六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

写真で綴るダジャレ川柳もどき

2006-08-31 04:43:23 | 川柳日記
【ご使用上の注意】
  
  以下のようなものは一般に川柳とはいいません。いわば邪道です。
  従って、よい子の皆さんは決して真似をしないで下さい。



 
     
     いたわしや夏の終わりのセミコロン


 
     
      天からかストンと落ちて地に座る


 
    
       飛び疲れしばしここらにスワローズ


 
     
      猫の恋浮気もあって猫ジェラシ


 
     
      小さくて青いがゆえにガキという
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ゆく夏に六がうろつき犬吠える(なんのこっちゃ?)

2006-08-29 16:04:48 | よしなしごと
 朝夕に多少、秋を感じるようになりました。
 回りの自然は敏感にその気配をキャッチし、自分をその季節へとフィットさせて行くようです。

 行く先は一緒なのですが、いつもとちょっと違う道を通ってみました。違った光景にお目にかかれるのを期待して・・。
 むろん特別に変わったものがあるわけではありません。それでも、いつもの道では見かけないものがありました。



 野生化した百日草です。道ばたの草むらの中に、健気に咲いていました。
 背丈は低く、花びらも幾分貧弱ですが、それでも花芯のあたりに、この花特有の強烈な自己主張が見られます。



 イチジク、漢字では無花果。花を付けないで実が生るのでこう表記するようですが、いってみれば、これ自身が花のようなものですね。
 
 ガキの頃、疎開先の農家の庭に大きな木があって、季節になると、口の回りに異物が出来るほどさんざん食い散らしました。
 にもかかわらず、というか、だからというか、あんまりちゃんと見ていないのですね。こうして見ると、じつに美しい果実ですね。

 でもこれも、生きて樹に生っていればこそ。夕方、スーパーで見かけたものは、これ程の色つやはありませんでした。



 ゴーヤです。幾分黄色になったものは見たことがありますが、こんなに鮮やかな橙色のものは初めてです。
 よく見ると、上にひん曲がった青いのがあるでしょう。普通、よく見かけるのはあれぐらいですよね。

 
 よそ様の庭先にレンズを向けていると、犬に吠えられました。私が急いで立ち去るまで、「ウ~ッ」と威嚇し続けていました。
 やっぱり、怪しく見えるんだろうなぁと、逃げながら納得。
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日本退去勧告と六の時事川柳 06.8.27

2006-08-27 14:49:53 | 川柳日記
  

  <写真>は、六の日本脱出のイメージです。
    「アッ、コラッ、待たんかい!」


    =================================================
 
 先週、甲子園大会が終わると秋が来るといいましたが、昼間こそ暑いものの、朝夕の風に季節の変化を感じます。
 
 今年の夏は、結構刺激的で、今までより間口を広げてものを言ったりしてきました。おかげで、ある「天皇崇拝主義」の方から、「お前が今日あるのは天皇陛下のおかげだということが分からぬか。そんな奴は日本から出て行け」というご親切きわまりないご忠告を頂きました。

 それも良いかも知れませんね。ときおり日本から亡命したくなることもありますし、それに、私のような年寄りが一人減ると、若い方のご負担が多少なりとも軽くなろうというものです。

 しかしながら、それにつけても先立つものが必要です。
 そこで提案ですが、私に日本退去をお勧め頂いた方、あるいはそれに賛同される方が、移住に必要な経費、並びに余生を楽に暮らせるであろう金額を全てご提供頂くというのはどうでしょう。

 そうすれば、私の脱出希望、若い方のご負担の減少、それにいまだに戦争云々といってる爺ぃを追放することができるのですから、三方一両損ならぬ三方一両得の名案のように思うのですが。

 あ、その前になんか外国語を習得しなくちゃぁ(汗)。
 え~と、オーストリアはドイツ語か。
 イッヒ、ゲッヘ、ガッハ、ゴッホ(いけそうだ)。




<今週の川柳もどき>  06.8.27

 結局はポストほしさの寄せ集め 
  (安倍支持への雪崩現象)

 厚紙によく耐えている薄い紙
  (北越。王子のTOB進まず)

 暗記した文句尻切れ宙を舞う
  (冥王星外される)

 爺婆は昔からハンカチ王子
  (汗はハンカチと決まっていた)

 秋空に聴く水色の三拍子
  (『水色のワルツ』の高木東六氏逝く)
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マドンナからの電話!

2006-08-25 14:43:33 | よしなしごと
 


 高校時代の同級生(女性&往年のマドンナ)から、年に似合わず(失礼!)弾んだ声で電話があった。
 「ね、ね、見た? あの津高校の・・」
 どうやら彼女、私とは別ルートで、私が前の日記で触れた『国民学校一年生の戦争体験』と題する「三重県立津高等学校昭和32年卒業生・戦争の記憶を記録する会」が作った冊子を入手したようなのだ。
 
 「見たどころか、若い人達に是非読んで貰いたいので、ネットで宣伝に努めているところさ」という私に、「わー、さすが六さん・・」と電話の向こうで拍手でもしかねない勢い。
 「でも、良いものを作ったねぇ」、「ほんとねぇ」などといっている間に、「ね、ね、私たちも作ろうか」との彼女の提案。

 「でもそれって、二番煎じだろう。それに、ほかにも類似のものはあるだろうから、三番煎じか四番煎じかも知れないよ・・」
 と、私はある予感とともに語尾を濁した。

 「良いじゃない、いくら何番煎じだって、若い人にもっともっと読ませたいんでしょう?」
 確かにその通りである。
 「それにほら、六さんが編集してくれたらあれに負けないものが出来るかも知れないでしょう」
 ときた。
 それこそ、私が恐れていたことなのだ。こうした話になると、だいたい私のところへ話が振られる。この電話にしたって、始めっからそのつもりでかけてきたのにちがいないのだ。

 なぜ、私が、津高校の諸兄姉に敬意を表するかというと、ああしたものを作ることがいかに大変であるかを知っているからだ。それに今さら、「ね、ね、作ろうよ」というマドンナの鼻にかかった誘いにくらくらっとする(ちょっとはするが)ほど若くはない。

 結果は、今秋の同窓会で、然るべき人数の賛同と協力が得られればということになった。その間、この津高校のものを若い人達に勧めて行こうということで電話が終わった。
 う~ん。なんか、刑の執行を猶予されているような気分だ。

 ところで、私たちの年齢に限らず、とくにもっと年上の人達の戦争、戦後体験を記録することは良いことだと思う。
 年々風化する記憶を保存する必要性はむろんだが、と同時に、私が何度も書いているように、若い人達の戦争観が、かなり観念的で薄っぺらなものになっているように思うからだ。

 その責任は、今のブッシュの親父のブッシュが引き起こした湾岸戦争(1991)にある。あの折りの戦争報道のシミュレーション化は、戦争という事態が当然伴う血肉の飛散という有機性を隠蔽し、それをデスクトップ上で展開される無機的なゲームに変じてしまったのだ。

 しかも決定的なのは、それを攻める側、シューティングする側の視点から展開して見せたのだだからあの、すさまじい重火器の炸裂する下で、殺されたり逃げまどったりする側は映像化されなかった。
 せいぜい、攻撃から幾ばくかして、その成果としての破壊の状況を見せるのみだった。

 それに反し、すぐる戦争を体験した人達の記憶には、そこで失われた血肉の鮮明な痕跡がある。自らの肉体に加えられた飢餓や損傷の具体性がある。ゆがめられた心の痛みがある。
 ゲーム感覚で照準を合わせシュートをする視点とは違った、そのシューティングの的であったもの達の、獲物でしかなかったもの達の視点がある。

 確かにこれらの記憶は、自らの被害者性が圧倒的に多くなるだろう(津高のそれにはそうばかりではない記憶も含まれている)。しかし、それでもいいではないか。戦争が決してゲームのように高みから見下ろせるものではなく、私たちの肉体や心の具体性に迫るものであることを知ってさえもらえれば・・。

 ところで、かのマドンナは、今頃私の刑の執行を確実にすべく、あちこちへ電話をかけまくっているに違いない。
 恐ろしいことである。
 
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君は本当に戦争を知っているか?ちょっとタンマはないんだぞ!

2006-08-23 05:08:04 | 社会評論


 かつて、といっても30年以上も前になるが、職場を同じくした友人から、冊子が送られてきた。
 『国民学校一年生の戦争体験』と題するものであるが、決してどこかの出版社が売らんかなのために作ったものではない。
 発行者は、「三重県立津高等学校昭和32年卒業生・戦争の記憶を記録する会」とある。

 もうこれだけで感動した。当時、国民学校一年生だった彼らが、61年前の記憶を掘り起こしながら、自分の体験した戦争を書き残したものなのだ。その数、五十数編が、資料などとともに収められている。
 もちろん、卒業生の有志によるものだから、特定の立場や視点はない。題材も様々で、文章のスタイルもそれぞれ異なる。しかし、だからこそ、価値がある。そして、だからこそあの戦争の様々な面がトータルに見えてくる。

 空襲、疎開、肉親の戦死、食い物、外地からの引き上げ、などなど、そこには往時の少年たちが遭遇した戦争の全てがあるといってよい。被害者としてのそればかりではない。米軍捕虜への集団暴行や虐待の目撃談も載っている。

 私の友人も、爆弾投下量が面積あたり全国一であった桑名市の空襲で、幼い兄弟姉妹とともに火の海の中を逃げ回った経験を述べている。

 ここに書かれていることたちは、全て私の経験でもある。なぜなら、私もまたそのとき「国民学校一年生」であり、彼ら同様、空襲の恐怖と、空腹と、肉親の戦死や行方不明を経験していたからだ。

 私は、これを送ってくれた友人や、これを編纂した「同級生」たちに、賛同と敬意とを惜しまない。よくぞ作ってくれた。

 小泉の靖国参拝への賛否は、NHKのデータで見る限りこ拮抗しているようだ。その中で、賛成が多いのは70代と、20代であとはかえって反対が多いのだそうである。
 思うに、70代は、皇民教育による洗脳が徹底して行われた世代だから、敗戦をもちゃんと受け止め得なかったのであろうか。20代に関しては、徹底した戦争への無知がある。先頃の靖国でのインタビューでも、「誰がまつられているの?」の問いに、「しら~ん」、「じゃあどうしてきたの?」、「なんか面白そうじゃん」といった具合である。

 むろん、20代でも勉強をし、史実としては戦争を知っている人は多いだろう。しかし、ネットなどで見る限り、彼らの戦争はゲーム感覚の観念的なものが多く、そこで具体的に殺し、殺される生身の人間たち、それが他ならぬ自分たちや自分の愛すべき肉親であるという厳然たる事実がすぽっと抜け落ちている。

 そんな人達にも是非読んでほしい冊子である。
 もし、拙文をお読みになった方で、少しでも興味を持たれた方は、是非、下記からお取り寄せ、実際に目を通して頂きたい。
 500円(税込み)プラス、送料300円で、トータル800円であるが、紙質、装丁、それに何よりもその肉声を感じさせる内容に、それを上回る価値がある。 
 取り寄せは以下のどちらかからです。

 〒515-2504 津市一志町高野 160-451 田川敏夫様 TEL/FAX 059-293-0348
 〒458-0044 名古屋市緑区池上台 3-106-19 新居弘尚様 TEL/FAX 052-895-2384

 最後に、津高のわが同年配の諸兄姉に、今一度、称賛のエールを送りたい。
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Shall we dance? No, Pachinko!

2006-08-21 18:12:05 | よしなしごと
 

  この写真は、名古屋の地下鉄川名駅の構内にある電飾の広告です。

 ゴチャゴチャして分かりにくいのですが、左半分は劇画風で、中年のサラリーマンが、毎日同じことの繰り返しをぼやくうちに、ある日ふと、川名で途中下車し「BEST」という店に出会うのです。

 これって、どこかで聞いたような話でしょう?
 そうなんです。かの『Shall we dance?』のパロディなのです。そして、この店はパチンコ屋なのです。
 で、このおっさんが依存症になり、会社の金に手を付け、家庭も崩壊し、やはり依存症の女性と全国のパチンコ屋を訪ね歩くということにでもすると、ちょっとしたロードムービーになるのですが・・。


 
そして、これは上の店とは関係ありません。
 実にケバイでしょう?岐阜は柳ヶ瀬のパチンコ屋です。

 よく見ると、前の方の看板とその後ろのポスターに、「4の付く日は・・・ヨン様の日」とあるでしょう。
 この分で行くと、私が有名になったら、「6の付く日は・・・ロク様の日」になるのではないでしょうか?
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献花(喧嘩ではない!)と六の時事川柳 06.8.20

2006-08-20 18:26:02 | 川柳日記
 


 毎年、甲子園の決勝が終わると、何となく秋めくものです。
 もっとも今年は、15回延長再試合とかで、決着は明日に持ち越されましたが・・。
 ここまで来たら、両校優勝でもなどと思います。

 写真は路傍で見かけたプランターの花です。
 名前は知りません。
 ここのところ、原爆や戦争の犠牲者について書き続けてきましたので、鎮魂の献花として掲げました。


<今週の川柳もどき> 06.8.20

 参拝で存在感を取り戻す
  (あの人ってまだいたんだ)

 加藤邸ライオン丸が火付け役
  (その突っ張りが遠因では?

 縄張りを組長拘置所にも持つ
  (子分の刑務官逮捕)

 ジョンベネが十年ぶりにワイドショー
  (本当に真犯人でしょうか?)

 拿捕の宿ムネオハウスが生きていた
  (こちらもお久しぶり)

 若者は水年寄りは山で死ぬ
  (最近の夏の事故)

 甲子園秋告げに来る赤トンボ
  (決勝戦は再試合。まだ暑いが・・)
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太陽はどこを照らしたか?映画『太陽』を観て。

2006-08-19 18:01:34 | 映画評論
 


 ロシアの奇才、 アレクサンドル・ソクーロフが、 昭和天皇・裕仁を「題材」に撮った映画である。要するに記録映画ではないのだ。従って、史実との違いやディティールの問題に関して異議を申し立てる筋合いのものではない。例え、 主役のイッセー・尾形が、裕仁の挙動やチック症状まで巧みに写し取っていてもだ・・。

 私自身に関していえば、以前、同監督の、100分を越える映像をワンカット、ワンシーンで表現し、しかも、エルミタージュの要点を余すところなく紹介するばかりか、時代を超えた人物を登場させたり、あるいは最後にアシュケナージのオーケストラを登場させるなどした大実験映画 『エルミタージュ幻想』に触れたことがあり、彼がどのように裕仁を料理するのかに関心があって観に行った。

 あくまでも史実や歴史的評価を差し引いた、ある条件下での裕仁の挙動を想像的に描いたものとしては文句なしに面白い。映像も、あくまでもきらびやかさを避けてシックにまとめられている。台詞も、極力簡素化されていて、一見無駄に思われる会話の中にも詩的な寓意や、彼と状況との関わり、それに対する彼自身の意識が巧みに表現されている。

 空襲場面は絵画的で美しい。襲い来る米軍機が、鳥や魚たちの形象で表現されるのも面白い。実際にはあの下で、何万もの人が焼かれ、逃げまどっているのだが、それをリアルに描くことは、 裕仁のある種の超越性のようなものが希薄になるという計算なのだろう。

 実際のところ、裕仁が 「現人神」として超然としていたと期待する人も、あるいは、彼の戦争犯罪の糾弾を期待した人も、ともにがっかりすることであろう。
  むろん、彼は超然さを肉体で表すような存在ではなく、単にチック症候をもった中年男に過ぎなかった。あるいはまた、その残虐性を言動として表現したり、直接指示する存在でもなかった。
 要するに、個々の言動やその立ち居振る舞いを越えて、裕仁という個性を越えたその存在自身が 大日本帝国のシンボルであり、根底であり、レゾンデートルであったのだ。

 従って、ソクーロフが拾い集めたものは、その 余剰であり、それ自身歴史を動かす側面ではない。
 マッカーサーとのやりとりにおいても、裕仁のその後の運命は、彼自身のその折りの言動によって決定されたわけではない。

 あの映画で現実に描かれた裕仁のイメージが余剰であるとしたら、その根幹は何であろうか。それは、かれが「現人神」であったということである。
 この映画に関する若い人達の感想の中には、往々にしてこの問題が抜け落ち、 現在の皇室との連続性において語っているものが見られる。
 しかし、核心はかれが「神」であったことである。ソクーロフもその辺を心得ていて、先に見たように 「神」からの余剰としてこぼれ出る「人間」を描いている。

 しかし、その背後には厳然とした神としての裕仁がいたのであり、一般人はその顔を見ることすらほとんど許されず、政府や軍の政策や命令は、その神に発するものとして絶対だったのである。まさに 「朕は神」だったのである。

 ところで、映画からしばし離れるが、この「現人神」を本当に人々は信じていたのだろうか?
 私は、国民の大多数は信じていたと思う。信じていなかったのは、一部の唯物論者、そして、何よりも取り巻きの重臣、軍部の幹部たち、そして、裕仁本人ではなかろうかと推測する。
 彼は、物心付いたときから神として崇められてはいたが、食欲や性欲などの人としての欲望の体験を通じて、 自らが神ではないことを知っていたはずだと思う。

 ところで、私についていうならば、少年時、当然彼は神だと信じていた。ある時友人たちと、天皇は神だからウンコやオシッコはしないのではないかという論争になっ。結論は覚えていないが、いずれにしても、するとしてもわれわれとは全く違う仕方であろうということになったように記憶する。

 神は無限であり、絶対である。
 別のところでも触れたが、急速な近代化と国民国家の形成の中で、 空疎な中心を埋めるべき観念として動員された「現人神」としての天皇は、その空疎さ故に統御不能な猛威をふるった。
 その人間宣言により、現在の皇室とは切断されているとはいえ、 憲法や教育基本法がいじられようとしているとき、「愛国心」の中心に「天皇」が据えられる可能性は大きいのである。

 繰り返すが、ソクーロフの描いた裕仁は、「現人神」の余剰としての人間的なエピソードからなる。その意味での彼の想像力と映像化は興味あるものがあるが、あそこで描かれている背後で、 その「神」の名において、日本人300万人、近隣諸国3,000万人の命が失われたことを忘れるわけには行かない。
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しじまに沁みた声。夜のグラウンド。

2006-08-18 01:41:01 | よしなしごと
 





 
 自転車で家に帰る途中、ちょっと寄り道をすると高校がある。
 防犯のためであろうか、夜間の無人のグラウンドに照明がついたままのときがある。

 昼の喧噪が嘘みたいでただ茫漠として広がっている。
 しかし、しばらくその空間を見つめていると、突如、若いさざめきの残響が聞こえる。

 変声期を終えた少年の野太いおらび声、あきらかにコケットリーな少女の嬌声。
 それらの間に織りなされる感情の交差、控えめな、あるいはあからさまな恋心と欲情。

 昼間、過剰に発散されてそれらの残滓が、夜のグラウンドにはなお息づいているのだ。
 だから、夜のグラウンドは、静謐を装ったなまめかしさに満ちている。

 
 昼間、岐阜の街を自転車で走り回り、その後、名古屋の町を徒歩で歩き回ったら、軽い熱中症だろうか、目眩とけだるさに襲われた。
 滅多に街頭のペットボトル入りの飲料など買わないのだが、この際、とにかく水分補給とばかりに飲み、しばらく涼しいところでじっとしていた。

 その後の映画、『太陽』は、先般の『蟻の兵隊』に引き続き、またまた立ち見であった。この歳にはかなりつらい。

 映画を見終わって、知り合いの「りりこ@マタハリ」さんの店へ行く。
 久しぶりなのでゆっくりしたかったのだが、やはり疲労のせいかどうも冴えない。
 私にしてはややあっさりと引き上げる。

 
 夜のグラウンドのさざめきは、そうした私の疲れた脳細胞に浮かんだ幻聴なのだろうか。
 ぁ、でもあそこで、確かに少女が笑った。それもかなりけたたましく・・。
 眠っていた声たちを、私が起こしたのかも知れないと思いながら、それらの声を背にペダルを漕いだ。
 寝そびれたセミが、キチキチと鳴いて、私の前をよぎった。
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最後のラブレター for 小泉純一郎

2006-08-16 06:20:57 | 社会評論
  


 拝啓 小泉純一郎殿

 残暑厳しき折から、いかがお過ごしでしょうか。
 本来ならご多用な総理大臣のご職責ではありますが、報道などによりますと、もはや政財界などの訪問客は、安倍氏の方が貴殿より圧倒的に多いとのこと、ご自分のお取り立てになった人物が後を襲うということのあからさまな現状に、世の無常観などお感じになっているかも知れませんね。

 そうした中、最後っ屁ともいえるパフォーマンスとしての靖国のご参拝、まことにお疲れ様でしたというほかありません。かねてよりおっしゃっていた「心の問題」を全うされたのですから、さぞかしご満足かと存じます。

 おっしゃるように、私たち人間は「心の問題」を避け得ないように思います。とりわけ政治は、その諸政策を、単に統計的な集合への対処にとどまらず、現に生きた国民の「心の問題」をも斟酌すべきだと愚考いたす次第です。

 しかし、この事実は、為政者の個人的な「心の問題」をどう満たすかとは全く次元を異にする問題ではないでしょうか。むしろ、日本国という国家を前提とした場合、その国家のありように為政者たるもの当然責任を有するのであり、その国家が国民のためどうあるべきかが、個人的な「心の問題」を越えて優先さるべき問題ではないかと思うのです。

 ようするに、日本国がどうあるべきかの問題に、貴殿の「心の問題」が優先さるべきだという論理が私には了解できないのです。貴殿がご自分の「心の問題」を満たされた際、国民の60%を越える参拝反対の「心の問題」はどうなったのでしょうか。

 私は、貴殿が個人として、靖国(私にいわせればかつての、あるいは来たるべき戦争肯定のカルト集団ですが)を信仰されることを妨げようとは思いません。それはまさに貴殿の「心の問題」です。
 しかし、それが国民の意志以上に優先されるとき、私たちは困惑の内へと突き落とされるのです。

 新しいニュースが入っています。かつて、貴殿の盟友とされた加藤紘一氏の家が放火により焼失し、どうやらその犯人は貴殿と同じカルト集団靖国の熱心な信者のように思われます。教義らしいものは何ももたないカルト集団の信者は、熱心になるにつれ、普通の宗教が教義に殉じるのに対して、直接行動、すなわちテロルに走ります。

 これから出されるであろう貴殿のコメントが、既にしてよく分かります。
 「どんな事情にしろ、言論を暴力で封じるのはよくない」という一般的で白々しいものでしょう。
 
 しかしです、かの狂信者を焚きつけたのは靖国正当化のアジテーターとしての貴殿ではないでしょうか。まさに貴殿の一連の言動がテロルを助長したのは確かです。
 従いまして、私は、法的にはともかく、カルト集団のアジテーターとしての貴殿の道義的責任は看過できないと思うのであります。

 「心の問題」? 結構でしょう。あと一ヶ月もすれば貴殿は過去の人となります(もう既にそうですが)。その折りには靖国であろうと、オウムであろうと、貴殿の信じるところに従い、「心の問題」を癒して下さい(私には靖国とオウムはさほど隔たりはないように思われます)。

 しかし、在任中の貴殿の行為は容認することは出来ません。60%を越える世論を裏切ったこと、アジテーターとして加藤邸へのテロルを誘導したこと、近隣アジア諸国に冷水を浴びせたこと、それについてはきちんと落とし前を付けるべきではないでしょうか。「心の問題」は抽象的ながら一定の物理力をも誘発し、その結果についてのリスクを当然負わなればなりません。

ただし、近隣諸国はだだっ子のようにやんちゃな貴殿よりはるかに大人で、もはや「死に体」の貴殿を相手にしない寛容さを見せています。もっとも、このリスクは、直ちに貴殿の後継の安倍氏の双肩にかかるのですが。

 貴殿の在任中の諸政策については言いますまい。それなりの世論の支持の上に行われたことことですから。
 ただし、今回の愚行は、国民の意志を全く無視し、私事の「心の問題」を優先した結果であり、それを許容することは出来ないのです。

 率直に申し上げます。貴殿の五年間は、いろいろ批判もありましたが、資本主義を前提とする以上、グローバリゼーションの時代にどう対応するのかの一つの道筋であり、それ自身を首肯するか反対するかはともかく、ある種の論理性はあったように思います。
 しかし、この靖国への紆余曲折を経過した無責任な対応は、全く理性を欠いたものとしか思えません。

 今さら何を言っても始まらない感が強いのですが、せめて、貴殿のアジテーションによって消失した加藤邸を、あなたの責任において再建するぐらいのことはなさってもいいのではないでしょうか。

 今となりましては、もう、これ以上世間を騒がせることなく、速やかに過去の人となられるよう祈願致す次第です。
 お疲れ様でした。プレスリーの「ブルーハワイ」でも聴きながら、安らかにお休み下さい。
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