「在特会」、正確には「在日特権を許さない市民の会」といいます。
この集団をとみに有名にしたのに、彼らの発するいわゆるヘイトスピーチがあります。在日に対して「出てゆけ!」「消えろ!」はまだしもましな方で、「死ね!」「殺せ!」も日常茶飯事なのは周知の通りです。
私にいわせればそれだけでも自殺教唆や殺人教唆だと思うのですが、そうした怒号は止むことなく続いているようです。
彼らの存在が、日本の伝統的右翼や街宣右翼ともまた異質であることはすでに指摘されていますが、それがどう異なるかについて考えてみたいと思います。
既存の右翼団体のうち、彼らの尻馬に乗っかるのも一部にはあるようですが、在特、ないしはそれに近い連中のネット上でのコメントでは、こうした伝統的な右翼もまた在日によって支配されているとあります。彼らにいわせると、暴力団関係もほとんど在日の組織下なのであって、それとの関連が深い伝統右翼はやはり在日の支配下にあるということなるのでしょう。
では、在特会がこれまでの右翼とはどこが違うのかというと、在日への執拗なあげつらいはあるものの、そしてその排除や抹殺を叫ぶものの、意外とポジティブな主張が少ないということです。
例えば、伝統的右翼には「大和魂」や「日本精神」、ないしは「勤皇」といった立場にたっての左翼批判などが通例なのですが、在特会にはそれらが希薄なのです。それどころか右翼一般の通念である「愛国心」もあまり登場しません。
在特会の綱領と行動方針を併せもったような「7つの約束」というのがありますが、それらを見ても在日への対応が書かれているのみでポジティヴな点でみるべきものはほとんどありません。
にもかかわらず、それなりのインパクトをもち、これまでの右翼の街宣などとは異なるスタイルの行動に、若い女性や乳母車を押した母親が参加するというのはどうしたことなのでしょう。
私はここで、先般の日記で触れたハンナ・アーレントの分析になる「反ユダヤ主義」の歴史的変遷を思い起こします。
彼女は、ヨーロッパにおいての反ユダヤ主義が宗教的なものから始まり、民族的差別、政治的差別、ないしは文化的差別などに至る過程を巡るのですが、前世紀の前半、第一次世界大戦終了後までの過程では、それらの反ユダヤ主義のありようは差別の段階に留まり、のちのナチスによる殲滅=民俗浄化のようにその存在自体を抹殺するものではなかったといいます(そういえば、先にみた伝統的右翼でも、在日への差別はありましたが、「死ね」とか「殺せ」はなかったと思います)。
映画の方ではなくハンナ・アーレント自身の肖像
にもかかわらず、それが人種的差別となり、ついにはユダヤ人抹殺にまで至る過程として、アーレントは19世紀末から20世紀の初頭にかけて生み出された「モッブ」といわれる層に注目します。この層は資本主義の余剰の中で生み出された部分で、「あらゆる社会階級からこぼれ落ち、自分たちがどの位置にいるのか決してわからない落伍者の集団」(経済的にではなく、心理的精神的にです)として位置づけられます。
彼らは、自分たちを代表してくれるものを社会や議会の中に見い出せないことにいらだちを覚え、怨恨や猜疑心を培養してゆくのですが、「政治的生活の現実的な力は内幕で働く秘密の影響力の運動のうちにある」という陰謀論的な視点から自分たちのこの焦燥の対象を特定の部所に見出し、それへの憎悪をもって自分たちのアリバイ(存在理由)を見出してゆきます。
そうした彼らにとって選び出された対象、悪の根源こそユダヤ人、ないしはユダヤ民族であったわけです。
在特会に関していえば、彼らは表層にある「顕在化した」現実の在日にその牙を剥くのみならず、「潜在的な」在日探しを執拗に行い、その「成果」をネットに公表しています。それによれば、彼らに不都合な言説の主はすべて在日なのです。与党野党を問わない政治家たち、学者、文化人、芸能人(その中にはどう見ても在日でない人も含まれます)などなどが地下で同盟を結び、日本をあらぬ方角へと誘導しているという対象の確定がその作業のようです。
かくして彼らの陰謀論=在日の日本支配の構造は完成するのです。
それが、20世紀初頭でのヨーロッパにおいてはユダヤ人であり、「ユダヤ人に死を!」というモッブの叫びだったのはすでに述べたとおりです。
こうしたモッブを特徴づけるのは、その反倫理性であり、直情径行型といえます。したがって、一度信じ込むともはや手がつけられない様相となります。ようするにモッブは、ある種の「閉塞感」が生み出した産物なのですが、かれらの「ユダヤヘイト」は、第一次大戦敗戦のなかで経済的、社会的、かつ精神的な負荷を一心に背負わされていたドイツ人のコンプレックスを解き放つものとしてナチスに引き継がれ、ひいてはその組織的なユダヤ人の迫害や排除、そしてついには殲滅へと組織されてゆきます。
モッブはそれへの先駆的役割を果たしたのですが、しかし、ナチスの政権獲得後は、彼らも「おじゃま虫」として駆逐されたようです。
アーレントは、ナチスによる殲滅作戦をそれまでの反ユダヤ主義と区別して、「全体主義的反ユダヤ主義」と名づけます。すなわち、「誰が生存し、誰が死ぬべきか」を仕分けする権力のもとへと反ユダヤ主義が引き渡された瞬間です。
もちろん、この事例をもって、在特会をモッブだと断定したり、それが在日殲滅に即繋がるというわけではないでしょうが、にもかかわらず、安倍政権にかいまみられる直情的なアナクロニズムには、そうした在特会的なモッブを利用し、それと呼応しようとするむきがあることは否定できません。以下は、ある在特会シンパによるネット上でのコメントです。
「先日、在特会や片山さつき議員をはじめ、心ある人達のおかげで、朝鮮人に侵され反日洗脳に狂った兵庫県立大付属高校の韓国修学旅行(反日教育のための研修 旅行)が中止になり、日本中で心配されていた、韓国での集団食中毒や集団レイプ・暴行・詐欺・強制土下座(パワーハラスメント)の恐怖から、生徒が助けられました。日本を朝鮮人の悪意から守り、日本を取り戻すために、在特会は無くてはならない団体です。」
ここに出てくる片山さつき氏が安倍内閣の総務大臣政務官で、現在進行中の生活保護の削減や福祉関係などセーフティネット全般の後退に辣腕を発揮しているのは周知の事実です。それに、上の引用での「日本を取り戻す」はまさに安倍氏の先の選挙でのキャッチコピーでした。
在特会は様々な意味において異色の存在です。とりわけ、戦後社会の中でいつも存在し続けた赤尾敏総裁の愛国党などを始めとする右翼団体とはそのありようを異にします。それは、不特定な閉塞感を嫌中や嫌韓に紛らすネウヨ的部分と連携しながら「日本的なモッブ」を組織する可能性をはらむものであり、政権内部にもある足がかりをもつ可能性が皆無ではないことを指摘しておきたいと思います。
この集団をとみに有名にしたのに、彼らの発するいわゆるヘイトスピーチがあります。在日に対して「出てゆけ!」「消えろ!」はまだしもましな方で、「死ね!」「殺せ!」も日常茶飯事なのは周知の通りです。
私にいわせればそれだけでも自殺教唆や殺人教唆だと思うのですが、そうした怒号は止むことなく続いているようです。
彼らの存在が、日本の伝統的右翼や街宣右翼ともまた異質であることはすでに指摘されていますが、それがどう異なるかについて考えてみたいと思います。
既存の右翼団体のうち、彼らの尻馬に乗っかるのも一部にはあるようですが、在特、ないしはそれに近い連中のネット上でのコメントでは、こうした伝統的な右翼もまた在日によって支配されているとあります。彼らにいわせると、暴力団関係もほとんど在日の組織下なのであって、それとの関連が深い伝統右翼はやはり在日の支配下にあるということなるのでしょう。
では、在特会がこれまでの右翼とはどこが違うのかというと、在日への執拗なあげつらいはあるものの、そしてその排除や抹殺を叫ぶものの、意外とポジティブな主張が少ないということです。
例えば、伝統的右翼には「大和魂」や「日本精神」、ないしは「勤皇」といった立場にたっての左翼批判などが通例なのですが、在特会にはそれらが希薄なのです。それどころか右翼一般の通念である「愛国心」もあまり登場しません。
在特会の綱領と行動方針を併せもったような「7つの約束」というのがありますが、それらを見ても在日への対応が書かれているのみでポジティヴな点でみるべきものはほとんどありません。
にもかかわらず、それなりのインパクトをもち、これまでの右翼の街宣などとは異なるスタイルの行動に、若い女性や乳母車を押した母親が参加するというのはどうしたことなのでしょう。
私はここで、先般の日記で触れたハンナ・アーレントの分析になる「反ユダヤ主義」の歴史的変遷を思い起こします。
彼女は、ヨーロッパにおいての反ユダヤ主義が宗教的なものから始まり、民族的差別、政治的差別、ないしは文化的差別などに至る過程を巡るのですが、前世紀の前半、第一次世界大戦終了後までの過程では、それらの反ユダヤ主義のありようは差別の段階に留まり、のちのナチスによる殲滅=民俗浄化のようにその存在自体を抹殺するものではなかったといいます(そういえば、先にみた伝統的右翼でも、在日への差別はありましたが、「死ね」とか「殺せ」はなかったと思います)。
映画の方ではなくハンナ・アーレント自身の肖像
にもかかわらず、それが人種的差別となり、ついにはユダヤ人抹殺にまで至る過程として、アーレントは19世紀末から20世紀の初頭にかけて生み出された「モッブ」といわれる層に注目します。この層は資本主義の余剰の中で生み出された部分で、「あらゆる社会階級からこぼれ落ち、自分たちがどの位置にいるのか決してわからない落伍者の集団」(経済的にではなく、心理的精神的にです)として位置づけられます。
彼らは、自分たちを代表してくれるものを社会や議会の中に見い出せないことにいらだちを覚え、怨恨や猜疑心を培養してゆくのですが、「政治的生活の現実的な力は内幕で働く秘密の影響力の運動のうちにある」という陰謀論的な視点から自分たちのこの焦燥の対象を特定の部所に見出し、それへの憎悪をもって自分たちのアリバイ(存在理由)を見出してゆきます。
そうした彼らにとって選び出された対象、悪の根源こそユダヤ人、ないしはユダヤ民族であったわけです。
在特会に関していえば、彼らは表層にある「顕在化した」現実の在日にその牙を剥くのみならず、「潜在的な」在日探しを執拗に行い、その「成果」をネットに公表しています。それによれば、彼らに不都合な言説の主はすべて在日なのです。与党野党を問わない政治家たち、学者、文化人、芸能人(その中にはどう見ても在日でない人も含まれます)などなどが地下で同盟を結び、日本をあらぬ方角へと誘導しているという対象の確定がその作業のようです。
かくして彼らの陰謀論=在日の日本支配の構造は完成するのです。
それが、20世紀初頭でのヨーロッパにおいてはユダヤ人であり、「ユダヤ人に死を!」というモッブの叫びだったのはすでに述べたとおりです。
こうしたモッブを特徴づけるのは、その反倫理性であり、直情径行型といえます。したがって、一度信じ込むともはや手がつけられない様相となります。ようするにモッブは、ある種の「閉塞感」が生み出した産物なのですが、かれらの「ユダヤヘイト」は、第一次大戦敗戦のなかで経済的、社会的、かつ精神的な負荷を一心に背負わされていたドイツ人のコンプレックスを解き放つものとしてナチスに引き継がれ、ひいてはその組織的なユダヤ人の迫害や排除、そしてついには殲滅へと組織されてゆきます。
モッブはそれへの先駆的役割を果たしたのですが、しかし、ナチスの政権獲得後は、彼らも「おじゃま虫」として駆逐されたようです。
アーレントは、ナチスによる殲滅作戦をそれまでの反ユダヤ主義と区別して、「全体主義的反ユダヤ主義」と名づけます。すなわち、「誰が生存し、誰が死ぬべきか」を仕分けする権力のもとへと反ユダヤ主義が引き渡された瞬間です。
もちろん、この事例をもって、在特会をモッブだと断定したり、それが在日殲滅に即繋がるというわけではないでしょうが、にもかかわらず、安倍政権にかいまみられる直情的なアナクロニズムには、そうした在特会的なモッブを利用し、それと呼応しようとするむきがあることは否定できません。以下は、ある在特会シンパによるネット上でのコメントです。
「先日、在特会や片山さつき議員をはじめ、心ある人達のおかげで、朝鮮人に侵され反日洗脳に狂った兵庫県立大付属高校の韓国修学旅行(反日教育のための研修 旅行)が中止になり、日本中で心配されていた、韓国での集団食中毒や集団レイプ・暴行・詐欺・強制土下座(パワーハラスメント)の恐怖から、生徒が助けられました。日本を朝鮮人の悪意から守り、日本を取り戻すために、在特会は無くてはならない団体です。」
ここに出てくる片山さつき氏が安倍内閣の総務大臣政務官で、現在進行中の生活保護の削減や福祉関係などセーフティネット全般の後退に辣腕を発揮しているのは周知の事実です。それに、上の引用での「日本を取り戻す」はまさに安倍氏の先の選挙でのキャッチコピーでした。
在特会は様々な意味において異色の存在です。とりわけ、戦後社会の中でいつも存在し続けた赤尾敏総裁の愛国党などを始めとする右翼団体とはそのありようを異にします。それは、不特定な閉塞感を嫌中や嫌韓に紛らすネウヨ的部分と連携しながら「日本的なモッブ」を組織する可能性をはらむものであり、政権内部にもある足がかりをもつ可能性が皆無ではないことを指摘しておきたいと思います。