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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

【初冬の惜別】先達にして戦争の語り部「お髭の斎藤さん」を送る

2020-11-29 15:44:07 | ひとを弔う

 慶弔というが、この歳になると慶事にはめったにお目にかからない。慶事は孫の世代の出来事であり、自分の孫でもない限りその場に招かれることはない。

        
         初冬の落陽は早い 斎場への道は黄昏れつつあった

 それに反して、弔事は頻繁になってきた。年長の世代、同年輩、そしてやや年下の人の場合もある。ただし近年は、高齢で亡くなられた場合の通夜や葬儀はお身内でひっそり行われる場合が多いので、それに出る機会もあまりない。
 それでもその方が、特殊な分野で独自の活動をされていて、それらの分野で親しかった人々とのお別れの機会が設けられることもある。

             
 今回、亡くなられた齋藤孝さんはそんなひとで、多方面にわたって活躍された方である。現職時代は地方公務員(名古屋市職員)で、この市が革新市長をいただき、さまざまな福祉分野でその実をもたらした折、それを支えたメンバーのひとりでもあった。

 その傍ら、「時計台」という市職員の文芸サークルで活躍され、その文芸への関わりは生涯にわたるものとなった。
 私との関わりもその延長上で、既に亡くなられた斎藤さんの同僚・伊藤幹彦さんの呼びかけで同人誌「遊民」が発刊される折、私もその末席を汚す同人にお誘いいただいたのだが、斎藤さんもまたその中心メンバーであった。ちなみに「遊民」=「Homo-Ludens」という命名は斎藤さんの提唱によるものだった。
 その折がはじめてではなく、それ以前も月イチの会(もくの会)でお目にかかってはいたが、親しく言葉を交わすよになったのはその同人誌時代であった。月一回の編集会議では、編集に関わる話のみならず、斎藤さんの自由闊達な数々のお話を伺うことができた。

             
 ほかに、俳句のサークルを主宰され、宗匠なき句会と言われていたが、Sさんはその宗匠的な立場でいらっしゃったと聞いている。
 その他さまざまな分野で精力的に活動されたが、欠かせないのが、「戦争と平和の資料館・ピースあいち」での語り部としてのご活躍だ。その実体験と、戦時歌謡曲などサブカルへの見識を取り混ぜた斎藤さんの語りは、小学生から大人までを包摂する説得力のあるものだった。
 とくに子どもたちからは、「お髭の斎藤さん」として親しまれていたという。斎藤さんの話を聞いて、戦争や平和への関心をもった子どもたちや既に成人した人たちはかなりの数に至る。斎藤さんの遺志は、そうした若い芽の中に、厳然として生き続けている。

          
               同人誌仲間の岐阜への遠足から
 
 私はよく、ハンナ・アーレントの、「人は必ず死ぬ。ただし、死ぬために生まれてきたのではない」という言葉を引用するが、これは、人は既存の一定の世界へと生み出されるが、それを契機にその世界と有機的に関わり合い、その世界へ何がしかの痕跡を残して去ってゆきたいものだという願望をも含む。まさに、斎藤さんはその足跡をもって「生まれてきた」証を残して去って行かれたと思う。

 お別れの会に出席した私どもが頂いた品に添えられた冊子は、「戦争と平和を詠む」と題したもので、生前の斎藤さんの詠まれた句と短歌、そしてそれに添えられたエッセイ風の解説を掲載したものであった。

            フォト
 それらから、若干を引用して斎藤さんへのレクイエムとしたい。

  爆弾が落ちてこぬ空運動会
  赤蜻蛉飛ぶその先にオスプレイ
  秋光や無念を語る無言館
  敗戦日一人ひとりが背負うもの
  戦場や兵士徹宵冬銀河
  消えていく虹老兵も消えていく
  夏草や朽ちし墓石に「上等兵」
  遠花火はるかなる日の砲の音
  苦瓜や戦場の地にいまたわわ
  仰向けの墜死や蝉の敗戦日

  縄文の遺跡の丘に残るもの高射砲置く土台の金具
  またしても工事現場の不発弾立入禁止の街は静寂
  戦争の吾の話を聞きし子らハイタッチしてさよならをする
  広島をヒロシマと書くその日から平和を願う灯がある
  敬礼の肘が下がっているだけで往復びんた受けた遠い日

 なお、この冊子は以下のような言葉をその結びとしている。
 「20世紀は戦争の100年だった。21世紀こそは平和な歳月にしたいと誰しもが思ったであろうが、未だ戦火が絶えない。国同士の戦いはないにしても、内戦があり、自爆事件が絶えない。私の歌は私の命が続く限り、この地球から戦争が亡くならない限り、歌い続けることになるだろう

 斎藤さん亡き後、この歌い続ける行為は、遺された私たちに託されている。

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冬のひまわり&映る・撮す

2020-11-25 17:01:13 | フォトエッセイ
【冬のひまわり】
 ガンバレ!冬のヒマワリ! 君はわが老境の希望の星だ!
             
            
 
【映る…でもって、撮す】
 ここへはよくくる。このお店の角に、郵便ポストがあるから・・・・。
 同じ場所で少しアングルを変えて。ちょっと陽が西に傾いた頃。
 
          
          
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世界が消費の対象になるという究極のニヒリズム(読書ノート)

2020-11-21 00:22:38 | 書評

 以下は、『世代問題の再燃 ハイデガー、アーレントとともに哲学する』森 一郎(明石書房)を読了した後、それに触発された考察である。

 著者は、ハイデガーが「死への先駆」から思考を展開したのに対し、アーレントの哲学を「生誕」をキーワードにして読み解く立場をとる(『死と誕生 ハイデガー・九鬼周造・アーレント』、『死を超えるもの 3・11以後の哲学の可能性』など)。
 同じような視点からアーレントを読み解いたものに、『<始まり>のアーレント――「出生」の思想の誕生』(岩波書店、2010年)があるが、こちらは森川輝一という政治学者の書である。両者ともに「森」がつくのでうっかりすると混同する。
 なお、森一郎の方は、長く読みつがれてきた志水速雄訳の『人間の条件』(当初の英語版を底本にした訳)を、アーレント自身の独訳版に即し、タイトルも『活動的生』として訳出し直したことでも知られる(2015年)。

            
 本書のタイトルの世代問題は、近年の年金問題などを含むといえば含むかもしれないが、もう少し広い視野から、世代間の継承問題を考察したものである。大雑把な目次は以下。

  第一部 死と誕生から、世代生産性へ
  第二部 子ども、世界、老い
  第三部 世代をつなぐもの
  第四部 メンテナンスの現象学 
 1~2部はアーレントに即した記述 3~4部はそれに即した著者の実践的経験と時事的問題などの記述。

 著者の展開はともかく、それに啓発されながら、世代間で継承されてゆくもの、アーレントの指摘による制作(仕事)の成果としての「世界」について少し考えてみた。この場合の世界は、ハイデガーが道具関連の連鎖としてそのうちに私たちが住まうとした「世界内存在」の世界に近い。

 アーレントの考えで理解されにくいのが、人間の行為を労働・制作(仕事)・活動に分けて考察する場合の、労働と制作(仕事)の分け方である。
 アーレントはその産物が消費によって消えてゆくものを労働の成果とし、それに反して、その産物がある程度繰り返して使用され、それらの累積によって広い意味での人間にとっての基本的なインフラ=世界を形成するのが制作(仕事)の成果だとする。
 ようするに、労働は消費に対応し、制作(仕事)は使用(繰り返しの)に対応するわけだ。

 そして、この書で、世代間に継承さるべきとして語られているのはもっぱらそうしたものの連鎖としての世界、ないしはその部分についてである。

          
 これがなぜわかりにくくなっているかというと、現代における人間と生産物との対応の仕方の変化による。結論を言ってしまえば、本来、耐久的な使用の対象であるものが、あたかも消耗品であるかのように使い捨てられるようになったからである。
 例えば、かつては繰り返し着られた衣服の使用回数は、いわゆる衣料品化することによって短いスパンで使い捨てにされるようになった。
 制作(仕事)の成果の最たるものの建造物においても、かつての木造よりも頑丈なはずのコンクリートの建物が、半世紀も経たない短いスパンで建て直されたりする。
 建造物たちはかつてのように耐久性をもったインフラの中心というより、壊すために建て、建てるために壊すという消費サイクルに取り込まれてしまったかのようである。
 これは、ハイデガーのいう「世界像の問題」に通じる。

 つまるところ、全てが消費の引力に抗うことができないまま、世界の持続性が慌ただしい交代劇にさらされているということである。
 そうした状況は新たな問題を生み出すこととなる。例えば、消費の最たるもの食は、食べることによって消滅するが(別途食品ロスの問題はある)、衣料の消耗品化は即ゴミの問題になる。
 かつての飲み物は、瓶に入っていて、そのビンは回収されて再利用されたが、いまやそれはペットボトル化され、有害ごみとして大きな問題となっていることは周知のとおりである。

          
 ようするに、制作(仕事)の産物であった耐久消費物の急速な消費物化により、環境問題に至るまでの状況を生み出しているということである。と同時に、この世界の確固としたモノ性が希薄になり不確かなものになりつつあるといえる。
 どうせすぐに消えるのだから・・・・というのはある種ニヒリズムの温床である。

 こうした世界のあり方は、人間の知性にも影響を与えている。先人が生み出した長いスパンの耐久物と対面しながら、私たちは歴史を継承し、自分たちの時空における位置づけを試み、次代に残すべきものを考えたりする。そして、そこに世界への親密性(愛)が生じる。

 しかし、すべてが急かされ、消費を強要されるなかでは、立ち止まって先人たちから受け継いだ世界を吟味する余裕などはない。本来、歴史的展望のなかで形成される知性は、次々と生み出される消耗品を消費するためのマニュアルへと矮小化される。
 それを立証するかのように、この国の教育やそのシステムは、古典や歴史をないがしろにし、「すぐに役立つインスタントな知識」の習得へと絞り込まれようとしている。

 普遍すれば、先ごろから問題になっている学術会議の問題も、蓋を開けてみれば、最も愚劣でおぞましい戦争という大量消費を支える生産体制に学知を従属させようとする陰謀だということが明らかになりつつある。

             
            アーレントの入門書として優れていると思う 
 
 かくして、私たちの世界への愛は奪われ、世界はただ通り過ぎる対象へと変質する。
 しかしこれこそ、アーレントが繰り返し述べた「人間は必ず死ぬ。しかし死ぬために生まれてきたのではない」とは真逆に、この世界を死ぬための通過点にしてしまっているのではないか。
 そしてそれこそが究極のニヒリズムではないだろうか。
 

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差別と欲望の黙示録 『フライデー・ブラック』を読む

2020-11-19 00:29:15 | 書評

 以下は、『フライデー・ブラック』(ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤー 押野素子:訳 駒草出版)を読んだメモ。

             

 この書を手にとったのはまったくの偶然だった。図書館へ行って新着図書の棚を見ていたときだった。ここのところ、論文調のものやルポ風のものばかり読んでいたので、良質なエンタメも含めて、もう少し散文調のものが読みたいなとふと思った。
 それで、文学・小説の棚で出会ったのがこの書だった。背表紙はまさにブッラクで陰気臭かったが、目次を見てパラパラと拾い読みをするうちに、BLM(Black Lives Matter)と関わるような短編集だと検討をつけ、借り入れ図書に加えた。

 ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤーという作者も、出版元の駒草出版というのも馴染みがなかったが、作者については、その名前からして有色人種だと当たりをつけた。これは後で調べた作家の略歴。

 【ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤー】 1991年、アメリカ。ガーナからの移民である両親のもとに生まれ育つ。ニューヨーク州立大学オールバニー校を卒業後、名門シラキュース大学大学院創作科で修士号を取得。2018年秋にアメリカ本国で刊行された『フライデー・ブラック』は、新人作家のデビュー作ながら大きな注目を集め、『ニューヨーク・タイムズ』などのメディアでも高評価を得る。『フライデー・ブラック』の表題作は映画化も決定しているようだ。

           

 また、タイトルの『フライデー・ブラック』との関連で「ブラックフライデー( Black Friday)」について調べた。これは、11月の第4木曜日の翌日にあたる日のことである。小売店などで大規模な安売りが実施される。
アメリカでは感謝祭(11月の第4木曜日)の翌日は正式の休暇日ではないが休暇になることが多く、ブラックフライデー当日は感謝祭プレゼントの売れ残り一掃セール日にもなっている。買い物客が殺到して小売店が繁盛することで知られ、特にアメリカの小売業界では1年で最も売り上げを見込める日とされている。この売上で黒字に転じるという意味で、日本語では黒字の金曜日とも訳されたりするらしい。

 無知な私は、こうした背景を理解しないと小説すら読めない。
 この書は、表題作を含む12の短編からなる。
 それぞれの背景になる時空は、いずれも現在とは少しずれていて、一見、SF風に見えるが、優れたSFが常にリアルな問題を語るように、まさにこの小説たちもそれぞれアップトゥーデートな問題に触れている。
 テーマは大きく分ければ、一つは、差別、選別に属するもので、いまひとつは、人間の欲望とそれを対象として操る販売という行為、その行為そのものの陰湿な冷酷さに属すると言えようか。

 こう書くと固っくるしくて重々しく感じられるかもしれないが、本文そのものはどこかヒップホップを思わせる文体の素早い展開で飽きさせない。
 冒頭の作品では、黒人の主人公が、そのTPOに応じて、10段階の自分のブラックネス=黒人度を調整しながら生きてゆく。電話など、人に容姿を見られない場合はブラックネスを1.5にまで下げることができる。ただし、姿を晒す場合には、ネクタイを締め、ちゃんとした靴を履き、笑顔を絶やさず、よそ行きの声で優しく話す。姿勢は正しく、両手は膝に揃えて置き、決して大きくは動かさない。これでもってやっと4.0まで下げることができるといった具合だ。
 主人公がこんな生活を離れ、自分を生きようとするとき悲劇が襲う。

             

 「The Era」という作品は、人の遺伝子の人工操作(作中では「最適化」と表現される)が普及し始めた頃の話で、それに成功し、高い能力と外観を獲得した層と、遺伝子操作をしなかった天然の層、そして、操作に失敗してその能力が低く外観が醜い層(彼らは俯いて生きるという意味で、「シュールッカー=靴を見つめる者」と呼ばれる)に分かれている。
 主人公は天然なのだが、この層が安定しているわけではない。何かのヘマやちょっとした契機で、常に、シュールッカーへと蹴落とされる。

 「Zimmer Land」は、罰せられることなく黒人を傷つけたり殺したりしたいレイシストのための偽造殺人ゲームの話である。黒人である主人公は、安全なコスチュームに身を包み、顧客の白人のために、殺され役を演じている。彼がこれに加わる理由は、実際に黒人たちが殺されるよりは、その欲望をゲームで発散させたほうがいいからという論理なのだが、そうした論理がゆらぎ始めた日、彼がとった行動とその結末は・・・・。

 「Friday black」は、先に少し解説した特売日の一日を描いたものである。日本で言うならさしずめ「ユニクロ」といった衣料販売コーナーに押しかける客たちの欲望の嵐は半端なものではない。人波に押し倒された者はその上を通過する者たちによって踏み殺され、その屍を乗り越えて突進する者たちの間でまた死を賭けたバトルが展開され、死屍累々のなか勝者のみが狙った獲物を獲得することができる。死んだ者たちはたとえ家族であれ、自己責任の弱者とみなされる。
 そんななか、販売員たちも決して安全ではない。もたつくと理性をかなぐり捨てた顧客たちによって殺されることもある。主人公の有能な販売員は、押し寄せる客の、もはや言葉となならない呻きや叫びを聞き分けそのお目当ての商品を渡す能力に長けている。
 このシリーズは、ほかに2つほどの話が収められている。

         

 最後の「Through the Flash 閃光を超えて」は、殺し殺されるおぞましい世界の物語である。ただし、核兵器と目される巨大な轟音と閃光が煌めくたびに、死者たちは生き返り、再び殺し合いが始まる。前に殺された者が、今度はその相手を殺す。それがどうやら永遠に繰り返されるかのようだ。
 これは、ニーチェの永遠回帰の悪魔バージョンともいえる。
 ただし、この作品では、殺し殺される「通常の輪回」から逸脱しそうな「異常現象」が主人公に起こり、それを抱えて新しい閃光に身を晒すラストシーンは、そこからの脱却を暗示しているようでもある。

 小説を語るにしては長く書きすぎた。ただし、それぞれの結末にはほとんど触れてはいない。
 まだ20代後半のこの作者の、今後の作品もチェックしてみようかと思っている。

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生殺しの「戦後」&その亡霊 ジョン・ダワーを読む

2020-11-16 11:35:23 | 書評

         

 『敗北を抱きしめて』上・下 著者:ジョン・ダワー(岩波書店)について

 上・下巻合わせて1,000ページほどある書を、1ヶ月かけて読了した。遅いと思われるかもしれないが、ほかの読書と並行してであるし、時には、ほかの資料にあたって事実を確認しながらの読書であった。ノート(PC上)をとりながらの読書で、とったノートは、A4、12ポイントで20ページにのぼった。
 もちろんこれは、言い訳に過ぎない。時間をとった主たる要因は、私の読書能力、そのスピードと読解力の衰えに他ならない。

         
 実は、これは2回目のチャレンジで、前回は上巻の中途で、一身上の都合で断念せざるを得なかったものである。今回、やっとそのリベンジが果たせた次第。

 著者のアメリカ人ジョン・W・ダワーは歴史学者で、現在はマサチューセッツ工科大学名誉教授。この書は全米で大きな反響を呼び、ピュリッツアー賞ほか多くの賞を受賞している。日本では、大佛次郎論壇賞特別賞を受賞している。
 日本への滞在歴があり、その連れ合いは日本人だというから、その折に知り合ったのかもしれない。

         
 内容に関しては、1945(昭和20)年8月15日の日本の敗北を起点に、連合国(実質はアメリカ軍)の占領が終わるまでの間を「総合的、俯瞰的に」明らかにしたものである。
 とはいえ、単純な8月15日転換点論ではないし、戦勝国側からの一方的観察でもない。また単なる実証主義的データの羅列でもなく、彼自身の時には模索し、反芻し直す史実の解釈が縷々展開されるし、その眼差しは批判者のそれである。

         
 その視野は極めて広い。政治、経済、文化、その裏話やサブカルの分野に至るまで、全てが彼の展開領域で、それらを通じて戦後の全容があぶり出されてくる。
 とりわけ私が興味を覚えたのは、加藤典洋がその『敗戦後論』で展開した「戦後のねじれ」、戦後民主主義が内包する脆弱さの問題、戦後が抱えたダブルスタンダードなどなどが、論理としてではなく、膨大にして豊富な多領域にわたる実例として、終始一貫、見て取れることである。

            

            米よこせデモ(1946年)のプラカードから
 

 この、米日合作の「戦後」という歴史は、当然のこととして今の私達を規定しているし、その呪縛から抜け出す道も見えていない。そんなものは、古~い過去の物語だとして現今の課題にのめり込む人たちも、お釈迦様の手のひらから抜け出せなかった孫悟空のように、「戦後の手のひら」の上でもがいているだけかもしれない。

 それほど広くて長いスパーンをもった物語であると思う。
 口惜しく思うのは、なぜこれらが日本人によって語られることがなかったのか、どうして自らの戦後をこれほど鮮明に対象化できなかったかである。いささか堂々巡りになるが、それが不可能であったことのうちに、私たちの「戦後」受容の問題点があったともいえる。

            
 私はこの書を読みながら、そのそれぞれの事例に対し、幾度も経験の共通項のような懐かしさを感じたのだったが、読み終わった後、彼の経歴を知ってその謎が解けた。
 彼は、私と同じ1938年生まれであり、戦勝国民と敗戦国民という違いはあれ、同じ時代を生きてきて、同じ時代をそれぞれのベクトルで見たり、感じたり、思考の対象としてきたのであったであった。

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お話がない写真なんてつまらない!

2020-11-13 00:23:33 | 写真とおしゃべり

        
 ちょっとしたお話が創れそうな絵を撮ったが、そのお話がでてこない。
 子供の頃、あんなにお話を作るのが好きで、なんでもないことからいろんなお話を紡ぎ出していたのに、いまやすっかりその能力が枯渇したようだ。

           
 感性がすっかり現実に飼い慣らされてしまって、現実の外部、想像の世界を繰り広げることができなくなってしまったのだろうか。

           
 お話は、この世界が今のままに永遠に続くのではないことを想起させ、この世界の外部を垣間見させる超越的機能をもっているのに、まことに残念なことではないだろうか。
 でも、気持ちだけはいつまでも、お話の方を向いていたいものだ。

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おりん婆さんは自分の歯を石で砕いた 捨てられる老女と捨てられない爺

2020-11-07 01:33:19 | よしなしごと

 一日中曇りの予報だったが、午後二時ぐらいから秋の日差しが。
 予約してあった歯科へ出かける。別にどこも悪いところはないのだが、市の医療行政の一環として、「口腔検診」が安価で受けられるというので腰を上げた次第。

         
 空は典型的な秋模様。ただし、大雑把な私には、うろこ雲、いわし雲、羊雲の違いがよくわからないのだ。どうやら雲の高さや、その厚みなどで分けるようだ。

            
 近くの鎮守の森、まだ紅葉していないが、それぞれの木々の色合いが鮮やか。

 その近くにちょっとした梅の畑があって、私がこの近くへ越してきてから半世紀余、ここの梅たちもすっかり老木の貫禄がついてきた。まるで広重の絵のようだ。
 
         
 しばらくゆくとツワブキの蕾が。

          
 歯科医はリニューアルオープンをしたばかりで、新築の香が。あちこちに花が置かれ、ピンクの胡蝶蘭がひときわ鮮やか。

         
 検診結果は、年齢に対してとてもいい、とのこと。ただし、もう少しこまめに検診などのケアーをしてくださいとのこと。そういえば、今年はこれでまだ二回目だ。
 ついでに歯垢を取るなどしてもらう。口をあけっぱなしはつらいが終わればスッキリする。

 ありがたいことに歯の健康はいいとされたのだが、しかし、それが恥とされた時代もあった。深沢七郎の小説、『楢山節考』(木下恵介と今村昌平で二度映画化されている)では、おりん婆さんが年相応に自分の歯が悪くならないことを恥じて、石で自分の歯を砕く場面がある。
 日本には、あちこちに姥捨伝説があるようだが、寡聞にして爺捨て伝説は聞いたことはない。女性は、おりん婆さんのように健康でも一定の年齢で捨てられたのに、男性は足腰立たなくとも共同体に留め置かれたのだろうか。もちろん背景には、男尊女卑の家父長制度がある。

 なお、この姥捨てを題材とした映画には、上記の今村の息子・天願大介が監督した『デンデラ』があり、これは捨てられた老婆たちが山中で共同体をなし、捨てた世の中に復習するというストーリーである。

         
 話が逸れた。ついでに、いつもあまりゆかない歯科医近くのスーパーへ。
 いつも行くところは、品揃えはいいが、ドンキの系列になってからはさあ買え、いざ買えと音響やポップが小うるさい。
 その点、ここはそれほどうるさくないし、地元の経営だけに野菜類はやや安い。

 玉ネギが七個で200円台と安かったのでそれをゲット。ほかに魚類、肉類、練り物類などを。これで3日分の食糧は確保。

 帰って、それらを冷蔵庫などへ仕舞う作業をしたが、2キロ強で4千数百歩歩いたのみなのになぜか息切れをし、呼吸が楽ではない。
 自分の呼吸器系統も衰えたものだと気落ちをしながら作業を続け、さらに洗濯物を取り込みにでて、ふと気づいた。

          
 そうなのだ、出かけるときにしたマスクを帰宅しても外さず、おおよそ10分近くというもの、いろいろ動き回っていたのだ。

結論衰えていたのは、呼吸器関連ではなく、ズバリ私の頭脳だった。嗚呼!

 

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ある三位一体論…読書ノートから

2020-11-05 18:07:21 | フォトエッセイ

     

「象徴天皇制と戦後民主主義と資本主義の共犯関係」から完全に独立した思想的基盤を、芸術は持ってはいない。構造的に持ち得ないのだ。だから社会と和合する方向しか残っていない。その意味において現在の美術、芸術は潜在的に「体制の表現」であり、体制芸術である。

 以上は『超藝術手帳』での大野左紀子論文の結論部分だが、芸術表現のみならず、「象徴天皇制と戦後民主主義と資本主義の共犯関係」という三位一体を超える言葉を私たちは持ちうるのだろうか。

 そしてこれは、同誌の鼎談で千坂恭二がいうごとく、「思想にしろ、アートにしろ、政治にしろ全部、塹壕戦の時代 もう勝てない 外部がなくなったから それでも降伏せずにいるためには戦線を維持する他はない」ということに通じるように思う。

 「塹壕戦の時代」・・・・私はどのような塹壕を掘るべきか。

 竹林の下、根っこがリゾーム状に広まって滅多なことで崩落しない塹壕。

 しかし、そこからの視界をどのように確保すればいいのだろうか。

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【矍鑠!】101歳現役の方と同席した研究会

2020-11-01 15:52:30 | よしなしごと

 誘われて、名古屋の河合塾本部で行われた河合文化教育研究所の公文宏和氏主宰の経済研究会、第150回のそれに参加した。この公文氏とはFaceBookで友人にしていただいている。
 なお、この研究会、「経済」の名を冠してはいるが、必ずしも経済学や経済の動向をめぐるものではなく、かなりフリーに運営されていて、ちなみに次回は、実際に演劇に携わっている人を招いて、「演劇論」についてとなっている。

           
 で、今回はカール・レンナー(1870-1950)についての勉強で、彼についての翻訳やオーストリアの近代史を研究していらっしゃる青山孝德氏を講師に招いてのそれであった。
 レンナーというのはオーストリアにおいて第一次世界大戦終了直後の共和国の初代首相と第二次世界大戦終了直後の共和国の臨時首相・初代大統領を務めた人で、その生涯の軌跡(良く言えば多彩にして多様、悪くいえば右往左往・右顧左眄)は変化に飛んでいる。

 だが、今回書きたいのは、その内容についてではない。カール・レンナーについて知りたい方は以下を参照されたい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BC

            
         千種 河合塾専用の横断歩道橋から今池方面を臨む
 
 で、書こうとすることはその参加者についてだ。この種の勉強会、最近参加する人たちは私自身がそうであるように、だいたい高齢者が多い。これから消えてゆく者が勉強するより、若い連中が頑張って欲しいという思いがあるが、それはさておき、この中でひときわ高齢の方を紹介したい。

            
         これは100歳の折 自著を手に 転ばれて頭に絆創膏が
 
 御年101歳の水田洋先生がその人である。80歳過ぎの私が、学生時代の折、水田さんは新進気鋭の経済学者として、すでにしてその名を轟かせていた。それから今日に至るまで、学界の第一線に立たれ、今なお、同人誌への寄稿や、乞われれば、学術書の序論などを書いていらっしゃる。
 冒頭の公文氏を介して最近入手した『資本主義の世界像』(オットー・バウアー 青山孝徳:訳 成文社)に寄せられた序論は、水田先生ならではの、幅の広い視野に立つものである。

            
            河合塾本部は、新しい建造物を建築中
 
 もっとも、私は、水田先生の教えを受けたこともなく、その門外漢にすぎないが、ある事情があって、20代後半に直接面談をさせていただいたほか、私が居酒屋稼業をしている間、ず~っとご贔屓にしていただいた。
 思い起こせば、居酒屋時代の後半、すでにして今の私と同じく傘寿を迎えていらっしゃったことになる。

 いささか驚いたのは、その先生が今なお、現役として冒頭の研究会に参加されるということもさることながら、会の後の懇親会にも参加されたこと、そしてそれらの過程を介助者や付添いなどに頼ることなく、自分の足で行動され、ご自宅との往復も、タクシーなどではなく、地下鉄をご利用されているということだった。

          
                 建築現場の塀に描かれたイラスト
 
 これから20年先、私があのようにあることができる補償などはまったくなく、逆に、この不摂生がやがてこの身を滅ぼすであろうことは必定だが、命がある限り、あのように、自分の足で歩き、関心のある対象にきちんとコミットメントしてゆけたらと改めて思った。

 懇親会が午後7時に終了したので、土曜日のみ営業している今池の「芦」に顔を出す。今池を根城にしている面々と久々に逢うことができたが、やがて、私の学生時代の同級生が現れ、旧交を温めることができた。
 十代の終わりから彼を知っているのだが、こうして久々に逢うと、その立ち居振る舞いや言葉つきに、どうしようもない老いを感じてしまう。しかしそれは、同時に、私自身を合わせ鏡でみることなのだ。
          
          
             研究会の建物から見下ろす中央線

 まあ、歳だけから考えたら、私は二周遅れで水田先生を追っかけているようなものだと思うのだが、今後も、水田先生が走っていらっしゃる地点にまで行き着けそうもないし、私が先にその競技場を去る可能性は十分あると自覚している。
 しかし、一世紀を超えて今なお矍鑠(かくしゃく)ってすごいなぁ。

 

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