今年は、図らずも三つの炭鉱に関心を持つこととなりました。
その三つとは、
三池、常磐、夕張で、現在ではその全てが閉山されています。
三井三池炭鉱については、熊谷博子監督が大牟田市に委託されて撮ったドキュメンタリー映画
『三池 終わらない炭鉱(やま)の物語』で、改めてその全貌に触れることが出来ました。
物語は大きくいって三つに別れています。
ひとつは
戦前の囚人労働、強制連行労働、捕虜(白人も当然含む)による労働の頃の話です。私たちが知らなかった興味ある歴史的事実が続々と出てきます。
第二は、1960年頃の、千何百人かの指名解雇に端を発する労働争議の模様です。
「総労働対総資本の戦い」といわれたこの争議は、まさに日本の労働史上最大のものでした。
かつて、「あんまり煙突が高いので」と歌われた大煙突。
映画は、それらの事態を、当時の実写と、関連した人達との証言で綴って行きます。そこには、第一労組、第二労組、会社側の人の証言も生々しく記録されています。
そして、それは同時に、エネルギーの根幹を支えてきた炭鉱という産業が、
基幹産業から脱落して行くばかりか、やがては消えて行く運命を決定的に象徴するものでもありました。
第三は、その争議の三年後の、炭鉱史上最大の犠牲を出した三川坑炭じん爆発事故で、
死者458人を数えるに至りました。一説には、先の争議の結果としての徹底した合理化による保安対策の弱体化によるとするものもあります。
この事故のもうひとつの問題は、
一酸化炭素中毒患者839人を生み出したということです。彼らの症状はまちまちですが、完全な脳死状態のもの、記憶喪失、幼児化、ときおり訪れる激しい発作などなど、
40年以上経過した今もなお、それに苦しむ多くの人たちがいます。
大牟田市は、今や炭鉱の街から脱皮する道を模索しています。炭鉱節をアレンジした若い人達の「さのよい」踊りが、鉱山の遺物の間にこだまします。
それが新たな希望へと繋がることを祈らずにはいられません。
いまひとつ遭遇したのは、やはり閉山に追い込まれた
福島県の常磐炭鉱の例です。
ここでは閉山後の余剰人員の吸収として、いち早く地下の湧水(温泉)を利用したリゾート開発が計画されます。
そして当時(1966年)の夢の島であったハワイをイメージした
「常磐ハワイアンセンター」をオープンします。
このセンター、最初は年間155万人の来場(1970年)があるなど活況を呈したのですが、次第に時代のニーズから見てダサイといわれ始めたのを機に、リゾート内容の多様化や近代化を図り、同時に、その名称も
「スパリゾートハワイアンズ」と改めて、再び集客能力を取り戻したといわれています。
今年は、開園以来の述べ入場者数
5,000万人を越えたといいますから、この種のテーマパークとしては長寿を誇る成功例といって良いかも知れません。
それと似たようなレジャー施設の開発を目指し全くの空振りで
ついに市の財政そのものを破綻させた例が、夕張だと言えます。
その悲惨さはかなり報道されていますが、それによると社会福祉の大幅な削減、各種料金の値上げ、市民税の増加などなどで、力のある市民は、ドンドン脱出を計っているようです。
そして取り残されるのはやはり老人などの弱者です。
福祉が削除され、バス代が600円もするところで、生きて行かねばならないのです。
夕張市の財政を吸い上げ、
利益を懐にしたのは一握りの土建屋のみです。そして、その悲惨な結果には、往時の幹部も含めて誰も責任をとろうとはしません。
もちろん、夕張の場合も、何とか再生をと企画されたことはいうまでもありません。しかし、その発想はあまりにも安易ではなかったでしょうか。もはや、
箱ものさえ作れば人が集まという時代ではないのです。
夕張のような市のお役人ではなく、経営のエキスパートが企画したテーマパークですら、苦戦し赤字を余儀なくされているのです。
この夕張と常磐の違いはどこにあったのでしょうか。
確かに、常磐の方が先行したという時代の違いがあります。しかし、常磐には箱ものに依存するのみというのとはちょっと違った取り組みが見られます。
その一端を取り上げた映画に
『フラガール』(李 相日監督)があります。あの映画は、『ウオーターボーイズ』や『スウィングガールズ』と似ていて、観客にアピールする勘所を外さない優れたエンターティメントですが、後の二つに比べて、決定的に違うのは、
閉山後の受け皿を自分たちがつくるのだという決意に裏打ちされていることです。
あの映画では明記されていませんが、あのフラガールたちの養成は、既にして開園一年前の1965年に、「常磐音楽舞踏学院」が設立され、そこでアトラクションの目玉となる人たちをと行われてきたのです。
どこかのプロダクションに依頼して、既成の芸人を、しかももはや峠を過ぎたような芸人を引っ張ってくる安易さとはわけが違うのです。
映画の中には、冬の時期、椰子の木を守るエピソードが出てきますが、そうした環境の整備をも自分たちで行い、その過程を通じて目標に向かっての団結心のようなものが形成されてきた様相が偲ばれます。
もちろん、常磐を手放しで礼賛しようとしているのではありません。そこにはおそらく私たちが知り得ない負の問題点もあったでしょう。
しかし、
単に箱ものに依存するのではなく、その中味としての自分たちを鍛えるという営為があったことは事実なようです。
あまり具体的なことも知らずに夕張を批判することは出来ないのですが、かつての「ふるさと創生資金」と称した一億円のばらまき政策なども、
その大半が土建屋の懐に吸収され、肝心の市町村にはほとんど役に立っていない現状を見る時、つい、夕張にその象徴を見てしまうのです。
そして、今日、引きもきらずに続いている、それらの箱もの行政の裏にある県知事や各自治体の首長の業者との癒着、贈収賄による税の流出をも考えてしまうのです。