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■わが家の植物たち
いまを去ること半世紀前、田んぼのなかの一軒家として誕生したわが家は、庭というには気恥ずかしいが、草木が生える少しばかりの空間に恵まれている。
しかし、花を育て愛でるにはあまりにも不精なので、どっかからやってきて勝手に花をつける菊が終わってから以降、花の気配はない。
ただし、多少の紅葉があって、玄関先の樹々、といってもナンテンとサクラのみだが、それらが師走のいまも色づいている。
また今年は、ナンテンがが当たり年か、赤・白ともにたわわに実をつけた。
ナンテンは私にふさわしい樹だ。放おっておいても勝手に育ち、今年のように目を楽しませてくれるのだから・・・・。
■今年最後の図書館
返すべき本が三冊、それを返しに行った。
何も借りずに帰ってきた。はじめてのことだ。
年末年始は、同人誌の締め切りに合わせた原稿の仕上げと、今までゲットして積ん読になっているものを読むことにしようと思う。
今季最寒、細やかな雪が舞い散る岐阜から名古屋へ。
これが降り積もったら、夜の帰途、バスはちゃんと運行しているだろうか。
木曽川を渡って愛知県へ。台風時に流されてきた樹木が流れの中程にずーっと留まったままだ。
寒さのせいか、いつもみられる水鳥の姿もない。
雪は降っていないが名古屋も寒い。
スマホを頼りに行ったことのない読書会の会場へ歩を進める。
ここだという箇所にたどり着いたがそれが確認できる名称の表示はない。
駐車場に車を止め、降りてきた若い女性に、「〇〇というこの辺の場所をご存知ありませんか」と尋ねる。
「さ~、そんな建物は知りません」との返事。
さらに2,30歩ほど歩を進めると、あったっ、私が探していたのは彼女が入っていったビルの隣だった。
3時間の読書会、著者は優れた理論家だが、20代前半の若書きのせいか、晦渋な表現がめだち、咀嚼し難いところもある。
その後の飲み会兼フリートーク。
途中からの参加者もあり話は尽きないようだったが、帰りの足も心配だったので8時半ぐらいで中座させてもらう。
岐阜についたが幸い積雪はなかったようで、しばらく待って最終のひとつ前のバスに乗って帰宅。
バス待ちの間に、JR岐阜北広場の金の信長像を中心にしたライトアップを撮る。
スマホの電池残量は10%。
読書会会場への途次、つけっぱなしにして道案内にしたのが負担だったのか、それとも、バッテリーがもうへたってきたのか、もう少し様子を見よう。
昨21日、昼食を終えた後、たまたまTVのチャンネルをいじっていたら、ショパンコンクールで2位入賞を果たした反田恭平氏が目に飛び込んできた。そのチャンネルに固定して観ていたら、彼の経歴などの紹介とインタビューのほかに、「英雄ポロネーズ」と小品を2曲、合わせて3曲の演奏も聴くことができた。
TBS系の「ひるおび!」というニュースバラエティ番組で、いつも観たことがないのに、たまたまチャンネルをいじっていてでくくわし、なにか得をした気分に。
それにしても反田氏、風貌のみならず話し方なども20代とは思えない貫禄ぶり、Wikiの紹介では、ピアノ演奏家、指揮者、それに「実業家」とあるのに納得も。
なお、「英雄ポロネーズ」(ショパン ポロネーズ第6番)は、私がはじめて集中して聴いたショパンの曲。60年以上前、アンジェ・ワイダの映画、『灰とダイアモンド』のあのラストシーンとともに・・・・。
漬けて一週間余野白菜漬け。もう2回ほど食べたが塩加減もまあまあ。これ以上漬けておくと酸っぱくなってくるので大型のタッパーに移して冷蔵庫で保管することに。一個の白菜を8つに切って漬けたので、あと6回、今年中は楽しめそう。
それにしても昆布が目立つなぁ。そんなにたくさん入れたつもりはないのだが・・・・。
ニュースで、豊作のせいで野菜が安くなっているといっていた。豊作貧乏みたいで農家の方々には申し訳ないが、消費者としてはありがたい。
スーパーでもたしかにそれを実感できる。法蓮草は時として200円台の後半にまで至るが、いまは100円台の前半だ。
農協の方はもっと安い。
・法蓮草 100円 ・ねぎ(10本ほど)100円 ・小松菜2束 160円(茎がしっかりしたシャキシャキ感のあるものと、細くて柔らかそうなものと2種類をゲット) ・水菜 80円 ・ブロッコリー(とても一回では食べきれないデカさ) 100円 ・白菜(中たま) 110円
合計7点で650円
一点あたり100円を切るお値打ちさ。
いちばんありがたかったのは白菜のやすさ。早速、八等分に切って干した。
もちろん、今季初の白菜漬けへのチャレンジ。
ここに載せた写真は、過日豊橋へでかけた折の帰途、名鉄豊橋駅のホームで撮ったものです。ただし、最後の一枚は名鉄岐阜駅へ着いたときのものです。
夜のプラットホームは寂しいものです。ましてや初冬の折から、ひとりぽつねんと佇んでいるとなおさらです。
動画は名鉄豊橋駅のプラットホームからのものです。まず過ぎゆくのはJR東海道線の在来線です。その後、ひとが列をなしているのは新幹線の豊橋駅ホームです。意外と多くの客が降りてきますが、週末金曜日の午後7時過ぎ、東京方面から帰ってきた人たちでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=Ces6MKDxk-I
「夜のプラットホーム」といえば、私のような年配の者が思い出す歌があります。同名の歌謡曲(作詞:奥野椰子夫/作曲:服部良一)で、戦後(1947年)、二葉あき子が歌って大ヒットしたのですが、実はこの曲、すでに戦時中の1939年、淡谷のり子の歌でリリースされていたのでした。
しかし、その折、全体に歌調が暗く、出征兵士を見送る機会が多い折からふさわしくない、とりわけその歌詞に「きみいつ帰る」とあるが、戦場に出かける際は「帰る」は禁句で、出征兵士は「行く」のではなく「逝く」のだという覚悟が必要として、発禁処分になったのでした。
ですから戦後のそれは、戦前のもののリバイバルだったわけです。
https://www.youtube.com/watch?v=Eep_VL8kXGE
しかし、この発禁処分には面白いエピソードがあって、作曲者の服部良一はこれに屈することなく、次のような抵抗を試みたというのです。それをWikiから引いておきます。
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その2年後の1941年(昭和16年)、「I'll Be Waiting」(「待ち侘びて」)というタイトルの洋盤が発売された。作曲と編曲はR.Hatter(レオ・ハッター、=服部良一)という名前の人物が手がけ、作詞を手がけたVic Maxwell(ヴィック・マックスウェル)が歌ったのだが、この曲は『夜のプラットホーム』の英訳版であった。そして、レオ・ハッターとは服部良一が自身の名をもじって作った変名で、ヴィック・マックスウェルとは当時の日本コロムビアの社長秘書をしていた、ドイツ系のハーフの男性の変名であった。
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どうやら検閲官は英語に暗く、これが発禁にしたものと同じものだとは気づかなかったようで、無事パスしたのでした。しかし、同年の末に真珠湾奇襲があり、日米開戦に至って、英語の歌は敵性言語によるとして事実上歌われませんでしたから、日の目を見た期間は短かったわけです。
なお、この服部良一、1926年に大阪フィルに入り、そこでロシア革命絡みで亡命してきたウクライナ人の音楽家エマニエル・メッテルに師事し、音楽理論、作曲、指揮などの指導を受けたといいますから、もともとはクラシック畑のひとです。その折の同期には、長年大阪フィルを率いた朝比奈隆もいました。
そうした経歴をバックに、歌謡曲の歴史において、演歌調のものが古賀政男に代表されるとすれば、ポップス調のものは服部良一に負うところが多いのです。
この「夜のプラットホーム」はタンゴですが、他に、ジャズ、ルンバ、ブギ、ブルースからシャンソン風のものまでその作曲はとても多彩でした。
なお、良一に続く子孫も音楽家揃いで、息子の克久(故人)、孫の隆之はそれぞれ作曲や指揮など広範囲に活躍しています。また、隆之の娘(=良一のひ孫)服部百音は若手バイオリニストとしてただいま人気上昇中です。
ワックスマン作曲「カルメン幻想曲」の演奏を貼り付けておきましょう。