またひとつ訃報を聞いたのだが、最近、亡くなってしまった私の相方や親しかった人びと、友人などが、そして父母などがしばしば夢に出てくる。
夢の中では亡くなったという意識はなく、普通に話したりともに行動したりしているのだが、醒めてから、ああ、あの人はもういないんだと改めて気づき、しみじみと寂しくなることがある。
またひとつ訃報を聞いたのだが、最近、亡くなってしまった私の相方や親しかった人びと、友人などが、そして父母などがしばしば夢に出てくる。
夢の中では亡くなったという意識はなく、普通に話したりともに行動したりしているのだが、醒めてから、ああ、あの人はもういないんだと改めて気づき、しみじみと寂しくなることがある。
近くのクリニックに薬を貰いに行ったついでに、この間、あまりにも運動していないので、少し歩こうとお決まりの川沿いの道を歩いた。
いつも小魚が群れている淵の手前になんか見慣れないものが・・・・。何?これ?と近づいてみると、シラサギらしい骸(むくろ)が川の中程に横たわっている。猛禽類にでも襲われたのだろうか?ここはもう、半世紀ほど通い慣れているが、こんなことは初めてである。
よく注意してみると、そのシラサギと並行するかのように、体長が40センチはあろうかという大ナマズが横たわっている。こちらも骸である。
ますます異様な光景というほかはない。
それぞれを単独で見たのならいざしらず、こうして同じ箇所に並んでいると、つい関連付けてそれを説明しうる状況を推理したくなる。
ここで一体何が起こったのだろうか。両者の死はどう関わり合っているのだろうか。
シラサギが、大ナマズを見つけ、欲張ってそれを飲み込もうとする。ナマズは抵抗して暴れまわる。長い時間の経過の末、シラサギはやっとのことでナマズを飲み込む。
しかし、その格闘に体力を使い果たした上、分不相応な重量を飲んだおかげで飛び立つことができない。それどころか、胃の中でなおもナマズが暴れたため、内臓破裂の状態になり、苦し紛れにナマズを吐き出すのだが、もはや手遅れでそのまま絶命していしまう。
ナマズの方も、吐き出されたもののさんざん痛めつけられた結果としてそのまま命を失ってしまう。
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そんな推理が成立しないでもないが、もちろんそれを立証するすべもない。
この両者はそれぞれ別の死因で、別の場所で死に、その亡骸だけが流れの都合で同じ場所に辿り着いたのかもしれない。真相は謎だ。
野生動物たちは私たちの周りに数多く生息しているのだが、その亡骸を見せることはあまりない。それがこんなふうに、しかも、二つのそれがいわくありげに並んでいると、どうしても関連付けてその物語を作りたくなる。
ただし、物事の法則性とか必然性というものの多くは、さまざまな事象が起こってから事後的に見いだされるのもであって、けっして法則性とか必然性に従って事態が推移しているわけではない。
だから、出来事というのは常に私たちの予測を裏切り、そうであることによって生きた事象として私たちの前に現れる。
だから人生は楽しい、ないしは、切ない。
『ぼくは幽霊作家です』 キム・ヨンス(金 衍洙) 橋本智保:訳 新泉社(韓国文学セレクション)
例によって図書館の新着コーナーを覗いていた際、この書が目に止まり、目次などをペラペラみているうちに、よしっ、借りようと思ったのは昨年末に読んだキム・ヘジンの『中央駅』が面白かったからだ。
小説などの文学作品にはもともと疎い私だから日本文学も西洋文学もろくすっぽわかりはしないのだが、キム・ヘジンを読み、その後、イラン系アメリカ人のアザリーン・ヴァンデアフリートオルーミの『私はゼブラ』に触れたりしているうちに、彼女たち(両者はともに女性)はその出自の国家や民族の特殊性をまといながらも、当然のことながらもある種の普遍性を備えていること、とりわけ、日本で、いまここにこうしているこの私を刺激するものをもつという同時代性のようなものを感じたのだった。
それを、グローバリゼーションとかインターナショナルとか、あるいはトランスナショナルといってしまうとなんか違うような気がする。この世界の芯のところにある共同性のようなものが放つ質量感、強度が私に迫るといった感じだろうか。
今回の著者、キム・ヨンスはとてつもなく博覧強記で古今東西、時空にまたがる知識をもっている。それを示すのが、この九つの短編を網羅した小説集なのだが、そのそれぞれが時空を異にするのみか、その主人公も男女、国籍、民族、社会的立場などなどがすべて異なっていて表面上の共通点はない。
なかには、「彼が」で語られていた物語が、終盤に至ってそれを記している「私」に回収されるものや、男であると思っていた「闘士」が女性であったとかいったトリッキーな設定もあるのだが、それらも含めて、それぞれの主人公をして語らしめるという意味で、そのタイトルが『ぼくは幽霊作家です』となったと思える。
彼の博覧強記ぶりは、こうした短編集であるにもかかわらず、巻末に十数頁の〈注〉が付されていることからもわかる。もっとも私の場合、いちいちその注を参照することはなかった。読書のリズムが崩れるからなのだが、それでも、どうしてもそれを抑えておかなければというものについては参照した。そのおかげで、スターリンの大粛清と並行するかのように起こった1930年代なかばの民生団事件について知ることが出来た。
いずれにしても。その出典の多様さから、彼の博識ぶりが浮かび上がってくる。
とりわけ、漢詩についての知識は並々ならぬようで、いずれの小説においても文章の中途で何気なく挿入される。それはあたかも、西洋の小説のなかで、聖書やギリシャ・ローマ神話が頻出するのに似ているかもしれない。
内容をあえてまとめるなら、歴史のなかに翻弄される人びとといっていいだろうか。必然性の尻馬に乗って王道を走るというより、そこからはじき出され、あくまでも偶然に満ちた生をそれとして生きなければならない人たち、彼はそれを「不能説」という言葉で表しているようだ。
短い彼自身の「あとがき」のなかで、彼は「私」を知るために万巻の書を読んだといい、それらの書を通じて、世の中は「私」とは比べものにならないほどの嘘つきに溢れていることを知った、という。以下、それに続く段落を彼の言葉で載せておく。
一人称。「私」。私の目で見た世界・「私」だけで構成された小説集を一冊出したかった。やれるだけのことはやった。なぜなら「私」は本当に嘘つきになってしまったのだから。(あとがきより)
この一見、歴史的現実とはニュートラルなもの言いとは裏腹に、彼のこの短編集には、朝鮮半島の歴史、日本の支配下におけるそれ、その解放後、そしてその後の内戦、その境界が現在のように落ち着く前の流動的な南北境界の移動、などなどの歴史的事実が重くのしかかっている。
最後の短編、「こうして真昼のなかに立っている」は、そうした南北の支配地域が移動するなかで、その都度、自分の立ち位置を選択せざるを得なかった生き方、そして、その際の選択に関する事後的な査問、追求、人民裁判、処刑・・・・などが、その皮肉な逆転とともに語られている。
「そして私は、ここでなんと叫んで死ねば良いのでしょうか」が残された主人公の言葉である。
ここに至ってキム・ヨンス自身が、歴史から超越した存在でもなんでもなく、まさにその歴史と向かい合っていることに気づく。 ただし、単純な正邪、善悪の対比でそれを語るとき、彼はほんとうの大うそつきになってしまうだろう。だから、そうした出来事の周辺にあって、偶然としてそれに関わり合った人間のありようを、その現場を再構成することによってその人間に語らせるという方法をとっている。
だから彼は自分のことを幽霊作家=ゴーストライターとしたのだった。
【オリンピックは?】昨年、女子一万メートルで、従来の記録を30秒近く短縮する圧巻の日本新を出し、オリンピック代表に内定するとともに20年陸上のMVPに選ばれた新谷仁美選手は、東京五輪開催についてのNHKのインタビューに、アスリートとしては開催に賛成だが、市民としては反対ですと明快に答えていた。なかなか冷静沈着な人だ。
【日曜日の「朝日俳壇・歌壇」から】
スメタナの弦楽四重奏曲第一番「我が生涯より」は悲痛な調子で始まり、それは一貫していて第四楽章に至ってピークを迎える。
それはそうだろう。彼は五〇歳にして突如聴力を失ってしまうのだから。彼は「この作品は私の人生の思い出と、完全な失聴というカタストロフィーを描いたもの」と友人への手紙に書いている。
この作品は、1878年にまず試演が行われ、その際には、ドボルザークがヴィオラを受けもった。一般的な初演はその翌年という。
なぜ、急にこの曲が聴きたくなったかというと、ちょうど読んでいた書にあった悲劇的なシーンが、といっても、それは聴覚に関するものとはまったく関係ないのだが、ふとこの曲を連想させたからだった。
お話の舞台 ナンガ・パルバット山
それはヒマラヤの高峰を目指すある登山隊で、高山病のせいで不眠に陥った「彼」が、激しい嵐のなかキャンプを抜け出しそのまま行方不明になるといった話なのだが、語り手の「私」は、その折彼が見ていたものは、ホワイトアウトの吹雪ではなく、月の光を浴びて輝く頂きであり、それを目指し「彼はゆっくりと、とてもゆっくりと、裸になった峰の苦痛と悲しみと絶望の中へと歩いてゆく」のだったと想像する。「彼」は五感の失墜のなかで、まったく別の風景を見出しそこへと自分を昇華させてしまうのだ。
それとスメタナがどうつながったのか、自分でもわからない。たぶん、スメタナは現実の音を失ったのだが、それに変わる心象風景を記号としての音符に載せて曲を書き続けたのではなかろうか。
登山家の彼は五感の失墜が希望とも絶望ともつかぬままに消えてゆくのだが、スメタナは聴覚を失いながら表現すべきものをイメージとして保ち続けることが出来、それが逆境での希望として作用したのだろうと思う。
それにしても、「彼」とスメタナを連結させてしまったのはやはり不可解である。その間にある自分にとっても不明な媒介項のようなものがきっとあるのだろう。
【おまけ】その後、田中希代子のピアノでベートヴェンのピアノ協奏曲第五番と第一番(岩城宏之指揮 NHK交響楽団)を聴いた。このひと、ジュネーヴ国際音楽コンクール(第14回1952年)、ロン=ティボー国際コンクール(第5回1953年)、ショパン国際ピアノコンクール(第5回1955年)の3つの国際コンクールの日本人初入賞者なのだが、30代後半に難病にかかり引退したため、活躍した期間は短い。
このCDには個人的な思い出があるのだが、それは墓場へもってゆくとしよう。
PCの中身が煩雑なので、少し整理しようとして不要そうなファイルを開いては点検しているのだが、こんな未完の雑文がでてきた。
最近とみに記憶が怪しくなってるのだが、多分これは3~4年前に書いたものだろうと思う。SF小説でも書くつもりだったのだろうか。
リアルな問題意識としては、ノーボディの支配、偏在する権力とその内面化による支配そのものの分かりにくさは、この間、考えてきたこととも重なる。
削除するつもりだが、その痕跡だけでも残してやろうと掲載しておく。
なお、文末にあるのは、その続きを書く際にと思ってメモしておいたものだ。
私の周辺はどうしてかくも無機質で灰色っぽいのだろう。前世紀以来の名残りなのだろう。脳内アプリのカラーリングを立ち上げ、お花畑をセレクトしてみる。足元から色とりどりの花々が立ち上り、頭上にも百花爛漫を宿した枝が垂れ下がる。
違う違う、こんなキッチュなものに取り囲まれてたまるかと頭を振ると花々は一瞬のためらいの後、フッとフェイドアウトして消え去った。「キッチュな・・・・」といったところで、脳内アプリに発するものであるのだから、これは私のなかに蓄積された情報が貧しく平板極まりないということにほかならない。
何かが周りで揺らぐ気配がした。きっと光速列車が通過したのだろう。この時間からして、EX23星域との間の定期便に違いない。かつての光速列車の実験段階では、その通過が不自然に空間を撹乱するとあって、甚大な衝撃波による被害を及ぼしたのだが、その後の改善により、その衝撃の範囲は著しく狭まり、この辺りではフッとした揺らぎのようなものとしてしか感知できない。
EX23星域ヘは一度だけ行ったことがある。あれは、アマテラスと別れた頃だった。いや、正確にはアマテラスと一緒に行ったのだが、私のみが帰還を命じられ、このロウ族ヤパン専用の収容所に幽閉されたのだった。
誰が、どこで、どのようにして私を裁き、脳内想像力の自由(ただし外部へ公表する際にはAI による検閲あり)以外のあらゆるものを取り上げたのか、わからないままだった。
思い当たることは一つだけあった。あるとき私は、宇宙意志とでもいうようなある強度を感じ、それをふと漏らしたことがある。漏らした相手はアマテラスなのだが、ということは、彼女が私を売ったのだろうか。それとも、その折の会話が第三者の情報ネットにキャッチされたのだろうか。アマテラスはただ微笑んだだけだったが。
いずれにしても、その宇宙意志云々せいだとしたら、私を幽閉しているのは、その宇宙意志の側なのだろうか、あるいは、そうした宇宙意志に背く側なのか。その宇宙意志の感得(といっても微かな予兆に過ぎなかったのだが)そのものが、なにがしかの陰謀論に与するとみなされたのかもしれない。
私の最大の関心は、許されることがあるのかどうか、許されるとしたらどのようにしてかだ。転向? どういう立場からどういう立場へ? 誰にそれを表明したら?
いったい、誰がどのような権限をもって支配しているのかそれがまったくわからないのだ。それを知ろうとすること自体が罪なのかもしれない。
ノーボディによる支配? その顔は見えないけれど支配は確実に存在している。これではまるで、「笑い」のみを残して消えてしまう『不思議な国のアリス』の「チェシャ猫」ではないか。
もう一度、カラーリングアプリを立ち上げ、マリーンブルーのなかで溺れるイメージをと思ったが、やはりやめた。
アマテラスはあのままEX23星域にいるのだろうか。もはや、彼女の瞳が何色をしていたのかも思い出せない
永久に爆発し続ける有無限爆弾
ニーチェ的永遠回帰の遊技場 時空のメリーゴーランド
モノ自体の顕現 その可能性の条件 カント ラカン バタイユ
チコリという西洋野菜がある。ほぼ和食中心の生活をしているのでほどんど馴染みはない。外食の折に、たまたま出てきたものを食したことはあるが、自分で求めたことはない。
ところがひょんなところでこのチコリと出会うことになった。
この正月、息子とその連れ合いがやってきた折、手土産に、「美濃ちこり焼酎 ちこちこ」というのをもってきてくれたのだ。
へ~、ちこりの焼酎ね、この頃は何からでも焼酎を作るんだ。ところであんな水っぽい野菜からどうやって作るんだろう。「ちこちこ」ってネーミングは「いいちこ」のパクリ臭いけど、ちこりの焼酎だからまあいいか、とその折はそんな感想をもったが、開栓はしなかった。
それで、松もとれた先日、どれどれと一口味わってみた。芋焼酎を爽やかにし、あと口に少しほろ苦さが残る独特の旨さがある。何であの紡錘形をしたどちらかというと淡白な野菜からこんな風味が出るのだ・・・・と老いの一徹、知らぬは一生の恥(知らないことが多すぎるのだが)とばかりに調べてみた。
まずは、チコリというはどんな野菜なのか、調べてみて驚いた。あの形状からして、種か苗から育て、若芽が出た部分を採取する、それがあのチコリだとばかり思っていたのだが、それが違うのだ。
たしかに、種か苗から育てるのだが、そのまま大きくしてしまって、葉を取り払い、褐色の人参状の根っこを掘り出し、それを暗所に植え直して、そこから出てくる新芽を改めて採取するのだ。だから、チコリはいってみればモヤシの仲間のようなものだ。
そしてそれだけ手がかかっているがゆえに、われら年金生活者がムシャムシャ食うわけにはゆかない値がつくのだ。
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で、焼酎はというとこの根っこの部分を材料として使うようなのだ。だから、私がその味見で感じた芋焼酎風は当たっているわけだ。ついでに、味にアクセントを付けているかすかな苦味は、モヤシ状のチコリからは感じられないが、その成長した葉には苦味があるというから、その成分なのだろう。
焼酎は原材料が明確な乙種と決めていて、ここんところ亀入りのものを量り売りで買ってくるのだが、やはり素材の味を残したものが良い。
ただこの種のアルコール度数の高いハードなもの(ウィスキーやブランデー、ウオッカ、テキーラなど)は、確かにチビリと飲む段には美味いのだが、そうだからといってグイッと飲むとたちまち酔ってしまう。
だから、水やお湯で割ることになるのだが、好きなくせに弱い私は、酒2に対しお湯や水を8ぐらいにしてしまう。こうなると、どんなに美味い酒も、その辺の安酒も大して変わりなくなってしまう。
この辺が私の泣き所なのだ。だから、どうしても日本酒やワインなど醸造酒がメインになってしまう。
やはり、ハードで美味い酒は、舐めるようにして飲む他なさそうだ。
まさに、ちこちこ飲むに越したことはあるまい。
わが岐阜県にも非常事態宣言とやらで、もとよりの蟄居が一層引き伸ばされることになった。そんなことで、行動範囲がこれまでになく狭くなったこともあって、もっぱら食いものの話が多くなる。
食いものの話でも、なにかウンチクがあったり、警世的な話でも書くことができればいいのだが、それだけの才能も蓄積もない。ただ受動的かつ単純に、美味いとか不味いとか表層的なことしか書けない。今回もほとんどそうである。
■親しい方から、ご自宅で採れたレモンを頂いた。この辺で見かけるものより二回りほども大きい逞しいレモンだ。豊かな酸味と爽やかな香りが実いっぱいに詰まっているのは以前に頂いた折の経験でじゅうぶん承知してる。
どうやって調理に生かすのかをいろいろ空想してみるのも楽しい。ものが檸檬だけに、腔中に唾が湧く。
食すにとどまらないイメージはないものかと、しばらく眺めながら空想の矢を飛ばすが、呆れるほど決まった着地点にしか届かない。
その一つはお決まりの梶井基次郎の小説『檸檬』だ。
主人公「私」はうつ気味で(この頃の小説家というのは鬱がトレンド?)、京都の街をさまようなかで一個のレモンと出会う。
「いったい私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡錘形の恰好も。――結局私はそれを一つだけ買うことにした。それからの私はどこへどう歩いたのだろう。私は長い間街を歩いていた。始終私の心を圧えつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛んで来たとみえて、私は街の上で非常に幸福であった」
「丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう」
丸善の本棚で檸檬が爆発するとは空想にしても物騒な話だ。器物損壊罪、もしくは周辺の人がケガでもしたら傷害罪に問われそうだ。
もっと無邪気な連想としては、ザ・ピーナッツの「レモンのキッス」(1962年)があった。
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当時は知らなかったが、この曲、ナンシー・シナトラ(フランク・シナトラの娘)の「Like I Do」のカバー曲とのこと。
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■おまけ
2,3日前につけた小カブラが塩加減もよく、うまく漬かった。
ただし、写真ではわかりにくいかもしれないが、多少ぬめりっぽい感じである。原因は昆布の入れすぎ。
この昆布、昨年末、行きつけの業務店向けの店で、形も大きさもデタラメの切り落としの半端物を買ったのだが、昆布そのものは肉厚で品質がよく、去年まで使っていた薄っぺらいものとはまったく違うのだ。
それを入れすぎたため(といっても数センチ角のものを細かく刻んで入れたのみ)多少のぬめりが出てしまったが、漬けものそのものの味はとてもいい。
並行して漬けた白菜がうまく浸かるといいのだが。
昨年12月に訪れた際の写真です。樽見線に関して記事も書くつもりでしたが、諸般の事情でそれも叶わず、写真のみを載せます。
久々の好天。洗濯物はよく乾きそう。
洗濯物と一緒に白菜を乾す。もちろん漬物用。農協で80円で買ったものを8等分したから、一切れ10円・・・・なんてちまちました計算をするんじゃないのっ!
白菜漬けは今季2度目だが、前回は減塩志向が強すぎてやや塩が足りず、漬かることは漬かったが、最初はともかく、最後の方はやや味がボケた感じであった。
今回はその轍を踏まないようにと思うのだが、かといって塩っ辛くはしたくない。
いずれにしても、数量的に管理するのが苦手で目分量だから、出来上がりは神のみぞ知るだ。