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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

友人の水彩画展と緋色のマントの信長公、そしてキャベツ。

2024-11-29 01:51:24 | アート

 同人誌の同人で、友人でもある津田氏が所属する水彩画同好会のサークルが、JR岐阜駅近くの会場で作品展を開いているというので観に行った。
 同好のみなさんが、今度こそはと力作を出品している。この会の作品は、スケッチの上にサッと水彩をのせてゆく感じではなく、けっこう描き込むものがほとんどである。それは冒頭にある講師の作品からもうかがえる。

     
 

 さて、わが友、津田氏の作品であるが、最初に見た数年以上前のそれとは確実に腕前が上がっている。
 今回は4作品を出品しているが、展示順に言うと、「糸満への巡礼」、「ルーマニアのリリアナさん」、「Let’s Go! 」、「伊吹残照」となる。

     

         
         
      

 私には、絵画を鑑識する能力などなく、ここまで書けるだけですごいなあと思ってしまうのだが、好みだけでいうと、「ルーマニア」と「伊吹」だろうか。「伊吹」は雲の紫が面白かった。

 津田さんの作品以外では、伏見宣好という人の「水溜りがある風景」が面白かった。濡れた舗道と、そこへの映り込みがかなり巧みに表現されていると思ったからだ。

          
 

 いずれにしろ各位の活動には羨ましいものがある。実は私自身、70歳を過ぎたら好きな音楽を聴きながら、絵を描いて過ごしたいと思っていたからである。実際のところ、30代に会社勤めをやめて居酒屋を開くまでの半年ほどの間に、イーゼルをはじめ、油絵用の用具一式を揃え、それを今でも持っている。
 しかし、人の生はままならぬもので、70歳から十数年過ぎた今でも、それは果たせないままである。

      

 水彩展の会場から、JR岐阜駅へ向かう。北口広場の金の信長像が緋色のマントを羽織っているのが遠目にも確認できる。実はこの像、もともと黄金色のマントを羽織っているのだが、その上から更に緋色のマントである。
 思うに信長公、暑さはともかく、寒さには弱かったものと見ゆる。

      

 岐阜駅北広場にはもう夕間暮れといった感。写真右階段のイルミネーションが点灯すればきれいなのにと思ったがまだそんな時刻でもない。

      

 駅構内に食品スーパーがあり、大したことはないのだが野菜に関しては安い。覗いてみたら、キャベツが280円だったのでそれのみをゲット。

 いま、普通のスーパーでは、400円から500円。ここ二週間ほどキャベツは口にしていない。農協の朝市にも出ていない。280円でも安いときの倍ぐらいだが、このご時世我慢すべきか。
 なお、政府は物価上昇率を2.数%としているが、食品などを買っているとその上昇率はそんな低いものではない。物によっては倍以上なのだ。
 エンゲル係数50%超えのわが財政はピンチの極限。月8万円の年金を貯金の取り崩しで補っているが、さて、私の死期まで残高があるかどうか?
 解決案は簡単だ。できるだけ早く死ぬこと。とはいえ、生への執着はあるし・・・・。

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昭和→平成→令和 フィーバーしたあの岐阜の地域の現在

2024-11-24 23:30:26 | よしなしごと

 私は和風の元号を使わないようにしている。昭和ー平成ー令和というあれである。銀行や役場でこれを書かねばならないときには、あえて西暦で書いている。かつては、それではだめだといわれることもあり、いやいや迎合したこともあったが、最近は拒否されることが少なくなったような気がする。

 なぜそれらを忌避するかというと、それが担う恣意性、はっきりいってしまえば天皇の即位・退位との対応に好感が持てないのだ。
 西暦だってキリストの生誕に合わせた恣意的なものではないかといわれるかもしれない。それはたしかにそのとおりだが、遥かに2000年以上遡上する基準値であり、現実的な具体性からは距離感がある。
 こんなことを言い出すのは、とりわけ「昭和」という時代の血生臭さ、天皇制と引き換えに失った多くの生命に思いを馳せるからである。

 私の知り合いに、「皇紀」を用い、旧漢字や旧仮名遣いをする人がいるが、これは神話の神武天皇の即位を紀元とする数え方であり、やはり恣意的であるが、昭和ほど血生臭くはない。彼にいわせれば今年は紀元2684年である。ちなみのこの数え方だと私の生年は紀元2598年になる。

 ただし、私自身はこれを用いることはなく、やはり西暦を用いてる。なぜかというと、それ自身キリスト教世界の恣意的な数え方として広まった年号とはいえ、これだけ世界的に広まっている現在、日本での出来事と国際的なそれとの比較や関連を考える場合、やはり西暦の方が都合がいいからである。

 こんな硬い話をするつもりではなかった。なぜこんなことを書き始めたかというと、最近、平成と令和に関する面白い現場に立ち会ったからである。

 昭和から平成に転じたのは、1989年のことであった。この折、一躍脚光を浴び、全国に知られるようになった地域がわが岐阜県の関市にあった。
 その名は平成地区! そう、偶然、元号と一致したのである。ただし、この地区の読みは「へなり」であって「へいせい」ではなかったが漢字表記は全く同一だった。
 厳密に言うとこの名の集落の住民は、当時、わずか37名であったという。特産物はシイタケ、その原木栽培が行われていた。

 この地区は、県道58号線が走るのみで国道ではないのだが、岐阜市方面から下呂や飛騨地域に斜めに抜ける道としてけっこう交通量が多いところではある。
 世の中には好奇心旺盛な人が多く、元号と同じ地域とは?というので、休日など全国からの訪問者が増えてきたという。臨時の売店などが道端にできたようだが、それでは対応しきれないとして、市などの力入れで、「道の駅平成」が出来上がった。
 同時に、この地域一帯を日本平成村と名付け、女優の三田佳子さんを村長に迎えるなどした。

 平成が当たり前の日常になると前ほどのフィーバーはなくなったが、上に述べた交通流の多さなどから道の駅はまあまあだったようだ。私も、2,3度、利用したことがある。岐阜から飛騨地区へ向かう際、トイレ休憩にちょうどいい場所なのだ。私が立ち寄った際にも、けっこう賑わっていた。
 しかし、この道の駅を中心とした平成地区がもっとも賑わったのが2019年4月30日、平成最後の日であった。双方からやってくる車の列は10キロ以上の渋滞を産み出し、片側1車線の県道58号は完全に麻痺したという。

 さて先般、地域のサークルの人たちと付知峡谷へ紅葉狩りに行った帰途、ここに立ち寄ることとなった。実はこれ、平成が終わってから初めてなのであまりさびれた様子は見たくないなぁという気持ちもあった。しかし、駐車場の車両数を見てもかなりのものだし、降りてみた売店や飲食コーナーの様子もまあまあなようで、なんとなく安心を覚えた。フィーバー時代に比べて、多少それぞれの規模を縮小して適応してきたのかもしれない。

 写真のうち、上のものはメインの建物に「ありがとう!平成時代」の表示があり、それを指差す人もいて、けっこう好感を得ているというか、その遺産をちゃんと継承しているようだ。
 しかし、土地の人たちはたくましい。その証拠が下の写真。
 メインの建物のすぐ脇にあるみたらしやたこ焼き、五平餅を売る別棟には、鮮やかに「だんご屋 令和」と書かれてあった。

 訪れたのが夕刻とあって、このだんご屋、もう閉店だからと半額セールを行っていた。私たち一行の誰かがソフトたこ焼きを買い、みんなに振る舞ってくれた。名前の通り、口中でふうわりと舌に絡み、けっこう美味かった。ビールの相手にぴったしだなと思った。
 
 まあしかし、やはり私が令和という元号をを用いることはないだろう。実のところ、今年が令和何年かも怪しいのだ。
 え?それは元号が云々という問題ではなくてお前の認知機能の問題だろうって・・・・う~ん。

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ユーチューバーとの対談をギャラリーカフェ「水の音」で行う

2024-11-20 11:29:39 | アート
 過日、私より少し年下のユーチューバー、H氏から私が何年か前、ブログに書いた是枝監督の映画「万引き家族」に関する記事をもとに対話形式の映像を撮りたいとの申し出があった。映画は好きだけど、取り立ててそれについて論じるほどの知見も持ち合わせていないから尻込みをしていたが、その撮影場所が岐阜の古民家を根城にしたギャラリーカフェ「水の音」という場所だと聞き、その場所に興味をもって出かけた。

          
          

 H氏から振られた私の役どころは下記のブログ記事を自分で解説しながら話を進めるというものであった。
 https://blog.goo.ne.jp/rokumonsendesu/d/20180720

 私はこの映画を是枝監督の映画に通底している「カゾクノカタチ」を問うものとして解釈し、大先輩、小津安二郎の同様の問いと重ねながら話を進めた。
 小津監督の場合は、戦後の家父長制崩壊時の価値観、その一環としての「カゾクノカタチ」を俎上に乗せている。それに対して、是枝監督は前世紀末から始まるネオ・リベ的規制緩和の中で崩壊してしまった既成の家族観を前提にしながら話を進める。
 具体的にいいうならば、終身雇用制、年功序列制が崩壊し不正規雇用が蔓延するようになった時代の家族、もっとわかりやすくいうならば、波平さんやマスオさんが外で働き、船さんやサザエさんが家を守るという家族の形態が終わったあとの「カゾクノカタチ」についてである。

           
      

 そんな話をしている間に撮影は終わり、夕方から予定があった私は帰途についた。
 で、興味をもった古民家のギャラリーカフェ「水の音」についてだが、ゆっくりと探索する時間もなく、対談の撮影前のちょっとした隙に影した写真のみをここに載せておこうと思う。
 なお、同店のHPのアドレスも以下に載せておく。

 https://www.gallery-mizunooto.com/

          
      

 同店は、岐阜の第一神社・伊奈波神社の近の築110年の古民家のカフェで、一階はカフェ、二階はギャラリーとして機能している。
 なかなか良さげなところで、ガールフレンドなどができればエスコートして来たいと思っている。
 
 
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例外的によく歩いた日 大須観音と相国寺展など

2024-11-15 23:32:42 | よしなしごと

 先般の一日、結果としてよく歩いた。
 私の生活はデタラメで、3日ほど家から一歩も出ないようなこともあり、そんな日の歩数は数百歩ぐらいだろう。
 健康などに配慮し、歩くために歩くことはしない。ただし、どこかへ出た折に、ついでに少し遠回りしてみようかぐらいの気持ちはある。
 しかし、最近それも少なくなったのは、かつての田園地帯がほとんど埋め立てられた建築ラッシュで、数年の間に周辺がすっかり新興住宅地に変貌してしまったせいもある。

         

      
        愛岐県境の木曽川の河川敷はススキが占めていた

 先般の話に戻ろう。午前から名古屋へ出た。
 まずは旧知の出版社を尋ね、R編集長と面談。私の悪巧みについて告白。
 その後、少し歩いたところにある店で昼食を共にする。R氏お勧めの中華料理店は、調理人から接客の女性まですべて中国系の人たちで、接客は少し訛りの入った日本語だが、従業員相互の話はすべて中国語。なんか面白い臨場感がある。

 今日の昼定食から小籠包定食を選ぶ。小籠包に加える麺や飯が選択できる。中華は油のイメージが強いからと考え、あっさりしたものをと塩ラーメンを選ぶ。
 やや小ぶりな塩ラーメンと、セイロで湯気が立つ小籠包が出てくる。どちらもうまい。店のスタッフの中国語がBGMとなって本場感を引き立たせる。

          
 
 ここでR氏と別れて大須へ向かう。次の目的地は「栄」なのだが、最寄りの地下鉄の駅が「大須観音」だからだ。
 地下鉄の駅にまっすぐ向かわず、大須観音の境内に寄り道する。大須は今池に次いでよく来る街だが、いつも東側(地下鉄上前津側)からで、最西部にある大須観音の境内まで来ることは少ない。

      
 
 鳳凰堂のような両翼をもった本殿の朱色は折からの晴天で輝いている。名古屋の街なかの中心部にありながら、不思議と背後に高いビルなどがなく、あまり撮影の邪魔にもならない。
 境内全体のBGMとして読経のテープが流されているが、晴天下の朱塗りの本堂にはさして荘厳な感じはない。外国からの観光客にエキゾチックな雰囲気を演出するサービスにはなるだろう。

          
           大須観音前の何でも屋のような中古品店

 大須観音駅から栄駅へ移動する。目的は愛知県美術館で開催されている「相国寺(しょうこくじ)展」を見るためである。相国寺といわれてもピンとこない方もいるだろうが、傘下に金閣・銀閣を擁するといったらその格や規模に頷かれることと思う。

           
      栄のオアシス21 水色の天井は文字通り水がはられた底である

 室町時代からの古刹だから寺院内の装飾などに優れた美術品があることは当然だが、それに加えて、近代になっての住職が献上されたりした美術品を流出させず、蒐集したことによってそれらがさらに保たれ、現在に至っているという。

      
 
 会場に入った印象は、作品を保護するためかいくぶん落とされた照明のもとに、僧侶の肖像やその書などが並べられ、なんか抹香臭い展示だなぁと思ってしまった。
 しかしやがて、「十八羅漢図」などの極彩色のものが現れるに従い、描かれた対象も多様になり、面白くなってくる。

 展示全体は五章に区切らている。第二章には雪舟が登場。日頃図鑑などで目にする厳然とした筆致とはまた一味違う柔らかいタッチのものもある。
 第三章の目玉は狩野探幽。飛鶴図や花鳥図衝立などが並ぶ。
 
 第四章の中心は伊藤若冲。しかも一〇点以上が。これも図鑑などで見る極彩色のいくぶんエキゾチックな物は少ないが、圧巻は鹿苑寺(金閣寺)大書院障壁画全二六面が現実の部屋を再現するかのように展示されていることである。

           
              若冲の襖絵の一部

 第五章は相国寺の蒐集を中心としたもので、円山応挙の作品などがある。

 これまで述べてきたように、この美術展の見どころは、雪舟、探幽、若冲、応挙など日本画の歴史的ビッグネームが複数の作品を擁して一堂に会している点である。その意味で、私のような深い鑑賞眼をもたないがそれなりに見てみたいというミーハーには好都合であった。

 秋の落日は早い。見終わって外へ出るともう夕闇が迫っている。このまま名古屋で一杯引っかけて帰ろうかとも思ったが、帰宅してからのやや遅い夕食に間に合う時間だと思い、帰途についた。

 JRの列車内で寝てしまい、もう少しで乗り過ごすところだったが、岐阜駅到着で本能的に目覚めて、辛くもセーフ。
 いろいろ歩き回ったのと、美術展というのは距離の割に意外と疲れるので、そのせいだろう。帰宅して歩数計を見たら、12,500歩だった。
 私にとっては例外的歩数で、疲れるはずだと思った。
 









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あなたは「木本事件」を知っていますか?

2024-11-10 00:40:55 | 歴史を考える
これは、私の友人、劉永昇さんがFaceBookに載せた記事のシェアーのようなものだが、今年度の「地方の時代映像祭」のグランプリは名古屋テレビ制作のドキュメンタリー「掌で空は隠せない」に決まったという。
このドキュメンタリーの題材は、1923年の関東大震災当時の朝鮮人虐殺事件の3年後、三重県熊野市木本町で起こったやはり朝鮮人虐殺事件を巡るものだが、恥ずかしながら私もつい最近まで知ることのなかったものである。
それがどのような事件であり、その後、どのような扱いを受けているかは最後に貼り付けたそのドキュメンタリー自体の内容を観ていただきたい。
なお、冒頭で述べた劉氏は私も参加する同人誌「追伸」の編集長であり、同時に、現在、この木本事件についての記事を同志に連載中である。
そしてこのドキュメンタリーにも要所要所で探求者として登場している。
いささか先回りになるが、朝鮮人犠牲者が眠る極楽寺の住職、足立氏には感服する。従来からの犠牲者の墓の他に、さらに追悼碑を建て、その横に彼自身の「葬送の言葉」を刻んだ碑を建てている。
まずはその受賞作をじっくりご覧いただきたい。
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