六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

名古屋駅付近の「どえらけにゃぁ」変貌と思い出

2022-03-29 23:08:27 | 想い出を掘り起こす

               

  これのみ岐阜 JR岐阜駅バスターミナルの中が楕円の小公園になっていて岐阜県内の名桜の子どもや孫の                      木が植えれれている。写真はその一本。荘川桜か。ソメイヨシノではなく、エドヒガン。

 

 物心ついてから名古屋へ行った経験を思いおこす。
 1944年、父が招集され、都市部への空襲が始まるにつれ、母方の実家大垣市の郊外へ疎開するのだが、敗戦以前の名古屋体験は、父が入営していた名古屋六連隊兵舎に、まさに父が満州へ派遣されるその日に、そこで将校だった母の従兄弟のはからいで面会できた折であった。
 
 その連隊は名古屋城内にあり、その頃はまだ、翌年5月には空襲で焼失する建築当時のままで国宝に指定されていた天守閣がすぐ近くにそびえていたはずなのだが、自分の記憶をどうまさぐっても、そのイメージを呼び出すことはできない。残念だ。
 父はそのまま、満州での敗戦時、ソ連に囚われ、1948年まで帰ってこなかった。

              

 その後、敗戦後の小学生時代、幾度か名古屋へは出たが、いずれも通過地に過ぎなかった。名古屋駅で降りて、市電で堀川まで行き、そこから瀬戸電のターミナル駅であった堀川駅(いまは栄地下が始発点であるが、当時は堀川駅がそうだった。これは瀬戸電が、もともと瀬戸の陶器を堀川駅まで貨物電車で運び、そこからは堀川運河を艀で名古屋港へ運ぶために開発された路線だからであった)へ行き、瀬戸電で終点の瀬戸まで行くのが常だった。

 瀬戸には、母の姉妹三人が嫁いでいて、いずれも陶器業に従事していた。もっぱらそこへ行き、そして帰るの繰り返しで、名古屋の中心部へ出たり、駅前近くで何かを食べたりをした記憶はまったくない。父が帰還前の母子家庭同然にとっては、きっぷの手配が精一杯で、ほかへ注意を向ける余裕さえなかったのだろう。

              

 中学生の頃、まだ中区の御幸本町通りにあった(いまは中区三の丸)『中日新聞』本社へ社会見学で行ったことがある。もう70年前の話だから詳細はほとんど記憶にないが、巨大な(と思った)輪転機と、あとは屋上に飼われていた伝書鳩(これが当時の遠隔地との通信手段だったのだ)の群れを覚えている。
 まだ、テレビ塔もなく、名古屋城も再建されていなかった。

 一人で名古屋へ出たのは、大学受験の折だった。商業高校からの受験で、当時は実業高校からというのは殆どなかったので、願書の提出から受験会場の下見まで全部一人でやらねばならず、大変だった。私の志望した大学は当時、蛸の足大学といわれ、瑞穂区の滝子(いまは名市大になっている)や本部があった名古屋城内(上に書いた六連隊跡)など、足を運ぶ箇所も複雑だった。

              

 しかし、それをきっかけに名古屋との縁が結ばれ、学生時代、サラリーマン時代、居酒屋時代を名古屋で過ごし、岐阜に家はあるものの、それらの時代に築いた人脈を中心とした同人誌への参加や勉強会などの交流、それに映画館、美術館、コンサートホールなどの諸施設の利用などなど、今も多くそして濃厚な関係をもっている。

          

 このコロナ禍のなか、ここ2,3年は制限されてはいるものの、それが緩んだ隙に勉強会などにひょこひょこでかけてはいる。いちばん最近は27日(日)の読書会だったが、この会場はJR名古屋駅近く(徒歩10分ほど)で、会場へ向かい、二次会を経て帰るまで、その間の往復しかしなかった。

              

 写真はその際撮ったものだが、駅周辺だけでも、様々な思いが交差する。とりわけその変貌の激しさは、ただただ驚嘆に尽きる。

 もちろん先代の名古屋駅は慣れ親しんで来たが、その思い出も次第に薄れつつある。
 「大名古屋ビルヂング」はこれで二代目だが、その初代ができる前を知っている。この一角は、ズラッと安い定食屋が並んでいた。今のように新幹線がない時代、大垣始発の夜行列車でゆっくり出かけるとちょうど朝方に東京に着くことができる。東京で用を済ませてやはり夜行の鈍行で帰ってくる。名古屋へ着く頃は朝だ。東京でろくな食事をとっていないので腹が減っている。そこでその安い定食屋の一軒に駆け込む。温かい味噌汁がついた朝定食が、確か40円だったと思う。そう…完全に戦後の食糧次事情の延長にあった食生活の場であった。

              
               
               駅近くの駐車場の脇に咲いていたハクモクレン

 高層ビル街そのものが、ニューヨークのそれを映像で見ながらも、これは遠い未来のSF的イメージのように思っていた。
 それが今、かつて「偉大なる田舎」と形容された街の玄関口となっているのである。

河村某とかいうふざけた市長をみていると「偉大な田舎」という形容は当たらぬではないが、この場合の「偉大な」は、「どえらけにゃぁ」と訳すべきだろう。

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平和ボケの春の散策から

2022-03-26 15:14:50 | 写真とおしゃべり
 3月25日、クリニックへ行ったついでに少し足を伸ばして散歩。
 
 岐阜の桜の開花宣言は3,4日前だったが、わが家の近くのマイ・お花見ロードはまだ2分咲きぐらいか。よく咲いてる枝でこの程度。

          

 この辺りはどこもかしこも建築ラッシュ。この写真の向こうの黒い家も、手前の建築中の箇所も、つい最近までは田んぼだったところ。
 今や田んぼは希少価値で、建物群に取り巻かれ、不可欠な取水などもままならないのではと心配する。

          

 そんななか、やはり建物群に取り巻かれ休耕田となっている箇所にきれいな小花の絨毯が。白いのはいわゆるぺんぺん草(なずな)だが、赤い花がよくわからない。
 他の草がほとんど生えていないのは、休耕してるけどそれなりに手入れされているのだろう。

              
              

 近くにあるサンシュウの木がびっしり花をつけていた。これは宮崎県の民謡、「稗搗(ひえつき)節」の一番に出てくる。
 この民謡は椎葉村に伝わるもので、その背景には源氏の若武者、那須大八郎(「平家物語」屋島の戦いで、平家方の差し出した扇を射抜いたとされる、源氏方の弓の名人・那須与一の弟)と平家の落人・鶴富姫のラブロマンスがある。

              

 それについてのWikiの説明ではこうなっている・
 「椎葉村に伝わる平家の落人伝説では、那須大八郎(本名:那須宗久)は平家残党を追討に鎌倉から日向国椎葉村へ派遣されたが、残党には平家再興の意思はなく、平和に暮らしているのを見た。そこで彼は追討せず、残党は討伐されたと鎌倉へは報告をして、そのまま後椎葉村に留まった。滞在中、大八郎は鶴富姫を寵愛し、彼女は妊娠するが、大八郎は鎌倉帰還の命令を受け、男の子なら連れてくるように、女の子ならここで育てるようにといって、太刀と系図を与えて鎌倉へ帰還した。その後、鶴富は女子を生んだという」

   https://www.youtube.com/watch?v=dXsIq-9FXhk

 むかしは広く知られた物語であったが、民謡そのものがあまり聴かれなくなった今、知る人も少なくなったようだ。

 寄り道が長くなった。
 これらを観た後、実際に寄り道をして、例年つくしを採るスポットへ足を運ぶ。実は一週間ほど前にも覗いたのだが、その折はまだ小さくて採るのもはばかられた。今年は、例年よりうんと遅い。
 今回は、逆にやや穂が開き過ぎの感があったが、若い穂のほろ苦さもつくしの味覚だが、茎のシャキシャキ感もその味わいとひとつかみ余りを採ってきた。余り採りすぎるとはかま取りが大変なのだ。
 で、一応掃除したものがこれ。

          

 最後の写真は、わが家の終わった桜の花。ソメイヨシノのようにチリハラホロとは散らないが、その代わり、これらが桜桃になる。実が付きはじめたら、ヒヨやムクなどの鳥との攻防戦だ。要らなくなったCDを十数枚ぶら下げて防衛体制を整える。

            

 平和な話である。
 戦争の現実には手足が出ないし、ウクライナ支援の過剰なあり方にもなんかいやらしいものを感じてしまうしで、ここしばらくは平和ボケで過ごすつもり。

 

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梅桜終わりお出まし連翹と溢れるばかり雪柳かな

2022-03-25 12:09:49 | 花便り&花をめぐって
 戦争の殺伐な話ばかりなので、ここらせ気分転換にわが家の花だよりを。

          

 紅梅の鉢はすっかり終わり、もう新芽が出始めました。

          

 早咲きの桜はもうすっかり花が終わり、だらしなく枝にしがみついています。これはソメイヨシノと違ってちらほら散る風情は見せないのです。

          

 変わって、連翹と雪柳が満開を迎えました。
 どちらも、集団の塊として観られがちな花ですが、その一つ一つの花もきれいなのです。

          
          
          
          

 戦争をしている人たちは花を見る機会もないだろうな。
 そういえば、昔見た映画、『西部戦線異状なし』のラストシーンは、一輪の花に手を伸ばした兵士が狙撃されて・・・・という結末だった。嗚呼!

    https://www.nicovideo.jp/watch/sm16882299

 

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これって単なる茶番劇では? 3・23 ゼレンスキー演説を巡って…

2022-03-24 00:30:42 | フォトエッセイ

 ゼレンスキーの10分余の訴えのあと国会議員はスタンディングオーベーション。山東昭子が「感動的な」締めの演説。これってまるっきりの茶番では。
 
 議員先生方、予算も決まったしあとは地元での参院選の根回しというのが本音。具体的になにかを考えている奴はいそうにない。

 それともうひとつ。今まで、パレスチナで、イラクで、シリアで、ミャンマーで、バングラディッシュなどなどで、多くの人たちが今のウクライナと同じ目にあって来たのに、その際はむしろ抑圧側に回って被害者の声に耳を傾けようともしなかったのに、今回はなぜ?
 やはり、西洋中心主義、白人中心主義なの?それとも仕掛けたのがロシアだから?
 
 いっとくけど、非難の合唱に便乗していれば免責されるんじゃないんだよ。プーチンは核使用も辞せずと言ってるんだよ。
 それをどう止めるのかが政治家の仕事でしょう。プーチン悪い人、ゼレンスキー良い人という合唱は聞き飽きた。問題はもっとリアルなんだよ。毎日、人が死につつあるこの事態をはやく終わらせること。核戦争への可能性を断つこと。

https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2022032306385?search=%25E3%2582%25BC%25E3%2583%25AC%25E3%2583%25B3%25E3%2582%25B9%25E3%2582%25AD%25E3%2583%25BC&sort=desc

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岐阜に春を呼ぶ「二重協奏曲」と「第五」 大阪フィル定期演奏会 

2022-03-23 00:19:00 | 音楽を聴く

 毎年、春を告げるのは花だよりが一番多いだろう。それらを受容し、ときにに私自身がそれを発信する。
 しかし、この視覚を刺激する春の訪れとともに、聴覚を訪れる春もある。小鳥たちのさえずりもそうかも知れない。 だが私にとってもう一つ耳からやってくる春は、毎年三月に行われる大阪フィルハーモニー交響楽団の岐阜定期演奏会である。ここ2 、3年はコロナの影響などもあって少しごちゃごちゃしているが、今回は第45回を迎える。
 
 このうち、おそらく私は20回ほどは聴いているのではないかと思う。というのは二〇年ほど前に経営していた居酒屋を閉め、コンサートへ行く時間的余裕ができたころ、岐阜サラマンカホールでふと出会ったのがこの大阪フィルの岐阜定期演奏会であった。その折の重厚な音がすっかり気に入って、以来、毎年三月の岐阜定期演奏会にはほとんど欠かさず行っている。

          
                 開演三〇分前のサラマンカホール

 なお、大阪フィルとサラマンカホールは縁が深く、これらは後で知ったのだが、このホールのこけら落としは大阪フィルであったし、同フィルが「第〇〇回定期演奏会」を名乗るのは地元大阪のほかは、東京とこの岐阜のみなのである。

 今回の指揮者は地元名古屋(東海中・東海高ー東京芸大)出身の角田鋼亮氏。まだ40代前半のフレッシュな指揮者だがその活躍の場は国内外にけっこう広い。その演奏は若さとパワーが漲る歯切れのいいもののように思った。

 目玉はヴァイオリンの辻彩奈さんと、チェロの堤剛氏の共演。前者は1997年生まれで後者は1942年生まれ、その年齢差55歳。
 辻さんは地元岐阜県大垣市出身で、11歳にして名古屋フィルと共演するなどの才能の持ち主。2016年、モントリオールの国際コンクールで第一位を獲得以来、まさに国際的に活躍している。
 堤氏は言わずとしれたチェロの大御所で、1960年、当時の日本放送交響楽団(今のN響)が世界一周公演を挙行した際、若干18歳のソリストとしてそれに帯同している(なお、当時まだ16歳だった故・中村紘子さんも同行)というから、現役60年以上という息の長い演奏者である。

 小手調べのモーツァルト「魔笛」序曲のあとは、ブラームスの「ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 イ短調 作品102」。

 曲は何かを問いかけるようなフレーズの繰り返しで始まる。その直後にソロ楽器(VnとVc)の掛け合うような演奏が始まる。とくに第一楽章にはカディンツアではないが、ソロ楽器のみの強調された掛け合いが随所にあってとても楽しませてくれる。
 そして、聴き終わってみると、やはりブラームスだなぁと彼の術中に嵌った自分を見出す思い。

          
         左から指揮者角田氏、辻彩奈さん、堤剛氏(角田氏のTwitterから引用)
         それにしても、三人のなにか厚みを示すような指のポーズが意味するものは?


 休憩の後はベートーヴェンの第五「運命」。
 世界中にはいろんな音がある。高低、長短、音色の違いなどなど…。音楽はそれらを組み合わせて表現へと構成する。しかし、この第五ほど隙きなく緻密に構成された音楽はあるだろうか。毎回、その事実に感嘆する。しかもそれは、その構成のために情感を犠牲にすることはない。
 様々な思いを漂わせて、それらをすべてまとめ上げるようにして音楽は終わる。
 そして、その終焉には決然とした爽やかさが残る。

 もっともこれは、ヨーロッパ近代合理主義的な、ある種形而上学的な整合性への憧憬であり、一方での、モーツァルトのスキゾフレーニーともいえる破格への志向も捨てがたいといい添えておこう。

 会場を出ると、あちこちから花だよりがという時期ではあるが、ブルブルッと身震いするような夜気がそこそこの寒さを伴って攻め寄せてきた。

           
独奏者アンコールは、二人によるピチカートのみによるシベリウスの「水滴」
 オケのアンコールは、どこかで聴いた曲だとは思ったがわからなかった。出口の掲示を見たら、ベートーヴェンのピアノソナタ第八番「悲愴」の第二楽章をオーケストラ用に編曲したものだった(編曲者・野本洋介)。


【角田鋼亮氏の翌日のTwitterから】昨晩は大阪フィルと岐阜定期演奏会でした。公開ゲネプロにも沢山のお客様にお越し頂きました。堤さんと辻さんの音楽そのものと化した様な存在に導かれ、会場全体が共振していたような気がしました。大阪フィルと三回目のベートーヴェンの第五番も、内的燃焼度の高い演奏で楽しかったです。

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難民受け入れの奇々怪々とロシア忌避のナンセンス

2022-03-15 16:59:35 | 社会評論
 
<form id="form1" action="https://mixi.jp/list_diary.pl" method="get" name="searchForm"></form>
写真は本文と関係ありません。満開になったわが家の早咲きの桜です。
 
 こんなことを書くと、プーチンのウクライナ侵攻の側面支援になるのではと誤解されそうだが、それでも書かずにはいられない。
 ウクライナから避難する人たちを世界中が競って受け入れを表明している。そのために一人でも多くの人たちが救われるならそれはいいことには間違いない。
 そんな尻馬に乗ってか岸田内閣までそれを「積極的に」受け入れると表明している。もちろん、それに反対するわけではない。むしろ忠実に実行してほしい。
 
 しかしだ、過去も今も、様々な紛争で数多くの難民を生み出している事実がある。問題は、国際社会は、それらをすべて今回のように二つ返事で受け入れてきたのかにある。
 パレスチナ、シリア、クルド人、バングラデッシュ、ミャンマーetc.etc.・・・・。これまで多くの難民をだしながらもそれらは充分に受け入れられては来なかった。いまなお、路頭に迷う人々もいるという。

          

 ここには明らかに大きな差異がある。スマートにいえばダブルスタンダード、はっきりいってしえば差別だ!
 とくに、亡命者受け入れも難民受け入れもこれまで最低水準の日本国までがウクライナに関してはと手を上げるのは国際的動きに遅れを取るまいという軽薄さの見本ともいうべきだろう。この国はこれまで、そうした難民を積極的に受け入れたことはまったくないのだから。

 そればかりか、この国は、「実習生」名義で受け入れた外国人を劣悪な条件で使い捨てにし、事情があって不法滞在になってしまった人々を獄につなぎ、ウィシュマさんがそうであったように殺してしまうことすらあるのだ。

 いままでにも、遠いヨーロッパなどはともかく、アジア地区で起きた紛争でも、難民を積極的に受け入れたことなどはないのだ。
 それなのになぜウクライナに関しては・・・・という疑問が残る。
 その一つは彼らが親米、NATO側の人間であるという政治的判断によるからだろう。
 もう一つは、パレスチナ、シリア、クルド、バングラディッシュ、ミャンマーなどなどが非白人地域であるということであろう。この国にとって、非白人は即、不逞外人の範疇に入るのだ。
 
 いいたいことはこうだ。人道支援、大いに結構。しかし、その「人道」の中に狭小な政治判断、あからさまな人種民族差別が含まれていないかどうかだ。それがウクライナ支援とその他の地域の難民への支援とを分かつ垣根になってはいないかということだ。
 とりわけこの国ではそうだ。自分たちを准白人、ないしはアジアや他の有色人種を超越した存在としてみてるからではないだろうか。これは、現実の為政者のみならず、一般国民をも含んだ問題でもある。
 
 私の懸念があたっている記事があった。ウクライナ人が各種国境を越え避難する際、一般的にはすんなりと通り過ぎることができるところで、黒人を始めとする有色人種は長く留め置かれ、厳しい検査を受けなければならないのだそうだ。
 
 なお、今回の戦端をきったのはプーチンであり、その責任は免れ難いが、それを彼の個性に還元するのは事態を見る視野を狭くすると思う。
 ソ連圏崩壊以後のロシアは、かつての東欧諸国が経済的にはEUの支配下に入り、軍事的にはアメリカ主体のNATOの支配下に入るのを観てきた。それがいよいよ隣国ウクライナにまで迫った。
 今回の戦端はプーチンの強圧的な支配意欲の発露とみなされているようだが、ある意味ではそれは、「窮鼠猫を噛む」ような追い詰められた心境による行為ともみえる。
 
 繰り返すが、だからプーチンの決断を正当化しようとは思わない。プーチンもそしてその相手側も、それ以前に理性的なレベルで話し合う機会がなかったのかはとても残念に思うが。

          

 そして、ここへ来て変な話に行き当たって、頭がでんぐり返りそうだ。
 ロシア憎しでロシア料理店が被害を被ったり、ロシアの物産を取り扱う店への脅迫まがいの嫌がらせがあるというのだ。

 もっと変な話もある。クラシック音楽の世界では、プーチンを批判しない指揮者がオケから首になったり、オケの演奏曲目からロシアの作曲家を外したりするようなのだ。そのままだと客の入りが悪いからだという。
 こうして、ショスタコーヴィチもラフマニノフも、ストラヴィンスキーもチャイコフスキーも「敵性音楽」に分類されるというのだ。
 そんななか、名古屋フィルがロシア音楽主体のコンサートを行ったといういうのを聴いてホッとしている。

 こんな「適性芸術」概念が大手を振リだしたら、トルストイもドストエフスキーも読んではいけないことになる。

 これはたしかに誇張かもしれないが、かつてこの国にあったことなのだ。戦時中、アメリカを始め多くの西洋音楽は「敵性音楽」として演奏もその聴取も禁止された。
 サン=サーンスやラヴェルを聴いていて摘発された人が、「いいえ、これはベートーヴェンの作曲したものです」と答えて助かった例がある。ナチスドイツはこの国の同盟国であり、従って「敵性」ではなかったからだし、取り締まった連中も、音楽なんかそもそもわかりはしなかったからだ。

 難民たちが無事に収容されること、たとえ暫定的でも戦火が止むこと、それらは緊急の実現さるべき事態だ。これこそが必要なことなのだ。

 その他無用な野次馬が、反ロ的なアジや摘発行為を行い、ロシアの文物を破壊しようが、それは人類の文化遺産の一端を傷つけ、憎悪の増幅作用を繰り広げるのみでろくなことにはならないのだ。
 
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鋭角な季節の移りゆきと美空ひばり

2022-03-14 16:10:04 | 花便り&花をめぐって
          

 「世の中は三日見ぬ間に桜かな」という句があって江戸中期の俳人、大島蓼太の作らしいが、俳句としてよりもっぱら諺のように使われる場合が多い。
 もちろん、この句は桜を詠んだものではなく、世の中の変遷の速さを詠んだものだが、その例として桜をもってきたところが秀逸である。まさに、「桜パッと咲いてパッと散った」が背景にあるのだが、ことほどさように花の変化は早い。そして世の変化も・・・・。

          

 ついでながら、「花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」は小野小町の歌だが、やはり、花の変化と己のそれとを対比させている。しかし、ここでの時間経過は「三日」よりもかなり長い。にもかかわらず、「気づいてみればいつの間にか・・・・」というニュアンスは共通している。

          

 今年の冬が厳しかったせいか花が遅い…と嘆いていたのは一週間ほど前だろうか。ところが、数日続いた好天、高温の中で、状況はアッという間に変化した。
 ぽつりぽつり咲いていた紅梅の鉢はアッという間に満開に、そして、2,3日前、やっと一輪の開花を見つけた早咲きの我が家の桜ももう7,8分咲きで、ちょっと小ぶりなミツバチたちが群をなして飛び交っている。
 レンギョウも黄色が少し目立ちはじめ、雪柳も白い花がポツポツと付きはじめた。

          
                  何という電線の多さ

 ところで、どうも最近の季節の変化は鋭角的で、その間にあるはずのグラデイトの期間がほとんどないような気がする。要するに、芝居の緞帳が上下するように、ストンと季節が変わるのだ。
 だから、新しい季節を迎える用意をする期間がない。急に気候が変わり、着るもののチェンジにも戸惑うばかりだ。
 しかし、寒がり家の私としては、暖かくなるのはありがたい。あとは、つい、2,3日前まで着ていたボコボコの衣類をどう片付けるかだ。

              

 上の話と全く関係ないが、あいかわらづ、途中覚醒などの睡眠障害と闘いながら、珍しく論理的飛躍や不条理を含まないストーリーがしっかりした夢を見た。

          

 あるレトロな居酒屋のカウンターで、美空ひばりと隣同士で飲んでいるのだ。
 「あんたもよく頑張ってるじゃない」と彼女。
 「そうでもないんだけど、まだまだ私の先輩たちも頑張ってるし」と私。
 「先輩って?」
 「例えばあなたですよ。私の一つ歳上でしょ」
 「あゝ、そうね」
 「なんか一曲歌ってくださいよ」
 「そうね。じゃぁ、あなたへの応援歌のつもりで・・・・」
 と彼女が歌いはじめたところで目覚まし時計が鳴った。

          

 彼女がもうずい分前に亡くなっていることを除いては何の不条理もでてこない夢だ。私より一つ歳上であることも事実だ。

          
 
 とくに彼女のファンだったわけではないが、同年輩だから彼女の歌は自然と耳に入り、今日でも覚えているものが結構ある。
 夢の中で彼女が歌い始めたのは、それらの中でも、私が好きなものである。
 TouTubeから拾ったそれを貼り付けておく。

 https://www.youtube.com/watch?v=S0WqvSXazdk

 なお、この歌が発表されたのは、私が連日街頭でどろんこになって駆け回っていたあの60年安保(昭和35年)の年であった。
<form action="https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1981820854&owner_id=169021" method="post" name="">

 

 
</form>
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【三題噺】プーチンとわが家の紅梅と私の最近の餌

2022-03-11 15:48:02 | 写真とおしゃべり

 戦争は嫌だ。それを仕掛けたプーチンは悪い。擁護する余地はない。
 だから何はさておき戦争をやめさせ、これ以上の犠牲者を出してはならない。

 それを確認した上で言うのだが、プーチンの個性にそれを還元するのではなく、その歴史的背景も勘案すべきだろう。
 かつてウクライナは、ロシアの圧力を跳ね返すために、ナチスドイツと組んだことがある。1941年から45年まで続いたいわゆる独ソ戦争がそれである。

         
 
 この戦争で、当時のソ連はおおよそ2,300万人の命を失った。
 なんとか独軍を押し返した結果、当時のソ連はウクライナを含む東欧圏を獲得した。
 しかしそれらも、1990年代のソ連圏崩壊によってウクライナとロシアは従前の隣国の関係になった。

         

 そして今度は、欧米側が西からロシアに迫りつつある。経済圏としてのEUと軍事面でのNATO(北大西洋条約機構)という実質上の軍事同盟だ。
 ウクライナがそれに加入することは、国境を接しているロシアには脅威だ。

 折しもウクライナでは、かつてナチスと組んで戦った将軍の名誉回復をし、通りの名前に採用したというニュースもあった。プーチンの口から、「ウクライナのネオ・ナチ化」などという言葉が発せられるのはこうした事情を指しているものと思われる。

             

 そしてまた、つい昨日、ウクライナで抵抗する女性兵士を含む軍人たちの写真が載せられたが、すぐに削除されるという事態が起こった。この女性兵士の胸にナチの紋章がつけられていたというのだ。

          

 これらを述べたからといって、プーチンの戦争を正当化しようとするわけではないし、プーチンを許すべきだというわけでもない。
 どんな結末であるにしろ、やがて戦は終わらねばならないし終わらせねばならない。

 実は、今更言ってもしょうがないが、戦端が開かれる前からの私の主張は、ウクライナはNATOへの加盟を棚上げにする。そしてロシアは、ウクライナへ侵攻しないであった。

 おそらくそれに近い線での終焉が図られるであろうが、なぜここに至る前に、その線での妥協が一時的にしろなされなかったのか?こうした一定の犠牲を伴ってからしか歴史は動かないのか?
 快楽原則や現実原則と同時に「死への欲動」の蠢きを許すことによってしかことは進まないのだろうか。

          

 冬の寒さで開花が遅れているとぼやいていた父譲りの樹齢40年ほどの紅梅の鉢植えが、やっと花をつけはじめた。花は、少し望遠気味に撮ったほうがうまく撮れるので、かなり離れて撮るのだが、それでもその芳香が鼻孔をくすぐる。近づけばむせ返るほどだ。

          

 戦争があろうがなかろうが、花は咲くし、私は飯を食わねばならない。
 そこで最近の昼食から。

*その一 自家製のカレーうどん
 ルーを使わないで、むかし家庭で作っていたように、カレー粉にメリケン粉を混ぜてよく溶き、一旦、火を止めて流し入れ、徐々に加熱してとろみを付けるようにした。
 出汁は、実はこれ、前日のおでんの残りを使ったので、そのままの味にカレー味を加えたのみ。よく観ていただくと、うどんの具材はネギのほかはおでんの残り。

           

*その二 春キャベツ主体のラーメン
 春キャベツ!柔らかみと甘みがベストマッチだ!ラーメンに使用。黒っぽいのはまだ茶色いものを自宅で湯がいた生わかめ。
 出汁はオイスターソースやラー油、ごま油を隠し味程度に加えたが、基本的には塩味。その方が、春キャベツや生わかめが引き立つというものだ。

           
 

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梅は咲いたか、桜はまだかいな・・・・

2022-03-10 01:56:18 | よしなしごと
 今年は冬が真面目に寒かったせいで花が遅いようだ。
 
 うちには、父譲りの樹齢三〇年以上の紅梅の鉢植えがあって、例年2月末ぐらいから開花するのだが、今年は蕾の期間が長く、やっと昨日あたりから何輪かがほころびはじめた。

              
           

 桜の方は直植えでサクランボが成る結構早咲きのものがあって、例年は三月一〇日ぐらいにはもうチラホラ咲くのだが、今年は少し蕾がほころびそうかなという程度だ。

              
              

 にもかかわらずである、今やこの国の桜の代表格になったソメイヨシノの開花予測は例年と変わらず、このあたりだと三月二五日前後らしい。
 詳しいことはわからないが、桜の開花システムはその冬の寒さと関わりなく、日照時間などの変化によって決まるのだそうだ。

 ところで、「梅は咲いたか、桜はまだかいな」という文句をお聴きになったことはないだろうか。
 私の子供の頃は、この時期、このフレーズはよく聞いたもので、「かっぽれ」や「東雲節」と並ぶ江戸端唄の代表的な曲のタイトルであった。そしてこの端唄は、ラジオなどからもよく流れてきたものだ。

   https://www.youtube.com/watch?v=bnujaSoUvrw

 おそらく昭和の中期ぐらいまでは、半分は古典芸能であり、半分はまだ今様の音楽だったのだと思う。子供心に、その歌詞に何か粋なものを感じ取っていたのだった。

 久々にこれを聴いてみようと思ってYouTubeで検索したら、ヒットしたものに、私が子供の頃から聴き慣れたものの他にもう一つ現代風なものがあった。日本の女性レゲエシンガーソングライター「Metis」の1枚目のシングルというのがそれだ。

   https://www.youtube.com/watch?v=qXIyhRq4hrQ
 
 若い人たちはとっくにご存知なのだろが、歌の前に本人がいうように、人生への応援歌らしい。なんかこうした歌には少し引いてしまうところがある。いってみれば、「ほんとうにそんなに楽観的でいいの?」といった感じである。

 といって、端唄の方を推すわけでもない。たしかに江戸の粋を歌ってはいるが、どこかアンニュイのようなものがある。そしてその落ち着く先が吉原であるとしたら・・・・。

 別にそれを倫理的に責めているわけではない。
 吉原は江戸を描くあらゆるジャンルに登場する。文学から浮世絵、講談、落語・・・・。そしてそれはそれで面白い。
 にもかかわらず、そこで研ぎ澄まされたものは、所詮、「擬制の快楽」ではなかっただろうか。

 梅と桜の開花状況から、思わぬ話になってしまった。
 最近は、起承転結に顧慮することなく、連想ゲームのように折々のフレーズに引きずられて何かを書いてしまう。

 こんなのを我慢して読んでくれたあなたに感謝、感謝だ。
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尽きぬ興味の映像・・・・6時間の超大作映画『水俣曼荼羅』を観て

2022-03-04 01:22:37 | 映画評論
 監督は『ゆきゆきて、進軍』、『全身小説家』などで知られる原一男、彼の6時間にわたる渾身の超大作である。休憩時間を含めると7時間!
 こんな超大作を80歳過ぎの私が鑑賞に耐えうるのだろうか。しかも題材からして重くシリアスで、しかも暗くなりがちではないのか。私自身、当初はそんな懸念があった。

 しかし、それは杞憂であった。作品は三部に別れているが、第一部(「病象論を糺す」)は基本的で重要な病理論的な説明があってやや硬いかもしれないが、熊本大の医師たちが患者たちに平易に説明する形で展開され、しかもそれは具体的な診察を経由して説明されるので、私のような自然科学ボケでも鮮明に理解することができた。
 この第一部の熊本大医学部の浴野成正氏、二宮正氏の臨床的な治療活動の成果とその経緯は、なぜ水俣病が発覚以来六〇年以上になるのに、いまなお行政の対応が遅々としたままに推移しているのかを解きほぐす鍵となる。

              

 ここには「水俣病」の基本的な理解の相違がある。
 従来の医学は、それを「末梢神経の障害」として捉える。従って、末梢神経に目に見える傷害がない場合には患者ではないということで全て切り捨てられてきた。
 しかし、浴野、二宮の両医師は、目に見える傷害はなくとも、患者の様々な感覚において重大な欠陥があり、例えば、針で刺されても痛感がない、従って、普通の怪我が惨事に至るなど、視覚、聴覚、味覚などなどに重大な欠陥があるという事実、そしてそれは単なる「末梢神経の傷害」ではなく、中枢神経が損傷を被っていることによるものであることを明らかにしてゆく。
 従ってその中枢部分の損傷は、ある日、傷害となって出現する可能性をじゅうぶん秘めているのだ。

 こんな風に書くと、なにか病理学の講義のようだが、これらの事実は辛気臭い理論展開としてではなく、患者との往診や対話の中で、映像として明らかにされてゆくので生身の現実として理解することができる。

          
 
 さらに、第二部、第三部になると映画は下手な劇映画よりも遥かに面白い展開を見せるようになる。映像の主役が、いまなお後遺症を抱えながら、現実と向き合い、生活をしている患者たちであり、その具体的な生活が数々のエピソードとともに、ある時はユーモラスに描かれてゆくからである。

 第二部の冒頭からしばしば出てくる生駒秀夫さんは、少年時代に自分の手足が勝手に 跳ね動き、まるで何かに操られて踊り狂っているかのような症状を見せたのだが、その後の治療によって今はそれほどでもないが、まだ細かな痙攣は続き言葉にもその震えが残る。しかしながら、その言動はいたって活発で明るさを失わない。
 人を介しての見合い結婚だが、自分のような患者のもとに女性が来てくれる事自体がありがたく、新婚旅行の初夜は一睡もできず、嬉しさがこみ上げるあまり新婦に指一本も触れられず、ただただうれしく有りがたがっていたというエピソードも、またそれを語る彼の語り口も実に面白くほほえましい。
 彼らは患者として、しかめっ面をして生きているのではないのだ。それだけに、住民としての通常生活への支障を認定することなく、頬かむりを続ける行政の冷ややかさが逆照射される。

                

 第三部の坂本しのぶさんも面白い。胎児性患者の彼女は外見そのものがいわゆる健常者のそれとは異なる。肢体も表情も言語表現も不自由そのものである。しかし、彼女は「恋多き女性」である。映画の中でも、それぞれ実らなかった幾つかの恋が語られる。なかにはその恋の対象であった男性とともにその折の思いを語る。彼女の恋は率直そのもので、その失恋も表面的には陰鬱なものではない。
 彼女は同時に作詞家である。彼女の詩に曲を付けた シンガーソングライターとともに舞台に上がり、その傍らでその歌に耳を傾け、頷いたり調子を合わせたりしながらのパフォーマンスも披露する。

               

 ここに例示したのはほんの一部の人に過ぎないが、 様々な人々がその病を背負いながらも懸命に生きている姿はとても自然でどこか懐かしいものすらある。
 しかしながら彼らのその生活の背後に、患者であるということ、しかもそれらが十分に補償されていないということ、中には患者であるとすら認定されていないという厳しい事実がある。

 ここで第一部に帰っていうならば、 水俣病を単なる末梢神経の障害としか見ない保守的な見解は、その患者の中枢が侵されており、それによってこそ様々な末梢での感覚障害が起こっているという事実を認めようとしない。そのことによって感覚障害を訴えて 患者としての認定を迫る人々を水俣病ではない単なる感覚的な病であるとしてその認定から遠ざけてきた。
 冒頭に述べた2人の医師の検証によって、それらが中枢での障害によるものであることがほとんどの裁判で立証されたにもかかわらず、今なお誤った認定基準による仕分けがなされ続け、救済さるべき人たちが放置されているのだ。
 患者からの認定を審査する熊本県によれば2010年代の実態は毎年何百人かの申請があるうちで、患者と認定されるものは多くて年、数名であり、全くゼロの年も何年か続く。
 かくして水俣病はそれが公になって60年以上を経過してもなおかつ救済されないままの人たちを積み残しているという現実がある。

          
 
 水俣の歴史は実はさらにさかのぼることができる。それはおおよそ80年前、つまり戦前においても猫たちの異常な狂乱ぶりと死亡がすでに報告されているのだ。よく知られているように港町には猫たちがたくさんいる。この猫たちは漁師が水場をした魚のうち雑魚に類するもの、あるいは魚をさばくうちに出てきた内臓などが放棄されるものをその餌として生きている。後に分かったようにそれら内臓等は、有機水銀が最も凝縮されて蓄積される場所である。したがってそれらを食した猫は激しく痙攣をし、狂おしく踊りまわり、次々に死に至ったのだった。

 やがてそれらが人間たちの目に見える症状として現れたのはおよそ60年前のである。それ以降医師たちの賢明な原因解明、患者たちの訴えなどなどからチッソが戦前から垂れ流してきた有機水銀がその原因だと判明し、ある程度の救済措置も取られてはきた。
 しかしそれは今なお不十分でその救済の網目から漏れた人たち、あるいは今後も起こりうる発病等への補償は全く不十分であることをこの映画は示している。

          
                石牟礼道子さん 第三部に登場する

 それは何故だろうか。行政の中にある国民に対するいわば「性悪説」のような態度に起因するのではないかと思われる。どういうことかと言うと、行政は、犠牲者を救護するというより、これら患者ないしはその候補者たちは、隙があれば国の補償を過剰にかすめ取ろうとしているという人間への不信感のようなものもち続けているということである。
 この性悪説に基づく国民の管理と言う役人根性はこの水俣において十全に発揮されているが、問題はそれが、患者を救済するという本来の趣旨を完全に阻害しているということである。
 同様にこうした思想は、例えば当然の権利である生活保護の制度を、あたかも欠陥ある者たちへの施しのような形で考える一部政治家、ないしは官僚や役所の所業にも見られるものだ。

          

 これをさらに大きな枠で考えるならば、本来国家や役人というものは国民に対してどのような責任を負いどのような行為をなすべきか、あるいはなしてはならないかを定める憲法を、逆に国家による国民への管理体制ととらえ、義務や責任を押し付けるものに変更しようとする連中の基本的な改憲案の思想と相重なるものである。

 ちょっと枠を広げすぎたかもしれないが水俣というこの今となっては誰の目にも明らかな公害、日本4大公害といわれる中でもずば抜けて質の悪い(というのはそのもたらした障害の内容と同時にその障害を隠蔽し、その障害者の認定、障害者への援助を遅延させてきたという意味での)公害、それが 今なお現地では現実の問題として存在していることをこの映画は如実に示している。
 
 第一部で見たように末梢神経の障害と見るか中枢神経での障害と見るかによる違いは顕著である。中枢神経による障害とみられる被害者の約80%を、末梢神経の障害として見る保守的な立場は不適格者とみなし、患者として認めようとしない。そればかりか金目あてのの悪意ある便乗者とみる見方にもつながっている。

          
 
 最後に、ある集会において中枢神経からくる感覚障害について泣きながら訴える患者の声を紹介しておこう。
 「うまいものを食ってもその味がさっぱりわからん。 オ○ンコをしても感じるか感じないかすらわからない。ただこすっただけ」 その他いろいろな例を挙げ彼は、このように要するに感覚がない、わからないということは、自分たちが「文化から見放されている」ということだと訴える。

 この映画は こうした 重い問題を背景に持ちながらそれを観念的に訴えるのではなく、そのもとで生きている人々の悲喜こもごもの様相を見せることによって、ありきたりのアジテーションであることを免れている。すでに述べたように、ときにそれらの人々はユーモラスですらある。
 6時間と言うのは膨大な時間ではあるが、しかしこの映画は、その負担をほとんど感じさせない。まるで良質のドラマを見ているかのように、その展開の中にひきこまれている自分がいた。 説明がましいナレーションもなく、必要な事項が時折字幕で示されるのみで、ほとんどの事柄は映像そのものによって語られる。まさにこれぞ映画の力であると言うことを実感させられる6時間であった。

 上映は名古屋シネマテークで。残念ながら3月4日で終了するが、それ以外の地区ではこれからの上映もあるはずである。お勧めの6時間である。



 
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