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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

もう一つの2・26事件 「テロルの世紀」の前哨戦

2015-02-27 15:12:04 | 歴史を考える
         
          「サークル」という作品です。円形のなかに
           およそ20人の人がいるのが分かりますか?


  20世紀が「戦争と革命の時代」といわれたのに対し、21世紀は「テロルの時代」といわれています。
 なんの因果か、不本意にもこの世紀へ足を踏み入れてしまったばかりに、自分が生きてしまっているこの世紀について知ろうと、遅まきながらテロルについて勉強し始めました。

 今世紀がテロルの時代といわれるのは、まさに世紀の夜明け、2001年が世界貿易センターへの旅客機の突入という世界同時発信の華々しい映像を伴っていたことにもよりますが、それにショックを受けたアメリカ中心の「テロとの戦争」という「不正規な」戦争が、さらにテロルを拡大再生するという事態を引き起こし、15年を経過した現在もその趨勢が止まないことにあります。

 ちなみに「テロとの戦争」というスローガンをいったん掲げてしまうと、それは、「かっぱえびせん」のCMではないのですが、もはや「やめられない、とまらない」なのです。
 どうしてかというと、この「戦争」はかつての戦争のような主権国家間の武力抗争と違って、新しい領土の確定や、どちらかの降伏、あるいは停戦条約によって、勝利や収束が確定することがなく、「ハイ、ここまで」という区切りをつけることはできないからです。

 ですから、今日はアフガン、明日イラクと、神経質な「もぐらたたき」のように、攻撃を続けなければならないのです。テロリストは正規軍団ではありませんから、その所在も明らかではありません。ですから、この辺りとする空爆などが無関係な人びとを無差別に殺傷し、その被害者たちをテロリストのメンバーへと送り込むことになります。

 世界貿易センターを攻撃したのが、かつてアメリカが、アフガニスタンで、対ソ連(当時の)向けに組織したアルカイーダによるものであったことも皮肉ですが、今、渦中にあるISIS(イスラム国)もまた、大量破壊兵器の存在という自作自演のデマで、れっきとした独立国であるイラクに攻め入り、その国の大統領(フセイン)を吊るすというK・K・Kなみのテロルをやってのけた、かのイラク戦争の副産物だということですから、またまた皮肉といわざるをえません。

 しかし、この世紀がテロルの時代といわれるのはそれだけではないのです。
 それらは、いわゆるグローバリゼーションとの関連で生じていることからみるに、決して一過性のものではありません。というのは、この時代は同時に、グローバリゼーションの時代でもあるからです。
 したがって、それとの絡みで、暗殺などの前世紀のテロルと区別するために、「グローバリゼーション・テロル」といわれたりします。
 そして、このグローバルなテロルの特色は、対象がはっきりしないことにあります。

 世界貿易センターはたまたまニューヨークのマンハッタンにあってシンボル的だったわけですが、ある意味では、相手の政治的パニックを引き起こすようなところ、あるいはそうした事態ならば、いつどこで起こしても構わないわけです。
 あるいは、そのうちにあるぞというだけでも十分なのです。それだけで世界はヒステリックな叫びを上げ、地下鉄のあらゆる箇所からゴミ箱をかっさらってしまうのです。

 こうしたグローバルな世界進出と、それへの迎撃のようなグローバル・テロルの発端は前世紀後半に求めることができます。前世紀末のソ連圏崩壊に際し、いわゆる西側は、「よし、これで冷戦に勝利した。これからは新自由主義に基づく資本主義の地球的な制覇の時代だ」としていわゆるグローバリゼーションを加速させました。
 
 世界宗教のうち、ユダヤ教とキリスト教は近代のはじめにしてすでに資本主主義に屈服し、政教分離を受け入れていました。中国、朝鮮半島、日本などの東アジ アは、もともと一神教的な伝統はありませんから、そのままずぶずぶと資本主義化の道を(中国の場合は寄り道もありましたが)歩むことになりました。

 その点イスラム圏においては、その宗派や国家においての差異はあるものの、ヨーロッパ的な資本主義システムを押し付けられるということは、経済的、政治的、文化的、そして宗教的な伝統そのものの根底的な破壊を意味しますから、それへの抵抗は十分ありえます。
 
 その上、新自由主義をバックボーンとするグローバリゼーションは、全世界的な格差の拡大にみられるように配分的な不正義をもたらし、世界を勝者=受益者と敗者とにはっきり分割することになります。これらはまた、後進資本主義国であればあるほど不利益を被る仕掛けになっています。 
 
 そうした軋轢のひとつの臨界点が、まさに9・11でした。
 それに対するアメリカと同盟軍(日本を含む)の悪あがきが、一層テロルの条件を生み出してきたことはすでに見たとおりです。

 さて、ところで、世界貿易センターへの攻撃が、あの劇的な2001年の9・11以前にもすでにあったことを記憶していらっしゃるでしょうか。
 それは1993年2月26日の正午過ぎ、爆破物を満載したバンがタワー直下の地下駐車場で爆発、地下に居合わせた6人が死亡したというものです。22年前の昨日のできごとでした。

 テロリストは原理主義などとよばれ、前近代的なものへの単純な回帰のように思われがちです。しかしそれらは、グローバリズム近代を脅威として解した人たちのパニックとしての応答なのです。ようするにグローバリゼーションが伝統的な生活様式の暴力的な根絶を推し進めるのではないかという不安への防衛本能の加速ともいえます。
 
 その意味ではテロルの時代は科学技術を伴った資本の無際限な活動に世界を委ねてもいいものかどうかという「近代の超克」を課題としてはらむものであります。だとするならば、前世紀、まさに日本を舞台に展開された「近代の超克」との連続性を考えることもできますし、また、ハイデガーが、一時的にしろ、ナチズムに傾斜を見せたその接点もまた、「近代の超克」を問題にしたからだと考えることもできます。

 こう考えてくると、「戦争と革命の時代」といわれた前世紀と、「テロルの時代」といわれる今世紀との「断絶」ではなく、逆に近代発祥以来の「連続性」のようなものがみてとれるのではないでしょうか。その物質的基盤は、マルクスが当初、見出した商品と資本の無限の拡散というところにあるようです。
 
 だとすると、「テロとの戦争」は、次はどこかと目星をつけて見当違いな「先制攻撃」を仕掛けたり、地下鉄のゴミ箱をかっさらったりするような問題ではないことがみえてきます。
 ようするに、近代が掘り起こしたこの生産様式や生産関係の中で、諸国民が共生し、その配分における不平等が生じないために何が必要なのかの検討です。「近代の超克」などと気ばらなくともよいが、「近代の馴致」ぐらいのスパーンが要るのではないでしょうか。
 
 同時に、イスラム教においても教育などでの女性の人権が確保されるよう、その教義に関する宗教会議などの開催は無理なのでしょうか。とりあえずは、政教分離とまではゆかなくても、世俗的な分野においての寛容な教義の適用の可能性などについての検討です。





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文化の味はソース風味? 文化祭とネギ焼き

2015-02-24 00:30:44 | 想い出を掘り起こす
 21日、22日はこの地域の文化祭だった。
 校下の公民館を拠点に、いろいろサークル活動をしているグループたちによる発表会のようなものだ。
 書画、写真、絵手紙、パッチワーク、俳句、生花、などの視覚作品から、ヨガや合唱、テコンドー、ダンスなどのパフォーマンスもある。カラオケ大会もある。

          

 先般、名古屋で「アート・チャレンジ」なるモダン・アートの作品を観たばかりだが、こうしたその土地の匂いがするチマチマっとしたものも結構楽しい。
 こうしたところへ来ると、70年前の敗戦後の婦人会や青年団の手になる演芸大会や各種発表会を思い出す。

 戦時中、華美な催しなどは一切ご法度で、表現者は国策に沿った戦意高揚以外の活動は一切禁じられていた。禁を犯そうものなら、憲兵隊あたりへ連行され、「貴様ら、それで戦地で戦っている兵士に申し訳けが立つと思うのか」と、半殺しの目に逢わされた。

 それらの鬱積したエネルギーが、敗戦後一挙に吐出されたのだった。
 私が疎開していた片田舎でも、素人演芸会や、やれなにそれの発表会などといったものがかなりの頻度で催され、やがて、そのなかから各種のサークル運動などが巣立っていった。

          

 地域の文化祭はそれと共通した匂いがするのだ。少なくとも、洗練された美術館にお芸術として展示されたものたちとはまた違った別の匂いが・・・・。

 ということで、私も出品した。写真である。
 「琵琶湖の漁婦」と題するそれは、昨年、琵琶湖の沖島へ行った際、近江八幡の港で撮ったものだ。働く女性のたくましさと、瞬時の休憩の中で見せる笑顔とに魅せられてシャッターを押した。

                   

 もちろん、技術的にはまったく駄目だが、なんとなそれらしい雰囲気は捉えられたと、密かに思っている。
 なお、殆どの人がデジカメの作品だが、私のものは銀塩写真である。
 だからほとんど事後的な調整が効かない一発勝負のものだ。
 ここに載せたのも、L版の写真をスキャンしたもので、実際の感じとはずいぶん違う。(実際にはもっとシックな色合い。B4サイズ=257✕364 に伸ばすと、帽子の下の笑顔と白い歯がはっきりする。ちなみに、ノートリミング)

             

 展示されたものをひと通り観終わってから、野外へ出ると、50円コーヒー、100円うどんなどのブースが賑やかだ。そのなかで、ネギ焼き200円に目が留まった。後述するが、これには懐かしい思い出がある。
 テイクアウトでということで一枚求める。
 電子レンジで温めて、夕餉の一品になった。

【おまけ・ネギ焼きの思い出】
 数年間の疎開生活から、やっと岐阜の街へ戻ったのは1950(昭和25)年であった。
 そこではじめて覚えたのは「買い食い」という行為であった。疎開先では、子どもが立寄って簡単に買える駄菓子屋などはなかったからだ。
 キャラメルやアメ玉、夏はアイスキャンデーなどいろいろ買ったが、想い出深いのが「洋食」であった。これは公園などの屋台で買うことが多かった。

 で「洋食」とは何かというと、鉄板の上にまあるく溶いたメリケン粉を広げ、それにネギをかなり乗せ、紅しょうがを乗せると、それらを綴るように溶いたメリケン粉を適当に垂らし、ペッタンとひっくり返してその面を焼き、再び返してその面に刷毛でソースを塗り、オカカを散らしてハイ出来上がりというものだった。

 それを薄い経木でくるみ、さらには適当に切った新聞紙を巻いて、「ホイ」と渡してくれる。湯気の立つそれにウハウハとかぶり付くのだが、ネギと紅しょうが、それにオカカとソースの味が渾然一体となって口中に広がり、まさに至福の瞬間であった。

          

 ようするに、いたってシンプルなお好み焼き、あるいはネギ焼きの元祖というべきものだった。ではなぜそれが「洋食」だったのかというと、その由来はウースターソースにあった。この頃、庶民の大半の家庭では、まだソースはレギュラーな調味料ではなかった。したがって「洋風な味付け」ということで「洋食」だったわけだ。これが岐阜地方だけの呼び名だったのかどうかはよくわからない。

 ちなみに、この頃ではお好み焼きにマヨネーズというトッピングもあるようだが、その頃の私たちは、この世にマヨネーズというものが存在することすら知らなかった。まあ、一般家庭の調味料といったら、塩、砂糖(これは戦後しばらくまでは貴重品だった)、味噌、醤油、それに箱式の削り器がついた鰹節、昆布、といった時代で、家庭での洋風料理などほとんどなかったのだから、「ソース味」即「洋食」という短絡も可能であったわけだ。

 で、文化祭で買ったネギ焼きだが、懐かしい味だったが、欲をいうと、もう少しネギを沢山入れてほしかった。
 え?何ですか?お前いくら払ったのかですか?ハイ、200円です。

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な~んでもない、ごく普通~の日記 18日・19日

2015-02-22 00:10:41 | 日記
2月18日(水)
 午後から県立図書館へゆく。既読分を返し、興味のあるものを3冊ほど借りる。返却まで3週間だから、これぐらいが限度だろう。
 老齢による理解力減退と、ノートをとって読むための遅読、それに興味があると他の枝道へ行ってしまうでたらめな読書法のせいで、いつも読了は遅れる。

 当初借りたのは、
 「テロルの時代と哲学の使命」 ハーバーマス、デリダほか(岩波)
 「革命の芸術家 C・L・R・ジェームズの肖像」ポール・ビュール
 「デリダ 10年目の遺産相続」 「現代思想」臨時増刊号
 の3冊。いずれもボリュームがあって読み応えがありそうだ。

 それで出ようとして、ふとカウンターの掲示を見たら、次の返却日は3月の22日とある。棚卸しか何かで通常より一週間延びているのだ。
 「ラッキー」とばかりに取って返し、もう一冊小むづかしいものと、小説「風の影」(カルロス・ルイス・サフォン)上下2巻を借り足した。
 でも4週間で完読できるかどうかは自信がない。

          
 図書館を出ると、黄昏の気配が漂っていた。

2月19日(木)


          出発前の岐阜駅付近と到着した名古屋駅付近
 
 同人誌の編集会議で名古屋は上前津へ。欠席の人もいてやや寂しいが、それでも次号の最終段階の確認がとれてホッとする。
 会議終了後、松坂屋に用があるというYさんと栄方面へご一緒する。
 Yさんとはお互い18の時からの知り合いだから、もう60年近いお付き合いになる。はじめてお目にかかったあの紅顔の美少女と美青年(?)の頃からは想像もできなかった長いお付き合いだ。人の世のエニシは不思議なものだ。

 
 Yさんの目的地で別れて私は愛知県芸術文化センターへ。
 映画を見る予定があるのだが、それまでにずいぶん時間があるので、なにか面白い美術展でもやっていないかなと思ったのだ。
 メインの催しにはなんとなく食指が動かなかったので、館全体で展開している「アーツ・チャレンジ」といういわゆるモダン・アートの展示を見て回ることにする。これは、「あいちトリエンナーレ」の前哨戦のようなもので、館内の各展示を観て歩くスタンプ・ラリーになっていて、それに従って回る。

          
 会場は、12階、11階展望回廊、2階、B1階、B2階と分かれていて、結構の運動量になる。上前津から地下鉄二駅分を歩いてさらに歩くのだからかなりのものだ。
 ちなみにこの日の歩数は約1万歩を記録した。これは昨年末、肺炎を患って以来のもっとも多い運動量といえる。

 さて、肝心の作品だが、私が一番面白かったのは11階展望回廊の全体を使った鳴り交わす硝子の器たちであった。タイトルは、「Sound of the Sun」。


 回廊の窓沿いに大小、色とりどりのガラスの器が並べられている。その器に入っている白い端子のようなものが振動すると、それぞれの器がチンチンとかカチカチとかかすかな音を立てる。一つ一つのそれらは耳を澄まさないと聞こえないぐらいなのだが、そうした器がズラリと100個近く並んでいるのだから、それぞれが放つ微音が混じりあったハーモニーとなって、優しく回廊中に響き渡っている。
 もちろん、耳を聾するようでは決してないし、音源が多いせいで音の指向性が曖昧で、まさに全身を包み込む感じの音だ。

   
 で、どうして端子が振動し硝子の器を鳴らすのか、その仕組を折から自分の作品を点検に来た作者(片岡純也氏)にじかに訊いてみた。それによれば、ガラス窓に取り付けられた超小型の太陽電池が、まさに太陽のエネルギーを振動に代え、それが器を打って音に代わるという仕掛けなのだ。したがってこれは、まさに「太陽の音」なのだ。
 そして彼はこう付け加えた。
 「今日は最高の音なんですよ」
 というのは、太陽電池の性格からして、日照によってその機能は異なる。そして私が観に行ったのはこの時期としては最高にいい天気の日だったのだ。


 音もだが、陽射しを受けた硝子の器のシルエットも美しい。
 私はすっかり気に入って、この回廊を二往復した。
 
 ラリーのスタンプを埋め尽くしてすべてを観たのだが、やはり私のイチ押しはこの「太陽の音」だった。
 これは、この回廊にあっても決してじゃまにならないから、常設でもいいくらいだと思った。
 スタンプを埋め尽くした記念品にちょっとした小物を貰った。

 そうこうするうちに、予定していた映画の時間が近づいたので駅西のシネマスコーレへ。

              
             駅西から見たツイン・タワー
 その映画についてはもう「つぶやき」に書いたので、そこからの引用。
 「安藤サクラ主演の『百円の恋』を観る。(安藤さんは)『かぞくのくに』で好きになった。この映画でも素晴らしい。前半の表情、ボクシングに熱を入れはじめた表情、試合の 表情、それぞれが別のキャストと入れ替えたかのように変わる。やっぱり役者だ。最後、勝ってしまったらつまらないなと思って観ていたが、監督は期待を裏切 らなかった。」

 昼食以後あちこち歩きまわったので腹ごしらえをということで、スコーレの前の「cafeロジウラのマタハリ春光乍洩」へ。
 店主のりりこさんとはネット上でおなじみだからあまり久しぶりという感じはない。
 カウンターで、彼女が応援していてくれる同人誌などの話や最近観た映画の話をする。

 横では私の孫ぐらいの若い子が二人、何やら「片思い」について話している。帰りがけに、隣へ、学生時代にシネマテークへよくきていたという女性がやってくる。こちらは私の若い姪ぐらいの歳頃だろうか。

 ちょっとめげそうな家庭の状況の中で、転職を巡って努力をしているところらしい。ある意味では深刻な内容を含むのだろうが、それを話す彼女の表情や声は意外と明るい。
 「片思い」の子たちも、隣に来た人も、ここへ来る女性(男性はあまり知らない)はみんなとても素直な人が多いようだ。やはり、りりこさんの人柄だろうか。

 「みんながんばれ!」と胸の内で叫んで店を出る。
 久々の長時間の外出で、しかも結構歩いたせいで疲れてはいたが、なんとなく夜風が清々しく感じられた。

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何万年か後の人類へのタイムカプセル

2015-02-18 23:05:13 | よしなしごと
          
 私の生命はおそらくあと数年だろうと思います。
 しかし、私はこの世に生を受けた結果、私がそこに属すことになり、まあまあ私と親しく付き合ってくれた人類というもののことを考えざるをえないのです。

 今生きている人類については、私の限定された視野の中で何ごとかをいったり、お付き合いをしてきましたが、ここで述べようとしているのは何万年先の人類についてなのです。

 その題材は原子力発電所です。
 私はかねてより(3・11以前より)これに反対してきましたが、ここでそれを繰り返そうとは思いません。
 否、むしろ、原発賛成派、再稼働推進派の原発安全神話をすべて肯定した上で話を進めようというのです。

 その人たちの言うように、原発は絶対に安全であることをとりあえずは認めましょう。
 ところで、これはそれらの人も確認している事実ですが、原発からは使用済みの核廃棄物が出ます。その量は、この国だけで毎年、1,000トンになるそうです。
 それらはどのように保管されているのでしょうか。

 まず、放射線量の低いものはドラム缶に入れて地下4メートルに何年か保管するのだそうです。では高放射線量で人類の生命や健康にかかわるものはどうするのでしょうか。この高放射線量というのは数万年間の隔離が必要だといわれています。

 それらは、300メートルの地下に埋めるのだそうです。
 ただし、NHKのニュースセブン(17日)によれば、現在のところその埋設に同意する自治体は皆無だとのことです。
 しかし、そのうちに、特別地方助成金などにつられて埋設を承認する自治体も出てくることでしょう。

 めでたし、めでたしですね。
 しかし、私の不安はここから始まるのです。
 おそらく、その埋設物には、万一それを掘り出したとしても、決して開けたり毀損してはならないという注意書きや記号が様々な形や言語で記されていることでしょう。

 ですから、これから十年先、数十年先の人がこれを掘り出したとしても、彼らはそれを理解し、決して開けたりはしないでしょう。
 しかし、話は何万年か先まで続きます。

 例えば、これから一万年先の人類がそれらを掘り当てたとします。
 彼らが今よりはるかに進んだ種族に進化しているか、あるいは、たえざる争いや文明の荒廃のせいで退化しているかそれはわかりません。

 問題は、その廃棄物に付与された危険表示やそれが何ものであるかの文字記号を彼らは解読できるかということです。ようするに、一万年後の彼らは、進歩や退歩はともかく、今日私たちが使用している文字記号などを解読できる共通のコードをもっているでしょうか。

 彼らは、今日のわれわれの言語を媒介としたコミュニケーションとは全く違ったコミュニケーション・スキルへと到達していることは十分考えられます。
 あるいは、言語や文字に相当するコミュニケーション・ツールをもっていると仮定しても、それらが、私たちの現今の文字記号を解読しうる共通のコードをもっているとは考えにくいのです。

 考えても見て下さい。私たちはわずか2,000年余前のロゼッタストーンの解読に20年余を要しているのです。5,000年以前の楔形文字に至っては、その存在は明らかなものの、ほとんど解明には至っていないのです。

 現在、人類の文化は幾何級数的に変化しています。デジタル文明は始まったばかりです。これにより、コミュニケーション・ツールはPCを始めとしたハードの面ばかりではなく、言語記号などのソフトの面で飛躍的に変化するでしょう。

 ようするに、一万年後の人類に、危険なものを危険と伝えるコードを私たちが持ち合わせている保証はないのです。
 にも関わらず私たちは、将来の人類を滅ぼしかねない危険なタイムカプセルを、我が国だけで毎年1,000トン、世界では何万トンかを埋め続けなければならないのです。

 冒頭に書いたとおり、私の余命はさほど長くはありません。
 しかし人類は、地球規模の核戦争などがない限り、生き延びるかもしれません。
 その未来の人類に、数万年単位の危険なタイムカプセルを押し付けて私たちが生きているのだということを知るべきです。

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「タコツボ的思考」について考える

2015-02-15 14:51:04 | 日記
        
 前回は情報の無政府的ともいえる多様化の中で、かつての、根幹といえる部分を共有しながら、それから派生する幾多の枝がはえているような樹木のイメージとして考えることが不可能になり、いわば、枝葉が直接地面のあちこちから生えるような個別化された情報群とそれに依拠した人びとの群れを仮説的にイメージしてみた。
 
 これは一面、情報のタコツボ化ともいえる。おのれの入っているタコツボを唯一の世界として、通時的(歴史的)、共時的(世界空間的)な連鎖(=いわゆるコモン・センス)から切り離された情報の授受ということである。

 これは、自分の都合の良い情報のみで武装するネウヨといわれる人たちに典型的で、確か津田大介氏が言っていたと思うが、その大半は、週刊誌の見だしや、本屋の店頭に平積みにされている嫌韓嫌中本のタイトルぐらいしか見ておらず、自分で検証することもほとんどしないといわれる。

 もっとも、中にはとても詳細に歴史修正的な文献を読み漁っている人もいて、一般的な通史ぐらいしか知らないとつい圧倒されてしまうようなこともあるのだが、にもかかわらず、そうした人の参照文献がもともとそうした傾向で書かれているものばかりだという点で、タコツボの中でのディレッタントといわれても仕方あるまい。いわば自分の尻尾を追いかけているようで、蟻地獄的な深化はあっても他者との交流は予めカットされている。

 ところで、ここで書こうとしているのはネウヨといわれている人たちの批判ばかりではない。いわゆるサヨクといわれる人たちにおいても、こうした傾向があるという事実である。
 安倍と聞いただけで拒否反応を起こし悪口を書き立てる人たちがいる。もちろんそれは結果として当たっている場合もあるのだが、やはりネウヨ諸君と同様、しかるべきデータと突き合わせた上での検証と、それに基づく思考や判断を経過していないだけに空疎な悪口にしか響かない場合がある。それのみか、いわゆるブーメラン効果として自身の言説を危うくするものもある。それらのうちには、ネウヨ諸君と同様、とんでもない差別思考を内包している場合もある。

 私自身が最近経験したことでは、曽野綾子の「人種棲み分け論」などのレイシスト的発言を鋭く批判しているかのように見えた人が、彼女の主張する、「老人は放射線の高い地域へ行き、そこで除染などの作業をし、汚染された食物を摂取しろ」という主張には全面的に同意するというのに出くわしたことである。

 彼の論理によれば、今日の事態を招いたのは老人の責任であり、どうせ老い先短いのだから「前途ある若者」のために犠牲になってしかるべきだというのだ。
 この人は、社会に存在する多様な存在者を勝手に序列づけし、しかも「若者」、「老人」という極めて大雑把な括りで一方を肯定し、一方を否定している。こうした思考は、レイシスト同様、否、ある意味ではそれ以上であるといえる。この地球上で誰が生きて誰が死ぬべきかを決定すべきだと主張している点ではナチズムといささかも変わりないのであるが、そうした言辞を振り回しながら、なおかつ「サヨク」でいられるのだ。

 彼は自分が何を言っているのかを全く理解していない。ようするにそうした言説がネウヨ諸君と同様、そして、得々と批判している対象である曽野綾子と全く同様の、とんでもない差別思考そのものであることにはまったく無自覚なのだ。
 彼もまた、自分の言説を通時的、共時的な展望を欠いたままに振りまわすタコツボ思考の典型であるように思われる。その思考は、単純に「人民の敵」を見出しそれを抹殺するというスターリニズムにも通底している。カール・シュミットは「奴は敵だ、奴を殺せ」が政治の根幹にはあると語った。ただし、カール・シュミットは前世紀の政治と戦争の時代のもっと深い思考のなかからこのテーゼを見出していて、単純に誰かを名指せといっているわけではない。

 これらは極端なネウヨと自称サヨクの言辞であるが、ことほどさように、私も含めた私たちの言説空間は著しく個別化されているように思う。ようするに、自分のタコツボの中でのみ通用する言説を振りかざし、それが何を意味しているかについては完全なアパシーになりうる可能性があるのだ。

 はじめに書こうとしていたことからだんだん逸れてきたが、いずれにしても独善的な言説がもたらす不快感は拭いがたいものがある。しかしながら、それらを越えてコミュニケーションや応答可能性が成立する場をどのように生み出してゆくのかが現実の課題であるとしたら、そうした一見、否定的に見える状況こそがある意味で「可能性の条件」であるのかもしれない。
 ネットの可能性をも含めて、それらを考えてゆきたいが、私のイメージとしては、タコツボ的に分散された情報や思考の群れを、通時的・共時的な検証の場に、どのように関わらせてゆくことが出来るのか、あるいは私自身が関わって行けるのかが鍵のように思われる。

 さらに考えてみたい。
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情報が多すぎて話が通じない?

2015-02-11 16:52:41 | よしなしごと
        
 タイトルはようするに「情報過多時代がかえってディスコミュニケーションをもたらしているのではないか」ということについてである。

 母である女性の友人のFBを観ていたら、自分の子供についてのある種の不安のようなものが綴られていた。
 かつてはとても普遍的でみんなが知っていたような童話を自分の子が知らないことに関してだった。もちろん、その子の怠慢だとかいった問題ではまったくない。
 要するに現在は、情報やそのソースが実に複雑にかつ多様化しているので、かつてのようにスタンダードな何かといった普遍的な共通項そのものが見いだせなくなっているのだ。

 これらは、文学や音楽といった分野でも一般化している。
 かつてのベストセラーといわれた文学作品などは、いわば社会的現象であり、それを直接読んでいない人も、そのダイジェストを知っており、共通の話題には成り得たのだった。
 音楽も、ミリオンセラーといわれるものは、そのジャンルのいかんにかかわらず、殆どの人たちが知っていたし、またメディアも繰り返しそれを放送し、否が応でも共通の話題になったりした。

 ようするに、情報が限定されていたため、そのなかからセレクトされ、突出したものに関しては、それを肯定するか否定するかにかかわらず、広く普遍性をもつ情報として流布したといえる。

 私は古い人間だから、若いころの思い出というと一挙に半世紀以上、ないしは60年、70年と遡ってしまうのだが、私が物心ついた戦時中は、情報そのものが大政翼賛会や大本営方式で一元化されていて、それ以外の情報はなかった。
 もちろんそれらは統制され恣意的に限定されたものであったから、その外部にも情報はあったのだが、それは庶民には閉ざされていた。統制の枠を超えてそれらの情報に接しようとする極めて少数の人たちがいたが、彼らは、非国民としてひどい場合には憲兵隊へしょっぴかれ、治安維持法違反で牢へと繋がれたり、その生命を奪われたりした。

 敗戦後、そうした桎梏はなくなったが、情報発信機能とそれによる情報量はまだまだ限定されていた。
 新聞や雑誌という活字媒体のほかは、ラジオしかなく、そのラジオも、NHKに限定され、しかもその選択肢は第一放送、第二放送の二つのみだった。
 そうそう、映像を伴う情報としては映画を挙げるべきだろう。戦後、急速に伸びたスクリーン数は、1950年代の後半から60年にかけて、全国で7,500ほどであったが、2014年末では3,360ほどである。*

年配の方の実感としては映画館はもっと減っていると思われるだろう。
 実際にかつては街のあちこちにあった映画館は今では見る影もなく、実感としては10分の1に減ったといっても誇張ではない。この落差の秘密は、上の統計がスクリーン数によるものであることによる。3,360ほどのスクリーン数のうち、一般映画館は約450ほどであり、残りの2,900余はシネコンのものである。そしてそれらは、大都市その周辺に位置するなど著しい偏りを見せている。結果として、徳島、高知、鳥取などでは全県で10のスクリーンしかないことになる。
 また、富山県、奈良県、島根県では、シネコン以外の映画館は0となっている。

 
 
 話がだいぶ逸れた。
 ようするにかつての私たちは、限られた情報源による限られた情報の共有を余儀なくされ、したがって人々の間に共有される情報内容も限定され、その間のコミュニケーションもそうした共有された情報に依拠するものであった。

 しかしやがて、民放の解禁、TVの普及、紙媒体の多様化、そしてPCなどIT機器に依存した情報資材の普及につれ、情報の量とそれがカバーする領域は飛躍的に拡大した。
 各種情報の媒体は、無政府的にそれぞれの情報を吸収し、そして拡散するに至っている。「メディアはメッセージである」として、メディアを単なる媒体としてではなくそれ自身のメッセージ性を喝破したのはマクルーハンであったが、事態はまさのそのように、あるいはその思惑すら越えて進んできた。

 こうしたなか、人びとが共有する根幹的普遍的な情報が確固としてあってその幹からそれぞれの情報が分化してゆくという樹木でイメージされる組織化された情報のあり方そのものが無効になりつつあるのだと思う。
 共通の幹などはもはやなく、地表からそれぞれの枝が思い思いに伸びているというイメージであろうか。

 冒頭に述べた、情報ないし教養においてのわが子との共通項の喪失を指摘する母の話は、このような情報の無政府的な拡散の結果を反映していると思われる。

 実際のところ、無限に拡散される情報に、有限な個人が対応しきれるわけがない。
 だから人々は多くの情報を諦め、放棄する。ただし、将来、有用なものはクラウドのように外部の蓄積機能に頼ったり、今すぐ必要なものについてはGoogleのような検索エンジンを用いたりする。

 私ももちろんそうした利用法をしているのだが、これらにもいろいろ問題があるようなのだ。

 長くなったので以下は後日に。

テキストなどのダイジェスト化、検索機能についての問題
根幹なき情報の漂泊とその恣意的利用の例 ネウヨ?ブサヨ?
情報過多によるコミュニケーション不在の問題
にもかかわらず、テクノロジーを忌避できないということ

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雨の日曜日の「多和田語録」

2015-02-08 16:24:33 | 日記
            

 立春過ぎとはいえ2月の雨は、冷たく陰鬱で、まさに「春は名のみの」ですね。さまざまな世事の陰惨な模様もいっそう気を重くするようなものばかりです。

 ちょっとそれらから離れて、この前読んだ、多和田葉子さんの『言葉と歩く日記』(岩波新書、2013)から、面白いと思ってノートしておいた、「多和田語録」のあれこれを。

文中にあまり意味のない言葉を入れること
 いわゆる「虚辞」、多和田さん曰く「詰め物言葉」。
 「つまり」「結局」「ようするに」「なぜか」「したがって」「いってみれば」などなど。
 これらはリズムを整える働きもありますが、大抵の場合、なくてもいいようです。
 にもかかわらず、これらが多用されるのは、「はっきりいわないことによって角をなくす」ためだろうとのことです。
 しかし、多和田さんの鋭い指摘は続きます。
 「このはっきりいわない」は「言葉に籾殻をまぶす行為」だということなのですが、しかし、籾殻をまぶさずにはっきりいって、その結果、世間の批判を浴びることは「それだけの価値があること」で、「言葉にとっては致し方ないこと」だというのです。
 これには圧倒されました。

 なお、自戒ですが、当初、そうした「詰め物言葉」を多用するのは中味の貧弱な政治家たちの言葉だろうと思っていたのですが、な、なんと、私自身の書く文章にもそれらが多用されているのです。
 ショックです。以後、それを意識して書くようにしています。

「産婦人科」という日本語の奇妙さ
 ドイツには「産婦人科」はないのだそうです。
 なぜなら、産まない女性も対象にするのになぜ「産」がつくのか、また独身の女性も利用するのになぜ「婦人」なのかということだそうです。
 ドイツにあるのは「女性科」(Frauenarzt)で、これは「Frau(女)」と「Arzt(医者)」を単純に組み合わせた言葉だそうです。
 「お前が産め!」というお馬鹿な野次をとばすどこかの議員さんを彷彿とさせる話ですね。

「古事記」の「ワニザメ」について
 「古事記」の「ワニザメ」については、日本にワニはいないから、フカやサメのことだとされています。小さい頃に見た絵本でも、そうした魚の絵が描かれていました。
 しかし、本当にそうでしょうか。
 フランスの社会人類学者、民族学者・レヴィ=ストロースが収集した世界中の神話や民話には、同類の話がいっぱいあって、もちろんこの「因幡の白兎」とそっくりな話もあります。
 そうしたトランスナショナルな神話や民話の構造を背景に理解するためにはワニでも一向にかまわないのではないかというわけです。
 何でも合理主義的な解釈の枠に押し込めようとするのは、想像力を損なうばかりか、かえって知的探求の動機をも閉じ込めてしまうということでしょう。

縦書きの問題
 ネットではこうした横書きが一般的ですが、日本の書物、とくに文系のものや文学作品は縦書きが普通です。
 しかし、この縦書きは今や圧倒的少数派というかほとんどなくて、日本の他にはモンゴルぐらいらしいのです。ただし、モンゴルの場合は左から右へと読み進めるようです。
 韓国や中国の若い文学者に縦書きの日本の文学書などを見せると、「なに、これ」と珍しがるようです。

柳宗悦の「侘」論
 侘は、「ものの足らざる様」といわれます。いわば「不完全の美」ですが、かといって「不完全を求めた」ものでもないようです。
 いってみれば「完全・不完全」の区分を超えたもの、つまり「完全からの自由」のことだそうです。
 西洋形而上学の超克とも通じる視点があるようです。

飛行場について
 最後に、ダジャレっぽいものをひとつ。
 「羽田」は飛行機に羽がはえているからそれでいいが、「成田」は田畑を潰して作ったのに、なぜ「成田」なのか、とのことです。

 こんなことを書いていたら、雨はすっかり上がり、西の方から明るくなってきました。

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「神なき時代」のカリカチュア? 『神は死んだ』を読む

2015-02-04 17:24:27 | 書評
            

 ロン・カーリー・ジュニアの『神は死んだ』を読了。
 表題作を含む9篇の短編からなるが、それぞれが状況的に、あるいは登場人物としても絡み合ってくる連作短編である。
 
 「神は死んだ」は、いうまでもなくニーチェの言葉だが、この小説は人間の姿をした神の具体的な死を冒頭の一篇に置き、以下は神なき時代の状況を描くという構成になっている。
 
 そしてこれらの全体を貫いて、世界ではなぜかポストモダン軍と進化心理学軍とが戦争状態にある。前者はアメリカを示唆し、後者は中国を示唆しているが、それは相互の「国益」を賭けた戦いというよりも、「神なき時代」の解釈を賭けたイデオロギー戦争の様態を示している。

 ポストモダンがニーチェの「神は死んだ」と親和性をもつことはわかるが、進化心理学というのは不勉強でよくわからない。いろいろググっていたら、《心とは空白の石版ではなく、はじめから描かれている輪郭線と、経験によって埋められるのを待つ空白部分を持った「ぬりえ帳」である》という言葉にゆき当たった。それでも、これがなぜ「神なき時代」の一翼を成すのかはよくわからない。ニーチェのいわゆる「遠近法」からの演繹だろうか。

 ポストモダンについても現実的、具体的に展開されたそれとは少なからず違うようだ。この書では、それに侵された人たちは価値相対主義により価値判断や感覚をも麻痺したアパシーに陥るかのように描かれているが、現実のポストモダンはそうした相対主義をも俎上に乗せながら、それをどう克服するかも視野に入れていたからである。

 本家本元のニーチェにしたところで、「神の死」の確認をもって「なんでもあり」と説いているのではない。むしろ、既成の価値や本来性を欠いたところでの判断をしてゆくための強靭さ(彼はそれを「超人」のイメージで語る)を強調しているに過ぎない。

 そうした意味で作者の「神なき時代」へのアプローチが気になるが、解説を読んで、彼の「神なき時代」がニーチェよりもむしろドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』からの一節、「神がなければすべてが許される」によるものであることを知り、なるほどとも思う。

 こうした点はともかく、小説としてはその発想といい、展開といい実に面白いし、鋭い文明批評になっている箇所もある。

 神が妙齢の黒人女性の姿でスーダンの難民キャンプに現れる冒頭、そしてそれがブッシュ政権において国務長官を務めたコリン・パウエルと絡むという奇想天外な書き出しは度肝を抜かれる。

 神を失った人びとの信仰心が子供に向かうという「児童崇拝」を取り締まる男を主人公にした「偽りの偶像」も面白い。それに、神を食べてしまって知能が発達した犬とのインタビューなどという発想はどこから生まれるのだろう(「神を食べた犬とのインタビュー」)。

 「救済のヘルメットと精霊の剣」と最後の「退却」は同一の主人公の物語として文字通りの連作をなしている。
 そして連作のラスト、自分たちの世界が破壊されようとしていることすらもはや感得できない人びとの間を抜けて、少年と若者を乗せたトラックが疾走する。

 このレビューの前半に書いた、「神は死んだ」の解釈はともかく、ある種の文明批判を含んだSFとしても、起こりうるかもしれない近未来への警告としても、なかなか含意のある小説である。

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平成の「サムライ」中東を往く

2015-02-03 14:59:07 | 日記
        

 安部首相の今回のイスラエル行きがいろいろな意味で話題になっているが、別に彼が単独で行ったわけではない。いわゆる財界筋の人達がぞろぞろ同行している。
 私などの下衆の勘ぐりでは、今回の2億ドルの「人道支援」という「後方支援」を回収するためのビジネス・チャンスを狙った動きで、もちろん事前に、政・財の間での作戦が練られた上でのことであろうと思う。

 友人の田中猪夫氏は、1月18日にエルサレムで開催された「日本・イスラエル・ビジネスフォーラム」の内容を伝えていて、昨年7月に行われた同様の会との比較検討をされている。
 私にはその違いはよくわからないが、前回が比較的スタンダードなメンバーだったのに対し、今回はやはり「おともだち」色が強くなったのかなぁとも思う。

 そんななか、知っている人はとっくに知っているのだろうが、(株)サムライインキュベートという私の知らない会社があって、その「サムライ」が何を意味しているのかよくわからないのでググってみた。
 ようするに、「起業家支援」をする会社なのだそうだが、そのHPがなかなかのもので、なんだか新選組に勧誘されたような気分になる。

 http://www.samurai-incubate.asia/

 別のところで、この会社のCEOのインタビュー記事を見つけたので読んでみると、最初に出てくるおどろおどろしい漢字の8文字の意味するところは以下の様らしい。

サムライインキュベート八つの魂
 《義》社内・社外に対して、常に誠実であるべし
 《礼》非道な行いを禁じ、社内・社外に対する行いに敬意を払うべし
 《勇》行動を起こすことを恐れる人々の中から先陣を切って決起すべし
 《誉》名誉に重きを置き、それをもって己の価値とすべし
 《仁》慈愛の精神を重んじ、あらゆる局面において行われたものも同然とすべし 
 
 《誠》事を実行すると言った際、それはすでに行われたものも同然とすべし
 《忠》己の主君、信ずる者に対し限りない忠義を尽くすべし
 《挑》目指すべき目標は、自らに挑む目標つまり、120%以上達成を意味すべし

 「忠」などはいささかアナクロの臭がするが、まあ一つ一つはそれなりにいいとしよう。しかし、このように徳目を列記する場合、その間に矛盾が出てくることは当然ありうることで、例えば、「忠」と「義」が離反する場合があるし、「勇」と「仁」との間にも矛盾はありそうだ。
 いずれにしてもこのような羅列は、それらの優先序列を決める上位の規律を必要とするのであり、このままでは何もいったことにはならない。せいぜい、自分の行為をそのどれかひとつにプラグマティックに当てはめて正当化することにしかならない。ようするに、「なんでもあり」なのだ。

 どうやら、この8文字は、「南総里見八犬伝」の「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」のパクリのようだが、「智」が欠落しているのが象徴的である。

 まあ、いかにも安部首相好みの人選ではある。
 人質事件が公になったのはその二日後だった。

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「理由なき殺人」の記号論と価値論

2015-02-01 01:04:07 | 社会評論
       

 人を殺すということがひとつの記号(「シニフィアン」といったりしますが、この際それはどうでもいい)であるとすれば、その記号で意味されるもの(「シニフェ」といったりしますが、それもこの際どうでもいい)は「憎しみ」や「恨み」、「金銭欲」、あるいは「戦場での功名」などでしょうか。
 こんな回りっくどいいい方をしなくても、単純に動機といっていいでしょうね。

 ようするに殺人という記号には、その記号で意味される内容、つまり動機というものがあるというのが普通であったし、いまも大半はそうであろうと思われます。

 しかし、近年、そうした動機を欠いた、いわば殺人という記号がひとり歩きをする例が増えてきたように思うのです。
 私がそれを強烈に意識させられたのは2001年の池田小学校の無差別殺人事件でした。小学生8人を殺害したこの事件は、極めて広い意味では犯人宅間守の世間一般に対するルサンチマンがあったとはいえ、小学生たちへの直接の動機は認められません。彼は法廷で、小学生たちの犠牲は彼が死刑になるための踏み台であったに過ぎないと供述しています。

 それらを調べているうちにその頃から、動機を特定しにくい殺人が結構多いことに気づきました。ようするに「殺すために殺す」という殺人が増えたのです。
 それらの凄惨な内容はいちいち列記しませんが、ざっと見ても以下のようなものが目につきます。

2000年 豊川市主婦殺人事件 
2005年 静岡県県立高校1年の女子生徒による母親毒殺未遂
2007年 福島県県立高校3年の男子生徒による母親殺人と頭部切断事件
2008年 秋葉原無差別殺傷事件
2013年 神奈川県での母親殺人と解体
2014年 佐世保女子高生殺害解剖事件
2014年(発覚は15年) 名古屋の女子大生による殺人

 冒頭に、意味内容のない記号を連想すると書きましたが、同時に、使用価値なき交換価値という言葉も考えたりします。
 商品というものはそれ自身の用途にとって有用な使用価値がベースにあり、それによって交換が可能になり、ようするに売れることによっていくらかの交換価値として実現するのですが、「理由なき殺人」、あるいは「殺すために殺す」は、有用性に基づく使用価値を欠いた交換価値の一人歩きに似ているような気がするのです。

 そんなことを考えるのは、最近のTVのCMなどを見ていると、その商品の使用価値がよくわからないものがとても多いからなのです。 
 これは私自身の老齢化により、それらへの情報に疎くなっていることが考えられます。また、商品の世界が限りなく細分化していることにもよるのでしょう。

 しかし、なおかつ、使用価値が不分明で、それがなくなっても一向にかまわないものが氾濫していることも事実です。また、いいから売れているのではなく、売れているからいい商品なのだという逆転現象があることも事実です。

 資本主義というのは資本の増殖が第一課題ですから、その商品の使用価値がなんであれ、売れて資本を回収し、なおかつ資本を増やす商品がいい商品なのは当たり前のことなのです。
 もちろん、売れるためにはいい商品をという志向が働くことは当然でしょう。しかし一方、売れさえすればという動機のもと、CMでがなりたてるという商品もあります。

 何がいいたいかというと、使用価値を欠いた商品は存在するし、それらは日々増殖しつつあるということです。
 早い話が、ここにとても有用だが(この基準も問題ですがそれはひとまず棚上げにします)売れない商品があり、また一方にはあまり有用性は認められないが売れる商品があるとしたら、資本は前者から後者に容易に移動するでしょう。
 株式市場がそうです。株を売買する人たちはその会社の商品の有用性よりも、売れ筋の商品を有しているかどうかを判断基準にして投資を移動させます。「火」を売る会社から「水」を売る会社への移動は極めて容易なのです。

 かくして、交換価値偏重の傾向、あるいは交換価値しか見えない視線の増殖はどんどん進んでいるように思えるのです。

 別に「資本論」の続編を書いているのではありません。世相そのものがこうした風潮と関連があるのではないかと思うのです。
 この小論の出発点であった「動機なき殺人」を指示内容(シニフェ)を欠いた記号(シニフィアン)に例えましたが、これは同時に、使用価値を欠いた交換価値との関連に相当するように思うのです。

 というのは、記号というものが他者とのコミュニケーションを仲立ちするとしたら、種々雑多な商品を仲立ちする記号は交換価値、つまり「いくらか」ということなのです。
 そしてこの「いくらか」という基準がひとり歩きする時代においては、「殺人」や「愛」や「セックス」などすべてがその記号内容を欠いた、つまり意味内容を欠いた記号として一人歩きをするのではないかというのがこの小論の仮説なのです。

 そして、最後に言い足しますが、私のように記号内容や使用価値にしがみつく時代は終わったのかもしれないとも思うのです。そしてそれが、「0と1」に還元される記号の時代の新しい論理や倫理かもしれないとも思うのです。
 しかし一方、それらの全面展開は、どうか私の死後にしてほしいとも思っているのです。といっても、あと僅かですが。

 
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