拝啓 小泉純一郎殿
残暑厳しき折から、いかがお過ごしでしょうか。
本来ならご多用な総理大臣のご職責ではありますが、報道などによりますと、もはや政財界などの訪問客は、安倍氏の方が貴殿より圧倒的に多いとのこと、ご自分のお取り立てになった人物が後を襲うということのあからさまな現状に、世の無常観などお感じになっているかも知れませんね。
そうした中、
最後っ屁ともいえるパフォーマンスとしての靖国のご参拝、まことにお疲れ様でしたというほかありません。かねてよりおっしゃっていた
「心の問題」を全うされたのですから、さぞかしご満足かと存じます。
おっしゃるように、私たち人間は
「心の問題」を避け得ないように思います。とりわけ政治は、その諸政策を、単に統計的な集合への対処にとどまらず、現に生きた国民の
「心の問題」をも斟酌すべきだと愚考いたす次第です。
しかし、この事実は、為政者の個人的な
「心の問題」をどう満たすかとは全く次元を異にする問題ではないでしょうか。むしろ、日本国という国家を前提とした場合、その国家のありように為政者たるもの当然責任を有するのであり、その国家が国民のためどうあるべきかが、個人的な
「心の問題」を越えて優先さるべき問題ではないかと思うのです。
ようするに、日本国がどうあるべきかの問題に、貴殿の
「心の問題」が優先さるべきだという論理が私には了解できないのです。貴殿がご自分の
「心の問題」を満たされた際、国民の60%を越える参拝反対の
「心の問題」はどうなったのでしょうか。
私は、貴殿が個人として、靖国(
私にいわせればかつての、あるいは来たるべき戦争肯定のカルト集団ですが)を信仰されることを妨げようとは思いません。それはまさに貴殿の
「心の問題」です。
しかし、それが国民の意志以上に優先されるとき、私たちは困惑の内へと突き落とされるのです。
新しいニュースが入っています。かつて、貴殿の盟友とされた加藤紘一氏の家が放火により焼失し、どうやらその犯人は
貴殿と同じカルト集団靖国の熱心な信者のように思われます。教義らしいものは何ももたないカルト集団の信者は、熱心になるにつれ、普通の宗教が教義に殉じるのに対して、直接行動、すなわちテロルに走ります。
これから出されるであろう貴殿のコメントが、既にしてよく分かります。
「どんな事情にしろ、言論を暴力で封じるのはよくない」という一般的で白々しいものでしょう。
しかしです、かの狂信者を焚きつけたのは
靖国正当化のアジテーターとしての貴殿ではないでしょうか。まさに貴殿の一連の言動がテロルを助長したのは確かです。
従いまして、私は、法的にはともかく、カルト集団のアジテーターとしての
貴殿の道義的責任は看過できないと思うのであります。
「心の問題」? 結構でしょう。あと一ヶ月もすれば貴殿は過去の人となります(もう既にそうですが)。その折りには靖国であろうと、オウムであろうと、貴殿の信じるところに従い、
「心の問題」を癒して下さい(私には靖国とオウムはさほど隔たりはないように思われます)。
しかし、在任中の貴殿の行為は容認することは出来ません。60%を越える世論を裏切ったこと、アジテーターとして加藤邸へのテロルを誘導したこと、近隣アジア諸国に冷水を浴びせたこと、それについてはきちんと落とし前を付けるべきではないでしょうか。
「心の問題」は抽象的ながら一定の物理力をも誘発し、その結果についてのリスクを当然負わなればなりません。
ただし、近隣諸国はだだっ子のようにやんちゃな貴殿よりはるかに大人で、もはや
「死に体」の貴殿を相手にしない寛容さを見せています。もっとも、このリスクは、直ちに貴殿の後継の安倍氏の双肩にかかるのですが。
貴殿の在任中の諸政策については言いますまい。それなりの世論の支持の上に行われたことことですから。
ただし、今回の愚行は、国民の意志を全く無視し、私事の
「心の問題」を優先した結果であり、それを許容することは出来ないのです。
率直に申し上げます。貴殿の五年間は、いろいろ批判もありましたが、資本主義を前提とする以上、グローバリゼーションの時代にどう対応するのかの一つの道筋であり、それ自身を首肯するか反対するかはともかく、ある種の論理性はあったように思います。
しかし、この靖国への紆余曲折を経過した無責任な対応は、全く理性を欠いたものとしか思えません。
今さら何を言っても始まらない感が強いのですが、せめて、貴殿のアジテーションによって消失した加藤邸を、あなたの責任において再建するぐらいのことはなさってもいいのではないでしょうか。
今となりましては、もう、これ以上世間を騒がせることなく、
速やかに過去の人となられるよう祈願致す次第です。
お疲れ様でした。プレスリーの「ブルーハワイ」でも聴きながら、安らかにお休み下さい。