六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

今池の新しいホールとギャラリー そしてバロック・チェロ

2010-11-30 02:56:11 | 音楽を聴く
 私は約30年、名古屋は今池という街で居酒屋をやっていました。
 私の店から5分も歩くと高牟神社というところがあり、ここが湧水のもととされ、「元古井」という地名の発祥でした。残念ながら、効率一本槍の町名改変の中で、この町名はなくなってしまいましたが、ここから南へ「古井の坂」が下り、その先に清水が自噴していたという「吹上」がありました。

         

 この吹上にはその水を用いたサッポロビールの名古屋工場がありましたが、キリンvsアサヒの激戦にもまれて、しばらく前に撤退してしまいました。
 ちなみにこの近辺の地名、今池、池下などはどれも水に関したもので、この地域がいかに水に恵まれていたかを示しています。
 ちなみに、弁慶の掘った井戸があると言い伝えられている寺院もあります。

     

 さて、話はこの高牟神社のすぐ近くに新しくコンサートホールとギャラリーが誕生したということです。オープンは今年の10月10日のことです。
 一階はいくつかに区切られたギャラリー、二階は定員111名というこぢんまりとしたコンサートホールです。

 名称は「5/R」というのですが、なぜそうなのかは「R」のつく五つの言葉が云々というコンセプトらしいのですが、この施設が、昭和薬品(株)のメセナであってみれば、自然と調和した身体がなんとかということになる様です。

     
       愛想のいいスタッフのお姉さんがモデルになってくれたのに
       私のドジで目をつむった瞬間に・・・本当は瞳の美しい人でした。


     

 このホールへ初めて行きました。
 古楽器についてのレクチャー付きのコンサートです。
 楽器は二基のバロック・チェロ。
 演奏者の一人は酒井 淳、名古屋出身のチェロ奏者で、現在はフランスを拠点にヨーロッパで活躍しているそうです。ヴィオラ・ダ・ガンバ、バロックチェロ、モダン・チェロとチェロ全体をこなすようですが、特にバロック・チェロの曲などを発掘し演奏しているようです。
 もう一人は高橋弘治。彼も、2007年までラ・プティット・バンドのメンバーとして在籍し、時にはソリストも勤めたようです。

     

 この二人の演奏の合間にレクチャーが入るのですが、弓やガット、エンドなどの違いをモダン・チェロとの対比で話してくれて、私のような門外漢にもある程度理解できました。

 興味を持ったのは以下の点です。
 バッハが無伴奏のチェロ組曲などを作曲した折のチェロは、ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラといって、今のように足の間に置くのではなく、ヴァイオリンのように肩にかけるいわゆる「肩かけチェロ」ではなかったかという話です。
 演奏者にとっては重労働ですね。

     

 もうひとつは、古楽器ブームが始まって以来30年ほどして、その同じ古楽器の演奏そのものが当初から著しく変わっているということです。「原点に返れ」が合い言葉だったはずなのにこの多様化、やはり音楽は生き物で標本のように固定化することは出来ないということではないでしょうか。

 いろいろ、考えさせられましたが、古楽器の手作りの音色が快く響いたことはいうまでもありません。それを聞くにはちょうど手頃なホールだったと思います。

         

 当日の演奏曲を記します、
 1)J・B・バリエール 四巻からソナタ第4番ト長調
 2)L・ボッケリーニ ソナタ17番ハ長調
 3)J・オッフェンバック グラン・デュオ・コンセルタン Op34n.1

 あのオッフェンバックが最初はチェロ弾きだったことは知りませんでした。
 彼の曲からは、やはりあのカンカン・ダンスの匂いがしました。

 長年お世話になった今池に、こうした新しい場が誕生したことを喜びたいと思います。
 

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赤カブ漬けた。

2010-11-29 23:31:14 | よしなしごと
      赤カブ漬けた。色よく漬かり、美味しくなった。冬の気配。

     
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40番と薬の条件反射 三大交響曲を聴く

2010-11-28 01:49:05 | 音楽を聴く
 同人誌などの配布も終わり一段落したところでコンサートに・・・。
 会場は岐阜サラマンカホール。
 チョン・ミョンフン率いる東京フィルハーモニー交響楽団のモーツアルト三大交響曲(39番K543・40番K550・41番ジュピターK551)の一挙演奏会。

     

 ほぼ正面のバルコニー席。オケの場合はここが好きだ。
 ここからだと指揮者とオーケストラとの動きの関連がよく分かる。
 それに何よりも一階席では見えない奥の方の金管や木管、打楽器などの構成がよく分かる。

     

 それで気づいたのだが、モーツアルトの頃の楽器編成のスリムさである。
 金管はホルン2本とトランペット2本のみ、木管はやはり全部合わせて数本、打楽器はティンパニーのみという構成だ。
 40番にいたっては金管はホルン2本のみで打楽器はなしだ。
 こうしてみるとこの曲の音色の優しさが視覚的にも分かる。

         

 最初、39番の第一楽章の出足、ホルン2本とトランペット2本の金管勢が弦部門にまさるようでやや聴き苦しい感じがしたが、やがてチョン・ミョンフンのきびきびした指揮がすべてをとりまとめるようにして落ち着く。

 40番はいささか食傷気味である・・・などというと随分生意気に聞こえるが、これには深~い(それほどでもないか)わけがある。ライブで聴くのはこれで3、4回目なのだが、決してそのせいではない。
 
 実は、私が月に2、3回は通うクリニックのBGMがいついってもこれなのである。だからこれを聴くと、「え~っと、今日貰って帰る薬は、例の睡眠導入剤と、それに整腸剤、ヘルペス用の外用薬といったところか」と条件反射的に考えてしまうのだ。

 あるとき、いつもより少し遅れていったら、その折りは41番ジュピターだった。
 思うにこのクリニック、40番と41番をエンドレスで流しているのだろう。
 そういえば、カセットの時代からこの2曲はほとんどセットにされていた。
 他には、ピアノ協奏曲の20番(K466)21番(K467)もセットになったものが多かった。

 食傷気味といってもそこはやはりライブ、条件反射的に薬の名前を思い出すことなく心地よく聴くことが出来た。

    

 41番は第二楽章が好きだ。
 やや激しい第一楽章の後、ホッとする雰囲気の中で、誰かが優しく問いかけているように聞こえるのだ。そしてそこには、その不特定な問いかけのようなものに応答しようとする自分がいる。

 私が何かで逮捕され尋問される折、もしBGMでこれをかけられたら、洗いざらい、あることないこと何でもしゃべってしまうだろう。
 終章をドンと盛り上げて切れのいい指揮棒は動きを止めた。

     

 会場を出るとこの時期にしてはさほど寒くない夜気が火照った体を優しく包んでくれるのだった。
 考えて見れば、もう一週間もすれば12月5日、モーツアルトの命日であることに気づいた。
 今夜は、美味しい赤ワインを飲もうと思った。

写真はサラマンカホール周辺。内部は撮影禁止。
 

 
 

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紅葉を求めて紅梅と出会う・・・?

2010-11-25 00:33:39 | よしなしごと
 小春日和の一日、県立図書館へゆきました。
 借りていた本の返却、それに寄贈本を持っていったのです。

 12月に、名古屋でやっている若い人たちとの勉強会で、西田幾多郎にチャレンジするということで、その参考書も借りてきました。
 今のところチンプンカンプンですから、これから付け焼き刃の勉強です。

     

 例年のように私が定点観測している南京ハゼの木を訪れました。
 幸いほどよく紅葉していました。
 色づいた葉を従えるようにして、白い実が光っています。この実からは蝋がとれ、和ろうそくの原料とされました。

     

 こころなしか例年より実の数が多く、今年はなかなかの豊作のようです。
 今年のあのへんてこな季節変動がこの木には幸いしたのでしょうか。

     
                          今年の夏頃 
 
 実はこの木、私が訪れた県立図書館と路一本を隔てた県立美術館側の門前にあるのですが、この中の庭園の紅葉もなかなかのものなのです。それで期待を込めて歩を進めたのですが、それらしい紅葉は見えません。
 昨年立派に紅葉していたケヤキが枯れたような色合いで立っています。
 今年の季節模様のせいかも知れませんし、あるいはまだ早いのかも知れません。

     
             昨年今頃の美術館庭園の紅葉
 
 諦めてかえりかけると、石のオブジェに頬ずりをして遊んでいる少女がいました。
 「お顔、冷たくない?」
 と、尋ねると、
 「ううん、冷たくないよ」
 との返事。
 どれどれと、石の表面を触ってみると折からの小春日和の陽射しをため込んでむしろ人肌よりも暖かいくらいなのです。

     
                       これがオブジェの先端
 
 子供というのは大人の先入観をかいくぐって自分の遊びを考え出すものだなぁと感心しました。
 「ほら、上を見てごらん」
 と指さすと、
 「わあ、高いっ」
 と感嘆の声。
 「これってね、どっかのひとが作った石なんだよ」
 というと
 「ふ~ん」
 という返事。
 石を作るなんて、私自身の言い方があまりうまくないなぁと少し反省。

 幼児誘拐と間違えられないうちに「バイバイ」と別れをいうと、小さな手を振ってくれました。
 紅葉はいまいちだったが、可愛い子に出会えたからよしとしようと自分を慰めました。

     
                       同じ木の今年二月の満開時
 
 うちへ帰って植木に水をやっていたら、紅梅の鉢の枝先になにやら・・・・。
 よく見ると季節外れの紅梅が恥ずかしそうに一輪。
 さすがに季節にはずれているだけに、花の形も色合いもぱっとしません。
 くすんだ色の花がしょぼしょぼとしているのです。
 「来年は、ちゃんとみんなと一緒に咲いておいで」といい聞かせました。
 

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朗らかな決別のために・・・

2010-11-23 14:47:14 | 想い出を掘り起こす
 私が2、3度にわたって掲載してきたかつての岐阜県知事官舎ですが、県政資料館にもならず、レトロな雰囲気を利用しようとする飲食店などの買い手も付かず、ついに取り壊されたことは前回書きました。

          

 これは取り壊し後の状態です。その面影を何一つ残すことなく、いわゆる更地になりました。

 やがて、数年もすれば、ここに何があったかも人々の記憶から消え去ってゆくでしょう。そして10年もすれば、私も含め、ここに知事官舎があったことを知る人たちも死に絶えるでしょう。

         

 事実、私が写真を撮っていると、「ここはなにがあったとこじゃね」と尋ねる人があります。風体から見るにそんなに遠くから来たようには見受けられないのですが、私と同年代の人です。おそらく地元の人でも、途中からこの辺に来た人かも知れません。

     

 私は何が何でも古いものを残せという頑なな守旧派ではありません。むしろ古いものが淘汰されてゆくのは自然だろうと思っています。
 ただ、その時間の流れの中にある歴史性のようなものは失いたくありません。
 かつてどのような状況にあり、それがどのようないきさつで今日にいたり、かつ将来どうなってゆくのだろうかということへの興味です。

     

 それは同時に、時間軸に沿った私の座標をも示しています。
 ですから、去りゆくものをよく見つめ、来るべきものに目を凝らすということは、己の現状をも知ることのように思うのです。

     

 もやはこの土地についてはこれ以上触れません。
 子供の頃よく眺めた、玄関のポーチに黒塗りの車が厳かに横付けされていた光景を懐かしみながら、朗らかな決別を遂げたいと思います。
 
 サヨウナラ。


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鳳来寺山と不完全燃焼の紅葉探訪

2010-11-19 23:41:52 | 写真とおしゃべり
 初めて鳳来寺山というところへいった。
 などと書くと、先日の養老行きといい遊んでばかりいるといわれそうだが、こちらは紅葉探訪の仕事がらみである。とはいえ、半分は私自身の物見遊山であることは否めない。

 かつては、1425段の階段を登らなければならなかったようだが、現在は、鳳来寺山パークウエイという自動車道で、すいっと頂上駐車場まで行ける。そこから本堂までの道のりは約15分。

     

 駐車場の背後の紅葉が見事で期待を持たせる。
 参道を出発。お目当ての紅葉はなぜか今ひとつぱっとしない。
 紅葉していても、赤黒い感じであまりきれいとはいえぬもの、枝先だけ紅葉していてまだ緑が残るもの、そしてその枝先の紅葉がもう枯れ始めているものなどが目立つ。
 もみじ以外の紅葉も数少ない。

     

     
              逆光で厳しいが白く光っているのが三河湾

 しばらく行くと眺望が開ける。
 三河の山々が折り重なり谷あいに集落を見下ろせる。
 そして視線を上げると、そこには白く光る三河湾が。
 その向こうに長く横たわるのは渥美半島だろうか。

     

     

 そして、鳳来寺山の本堂やその後にそびえる鏡岩が見えてきた。
 この山はその鏡岩をはじめ、断崖絶壁の多い山である。

     

     
 
 折からの好天で、参道や石段の木漏れ日が美しい。
 ところどころの紅葉で絵になりやすいところを撮す。
 もみじはやはり逆光の方が面白そうだ。
 順光で下手に撮ると、ただの赤い固まりになってしまう。
 それにしても、やはり紅葉の仕方が今ひとつである。

         

     

 本堂に着く。
 もっとひなびた感じかと思ったが、それを裏切る近代的なたたずまいだ。
 後で調べたら、「鳳来寺山は過去に何度も大火が起こり、そのたびに建て替えがなされている。現在の本堂は昭和49年に完成」とあった。
 昭和49(1974)年といったら、長嶋茂雄が引退した年だからそんなに簡単にひなびるはずはない。

 ただし、本堂正面の休憩所からの眺望はすばらしい。先ほど見た三河の山々や三河湾が横たわる様子が、より広々とした視野のうちに一望できる。
 まだまだ奥の院やらなんやら見所があり、さらには山頂に達する登山道もあるのだが、出かけたのが遅かったのでもう秋の陽は傾きはじめたもよう、早速参道を引き返す。
 まあ時間があったところで、階段の上り下り、峻厳な山頂へのコースなどは私の足に負えるものではない。

     

     

 駐車場付近の売店で、五平餅とコーヒーという妙な取り合わせをいただく。
 売店の女性に、「今年の紅葉はどうですか」と尋ねると、この天候不順のせいかまったくダメだと顔をしかめる。
 やはり、色がどす黒くなったり、紅葉し終わらないうちに枯れ始めたり、それにもみじ以外の木もダメなんだという。
 「せっかく遠方からいらっしたのにねえ」と同情される。

      
 
 第一印象が良かった駐車場の紅葉をよく見ると、もみじではなく楓(ふう)というカエデの一種のようだ。この葉は美しく紅葉していた。

 こと紅葉に関する限り、欲求不満が残ったが、木漏れ日を浴びての山道の散策は、その澄み渡った天候、山の霊気を溶け込ませたような空気のおいしさ、そしてすばらしい眺望などがあいまって、けっこう楽しいものであった。
 レポートには、十分評価できる点を前面に出し、紅葉は時期的にややずれていたが全体としてはすばらしかったと書いておこう。これは決して嘘ではない。

 最後にこれから出かけようとするみなさんに。
 まだまだ青いもみじ葉が沢山残っていたので、これからの朝夕の冷え込みに伴って持ち直す可能性は充分あると思う。
 

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国民学校一年生の遠足 養老公園に集う

2010-11-16 15:49:52 | 想い出を掘り起こす
 小学校というものを卒業してからおよそ60年になる。
 入学したときは国民学校だった。
 入学した年、日本各地の都市は激しい空爆を受け、そのほとんどが壊滅した。
 その頂点が広島、長崎である。
 原爆投下は許されない行為だが、明らかな敗戦をそこまで引っ張ってしまった日本の軍部にも責任はある。

     

 戦中戦後は、戦地への招集、家族の疎開、などなど日本人の大量移動があった時期であり、その趨勢は捕虜生活からの復員(主としてシベリア抑留)や疎開地からの都市への帰還が続いた敗戦後数年まで続いた。

     
          この奥に滝が 曇っているのは黄砂のせい

 私もそうした一員で、岐阜から大垣郊外への疎開、シベリアからの父の帰還、などなどを通じて岐阜へ戻ったのは戦後数年を経た1950(昭25)年の始めだった。
 従って、私が卒業した学校には、5年生の3学期から在籍したのみである。

     

 にもかかわらずその私に、同窓会の幹事クラスの仕事が巡ってきた次第は以下の日記に載せた通りである。

   http://pub.ne.jp/rokumon/?daily_id=20100918

 で、いよいよそれが実現し、72歳の面々が集まった次第。
 場所は養老公園近くの温泉の里。
 打ち合わせの段階で会った人以外よく分からない。しかし、話し込んでいるうちにだんだんその人の記憶がよみがえってくるのが不思議だ。今朝何を食したかすらよく分からないのに、60年前のことが鮮明に思い出せるのは記憶装置というものの一つの謎である。

     

 昼食の後、養老公園へ。
 養老の滝を是非観たいという人もいて、駐車場から滝までの道中でリタイヤーした人は途中で待つというルールで登りはじめる。

     
 
 ここへは場所がら何度も来ているが、こんなに険しいルートだと思ったことはなかった。滝までたどり着いたのは約半数。私もその組にかろうじて入ったが、写真を撮りながら主力部隊を追いかけるのには、かなりしんどい思いをした。

     
             養老といえば孝子伝説

 おそらくもう何年もしたら、この滝をリアルに観ることは不可能だろうと脳裏に焼き付けた。麓ではけっこう高齢者が多かったのだが、滝壺周辺の平均年齢はグンと下がっていた。その中で、ベビーカー付きで登ってきた夫妻が少なからずいたことになるほど、若いってことはこういうことなんだと改めて感心した。
 下りながら、一箇所で歓談していたリタイヤー組と合流し宿に戻った。

     
 
 突然だが、岩盤浴というものを初めて経験した。10年ほど前、脳梗塞を経験して以来、サウナは敬遠していたのだが、岩盤浴はじわじわっと暖まるのでいいのだということで入る。
 なるほど、最初はさしたることはないのに、じわじわっと暖かくなってくる。

         

 かつて自分が店をやっている折、石焼きをメニューにし、様々なものを熱した鉄平石のの上で焼いて出したのを思い出した。あのとき、焼かれた素材は今の私の気持ちだったのだろうか。45分間を経過して、自分の体内の水分がすべて出たほどの汗をかいた。

     
           孝子が酒を汲んだということでヒョウタンが名物

 その後、夕食歓談と続くのだが、これを読む人にはあまり関心がないので省略する。
 ただし、私のような年齢の者が思い出話をするとき、必ず戦争が絡んでくる。自分の父が兵士としてとられたこと、疎開したこと、喰うものがなかったこと、進駐軍が来たこと、復興の波に乗ることが容易ではなかったこと、うまく乗った奴が戦後成金としてのし上がったこと・・・。

         
            草団子を焼く人 行列が出来ていた

 時代が時代だから、中卒でとどまった人、高卒の人、大学へ進んだ人と各種だが、世間話の体験談の中ではそうした学歴に差異はない。むしろ、ず~っと地元にとどまった人の方が事態の変遷を正確に記憶し、尚かつそれへの適切な見解を持っている場合が多い。

         

 一部屋へ集まっての深夜までの歓談は、既にして亡くなった数名の同級生へのレクイエムも含め延々と語られるのであった。
 そのうちに、5年生の3学期からの編入という外様のような自分の立場にもかかわらず、同じ時代を、とりわけ戦中戦後の厳しく混乱した状況の中で、様々な選択をした様々の家族が生き抜いた歴史のようなものがそれぞれ浮かび上がってきて、私もまた、間違いなくそのうちにいたことを確認し、同時代を生きた同志のような感慨が浮かんでくるのだった。

         

 始めは事務的な手伝いということではじめたのだったが、いつのまにか幹事級にになってしまったことは既に述べた。まあ、しかし、そこでの私の気まぐれな尽力で人が集まり、その語らいの中で往時の克明な記憶が掘り起こされ、それぞれがここぞとばかりに語ったのはとてもいいことだったと思う。

     

 養老公園の紅葉は今年の気候の影響で例年より遅れいまいちだったが、自然の輪廻は多少のバリエーションがあっても繰り返す。
 しかし人の被った歴史上の事実は不可逆で、これから改めてサイクルをやり直すことは出来ない。その不可逆性を一身にため込んでいるのだから、老人がシワ深くなるのは当然なのだ。

     

 かくいう私も、往年の紅顔の美少年の面持ちを保ちながらも、歴史と私の生涯とによってもたらされた深きシワが、そのかんばせに刻み込まれるのをいかんともし難いのである。

     
           先端のみの紅葉 これが全部赤くなったら・・・

 帰宅した後、例のマドンナからこんなメ-ルが入っていた。
 「有難う!六さんの優しいご協力を心より感謝いたします!・・・・・・ゆっくりおしゃべりして涙ぐんで別れました!」






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大垣との縁と映画「隠された日記 母たち、娘たち」<2>

2010-11-13 00:06:18 | 映画評論
 前回、なんだか思わせぶりは終わり方をしてしまったのは、書き始めるとついダラダラッとした文章になる悪癖のせいと深く反省している。

 さて、映画の方であるが、娘と母、祖母の三代にわたる女性の物語である。
 監督はジュリー・ロペス=クルヴァル・・・と偉そうに書いたが、この監督についてはよく知らない。たぶん、その映画を観るのはこれが初めてだと思う。
 主人公と思われる娘に、マリナ・ハンズその母に、ご存じカトリーヌ・ドヌーヴ、そして祖母役にマリ=ジョゼ・クローズと、それぞれ個性的な女優さんが競演している。

              

 冒頭での母娘の、なにやらざらっとした心理的葛藤のようなものから、いくぶん重いどんよりした状況の連続になるのかなと思っていたら、子供たちを捨てて家を出た祖母の日記が発見される辺りから、その展開にぐいぐいと引き込まれて行くことになる。
 
 地方のプチブルジョワの家父長的で閉鎖的な家庭の中で自立を模索する女性の姿(祖母)、自立をした強い女性でありながら自分の母に捨てられたというトラウマを持つ母、そして自由であるが故に自己をどのように投企して行くかに悩む娘、これら三人のありようが、その映像においては時間の域をしばしば越境しながら進行しする。

     
 
 そして意外な展開となるラスト。
 しかし、それは未見の人のために語らぬのがマナーであろう。
 ただし、その展開によって、この三代がおかれた位相が劇的に変化することだけはいっても許されるだろう。

 そして、私たちが観てきた過程のこの変化をひとことで要約するような洒脱なセリフが放たれ、フェイドアウトして映画が終わる。
 この最後のセリフが実にいい。
 そのおしゃれなピリオドの打ち方には感心した。

 これはまさに、アメリカ映画にも、日本映画にもない、ヨーロッパの映画そのものである。

     

 なお、カメラは海辺の限定された空間にほとんどとどまるのだが、その映像は、全体のドラマの通奏低音のように、実にしっくりしている。

 当初書いたキャストの祖母役と娘役が逆になっていましたので訂正しました。なんというそそっつかしさ。

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大垣との縁と映画「隠された日記 母たち、娘たち」<1>

2010-11-12 04:32:19 | よしなしごと
 同人誌の会合で名古屋へ。
 会合後、せっかく名古屋へ出てきたのだからと前々からマークしていた映画を観ることとする。
 同人誌仲間の先輩、Oさん(やはり岐阜郊外のお住まい)の「何かいい映画でもありますか」との問いに、「よろしければご一緒しませんか」ということで、標題の映画を一緒に観ることにする。

 少し時間があったので、会合や食事をした同じビルでやっていた「大垣フェアー」を覗く。ようするに、岐阜県大垣市の宣伝活動であるが、若干のアンケートに応えるとはずれなしの抽選があるというので二人でチャレンジ。
 Oさんがまず抽選器を回す。白い玉が出て、三等賞、絵はがき二枚。

     
         景品のお菓子 美濃大柿(美濃大垣)

 続いて私。今度は赤い玉。
 男の生殖能力が終わるとき、最後に赤い玉がころんと出てくるなどといういささか卑猥な言い伝えを連想をしていると、鐘がカランカランとなって一等賞ですという。
 軽井沢の別荘が一軒か、ハワイ旅行かと思ったが、景品は「金蝶園饅頭総本家」の「美濃大柿(みのおおがき)」というお菓子であった。
 金蝶園というのは懐かしい。子供の頃、大垣に疎開していた私にとって、ここの饅頭はおおご馳走であった。いわゆる、酒饅頭の系統だが、もちろん自分で買ったりは出来ない。もっぱらもらい物に頼っていた。
 ところで、よくあることだが、この金蝶園、総本家か正本家か知らぬが二軒あって、どちらがどちらかわからないまま両方を食べていたと思う。

        
          水都大垣 透明な湧水の中を泳ぐ魚たち

 同行のOさんにはまことに申し訳なかったが、ありがたくちょうだいした。
 帰宅して一つだけ食したが、干し柿の形の中に漉し餡が入り、それにシナモンの香りがする美味しいお菓子だった。
 ところで、私がこの様な僥倖を得るのは、前回の日記で、大垣出身のピアニスト、木曽真奈美さんを紹介したからだろうと思う。
 彼女への熱烈なオマージュが、翻って私への幸運をもたらしたのに違いない。
 
 幼年から少年時代まで数年を疎開で過ごした大垣はやはり私の第二の故郷なのだろうかと、貰った菓子をほおばりながらいささかの感傷にふけった(もっとも、もともとみなしごハッチであった私にとっては過ごしたそれぞれの土地が故郷で、いわゆる土着性は希薄である)。

     
      遠方から水を汲みに来る人もいるという 八幡神社境内にて

 あ、ここまででけっこう長くなってしまったので、映画の話は申し訳ないが次回に譲らざるを得なくなった。
 同行してくれたOさんが、いい映画だといってくれたのでホッとしたことのみ書いて、次回、乞う、ご期待である。
 
 

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入魂の「展覧会の絵」 木曽真奈美コンサート

2010-11-11 01:57:52 | 音楽を聴く
 岐阜県の、しかも私が疎開生活を送った大垣の出身だという。知らなかった。
 別に地元だというわけでコンサートに行ったわけではない。
 いじましい話だがそのチケットが500円という異例のお値打ちだったからだ。
 これで土曜の午後をノンビリ過ごせたらいいではないか。
 
        
          紅葉しはじめた樹木とサラマンカ裏手

 他にも理由はあった。このひと、ショパンなども弾くが、どちらかというとロシアの作曲家を得意とするというのだ(モスクワ音楽院国際サマースクール、最優秀で卒)。さらにいうならば、弾く曲についてのトークを混じえてのコンサートだともいう。
 まさに昼間のコンサートにはふさわしいかも知れない。

 結果をいうなら予想以上に楽しく、しかも後半はグンと聴かせ、ようするに当たりのコンサートであった。

        
          期待を込めてホールへのエスカレータを登る

 プログラムは最初はショパン。これは今年がショパン・イヤーだからだろう。
 小品三曲を弾いたが、いちばん厚みのある「幻想即興曲 嬰ハ短調」が最も聴き応えがあった。

 後はロシア音楽。チャイコフスキー(一曲)とラフマニノフ(三曲)で前半の終わり。
 ラフマニノフでは「前奏曲 嬰ハ短調 op3-2  鐘」が良かった。
 余談だが、浅田真央さんがバンクーバーのフリーで使った曲である。この重厚な曲は、その折、真央さんのイメージとは少し違うような気がしたものである。同じ「鐘」ならパガニーニのものか、そのピアノ版(リスト)の方が似合っている感じがする。

       
              サラマンカホール ロビー

 さて木曽さんのトークであるが、これがうまいのだ。涼やかな声で、曲の解説などを行うのだが、一般的な知識にとどまらず、彼女の実体験に基づく話はとても説得力がある。
 くわえて、とても研究熱心であるようで、何でも体験しようとする積極さに溢れている。

 例えば、ラフマニノフを弾くに際しては、彼と深い関わりのある村の博物館などを訪れ、曲のイメージを膨らませるなどしている。
 さらに、ムソルグスキーの「展覧会の絵」を弾くに当たっては、彼の生誕地を日本人の単身では初めて訪問し、それが荒涼たる地であることを身をもって感じたりしている。

      
          ホール入り口 ここから先は撮影禁止

 なお、「展覧会の絵」の画家(ムソルグスキーの親友にして31歳で夭折したヴィクトル・ガルトマン この曲がその遺作展をテーマにしていることは周知の通りである)の絵画を、その曲に対応させながら鑑賞し、分析し、この二人の芸術家の関係を跡づけてゆくくだりはなかなかの熱弁であった。

 さらには、この曲の彼の自筆の楽譜を見にも行ってもいる。当時のムソルグスキーは、親友に先立たれ、音楽仲間との軋轢やオペラ(「ボリス・ゴドゥノフ」か)の初演の不成功などもあって、重度のアルコール依存症であったという。
 そのせいで、その楽譜はワインの飛沫や手垢での汚れをいっぱい残しているのだそうだ。

 それだけその作曲家にのめり込み集中しているだけあって、MC抜きの演奏だけの後半、「展覧会の絵」は入魂の演奏で、厚みのある豊かな音を紡ぎ出していた。
 私は、正直言ってピアノの技量などを評価できるほど鍛錬された聴き手ではないが、この演奏はとてもよかったと思う。

        
             当日のパンフと入場券
 
 彼女自身がそのブログで、
 「最後の『展覧会の絵』では天国でムソルグスキーとガルトマンが 仲良く手を取り合っているのが見えるような、そして会場全体がムソルグスキーの想いにひとつになっている感じがして、弾き終えた時には 感激で涙をこらえるのに必死で、しばらく立ち上がれませんでした」(一部改行や表記を編集)
 と述べている。

 確かに最後の「キエフの大門」辺りでは、亡き友・ガルトマンへのレクイエムであると同時に、ムソルグスキー自身が、苦悩のうちにありながら、尚かつ敢然と生きて行こうとする決意のようなものが明確に表現されていたように思う。

          
               彼女のHPから借用

 木曽真奈美さんは弾いて語れて、尚かつ、絵になる演奏者であった。
 思いがけぬいい演奏会で、至福の午後であった。
 ところで、こんないい演奏会を岐阜県下でベストといわれるサラマンカホールで聴かせて、僅か500円の入場料というのはどういうことだ。
 確かに満席状態だったが、あれならもっととっても客は入ると思う。
 あれで500円では、演奏者に失礼では外科医、いや、ないかい?
 責任者、出て来いっ!
 (500円につられていったくせによく言うよ)
 以下罪滅ぼしに・・・。

木曽真奈美さんのHP
 http://www.kisomanami.com/
木曽真奈美さんのブログ
 http://ameblo.jp/kisomanamiblog/

今後のコンサート日程(本年分)
 ">・11月13日(土) 千葉市 木曽真奈美 アドバイスレッスン
 ・11月14日(日) 東京都中央区 ヤマハ銀座 木曽真奈美 
  トーク&コンサート(2回公演)
 ・11月19日(金) 横浜市 桐蔭学園 音楽講座
    ~青島広志氏の音楽なんでも帳~ 鵜川メモリアルホール
 ・11月20日(土) 大阪府大阪市 木曽真奈美 ピアノコンサート
 ・11月21日(日) 同上
 ・11月28日(日) 静岡市 木曽真奈美 ピアノコンサート
 ・12月5日(日)  東京都
        サイ・イエングェン プライベートコンサート
 ・12月6日(月)  東京都世田谷区 日本フィル学校コンサート
 ・12月12日(日) 茨城県水戸市  2回公演
   木曽真奈美<ピアニストコミュニケーションコンサート>
 ・12月14日(火) 東京都・エドモンドホテル
     サイ・イエングァン クリスマスディナーショー
 







 

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