六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

今年もおせちを作りました。

2023-12-31 20:41:31 | グルメ
     
 
 午後6時半、やっとおせちができた。写真の練り物以外は私の作。
 私のおせちは海なし県の岐阜県西濃出身の母親譲りだから数の子とタツクリ以外海産物はない。チラシなどで派手な海老も蟹もない。
 でもこれで育ってきたし、死ぬまでこの路線で行きたい。

フォト
 
 作ったものはアトランダムに、紅大根のなます、数の子、卵巻き、キンカン、百合根、タツクリ、野菜五目煮、小豆、酢レンコン、きんぴらごぼう、山芋白煮などなど。
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雨の大晦日

2023-12-31 10:55:34 | よしなしごと
■大晦日は雨。朝一にしたことは洗濯物を近くのコインランドリーへもっていって乾燥させること。
■うちの洗濯機の乾燥機能はまったくだめで3時間かけてもろくに乾かない。コインランドリーのものだと30分で乾く。

       


■仮設の仏壇に居る亡き連れ合いに正月用の仏花を飾る。
■わが家の墓はない。私が分家であり、わが子たちに子供はいないので墓守りが絶えることになるから。
  
 
■雨の間のナンテンが華やかにゆく年を見つめている。

 

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最後の田んぼ 続報など

2023-12-29 16:46:51 | フォトエッセイ

 私の家の近く、バス通りに面してあった最後の田んぼ、ついに埋め立てられました。こんな姿で年を越すようです。

     

 その他の写真は、かつての姿と埋め立て最中のダンプの姿です。

        

    

 そうそう、ここには老人ホームが建つようです。
 
【おまけ】今日の昼餉。年越しそばではありませんが、山芋の在庫があったので、山かけそば(最近は何にでも柚子を使っている)。

    

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師走 私が食べたもの20品目

2023-12-29 02:14:44 | グルメ
 年の瀬と締め切りで忙しいので説明なし。写真のみ。
 それにしても、同じようなものばかり食べてるなぁ。

     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
 
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冬の夕日に映える桜の紅葉とS君の思い出

2023-12-28 01:35:30 | 写真とおしゃべり
      
 今年最後のクリニックと調剤薬局行き。別に悪いところがあるわけではない。常用している薬の年末年始分の確保だ。
 行ったのは午後4時すぎで、寒さがいや増す時間帯ではあったが、ここ2,3日、家から一歩も出ることがなく、まったく歩いていないことも考慮して、ついでに少し歩くことにした。

         
 調剤薬局は、川の両岸に桜が列をなす箇所のはずれにある。その桜並木を歩く。ソメイヨシノの木々はおおかた葉を落とし、ほとんど裸の状態だ。

         

 そんななか、真っ赤に色づいた葉を残す一隅があった。
 その時念頭に浮かんだのは、先月、岐阜へ来てくれた名古屋の友人が、やはり桜並木のある長良河畔でふと語った一言であった。「亡くなったSさんは、桜の紅葉が一番キレイだと言ってました」がそれだ。

         
 彼が語ったこのS君、六〇年安保をともに闘って以来、半世紀以上の友人であった。いま思い返しても、あれほどいろいろ語り合った友人はいない。しかし、いま私のうちに残るのは、鉛のように重くかつ苦い思い出である。
 それは彼の晩年、些細なことで仲違いをして、それでもやがて仲直りができると信じていた矢先、それが叶わぬままに彼の病状が悪化し、逝ってしまったということだ。

         
 それから7~8年が経つ。彼の紅葉の好みを聞く機会を得たいま、桜の紅葉は私の中では特別な意味をもつに至った。冬の夕日に映える紅の葉たちは、幾分エキセントリックだった彼の言の葉を象徴するように、眩しく輝いている。
 その葉たちの強烈な赤さに、どこか陰りがあるとすれば、それは私のなかに澱のようにとどまる悔いというほかはない。
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【師走のプレゼント・2】青森のソウルが届く!(付)老人のトリビア

2023-12-24 17:38:27 | グルメ
 先般は正月用のお酒を頂いた話をした。
 今回は青森のソウルともいうべきリンゴを頂いた話。

      

 贈ってくれたのは津軽在住のTさんという女性。この方とはSNSで知り合ったのだが、お若い頃、集団就職で愛知県安城市辺りにに来られ、紡績を皮切りにレコード店など働いていらっしゃったという。その当時、定時制高校へ通われ、その折の教師だった男性が私の知り合いであったというご縁でTさんとも知り合うことができた。

 津軽へ帰郷されてからの彼女は、りんご園やにんにく農家の手伝いをしながら、なかなか味のある油彩の絵画で、地方展の賞をたびたびとっている。SNSでの情報発信もなかなかユニークである。

      

 そんな彼女だからリンゴの送り方も一通りではない。まさにそれが見ものだった。
 贈っていただいたメインの品種は、現在の代表品種で青森リンゴの50%を占めるというフジを何十個かであったが、その最上段に並べられたものたちは、私にとってはまるでリンゴの博物館のように思えるものであった。

      

 そこには、それぞれ品種の違う7個のリンゴが、彼女の配慮に依る手書きのラベルを付されて並べられていたのだ。
 それらの品種は以下であった。
 後列左より「星の金貨」「王林」「ぐんま名月」、中列左より「紅の夢」「トキ」「国光」、そして前列右が今回贈ってくれたメインのフジである。その左は、可愛らしい布製のリンゴである。まるでお手玉みたい・・・・。

      

 こんなに多くの品種を一度に観るのは初めてである。もちろんその名前など知る由もなく、ただただ感服するのみだ。
 これらについての、可愛らしい彼女の手紙が添えられていたので固有名詞を抜いて添付しよう。

 さて、どれから食べようか。どれも気になるが、選んだのはこれまでに見たこともないちょっと黒ずんだ深い赤色で、異色の存在ともいえる中列左の「虹の夢」だった。これにして正解だったし、かつ驚いた。
 これまで、その外皮が赤かろうが黄色かろうが、皮を剥いたリンゴというのはしっとりとしたクリーム色なのだが、これは違った。写真のように中までほんのりと赤いのだ。

           
           

 これを皮切りに、いろんな品種のものを頂いたが、やや酸味がきついかな、これは甘いなといったぐらいで私の粗雑な舌にはその微妙な味の差は分かりにくく、いってみればもうどれも美味かった。

      
         これは国光 フジと色合いは似ているが一回り小さい

 中でもいちばん懐かしかったのが「国光」で、私の子供の頃、リンゴといったら「国光」と「紅玉」ぐらいしかなかった。彼女の手紙に依ると、「国光」は現在のメインの品種「フジ」の父方に当たるが、それ自体はもう希少品種とのこと。なんか惜しい気もするが、それが現在の主流の中に脈々と生きていると思えば慰めになる。

 このリンゴの箱を開け、美しく並んだ林檎たちを見ながら私の脳裏に浮かび、その脳内で鳴り響いていたのはこの歌だった。最近はとんと聞かないが、どうしてなんだろう。

  https://www.youtube.com/watch?v=pWCAnLGiM2s
 Tさん、今年のフィナーレを飾るにふさわしいプレゼント、ありがとうございました。
 その美味しさもさることながら、いろいろと脳内を駆け巡る思い出などなども含めて、じゅうぶん楽しませていただいています。

【リンゴと卵のトリビア】
若い方は知る由もないが、戦中戦後の私の子供の頃にはリンゴと卵には共通点があった。
 その一つはいまのような梱包資材がない頃、ともに籾殻が緩衝材として使われ、それを敷き詰めた中にリンゴも卵も並んでいたということだ。
 そしてもう一つは、庶民にとってそれは、ほとんど病気のときにのみ味わえる貴重なものだったということだ。
 卵は、最近やや怪しくなってはいるが戦後は物価の優等生といわれていてまあまあ気軽に手に入るが、戦前戦中は貴重品であり、病気見舞いなどに精をつけるとして珍重された。
 リンゴもまた貴重品で、病気で食欲のないとき、摺りおろしたものを食べさせたりした。上に引用した「リンゴのひとりごと」の作詞者も、自分が入院していた折、見舞いに持参されたリンゴを題材にしてその詞を作ったといわれている。

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【師走のプレゼント・1】お正月のお酒が決まりました。

2023-12-21 11:14:39 | グルメ
 師走に入りそろそろ「正月のこと」も考えなばと思っていた。正月のことといっても、私の場合、どこかへ行こうかとか、なにか特別のことをしようかいったことではない。何を食らい、何を飲むかといったいたってささやかなことである。

 そんな矢先、ドカンと思いがけないプレゼントが届き、何を飲むかの問題は一挙に解決した。お酒の三本セットが届いたのである。
 蔵元は森山酒造場、銘柄は「蜂龍盃(はちりゅうはい)」。写真左から、無濾過純米原酒、純米にごり酒、純米酒の三本である。

           
 この蔵元、代替わりして今は神奈川県小田原市にあるが、元々は愛知県設楽郡東栄町にあった創業300年以上の歴史ある蔵元である。移転はしたものの、その300年の伝統と歴史が蓄積してきた技術は継承するというのがコンセプトの蔵元である。

 贈ってくれたのは豊橋市在住のTさん。このTさんが豊橋から北上する地にあった森山酒造場の追っかけであったことはそのSNSでの記事で知ってはいたが、まさかそれを私にご恵贈いただけるとは・・・・。Tさん、ありがとう。

 Tさんと知り合ったのは1990年代の中頃だから、もう30年近くになる。パソコン通信時代だろうかそれともnifty時代だろうか。Tさんはそこでウイットに富んだ記事を書いていた。

 私がどこへでも首を突っ込む割にそれぞれ大雑把でいい加減なのに対し、このTさん、趣味の分野でも緻密な完璧主義者である。例えば、クラシック音楽のバロック以前の古楽の分野では、玄人裸足の知見をもっている。落語に関しても結構詳しそうだ。私には苦手な工学関係についてもだ。

      


 いずれにせよ、そんなTさんからのいただきもの、光栄の至りである。早速抜栓したいところだが、いいものは正月までとっておくという昔からの風習に従おうと思う。
 
 そういえば、むかし聞いた半分艶笑噺のような落語に、とてもいい女性と結婚できたのにいっこうに褥を共にしようとしない男に、仲人が一体どうしてなんだとと尋ねると「ヘイッ、いいものは正月までとっておこうと思いやして・・・・」というのがあったがタイトルがわからない。まあ、色々な意味でいまや公にはできない噺だろうな。

 

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二日続けての名古屋今池行きと年末の訃報

2023-12-19 11:39:48 | よしなしごと
 名古屋・今池へ二日続けて行くこととなった。
 
 土曜日の一日目は、かつて、「壺」や後の「芦」へ通っていた今池常連メンバーの同窓会。古くは半世紀前から、新しくても三〇年以上の付き合い。話が弾む。
 私と同年輩はみな旅立っていて、おかげで戦中生まれの最年長。
 
 添付写真の銀杏の映るのがその日の帰途、今池からJR千種駅まで歩いた途中の風景。千種駅から、金山経由で岐阜まで帰る。
 
      
 
 
 二日目は私が所属する会の年末の総会、並びに懇親会(=忘年会)でのもの。
 冒頭、この会では割りと古くから言葉をかわし、同人誌を送付して感想をもらうなど親しくしていただいていた方が急逝したというニュースに、浮かれ気分がすっ飛ぶ。
 
 その暗い気分のまま、撮った雪含みの今池の空が後の二枚。いずれも今池ガスビル八階から。
 
  
  
 
 彼は音楽への深い造詣と理解をもっていて、それらを駆使して作っていたその会の会報誌は見事であった。今後、これは不可能ではないだろうか。
 
 今年の一月、その会の年頭の発表会で、その方とともに発表者を努めたことを思い出していた。私がやや柔らかい話を前半に披露し、その方が、専門に裏打ちされた手堅い発表をされた。
 
 ご冥福を!
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身近な考現学(?)あれこれ

2023-12-16 14:30:03 | フォトエッセイ

完全な冬空のなか、一瞬の陽射し。それに反応する南天。

えっ、えっ、えっ、これがまだ生きてたなんて信じられない。しかも撮影場所は岐阜の中心街、柳ケ瀬の近く。これは戦前戦中戦後しばらくまでのゴミ箱の定番。上からゴミを捨て、正面から掻き出す仕組み。まさに有形文化財クラス。

          

いま、岐阜の街を実験運転で走っている無人運転小型バスをJR岐阜駅のバスターミナルで見かけた。私の運転免許返納の時期も近いが、その代わりにこのバスが足代わりになるまで、私は生き続けられないだろうな。ただし、私の死後に展開されるであろう技術の片鱗に触れるのは面白いことではある 

          。

       

【続報】以下のような記事を載せたのは今月1日のことであった。

      =================
「帰りなんいざ 田園まさに荒れなんとす」というのは陶淵明の「帰去来」という詩の一節らしい。下の写真は昨年と今年、ほぼ同じ日に私が撮った近所の田園風景である。これを観て思わず冒頭の一説を思い出した次第。私の家の前を走る岐阜駅へと続くバス路線のうち、唯一残されていた田園の名残がかくして消えてゆく。
      =================
それがいま、埋め立てられ、工事が進んでいる。これでわが家の前のバス路線の両側に、田んぼの、あるいはそれがあったという痕跡もすべてなくなる。
どこにでもある郊外の街筋を目指してまっしぐら。わが家の古さが一段と目立つ。(一番上は数年前のもの)
 
       
       
      
 
もう、10年近く前になくなった私の友人が、一番キレイな紅葉はサクラのそれだと言っていたというのを先ごろ別の友人から聞いた。
 うちにも桜桃のなる木が一本あるが、年によって紅葉の度合いは随分違う。
 この横長の写真のがうちのもので、縦長で赤くきれいな方が近くの桜並木のソメイヨシノのものである。たぶん、亡くなった友人は、こういうのを指して愛でていたのだろう。
 
      
          
          
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何もしないつもりの半日のみの豊橋小旅行

2023-12-15 02:07:12 | よしなしごと

 豊橋へ行った。積極的な理由は何もない。
 消極的なものとしては、この歳にして今年の暮は外出が多い方なのだが、どれも決められたりしたもので、自分で「よしっ、行こう!」というものがない。そこえへたまたま名鉄電車の切符があったので岐阜から一番遠いところということででかけた次第。この動機からだけみると徘徊老人と変わらない。
 前に行ったことがある美術館でなにかやっていたらという気もあったが、予め調べたら改修工事中とのことでそれは断念。

      
             名鉄岐阜駅での連結作業

 としたら、何も慌ててゆくことはないと、昼間の日常の家事を済ませてから夕刻、豊橋に着くように出かける。
 で、薄暮の始まる頃到着。

 駅頭のブリッジではイルミネーションが点灯していて、それを眺めていたらちょっと奥まったところに花飾りに囲まれた白いベンチがあり、どうもそこでカップルなどが自撮りをする場所らしい。

      
                豊橋に到着
 
 その前に差し掛かったら陽気な女性に声をかけられた。彫りの深い表情はどこか日本人離れをしていて、言葉のイントネーションもやや異なる。
 その女性いわく、あの白いベンチにかけるので魅力的に撮って欲しいとスマホを渡された。引き受けてスマホを構え、彼女がベンチに座った途端、悲鳴を上げて飛び上がった。何事が起こったか分からなかったが、私の近くまで水しぶきが飛んできた。

                
               出発待ちの飯田線電車

 わぁ~、わぁ~、わぁ~と彼女の悲鳴は続く。よく見ると彼女のパンツは、おしりから下全体にしずくが垂れるほど濡れているではないか。何が起こったか分からず、ベンチに触れてみて初めてわかった。そのベンチは、座りやすいようにお尻の当たる部分が窪んでいるのだが、そのくぼみに、当日の午前中まで降っていた雨のせいで、2~3センチの深さで水が溜まっていたのだ。

 そこへ彼女はまともにお尻を下ろしてしまったのだ。これは悲鳴を上げるのも無理はない。慰めようもなく立ち尽くす私からスマホを受け取った彼女は何処かへ私にはまったくわからない言語で声高にしかも早口にまくし立てた。
 後で聞いたらタガログ語で彼女はフィッリッピン人だという。

          
                駅頭のトラムカー

 なんか、責任を感じてしまってなにか手助けすることはと尋ねたら、いま電話したのは妹で、やや離れたところからだが車で迎えに来るとのこ、それまで本人は近くの衣料店で着替えが買えたらそれに履き替えるという。あのタガログ語の激しさに比べたら嘘のように笑顔が戻ってきて、かえって心配をかけて済まないといったのには気の毒というかなんというか複雑だった。

          
             駅前へやってくるトラムカー

 彼女と別れてからもモヤモヤしていたがあれは不慮の事故ではなくまったく人為的な不手際だと気づいた。普通ああした形状のベンチにも水が溜まったりはしないはずだ。それはどうしてかというと、一つには普通、短冊状の板で作られていて隙間があること、そして一枚板の場合にはところどころに丸い穴が空いていて決して水があんなに溜まったりはしないのだ。

 ふとみたら、近くのイルミネーションを部分的にいじっている男性がいた。彼に近づき、あなたはこの装置のクリエーターかと尋ねた。いいえ、私はこの部分だけの担当ですと彼氏。
 じゃあ、それはそれとして、ちょっとこちらへとベンチのところへ連れてゆく。そして水が溜まっているさまを示してこれをどう思うかと尋ねた。これはまずいですね。この長さだと3~4箇所に水抜きの穴を設けるべきですねと彼氏。

      
              以下はイルミネーション

 私は、先程の彼女の被害を話し、他にも犠牲者が出る可能性があることを告げ、早速注意書きを用意し、さらにはこの椅子を撤去し、新しいものと取り替えるよう要求した。わかりました、その旨責任を持って処理します、と彼の答え。
 先程の彼女がまだいたら、その被害を弁償させたい思いであった。

 変なアクシデントで時間をとったが、あとは飲食店で酒肴を味わい帰るのみだ。駅前の道路へ降りる。
 ここへ来るといつも気になるのは精文館(Seibunkan)という大型書店が元気でやっているかということだ。ここで書を求めたこともあるが今回は前からの覗き見のみ。ちゃんとやっていて客も結構入っている。

      
 
 その近くの飲食店に入る。ここから先は感傷旅行のメインのはずであった。ここへは3,4回来ているが、何回目かに同行した友人は今年の5月に旅立った。そして別の機会に同行した友人は、いろいろ事情があって今は会うことすらできず、したがってその生死すらわからない。
 その人たちを偲びながら、カウンターで静かに酒肴をというのが強いていうと今回のこの小旅行であった。

 郷に入らば郷にで、この地区の酒「三河手筒」を頼む。手筒花火からのネーミングだろう。サラッとしていて結構うまい。カウンターは1人のみ、しばらくはしんみりと杯を傾ける。
 が、しばらくすると女性が1人、カウンターにやってきた。オーダーなどのぎこちなさからみて、土地の人ではなく旅の人だとわかる。      

      

 どちらからともなく話を交わすことになる。はやはり一人旅の女性で、神奈川県から青春18切符で訪れたという。今日は豊橋の吉田城跡と豊川稲荷、宿は豊川だが夕食はネットで検索してここにしたらしい。
 明日は飯田線で長篠の古戦場跡、そして浜松城などが予定という。どうやら、社寺仏閣、城址、古戦場跡など広い意味での歴女に相当するのだろうか。

 そうした観点から岐阜についていろいろ問われる。岐阜と言っても南部の県都岐阜を含む美濃地方はどちらかというと太平洋性気候に属するし、飛騨や奥美濃は日本海側の気候で、風俗習慣も異なる。さらには美濃地方も西濃と東濃はあまり交流もない。それらをうまく説明できない。

      
 
 いずれにしても、冬は北部は寒く雪深いし、南部は呼び物の鵜飼などもないし、初夏から秋にかけてがお勧めだと言っておく。岐阜城について問われたが、戦前の火災事故後、コンクリート製ではあるが、そのロケーションは素晴らしく、私の少年時代は濃尾平野の地図同様、揖斐、長良、木曽のいわゆる木曽三川が伊勢湾に注ぎ込む様子が見て取れたこと、そんなこともあって、眼下のどこで挙兵があっても、すぐさま知れ渡ったことなどを話す。

 そんなこんなで、しんみりした感傷旅行の仕上げとしてのしんみり酒は、すっかり友好酒に転じてしまった。
 野暮な自己紹介はやめにして、私のブログのアドレスのみ教え、土産を買い豊川の宿へ帰るという彼女と豊橋駅頭で別れた。

      
      
              精文館(Seibunkan)書店    

 行きには軽い本一冊をやや斜め読みに読んだのだが、酒と疲れの後ではそうは行かない。まぶたが閉じがちになる。しかし、岐阜が終点だから安心できる。しかも、岐阜へ着く手前で目が醒め、いつも東海道線から見る夜景と、名鉄線のそれとを比較しながら最終行程を終えることができた。

 寒々としたわが家の日常の中では、今日半日の出来事がなにか夢幻の如くであった。そしてそれが、ぶらっと出かける、旅や小旅行が変哲のない日常にもたらす異化作用なのだろう。
 
 これからも、特に目的もない土地にふらりと出かけてみたい。
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