六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

六も歩けば・・。

2008-10-31 17:59:09 | 写真とおしゃべり
 不眠症というより途中覚醒で、眠りについて2、3時間すると目覚めてしまい、後はず~っと眠れないとうことは何度か書いた。むろん、年中そうではなくておかげで昨今は調子が良い。薬の助けは借りるが、暗闇を見つめながら強迫観念にも似たでたらめの思考の海に翻弄されることはなく済んでいる。

 
    これを干した人結構、きちんとしたことの好きな人みたい

 思うに、気候が良くなってよく運動するようになったからだろう。
 暑かった折りはあまり歩き回ることもせず、今なら自転車で行く距離も車に頼っていた。昨年の熱中症が恐怖感をもたらしたからだ。

 
      この頃の子はもうこんなもので遊ばないのだろうか

 しかしこの時期、ちょっとした距離なら歩き、少し離れたところなら自転車で出かけるに好都合な気候である。
 先ほど述べたように睡眠にも良いし、食い物も旨い。
 加えて目線の問題がある。今まで見えなかったものがよく見えるのだ。
 母の病室へ通うのも、車ではなく自転車にしてから、負担の意識が軽くなった。
 ちょっと違った道を走るだけで、なにかを見つけることが出来るからだ。

 
      なるほどと納得する。この辺の地名なのだろうか

 目線の変化はてきめんである。歩き回れば自然といろんなものは目に入る。自転車でもそうだ。
 車で通りすぎるのとは全く違って、ものたちがゆっくり視線に迫ってくるのだ。
 立ち止まることも、話しかけることも自由である。

 
         風情のある実の付け方をしていやがる

 学校帰りの子供たちが「こんにちは」などといってくれようものなら、なんだかとても得したような気分になれる。
 ここに掲げた写真は、歩いたり自転車で出かけたばかりに収めることが出来たものである。

    
       「さよなら三角、また来て四角」だったっけ

 こんなものやあんなもの、或いは見慣れたものが季節の光を浴びてどれも新鮮に映る。

 







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飛行機はポーズをとらない!

2008-10-29 17:26:39 | 写真とおしゃべり
 暮れなずむ空港の写真をお届けしますがまずどうしてこんなことになったかというと・・。
 名古屋鉄道の切符を往復分もらったのです。どこへでも行ける切符です。
 名古屋へは所用で良く行くのですが、わずか1,000円前後の往復ではもったいないと思いました。
 かといってここという所も・・。

 
             光っているのは伊勢湾
 
 で、ふと思いつきました。
 そうだ、空港へ行こう、中部国際空港へ2000系電車「ミュースカイ」に乗って出かけよう。
 好きな電車に乗り、飛行機を見ることが出来る、私の中で少年の残り火が小躍りし始めました。
 実は私、この空港が出来て以来行ったことがないのです。愛知万博も行きませんでした。
 井の中の蛙ですね。

 
           スカイデッキの陽が傾き始めた
 
 それで行きました。
 寝坊助の私は出発が遅く午後から出かけたので、まずは飛行機の写真を撮ったり、空港内の売店などをお上りさんよろしくうろついたり、遠足気分で生ビールなど飲んで休息しているうちにどんどん時間が経ち、陽が傾き始めました。

 
     これより大きくていい構図で撮ったつもりが尻尾だけだった
 
 それではもう一度と、スカイデッキへ出て暮れゆく風景などをカメラに収めました。
 結果として、明るいうちに撮ったものよりこの暮れ始めてからのものの方が面白いものが撮れました。
 やはり光の陰影がくっきりしてくるのは面白いものです。

    
     世紀の発明と騒がれたセグウエイ、警備員さんが乗っていた

 残念なのは飛び立つ飛行機がなかなか巧く撮れなくて、回りの構図などから見て、「よしっ、これだ」とシャッターを押したものの、肝心の飛行機は尻尾しか写っていなかったりしたことです。
 飛行機って、空中に止まってポーズをとってくれるなんてことが出来ないのですね。まことに不器っちょな奴です。

    
             夜のとばりが迫る

 秋の陽はつるべ落としといいますが、もう一度、もう一度、と飛行機の飛び立つのを待つ間に、だんだん陽が傾斜を深め、ついには海を挟んだ西側の伊勢志摩半島の向こう側にすっかり没してしまいました。
 気がつけば空港はすっかり夜の気配、飛行機の轟音も気のせいか夜の響きを帯びてきたようです。

    
      この後、夕陽がストンと落ちて急に暗くなった
 
 帰途ももちろん電車。日暮れの電車は短距離はともかく、ある程度の時間が経過するとなんだか淋しいものがありますね。
 あまり来ないところなので、本など読むのはやめて、遠足の子供のように窓に鼻をくっつけて沿線の夜景を見ていました。
 通り過ぎる家々の灯りや街々のネオンが走馬燈のように流れるのを見ながら、その下にある人々の暮らしなどを連想していると、なんだか自分だけがそこから切り離されているかのように切なく思え、私のこの小旅行に幾分かの感傷を添えるのでした。




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ヴィヴァ! 上海! ヴィヴァ! 秋の恵み!

2008-10-27 17:17:22 | よしなしごと
 一夕、上海に遊び、上海ガニを賞味いたしました。
 お店に到着してすぐに、この貴重なカニの生態を見せてもらおうと調理場に案内してもらいました。
 流し台の中で、今宵私が食するカニたちががさがさとステンの壁面をひっかきながら出迎えてくれました。

 
 
 数えてみると、多少大きさにばらつきがあるカニが十パイほど蠢いています。中には、泡を吹きながらなにやらぶつぶつ言っているのもいます。
 いわゆるモクズガニですから、ハサミを持つ足には特徴のある藻くず状の毛のようなものが生えています。

 

 ガサゴソガサゴソ、上になったり下になったり動き回る様は彼らの生きの良さを表すものであり、これからの食に対する期待が否が応でも高まります。
 一番大きいものに手を近づけると、とてもどう猛でさっとハサミを広げてを威嚇します。こちらが手を引っ込めない限り、ハサミを収めようとはしません。すごい根性です。でも、こいつが一番おいしそうだなと当たりを付けて調理場をあとにしました。

 

 待つことしばし、赤くゆであがった上海ガニが運ばれてきました。
 甲羅をとると、図体に比べ思ったより多めのカニ味噌や卵があります。
 ワタリガニや毛ガニよりかなり小さく食べるのが面倒なのですが、その代わり殻の部分が柔らかいので、いちいち身をほじくり出せないところはガリガリッと噛んで、身の成分だけをすするように味わいます。
 実は私、医者に甲殻類は止められているのですが、この際はそれに目をつぶって、三バイ食べてしまいました。久しぶりのカニを堪能したというわけです。

 

 といったことですが、上海へ行ったということは嘘です。
 カニを食べたのは本当ですが、我が家で自分で湯がいたのです。
 カニは長良川で獲れたモクズガニです。
 上海ガニといったのもまんざら嘘ではありません。
 上海ガニは、チュウゴクモクズガニといって、私が食べたものとほとんど変わりのない同類なのです。

 この時期、長良川の中流域や下流域でよく獲れます。産卵に海へ下るものを漁師が捕獲するのです。
 本来はもっと高価なのですが、今年は豊漁なのか、たまたま並んだ店では需要が少ないのか、なんと十パイで598円という安さです。
 これはやはり買いでしょう。

 

 最後の写真、左上に写っているのは自家製の〆鯖です。
 まだ赤っぽいのですが、多めの塩に一時間なじませ、水洗いしてから、昆布とすだちと生姜に合わせた酢で一時間しめました。
 カニ共々、秋の味を堪能しました。

 酒は、石川県は菊姫の「淳」を合わせました。
 私は、偽「上海帰りのリル」です。

 「上海帰りのリル」なんて若い人には分からないでしょうね。








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コキッ・こきっ・気がつけば古稀。

2008-10-26 02:29:08 | インポート
 首が折れたわけではありません。
 首が回らないのは事実ですが、借金のせいではありません。
 肩こりのせいです。
 
 10月26日、古稀を迎えました。
 本来は「古来稀」ということですが、今では少しも稀ではありません。
 試しに石を10個投げると、そのうち7個は70歳以上に当たります。
 7割はいないだろうと考えるのは素人のあかさたな。
 若い人は身軽で、飛んできた石をよけることが出来るので、大半は私のような鈍くさい者に当たるのです。

 
                廃屋の秋(その一)


 前振りはともかく、古稀に望んでのご挨拶をと思ったのですが何も思い浮かびません。
 それで無理矢理、以下のようなメッセージを考えつきました。

<その一>「古稀を過ぎたがまだまだ若いぞ」などとは決して思わない。
 歳相等に、肉体はむろん、思考能力や表現能力も低下していることを素直に認め、そうした能力低下と折り合いながら生きてゆく。

<その二>「自分はもう歳だから」と諦めたり引っ込み思案にならない。
 年甲斐もなく、と笑われても、興の赴く事柄については固執したり、勉強したりする。

<その三>上の二つは矛盾している点もあるが、そんなことはお構いなしに生きてゆく。

    
                廃屋の秋(その二)
 
 無理矢理考えついたものですから、これを守ることが出来るかどうかははっきりしません。
 しかし、私の回りの先達たちは、ほとんどこんな風に生きていらっしゃるようです。
 ほやほやの新米古稀ですから、そうした先達の足跡を辿りながら、私自身の足跡など新しく付けることが出来ればと考えてます。

 というようなわけで(どんなわけ?)、これをお読みの皆々様、今後ともよろしくお付き合いいただきますよう、隅から隅まで、ず、ず、ずい~~~~っと、おん願いたてまつりま~~~す!

 
                蓮根畑の秋
 写真に廃屋や枯れ葉を持ってきたのは老齢を意識したものではありません(多少はあるか)。


■おまけ■ 私が生まれた1938(昭和13)年がどんな年だったかの一端を・・。

* 1月3日 - 女優岡田嘉子が杉本良吉と共に樺太国境を越えてソ連に亡命
* 2月1日 - 山川均・大内兵衛・美濃部亮吉ら労農派教授グループ約30人が検挙(第二次人民戦線事件)
* 3月13日 - ナチス・ドイツ、オーストリアを併合(アンシュルス)
* 5月5日 - 国家総動員法施行
* 5月21日 - 岡山県苫田郡西加茂村大字行重で大規模な殺人事件が起こる(後に津山30人殺しなどと呼ばれる)。

【六の註】これは、横溝正史の『八つ墓村』のモデルになった事件。この年の日本の殺人事件の被害者は500人前後というから、一人で6%に当たる人を殺したことになる。犯人は自殺。今なお戦争などを除けば、一人の犯人による殺人の日本記録。

* 8月16日 - ヒトラー・ユーゲント来日
* 10月1日 - 陸軍が作戦要務令を制定
* 11月9日 - ドイツでユダヤ人迫害開始(水晶の夜)
 
 その他、物資不足による代用品時代・木炭自動車の始まり・国策としての満州移民等々、戦時色が刻々と迫まり、国民生活にも深刻な影響を与え始めた年でした。




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すわ、「稲かけ殺人事件」?

2008-10-22 14:16:13 | 写真とおしゃべり
 当地での稲刈りはほぼ終了したようです。
 稲刈り最中の田や、それが終了したばかりの田を通りかかると、プ~ンと刈りたての稲特有の青臭くも甘い匂いがします。
 こればかりは都会では味わえない秋の香りです。

 

 現在は、コンバインで刈り取りますから、一挙に脱穀までして、田圃には寸断された藁くずが散乱している風景が多いのですが、私の家のすぐ前に、もっと具体的にいえば道路を横切って20メートルもしないところに、昔ながらの「稲かけ」をして自然乾燥をしている田圃があります。
 下の写真は、脱穀までしてしまう田圃の刈り跡と、藁を残す田圃の刈り跡を比較したものです。その違いがはっきり分かるでしょう。

 

 

 この「稲かけ」、地方によっていい方が違うようですが、私が少年時住んでいたところでは確か、「稲はさ」またはその訛りと思われる「稲わさ」といっていたと思います。横木を稲で挟むからでしょうか。
 ほかには「稲木」とか「稲ばた」ともいわれるようです。
 皆さんのところではどうでしょうか。
 この方法ですと、藁が使えますね。
 正月の注連飾りなどの、あのまだ青さの残った藁が思い浮かびます。

 
 
 私が度々書いてきたように、私の住まいのあるところは、市の中心街からせり出す都市化の動きと、昔ながらの農村とがせめぎ合っている、私にいわせればまだらなところなのです。
 この写真のからも、そうした地のおおよその風情は分かるのではないでしょうか。

    

 ところで、最後の写真、稲かけの向こうにパトカーが・・。すわ「稲かけ殺人事件」の発生かと思われそうですが、あの車はパトカーではなく、近くにある日赤血液センターの血液運搬車なのです。
 稲かけの向こう側にそれらの駐車場があるため少しアングルを変えていたずらをしてみました。

 この血液運搬車、緊急時には高らかにサイレンを鳴らして出動します。時としては、真夜中にいきなり鳴り渡るサイレンで叩き起こされることもあります。
 稲かけと血液運搬車、この二つが私の居住環境を示す象徴かも知れません。
 
 秋はあっという間に深まりを見せています。
 晩秋の日々はさらに駆け足で去ってゆくことでしょう。
 



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「映るんです!」をめぐって

2008-10-21 03:18:02 | 写真とおしゃべり
 「うつす」あるいは「うつる」は漢字に転換すると様々になりますが、それらは共通した根っこを持っているようです。
 移す、遷すはようするに「移動」を表し、映す、写す、撮すは「射影」を表します。
 しかし、前者の「移動」に関するものも、本来あった位置から他の場所へということからすれば、後者の「射影」と共通するものがあるといっていいかも知れません。

 

 ここでは、後者の「射影」に関連するのですが、「うつす」(映す、写す、撮す)はいわば能動的で、それに対し、「うつる」(映る、写る、撮る)は受動的なように思われます。
 「うつす」方はそこに意志や行為が伴っているのに対し、「うつる」にはそれが欠落しているように思われるのです。

    
 
 例えば、私は写真を撮し、それを日記やブログに載せます。
 それはとうぜん、私が選択したものを私が大きさやアングルを決め、撮し、それを載せるということで、私の意志や行為の結果であるということになります。

 

 一方、ここに載せた写真たちは、ロード・ミラーであれ、車のリア・ウインドであれ、自ら意志し、行為して撮しているのではなく、たまたまそこに置かれたために「撮す」のではなく「映っている」にすぎないようです。
 車のリア・ウインドに至っては本来映すためのものですらないのに、たまたま光のいたずらで映っているに過ぎません。
 こうしてみると、「撮す」と「映る」の違いは大きいように見えます。

 

 しかしです、私は本当に自身の意志や行為で撮しているのでしょうか。
 私が美しいもの、珍しいものとして撮す写真、或いは映像として伝達すべきだとして載せる写真は、実はその大部分をこの現代の社会的通念のようなものに負っているはないでしょうか。

 もし、私の写真に個性のようなものがあったとしても(あるといっているのではありませんよ)、それは私に与えられた環境や教育、経歴からするいわば受け身の差異であって、私の中に予めセットされた意志や行為の結果とは言い難いのではないかとも思えるのです。

 

 ここまで来ると、「撮す」と「映る」の境界は曖昧になってきます。
 ミラーやウインドにしたところで、それらはものを映したり、運転者の後方確認を容易にするために様々な技術が施され、それによって映るのですから、人間の意志や行為とは無縁ではありません。

 ここには、リアリズムのある種の危うさと重なる問題があると思います。
 ひとつは、無心に撮すことを意志するということの危うさです。撮す者の意志の中には、既にして撮す側の予めのスタンスが刷り込まれてしまっているはずです。
 また、自ずから映るというのも、そこにはそれを準備し受け止める意志や具体的な人間の技術が介入してしまっているのであり、たとえそれが自然の水鏡であっても、それを見るという美学の中には、やはり人為的な働きが既にしてあるのではないかということです。

 
          右端に怪しげな「映るんです」が・・。

 かくて、「撮す」と「映る」の違いは混沌としてきます。
 私は、時にはロード・ミラーのように、また時には車のリア・ウインドのように、なにかを「映して」いるのかも知れません。
 また、ロード・ミラーやリア・ウインドは、それ自身が人間の産物であり、それが映し出す風景もまた現代が生み出したものであるとすれば、彼らはまさに現代を「撮して」いるのかも知れません。


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三本足の猫と老人の物語

2008-10-19 00:50:46 | よしなしごと
 所用があって出かけたのですが、意外と早く終えることが出来たので、むかし「寿限無」という名の犬を連れてよく散歩した辺りに自転車で寄り道をしてみました。

 郊外を流れる川のほとりで、次第に市街地化され風景が変わりつつあるとはいえ、そこそこ自然も残っています。
 例によって川で遊ぶ白鷺や鴨、それにでっかい鯉などをカメラに収めながらのんびり行ったのですが、その最後に、自然を愛でるどころではない厳しい現実にぶつかることになったのでした。

 

 上の写真は背高泡立草とすすきの競演で、その向こうの橋は国道○○号線です。
 ここらまではのんびり来たのです。
 川に沿った道を降りて、国道○○号線の下の小さなトンネルをくぐりました。この道は農作業の人が使うぐらいで、ほとんど人通りがありません。
 くぐりきったところで、道の端に一匹の猫が座っているのを見かけました。自転車で近寄っても逃げようとしません。あまり美猫ではないかなと思いつつも(猫さん失礼!)、一応カメラにと思い自転車から降りたのですが、それでも逃げようとはしません。
 そこで、2、3枚写真を撮らせてもらい、その場を去ることにしました。

    

 そのときです、猫にばかり気をとられていた私は、トンネルの出口の猫の反対側に奇妙なものがあるのに気づいたのです。 
 それは一台のワンボックスカーでした。車体の感じは掃除されたように光っているのに、リヤーウインドウにべたべた貼られたテープが何とも異様です。
 これが、国道○○号線の側壁に寄り添うように置かれていたのです。

 この辺にはよく廃車が捨てられていて問題になったことがあったので、それだろうと思いました。そういえばナンバープレ-トも外されています。
 これもまた、カメラに収めさせてもらいました。

 

 と、そのときです、心臓が飛び出るほど驚きました。
 バンとドアの開く音がして、中から男の人が出てきたのです。
 年令は・・・私とさほど変わらない老人です。
 身なりはこざっぱりしています。そして手にはコンビニ弁当の容器が・・。
 そうなのです、彼はこの車の住人なのです。

 そういえば、車の後ろに水を張ったボールがあり、そこに何か果実のようなものがあるのに気づき違和感は持っていたのですが、子供がままごと遊びでもしたのかと思っていたのでした。
 廃車にしては車が綺麗だったわけが何となく分かりました。

 私はどぎまぎしながら「こんにちは」と挨拶をすると、彼も屈託のない表情で「こんにちは」と言葉を返してくれました。
 話題の継ぎ目に困って、「この猫を飼っていらっしゃるのですか」と尋ねると、落ち着いた声で、「いいや、そうではなく、野良猫だと思うのだがすっかりなついて」と答えてくれました。

 その猫がいかに彼になついているのかは次の瞬間、新たな事実とともに分かりました。
 それまで、ず~っと座り続けていた猫がやおらその老人の方へ歩み寄り、彼に甘える素振りをし始めたのです。
 その数歩の猫の歩みは奇妙でした。左の前足が使えなくて三本足で歩くのです。
 交通事故か、犬に噛まれたかしたのでしょうか。
 もう一度違うアングルから猫を見て下さい。
 こうしてみると、明らかに左の前足が不自然な格好なのが分かるでしょう。

    

 どんな事情があるかはともかく、温和しくそこそこ品性を備えた老人が、車を根城として三本足の猫と暮らしている、これは何なんだろうと考えてしまいます。
 この老人は、家族(があったとして)との関係や地域社会と切り離されてここに住まっています。それは最終的には彼の判断なのでしょうが、そこへと至る前提としての様々な重い事情があったのではと思うのです。

 私は猫と老人に代わる代わる視線を投げて、「失礼します」とその場を去りました。
 考え込んでペタルを踏んでいたせいで、大きな通りへ出るところでもう少しで信号を無視するところでした。
 これから寒さがつのる中、あの老人はあの三本足の猫とどう過ごすのでしょう。
 役所の連中が来て追い立てはしないだろうかとも思いました(最初は「国道○○線」のところに正確な数字を入れていたのですが、これをもし役人が見ていてリアクションを起こすと困るので、この表記にしました)。
 悪ガキ共が来て襲ったりはしないでしょうか。

 路上生活者の人のように空き缶など集めている形跡もないのですが、どうやって暮らしているのでしょう。
 こざっぱりした身なりからして年金ぐらいは受け取っているのでしょうか。

 帰宅してこれを書き始めてからも、気になって仕方ないのです。
 もういっぺん会いたいような会いたくないような・・。
 三本足の猫と老人の生活はやはりそっとしておくべきなのでしょう。
 でも、機会があったら遠巻きにこっそり見に行くかも知れません。
 彼と私との、この隔たりの質は何なのかを確かめるために・・。

私が時折覗きに行く「さんこの日記」というブログは、やはり交通事故で足を一本なくした猫の物語です。
 この「さんこ」さんはちゃんとした屋根の下で、可愛がってくれる人たちに囲まれてそれなりに幸せそうです。
 それに比べてこの猫は・・と思ったのですが、やはりこの猫も幸せですね。
 ちゃんと可愛がってくれる老人が近くにいるのですから。
 だから、私が至近距離まで近づいても逃げようとはしなかったのでしょう。
 でも、あんまり人間を信用しすぎるのも危険ですよ。


 「さんこの日記」
  http://blogs.yahoo.co.jp/chieko_39/MYBLOG/yblog.html







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変化 そして誰もいなくなった!

2008-10-17 00:36:26 | 写真とおしゃべり
 知ってます。
 物事は変化します。
 もちろん場所、空間も変化します。
 私の住まいからほど遠からぬ一角の半年ばかりの間の変化をご覧下さい。

 

 まずはこんな風でした。
 周りに広い空間を持つ倉庫か集荷場の跡地のようでした。

 
 
 その一角にこんなものもありましたから給油所のような機能もあったのかも知れません。

 

 しばらくは無人で人の気配もありませんでしたが、いよいよ取り壊されることになりました。

    
 
 こんな風に取り壊しが進みました。

 

 こんなものも掘り出されました。
 石油用のタンクでしょうか。

 

 そして今はこんな風になっています。
 さて、今後はどうなるのでしょう。
 この不況の中でもなにか新しいものが建つのでしょうか。
 この辺りに増えているマンションでも建つのでしょうか。

 
 
 ここに新しいものが建ったとき、かつてここが何であったかの記憶はぐんと希薄になるでしょう。
 街を歩いていて新しいものに出くわすとき、「え~と、ここは前は何だったっけ」と考えるのですがなかなか思い出せないことが多いのです。
 え? お前の歳のせい? かもね・・(苦笑)。

 




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ものたちの競演・大道商人万歳! 

2008-10-15 12:04:03 | 写真とおしゃべり
 ものたちの競演・大道商人万歳! 

 私たちの回りには沢山のものがあり、私たちは必要に応じてそれらのものを取り上げ、必要な用材として用いる。
 それらのものはたいてい自分の回りに必要の度合いや用いる頻度に応じて配置されていて、それらをじっくり見ることはない。それらは常に、「私にとっての用材」であって、どこかそのもの自体であることを奪われてしまっている。

 

 しかし、それらが「私にとっての用材」という視点を離れるやいなや、それらはそのものとして、その存在を自己主張する。
 それは、便器が「泉」として自己主張をしたデュシャンの作品のようなものである。

 
 
 そしてそれらは時として美しいし、また、用材であったときにはなかった質量感をもって迫ってくる。
 とりわけその集合体は美しい。というより、集合体として現れることにより、用材としての役割が希薄になり、そのもののそのもの性がより強調されるのだ。

 
 
 ここに掲げたものはすべて売らんかなのものである。
 にもかかわらず、売り手の意志や願望を越えて美しい。
 これらの売り手に対してはまことに申し訳ないのだが、購買意欲とは無関係にただただ美しいのだ。 
 人間はものを集め、それらを流通させ、陳列し、消費を促す。
 そうしたエコノミーの過程が同時に美しさを伴うとしたら、人間の営みもまんざら捨てたものではない。
 世界中の市場で繰り広げられる商品の陳列に思わず圧倒されるのは私だけだろうか。

 

 ただし、こうした人とものに即した営みは今日ではナイーブなものに過ぎない。
 ここ提示した写真の範囲での売り手の努力、その結果とし生み出された美しさはあくまでも業者の経験によって手探りで生み出され継承されてきたものであろう。

 今日、TVなどで私たちの購買を迫るものたちは、購買者をあたかも科学実験の動物であるかのように扱う。音響学、色彩学、心理学などが動員され、消費者の必要性よりもむしろ、虚であれ何であれ、消費それ自体への志向を誘導するように迫る。
 「必要があるから買う」のではなく「買う必要がある」ようにさせるのである。

 

 それに比べたら、大道商人たちの陳列の技術は賞賛に値する。
 ものたちをこれだけ美しく見せるのは、しばしば、計算し尽くされたTVの映像を上回る。それは大道商人ならではのその臨場感において可能になるものだろうか。
 
 虚像として映像化された欲望の対象よりも、誰はばかることなく大道に並べられたものたちの方がはるかに美しい。
 でも買わなくてゴメンね。

 写真はいずれも、過日の今池祭りにて。









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古代の人たちと出会う?

2008-10-14 04:46:01 | 川柳日記
 若い人たちとアリストテレスの勉強をしました。
 アリストテレスについては、哲学史上での位置など漠然としてイメージはもってはいましたが、これを機会に改めて、彼の中心的な概念などを確認することが出来ました。

 アリストテレスは、プラトン以前のギリシャ哲学をディコンストラクションすることによって、真に西洋形而上学の父たり得たように思います。
 その意味で彼は偉大です。
 だからこそ、後世の哲学者たちが彼を参照し、とりわけ西洋形而上学を止揚しようとしたハイデガーなどもまた彼を参照したのでした。

  

 そうした勉強をする中で、私はその頃の古代の人たちに会いたくなりました。
 彼や彼女たちは、どのような表情で、どのようにしてあの偉大な思考を紡ぎ出したのでしょうか。
 ヨーロッパの思想家たちがともすればそこへと自説のルーツを言い立てるその時代の人たちは、どんな人たちだったのでしょうか。

  

 でもって、会いに行ったのです。
 岐阜の郊外のとある場所ですが、古代の検証に疎い私は、ここで出会った人たちがアリストテレスの時代のそれであるのか、或いは全く別であるのかの判断は不能なのです。
 でも、それらしい雰囲気はあります。

  

 この像たちは、その一人一人が特定可能なのでしょうか。
 ただただ無責任で夢想家に過ぎない私は、それらしいものに出会ったというそれだけで満足したのでした。
 でも、彼や彼女らの表情はどれもはっきりと、かつくっきりとしています。
 ヨーロッパ自身は私が思う以上に実際には多様なのでしょうが、これらの像の表情に、まさにヨーロッパを見てしまうのは私の主観だけではなく、ヨーロッパ自身がおのれをかく表象化してきたことの結果ではないかと思うのです。

  

 そしてそれらは、異種的なものを排除し、純化されたナチスの(ハイデガーの?)ヨーロッパへと至るのですしょうが、それは私の任を越えた領域かも知れません。
 とりあえずは、私が古代人と勝手に決めつけた人々のはっきり、くっきりの表情をもって満足しておきましょう。




 


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