花見の主たる対象、ソメイヨシノには実がならない。人工的に作られた品種は挿し木でしか繁殖できない一代限りの命だ。
ということは、人類が滅びた際には、数十年で尽き果てることとなる。ソメイヨシノは、千年を超えるエドヒガンと違って、寿命は短い。その意味でも、ソメイヨシノの開花とその終わりは儚いのだ。
以下は、今わが家で見られる樹木の新芽の模様である。
岐阜に岐阜信用金庫という金融機関がある。県下では十六銀行、大垣共立銀行などに次ぐ結構安定した勢力を誇っている。
その信用金庫がかなりの美術品を収集していて、企業メセナというか、時折その公開展示会を行っているのを岐阜にいながら全く知らなかった。それを知らせて頂き、お誘いいただいたのは名古屋にお住まいの昔なじみの I さん(女性)からだった。
開催初日の26日、開催に先立ってスペシャルトークが行われ、 I さんもお越しになるというので、出かけた。
その収集の内容だが、思ったより幅広く、また層も厚い。
日本画では川合玉堂を始め前田青邨(これは複数)、横山大観、安田靫彦、川端龍子などなどの大御所を始め、佳作が結構ある。
洋画部門では、安井曾太郎に始まり梅原龍三郎(これは6点)から小絲源太郎、杉本健吉へとひとつの流れを観ることができる。
前田青邨の一部 パンフから
私にとって結構意外だったのは、郷土の作家として結構見慣れてきたはずの加藤栄三、東一兄弟の作品が、これまで観てきたものより重厚に感じられたことだ。たぶん、収集されたものは晩年のものが多いためかもしれない。
梅原龍三郎の一部 パンフから
他に東山魁夷、平山郁夫、加山又造などの作品にも出会える。なお、展示会のポスターやパンフに掲載されているのは、藤田嗣治の「婦人像」である。
これらの展示を「企業メセナ」と表したのは、「創立100周年記念 岐阜信用金庫秘蔵名作選」と銘打たれたこの作品展が、なんと無料で公開されることである。これだけの作品を集めた展示が無料という例はほとんどないと思われる。
期間は26日から4月14日、岐阜県美術館第4展示室(10:00~18:00 最終日は13:00)、ただし、月曜日は休館。
岐阜、または近郊にお住いの方には是非お勧めしたい。また。隣の県図書館に行かれた際にでもお立ち寄りいただくと良いと思う。
一通り観終わってから、I さんと昼食。ネットでは連絡があり、最近は映画関係の資料を送付いただいているI さんだが、リアルにお目にかかるのは7,8年ぶりになる。相互の身辺事情など積もる話が弾む。
年始の開演から少し遅れたが、やっと観る機会があった。
こんなの観せられるとやはり映画ってすごいなぁと思う。
回想シーンを主としたモノクロの映像とリアルな世界のカラー、外部世界として見せる都市シーンのガウディを漫画チックにしたような様相、それらはこの映画が描く時代を「はてな?」のなかに入れてしまう。解説によると19世紀末の英ヴィクトリア朝の出来事だとのことだが、そんな限定は吹っ飛んでいる。
色彩と画像の面白さに加えて、音響も効果的で面白い。
高度な脳外科手術が可能で、異種生物の接合手術すら可能なことを見せる映像からはSF的な近未来が頭に浮かぶが、登場する人物たちの衣服や振る舞いはなるほど19世紀末なのかもしれない。にも関わらずである、主人公が成長し到達する世界はまさに21世紀の現実ですらある。
いささかネタバレになるが、映画の状況設定としての主人公の特殊な情況を述べておこう。
彼女は、胎児を宿しながら自死した女性なのであるが(その自死の原因が夫のサディスティックなDVであることは後半で判明する)、脳死はしているものの生体反応はあるということで、宿していた胎児の脳が彼女に移植され、赤ん坊の脳を持った成人女性としての復活を遂げる。
彼女を規定しようとすると妙なことになる。彼女は自分の母であると同時に自分の娘でもある。そうした「胎児の脳をもった成人女性」の知能と精神の成長過程の映画である。
外界へと旅する彼女のロード・ムービー風の冒険は凄まじい。それも、この映画がR-18に指定されている面でのものが多い。しかし彼女は、それを身体的快楽としてのみではなく、「女」が生きてゆくうえでの体験として対象化し、それによってたくましく成長して行く。
脳の移植という特殊な条件はあるものの、ようするにこれは女性の成長物語である。
しかし、そうした女性の成長というのはこれまではそれを見守る「寛容な男」に支えられたものとして描かれてきた。ギリシャ神話のピグマリオンの物語、源氏物語の「若紫」の話を始め、映画では『マイ・フェア・レディ』もその類だろう。
しかし、この映画はそうした寛容な男の影は皆無ではないにしろ、むしろ彼女の成長は彼女自身の体験と学習によるものとする。この辺が新しいといえば新しいのかもしれない。
主演のエマ・ストーンの体当たり演技がすごい。脳がまだ幼少期の身体の動かし方から次第に成長する過程の表現、表情の変化。後半の何処かで、かつてやはり映画で観たメキシコの女性画家、フリーダ・カーロを思わせる表情にも出会った。
後半の彼女のレズ体験の場面で、席を立って帰った老夫婦(カップル)がいた。何を話ながら帰ったのだろう。
『哀れなるものたち』監督:ヨルゴス・ランティモス 主演:エマ・ストーン 23年
■名古屋に映画ファンのための新しい小劇場、ナゴヤキネマ・ノイが本日、発足しました。
■私も呼びかけ人の一人です。クラウドファウンディングには、想定を超える人々が応じてくれました。
■そのお陰での今日の発足です、名古屋周辺での映画ファンの皆さん、あなたのフィールドの一つに是非ともお加えください。
3月13日午後、PCで書を読んでいたのだが、やはり、紙の書よりも疲れる。そしてその分、頭に入るのも空疎になる。で、少し気分転換で外出を試みる。陽射しは暖かそうだが午前は風が強く体感温度は寒かった。しかし、午後3時ぐらい、風は収まり条件は良い。
■三月九日、今年始めて海を見た。知多半島方面あちこち。
■午前はそうでもなかったが、午後は「天気晴朗なれども波高し」で、風速が強く、体感温度は震え上がるほどであった。でも、海なし県の人間にとって、海は恐怖と憧れのアンビバレンツで神秘的な存在。
■写真はアトランダムに海関連のみ。
■海岸は風が強くて寒いので、同じ知多半島内でも内陸部の観光農園「花ひろば」へ行ってきました。
■折から、菜の花の満開。一人一〇本まで摘んで持ち帰れるというので、まだ花の開かない蕾ばかり摘んできました。
■花を飾るためではありません。辛子和えにして食べるためです。私の好物なのです。
■カップルが一杯いてアテられましたが、写真をたくさん撮ってきました。
■ほとんどが了承を得て撮ったものや後ろ姿ですが、了承を得ていないものは顔にボカシを入れてあります。