六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

目指せ極楽! 閻魔との論争に勝利するために!

2010-09-28 02:44:37 | 現代思想
 秋晴れの一日、といっても夕方から雨に降られたのですが、若い人たちとの哲学の勉強会に出かけました。テキストは、ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』です。

     
 
 老い先短い身がいまさら勉強してどうするんだ、何ら世のため人のためにならないだろうというご指摘はよく分かります。
 しかし、私には私の事情があるのです。

 もし私があの世とやらに旅立つとしたら、その経費は心配ありません。なにせ、三途の川の渡し賃が私のハンドル・ネーム=六文錢だからです。
 問題はその後の閻魔との論争です。
 私の生前の行いからしたら、確実に地獄行きです。
 でも、ここで閻魔との論争に勝利したら・・・、そこに私は光明を見いだすのです。

     
           会場に向かう途中で見かけた曼珠沙華

 ですから勉強します。
 閻魔のレトリックにひるまないレトリックを獲得するために。
 「語り得ぬものについては、人は沈黙せねばならない」
 と、閻魔に言ってやったらどうでしょう。
 あ、これはダメですね。
 閻魔が、「俺は人ではない」と言ったらもうアウトですものね。

     
            ホラ、ちゃんと勉強しているでしょう

 勉強会はまさにここを巡って論争になりました。
 ヴィトゲンシュタインはその言語批判により、語りうるものとして論理的言語や科学的命題を限定しましたが、それらは沈黙すべきものを内側から限定づけたに過ぎず、本当に重要なものは明晰に語りうることがらにではなく、沈黙をしなければならないことの方にあるとしたのでした(フイッカーへの手紙)。
 ここが『論考』の押さえどころでしょうが、ここは難しいですね。

     
                 休憩時間です
 
 まあその詳細はともかく、そうした問題を例えば現役の院生などとともに語り合うことには楽しいものがあります。
 「生涯勉強」という言葉があります。
 私はこの言葉が余り好きではありません。
 何か、勉強をしてスキルを身につけないとダメだぞと言う強迫観念めいた響きがあるからです。

     
             会場の窓から ここはどこでしょう

 私も生涯、勉強をしたいとは思っています。
 しかし、何かのスキルを身につけて、世渡りを上手くこなそうとは思っていません。
 ホラ、最初に述べたでしょう。
 閻魔との対峙に備えているのです。
 閻魔に勝利して、「酒はうまいし、ねえちゃんはきれい」という桃源郷へ行くことを目指してです。

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滝と阿弥陀と東南アジアの娘たち

2010-09-26 01:20:59 | よしなしごと
 雑誌の取材の案内というか、お供というか、はたまた足手まといというかで、阿弥陀ヶ滝というところへ行ってきた。
 この滝を訪れるのははじめてではない。家族連れやそのほかで、確かこれで四度目である。そのうち一度は、この滝の下から釣り登り、かなりのイワナを釣り上げたことがある。もう何十年も前のことだ。
 
 今回の訪問も、前回から十年以上の歳月が経っている。
 この滝であるが、岐阜県の白鳥町から石徹白(いとしろ)へ向かう桧峠への途中、長良川の源流の一つ前谷にある。落差は約六十メートル、幅は約七メートルで、均整がとれた美しい滝である。

        

 写真の案内にあるように、「日本の滝百選」にも名を連ねている。阿弥陀ヶ滝という名称は例によって信仰や修行との関連があるのだが詳細は省略する。
 別名、長滝とも呼ばれるこの滝の名は、この前谷の下流の地区の地名にもなっている。

        
 
 滝への道のりは、車止めからおよそ三百メートルほど、少し勾配のある道を登らねばならない。私たちが登って行くと、上から賑やかな話し声がして数人の若い女性が降りてきた。はしゃいでいた言葉がよく聞き取れなかったのも道理で、彼女たちはやや浅黒い肌をした東南アジア系のひとたちであった。
 「こんにちは」と挨拶をすると、口々に「コンニチハ」「コニチハ」などと元気な返事があった。「まだ滝までは遠いですか」と尋ねてみると、「トオクナイヨ」、「タキキレイ、ガンバッテネ」などとそんなにたどたどしくない返事が口々に。私の年齢を見て、道のりに不安を感じているのではと思ったのか、盛んに激励してくれる。「ありがとう」と礼をいって別れた。

     
      滝の周りの岸壁 若いときはこのえぐれの中に踏み入ったこともある

 すれ違った彼女たちの声が賑やかに下って行く。きっといま会った私たちのことを話題にしているのだろう。途中、渓に並行している道のすぐ横の淵で二十センチ超のイワナがのんびり回遊しているのを見かけた。「しめた」とカメラを出してセットをしている間に、さすがは野生、ただならぬ気配を察したのか近くの岩に潜り込んだままもう出てこない。
 滝は予想していたよりスリムだったが、それはそれで美しい。滝壺の、待ち構える水と落ちてくる水とが交わる辺りが好きだ。「えっ、なんで?」と急な落差に驚きながら落ちてくる水に、先輩の水たちが「どうだ、ここのバンジージャンプは?」と問いかけ、やがてそれらが渾然一体になる。それが延々と続き、それを凝視していると引き込まれそうになる。

     
              引き込まれそうな滝壺

 滝壺の傍らには、この滝の名称ともなっている阿弥陀如来像が鎮座ましましている。先ほどの東南アジア系の女性やなどの訪問を受けるにつれ、「ほほう、これがグローバリズムというものか」と感じているに違いない。

     
                左上方に阿弥陀像が
 
 写真などを撮り終えて帰途につく。先ほどのイワナを見かけた淵には、やはり彼(彼女?)がいたが、今回は、私たちの気配を察して早々と岩陰へ非難してしまった。なお、前にイワナを釣り登ったといったが、現在は滝からかなり下流までが禁漁区になっている。
 
 水と岩と緑、竿を収めてからかなりの年月が経つが、やはり、こんな場所に来ると心躍るものがある。
 

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雑然がなぜ悪いっ! 下町の祭りはこうでなくっちゃ。

2010-09-21 17:21:10 | よしなしごと
 名古屋の今池という下町で、商店街の祭りが行われました。
 名付けてそのものずばり、「今池祭り」といいます。
 19日、20日の二日間で、私は20日に行きました。

     
           出番待ちか? なんのパフォーマンスだろう?
 
  私とはいろいろ縁のある祭りなのですが、それはともかく、この祭り、とにかく雑然としていて面白いのです。
 街の地理的条件からいって中心地といったところがありません。
 ですからあらゆる空き地や駐車場を使って、あちこちで同時多発的に様々な催しが行われるのです。

        
           先輩の踊りを熱心に見つめるフラメンコの少女

        
             ライブ会場に乱入した4m近いロボット

  中にはプログラムにはないようなゲリラ的パフォーマンスもあります。
 いってみれば、今池という街は雑然としているといわれてきたのを逆手にとった、「雑然がなぜ悪い」というコンセプトによる祭りなのです。

     
               大熱演 女性の大道芸

        
                 どくろと少年

  最大の飛び入りパフォーマンスは、河村市長が大阪の橋下知事を伴って現れたことでしょうか。
 折からの市議会解散署名運動のまっただ中、賛成派も反対派も集まって黒山の人だかりでした。
 若い人が、生河村、生橋下を見たといって盛んに携帯のシャッターを押していました。

     
             河村市長と橋下大阪府知事のそろい踏み

  やや感動的だったのが、ホコテンの屋外リングで行われた今池プロレスと、そこでの公開結婚式。
 悪役レスラー達が暴れる中、果敢に立ち向かう花婿、そしてちびっ子レスラー。最後は、リング上に現れた花嫁ののトレイの一撃が悪役レスラーの脳天に炸裂して決着がつくという筋書き。

     
             今池プロレスの熱闘

  実はこの夫妻、結婚歴19年なのですが事情があって式を挙げることができず、このリング上で晴れて式を挙げたのでした。
 そしてなんと、ちょこまかしていたちびっ子レスラーは実はこの夫妻の次男でした。
 フィナーレには長男も現れ、レスラーたちやリングサイドの観客たちからの盛大な拍手でもって幕というなかなか憎い演出でした。

        
            登場したちびっ子レスラー  実は・・・・・

     
        19年ぶりの結婚式を終えた親子4人 祝福の拍手が鳴り止まぬ

  あちこちのライブをつまみ食いし、最後は、ウルトラ・バッド・ギグのストマックを直撃するようなリズムに酔って帰ってきました。生ビールと串カツがお供だったことはいうまでもありません。

    
                   フラダンス

        
                  弾き語りの女性

     
              夜の帳も降りてライブは佳境に
 
 少し寿命が延びたかも知れません。

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嘆きのマドンナと私の任侠道

2010-09-18 02:38:12 | よしなしごと
 私が卒業した小学校の同窓会を行いたいので協力してくれという申し入れがありました。
 今からおおよそ60年前に卒業した小学校です。
 本来なら断るところです。
 なぜなら、私はその小学校は卒業したものの、5年生の3学期までは疎開先の田舎の小学校に在籍していたため、この学校では一年と三分の一を過ごしたっきりの完全な外様だからです。

 でも、結局は引き受けることになりました。
 なぜかというと、私のところへそれをいってきたのが、そのクラスのマドンナだったからです。
 数々の「スターバト・マーテル」(嘆きのマドンナ)を聴いてきた私としては、マドンナを嘆きに陥れることはできません。

      

 で、なぜ私のところへお鉢が回ってきたかというと、ズーッと幹事をしてきた男性の娘さんが不幸にして病魔に屈したからだというのです。それ自身は大変お気の毒な話ですが、それがどう私に関わるかというと、その幹事の娘さんこそが彼の秘書よろしく、パソコンを駆使し、案内状などを作成していたというのです。そして彼女亡き後、もはやそれが不可能で、周りを見渡したところ、パソコンなどいじっているオタクっぽいのは私しかいないということなのです。

 この娘さんを亡くした男性は、転校生の私を受け入れてくれ、一緒に遊んでくれた人でもあります。その彼が不幸に見舞われ、その窮状がマドンナを介して伝えられとしたら、任侠道に生きる私がどうしてそれを断ることができましょうか。

 で、パソコンでもって往復葉書の文面を作り、プリントアウトすればいいぐらいに思って引き受けたのですが、それが大まちがいのコンコンチキ。
 もう、企画の段階から丸投げされた状況なのです。
 一泊にするか日帰りにするか、あるいはその複合型にするか、その場合の行く先は、あるいは経費は、とその段階からタッチしなければならないのです。

      

 ほんとうのところ、私はいま忙しいのです。
 定期的にある連載の仕事のほか、仲間のひとたちと始めた同人誌に載せる文章がまだ未完成ですし、その雑誌にかかわるいろいろな仕事もあります。
 そのほか、月末近くには若い人たちとのヴィトゲンシュタインの勉強会があり、それへの予習も必要です。
 
 でも、メリットもあります。
 かのマドンナの携帯から毎日ぐらいメールが入り、メールのやりとりではらちがあかないので逢いましょうというお誘いがあることです。
 そんなお誘いがあると、締め切りがあろうが、同人誌がどうだろうが、はたまたヴィトちゃんがどうだろうが、ほいほいと出かけてしまう私なのです。
 
 もちろん、私がどう努力しようが、このマドンナと結ばれる可能性は限りなくゼロに近いのです。
 私の任侠道は寅さんのように自虐的です。
 任侠道に生きるというのはつらいことですね。

 

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半世紀前からの友人たちと美術館 付:訃報

2010-09-16 01:58:50 | よしなしごと
 やっと秋の気配が見え始めた頃、高校時代の同窓生7人(同学年5人、一学年下2人、うち途中退席1人)が長良河畔の宿に集まり、年二回の定例の勉強会&懇親会を行いました(一泊)。
  女性がいないのは残念ですが、当時の商業高校の男子8割という比率のなかではやむを得ないでしょう

     
           初秋の金華山、頂上で光るのは岐阜城

 今回の会はテーマを決めず、各自持ちよりといった感でしたが、折からの民主党党首選と重なり、TVでその実況を見ながら、その前後のいきさつをも踏まえたタイムリーな話し合いになりました。
 話の途中で、「お前のその論議の仕方は無責任だ」と気色ばむ場面もありましたが、まあ、それもご愛敬のうち、変に統一した結論など出さないまま、相互の考え方を了承し合うというのがこの会、今回もけっこう勉強させてもらいました。

 夜の懇親は例によって例によるのですが、元気な老人は、朝の三時に起き出して話を始める始末で、私のように「健全な」老人はただただ圧倒されるばかりです。

     
       岐阜のシンボル・金華山を借景とした三甲美術館の庭園

 翌日の午前は、幹事のU君の提案で、岐阜北部にある「沙羅双樹の館 三甲美術館」で折から開かれている「エコール・ド・パリ展」を観に行くことになりました。
 私自身、岐阜に住みながら、そのテリトリーが南部と言うこともあって、この美術館は名前を聞いたことがあったぐらいで訪問ははじめてです。

 プラスティック屋さんの企業メセナのような美術館ですが、収蔵品が思ったより豊富で、テーマの展示も少数とはいえ自館の収蔵品でまかなわれていました。彫刻など立体作品の収蔵も多く、当初の予想を裏切って豊かな時間を過ごすことができました。

 写真で示すようにロケーションや庭園なども面白くて、前夜の懇親会や早朝3時からのダベリングで疲れ切っていないコンディションでもう一度訪れてもいいと思いました。
 入館料には、見終わったあと、沙羅双樹の庭を観ながらのドリンク代も含まれていて、リーゾナブルだと思いました。

     
            沙羅双樹の坪庭の傍らでお茶などする

 身近なところでもまだまだ知らないところがあり、足腰が元気なうちに観ておくべきだと改めて思った次第です。

<訃報>上記の集まりで、私の高校時代の一年生の担任であった人が亡くなったことを知りました。
 彼は私の大学進学を両親に説得してくれた恩人でした。
 と同時に、私に政治的、思想的影響を与えた人でもあります。
 もっとも、大学入学時からいくばくも経たず、私は彼の影響下から離れ別の道を歩むのですが、彼は生涯その道を歩んだようです。
 近年、お互いの立場の相違を認め合ったままでの交流があったのですが、それが自然の力で断たれることとなりました。
 彼のあだ名は「ロバさん」。由来は、顔の割に耳が大きかったことです。
 さようならロバさん! ご冥福を祈ります。
 

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きみは農耕民族の背中を見たことがあるか?

2010-09-13 01:37:16 | 想い出を掘り起こす
          

 もう稲刈りが終わったところもあるようですが、この辺の田圃ではやっと穂が出揃ったといったところです。
 夕方、出かけた帰り道のことです。
 そんな田圃に向かって座り込んでいる年配の女性を見かけました。
 手前はバスも走る道路で、けっこうひっきりなしに車が往来します。

          


 ほらこんな具合にです。
 しかしこの女性、稲に向かってなにやら真剣な面持ちです。
 たぶん、稲穂についた実の数を数えていたのではないかと思います。
 それは、豊凶を占う一つの大切な方法なのです。
 この田圃も例外なく、田植機やコンバインなどでほぼ完全に機械化された中で米作りが行われていることを私は知っています。
 しかし、この女性の稲と向かい合った姿は、それを感じさせず、まるで稲と対話をしているようなのです。

 たぶん、この年代の人ですと、一本一本の苗をまさに手植えをして(私も小学生の折手伝いでしたことがあります)、さらに炎天下で田の草取りをし、収穫時にはひと株づつ鎌で刈り取った経験があることでしょう。
 その背中からは、重労働であったとはいえ、稲という植物と日常的に向き合って生活してきた往時を懐かしむような感じも伝わってきました。

 そういえば、豪雨などによる増水の折、田圃の見回りに行った老人が流されて死亡するという報道によく接します。自然の脅威の前には、わざわざ見に行っても何ともしようがないように思うのですが、それでも稲を見捨てることはできないのでしょうね。
 私はそれらの報道に接すると、殉職・殉死を思います。

          

 この女性の背中からも似たようなものが伝わってきます。
 何か神々しいののなどというといささかオーバーでしょうか。
 彼女個人がというより、その背中を通じて何千年間かの農耕民族のたたずまいのようなものが伝わってくるのです。

 しばらく行ってから振り返ると、この老婦人、田圃へと降り立ち、わさわさと中へ分け入って行きました。
 きっと、雑草が生えているのでも見つけたのでしょう。

 「一粒の米でも獲れるのには一年かかるのだぞ」と諭してくれた祖母のことを思い出しました。
 生きていれば130歳にはなろうかというこの祖母、農家の主婦として働きながら、死産や養子に出したのも含めると、12人の子供を産んだのでした。

 田圃に佇む老婦人を見かけた瞬間から、私が感じたそこはかとない懐かしさのようなものは、この祖母の思い出であったのかも知れません。
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【今日のレシピ】貧困家庭の夕食を覗く

2010-09-10 23:16:53 | よしなしごと
 夕方、近くのスーパーへ徒歩で。
 風景は途中のもの。

        

 ワン公は、スーパー入り口で飼い主を待っている子犬。
 こっちに興味を持っているが、同時に恐れていて、そんなに大きくない携帯のシャッター音にキャインと逃げた。
 驚かせてごめんよ。

        

 さて私が買ったもの。
 鶏もも肉 95円。ただし賞味期限は今日。
 漬物用の曲がったきゅうり一袋。 7本入、198円。
 飛騨小坂のブナシメジ 一袋 78円。
 木綿豆腐 2丁 34円×2=68円。
 しめて439円。

     

 さあ何を作ろうか。
 鶏肉は適宜に切ってスパイスを効かせて鍬焼きかな。
 最後にしめじを散らすか。
 漬物は昨日つけた胡瓜と茄子と大根が食べごろのはず。
 豆腐はやはり奴だろうが、香味野菜でも使ってアレンジしてみるか。
 他に冷蔵庫を探検して残り物でもう一品つくろうか。
 そうだ、オクラがあったはずだから、種をとったものをあっさりと煮浸し風ににしよう。粗熱を取ってから冷蔵庫で冷やすとうまい。

     
           核閥発ではない。スーパー駐車場の逆光。

 貧困家庭の夕食としては、まあこんなところか。
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【日記らしい日記】台風一過の獅子奮迅

2010-09-08 18:19:20 | よしなしごと
 午前中は台風の影響で篠突く雨の荒れ模様。
 しかし驚いた。
 福井から岐阜へ台風がやってくるなんて・・・。
 たいてい台風というものは、三重県や愛知県から来るものと思っていた。
 おかげで、今を去ること八十数年前、柳行李一つを担いで、福井から県境の油坂峠を越えて、岐阜へ丁稚奉公にやってきたという亡父のことを思い出した。
 台風から亡父を思い出すなんて、なんという連想力であろうか。

        

 午後、小康状態になったのをみて、怒濤の出撃を開始した。
 まずは銀行、金がないのは命がないより厳しい。
 ATMで、前のおばさんがこともあろうにカードをディスプレイの横に置いたまま立ち去ろうとするので、呼び止めて手渡した。
 なんでもないような顔をして立ち去ったところをみると、あのおばさん、そうしたカードの重要性が余りよく分かっていないようだ。私も含めてだが、年配者がIT社会へ適応して行くにはなかなか大変なようだ。

 市役所の支所へ行く。ゆえあって戸籍謄本を取りに行ったのだ。
 窓口のめがねのお兄さんは、実に懇切丁寧に説明してくれる。おそらくこちらが老人とみての親切なのだが、あまり親切にされすぎると、「そこまでいわれんでも分かるわい」と変な反骨が持ち上がってくるので、年寄りというものは困ったものである。
 もちろんそんなことはおくびにも出さず、礼をいって辞した。

     

 続いて図書館。返済日が今日である。
 まだまだ読まなければならないものが自宅にあるので、今回は三冊のみを借りた。自動借り入れ機にカードを差し込んだら、ブザーが鳴って期限切れだとのメモが出た。
 カウンターへ行ってその旨をいったら、ハイとばかりにものの三秒もかからずに更新してくれた。別に身分を確認するでもなく、カードのそのままだからいったい何のための更新なのかよく分からない。
 ごちゃごちゃ尋ねている暇はない。次がある。

 次は、県民ふれあい会館の中にあるサラマンカメイトの事務局に行く。
 こちらの方は、先般更新したカードの手数料、2,000円がもらいすぎだったので返すというのだ。余分にとられたのだが、とられたというより返してくれるというのが嬉しいのだから変な話だ。もともとは自分の金なのに・・・。
 ここまではすべてカードがらみの話だから、世の中そのように出来上がっているのだということを実感する。
 せっかく行ったついでに、11月のコンサート二つの前売りを買う。
 ひとつはオケ。もう一つはソロ。

        
 
 次いで、妹のうちへ。
 こちらの用件は、昨年他界した母の一周忌も済ませたので、納骨をしようという相談である。
 お寺にいくら払うのかの基準が分からない。妹がネットで調べたら、千差万別でかえって混乱してしまったという。
 お寺ごとに価格表を明示するなんてことは、こと信仰心に関するだけに出来ないのだろうなと思う。

 最後の用件はかかりつけのクリニックである。
 暑さによる脳味噌の蒸発以外取り立てて悪いところはないのだが、暑さの中で睡眠を確保するために多少眠剤を多めに消費しすぎたようだ。少し抑制した方が良さそうだ。だが、途中覚醒で朝まで悶々はつらい

     

 数えてみていただけばおわかりのように、午後のみで六つの用件を消化したことになる。われながらよくコマネズミのように動いたものだ。
 夕方になって雲の切れ間から青い空が見えるようになった。

 そういえば今日は、雨のおかげで水撒きをパスしたので、小動物たちに会うことはなかった。寂しがってはいないだろうか。
 私は寂しい。
 






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小さきものとの遭遇

2010-09-07 02:35:25 | よしなしごと
 小さきものたちとの遭遇が続きます。
 私の汚れを知らぬ天使のような純真な心が(事実とはいえ自分で書くといささか照れる)小さきものたちを呼び寄せるのでしょうか。

        

 昨日ネットの仲間から教えていただいたツマグロヒョウモン(褄黒豹紋)が今日も水撒きにでた私を迎えてくれました。もう名前も分かってしまった以上旧知の間柄です。
 しばらく戯れていて写真を何枚も撮ったのですが、一五センチほどの距離に近づいても逃げようとしないでポーズをとってくれるのです。おかげで昨日よりきれいに、しかもいろいろなアングルから撮ることができました。
 ただしこの蝶、翅を上にするのではなく、下にしてぶら下がるように止まるのが習性らしく、昨日も今日もそうでした。

     
         
        
            こんなアングルからも撮ってみました

 で、一生懸命蝶を撮っていると、すぐ足下から「どうせ蝶の方がきれいだもんね。俺の方がここには長く棲んでいるのに・・・」という声が聞こえます。
 見ると、前にも撮ったことがある雨蛙が嫉妬の眼差しで見上げています。
 「わかった、わかった、いま撮ってやるから」
 とカメラを向けるとこちらもこちらでポーズをとるのでした。

     

     


 ただしこの雨蛙君、やや大きくはなったものの以前ほど青みがなく、どこか色あせた感じなのです。
 気分を悪くするといけないので本人には言いませんでしたが、やはり、暑い暑いといっても季節の変化は微妙に迫っていて、そのせいだろうと思いました。
 雨蛙君を構っていたら、こんどは褄黒豹紋の方がいなくなりました。
 いままであんなにジッとしていたのです。
 やはり構ってもらえなくなって嫉妬したのでしょうか。
 私の汚れを知らぬ天使のような純真な心が(くどいっ!)少し痛むのでした。

     

 
 空を見上げると、積乱雲はあるもののどこか秋らしい感じもあって、微妙という感じでした。
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「鹿の子蛾」との交流録と新たな訪問者

2010-09-06 11:56:15 | よしなしごと
 前回、人なつこい小さな虫について触れたところ、ネット上の友人から、即座にそれが「カノコガ」という虫であるとのご指摘をいただきました。ネットの図鑑などで照合した結果、まさにその通りで、それを契機に蝶と蛾の違いなどについても少し勉強したりしました。
 
 さて、その後日談ですが、この鹿の子蛾たち、私が紹介してやったのが嬉しかったのか、やたら私の前に姿を現すのです。
 前にも述べましたが、私が植木に水をやるときなどに目撃するのですが、なんと、その水やりのホースに止まって私を待ち伏せたりするのです。
 ですから、オイオイ、お前がそこにいると水が撒けないではないかと、静かに移動を促さねばなりません。

     

        

 そのほかアルミサッシの桟に止まっていたりもします。
 こんなに身近なところで出会い続けると、なんか可愛いさが増す気がします。

 そんな具合で、すっかり昆虫づいたのか、珍しい蝶の訪問を受けました。
 大きさはアゲハぐらいです。
 
 写真でごらんいただくとおわかりのように、見たとこいくぶん地味ですが、翅の内側は赤みがかった橙色で、飛び立つととても華やかです。しかし、蝶の習性で、止まっているときには翅を開きませんので(開いても瞬間ですので)、それを撮すことはできませんでした。
 でも、翅のうち側の赤さが写真でも少し分かるとおもいます。
 全体に開くと、それほど赤くはありません。先ほど述べたように橙色が近いと思います。

     
      写真は逆さではありません。蝶が逆さに止まっているのです。

 さて、この蝶の名前が分からないのでまたまたネットで質問したところ、沖縄の女性から回答をいただきました。
 その名は、「ツマグロヒョウモン」(褄黒豹紋)。ネット上の図鑑などで照合したところ、間違いありませんません。
 この蝶、時折見かけるのですが、その歴史的経由についての記述を見ると考えさせられるものがあります。
 Wikの説明には以下のようにあるのです。

 「本州では1980年代まで近畿地方以西でしか見られなかったが、徐々に生息域が北上し1990年代以降には東海地方から関東地方南部、富山県・新潟県の平野部で観察されるようになった。2002年には北関東でも目撃報告がある。2006年現在、北関東でもほぼ定着し、普通種になりつつある。」

 つまり、どんどん北上しつつあるのです。その趨勢はよく報告されているクマゼミのそれと似ているようです。
 やはり、温暖化といわれるものの影響でしょうか。
 この蝶の名前を教えてくれたのが沖縄の人だというのも象徴的です。
 
 しなければならないことが山積していて、いちいち虫などに関わり合ってはいられないのですが、「一文字せせり」にしろ「鹿の子蛾」にしろ、そしてこの「褄黒豹紋」という蝶にしろ、せっかく訪れてくれるものたちを放置できないのです。
 いい歳して、なにやってんだかなぁとも思いますが、餓鬼の頃、昆虫少年ではなかったツケを今払わされている感じです。

 


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