トランプが大統領に就任して以来、矢継ぎ早にさまざまな政策転換を表明し、大統領令に署名したりしていますが、そのなかにあまり目立たないせいかサラッと報道されたのみであまり問題視されていないものがあります。
その一つが、DEI 政策を廃止するというものです。
DEI とは、多様性・公平性・包括性を重んじようとするもので、多様性とは職場や公的組織のなかにさまざまなアイディンティティをもつ人たちを受け入れてゆこうとするものです。ようするに、民族やジェンダー(社会的性別)、宗教、年齢、社会階級などの相違を排除や序列の条件とすることなく受け入れてゆこうとするものです。
公平性はこれまで社会的格差や歴史的格差の中で不利な立場にあった人びとにも公正で公平な立場を保証しようとすることで、また、包括性とは、こうした多様性、公平性を組織の中で具体的に実現してゆこうとする方策を指します。
それらの具体例は、例えばこれまでの組織環境が男性中心だったのを女性の比率や管理職への登用を図ったり、自民族中心のものを他民族へも開かれたものにしてゆくことを示しています。
これを、今日のアメリカ社会に即していえば、ズバリ、白人男性中心主義を改めようということにほかなりません。これまで、アメリカは曲がりなりにもそれを実施してきたのですが、トランプはそれをやめる、つまり、白人男性中心主義に戻すと宣言したわけです。
これはまさに反動なのですが、同時に、トランプの「人間には男と女しかいない」という主張とも重なります。私は先程「ジェンダー(社会的性別)」というややぎこちない言葉を使いましたが、これは、人間の性の多様性に於いては、トランプのようにいい切ることはある種の人々には、抑圧や社会的排除として働くということです。
どういうことかというと、前世紀中頃、シモーヌ・ド・ボーボワールは、その書『第二の性』において「女はこうして作られる」といい、「女」という概念そのものが、社会的・歴史的に男の「対象」として形成されたものに過ぎないといいました。
そしてジュディス・バトラーは前世紀末、『ジェンダー・トラブル――フェミニズムとアイデンティティの攪乱』において、生物学的性(セックス)とは異なった性の多様性、歴史的社会的構築物としてのジェンダーの意義を強調しました。
このジェンダー論は、LGBT(レズ、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)の人たちの存在を裏付けるものとして、今日でもその支柱的な役割を果たしています。
さて、冒頭のトランプのDEI 政策の廃止というのは白人男性中心主義の多様性排除であると述べました。というのは、これまでは、そのD=ダイバーシティの中にこれらLGBTの人たちも含まれていたのですが、今後は「男と女しかいない」というトランプの決めつけによって、抑圧や排除の対象となるということです。そしてそれは、皮相な生物学主義で、性多様性を否定し、その抹殺(文字通り殺処分)を実施したナチスに通底するものなのです。
なお、こうしたLGBTの人たちを極小数と決めつけるのは大きな間違いです。例えば、日本での各種調査によれば、その割合は総人口の約10%というところが妥当らしいのです。そして、この10%という数値は、総人口においての左利きの人とほぼ同じ割合なのです。
なお、掲載した書物の写真は、昨年来から私が学んできた書ですが、これらはそれぞれトランスジェンダーに関するものです。そしてこれがLGBT のなかでもっとも難しい問題をはらんでいるのです。
というのは、LGB はすでに述べたようにその人たちの性的嗜好の対象であり、客観的にわかりやすいのですが、自分の生誕時に生物学的に規定された性に違和感を覚えているトランスの人たちは、その人自身の性自認=ジェンダー・アイディンティティに依拠しているため、第三者からはわかりにくいという点があります。
そんなことから、トランスジェンダーを巡る論争はフェミニストの中にもあり、しかも結構激しい対立を生むこともあるようですので、この際、あえて触れませんでした。というか、私自身がなお勉強中ということです。