六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

おせちができました!

2020-12-31 18:21:53 | フォトエッセイ

 これは8合目ぐらい。まだできていないものと、お重への盛り付けが残っている。

            

 できました。手前左手は既製品です。かまぼことテリーヌ類ですが、かまぼこの切り方に少し仕事を施してみました。

         

 父母譲りの田舎料理ですが、自分の好みは、きんぴらごぼう、たつくり、黒豆、百合根などで、これらさえうまく行けばあとはいいのです。

         
 それでは皆さん、良いお年を!

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おせちの下ごしらえ

2020-12-30 17:12:26 | フォトエッセイ

 基本的には明日作るが、仕込みに手間がかかりそうなものや、時間をとられそうなものを今日中に手配した。

 まずは黒豆。昨夜から水に浸しておいたものを火にかける。アク取りをしかりしたあと、弱火で3~4時間煮込む。これはアク取りをして煮込み始めたところ。なんにも見えない。

          

 仕込みが面倒なものの一部を手掛ける。百合根、金柑、ギンナン、きんぴら用ごぼう、絹サヤ。いずれもまだ味付けはしていない。このうち、絹サヤは単独ではなく野菜五目煮に散らすつもり。

          

 聖護院大根で膾を作った。昆布、柚子、鷹の爪を入れた。鷹の爪、少し効きすぎたかな。

          

 4時間ほどかけて黒豆が煮上がった。真ん中に見えるのは色を黒くするためのサビ釘の束。これ以上に詰めるとシワが寄る恐れがあるので、煮汁を残したまま冷ますこととする。

           

 これだけやっておけば、明日は楽だ。
 
 風が唸りだした。予報どおり雪の正月なのだろうか。

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『夜と霧』再読と村田諒太選手へのお詫び

2020-12-30 02:33:35 | 書評

 必要があって、60年ほど前に読んだヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』を再読した。
 この書は、ナチス収容所が凄惨な死体生産工場であるとともに、生きている人間をも徹底して心身ともに破壊する場所であることを知らしめた初期の記録である。

             

 当時私が読んだのは、霜山徳爾訳の1956年版であったが、今回のものは2002年版の池田香代子訳のものである。この間、原著者による若干の訂正や語彙の変更などはあったようだが、基本的な内容は変わっていない。

 著者のヴィクトール・E・フランクル (1905~97)は、フロイトやアドラーに師事したオーストリアの精神医学者・心理学者であったが、ユダヤ人であったがために1942年、新婚の妻と母親とともにアウシュビッツ収容所へ搬送された。
 幸い、彼はしばらくして別の収容所へ移送され、そこでの重労働などに従っていたが、そこでもまた、その過酷さに耐え切れない死者が続出するなか、ドイツ敗戦まで耐え抜き、生還することができた。妻と母はそのまま還らぬ人となっていた。

           

 この書は、そうした精神医学者の眼差しをも交えながら、彼が実体験した事柄の記録であるが、かいつまんでいってしまえば、収容所がいかに人間が人間たることを徹底して否定し、そのかけらすら奪い取るものであるかということ、そして、にもかかわらず、その極限状況のなかで生き抜くこととは、しかも最低限の人間の尊厳を保持することとはいかにして可能か、あるいはいかに困難であるかということである。

 未読の方には一読をお勧めする。精神医学者が書いたからといって、特別に学問的な書ではないし、学術用語もほとんど出てこない。

 実はここからが私が書こうとしたことなのだが、この書に関する付帯事項などを検索していて、面白い人物に出会った。
 それは、2012年、ロンドンオリンピックのボクシングミドル級で金メダルを取り、その後、プロに転向し、現在もWBA世界ミドル級チャンピオンの村田諒太(1986年~)氏で、彼は、Facebookに、こんなコメントを残していた。

          

 『夜と霧』に出てくる、カポー(同じ収容者でありながら、見張り役など、特別な権利、立場を与えられた収容者)が時にナチス親衛隊より酷い仕打ちをしてきたという話、そのカポーを裁くことが出来るかどうか。
 フランクルの言う、石を投げるなら、同じ状況に置かれて自分が同じようなことを本当にしなかっただろうかどうかと自問してみること。人を糾弾する前に必要なことだと考えています。
 世の中にはこのカポーが溢れていることを忘れてはいけないなと、改めて思う今日この頃です。(カッコや句読点に三嶋の補充あり)

 へ~、村田選手がねぇ・・・・というのが率直な感想で、こんな書を読んでいて、しかもこの箇所に関してはとても適切なコメントだと感心した。しかし、その後、なんとなく、違和感や後ろめたさのようなものを感じてしまったのだったが、それには思い当たる節があった。

 私の評価は完全に上から目線だったのだ。率直に言って、「スポーツ選手のくせに」という既成観念、固定観念があったと思う。体育会系と文系という垣根ヘのこだわりである。これはまた、文系・理系という線引きへの硬直した反応にも関わるかも知れない。それらのボーダーを超えて思考したり、優れた業績を挙げている人を数多く知っているにもかかわらずだ。

         

 やはり私は自己批判すべきだと思う。村田氏は、「ボクサーでありながら・・・・」ではなく、あるときはリングで闘い、またあるときは『夜と霧』を読み、考え、発言する人なのだ。もちろん、書を読み、考えることを特権化することもまた、偏っているのだろうと思う。
 ただし、村田氏のように、一芸(?)に秀でながら、なおかつマルチに諸方面への関心を抱き続けることには羨望すら覚える。

 私が当初、彼の発言に上から目線で応じてしまったのも、いくぶんかのジェラシーを含んだものであったかもしれない。
 いずれにしても、自分の尊大さは恥ずべきものだろう。
 村田さん、ゴメンナサイ。

《言わずもがな》『夜と霧』の原題は、『それでも生にしかりという 心理学者、強制収容所を体験する』だが長すぎるせいか、上記になった。「それでも生にしかりという」は、ニーチェ的で、私の好きな言葉だ。フランス語では「セ・ラ・ヴィ」だろうか。

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今年最後の野菜の買い出し(@農協野菜売り場)とおせちのカウントダウン

2020-12-28 14:35:37 | フォトエッセイ

         

 合計15品目を買った。締めて1,658円。最高額が、亡き連れ合いのための供花、230円。これからしてほかの品目が平均、100円以下であることがわかるだろう。
 このお値打ちさは本当にありがたい。

            

 一番安かったのは、小ぶりの大根で50円、その次は聖護院大根の70円。
 この二つの葉の部分は細かく刻んでごま油でさっと炒め、出汁を加えて茎が柔らかくなるまで煮詰めて、できあがったらごまを降れば立派な一品になる。
 聖護院の玉の方は、薄くスライスして柚子、唐辛子、昆布を利かせた千枚漬け風にし、おせちのラインナップに加えるつもり。

 白菜は二つ買った。大は140円、小は100円。 大は8等分して漬物に。小は多目的に。
 大は早速切って干したのだが、干場へ運ぶ途中で、落としたのが痛恨の極み。写真がいささか乱れているのはそのせい(涙)。

            

 ネギは7,8本の泥付きのもの(100円)を買い、2,3本と垂れ下がった葉先の部分は洗ったり、切り取ったりして、冷蔵庫の野菜室へ。あとは予備として深い鉢に植えた。

            

 もう今年いっぱいは野菜は買わない。
 在庫を点検したら、キャベツ、水菜、小松菜、白菜、菜の花、法蓮草、胡瓜、ブロッコリー、レタス、カイワレ、トマト、ネギ、絹サヤ、それに根菜類として、里芋、さつま芋、じゃが芋、ごぼう、大根、人参、玉ねぎ、百合根、さらには、金柑と銀杏がある。
 
 これらのうち、いくつかはおせちの素材。野菜の五目煮も作るから、かなりのものはそのための素材。
 クワイは例年農協で買う。少し小ぶりで皮を剥くのが面倒だが、新鮮で安い。しかし、嗚呼、今年は出ていなかった。スーパーで見かけたが、一個あたり100円。でもって諦めた。
 クワイぐらいなくったって、お正月さんが怒ることはあるまい。

         

 私のおせちは、父母譲りの田舎料理。ふたりとも海には縁がなかったから、エビ・カニの派手なものは入らない。だから、デパートのそれや、スーパーのチラシに入ってくるそれの彩りはなんだかケバくて怖い気がする。
 田舎のしっとりとした正月には、その派手さはそぐわなかっただろう。田舎には田舎相当の「お正月さんがござらっせる」のだ。

 おせち、無事できあがったら公開予定。乞う、ご期待!・・・・って、そんなもの期待する者などいるもんか。ほんと、自己顕示欲の塊だなぁ。
 だいたいにおいて、ブログなどやってる奴はだいたいにおいて・・・・(以下省略)。


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飲み屋街の灯を消すな!【本邦初公開写真付き】

2020-12-26 01:35:16 | ラブレター

 いわゆる飲み屋や飲み屋街が存続の危機にあえいでいる。
 もうとっくに廃業に追い込まれたところもあるし、今年ダメだった分をこの年末でと意気込んでいた店も、そのマイナスを取り返すどころか、客足が遠のいたままという惨憺たる有様である。
 この年末を期しての廃業・倒産が、またどっと増えるであろう。

 その業界の一端に位置し、30年間それでおまんまを食わせてもらった私としては、他人事とは思えず、激しく胸が痛む。そのせいか、最近は居酒屋時代の夢をよく見る。
 私は、カウンターで焼き物を担当しながら、接客をしていた。
 昼間の労働の疲れを癒やし、ついでに愚痴や上司批判をこぼすひと、侃々諤々、天下国家を論じる人たち、その横で痴話喧嘩をするカップル・・・・これらのなかで、私は多くを学んだ。いわば、考現学的人間の諸様相が展開されるその真っ只中で毎日を過ごしたのだ。

         

 そうした飲み屋全体が危機に瀕している。
 ここ何年か、私自身が客として高校時代の同級生と年に数回は通っていた昭和レトロを思わせる店も、4月に「諸般の状況からしばらく休業します」との張り紙を残してシャッターを閉めたままだ。
 しばらくが師走に至り、その張り紙も変色し、木枯らしにはためいている。

 年が明けて、コロナ禍が収束したら、運良くここを通過し得た店や、廃業した店の代わりの新規参入店で飲み屋街の灯りは復活するかもしれない。
 しかし、ここにもうひとつの問題がある。
 店の営業はいまのような規制から解放されて自由になるだろう。しかし、それに呼応して、客足が戻るかどうかである。

 というのは、この間、推奨された「家飲み」、「リモート飲み会」などが主流になって、飲み屋街へ顧客が戻らない可能性があるからだ。ようするに、飲み屋というのは、お上のお達しのように不要不急のもので、あるいはもっとも不要なものであるとの位置づけが普遍化する可能性もあるのだ。

 これまでの歴史の中でも、何かの契機である業態が衰退することはよくあった。TVの普及は映画を娯楽の王座から引きずり下ろしたし、ネットの普及は多くのものを、たとえばCDなどの音楽記録媒体をも駆逐しつつある。総じて、デジタル文化はアナログのそれを一掃しつつあるし、より進んだデジタルが初期のデジタルを追いやっている。
 その場合の価値基準はいうまでもなく効率だ。

 飲み屋街の存在も、この間の事態のなかで、その効率性からして不要なもの、なくていいものに格下げされるのではないか。
 もちろんそうならないことを願ってこれを書いている。生産と流通、消費の合理化、効率化のみが世の中の唯一の価値基準として称揚され、その周辺の雑然たるものの存続が危ういなんて、味も素っ気もないではないか。

 飲み屋街の存在を、ことさら文化として持ち上げるつもりはない。しかし、世の中の顔つきが効率一辺倒で険しくなる折から、その僅かな間隙に存在し、たてまえとは異なる空気を吸わせてくれる場所としてのそれらを擁護し続けたいと思うのだ。

             

ちょっと恥ずかしいが、三十数年前の私の写真を載せる。客同士が、そしてときには私自身が、さまざまな思いをクロスさせることができたとてもいい時代であった。それを反映しているのがこの笑顔だと思う。

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現代「まっくろけ節」考

2020-12-24 01:32:41 | 音楽を聴く

        

 大正時代に流行った「まっくろけ節」、調べてみたら以下のような歌詞がありました。

 https://www.youtube.com/watch?v=ubBqGXp9erQ

森友が 安く叩いた 国有地 妻も私も 知らぬこと 一皮剥いたら まっくろけのけ オヤオヤまっくろけのけ

加計には 便宜図った その口で 私しゃ関わり ないという 裏に回れば  まっくろけのけ オヤオヤまっくろけのけ

税金を 使った桜 観る会に さらに金だす 前夜祭 すべて秘書がと まっくろけのけ オヤオヤまっくろけのけ

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暖かかった冬の日の身辺雑記二題

2020-12-23 00:45:01 | フォトエッセイ

■今年は、玄関先の南天が例年になく鮮やかに紅葉した。道行く人が立ち止まって「きれいですね」と言ってくれるレベル。

 これは二十数年前、父が他界した際、その庭から移植したもの。ところで私は、父が生きた年齢まであと3年ほど。

            

絶好の洗濯日和。乾した。午後はちょっとした肉体労働をして腰痛をひどくしたり、にもかかわらず雑用で出かけたり。帰宅してなにやらしているうちに日はとっぷりと暮之助。あ、洗濯物!慌てて取り込む。乾いてはいたがすっかり冷たくなっていた。

 こちらの動作が鈍くなるのに反比例して、老化はどんどん加速する。
 
         
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鮟鱇(アンコウ)の肝を調理しながら・・・・。

2020-12-21 02:13:51 | フォトエッセイ
         
           これをラップで巻いて巻き簀で円筒形に整形

 鮮度の良さそうな鮟鱇(アンコウ)の肝が数百円で出ていたので即ゲット。今季、初見参である。というより、久しぶりの調理といって良い。

         
 先般、一人飯ほど気楽でいいものはないといったことを書いたが、デメリットもある。メニューの幅が狭くなるのだ。

         
 まず、仕入の都合がある。スーパーで売っている魚介や肉類は、たいていお一人様用には梱包されていない。最近、行きつけのスーパーがドンキに吸収されて、「メガ盛り」と称して肉など1キロ位のものも売っている。計算すれば、私のようにチマチマ買うよりうんとお値打ちだが、1キロも買ってどうするん?せいぜい200gほど使ってあとは冷凍保存?

         
             蒸し上がって常温で寝かせたもの

 もうひとつ、調理というのは表現活動と同じく、なにがしかの自己顕示を含む。そしてそれが意外と動機としてのウエイトを占める。それがなければ、「まあ、一人だから口に入ればいいさ」となりがちである。
 私がこうして大したこともないものをネットにあげるのは、自己鼓舞のためだとご了解いただきたい。

         
         
         
       盛り付け 上)切る 中)紅葉おろしと柚子を 下)ポン酢を張る

 といったわけで、今回はそのアン肝を作る過程を記録してみた次第。
 自己採点は85点。ナマモノであるからと慎重を期して若干蒸し時間が長すぎたかもしれない。中心部のしっとり感が失われたように思う。

          アン肝を招き傘寿のひとり酒  六
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貧者の強がり食生活論 ステーキ会食に寄せて

2020-12-19 01:13:27 | グルメ
 自称ガースーさんが参加されたステーキ定食会、お一人の予算は6〜7万円とか。わが家の一ヶ月の食費をゆうに上回る。
 
 こんな風に金に糸目をつけずに食をとれたらと羨ましく思う反面、そんな事になったら私の食はきっと弛緩し堕落するだろううと思う。
 なぜなら、私の食は限定された金額のなかで、いかによりうまいものを食うかの緊張感の中にこそあるのだから。
 
 何でも食えるという食生活は、ある種のニヒリズムを招き、なにを食っても感動がないか、あるいはその感度が著しく鈍くなるのではないかと思う。
 
 以上はたんに、貧者の負け惜しみにすぎないのかもしれないが。
 
画像に含まれている可能性があるもの:食べ物
 
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【最強のコラボ】柿の種とピーナッツの物語

2020-12-18 01:23:47 | よしなしごと

 

 年寄りは口が卑しくなるといいます。もちろんそれに当てはまらない人も多いのですが、なにを隠そう私はどんぴしゃりそれに相当し、したがってしばしば食い物の話をします。

 とりあげるのは誰しも一度は口にしたり見たりしたことがある「柿の種とピーナッツ」をブレンドしたおつまみです。
 いろいろな乾き物の取り合わせがありますが、この柿の種とピーナッツ=通称「柿ピー」が最強の取り合わせだと思うのです。

 ナッツ類共通の芳醇な香ばしさ、そして小粒ながら米菓特有のカリッとした食感とちょっと辛口の口当たり、その取り合わせの普遍性は抜群ですが、おつまみとしての適応力も幅広いものがあります。蒸留酒から醸造酒まで、ほぼ適応可能です。
 日本酒のしっとり感にはちょっとという向きもありますが、コップ酒などはこれでじゅうぶんです。

 ところで、この柿の種とピーナッツ、もともとは単独で別の商品だったことは間違いないのですが、誰がそれをブレンドし、柿ピーを生み出したのでしょうか。
 一説によれば、東京の外国人向けホテルのバーで、おつまみとして柿の種とピーナッツと合わせて出したところ評判が良かったというのがあります。
 また、別の説では、豆屋さんがピーナッツを販売する際、ピーナッツが湿気ないように柿の種やあられを混ぜたのが始まりともいいます。

 ところで、この柿ピーをはじめから同梱して売り出したのは亀田製菓で、1966年のことだといいます。
 その亀田製菓は、その誕生秘話を以下のように記しています。
 「当時はおせんべいはすべて量り売りで、創業当時の亀田製菓でも、本社の近くに直売所があり、おせんべいや柿の種と一緒に、ピーナッツも量り売りしていました。その際、直売所で店番をしていた創業者の奥さんが、量り売りしていた柿の種にピーナッツを混ぜてみたら、お客さまに“食べ合わせがいい”と評判になったといいます」

 いすれにしても、はじめからピーナッツと柿の種を同梱したのは亀田ですから、この説には信憑性があります。
 この際、特許や実用新案はとらなかったのか、現在ではいろんなところから柿ピーが発売されています。

 私もこれを、三時のお茶のお供やナイトキャップのつまみなどに愛用していて、ほぼ欠かしたことはありません。
 ただし、安い柿ピーを買ってくると、まずピーナッツが美味しくないのです。ですから、あまり格差のない柿の種はそれ自身として購入し、一方、地元のピーナッツメーカーのマアマアのものを購入してきて、食べる都度、自分でブレンドしています。
 現在の予めコラボした既成の柿ピーは、スタンダードで6:4の比率だそうですが、私の場合はその日の気分によってまちまちです。

 最後に決り文句をいわせてください。
 「たかが柿ピー、されど柿ピー!」

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