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六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

いろいろないろのいろいろなありかた

2008-06-29 01:15:52 | 写真集
 世の中色彩にあふれています。
 今回は三原色のおさらい。

 <

     
          おいなりさんの狐のよだれかけ。

     
           軽自動車の可愛い消防車。

 <

 
            蒼い床の子供たち。

     
           昭和30年代のオート三輪。

 <

 
               卵だし巻き。
 
 
           黄色い暖簾、あるいは日除け。

 <おまけ

 
             売らんかなの色。







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お勉強:「包摂と排除」について考える

2008-06-27 02:40:58 | 社会評論
 共同体には当然、その成員に対する包摂と排除の論理が伴うわけですが、その包摂が次第に狭き門となり、排除の側面が強化されつつあるように思います。
 それがやっかいなのは、自由や平等の決まり文句のもとで、というかそれに比例して排除が横行していることです。
 表面的な寛容が、実は冷徹きわまりない不寛容の論理を内包しているという恐ろしさです。

 それらは、いわゆる一神教的な世界観と無縁ではないのですが、キリスト教におけるその信仰は、時代々々によって神は様々な価値観や地域性と結合し、ある種残酷な面と、隣人への愛という寛容さを併存させていたように思います。

 それらが不寛容へとシフトを変える要因は、産業資本の隆盛とそれの裏打ちとしての近代合理主義が契機であろうと思います。
 そのくだりの分析は、マックス・ウェーバーの指摘でもって嚆矢とすべきでしょう。
 隣人への愛は、価値の増殖という「神聖な義務」を妨げない限りにおいてという限定を付されることとなります。

 
         名古屋栄・オアシス21の七夕飾り(その1)
 
 ところで、我が国では、もともと、厳密には一神教の歴史はありませんでした。それだけに、明治以降の近代化への怒涛をうった流れは、キリスト教にあった原始共同体へのノスタルジーなどは一足飛びに捨象し、いっそうドラスティックに進行したといえます。
 その過程で、もっとも古い権威である天皇制を、キリスト教的な一神教のパロディとして援用し、統一と強制、排除の論理を築き上げたといえます。

 にもかかわらず、我が国には、きわめて緩やかな汎神論ともいえないような共同体における許容と寛容の歴史がありました。
 それらは、明治、大正、昭和と続く近代合理主義(その裏打ちに利用されたもっとも不合理な天皇制という化け物)にもかかわらず、昭和20年代の後半まで(戦後10年ぐらいまで)生き延びていたように思うのです。

 
         名古屋栄・オアシス21の七夕飾り(その2)

  私は、幼年期、少年期を農村で過ごしましたが、そこには、いわゆる精神を病んだ人、ないしは知恵遅れの人たちが一に一人や二人はいて、隔離されることもなく、その村落共同体の中で暮らしていました。

 私のには「トッサン」と呼ばれる人がいて、どういう訳かいつも女物の長襦袢を着て、いろいろな光り物を身につけていました。
 学校の帰りなど、彼にであうと私たち悪ガキは、
 「脳病院のトッサン、足振れ、手振れ、チン○振ってホイホイ」
 と、囃し立てるのでした。
 そうするとトッサンは、楽しそうにその囃子言葉と一緒に踊るのでした。

 
       愛知芸術文化センターへの地下通路
       右の女性は同じ会に出席したKさん
       写真を撮ったときには気づかなかった


 もちろんトッサンは、子供たちの間で差別的に語られることはありましたが、決して排除されたり、いじめの対象であったのではなく、むしろ人気者でした。
 の人たちも、農繁期などさして役にも立たないトッサンを、「明日はうちの田圃へおいで」と誘い、簡単な作業をさせて帰りには食べ物などを与えていたようです。

 私の祖母も、ある日、古びた毛布を持って出かけるので、「どこへ行くのん」と訊くと、「そろそろ寒くなったんで、おたわけさん(=トッサン)のとこへこれを持って行ってやろうと思って」とのことで、私もついて行きました。
 掘っ立小屋のようなところに住んでいたトッサンは、祖母からそれを受け取ると、「ア、ウ、ア」と言葉にもならぬ応答をしていたのですが、それが祖母への感謝を満面に表すものであったことは子供ながらによく覚えています。

 こうした共同体における排除よりも包摂が勝る状況は、昭和30年代の高度成長へのスタートとともに、完全に崩壊するところとなります。
 価値の増殖を至上命題にする世界では、彼らは余計ものであり、排除され、管理される対象でしかなくなりました。
 家族や共同体も、それらを包摂する余裕を失いました。

 
         都会の中のジャングル 愛知県芸術文化センター
              12階から見た中庭の樹木


 しかし、その後何年間かは、そうして排除してきた者たちへのなにがしか後ろめたい気分もあり、それへのセーフティ・ネットやより寛容な(といっても管理の論理内ですが)受け入れへの模索もありました。
 それらがほぼ完璧についえさったのが、「勝ち組・負け組」の論理であり、「自己責任」の論理でしょう。

 これらの論理は、現行の共同体が必ず一定の割合で「負け組」を生み出すことによって成立しているという冷徹な論理を隠蔽し、だれもが努力さえすれば「勝ち組」になれるという幻想を振りまき、負け組を自己責任として断罪します。
 ここにはもはや、自分が勝ち組であることの後ろめたさはみじんもありません。

 ついでながら、かつて、日本の文学を支えたのは、そうした生まれながらにして勝ち組である後ろめたさであるといっても過言ではありません。
 有島武郎、太宰治、火野葦平、石坂洋次郎、あるいは、宮本百合子や中野重治もこの系列に属するかも知れません。

 
         「Mの会」でいただいたおやつの佐藤錦

 こうした共同体の排除の論理は、ある種のセンシティヴなひとにとっては、あるいはその排除の論理を乗り越えるいとまを持たないひとにとっては、決定的な壁として作用するであろうと思います。
 
 最初に述べたように、共同体は包摂と排除の論理を持って成立しています。それが多様性や差異性を失って一元化された結果としての病理、それが今日ではないでしょうか。
 一見、病理に犯されたような人々を生み出す共同体は、それ自身もっとも深く病んでいるといえるのではないでしょうか。
 



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人間は偉いっ!すごいっ!

2008-06-25 18:18:27 | よしなしごと
 世の中が悪いっ、世間はおぞましいと嘆くばかりでは何にもなりません。
 それに対応してこその人間。
 以下は街で見かけたそのすばらしい例です。
 こうした例を見習って、私たちも鋭意努力すべきでしょう。
 すばらしきかな人間!
    

 原油高に対抗して、ついにガソリンスタンドが油田を掘り始めました。
 これからはもう、国際ファンドの暗躍などに振り回されず、安定した供給が確保されそうです。
 すばらしいチャレンジ!

 

 食糧危機が取りざたされる中、新たな試みです。
 この何の変哲もないコンクリートのかたまりのようなもの、実は飲食用なんです。
 どのように処理したら飲んだり食べたり出来るのかのレシピは、残念ながら添えられていませんでしたが、しかし、これらが飲食に供せられ、来るべき食糧事情に対応できるとしたら、実にすばらしいことです。

 
 この「飲食用」、こんな風に並んでいました。


 
 


 最後にもうひとつ。
 北朝鮮の核問題が合意に至りそうで「ならず者国家」の規定が外されようとする中、某所で、これまで埋められていた直径2メートルあまりの核シェルターが掘り出され、新たな資源としてリサイクルされることとなりました。
 なんたる素早い対応、情報管理能力、すばらしい!

 

 どうも、話が堅くなりましたので、お口直しです。
 柿の赤ちゃんです。
 何というかご存じですね。
 そう、「ガキ」です。
 
 またね。







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【姿勢の話】前屈みの人生  

2008-06-22 18:10:38 | よしなしごと
 恋人でもない女性から、「六さん、この頃前屈みの姿勢が多いわよ」と言われてしまった。
 「え? じゃあどうすればいいの?」と尋ねる私。
 「そうね、おなかを腰の辺りからもっと突き出す感じにし、肩は少し後ろへ引いて、ある程度手を振って歩くのよ」
 なるほど、そうすると確かに少し背筋が伸びた感じがする。
 でも、同時に別の感じもするのだ。
 「ねえ、これってなんだか威張って歩いてる感じじゃないですか」
 「まあ、あんまり腹ばっかり突き出すとそうなるわね。でも、六さんはもう少し威張って歩いても良いのじゃない」
 と、寛大なことをおっしゃる。

     
     家にある柾(マサキ)に咲いた花。小さな地味な花だが、びっしり
       花を付けるとそれなりに壮観。今年は花が多いようだ


 
 以来、前屈みにならぬよう、また威張ったようにならぬよう、心しているのだがこの加減が難しい。そっちへ注意を集中すると、なんだか歩行そのものがばらばらになってしまう。
 だいいち、いつもそれを意識して歩くわけには行かない。
 でもって、気がつけばやはり前屈みで歩いていたりする。
 ショーウインドウやビルのガラス窓などに映った自分の姿を見て密かに補正してみる。

 歩くというきわめて日常的なことを、改めてコントロールすることは結構難しいのである。
 それは、不眠の折に自分の呼吸をどう調整するかを意識したとたん、自然な呼吸が出来なくなってしまうことに似ている。その結果として、不眠がさらに継続したりする。

 
          一つ一つの花はこんなに可愛い

 若い頃はひたすら前屈みというより前傾姿勢で急ぎ足に歩いてきた。
 その結果、視野が狭窄し、周りがよく見えなかった。
 そして気づいたら、いくぶん凶悪でささくれ立った気持ちになっていた。
 立ち止まることが出来たのは偶然か臆病のせいに過ぎない。
 
 しかし、人はいつまでも立ち止まっていることは出来ない。
 歩行は再開されたものの、もう足早にひたすら前進するわけには行かない。
 少しシニカルに目を細めて前方を見ながら、すでにして、腰を引いた歩みしかしていなかったと思う。
 こんな歩き方で、ルサンチマンを背負ったまま一生歩き続けるのかなと思ったこともあった。

 しばらくして、振り返ってみるという手があることに気づいた。
 自分の足跡を確かめながら、それをより普遍的なものや他者のそれと比べてみるという作業である。
 手っ取り早くいうと、勉強し直すということであった。

 もちろん、イロハのイから学び直すわけには行かないが、とりあえずはこれまで身につけたものを出来るだけ棚上げにして学び直すと言うことだった。
 この折の歩みは遅々としてもどかしかったが、それなりに割とまっすぐに、しかも謙虚に歩いていたのではなかろうか。

 その私が今、前屈みに歩いているという。
 むろん加齢に依るところが大きいのであるが、同時に、キッと遠方を凝視してという視線をもう持ち得ないのではないかとも思う。
 だから、確認するかのようについ足下に視線が落ちる。従って、前屈みになる。

 
    もう盛りを過ぎたのか、木の下には散った花が散乱している
       写真を撮ったときには気づかなかったのだが、
       写真中央上部にダンゴムシ君がいらっしゃる


 では、天を仰ぐというのはどうだろうか。
 確かに姿勢は伸びそうだ。
 しかし、若い人がこれを行った場合は、果てしなき天球へ向かっての無限の希望を象徴するかも知れないが、私がそれをしても、傍目には虚しく天を仰ぐ、つまり、諦観の姿勢にしか映らないのではなかろうか。

 綺麗に磨かれたショーウインドウの前を、少し前屈みの老人が通りかかる。
 ふと歩を緩めておのれの姿を確認し、やや修正して再び歩き出す。
 口の端に少し、笑みが浮かぶ。
 どうしてあのひとは私の姿勢に言及したのだろうかとふと思ったからだ。
 まっ、いいか、その先を考えるのはよそう。
 おっと、またまた前屈みになってしまった。







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間奏曲 花鳥風月かな?

2008-06-21 00:48:35 | 写真とおしゃべり
 いろいろ疲れました。
 心身共に休めるために、しばし花鳥風月の世界へ。

 
 
 このアゲハ、私の家で羽化しました。
 羽化したばかりで、動きが遅い間に「しめた」とばかり撮すことが出来ました。

 
 
 しかしやがて、少しずつ高いところへと飛んで、私との距離をとるようになりました。

 

 通りがかりにきれいな薔薇が咲いていたのですが、ただ花を撮すだけでは芸がないと思っていたら、ちょうどそこへ小型のコガネムシが・・。「飛んで薔薇に入るコガネムシ」ですね。「いらっしゃい、ようこそ」で、パチリ。

 

 続いて夏椿、別名、「盛者必衰の理を表す」シャラの花。
 ただし、物の本によると、この夏椿は沙羅双樹の花に似ているのでそれに擬せられるが、本物の沙羅双樹は熱帯性で日本では育たないとか・・。

 

 お次は、我が家でとれたビワです。
 今年はどうしてか実の数が少ないのですが、その代わり一つ一つが大きくて結構甘いようです。
 もう二回ほど、娘の勤める学童保育のおやつに持ってゆきました。
 週明けにもう一回とれるかどうかです。

 

 最後は私が滅多に撮ったことがない猫の写真です。
 病院の駐車場でのんびり寝そべっています。
 「オイ、君、そんなところに寝ていたら車が出せないではないか」
 と語りかけたら、少し、カメラの方にポーズをとってから、「仕方がないニャァ、退散してやるか」と、慌てる風もなくむっくり起き上がりました。
 その拍子に、小さく「ミャァ」と鳴いたのは何だったんでしょう。
 「じゃぁな」と聞こえたような・・。

 

 車に乗ったとたん、雷のうなり声とともに、フロントガラスに大粒の雨が。
 あの猫は濡れずに避難できたのでしょうか。
 ニャンとも分かりません。
 そうだ、このことを、サンコという日記を書いているお利口な猫に教えてやらなくっちゃ。

 ところで、蝶や猫って花鳥風月にはいるのでしょうか?
 ん? 花蝶猫月? なるほど!

 あれ、まだ何か? あ、月が出てこないってことね。
 そうなんです、私、最近あまり「つき」に恵まれていないんです。

 


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「雑然」を考える  第二章

2008-06-20 01:11:48 | よしなしごと
 街が雑然としているということは、その街が多様性をもっている、あるいはその街で生活している人たちがある一元的なものに規定し尽くせない様々なあり方をしているということでしょう。
 ですから極端にいえば、そうした街を整然とさせるためには、ブルでもって街のすべてをいったん破壊し、更地にしたところで特定のコンセプトによる街を作り直すのが手っ取り早いのです。

 

 その場合、当然、その特定のコンセプトに一致しない要素はすべて放棄されますし、何よりも、それらの多様性を実現していた人々、かつての街の生活者たちが駆逐されることになります。
 日本中の「新しい街」には、そうした旧来の住人を駆逐することによって出来あがったところがたくさんあります。
 かつて問題となり、現在も進行中の、いわゆる「地上げ」はそうした動き連動したものに他なりません。

 

 そうした動きは、都市内の地域的分業化、機能上の分化などでやむを得ない場合もありますが、反面、その街の住民や生活者を排除して行われる「整然とした発展」というのはいったい何なんだろうとも思ってしまいます。
 「そして、誰もいなくなった」街の発展・・。

     

 その街の住民や生活者を中心に考えるならば、銀座や六本木や、あるいは名古屋駅前などをお手本としたその亜流を整然と実現するのではなく、その街が持っている生命力のようなもの、あるいはその可能性のようなものを発掘し育てる方向で考えるべきでしょう。

 

 整然は整然でどこかに任せておいて、雑然だといわれたら、その雑然の中にある魅力、あるいは雑然であることそれ自身、多様であること、様々な可能性に向かって開かれてあることを売りにする方法を見いだせればと思うのです。
 もちろん、言うは易し、行うは難しを承知の上なのですが・・。

 

写真は、近所の解体工事を撮ったものですが、イメージとして多少の関連はあるとしても、本文と直接の関係はありません。
 むしろ、壊れる途中の「雑然さ」が面白いでしょう。
 
 なお、この建物は、6月10日の拙日記に登場したものと同じものです。

  http://pub.ne.jp/rokumon/?daily_id=20080610



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雑然がなぜ悪い? 序章

2008-06-18 08:05:33 | 社会評論
 雑然が良いか、整然が良いか」などといきなり訊かれたら、つい、整然が良いと答えてしまうかも知れない。
 私がこの問いそのものに疑問を覚えたのは、今から20年ぐらい前のことであった。

 当時私は、名古屋は今池という街で居酒屋を経営していたのだが(経営なんて偉そうにいうが、自分自身がはいずり回って働いていた)、その折、この街は、名古屋の副都心とまでいわれた地位から滑り落ちつつあった。

 

 それには様々な要因があるので詳論はしないが、当時、行政が委託したコンサルタントの診断に依れば、「この街は雑然としているから駄目だ」ということであった。
 私は、この言葉に反応した。
 コンサルタントの所見は間違ってはいない。
 しかし、雑然はどうして駄目なのだろう。

 そこから私の考現学的街の観察が始まった。
 確かにこの街は雑然としている。
 「この街は○○である」と一元的に規定できないのだ。
 しかし、この雑然の中にはたくさんの魅力あるものがあるではないか。
 これらのほとんどを捨象して、何かを基準として整然とさせればこの街は良くなるのだろうか?

     

 私の答えは「否」であったが、それに自信は持てなかった。
 折から、この地区を統合した商店街の祭りの企画があり、私はその第一回の実行委員長に選ばれた。
 そこで私が企画したコンセプトは、雑然の中味をパンドラの函をぶちまけるように、すべて出し尽くそうということであった。

 

 まずひとつは、この街が戦後闇市から出発したことを踏まえたフリマの再現である。
 何ら規制を加えず、あらゆる店の出店を認めた。
 その結果、ホコテンに200を越える出店があり、ユニークなものも多かったのだが、反面、事後に所轄官庁からのクレームが続出した。

1)警察から
 パトカーの色を塗った車を、一回何百円かで、金属バットで力一杯殴りつけるという出店があったのだが、それに対して所轄署から、こんなものがある以上、警備や交通整理は出来ないというクレーム。

2)消防署から
 在日中国人の人たちによる中国獅子舞を行い、街中を練り歩いたのだが、その際鳴らした爆竹は消防法違反であること。

3)保健所から
 飲食関係の出店に対する注意は無数。
 東南アジア関係の店で、ご飯の上にスパイスの効いたものを乗せる料理について。
 保健所「あれは駄目です」
 私「でもあれって、カレーと同じでしょう」
 保健所「そうです」
 私「ではなぜ駄目なのですか」
 保健所「カレーの屋台というのはないのです」

 そういわれればそうである。カレーの屋台はない。
 後から知ったのだが、屋台で売ることが出来る食品は厳密に限定されていて、うどん、蕎麦、ラーメンは良いが、スパゲティは駄目なのである。
 これが全国一律かどうかは知らないが名古屋ではそうである。
 かくして、祭りの後の何日かは、私は各所轄の官庁に謝ったり言い訳をしたりの日々であった。

     
 
 今ひとつは、この街は、在日の人たちも多くエスニックな街であるということである。
 だから、祭りの期間には、インターナショナルというかトランスナショナルな空間も実現する。

 話は逸れたが、雑然をぶちまけようというコンセプトは成功したと思われる。
 なぜなら、今日もなお、今池の祭りは地域の表現者たちがパフォーマンスを繰り広げ、闇市さながらのフリマが立ち並ぶ雑然とした、それでいて楽しい祭りだからである。
 とりわけ言えることは、結構規模が大きな祭りなのに、イベント会社などの企画や指示を一切受け付けない手作りの祭りだということである。

 このコンセプトが生きている以上、私はこの祭りの応援団である。
 岐阜に引っ込んでからも、この祭りに姿を見せなかったことはない。
 私の息子や娘のような若い人たちが、往時の私と同じ思いで活躍する姿は美しいと思う。

 


 付記すると、「今池ハードコア」というコミュニティがあり、今池祭りには、全国の今池ファンが集まるということである。
 東京や横浜からわざわざ来る奴なんて馬鹿に決まってる。
 その馬鹿がいとおしい、そんな祭りである。
 総じていえば、「雑然がなぜ悪い」、「雑然万歳」なのである。












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ちょっと気になるが、まっ良いか。啄木に寄せて・・。

2008-06-16 14:44:54 | よしなしごと
 この額は、母が入院している病院のエレベーターホールに掲げられた幅3~4メートルはあろうかという大きな書です。ですから、エレベーターの乗り降りの際、否応なく目に付きます。
 4年前に母が入院したときもここで、また今回もですから、もう百回ぐらいはお目にかかっているかも知れません。

 
 
 これは石川啄木の短歌で、
   新しき明日の来るを信ずといふ自分の言葉に嘘はなけれど
 というものです。
 もちろん場所柄、病人を激励するための歌です。私もまた、その前半の言葉から、そうであろうと信じていました。

 しかし、後半まで読み進むと、なぜか違和感があります。
 「自分の言葉に嘘はなけれど」の「ど」がくせ者なのです。この「ど」は、「だけど」の「ど」で、強い否定ではないにしても、疑惑を残す「ど」といっていいと思います。

 
 
 私なりに翻訳すると、
 「新しい明日が来るのを信じている私の言葉に嘘はないはずだが、果たしてその明日は・・」
 ということになります。
 要するに、手放しで明日への希望を歌っているわけではなく、どちらかというとそこにどうしようもなく差し挟まれる疑念のようなものが歌の主題であると思われるのです。

 

 類推ばかりしていてはと思い、原典に当たり、その前後のものと併せて考えれば事態はより明らかになるだろうと、「一握の砂」や「悲しき玩具」、それに「啄木詩集」などを捜してみたのですが、それに該当する歌は見つかりません。
 それもそのはず、この歌は、啄木が亡くなる一週間前に出版社に持ち込んだ文字通り絶筆の歌で、しかも、この前受金を最後の薬代に充てたというのです。

 ですからこの歌は、「希望」のストレートな賛歌などではなく、絶望ではないにしても、希望の揺らぎを歌っていることには間違いないようです。
 しかし、私はそれを病院側にいうつもりはありません
 多くの患者や見舞いの家族たちが、この歌に希望を見いだしているとしたら、啄木の真意やその歌が出来たシチュエーションなどを実証的に明かしたところで何の役にも立たないからです。

 

 ところで、この額が病院にかかっていること、啄木自身が病に冒され、わずか27歳で逝ったことなどから、この「明日」は彼の健康回復への祈りのように見えます(その面もあったでしょう)が、実際には、彼は当時としては強固な社会改革派(どちらかというとアナーキスト系)であり、従って彼の一連の歌が指す「明日」には、働く人々がほんとうに報われる時代の到来としての「明日」への希望が託されていることは間違いありません。

 

 少年の頃、私が詩人というものの発する言葉の力に最初に撃たれたのは、啄木の詩によってでした。

 今日も明日も病院へ行きます。この額を見るでしょう。
 しかし、最後の「ど」の字は読まないようにするつもりです。

写真の花々は、すべての病む人々へのお見舞いと、啄木への献花です。
 



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殺人事件を増やしたのは誰か?

2008-06-14 01:16:12 | 社会評論
 「どうも最近は殺人事件が多いようですね」
 「ほんとうにそうですね。もっと厳しく取り締まらないと」
 
 こんな会話があちこちで聞かれます。街角で、電車の中で、職場で・・。
 実際にその通りで、「私たちの耳目に触れる」殺人事件は多くなっています。しかも、尾ひれが付いて、その残忍さや手口がこれでもかこれでもかと報道されます。

 

 しかしです、さきほど、「私たちの耳目に触れる」と括弧付きで書いたのですが、実際の数字はどうなのかを見てみるとこれが実に意外なのです。
 なんとそれは、たとえば昭和のよき時代(たとえば「三丁目の夕日」の頃)に比べてもうんと減っているのです。
 戦後、殺人事件が最も多かったのは1954年(昭・29)の3081件です。次いで多かったのは翌55年(昭・30)の3066件でした。
 それに対して昨年度(2007年)は、1199件と約三分の一にしかなりません。

 そんな遠い頃との比較ではなく最近はどうだという声が聞こえそうです。
 それでは、1985年を100とした場合をとってみましょう。それ以降、殺人事件は一貫して100を割っていて、20年前に比べても決して増えてはいないのです。


     
 
 にもかかわらずです、「私たちの耳目に触れる」殺人事件は多くなっているのです。
 それはなぜかというと、次のようなマジックがあるからです。
 上と同じ基準をとり、1985年の殺人事件に関する新聞記事を100としましょう。それにたいし、現在の殺人事件に関する新聞記事は、500余りになるのです。
 これにさらに週刊誌やワイドショーが尾ひれを付けて報道し、五倍を遙かに超える報道の洪水があるものですから、私たちはつい「最近は殺人事件が多い」と思わされてしまうのです。
 
 つまり、同じ数の事件に対しその報道は五倍になり、さらに尾ひれが付いて、結果として、日本はとんでもない治安の悪い国に成り下がったかのように報じられているのです。
 にもかかわらず、国際的に見ても、日本は依然としてもっとも治安の良い国に数えられていることは間違いないのです。

 

 そうなのです。殺人事件を増加させているのは、実は、殺人者ではなく、それにぶら下がって騒ぎ立てるマスコミなのです。マスコミが、1985年程度の報道の水準に戻るならば、殺人事件は一挙に五分の一に減るのです。

 そうはいうけど少年による殺人は増えているだろうという見解もあろうかと思います。
 これについてもデータがあります。
 1961(昭・35)年には448件だった少年による殺人事件は、1973年以降、100件以下で推移しています。
 要するに、四分の一から五分の一に減っているということです。
 これもまた、増えているように思いこまされているのは過熱した報道のせいなのです。

 かつて、ちょっとした飛行機事故か操作ミスがあり、それ自身は人命には損傷はなかったのですが、それらに類似した事故などが続々と報道されたことがありました。
 ニュースキャスターは額にしわを寄せて、「最近は航空機関連の事故が多いですね」と憂慮したものでした。
 ところがです、実際にはその年は、統計的に見てももっとも航空機による事故が少なかったのです。
 多くなったのは、マスコミが普段なら報道もされない事実をこれでもかこれでもかと集めてきて、手柄顔にはやし立てた結果なのでした。

     

 すでに見たように、昨今の殺人事件や少年犯罪についても、それらが増加しているかのような物語は、マスコミの興味本位の報道によって増幅されたものに過ぎません。
 ことが殺人事件ですから、それらが詳しく分析され、再発の防止が図られることには反対しません。
 しかし、大部分のマスコミは興味本位にかき立てるのみか世論をミスリードする方向に拍車をかけています。

 「殺人事件が増えている、何とかしなければ」という偽りのデータによる善意の市民の意見を背景にいろいろな規制がなされようとしています。これはきわめて卑怯で巧妙なやり口です。
 少年法の改正や厳罰主義もそうですし、今回のアキバの事件だけとっても歩行者天国の廃止や刃渡りの大きい刃物の規制が行われようとしています。

 地域の商業祭りに関わった経験からいえば、歩行者天国はその地区の住民が勝ち取った権利であり、それが一旦返上されるや、その間の交通事情などを理由になかなか戻ってはこないのです。
 刃渡りの大きい刃物の流通規制は、それらを必要とする調理人や工作業者そして工具店を圧迫するものになりかねません。

 

 最近の殺人事件や少年によるそれは、数は減っているものの、質的にも考えるべきものを含んでいますから、このままでいいのだとは決していいませんが、それを理由にした市民の権利の剥奪や制限には大いに抵抗すべきだと思います。それはまさに、いわれなき言いがかりのようなものなのです。
 歩行者天国をなくしたら殺人事件は減りますか?
 古来より使ってきた道具である刃物をなくしたら殺人事件は減りますか?
 少年を締め付けたら殺人は減りますか。

 先ほど述べたデータに戻りましょう。
 現在報道されている殺人事件の20%は実際に殺人者によるものです。
 そして残りの80%の殺人事件の犯人は他ならぬマスコミなのです。
 殺人事件を減らす第一は、マスコミのおしゃべりを止めさせることです。

 以上は実際の行われた殺人への考察を止めろというわけではありません。
 マスコミの過剰な報道は、そうした考察すら妨げているということなのです。
 



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おねえさんも舞うコンサート

2008-06-12 13:47:12 | 音楽を聴く
 最近聴いたり観たりした三つのコンサート

1)SCHAFFEN TORIO(ピアノトリオ)
 *メンバー 冨沢由美(ヴァイオリン)西山健一(チェロ)天野浩子(ピアノ)
 *曲目 モーツアルト「ピアノ三重奏曲 第2番ト長調 K.496」
    ドヴォルザーク 「ピアノ三重奏曲 第4番ホ短調 ドゥムキー」
     その間に、ショパン、アルベニス、サラサーテ、ファリャ、シューマンなどの小品

 

 シューマンが好きなので、その切々とした哀しみ、何かが哀しいのではなく、哀しみそのものがそこにあるという(存在論的?)哀しみが身に沁みた。

2)名古屋市消防音楽隊の野外コンサート

 
 
 これは聴くというより観るコンサート。まして妙齢の女性がコスチュームもりりしく舞い踊るとあれば、よだれの一筋や二筋は出ようというもの。
 作り物の笑顔は致し方ないが、若い肢体が躍動するのを観るのはやはり心躍る。

 
 
 途中で、「消防署員募集」の垂れ幕が出たりするのもご愛敬。
 こんな可愛いねえちゃんたちと毎日一緒だったら消防士になろうかとも考えたが、そうはイカのオツンツン、全く別のところで、火事の都度出動では身が持つまい。

 
 
 え? 曲目はなんだったかですって? そんなもん覚えてますかいな。

3)山本友重ヴァイオリン・リサイタル
    ピアノ 諸田由里子
 *曲目 モーツアルト「ヴァイオリン・ソナタ第40番変ロ長調K.454」
     J.S.バッハ「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ長調BWV1005 ]
     R・シュトラウス「ヴァイオリン・ソナタ変ホ長調Op.18」

 
 
 最後の、R・シュトラウスのものに迫力があった。
 前二つと百年以上の時差があり、ロマン派を経て、今まさに二十世紀に入ろうとする時代の変遷がその音楽自体にも、また演奏法にも如実に表れていた。
 二つの楽器がただ寄り添うのではなく、ある時には撥ね付けるようでもあり、それでいてある大きな調和のうちにあるといった感がするのである。
 これがまた、最初のモーツアルトのそれと大きく違う点だろうと思った。







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