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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

NHKさん、ほんとにこれでいいの?

2019-01-28 11:09:43 | 社会評論

 27日、NHKの午後7時のトップニュースは「嵐」いうグループの活動休止宣言。「はぁ〜?」という感じ。
 ジャニタレの差別化がまったくできず、メンバーもヒット曲も知らない私には、オーストラリアの牧場で羊が仔を産んだぐらいのニュースバリューしかない。
 
 コアなファンも居ることは知っているから、報道するなというわけではない。だけど、トップニュースはないだろう。しかもよく聞いたら、その活動休止とやらは20年末だととのこと。2年先の死亡広告をことさらのように聞かされて、なおさら目が点になった。
 
 ただでさえ、NHKの番組のバラエティ化が目立つ。わけのわからないタレントがひな壇に座ってヘラヘラ笑っている番組での情報は、そうした不必要なシチュエーションに邪魔されて、その情報量もその質も完全に劣化している。
 NHKよ、お前が幼児化してバラエティに埋もれてゆくのは勝手だが、それならそれで視聴料をとるのはやめにして、スポンサーを募り、民放とそのレベルで競争したらいいじゃないか。
 
 かつてもっていた「公共放送」としての矜持すら失ったところに、その未来はない。
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映画『フィラデルフィア』 マリア・カラス、そしてトーマスさん

2019-01-25 01:02:21 | 想い出を掘り起こす
 BSプレミアムシネマで『フィラデルフィア』(1993年/米 /ジョナサン・デミ監督)を観た。
 映画は、エイズに罹った若手の弁護士(トム・ハンクス)に対し、その所属事務所が卑劣な罠を仕掛けて彼をクビにするところから始まる。
 彼はそれに対して法廷闘争を挑むのだが、彼が所属していた大手事務所への忖度や、エイズや同性愛者への偏見から、支援してくれる弁護士はいない。

          
 最後に、かつてはライバルだった黒人弁護士(デンゼル・ワシントン)のところへも行くが、彼も最初は断る。その黒人弁護士も、偏見や差別意識から自由ではなかったからだ。しかし、図書館でのふとしたアクシデントに立ち会った結果、その弁護を引き受けることになる。
 
      
 同性愛者でエイズ患者と、それに対しても偏見や恐れを抱いたままの弁護士、この二人のタッグは、陪審員たちの心情を揺さぶることができるかどうかという法廷闘争、それを通じて二人の間に通い合う友情、そして人間の尊厳への愛が映画の主題。
 こう書いてくるとありきたりのようだが、映画はその過程を丁寧になぞってゆく。

      
 ここからが観ものだから書かないが、私が幾分感動した場面を挿入しておこう。
 
 https://www.youtube.com/watch?time_continue=121&v=3b0p9mTJOJI
 バックに流れているのは、ジョルダーノのオペラ「アンドレア・シェニエ」から、貴族の令嬢マッダレーナが歌うアリア、「La Mamma Morta(いまは亡き母)」。
歌い手はかのマリア・カラス。

 その歌詞の大意は以下のようだ。

(略)
もう一度生きなさい
私がその命となろう
私の瞳の中に君の姿が見えるだろう
君は一人じゃない
君の涙は私が拭おう
君の先に立ち導こう
笑って、希望を持ちなさい
私は愛です
全てが血と泥ばかりだと言うのか?
私は神聖、
私は忘却、
私は神、
この地上に楽園を作るため
天から降りてきた
私は愛、私が愛なのです

      
 もう一つ、映画とは関係ないが、この映画の題名、『フィラデルフィア』から想起した忘れられない人がいる。
 はるばる、フィラデルフィアから3日に一度ほどの割合で電話をくれたトーマスさん、正式にいうと、トーマス・グレゴリー・ソン(宋)さんのことだ。
 彼は、その名に片鱗がみられるように、朝鮮王朝の末裔として、戦中戦後を波乱のうちに生き、命からがらアメリカへたどり着き、フィラデルフィアを終の棲家とした。そして彼も、この映画の主人公同様の恋愛志向を持っていた。
 だから、私にとっては、この映画は即、トーマスさんの思い出に結びつくのだ。

 彼の不完全な伝記を、私は同人誌『遊民』第11号(2015年春号)に書いたことがある。なぜ、不完全になってしまったのかにつては衝撃的な事情がある。
 2014年12月3日、やはりトーマスさんから電話があった。彼の電話は長かったが、一方的に拝聴するというより、むしろこちらから彼の数奇な人生を聞き出すという事が多かった。彼自身も、同年輩の友人を亡くすなか、戦中戦後の話が多少なりともわかる私にいろいろ話を聞かせたかったのだろうと思う。

       
 その日もかなりのことを聞き出し、それではという段になって急に電話が聞こえなくなった。何かのトラブルかなと思ったが、実質の話は終わっていたこともあってその場は諦め、翌日、メールを出した。
 「・・・・昨日の電話、終わり方が少し変でした。電波のせいかなんかだろうとは思いますが、ひょっとして、途中でトーマスさんが体調を壊されたということはないでしょうね。ところであと、お尋ねしたいのは・・・・」
 
 返事はなかった。心配になってこちらから電話をした。トーマスさんは大連中学の出身で日本語がネイティブランゲージだったが(訳あってその父は朝鮮語を教えなかった)、その折、電話に出た人とは英語での応答となった。彼は一緒に住んでいたチャック氏だった。私のブロークンな英語でなんとか聞き出せた情報は、「とても重い頭の病気で、いま入院している」とのことだった。
 私の一番悪い予感があたってしまったのだ。そしてさらに悪いことには、あの電話から10日の後、そのままトーマスさんは逝ってしまった。享年85歳だった。
 晩年に縁ができた得難い知己であった。もっともっと話を聞いておくべき人だった。その人との、衝撃的な別れを一生忘れることはできないだろう。

      
 上の写真は、大連時代の1937年12月3日、満鉄協和会館で撮られたものだという。前列左から二人目の唯一の子どもがトーマスさんである。この日付にハッとするものがある。この子供時代から、77年後の12月3日、その日に彼は私と電話をしていて倒れたのだった。なおこの集まりは、エスペラントの関係者のそれであり、彼、トーマスさんがどんな環境のなかで育ったかをも示している。
 この写真には、私の推理によるもう一つの隠された事情を背負った人物も写っているが、それを書くと長くなるので止めておく。
 
 映画の舞台でありタイトルでもある「フィラデルフィア」、そして同性愛者の物語、これでトーマスさんを思い出すなという方が無理だ。映画を観ながら、何度も何度もトーマスさんのことを思った。
 観終わったあと、まず最初にその感想を伝えたい相手、それはトーマスさんにほかならなかった。

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初コンサートはプラハ国立劇場の「フィガロ」

2019-01-14 01:25:25 | 音楽を聴く
 モーツァルトとプラハは相性が良かったようだ。
 その歌劇、「フィガロの結婚」のウィーンでの初演は、さして評判にならなかったようだが、プラハでのその公演は大好評で、市内のあちこちから、「フィガロ、フィガロ」という声が聞こえると、モーツァルトはその手紙に自慢げに書いている。
 そんなこともあってか、その後、彼のオペラ、「ドン・ジョバンニ」や「皇帝ティトの慈悲」はプラハで初演されている。
 そんなプラハ国立劇場オペラが、新春早々、「フィガロ」を引っさげて来日するというので、12日の名古屋公演へ出かけた。今年の初クラシックライブである。

        
 この公演、昨秋から続く第36回名古屋クラシックフェスティバル(中京テレビ主催)の一環であるが、この「フィガロ」の全国の公演日程を見て驚いた。1月3日から始まって1月20日までの間、全国各地で13公演をするというのだ。
 そのうち、4日間連続が2回もあって、大道具の搬入設置だけでも大変だと思われる。いやそれ以上大変なのは身体が楽器だという歌手たちであろう。
 いろいろ調べてみると、果たせるかな主演級はすべてダブルキャスト、トリプルキャストであった。

        
 この公演の目玉は、伯爵夫人をエヴァ・メイが歌うということなのだが、残念ながら名古屋公演ではマリエ・ファイトヴァーというソプラノ歌手であった。ただし、後者の名誉のためにいっておくと、そのリリックな歌声はしっとりと伯爵夫人の悲哀を歌い上げていて聴衆の反応も良かった。

 スザンナもダブルキャストで、そのうちの一人は、沖縄出身の金城由紀子さんだったが、これも残念ながらもうひとりのヤナ・シベラの方だった。

        
 オケはプラハ国立劇場管弦楽団、指揮はエンリコ・ドヴィコだったが、今回は小編成だったと思う。だいたい、今回の名古屋市民会館も古い劇場でオケのためのピットもなく、舞台前方に設けた臨時のそれは狭小だった。
 だから、序曲が始まったときに若干の違和感を覚えていた。ふつうこの曲を私たちがナマで聴く場合は、オケの公演などの小手調べや、あるいはアンコールで聴く場合が多い。それらに比べてやはり音量が違い、これからオペラが始まるのだというオペラ・ブッファの名前奏曲と言われるこの曲のワクワク感がイマイチのような気がしたのだ。

        
 もっとも幕が開き始まってしまえば、そんな危惧も忘れ舞台の展開に溶け込むことができたのだが。
 あと、欲をいえば、スザンナが小振りすぎたこと、その対比でケルビーノが大柄すぎたことなどもあろうか。

        
 ただし、これらの私が感じたマイナスイメージは、私がかつて見たこのオペラの本場のそれを基準としていることを白状すべきだろう。
 1991年8月27日、モーツァルト没後200年のいわゆるモーツァルトイヤー、私はザルツブルグの祝祭劇場で、ベルナルト・ハイティンクが振るウィーン国立歌劇場管弦楽団のもと、このオペラを見ているのだ。
 その折には、まだオペラについてはまったくの初心者だったが、逆にそれが脳裏にしみ付いている。
 オケのピットも当然のことながらもっと広く、序曲を始め、あらゆる演奏がはるかに豊かに響きわたっていた。

        
 いちばんもの足りなかったのは第4幕だ。これは第3幕までに散りばめられたエピソードがすべて集約されるということで、奥行きの深い舞台が要求される。一般にオペラのステージはその間口よりも深い奥行き、あるいは同等ぐらいのそれを要求される。それだからこそ、複数のエピソードが同時進行的に展開されるこの第4幕にはその奥行きが欲しかった。
 そこでの歌声も、遠いものは遠く、近いものは近く、立体的に響き、もともと虚構の舞台とはいえ、その虚構にリアリティを添えることとなる。
        
 しかし、もともと、オペラ用ではない名古屋市民会館の舞台にそれらを要求するわけにはゆかないことを重々承知の上でこれを書いている。

        
 なお、今回の演出についていえば、ケルビーノを強調しているのが目立った。ちょこまかする彼を強調するため、二人のケルビーノを登場させたり、必要以上に伯爵夫人にいちゃついたりするシーンが目立った。
 これは、ボーマルシェの三部作(「セビリアの理髪師」「フィガロの結婚」「罪ある母」)について、「フィガロ」の続編の「罪ある母」での伯爵夫人とケルビーノのエピソードを意識した演出のようにも思えるのだが、そこまで先読みをすべきかどうかはいささか疑問が残るところだ。
 「フィガロ」はそれとして閉じてもいいのではないだろうか。

 いろいろ批判めいたことも書いたが、それはそれとして、久々にナマのオペラを観ることが出来て、楽しく、かつ、エキサイティングな夜だった。

        
 
1991年、ザルツブルグでの「フィガロ」のデータを貼り付けておこう。収録日にズレはあるが、バルバリーナに尾畑真知子さんが起用されるなど、ほぼこのとおりだったと思う。

ハイティンク指揮の『フィガロの結婚』のデータ
ベルナルド・ハイティンク指揮,ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
演出ミヒャエル・ハンペ

キャスト
伯爵(トーマス・アレン),伯爵夫人(リューバ・カザレノフスカヤ),スザンナ(ドーン・アップショー),フィガロ(フェルッチョ・フルラネット),ケルビーノ(スザンネ・メンツァー),マルチェリーナ(クララ・タクカス),バルトロ(ジョン・トムリンソン),バルバリーナ(尾畑真知子),アントーニオ(アルフレート・クーン),バジリオ(ウーゴ・ベネルリ)

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【新春読書始め】堀江敏幸『雪沼とその周辺』&リチャード・ローティ論集

2019-01-03 23:57:40 | 書評
 元日は昼も夜も飲んでしまったので、新聞以外の活字は読まなかった。そこで2日から読書開き。
 年末から読み始めていた2冊を読み上げる。ちなみに私は、一冊に集中し、それを終えてから次にかかるということはあまりしない。しばしば、並行して複数の書を読み進めたりする。だいたいはジャンルの異なったもので、哲学や思想関係と小説やエッセイなどを同時進行的に読んだりする。
 
 なぜそんなことをするかというと、理由はいたって簡単で、飽きっぽい性格だからである。ある程度集中して読んでいると、疲れて注意力が散漫になり、いつの間にかただただ視線が活字の上を滑っているだけになる。こうなると理論書などはその論理の筋道がまったく追えなくなる。
 
 そんな時は、さっとジャンルを替えてまったく別のものを読み始める。すると、不意を突かれてリフレッシュされた頭脳の別の箇所が回転し始めるという仕掛けだ。ときには2冊以上でそれをするから、まるで学校の時間割に沿ったようになる。もちろん、読み終えるのは同時とはならない。

            
 ところが2日は珍しく、ともに2冊の書を読み終えた。
 一冊は、同郷岐阜の芥川賞作家、堀江敏幸の『雪沼とその周辺』という連作オムニバス風の短編小説集で、7篇の短編が「雪沼」という架空の街を舞台に、緩やかな結びつきをもって展開されている。ひとつひとつは独立した短編だが、よく読むと、それぞれの話の節々に、ほかの短編で展開されている状況や風景とオーバーラップする部分があって、これらがまとまって「雪沼」であり、「その周辺」の話であることがわかる。
 そして読了すると、ひとつひとつの短編の味わいがひとつに凝縮されて、いっそうそれらを引き立たせるというとても良くできた短編集である。

 全体を貫くトーンはノスタルジーといえるかもしれない。しかし、ここにあるノスタルジーは失われゆくものへの惜別や哀愁という後ろ向きなものではなく、そのノスタルジックなものをポジティヴに引き受けて生きてゆくような人たちの生きざまそのものといえる。だからこの短編集は、近代が押しつぶすものへのレクイエムというより、むしろ、にもかかわらずマニアックな生を全うしようとする人々へのオマージュといえるだろう。
 その意味でも、この「雪沼」にまとめられた各短編は、その舞台としての地理的同一性のみではなく、その内容やテーマ性においても確固とした芯のようなものを共有している。

            
 しかし、読み終えて思うのだ。思えば、この短編集の舞台、「雪沼」こそ現代の桃源郷ではないのかと。スーパーもコンビニもない商店街を中心とした街、その孤立と孤高こそがここに紡ぎ出された物語を可能にしている地平ではないのかと。
 なお、この小説集は、川端賞、谷崎賞、木山捷平賞などを受賞している。

 もう一冊は『ローティ論集』。アメリカの哲学者、リチャード・ローティのやはり7篇の短い論文やエッセイ風のものに、編訳者である冨田恭彦が、それぞれの文頭に「解題」を置き、その後にローティの本文が始まるという読みやすい構成で、ローティの入門にも、そのおさらいにもなる書といえるだろう。

 哲学という世界には、それを二分する不思議な壁のようなものがある。それが、いわゆる大陸系の哲学と、分析哲学などの英米系のそれであって、この二派は相互に、まるで相手がなきかのように振る舞っていて、その間の架橋も越境もほとんどないぐらいである。

            
 そんななか、このローティはその両者に精通した稀有な存在である。スターリズムが猛威を奮った1930年代、それに断固として抵抗したトロッキストの両親に育てられたという珍しい経歴のローティは、アメリカという土地で育ち、学びながら、どこかトランスナショナルな気風をもつに至ったのかもしれない。

 彼の関心は、哲学を「役に立つ」思考にすることである。役に立つといっても杉田水脈ばりに「生産性」に役立つという卑近でいじましいものとはまったく違う。
 ローティは、世界と自分とを位置づけ、人間の共同体を維持してゆくための「有効な」思考を目指している。

 そのために彼が拒否するのは、世界を一者から説明し尽くすとし、世界には唯一の真理や正義が存在しそれに帰依せよと説くような哲学、すなわち、形而上学である。それに基づく偏狭な世界観が世界を分断し、人々の共存を危うくしているというわけだ。

        
 彼は、哲学というのは、「より適切な説明の更新」だという。哲学者は、一つの世界解釈を提示する。それらは私たちの世界観をより広げることになるかもしれない。しかし、賞味期限が終わるとそれ自体が桎梏になる。そんなとき、それを凌駕するより適切な説明が登場する。彼のいう哲学史は、その歴史にほかならない。

 そんな立場から彼が共感するのは(もちろん差異は差異として保留しながらだが)、分析哲学系では「言語ゲーム」の後期ウィトゲンシュタイン、大陸系では、ニーチェ、ハイデガー(ただし前期)それにデリダなどである。

 彼の論法は明確である。私的信念としての哲学をその「使用」と厳密に区別する。そこにこそ、たんなる信念の吐露ではなく、使ってなんぼ、役に立ってなんぼというプラグマティストの面目躍如たるものがある。

 役に立てば何でもありかという相対主義への彼の歯止めは、「人類の苦痛や悲惨の減少」という極めて具体的な点にあることをいい添えておこう。
 これらをも含めて、プラグマティズム特有の論法ではある。
 これを書きながら、この国のプラグマティストとして、上のローティに似た信念を生き抜いた鶴見俊輔を思い出した。

  『雪沼とその周辺』 堀江敏幸 新潮文庫 400円+税
  『ローティ論集』 冨田恭彦 編訳 筑摩書房 4,200円+税
 

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