六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

雨の日のオッサン@図書館  幻想的な展示を観た!

2010-07-30 18:07:14 | アート
 雨が降るなか県立図書館へ行った。今日は車だ。
 雨降りだから地下の駐車場もすいているだろうという判断が間違っていた。

 考えて見ればもう夏休み、好天ならプールなどのアウト・ドアに向かう親子などがどっと図書館へなだれ込んだのだろう、駐車場の入り口には「ただいま満車」とあり、その前に数台が待機していた。
 気の短い私は、とって返そうかと思ったが、今日が返却日のものが二冊ほどあることを思いだし、その最後尾に付けた。
 幸い、気の短い私を待たせる限度ギリギリの一五分ほどで駐車場内に入ることが出来た。

       

 館内へ行く。今日の返却は前に述べたように二冊だったが、そのほかに数冊を返却カウンターに置いた。
 なぜ、そんなことをしたかというと、この数冊、「あ、これが必要だ」、「そう、これも必要だ」と何回にも分けてだらだらと借りて来たので、どれがいつの返却日か自分で管理するが困難になってきたからだ。
 それに、その都度返却も面倒だ。

 私はいった。
 「これらを全部返却します。ただし、こちらの数冊についてはもし予約がなければ継続してお借りしたいのですが・・・」
 これはある種の賭である。もし予約が入っていたら私が読みかけたものが取り上げられてしまうからだ。

 幸いにもどれも予約がなく、数冊はすべて私の手に戻った。
 しかも返却期限が同一日に揃ってだ。
 なんと賢いやり方であるか・・・と、自分を誉めてやった。
 そのほかにも雑誌を一冊借りた。

  

 で、帰ろうとしたら、館内の一角のあまり大きくない展示室になにやら面白そうなものが飾ってある。
 近寄ってみると、「絵本のなかの住人たち」展と題されたそれは、岐阜市出身の画家・高橋ユタカが、岐阜県図書館が所蔵する絵本の中からいくつかのおはなしを取りあげ制作したアクリル画・切り絵・ペーパークラフト(モビール等)のさまざまな手法を用い描き出した作品の展示で、幻想的でけっこう雰囲気のいい空間を作り出していた。

 大人の私が観ても面白そうなのに、図書室には子連れがあふれていた割に、ここには私の他の観客はいない。
 ひととおり観たあと、写真に撮りたいなと思ったが、たいていこうした催しは撮影禁止と相場が決まっている。
 念のため、入り口へ戻ったり場内を確かめたりしたが、撮影禁止とはどこにも表示されていない(「作品に手を触れないで」というのはあった)。

       

 これ幸いと、人気配のないのを確かめて携帯で撮ったのがこれらの写真である。
 数枚撮ったのだが、やはり遠慮がちに撮ったせいかうまく撮れていたのは少なかった。それに作品がガラス越しなので、フラッシュが反射したりして難しかったこともあった。

 写真を撮りおわった頃、やはり私と同じような年頃の男性が入ってきたが、私は何食わぬ顔でそこを離れた。
 中途半端な雨がだらだら降り続けるなか、家路についた。
 ワイパーがフロントグラスをスウィープすると、そのすぐ前を濡れ燕が一羽、スイッと横切っていった。

 

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夏ばての夏ばてによる夏ばてのための川柳もどき

2010-07-28 03:05:47 | 川柳日記
【変わる】
  なぞなぞの答えが変わる月の宵   
  しなやかに変わるあなたのシンフォニー
  横文字に変えても嘘は縦のまま

 
  
【豆腐】
  奴にも崩れるほどの歴史あり
  曖昧な二人湯豆腐つついてる
  テロリズム 対角線に切る豆腐

   

【傾く】
  ロボットを真似てあなたは傾かぬ
  中立という傾きに溺れてる

 

【五】
  五入まで至らぬ四捨とともにいる
  確かさは五感からややずれている

   

【蛙】
  この辺りまでが希望と蛙跳ぶ
  ひとしきり哲学をして跳ぶ蛙

   

【父】
  インパール辺りも雨か 父眠る
  目の前を確かに通り過ぎた父


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夢のロックン・ローラと「暑中見舞い」

2010-07-26 02:23:38 | 想い出を掘り起こす
 修学旅行の宿舎で、唐草模様の風呂敷を被り、母と、そして今はなき私の愛した女性を偲んで、スロー・バラードのロックを唄っていました。
 知らない間に各部屋からやってきた男女の学友たちが感動して体を揺らしています。それらの感動がまた私を揺さぶり、私は泣き出さんばかりにサワリの部分にさしかかったのですが、そこで目が醒めました。
 ひょっとしたらほんとうに泣き声を出していたかも知れません。

  
      途中の景勝地・寝覚の床 浦島太郎はここで目覚めたという

 もちろんこんな実体験はありません。
 私の修学旅行は半世紀以上前ですから、ロックもプレスリーもまだありません。
 ペレス・プラードのマンボがやっと上陸しはじめた頃でしょうか。
 だいたいにおいてマンボはアップ・テンポな曲が多かったので、ややスローな曲といえば「セレソローサ」ぐらいでしょうか。 

 で、そんな夢を見たのはなぜかという俗流フロイディアンばりの夢解釈は行いません。
 私も一応、彼の「夢の解釈」を読んではいます。しかしというか、だからというか安易に夢分析などというものは行いません。
 なぜなら、フロイト自身が、夢解釈というのは個別的であり、夢に現れた記号的要素を日常言語に置換すればそれがなし得るとはけっしていってはいないのです。
 ようするに夢の翻訳は、Googleの翻訳機能を緻密にしても不可能なのです。

  <photo src="v2:315485643:l">
       木曽駒 どうしてこんなに優しい目つきが出来るのだろう
 
 フロイト自身がそこで行っている解釈も、その対象者の置かれた状況を事前によく知り、なおかつその対象者の過去や人間関係について知り尽くし、さらに最近、その身に起こった事柄の概要を知った上でやっと夢解釈にとりかかっているのです。
 ですから、巷間、よく言われるように、「こんな夢を見たがどうだ」といわれるほど安易なものではないのです。

 フロイトの夢に関する理論は、その後いろいろな批判にさらされています。
 しかしながら、夢というそれ自身不可思議で不合理なものを、日常的な意味の世界へと解釈できないかと考え実行したことはすばらしいことです。
 また、そのために、夢見る人の状況を予め緻密に調査するというのは、幾分、循環論的な感じもしますが、いわゆる解釈学的循環として許されるべきであり、一つの積極的なアプローチの仕方でもあると思います。

  
          御岳 逆光だがその存在感はすばらしい

 あ、おしゃべりが過ぎました。
 なぜ、そんな夢を見たのか前後の状況だけ報告致しましょう。
 ここ何日か異常に暑いので、皆様に「暑中見舞い」をと思い、先週、あるグループで訪れた信州は開田高原の写真などを載せようかと思ったのです。
 しかし、パソコンに向かった時点で、猛烈なけだるさと睡魔が襲いました。

 普通はこの時間は私にとってとてもアクティヴな時間帯なのですが、今日はもっとも日射が強い折、郵便局へ徒歩で手紙を出しに行ったことが確実に影響しているのだと思います。
 近くにポストはあるのですが、そこは日曜日は一回しかもって行きませんし、その時間はもう過ぎていました。そこへ行ってからはじめてそれと知り、それではと少し離れた郵便局まで歩きました。そこは一日四回ほど集めに来ます。

 その折り、猛暑対策を充分していなかったのだと思います。
 アポロンに逆らうイカルスのようなものです。

  
        渓のある暮らし アマゴやイワナとともに共生したい

 というようなわけで、もとはといえば皆様への暑中見舞いが発端でした。写真だけピック・アップした段階で猛烈な疲労と睡魔により中断したものをここに再現する次第です。
 題材は、信州は開田高原です。
 各地でこの夏の最高気温を記録した日、この高原も暑かったのですが、平地との乾燥の度合いの違い、空気そのものの爽やかさなどで別天地でした。

 これらの写真を掲載し、暑中見舞いと致します。
 私自身、過去、軽度な熱中症を三度ほど経験しています。
 寄る年波からいって、今度不用意に体験したらもう皆様とおさらばになるでしょう。

       
                そして、夕月

 私を71年間、照らし続けてくれたお日様にはまことに申し訳ないのですが、しばらくはあなたを避けさせていただきます。
 ゴメンナサイね。
 

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黄昏賛歌 消費されるな 消費せよ

2010-07-23 23:06:28 | よしなしごと
       

 都会は黄昏時が面白い
 それは 朝から稼働していた自動マシンがふと停止し
 拘束されていた人たちがどっと溢れ出す時間でもある
 夕映えに輝く建造物は 機能本意のありようを一瞬停止する

   

 でもって溢れ出した人々は それぞれの消費へと走る
 ものを買う 飲む 喰う しゃべる 歌う
 明日また自動マシンの前にひき据えられることはこの際忘れよう
 人々は黄昏の一部と化し 黄昏がそれを消化する

       

 黄昏は 昼と夜の陰謀を中和し いずれへも溶け込むから
 それ自身の不定型な輪郭を失いながら美しい

   

 巨大な人工物が 夕日に照らされると美しくなるのは驚異的だ
 人間は馬鹿なものをたくさん作り続けてきたが
 それらを世界へ美しく据えようという
 スノッブな欲望や配慮をも秘めてきた

       

 目くらましや欺瞞として目を逸らすのは臆病だ
 威圧感として恐れおののくのもちょっと違う
 人間は自分の身の丈のものしか作ってこなかったし
 これらとてけっして例外ではなく われらが身の丈なのだ

   

 人の歴史をゆがみとして葬り去るのは特殊なイデオロギーだ
 いつだってそこで人は生き つねに誰かであったのだから
 眼前にあるものを虚妄として避けるのもばかげている
 それらを享受し尽くすほかに戻るところがあるのだろうか


       <
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半世紀前の私と出会うために・・・名古屋市北区柳原通り

2010-07-20 17:51:02 | 想い出を掘り起こす
 梅雨が明けたらいきなりの猛暑、連休ともあって女性の浴衣がけの姿が降って湧いたように街にあふれ出した。
 みんなキャワイイッ!
 岐阜駅の構内で、若い白人系の女性の浴衣姿に出会った。
 その彼女、浴衣の帯を胸のすぐ下で結んでいたのだが、そのすらりとした肢体や足の長さからしてどうもすこし上過ぎるのだ。いってみれば与太郎風なのである。

 よほど、「あなたのスタイルからしたら、もう少し下で帯を結んだ方が素敵ですよ」といってやろうかと思ったが、「変態じじいの余計なお節介」と思われて国連にでも提訴されてはと思い黙っていた。
 もっとも帯の位置が高かろうがなんだろうが、若いというのは素敵で美しい。浴衣への好奇心もすばらしい。
 すれ違いざま「ワンダフル!」と小声で言ったのだが、聞こえたと見えて「センキュー」と明るい声がかえってきた。

  

 と、ここまでは前振りで、ここからが本文。
 最初の写真、なぜ私のような年配者が「青少年交流プラザ ユースクエア」かと思われることであろう。
 実はここで若い人たちとの勉強会があり、それに出席したのである。
 テーマは「ヘーゲル『歴史哲学講義』序説を読む」という真面目なもの。
 がしかし、それも本題とは関係はない。

  

       

 問題は、この建物の場所なのだが、ちょうど半世紀ほど前、名古屋城内にあった学生会館(今はない)にほとんど不正入居していた頃、よく徘徊した街、柳原通りという商店街のほとんど南のはずれに位置するのだ。
 なぜこの辺を徘徊したかというと、その学生会館というところ、風呂がなかったため、この辺の銭湯にまで入りに来るのが習わしだったのである。
 友人たちと放歌高唱して通ったり、60年安保のまっただ中、活動家の根城であった学生会館を見張るかのように周辺に配置されたパトカーや、明らかに張り込みの車とおぼしきものの目を盗むようにして通ったこともある。

  
   当時は柳原温泉といったが、そういう名だったのか、私たちが勝手に
   ふざけてそう呼んでいたのか記憶にない 「オイ、温泉行くぞ」で通じた

 
 着いてからシマッタと思った。予めこの建物が柳原通りに近いことは知っていたが、こんなに近いとは知らなかったのだ。知っていたらもう少し早めに来て、この商店街の南の方角も探検できたのにと悔やんだがもう遅い。
 それでも、開始の定刻前の僅かな時間を割いて、その通りの北の部分を撮った写真がここに載せたものである。

  

 不幸にしてここの商店街も、全国の数あるそれらとともに地域格差の波にもまれ、さしたる発展を見なかったせいもあって、半ばシャッター通りとなりつつも往年の面影を色濃く遺している。
 その一部しか撮れなかったのはとても残念だが、また機会があったら是非訪れ、当時食えなかった抹茶金時などのかき氷など食べてみたいものだ。
 そうそう、その前にかの柳原温泉(天徳湯)へ入らなくっちゃぁ。

 会が終わってから、若い人たちと黒川に出て食事をした。
 ここもまた、私が家庭教師のバイトでしばらく通ったところであった。
 40円のバクダン(焼酎をラムネで割ったもの)2杯と10円の串カツ2本で合わせて100円。それでもいつもというわけには行かず、バイト代が入ったりした日の大盤ふるまいであった。

  
         堀川にかかる金城橋 ここまでが柳原通りか

 半世紀経てばたいていのことは風化する。その折りの自分の思いなどの記憶も詳細はもはや他人事のようであったり、適当に美化して蓄えているに過ぎない。
 私はどこから来て、今どこにいるのか、それらを少し大きな観点も含めて描いて見たいと思い、勉強を始めたところである。

  
     堀川沿いの緑地帯 川の水は汚い 庄内川の水を流せばいいのに

 柳原通りを見ながら、あそこを半世紀前の若き日の自分が歩いていたのかと思うと、なんだかその自意識だけ過剰でヒョロヒョロしていた当時の自分に出会ってみたくなった。「おい、おまえがんばれよ」と声をかけてやったら、きっときょとんとすることだろう。
 それとも、あの白人の浴衣の女性のように「センキュー」などと言い返すだろうか。
 いやあ、あの頃の自分にはそれだけの度量はなかっただろうなあ。


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花とボトル・シップと拷問

2010-07-17 03:46:09 | 写真とおしゃべり
 名古屋城の北側、名城公園のなかにあるフラワープラザというところへいった。
 この名城公園というところ、名古屋城内にあった旧六連帯の練兵場跡で、半世紀前、私が学生時代にはほとんど整備もされていない草むらであった。やはり名古屋城内にあった学生会館の猛者どもが、ここで捕らえたタヌキで、タヌキ汁を作って喰ったという話もあったぐらいだ。

  

 今では公園としてすっかり整備されて、平日の昼日中なのに、ジョギングをしたり歩いたりしている人たちが結構いた。
 広大な土地のなかにテニスコートやプールなどもあり、その一角のフラワープラザへ出かけたわけだが、残念ながら花を見に行ったのではない。
 そこにある建物の中でのある集まりに出かけたのだ。
 従って、花の写真は、公園入り口からそこへ行き着くまでのものである。

  
      西洋風蝶草(せいようふうちょうそう)=クレオメという花

 花はろくすっぽ見なかったが、その代わり、目の保養になるものは見た。
 その会合の出席者でもあった先輩のSさんがそのホールでボトルシップの個展を行っていたのである。

  
               これは葉鶏頭

 ボトルシップというものがあることは知っていたし、遠目では見たことがあるが、近くでまじまじと見るのははじめてである。
 制作者のSさんが、出品物の傍らに置いた説明書に書いているが、はじめに「あれ?」と思い、ついで「あれ!」と思うというのはまさにその通りである。
 はじめの「あれ?」はこんな狭い口の中でよくもまあという驚きであり、つぎの「あれ!」はその精巧さと美しさ、ガラス瓶のなかという静謐な箇所に実現したアナザー・ワールドへの感嘆のそれである。

  

 そこへ、作者のSさんも現れていろいろレクチャーを聞く機会を得たのだが、私自身、大きな勘違いをしていたことに気がついた。
 というのは、ボトルシップというものは、長~いピンセットのような道具を用いて瓶のなかで組み立てるのだとばかり思っていたのだがそれが大違いなのだ。なかに入っている帆船などはほとんどが瓶の外で組み立てられ、しかる後に瓶の中へと入れられるのだという。

      

 ちょっとマッタ!と私ならずともいいたいところだろう。
 瓶の口の口径より明らかに高いマストなどがどうして瓶の中に入るのかである。
 Sさんの説明によればこうである。
 外で組み立てる段階で、中へ入れるための方策を念頭に置き、各部分にまるでマリオネットのように糸をめぐらせ、細くしたシップを瓶の中に入れ、この糸を引っ張るとマストが立ち、これを引くと帆が広がるという具合に基本を仕上げ、しかる後にそれらの糸を細い器具の先に付けた刃物で切り取るというのだ。

 なかで組み立てるのも気の遠くなるような話だが、予めなかで形状を回復させるための可動式組み立てとそれらへの糸の配分自身も決して分かりやすいものではない。
 仕掛り品がひとつあって、「ここをこう引っ張ると・・・」とSさんが説明してくれたのだが、精巧なマリオネットの操作を見ているようでちんぷんかんぷんであった。

  

 ネットで調べたら、どの世界にも悪い奴はいるもので、偽ボトルシップというものがあるのだそうである。それによれば、瓶の底を切断して出来合いのシップを入れ、巧妙にその底を接着するのだそうだ。
 これなら私にも出来そうだが、よく考えたら私にはそのシップを作る能力がないのである。巧妙にガラスを接着する能力もだ。

 その点、Sさんのシップはよくできている。
 ディティールを省略することなく、日本丸の窓や救命ボートも精巧に再現されている。もちろん、瓶の底にはあとで接着した痕跡などはない。
 感嘆することしきりである。

      

 いってみればミニチュアのシップがが瓶の中にあるだけなのだが、それだけでも何か特殊な世界を表象しうるのはとても面白い。
 考えてみたら、恣意的に世界を拡大したり縮小したりすることが出来るのは人間だけであろう。そのことによって人間は、自分の住まう世界がきわめて恣意的なものに過ぎないことを「知って」いるのだが、そのことと自分の住む世界をほんとうに相対化できることとはまた別のことのようだ。


ボトルシップ作りは、私にとってはほとんど拷問です。
 冷房がガンガン効いた部屋で(冷房は苦手なのです)ボトルシップ作りを命じられたら、それとの引き替えにあることないことたいていのことは白状してまいそうです。
 

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だらだらだらっとした日記・週末

2010-07-13 00:29:36 | よしなしごと
 梅雨の晴れ間、朝から予定が立て込んでいる。
 例によって自転車での移動。
 朝一で地区の写真倶楽部へ。
 会員の作品の講評などを聞く。

 その足で県立図書館へ。
 借りていた本の返却。
 お気に入りの南京ハゼの木を見る。
 折しも花盛り。
 形状もそうだが匂いも栗の花に似ている。

  

      

 その匂いに誘われて蜂が来ている。
 わが家の近くであまり見かけないので嬉しい。
 蜜蜂はややピンぼけだが羽が光って撮れた。
 クマンバチは完全にピントがずれているがいたという証拠に。
 こいつ、どういうつもりか一度、私の帽子の庇に止まった。

           

 うちへ帰り昼食をかき込んでからJR岐阜駅へ。
 といってもいつものように名古屋へ行くわけではない。
 隣接する「ハートフルスクエアーG」の二階で
 知り合いが書道展に出品しているのでそれを見に行ったのだ。
 ちょうどその知り合いがいたので案内してもらう。

 漢字や変体仮名の歌などだが同じ先生の同じお手本によるから
 書かれている内容は微妙に違ってもどれも同じように見える。
 私のような粗雑な目ではその巧拙、個性などは分からない。
 
 変体仮名を読むのも難しい。
 その書の下に変体仮名を含めたその歌を活字体で添えたらとも思う。
 もっとも書はその文字の意味するところとは離れたアートだということなら
 書かれていることはどうでもいいことになる。
 でもそれもなんか違うような気がする。
 絵画とは違って書かれているのは紛れもなく「文字」なのだから。
 
 その知り合いのの娘さんがやってきたので、
 バトンタッチで会場を辞する。
 あ、せっかくだから作品を写真に収めてあげたらよかったと思う。
 下司の知恵はいつもあとからやってくる。
 肝心なことを忘れたくせに
 その一階下のファッションライブラリーで
 余計な写真を撮るのだから困ったもんだ。
 確かに書道に比べればこっちの方がカラフルだ。

  

 ここから夕方の会合まで時間が空く。
 映画が一本観られる時間だが
 あいにく時間帯が一致して観たいものはない。
 それに岐阜市内ではスクリーン数が少なく選択肢が少ない。
 持ってきた本をノートをとりながら勉強しようと
 今度は同じ建物にある岐阜市立図書館のJR分館へ。
 しかしここ人の出入りが激しく落ち着いて勉強など出来ない。

 諦めて、2キロほど離れた同図書館の本館へ。
 こっちは古いが、学習室が設けられていて集中できる。
 しかし、やたら冷房が効いていて寒い。
 苦情を言おうと周りを見渡すと
 Tシャツ一枚やタンクトップの若者たちが平気な顔をしているので
 これでは単なるクレーマーにされそうだと
 予め用意をしていたサマージャンパーを羽織る。

 6時まで大丈夫だから5時半頃に出ようと思ったら
 5時になったとたん閉館だから退去せよとのお達しが。
 そうか、6時までは県立図書館の方だった。
 そういえば、今日は図書館三軒をはしごしたのだった。
 というと本の虫のようだが
 実際に活字に目を通したのは一時間強でしかない。

  

 夕方からの会場近くの市民センターへ移動。
 同ホールのロビーで区切りのいいところまで読んでおしまい。
 余った時間で外の公園に保存してある名鉄電車の古い車両を撮す。
 かつて岐阜市内やそこから郊外へむかう路面を走っていた車両を
 その廃線に伴いモニュメントとして展示したもので
 前にも一度撮したことがある。

        

 前面のガラス窓が五枚で車両先頭部の丸みに対応し
 さらに乗降口の横の窓は丸窓になっているこの車両は
 名鉄の「モ510型」で、この車両はそのうち「513」。
 姉妹兄弟にあたる「512」は廃線、廃駅となった美濃駅に
 そして、「514」はやはり廃線、廃駅の谷汲駅にある。

   美濃駅は岐阜=美濃間の美濃町線のターミナル。
    谷汲駅は岐阜=谷汲間の谷汲線のターミナル。


 集合時間の6時が近づいたので会場に向かう。
 そこで夕食をしながらの歓談と
 さらに喫茶店に移動しての継続
 合わせて四時間の集い。
 六人中、私が若い方から三番目
 みんなエネルギッシュだ。

 帰途、夜風が火照った頬に気持ちいい。
 これも自転車のひとつの魅力。



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軍刀立てのある家を買いませんか? 旧岐阜県知事官邸

2010-07-10 01:24:04 | 歴史を考える
 先日、かなり離れた床屋まで徒歩で行きました。
 それには二つの理由があります。
 ひとつはここしばらく運動不足気味なので、歩こうと思ったわけです。しかしそれにもまして、もうひとつ強い動機がありました。
 それは、自宅から床屋へといたる途次にあるある建造物を是非カメラに収めたいと思ったからです。

  
           車寄せポーチのある玄関部分

 それは前にも一度ここに載せたのですが、旧岐阜県知事官舎なのです。
 なぜ今更それをということですが、最近、ここをめぐって不穏な動きがあるからです。

 不穏といっても、私が勝手にそう感じるだけで、別に何かの陰謀がめぐらされているわけではありません。
 でも、どうも様子が変なのです。荒れ放題だった生け垣がばっさりと処分され、周りの樹木もすべて伐られ、庭に相当する部分も整地され、ようするに、この敷地の中にぽつねんと建物のみが淋しく残っているのです。
 そしてこの分では、この建物自体も処分されそうな気配なのです。

  
         建物裏手の全景 左は洋風 右は和風
 
 ここはやはり廃屋フェチの私の出番です。
 しかも相手は、歴史的建造物ともいえるものなのです。

 廻りには仮の塀がめぐらされ、塀のないところには虎模様のロープが張り巡らされていました。
 まずはその外から撮しました。
 しかし、この建物の全貌を記録するにはこれでは不十分です。
 ためらわずロープをくぐりました。
 建物を一周し、様々な角度から撮しました。

  
      和風部分南側 ひさしの屋根は後年瓦から改装している

 さて引き上げようかなという折しも、一台の乗用車が止まり、虎模様のロープを外して敷地の中に乗り入れてきました。
 万事休すです。
 私は紛れもない不法侵入者なのです。

 ドアが開いて男性が降りてきました。
 私より少し若い人です。
 私の方から進み出て詫びました。
 「申し訳ありません。子供の時から知っている建物なので、是非写真に収めたくて・・・」

  
       人がいなくなってから久しいのか内部は荒れている

 男性は私を一瞥してから、「ああ、構いませんよ。ここを懐かしがってくれる人は結構いらっしゃるのですから」。
 これで図に乗った私。
 「失礼ですがここの持ち主、武藤さん(かつての岐阜県知事でここを県から買い取った人)の関連の方ですか」
 「いいえ、その武藤さんからここを買い取ったものです」
 と、男性。さらに続けて、
 「今日もここを見回りに来たのですが、もし興味がおありでしたら中も見て行きませんか」
 との降って湧いたようなお誘い。

  
       斜めに走るは丸太造りの鴨居 これは珍しいという

 善人を絵に描いたような私の容貌が、不法侵入への非難はおろか、この歴史ある建物の内部の見学までをも現実化してしまったのです。
 「あ、はい、よろしくお願いします」
 と私。
 男性は、持参した鍵で扉を開け私を案内してくれました。
 いろいろ説明を受けながら、私はその男性に問いかけます。
 「いったい、ここをどうするつもりなんですか。ここを県の歴史的建造物として何らかの形で遺せないのでしょうか」

  
           廊下曲がり角の天井部分の細工

 以下、会話方式ではまだるっこくなりますから、男性の答えをかいつまんで述べてみましょう。
 それを実現するには二つの方法があるというのです。
 ひとつは、県が県政史上の有形の資料として買い上げてくれて、現県庁の近くなりに移転し保存してくれたらということで、それを県にたいして働きかけてはいるのだが・・・とのことでした。

 ふたつめは、この場所で、この基本的構造を遺したまま、内装を手直しし、昭和の建築物のレトロさ、しかも知事官舎であったということを強調したコンセプトで飲食店などの営業店舗として利用してくれればということで、その引き受け手を捜しているということです。

 ひとつめの案は、県民の税負担との関連で検討されねばならないでしょう。
 ふたつめの案は面白そうです。
 レトロ「風」の店はごまんとありますが、ここは正真正銘のレトロなのですから。
 私に、資本力と起業精神があり、そして何よりも若さがあったら・・・。

  
             書院造り風の床の間

 いや事実、可能性はありますよ。
 ロケーションも悪くはありません。岐阜駅からまっすぐ南へ1キロ強、旧国道21号線との交差するところです。
 敷地にたっぷり余裕がありますから、駐車場も確保できますし、客席から臨むちょっとした庭園も造れます。

 手元にお金があって、何かやりたくてウズウズしているあなた、ご一考されてはいかがでしょうか。
 感じとしてはもちろん和食が似合うのでしょうが、思い切ってフレンチやイタリアンでもいけそうです。いずれの場合もBGMはバロックがいいと思います(と私の趣味の押し売り)。

      
           銅(あかがね)のドアの取っ手

 さっきから私が、知事「官舎」といっていることに違和感をもたれた人はとても鋭い方です。普通は知事の公邸、公舎というべきところですよね。
 しかし、ここは紛れもなく知事「官舎」だったのです。
 なぜかというと、今のように知事が選挙で選ばれるようになったのは、日本が敗戦を迎えた2年後、地方自治が運用され始めた1947(昭和22)年からで、それ以前には知事は中央政府(主として内務省)が任命する官選の官吏だったわけです。

 以上が、ここが公舎ではなく官舎であったことの理由ですが、私を案内してくれた男性もその辺には精通しているようで、「岐阜はどうも長州閥系の知事が多かったようです」と教えてくれました。
 そしてその証拠として指し示したのが、玄関脇にある一見、傘立てと見えるものの正体です。

     
            これが傘立てならぬ軍刀立て

 なにやら武骨な傘立てだなぁとは思ったのですが、なんとそれは「軍刀立て」なのでした。長州閥の末裔が勤める知事を、長州出身の軍人たちが訪れ、ここにその軍刀を立てたのでした。
 実際のところ私自身、戦前の幼少時、街中を軍刀を携えた士官級の軍人(岐阜の場合ほとんど陸軍)が、あるいは軍用車で、あるいは騎馬で通りかかるのを見たことがあります。

  
      下の凹みは鐺(こじり=鞘の先端の部分)を収めるためのもの

 なんかそれだけでも歴史を感じる建物ですね。
 他にも、今日の職人がなし得るかどうか分からない長尺の丸太造りの鴨居、廊下の曲がり角の工作、ドアの真ちゅうの取っ手、書院造り風の床の間、天井や欄間の造り、そして玄関応接間部分の洋風とその他の部分の和風の絶妙なバランスなどなど、これらが単純に壊されてしまうのはいかにも残念なのです。

 そうなんです、今年の秋頃までに上に述べた二つの案のいずれかが実現しない場合、この建物は取り壊される運命なのです。
 だからこそこの建物は、通りかかるたびに、「俺を撮せ、俺を記憶せよ」とうるさく私にささやき続けたのです。

 一応、撮影に関しては、思いがけずその内部まで叶いましたが、この建物の運命は未定で、それは今秋には決定されるはずです。
 どうやら、たぶん秋口までには私の寿命も持ちそうなので、その行く末を見届けてやりたいと思っています。

  
                欄間の細工

 ここがもし飲食店になどなったら、多少高い店でも、一度訪れてみたいものです。
 もちろん、軍刀を携えてではありませんが・・・。
 今秋、何らかの動きがありましたらまたここで報告するつもりです。
 





 
 
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ぶらぶら徘徊記 ぼけても闘え!

2010-07-06 03:48:47 | よしなしごと
 行方を定めぬ旅は楽しい。
 などと書くと気ままな旅に出たようだが、たった半日の外出である。
 行方も二箇所、つまり二つの用件については決まっている。しかし、それも何時にと決められているわけではないので、どのルートをとり、どこへ立ち寄ろうとも自由である。しかも、自転車だから、ここぞという箇所で勝手に止めて時間を過ごせる。

 もう真夏並みの暑さだ。一昨年、この地方が40度近くになった折、やはり自転車でぶらぶらしていて軽い熱中症にやられた(半日のダウン)ことを思い出し、帽子を被り、それに備えた。

 こういう時には多少遠回りしても、いつも通らない道を通るに限る。
 そのせいで、早速今では珍しい光景に出会う。
 傘を干しているのだ。
 傘を干すといっても雨に濡れたそれを干しているわけではない。
 製造過程の途中での乾燥作業なのだ。

   

 主とおぼしき人がいたので、写真を撮らせてもらいたい旨告げたら、「今日はこれだけしか干してないから、もっとたくさん干してあるときに来なければ」といいながらも承諾してくれる。
 実は前にここを車で通りかかり、カラフルな何本かの傘が干してあるのを目撃したことがあるのだ。車一台しか通れないような路地なので、改めてと思っていて場所も定かでないほど忘れてしまっていたのだ。今日ここへ来合わせたのもまったくの偶然であった。

 子供の頃育った岐阜の加納地区は、全国で名だたる和傘の産地であった。天候のいい日には、空き地という空き地のいたるところに傘が干してあった。そんな近くでキャッチ・ボールでも始めようものなら、どこからともなく大人たちが飛んできて、「コラッ」と追っ払われるのが常であった。

 それらの光景は、昭和の30年代に入り、洋傘が主流になるにつれて次第に消えていってしまった。だからこそ懐かしいさがいっぱいなのだ。
 ここへは、もっとたくさん、カラフルなものが干してある頃を見計らって再訪したいものである。

   

 この写真だけではなんだか分からないだろう。
 実はこれ、下の写真の左端に褐色に見えている部分なのである。
 上を走っている電車は、名古屋鉄道(通称名鉄)名岐本線であるが、その橋脚なのである。

   

 なぜこんなものを撮したかというと、この部分のみ、とても古いからである。
 おそらく、旧名古屋鉄道が美濃電気軌道と合併し、名岐本線が開通した1935年(昭和10年)以来のものではないかと思われる。
 
 ではなぜこんなところに橋脚があるかというと、かつてJRの東海道線、高山線が下を走り、それをまたいで名鉄線が走っていたからである。ところが1996(平8)年、JR岐阜駅並びに各線が高架化され、今では名鉄線の上をJRが走っている。
 つまり、かつては一階をJR、二階を名鉄だったのが、今では三階をJRということになったわけである。
 従って、この古い橋脚は、そうしたかつての経緯を物語る証人としてここにひっそりと佇んでいるわけである。

       

 いつかは撮してやろうと思っていたのだが、それが果たせてよかった。もっともこんなことに気をとめる暇人は私ぐらいであろうから、こうして記録してもなんの意味もないのかも知れない。しかし、この煉瓦積みの橋脚は、私がそこを通るたびに、「俺を撮せ」と迫ってきたのは事実なのだ。繰り返す。撮してやれてよかった。

       
 
 話はいきなり柳ヶ瀬商店街へと飛ぶ。
 平日の午後の柳ヶ瀬はママチャリ・ロードである。かくいう私もその仲間。

 せめてもの賑わいに飾られた手作りの七夕を撮していたら、その陰から不意に美人が現れた。
 「あなた、べっぴんさんだからちゃんとカメラに入ってくれたらよかったのに」と声をかけたら、「アラ、やだ」と笑うしぐさと目つきが艶っぽい。思わずその人について行きたくなった。

   


 その後、高校時代の同級生がやっている果物屋に立ち寄る。
 あいにく配達中とかで彼はいない。待っているほどの用件もないので、「よろしく」と奥さんに告げて立ち去る。
 夕刻、彼から電話。もう一人の友人とともに後日の日帰り温泉プラス飲み会の約束が整う。
 少し忙しい時期だが、断らない。友と語らうことを忌避するだけの用件なんてそんなにあるものではない。

       

 帰途、あの橋脚を撮した近くの清水川に立ち寄る。もともとは自噴する箇所もあり、私の子供の頃はきれいな川だったが、高度成長期にはどぶ川と化し、いろいろ曲折もあってやっと蘇った川だ。今では鮎も遡上する。
 小橋の上から見ていると、たぶん白ハエたちだろう、体の大きい雄が、時折、婚姻色の虹色をきらめかせて雌に迫る。雌たちは、「アラ、あんまり私をお安く見ないでね」とするりと体をかわす。あちらでも、こちらでも・・・。

       

 するとそのとき、体長60センチほどの真鯉が悠然と姿を現す。
 今まで三々五々戯れていた小魚たちがそれを追う。鯉は岸近くの叢(くさむら)に頭を突っ込み、その後、ブハッと息を吐く。そのとき一帯に濁りのようなものが沸き立つ。小魚たちはそこへ突進する。おそらくその濁りとともに何か微生物たちが拡散されるのだろう。
 田圃での耕耘機のあとに群がるムクドリやカラスを連想した。

 かくして私の半日の旅は終わった。
 全く触れなかったが、当初に述べた二つの用件を無事クリアーしたことはいうまでもない。

<余談>
 柳ヶ瀬商店街を歩いていたら、車椅子のおばさんに、「ちょっとお兄さん、手を貸してくれ」と頼まれた。
 用件は簡単だ、「そこへ入ろうとしてるんだが入られへん」。つまり、ドアを開けてくれということなのだ。
 ガラスの大きい戸である。しかし私が手がけてもびくともしない。
 中に若い人たちがいるので、ドンドンとガラスを叩いた。
 すると彼らは、さかんに右の方を指さす。
 そちらへ行ってみると、そこに正規の出入り口があり、私が開けようとしていたのは大きな窓(といっても開ければ出入り可能)だったことが分かる。
 車椅子のおばさんをそちらへ押して行き、店内に入れる。
 おばさんは「兄ちゃん、親切にありがとうな」と礼をいう。

   

 しかしだ、いくら車椅子のおばさんが出入り口を間違えたからといって、指さすだけで全くわれ関せずというのはどういうことだ。とんできて正しい入り口へ導くことをなぜしないのか。間違えたお前が悪いのだということなのか。
 マニュアル社会の気味悪さのようなものを見てしまった。
 こうなったら、うかうかぼけてはいられない。

 

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どれだけお分かりですか? 野菜の花々

2010-07-04 04:21:14 | 花便り&花をめぐって
 田舎育ちで今なお片田舎に棲んでいる私にとってはなじみの花々ですが、都会にお住まいの方、以下の野菜の花々についてどれだけおわかりでしょうか。
 一部、野菜かな?というものがありますが、まあ、みんなその仲間です。
 どれがどの花かはともかく、みんなきれいでしょう。
 ゆっくり見てやって下さい。

 解答は末尾に示しました。
 
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 答えです。
 1 西瓜 2 玉蜀黍 3 茄子 4 苦瓜 5 山芋 6隠元豆 7 千石豆
 8 トマト 9 南瓜 10 蓮根 11 豌豆 12 馬鈴薯 13 ミント
 14 胡瓜 15 獅子唐 16オクラ 17鬼灯(ほおずき) 18鬼灯の畑

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