ロシアを非難するのもよかろう。ウクライナを支援するのもよかろう。しかし、自分は血を流さないところから、高みの見物で徹底抗戦をけしかけるのはいかがなものか。戦時中の日本の玉砕戦術と同じでいたずらに死者を増やすことになりはしまいか。
問題は悲惨の減少だ。少しでも死者を増やさないことだ。そのためにはどんな形であれ話し合いのテーブルにつくことが必要なのだ。
ここまで来た以上、正義や倫理が問題なのではない。プラグマティックで良い。死者を増やさない知恵こそが求められている。
などという大状況はカッコに入れて、老いの日々は営まれてゆく。
まずは食い物の話から。
【昼餉二題】
*某日
この間は暑くなったからといってざる蕎麦など作ったが、また少し肌寒いよう日々なので、温ったかいそば。
具は、別途煮込んだ揚げ、チクワとネギ。ようするに余り物をいろいろぶち込んだだけ。
*某日
久しぶりの焼きそば。ソバは別途それだけでカリッと焼き上げておいて取り出し、他の具を炒めた中に戻し入れ素早く仕上げるるという最近覚えたノウハウは有効だ。ソバがぐちゃっとしないでいい食感に上がる。
前のドラッグストアで、焼きソバ用麺が一袋19円なのはありがたい。
【最近ののお弁当から】
上からタケノコとエンドウの炊合せ、チクワのさっぱり煮、豚肉の生姜焼き風、卵焼き。
【植物たち】
桜桃は実が色づきはじめた。早く小鳥対策をと思うがここのところ多忙であと回しになっている。
樹齢50年余のツツジは今年は遅く、やっと7分咲きくらいか。例年のことだが、一枝だけ赤いのが混じるのがご愛嬌。
他にもう一本、赤いのがあるがこちらは5分咲きほどか。
植え込みの中に一本、ハルジオンが咲いている。普通、雑草扱いで抜かれる場合が多いが、この花は純白で清潔感があるので残してある。
最後はナンテン。生命力が強くて放おっておくとどんどん増え、また伸びる。
少し本数を減らし、現状3メートルほどある高さも、2メト以内に伐ってしまおうと思っている。せっかく伸びたものを・・・・という不憫さもあって伸ばし伸ばしになっているが、でも放っておくとお化け屋敷になってしまいので、伐るのも致し方あるまい。
こんなふうに書いてくると、なんか広い庭園をもっているかのようだがそうではない。
東向き玄関のイントロの両側の狭いところに、桜桃の木、ナンテン、皐月、葉蘭、赤いツツジの木などがある。家屋の南側のベルト状の空間があり、そこに日よけと隣の材木屋との目隠しに。レンギョウ、白いツツジ、雪柳、ナンテンなどが植えてあるに過ぎない。
だから、大木になると伐採される運命にある。いまその作業にかかっている柾のように。
■吉野家の常務、マーケッティング戦略の講座で、「生娘をシャブ漬けにするように」と語ったとして、人権やジェンダーの問題として波紋を広げている。
その例示、ほんとうに彼は八九三あがりではと思われるぐらい強烈だが、一方、ほとんどすべての商品販売者がそのように望んでいることは間違いない。何度も何度も繰り返される広告がそれを表している。
そして、かくいう私も、シャブ漬けのように買い続けている商品があるに違いないのだ。それが「商品」という世界なのだろう。
マルクスが、資本主義を語るとき、その端緒に「商品」を据えたことをあらためて考えている。
一番の出来は姫皮。満足満足。
*卯月某日 スミレの群生
近くのスーパーや歯科医へ行く道沿いにスミレの群生地がある。田んぼののり面がなだらかな雑草たちの棲家から垂直なコンクリートの壁に変えられてしまって以降、こうした場所は極めて少なく、貴重だ。
2,3年前、友人にスミレの種を採って送りましょうと約束したのだがまだ果たせていない。忘れたわけではないがタイミングが難しいのだ。花の部分がやがて鞘になって種を宿すのだが、それがまだ緑色のときは種そのものが若すぎる。それが黒色になったとき採取可能なのだが、それはどうやら短い期間らしい。
昨年、今ならと思って行ったら、もうみんな弾けてしまっていた。地表に落ちたそれを拾うのは不可能である。今年はタイミングを外さず採りたいと思っているが、さてどうなるか。Yさん、気長に待ってくださいね。
そのスミレの群生近くに生えていた可憐な花。花の一つ一つは一センチあるなし。これってなんの花かなぁ。
*卯月某日 食い物の話二題
《その一》 4月半ばなのに三〇度近い。食欲が無いので昼はあっさりとざる蕎麦と冷奴。そうだ、ひやむぎを備えておかねば・・・・。
《その二》 弁当を作る。これは最近のものから。
上から蕗の青煮、里芋の白煮、粟麩、豚切り落とし照り焼き風味、卵焼き。
*卯月某日 伐採は急遽中断
五〇年以上前からの柾の樹、新緑がきれいなのと南側の窓が緑陰になるので伸ばし放題にしてきたが、こちらの管理が不可能なほどに伸び、隣の材木屋さんの引き込み線に届きそうになったので、材木屋さんの職人さんに頼んで伐ってもらうことにした。
その作業の日、スペースの関係でいっぺんに根本から伐採できないので少しずつ樹をばらすように伐り進んだのだが、急遽中止することとなった。
あったのだ!そして、いたのだ!
そう、この樹には毎年キジバトが巣を構え、ほぼ二羽の雛を育てるのだ。数年前まではそれを確認していたが、上に述べたように樹が大きく茂り過ぎてからは確認できないまま、朝の縄張りの囀りで、あ、多分今年も来たなぐらいで済ませてきた。
それがこの時期、やはり営巣して、巣立ちまであと少しと思われる雛を二羽孵していたのだ。これを伐採するわけにはゆかない。急遽、中止とした。
ただ気がかりなのは、部分的に枝などが伐り払われ、樹の形状などが変わってしまったので、それを気にした親鳥が育児放棄したりしないかだ。
それから三日ぐらい経つので時々樹を見上げると、親鳥はいないが、雛たちが動く様子は見える。ということは、親鳥は餌を運んでいるのだろう。多分。
雛が巣立ったら最終的に伐採するとして、ただそうなると、長年続いたキジバトの営巣産卵との付き合いがなくなってしまう。それはそれで少しさみしいが、仕方あるまい。
*卯月某日 うちの植物たち
暑い日が続いて植物たちの様相が急速に変わった。玄関のイントロ付近の植え込みももうすっかり夏模様だ。伸び過ぎ模様だから少し刈り込まねばなるまい。
桜桃の実もしっかり付いてきた。そろそろ小鳥の食害からの防衛で、いらなくなったCDをぶら下げる時期だ。
ツツジの花も咲きはじめた。赤白、二本の樹があり、まだポツポツ花が開きはじめた段階だが、満開になると回りがパッと明るくなる。
嬉しいのは、昨夏、水やりをサボって枯らしてしまった(と思っていた)鉢植えのイチョウが生き返ったことだ。この樹、4~50センチだが樹齢は30年ほどになる。そして秋には一丁前に黄葉する。
ちゃんと反省して今年はしっかり水やりをすれば、秋にはまた目に染みるような鮮やかな黄色を目にすることができるだろう。
*卯月某日 兼好法師のおっしゃるとおり
兼好法師はその『徒然草』117段でこう言っている。
「よき友三つあり。一つには物くるる友、二つには医師、三つには智恵ある友。」
この三つをすべて兼ね備えた人から、越前の海での釣果のおすそ分けを頂いた。
上からタイ、中程にサバを挟んでカサゴ、右側にはアジが二尾。サバとアジは頭が落としてある。
荷解きをし、写真に収めてからさてどうやっていただこうか・・・・。そうだ、サバはアニサキス対策で24時間以上冷凍してから久々に酢じめにしよう。カサゴは煮付けもまるまる唐揚げも美味しいが、市販のものではできない刺し身も捨てがたい・・・・などなど、思いを巡らすのも楽しい。
いかん、生唾がでてきた。
JR東海の紹介などを参照すると、全ての座席が横並びのロングシートで、全車両に車いすスペース、全編成に車いす対応トイレを置き、防犯カメラやカメラ付き非常通話装置も備え、冷房の温度調節にはAI(人工知能)を使う。
また、バリアフリーの面では車両の床面を低くし、ホームと車両の段差を5センチ縮めて通りやすくしたようだ。
これは私の浅知恵だが、JR東海が東海道線に先駆けて最新車両を投入したのは、おそらく、リニア新幹線の岐阜県駅(名称未定)が中津川付近だからではないだろうか。
というのは、これまでは東海道線で使い古した車両を中央線へ回す例が多かったからだ。
*痴漢や掏摸の皆さんへ 監視カメラ付きですぞ!
久々に映画館で観たのはペルー映画「わたしはここにいる」だ。思わせぶりなタイトルだが、ペルー音楽をめぐるドキュメンタリーだ。「音楽があるところ私たちはいる、あるいは、私たちのいるところ音楽がある」といった意味か。
一応、中年過ぎのヴァイオリニストが、自分の楽器を携え、自分の音楽の先達や音楽仲間たちを訪問する旅に出るというのが大雑把なストーリー。そのヴァイオリニストは狂言回しの役割だ。
全体の構成としては、田舎のプリミティブな音楽や歌、そしてステップから始まり、次第に都市部へ迫り、フォルクローレのようなものからいわば演歌のようなものまで、その大半が独特の演奏とスッテプを伴って歌われ舞われる。
ヴァイオリニストの回る各地域の映像もまた見ものである。農民たちの水への思い、それに応えるようにほとばしる流れの荘厳さ。彼らの音楽はまた、自然への祈りであり自然との交流でもあるのだ。
彼らの音楽は共同体の共有物であった未分化の時代、つまり、表現する者がいて、それを享受する者がいるという近代的音楽の受給以前の面影を留めている。簡単にいってしまえば音楽が商品となる以前の面影を留めているということである。「わたしはここにいる」と演じるもの、「わたしもここにいる」と応じ、集団に加わる者たち。それが呼応しあい、周辺の自然をも巻き込んで歌と舞いが響きわたる。
とはいえ、実際のところはその存続は商品化以外には考えられない。こうしてそれらが収集され、映像として記録されること自体が、エコノミーの内へと招き入れられたということでもある。もちろんそれがいいとか悪いとかいっているわけではないし、それがなければ私はそれに触れることができなかったのだ。
ペルーといえばフジモリ時代からの混迷の歴史が伝えられているが、映画にはそれらは直接には出てこない。しかし「どちらからも攻撃された」庶民の立場、去っていった者たち、帰らない者たちへの切ない思いもまた歌となる。
出だしはのんびり観たり聴いたりしていたのだが、終盤には思わず身を乗り出していた。エンディングに至った折には、ああ、もっと聴いていたいなと思っている自分がいたのだった。
■予告編 https:/
【付録】戦中生まれの私の若い頃、学生や会社、仲間内での宴会の折、私たちが車座で歌ったのは各地の民謡であり、軍歌であり、旧制高校の寮歌などであった。最後の方では酒が入ることもあって春歌に流れることが多かった。
当時はまだ、中卒の人も多かったが、一高や三高の寮歌はみんな知っていた。春歌の段階になっても女性も笑顔で参加していた。そこには、歌を介してのある種の共同体意識のようなものがあった。その可否はいうまい。
その後、カラオケの時代になるに至って、状況は一変した。カラオケは、個が誰しも表現の世界へ立ち入ることができるような一見、民主的な装置だが、歌の商品世界の末端へと人々を組織してゆくものではあるまいか。
とはいえ、私自身、機会があれば蛮声を張り上げているのだが・・・・。
久々に映画館で観たのはペルー映画「わたしはここにいる」だ。思わせぶりなタイトルだが、ペルー音楽をめぐるドキュメンタリーだ。「音楽があるところ私たちはいる、あるいは、私たちのいるところ音楽がある」といった意味か。
一応、中年過ぎのヴァイオリニストが、自分の楽器を携え、自分の音楽の先達や音楽仲間たちを訪問する旅に出るというのが大雑把なストーリー。そのヴァイオリニストは狂言回しの役割だ。
全体の構成としては、田舎のプリミティブな音楽や歌、そしてステップから始まり、次第に都市部へ迫り、フォルクローレのようなものからいわば演歌のようなものまで、その大半が独特の演奏とスッテプを伴って歌われ舞われる。
ヴァイオリニストの回る各地域の映像もまた見ものである。農民たちの水への思い、それに応えるようにほとばしる流れの荘厳さ。彼らの音楽はまた、自然への祈りであり自然との交流でもあるのだ。
彼らの音楽は共同体の共有物であった未分化の時代、つまり、表現する者がいて、それを享受する者がいるという近代的音楽の受給以前の面影を留めている。簡単にいってしまえば音楽が商品となる以前の面影を留めているということである。「わたしはここにいる」と演じるもの、「わたしもここにいる」と応じ、集団に加わる者たち。それが呼応しあい、周辺の自然をも巻き込んで歌と舞いが響きわたる。
とはいえ、実際のところはその存続は商品化以外には考えられない。こうしてそれらが収集され、映像として記録されること自体が、エコノミーの内へと招き入れられたということでもある。もちろんそれがいいとか悪いとかいっているわけではないし、それがなければ私はそれに触れることができなかったのだ。
ペルーといえばフジモリ時代からの混迷の歴史が伝えられているが、映画にはそれらは直接には出てこない。しかし「どちらからも攻撃された」庶民の立場、去っていった者たち、帰らない者たちへの切ない思いもまた歌となる。
出だしはのんびり観たり聴いたりしていたのだが、終盤には思わず身を乗り出していた。エンディングに至った折には、ああ、もっと聴いていたいなと思っている自分がいたのだった。
■予告編 https:/
【付録】戦中生まれの私の若い頃、学生や会社、仲間内での宴会の折、私たちが車座で歌ったのは各地の民謡であり、軍歌であり、旧制高校の寮歌などであった。最後の方では酒が入ることもあって春歌に流れることが多かった。
当時はまだ、中卒の人も多かったが、一高や三高の寮歌はみんな知っていた。春歌の段階になっても女性も笑顔で参加していた。そこには、歌を介してのある種の共同体意識のようなものがあった。その可否はいうまい。
その後、カラオケの時代になるに至って、状況は一変した。カラオケは、個が誰しも表現の世界へ立ち入ることができるような一見、民主的な装置だが、歌の商品世界の末端へと人々を組織してゆくものではあるまいか。
とはいえ、私自身、機会があれば蛮声を張り上げているのだが・・・・。
そんなの当たり前じゃないか。かつての戦時中の日本を考えても見たらすぐわかる。戦争に反対する人は 果たして十数%もいたろうか。そして、国民には戦況の実情が本当に伝わっていたろうか。そんな事は決してない。
ミッドウェイ開戦のボロ負けで、その後は敗退の連続だったのに、大本営発表は「我が軍の大勝利、当方の損害は軽微」で、それを各メディアは報じ続けたのだ。
その筆頭に「朝日」がいたことはいうまでもない。
にもかかわらずロシアの例を、なにか鬼の首でも獲ったかのように言いたてる。戦争というものはそういうものなのだ。そして、戦時下で大きな顔をして報道できるのはそういう許されたメディアだけなのだ。
ここには、歴史的に自分たちが果たしてきた行為がまさにフェイクニュースのバラマキそのものであったことへの無知がある。さらにいうならば、ロシアという国のみがとりわけそうなのだという検証を欠いた思い込みがある。
そんなことだから「朝日」は、一方では安倍の悪口を書きながらも、もう一方では安倍の親衛隊のような幹部記者が、他誌が書いた安倍に取材した原稿を予め検閲しようとして、恐喝まがいの申し入れをしたりするのだ。
だから、昨春竣工した新しい市役所も初めて近くで見多様な有様だ。
その後、所要を済ませ、金華橋近くの四谷公園に寄って桜を見た。満開をちょっと過ぎた位で、ちらほらと散り始めていたが長良河畔ということでまた風情がある。
ちょっと遠回りになるが、そのまま西へ進んで忠節橋を久しぶりに見た。
高校時代(もう65年前だ!)毎日この橋を渡って通学していた。いまあらためて久しぶりに見るとなんだか懐かしくて仕方がない。
その高校時代、この橋の袂で告られたことがある。うぶな私はことをどう進めたらいいのかわからずにもたもたしているうちに、彼女が当時の野球部の花形選手と肩を並べて歩いているのを見かけて、私の三度めの初恋は終わった。
なお、この忠節橋、鋼材の調達が難しかった第二次世界大戦後、日本で初めて架設された大規模鋼橋なのだそうである。
完成時には、花火大会があり、まだ疎開先の大垣にいた私も、母や親戚などに連れられて観に行った。戦時中は花火大会などはなかったから、私が観た初めての大規模な花火大会だった。
【付録:いま死んだら喜ばれる】
何年か前、銀行に唆され預金を生命保険に切り替えた。
その時、それがドル建てになっていたので、「なんでそんなことをするのか」と尋ねたら、「いまはドル108円ですからそれ以上になるとその分受取額が多くなります。その折、ドルが下がっていたら、遺族の方がドルが回復するまで待っていたらいいだけです」との説明だった。
ごちゃごちゃするのは嫌だったのでまあそれに従うことにした。
ところで、最近の円安ドル高傾向、ついに1ドル125円ほどになった。従っていま死んだら、受取額は保険金1ドルについて17円のアップということになる。例えば、保険金が1万ドルなら17万円のプラスα になる。遺族に残すものが増えるということだ。
やはり、この辺が死にどきなんだろうか。
生まれたときが戦時中だから、世界が戦争に揺れているときに死ぬのも辻褄が合っているかもしれない。
とはいえこれは、何でも効率や金額で換算される世の中、いまは私の命が一番高く引き取られてゆくのかなという反語的な感想にすぎない。
そんな世の中は嫌だと思いながら生きてきたので、もちろんそんな効率は無視してしぶとく野垂れ死にするまで生き延びる所存。
遺族には疎まれるかもしれないが、私の命、私が使い切ります。
先月の大阪フィルの岐阜定期演奏会の折の写真を、指揮者の角田鋼亮氏のTwitter から借りて載せた。
ひょんなことで、私の食い意地が張っていることがバレてしまった。
わが家から少し歩くと、私が「マイお花見ロード」と勝手に名付けた川沿いの桜並木がある。わざわざ遠隔地から見に来るほどでもないが、それでも、数百メートルにわたる桜の列は結構見ものである。
先日、すぐ近くのポストを通り過ぎて、やや離れた郵便局まで手紙を出しに行った。その郵便局がかの桜並木沿いにあるからである。
ちょうど満開であった。陽気が良かったせいもあって、例年になく近所の人たちが散策し、花を愛でていた。
意外な花見客を捉えたので、それも載せておく。
このヌートリアを見かけると、戦時中を思い出す。この毛皮が当時の航空兵の帽子や耳あてに使われるとして、民間での飼育献納が奨励され、1943年、44年頃、近所の家でもコンクリートの水槽を作って飼っているのを見たことがある。
敗戦後、河川に放流されたものの子孫が現存するものである。私の名付けでは、「戦時外来種」だ。
後半は2週間ほど前に開花し既に散ってしまったわが家の桜だが、もうかわいい桜桃の赤ちゃんが姿を見せている。この実の付き工合から見ると今年は豊作のような気がする。
そろそろ、実をついばみにくる小鳥対策を施さなければならないだろう。
ところで、ソメイヨシノはほとんど実をつけない。植物には自家不和合性という性質をもつものがって、これは自分と同じ遺伝子をもつものとは受精しないということだそうだ。
ところで、ご存知のようにソメイヨシノは全てクローンで遺伝子が同じであるため、ソメイヨシノ同士では上記の自家不和合性が働いて受精することなく、実がならないということらしい。
ちょっと哀れな気もする。美しきフランケンシュタインか?