?あるいはインフラ施設のようなもの全般?
これらの場合、相手国の一般市民を対象に巻き込む危険性をどう除外しうるのでしょうか。
■〈その三〉これら相手からの攻撃の判断は自衛隊、ないしは政府の誰がどのようにし、どのように攻撃命令を出すのでしょうか。しかも、現今の軍事の進行は秒単位ですから一刻の余裕もとれないまま判断しなければなりません。だとすると、判断ミスなどで、真珠湾なみの布告なき奇襲攻撃になる可能性はどう防げるのでしょうか。
■それらを明確にしろというのではありません。なぜなら、この一から三にかけての問題については、明確な基準づくりはもともと不可能なのであって、こちら側が侵略的先制奇襲攻撃になる可能性は避けられないのです。
■真珠湾もまた、敵の攻撃に先制しての奇襲でした。しかし、その結果がどのような悲惨を生み出したかは歴史をひもどけば明らかです。その悲惨の経験から出発したはずが、今やぐるりと舞台が一周りし、「戦前」へと至った感があります。
■「歴史は繰り返す、一度は悲劇として、二度めは喜劇として」です。この笑えない喜劇役者の跳梁にどう応えるのかがいま問われています。
カマスが値打ちに手に入ったので焼き魚に。遊び心で久々の踊り串。マアマアの出来だが反省点もいろいろ。形状としては、中央部がもっと盛り上がっていたほうが見栄えがする。
他には、化粧塩が少なかったせいでしっぽが焦げている。しかし、これは仕方がない。プロは化粧用や振り用の粗塩を、別の器に用意していてふんだんに使うが、一般家庭では精錬された塩を小分けにして無駄が出ないよう使うほかないからだ。
背びれがないのは、獲れた折に網や他の魚と擦れ合って、なくなってしまったからだろう。
ついでながら、20年ほど前までの居酒屋家業では、刺し身や煮物、揚げ物は板場に任せていたが、焼き物はカウンターで私が担当していたので、30年間で万単位の魚を焼いたと思う。特に今頃は、忘年会のシーズン、20人の予約が入ればその分の焼き魚を同じ形状に串打たねばならない。
焼き魚は遠火の強火で表六の裏四が原則。これは表はちょうどの焦げ目がつくまで焼いて、裏は火の通りを補強するようにということで、これが見た目にも美しく、かつ、食してもうまい。
肉でもそうだが、魚も焼きすぎると身がぱさつき旨味が逃げる。骨の周りがまだ生焼けかなと思うところで止めて、あとは予熱を待つというのだが、これは透視術でもない限りわからない。
あの頃の、12月は通常の月の三倍を売り上げるという修羅場のような現場で、「ハ~イ!カマス塩一丁上がったよー!」と叫びながら現場に立っていた自分を、今の私が「かっこいい!」と思うこのナルシズム・・・・。
■最近の食事から
*ラーメン二題
いずれも残り物や在庫をぶち込んだラーメンだが、最近、出汁にこだわっている。
プロのラーメン屋は、鶏ガラや豚骨、削り節やアゴだし、各種野菜を煮込んで作った出汁に、塩や醤油を合わせてスープを作っている。しかし、一般家庭でそんなことはできない。
そこでその応用で、鳥料理や肉料理で出た煮汁、野菜料理出でた煮汁を捨てないでとっておき、それらを薄めたり、調味料を加えたりしながらラーメンスープを作るのだ。
それが成功したとは強弁しまい。ただ、どこにもない独特のスープになることは事実だ。当分続けてみようと思うが、ただし、すき焼き風にたっぷり砂糖を使う煮物の煮汁は使いにくい。煮物にあまり砂糖を使わない私だから出来るのかもしれない。
*焼きそば
これは普通の焼きそばだが、肉類は前日の残り、トリ胸肉のそぎ切りソティ。胸肉はもも肉の半分ぐらいで安いが、加熱するとパサパサになりやすい。
そこで、薄くそぎ切りにし、塩コショウや好みの香辛料をまぶしたものにメリケン粉をまぶし、低温でじっくりムニエル風に仕上げるとそんなにパサパサ感がなく、もも肉よりカロリー減の鳥料理になる。
*アゲを使った麺料理三題
それぞれ前日の残り物をぶち込んだのみ。
一番上は、トリ笹身の一口フライを入れた蕎麦。
真ん中は大根のおでん風煮物を使ったうどん。
下は、やはりうどんだが、青菜はレタスの外皮。青い外皮をひん剥いて捨てて買う人が多いが、私は外皮が美しいままたくさんついているものを買う。中の色の薄い部分はサラダ風に使うが、外皮の青い部分は麺類の野菜などとして使う。
レタスのしゃぶしゃぶがあるように、熱を入れても美味しい。
*五目ご飯
やはり、時々食べたくなるのだ。
*山かけとろろご飯
長芋を使っているので、「梅若菜まりこの宿のとろろ汁」(芭蕉)の風情はないが、ネギ、オオバ、すりごま、切り海苔などの薬味を使ってみた。
*ある日の夕餉
左から、チクワとオオバ、カイワレのワサビ醤油和え、白菜と豆腐・豚コマの炊合せ、ラディッシュ、摘果キュウリ、ハルサメ、サニーレタスのサラダ。
こうやって振り返ってみると、あんまりいいもの食ってないなぁ。
まあ、貧しい中での工夫の跡を観ていただければと・・・・。
あ、それと、私にとって調理はボケ防止。え? その努力にもかかわらず、もうじゅうぶんボケてるって・・・・。だよねぇ。グスン。
夜の間に降リ積もって朝起きたら一面の銀世界、しかも積雪もあまり多くなく、昼頃には解けるぐらいがいいのだが、そんなに都合よく降ってくれることはない。
夏は40度近くあっても割合苦にならないのだが、冬の寒さが苦手だ。私を拷問にかけるのは簡単だ。薄着で寒いところ放っておいたら、ものの10分であることないことすべてを吐いてしまうだろう。
この時期、寒色系は寒さを倍増する。そして、暖色系に出会うとホッとする。
そこで、最近目にした赤いものを取りまとめてみた。
■赤カブの酢漬け
赤カブといっても、中まで赤くはないから漬けたすぐは白い部分も残っている。しかし、3日もすると下の写真のように全体が真っ赤になる。その赤くなる進行は、漬物より酢漬けのほうが早くかつ鮮やかだ。
薄い皮の部分だけの赤の色素が、酢に溶け込んで全体を赤く染めるのだろうか。
■山茶花
近くの郵便ポストへ手紙を出しに行った帰り道、いつもは何でもないままに通り過ぎる小路のすこし先に、鮮やかな赤色が。
山茶花だ。長年この地域に住みながら、ここにこんなに立派な樹があることは知らなかった。
赤い花やものを撮るのは苦手だ。撮った赤がなんかベタッとした感じになりやすいのだ。なんとか苦労したが、スマホでここまで撮れればまあいいかと諦めた。
■赤い黄昏
別の日の自宅への帰路、家までもう少しのバス道路。空気中の湿気が多いのか、黄昏時の景色が赤みを帯びている。
実際には身震いするような気温なのだが、やはり暖色効果なのか、なんか暖かみのある雰囲気だった。
『キリンの首』 ユーディット・シャランスキー
細井直子:訳 河出書房新社
邦訳のタイトルでは省略されているが、原書ではその書名に「Bildungsroman」というサブタイトルがついている。その意味は、著者がドイツ人の女性であることから、ドイツ文学伝統の「教養小説」とも受け止められるが、訳者解説によればこの言葉は「進化小説」とも読み取れるということなので、そのほうが適切かとも思われる。
なぜなら、この小説の主人公、インゲ・ローマルクはギムナジウムで生物学を教えるベテランの女性教師であり、その世界観や人生観、そして教育方針も自然科学の法則によって貫かれているからである。
ようするに、この教師は、自分が教える生物学とほとんど同一の価値観でもって生活し、かつ、教えているのである。そこには、生徒個々人への情をもった私的介入の余地はほとんど見いだせない。そればかりか、家族や職場の同僚に対してもそうなのである。ダーウィン流の適者生存こそが彼女の論理であり倫理なのだ。
そうした彼女の姿勢が、現実とゴツゴツした関係の中で展開されてゆく。大半の場面がギムナジウムの教育現場でのそれだが、そこでの彼女の揺るがぬ姿勢と周辺との関係、そこに差し込まれる彼女の独白との奇妙な関係は、思わずクスッと笑いを誘ったり、あるいは先行きへの不安を感じさせたりする。
その文体もまた、そっけないほど凛としたもので、乾いた情況を際立たせている。
ユーディット・シャランスキー
淡々と進む叙述に反し、一転して彼女が危機に立たされるのも、彼女のそうした姿勢ゆえである。それが終盤、集約された形で噴出する。
それはまさに、キリンの首はなぜあんなに長くなったのかを説く進化の過程の授業の中で現れる。しかし、彼女は、授業が中断され、その危機を告げられた後もまた、そのキリンの首の講義を淡々と語り続ける。
そこでは、今や不仲というか音信すらあまりないわが娘、クラウディアがかつては彼女の生徒であった頃の過去の出来事が明らかになり、彼女の陥っている現実の危機の姿が二重に浮き彫りにされ、明らかになる。
キリンは進化の過程で、首を長くしたために他の生物には届かない食物を得たのだが、今やその首のギリギリのところまで水が迫ってきているようなものだ。
こうした彼女に対する批判はある意味で容易である。しかし、本当に彼女を責めることができるのか。「適者生存」は、弱者を生み出しながらそれへの対応を自己責任による自助として突き放す現実のなかではまさにリアルではないのか。
彼女についての最終の評価は、それぞれの読み手に託される。
この小説のバックグランドとしてもうひとつ述べておく必要がある。それは、この小説の舞台がドイツ東部で、これが書かれた2011年の約20年前まではいわゆる「東独」としてソ連を始めとする東側陣営にあったということである。そしてまた、著者のシャランスキーも東独出身で、ベルリンの壁崩壊は9歳の折であったという。
その影響が、みてとれる部分がしばしばある。生物学に関していえば、レーニン時代から評価されてきたミチューリン農法、さらにはスターリン時代に評価されたルイセンコ学説などの存在がそれである。
パブロフ(左)にマルクス主義的ではないと噛み付いたルイセンコ(右)
それらはソ連時代の集団農場などで生産性を上げるために動員されたものだが、西欧のメンデル遺伝学やダーウィンの進化論の流れとは別の方法を精密な検証なしに採用したため、生産性の向上どころか、農業に壊滅的な打撃を与え、何百万単位の餓死者を出したと指摘する向きもある。
例えばルイセンコ学説は、ダーウィンなどが否定した「後天的な獲得形質の遺伝」をあえて肯定し、生物を変革できるとした。シベリアなど寒冷地でも小麦が生産できるよう、その種を予め冷凍保存して置いてから撒くなどがその実践で、公式の「成功」の報告とは真逆で、惨憺たる結果に終わっていたのが実情だという。まさにスターリン的行政の一つの結果がそこにある。
この小説の主人公、インゲ・ローマルクはそれに与するものではないが、(むしろ厳密なダーウィン主義者である)職員室での雑談で、なおそれを評価している同僚教師がいることも描かれている。
それから、この作家・シャランスキーは生物学を愛する作家であるとともに、ブックデザイナーであり、この書の装丁も自ら行っている。ドイツ語版は、古い生物学の教科書をイメージしたといわれ、文中にも動植物や細胞分裂、遺伝子、生物系統樹などの面白いイラストがまるまる1ページ、ときとして見開き2ページにわたって描かれ、活字に追われた目を楽しませ、リセットしてくれる。
邦訳版は出来うる限りそれに近づけようとしたようで、表紙の首のないキリンのレントゲン写真であるかのような絵をどんと据えたデザインや、文中のイラストなどをほとんど忠実に再現しているようだ。
ここで私自身の告白であるが、どちらかというと文系人間で、自然科学は苦手だったが、しかし、そのなかでも生物学は好きだった。そこには、やはりこの自分へと連なる歴史があり、進化の節々にはそれぞれの「物語」や「出来事」があり、また「突然変異」などの「偶然性」を排除しないリアリズムがあったように思ったからだ。
しかし、いま思い起こすと、そうした興味をもたせてくれたのは高校時代のやはり女性の生物学の教師であった。この書の教師像とはまったく違ったが、最初の授業が教科書を捨てた野外の自然観察のフィールディングであったりして、興味深い授業であった。
この事実をこの読書レポートを書く最終段階で思い出したのは、もちろんこの書のせいともいえるが、反面、この書を手にとった潜在的要因があの頃の生物学の授業の余韻であったのかもしれない。
ここで自慢を一つ。商業高校から公立大を目指した私の受験は、当初からハンディずくめで、高校では習わなかった科目の独学を迫られたりしたのだが、この生物学についてはほとんど満点を取れたと思う。曲がりなりにも、進学できたのはそのおかげだった。
そうそう、その折の生物学の教師は後藤宮子さんといって、退職後も長良川の中流域で「登り落ち漁」という漁法を駆使して魚類や水生昆虫類の定点観測を行い、この川での生態系の変化を克明に記録した。自身、京都大学に研究員として席を置き、彼女の観測結果の全データは、今や京大に保管されているという。