六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「マイお花見通り」と動画二本「魚たち」「花筏」

2023-03-31 15:55:03 | 写真とおしゃべり

 わが家から徒歩五分ほどのちょっとした観桜ポイント、わざわざ訪れる人はいないが、それがかえっていい。「マイお花見通り」と名付け、毎年ここで花を愛でることにしている。
 今年はもう散り始めていて、下の水路には花筏ができていた。

 写真を何枚かと、動画二本を載せる。

       
           
                         

          
               散る桜残る桜は生き延びろ

       

 動画の一本は3月16日に撮った「魚たち」。前半、左下からアカミミガメが現れる。
      https://www.youtube.com/watch?v=kCnQt6eNLnA

 二本目は3月29日に撮ったものだが、まったく同じ場所である。目を凝らすと花筏の下に魚たちが群れているのがわかる。
 これには、「急かさるも淵に留まれ花筏」の川柳をつけた。
      https://www.youtube.com/watch?v=IVc-go2DoqM

 今年の春は、息せき切ってやってきて、足早に過ぎようとしている。

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水ぬるむ荒田川に沿って歩き思い出した「真・善・美」

2023-03-30 01:00:44 | よしなしごと
 この歳になって免許をもち続けることに批判はあるかもしれない。
 しかし、公の交通機関に恵まれていない地方都市郊外にあって、買い物弱者にはなりたくないし、蔵書数の多い県の図書館へゆく手段も確保しておきたい。
 そんなことで、昨秋免許を更新したし、今春は車検に応じることとなった。

       
           荒田川から岐阜のランドマーク金華山を臨む
              
           

 とはいえ、車の使用頻度は若い人たちのそれに比べれば極端に少ない。だから車検にそれほど高額を支払いたくはない。
 その旨を業者に伝え、安全に関わる最低限の措置にとどめてほしいと依頼するとともに、その業者の割引システム、早期予約、早期入庫などをフル活用し、おまけに代車なしなどで7,700円の値引きが実現。
 その結果、自賠責、重量税、などなどすべてを含み、50,000円で収めることができた(軽自動車)。

          
          
                  鯉の恋?
            
       

 ということで、代車なしのため、車検のための持ち込みと出来上がったものの引取りは自分の足で行わねばならない。自宅から広い通りを行くとけっこう遠いが、「三角形の二辺の和は他の一辺よりも長い」という幾何学の法則に従い、斜めの道を選ぶと約一キロの距離になる。しかもこの道、荒田川、新荒田川に面していて、傍らを車がビュンビュン通る道路よりも歩いていて遥かに快適で風情もある。

           
            何故か川べりに一本あるバナナの立ち枯れ
            
       
              去年から頑張っている枯尾花

 ここに載せた写真はすべてその往復に撮ったものである。
 途中、桜の咲く校舎など二枚は、私の出身校、加納中学校のものである。校舎はもちろん、舟田町という地名が示すように、往時は学校の周りは泥田ばかりで家もまばらだったのが、住宅街や病院、公の施設などに囲まれてしまって、その面影の片鱗も残ってはいない。
 
       
       

 だから、懐かしさがこみ上げるようなことは一切ないのだが、卒業間際に担任のM先生が私の耳元で諭すように、あるいは囁くように
「君、人間にとって必要なのは、真・善・美なんだよ」
 いったのが、今更のように思い出される。
 いま思えば、あの真・善・美は、カントの三批判(「純粋理性批判」・「実践理性批判」・「判断力批判」)を指していたことがわかる。そしてそれが、私が形而上学的なものに多少なりとも興味をもつきっかけになったとしたら、やはり教師の影響というのは大きいというべきだろうか。
 いずれにしても、はるか遠い七〇年前の思い出である。

 

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■有朋自遠方来、不亦楽乎。(朋あり遠方より来るまた愉しからずや)

2023-03-27 19:04:24 | フォトエッセイ

 これは本来は「同じ志をもって学ぶ人の出会い」という意味で、私などが使う意味よりも実際には限定された状況だという。でも、そんなことはいいのだ。
 ここ何年も、同じ人脈を共有するせいでしばしば出会いながら、話を交わさなかった友人から電話があり、わざわざ名古屋から逢いに来てくれるという。

      
          岐阜駅前のバスターミナル内のコブシの花

 さっそく出迎え、私自身久しぶりの長良河畔などを散策し、カフェで話し合う。互いの近況などを交わし合うのみで、これといった用件があったわけではない。もっとも、友人の方は一つの節目に差し掛かっていて、いろいろ考えるところがあるようだが。
 もちろん、なにかの結論や約束ができるような出会いではなかったが、それがいいのだ。これといった用件がないのに、そんな時間が面倒ではないどころかどこか居心地がいい。そんな再会であった。
 
      
              水田さん遺品の絵葉書
 
 帰宅したら、先般、一〇三歳で亡くなられた水田洋さんの娘さんからはがきが届いていた。水田さんとは、相互に同人誌を送り合う仲だったが、亡くなられたことを知ったあとも、「ご霊前に」とお送りしたことに対しての返礼であった。
 それも、水田さんが最後に訪英された折に求めていらっしゃった列車の絵葉書で、その路線にお乗りになったものだとのこと。
 ローマ時代の水道橋のような高い橋梁の上、霧にまとわりつかれながら疾走する列車の幻想的な映像。ちょっとだけ鉄ちゃんの私には嬉しいものだった。
 温かい花曇りの一日だったが、私には心温まる一日だった。

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思いがけない「つくし」な長い一日

2023-03-23 15:48:08 | フォトエッセイ
 今月始め、毎年のホームグランドへ出かけたが、先行者がいて空振りだったことはすでに書いた。土筆のことである。
 
 それが、思いがけないことに20日過ぎ、別の箇所で群生を見つけた。穂先が開き、やや遅い感もあるが、茎のシャキシャキ感などは残っているはず。懸命に採った。

       

 採っても採ってもまだある。「とっても」たくさんあるとはこのことだ。途中で、「あまり採りすぎても掃除が大変だぞ」という自分の心中の声が聞こえる。にもかかわらず採り続ける欲張りの自分がもうひとりいる。

       

 結局、わが土筆採取史上最高量を採ってきてしまった。予想どおり、掃除が大変だ。まず土筆とほかの雑草や枯れ葉などを選り分け、そして袴を除く作業に取り掛かる。灰汁で爪が変色する。でもひたすら袴に立ち向かう。

       
       

 なんとか掃除し終わったものを、水洗いをする。それから大きめの鍋を引っ張り出してアク抜きの下処理のため湯がく。炭酸がなかったので、塩と酢を少量入れて湯がく。
 それを冷水に取り、しばらく水に晒してから今度は水抜きをして、それらを小分けにして袋に収め、冷蔵庫の野菜室へ。

       

 フーッツ・・・・ほとんど1日仕事だ。
 ほんとうに「つくし」な1日だった。
 え?食べる方? 下ごしらえだけで疲れてしまったからまた今度ね。
 ったく、何やってんのかねぇ。いい歳こいて。

 

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楽しい寓話の読書 オーウェル『動物農場』 挿絵つき

2023-03-20 02:37:48 | 書評

 いやぁ、面白かった。確か60年ほど前に一度目を通しているはずだが、今回、読み返してみて、こんなに面白かったのかと再確認した。1949年にディストピア小説の最高傑作といわれ、管理社会を描ききった『1984年』を発表した作家、ジョージ・オーウェルがその4年前に書いた寓話風小説『動物農園』だ。
 なぜ読み直したかというと、1966年の吉田健一(戦後の首相、吉田茂の息子)の翻訳が、新しい装丁と楽しい挿絵入りで再刊されたと聞いていたからである。とくに、ヒグチユウコさんの挿絵は的確で楽しい。

          

 物語は、ジョーンズという男の経営する農園で夜な夜な動物たちが集まり、老いたる豚のジイさんから、農園で働く動物たちがいかに人間たちから奴隷労働を強要され、搾取されているのか、そしていつの日かその絆を断ち切らねばならないということを聞くところから始まる。語り終えたジイさんは寿命が尽きて死んでしまうのだが、ちょうどその頃、農場主のジョーンズは諸事情もあって、農場経営も雑になり、酒に入り浸って動物たちに餌を与えることすら怠る様になる。

 そんななか、その待遇に耐えかねた動物たちの反乱が、ジイさん豚の予言通り成功してしまい、動物たちの自治によるコンミューンが成立する。これが表題の「動物農場」である。
 希望に満ちた動物たちの共労生活が始まる。さまざまな提案が検討され、表決によって実施される。が、意見の相違も表面化し、派閥も生じる。派閥の一方は論理的でこの組織の掲げる理想に沿った未来への提言を行うのだが、権謀術策に長けたもう一方の派閥によって、逆に組織の破壊者として追放されてしまう。

       

 それと同時に、動物たちの中に階層化が進み、もっとも知恵があるという豚たちが権力の中枢(官僚)にその座を占める。反逆者として追放されたスノーポールも、それを追放したナポレオンも、ともに豚だった。
 こうして、忠実な豚たちと反抗するものを牙で威嚇する犬たちで周辺を固めたナポレオンの独裁政治が始まり、当初の崇高な理念は次々と改変され、気がつけば動物たちはお題目はともかく、その実質は解放以前と全く変わらぬ状況に置かれていることになる。

 その間に、反逆者と名指された動物たちの大量粛清、労働英雄と称賛された馬の限界を超えた労働の展開、付近の人間経営の農場との協定とその破綻による戦争、協同組合方式から市場経済導入への後戻りなどなどがナポレオン独裁のもとで展開される。
 そして、その動物農園の行方は?ということになる。

 これらが平易に、子どもか読んでも楽しいような挿絵入りの寓話方式で語られる。
 これを、「権力は腐敗する」という一般論の寓話として読んでもじゅうぶん楽しいが、ロシア革命とその後のソ連の辿った歴史として読み返すと一層のリアリティが感じられる。
 独裁者となるナポレオンはもちろんスターリンだし、追放されるスノーポールはトロツキーである。また、それぞれのエピソードは党主体の官僚化、秘密警察GPU(ナポレオンを守る犬たちとして登場)を駆使した大量粛清、ナチスドイツとの条約締結とその破綻による戦争、市場経済の導入による国家資本主義の展開などなどを指し示している。

       

 オーウェルの非凡なところは、世界中のほとんどの左翼がソ連にまだ幻想をもっていた1945年にこれを書いたことである。スターリン独裁化の諸事実が世界に知れ渡ったのは、1956年のソ連共産党第20回大会でのフルシチョフの秘密報告によってだった。
 だから彼は、しばらくは単なる反共主義者だとかトロツキストだとかという中傷非難のうちにあった。しかしこの書は、彼が決してそんな存在ではなかったことを示して余りあるものがある。だからこそ彼は、これを書いた4年後、冒頭で触れた不朽の名作『1984年』を書くことができたのである。
 惜しむらくは、彼オーウェルが1950年、わずか47歳にして結核のためこの世を去ったことだ。

 なお、冒頭にも書いたが、この書を楽しいものにしているのはその装丁やヒグチユウコさんの挿絵によるところが大きい。その線画風の柔らかいタッチの挿絵は、この書の寓話性を一層引き立たせている。
 一日で一気に読み上げる楽しい読書だった。

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ドイツからの便り

2023-03-18 01:07:38 | よしなしごと
      
 
 ドイツに住む私の畏友K氏が主宰側として行われた今年の3・11ブランデンブルク門周辺の反原発デモの写真が届いた。
  
 
 日本から一万キロほど離れた原発停止国で、こんなアクションが行われているなか、あの事故の始末もつかぬまま、築60年のポンコツ原発を再稼働し、さらに新築まで考えるこの国の奇っ怪さが浮かび上がる。
 中央で黒い帽子を被っているのが私の友人、K氏。
 
      
 
 なお最後は、もう、一度載せているが、当日への呼びかけポスターで、そのコラージュ風の絵はK氏が描いたもの。
 
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季節の移ろいと「花の色は・・・・・・・・」

2023-03-14 18:09:30 | フォトエッセイ

 なんだか季節の移り変わりが鋭角的になったような気がする。季節間のグラデーションの期間が少ないのだ。
 もっとも季節や自然の方に言わせれば、そんなのはお前の主観で、こちらは折々の条件に従いちゃんとなすべき変化を成し遂げているのだ、ということになる。

           
           

 わが家の紅梅の鉢と早咲きの桜、先にじわじわと咲き始めたのは紅梅の方だった。それが満開になった頃、今度は桜のほうが咲きはじめ、追いつくかのように両者の満開をみるところとなった。

        
        

 それがいま、両者揃って散りつつある。まさに、「桜パッと咲いてパッと散った」であり「世の中は三日みぬ間の桜かな」で桜のほうがその変化のテンポが早い。
 それをもって、武士の散り際や戦時中の特攻隊の「共に散ろうよ国のため」などの例にされたりする。主君や国のため、散ることを強要されることの例えにされるのは、桜にとっても本意ではあるまい。

       

 むしろ、小野小町の無常観のほうが共感できる。
 「花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに」

       
       

 両者が散って、わが家はいくぶん寂しくなったが、追いかけるように雪柳が咲き始めた。さらにはレンギョウがぼつぼつ開花しつつある。

 私が「鋭角」だの「鈍角」だの言っている間に、季節は確実に移ろいつつあるのだ。

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12年前の遺産と今年の早春賦の味

2023-03-13 02:30:07 | フォトエッセイ

【12年前】地震に驚き、津波に驚き、原発事故に驚いた。膨大な被災者に対し、お上の援護もだんだん形式だけになってきている。とくに原発事故。
 「除染してやったぞ、さあ、帰れ」と言われたって「ヘイ、それじゃぁ」というわけにはゆかないのだ。TBS系のレポートでは、被爆地出身の人たちは、そこが故郷故、帰りたい気持ちはあっても、実際には帰らない、帰れないという人が圧倒的に多いという。
 その理由は、帰っても生活できないということだ。働く場所もないし、生活物資を売る商店もない。ではそうした工場などを誘致し、スーパーなどを出店させればということになるのだが、工場主やスーパー経営者にとしては働き手や買い物客のいないところへの進出は考えられないという。このマイナスのスパイラル、もっともな話だ。

       
 
 これらの話は、人々が共同生活をする場所は、「せ~の~」で一斉に立ち上がったり、放射線量が落ち着き、電気、ガス、水道などのインフラが整えばそれでじゅうぶんということではなく、そこに住まいする人たちの有機的な繋がりがなければならないということ示して余りある。そしてそれは、長い年月をかけて作られてきたものだ。
 それを一瞬にして破壊し尽くしたものこそがあの原発事故だったということを今一度確認しよう。
 にもかかわらず、お上はまったくそれを反省などしていない。それどころか、半世紀前に作った原発の再稼働を画策したり、新規原発の建設すら目論んでいる。
 この12年間、彼等にとっては冷却期間でしかなかったのだ。私たちは改めて、「喉元過ぎれば」で忘れやすい者たちの群れになるか、それとも、執念深く被災者の立場に立ち続けるかという選択を、突きつけられているのだ。

【思い出したが遅かった】今月の初めころからだろうか、なにかしなければという思いが募るのだがそれがなんだかわからなくてもどかしい思いをしていた。
 10日を過ぎて、突然それを思い出した。そう、土筆だ。今年はまだ土筆にお目にかかっていない。毎年、3月はじめに、自分の採取場と決めているところへ出かけてチェックするのだが、今年はすっかり忘れていた。

        
 ひとつには、今年の3月はじめはまだ寒かったのと、さらには毎年この時期、TVや新聞などで土筆の話題が報じられ、それに接してオッと反応するのだが、今年はその機会にも恵まれなかったことによる。
 ハッと気づいたのは10日過ぎ、ああ、今年はもうだめだと絶望的な気分に襲われた。それでも・・・・と気を取り直していつもの場所へ。結果は惨憺たるものだった。
 ないっ、もうないのだ。それでも目を凝らすと、多少は残っているものもあるのだが、もう傘がひらききっていたりして、これぞ土筆という平均的なものすら全くない。それでも我慢をして、これならと思う一握りをなんとかと持ち帰った。

       

 命あるものを摘んで来た以上、それにちゃんと向き合い、その生命をありがたくいただかねばならない。面倒がらずに掃除をした。採った折には、何だこんなモノとも思ったが、きれいに掃除をしてみると満更でもない。なんとか調理できそうだ。
 結局、作ったのはあっさり味の煮付け。今日は休日で娘もいるので、写真の小皿料理を二皿作った。

       

 何やかやといいながら口にすると、土筆特有のほろ苦さと茎のシャッキリ感があって、早春の味を堪能することが出来た。
 そして、誓った。来年は3月の頭に絶対に採りにゆこうと。ただし、生きていられたらの話だが・・・・。

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凡庸な最近の日常生活からあれこれと・・・・

2023-03-10 01:55:25 | よしなしごと

【本を読む】
 若い頃、これは私には必要のない分野だと思って投げ捨てていたことにつき、改めて勉強することを思い立ち、図書館から借りてきたその関連の二冊を読む。
 ちゃんとノートをとって(といってもPCへの音声入力だが)と構えて読みだしたが、二冊ともノートにとるべき事項がまったくない。とはいえ、無駄な読書だったわけではない。これらを書いた著者(それぞれ別)の思いや熱意はひしひしと伝わっては来たのだから。
 ちょっと不思議な読書体験。

       

【うどんにブロッコリーが入っていてもいいじゃないか】
 これってちょっと変わった取り合わせだが、使った三河の白だし(この辺のうどんにはこれが合うと思う)が、ブロッコリーに滲みてサラダなんかよりうまい。
 これで製作時間は10分。乾麺を湯がくのが10分で、その間にだしや具の用意ができてしまう。

       

【最近の弁当】
 混ぜご飯の方には、見えているにんじんやグリンピースの他に、高菜の刻み漬けを入れてみた。これがけっこう面白い風味を出している。

       

【わが家の夜桜】
 満開のそれを、夜、スマホで撮ったら、こんな具合にまるでライトアップされたかのように写った。
 春だなぁ。外出時に着てゆくものを改めなければ・・・・。

       

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春襲来!一挙に満開なんです。

2023-03-09 02:34:43 | 花便り&花をめぐって
 いろいろ、ここに書きたいこと、たとえば最近観た映画のことなどがあるのだが、ここ数日の暖かさで一挙に春が襲来し、しかも自然のほうが移ろいやすいので、それを先に書かざるを得ない。

       
       
       
            

 亡父譲りの紅梅の鉢植え(推定樹齢50年)についてはすでに触れてきたが、これが満開になったかと思ったら、まだほんの数日前開花をみた桜桃のなる早咲きの桜が一挙に満開になった。やはり、桜のほうが移り行きが早いようだ。

       
       
       

 今日、ざっとみたところ30匹ほどのミツバチがせわしなく花々を飛び回っていた。彼等の虫媒を受けて、あと2ヶ月もしたらたわわな桜桃が実るはず。楽しみだ。

【おまけの昼餉ニュース】
 顆粒カツオだしとオイスターソース、ごま油、ラー油の塩味スープが、生わかめとよく合ってうまかった。歳のせいか、最近はあっさり味が多い。

       


紅梅の最後の写真、手前のネギは正月に息子夫妻が来た折にもってきてくれた土付きのものを二箇所に分けて鉢植えにしたら、どんどん増えてきたもので、ここしばらくネギを買ったことがない。ありがたい。
 
 
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