六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

親孝行な子どもたちによって実現した夕餉と渓流釣りの話

2024-09-30 01:48:55 | 想い出を掘り起こす
 私の20代後半から50代前半ぐらいの趣味は渓流釣りだった。エサ釣り、ルアー、フライと一通り全部やった。
 
 この時代は、私の居酒屋経営時代とも重なるのだが、顧客のK君は顧客であると同時に、釣り仲間でもあった。彼は、釣りためたイワナを冷凍保存しておき、年末の最終営業日に私の店にもってきて、それを私が焼き、土鍋の酒に浸して岩魚の骨酒をカウンターを取り巻く常連客で回し飲むのが恒例の行事だった。

 その元気印の彼が、今年、自分の部屋で孤独死してしまった。それを知って、今一度、渓流に立ちたいという思いが募った。しかし、イワナやアマゴを求めて渓流を遡行する釣りは、沢登りにも等しく、腰痛持ちの85歳の私には、はなっから不可能だった。

 そこで、渓流釣りに近い管理釣り場でのマス釣りをと思い、息子夫妻に話したら同行してくれるというので出かけた。竿や仕掛けを借り、餌を買い、一定の養殖マスを放流してくれて釣るのだが、釣りの原則、餌を投げるポイントの選定、餌の流し方、当たりのとり方、合わせ方は普通の渓流釣りと一緒だ。
    
        釣り場の私、手前は探り尽くし、対岸を狙っている

 息子夫妻と私とで競い合ったが、やはり昔取った杵柄、数でも私が竿頭で、大きさでも残り鱒のようなひときわ大きいものをゲットした。
 その後、ちょっとした(?)トラブルもあったが、満足が行く釣行だった。


 互いに分けて持ち帰ったが、写真はそれを調理したもの。といっても、左上の刺し身と、いっしょに連れた小魚(ウグイやカジカ)の唐揚げのみだが、塩焼きまでは食べ切れないと思い、ワタやエラはとって明日に残したり、すぐには食べ切れないものは冷凍保存した。

 なお、写真の左下であまり良く写っていない小鉢は、娘が先般の北陸旅行で買ってきてくれたゴリなど北陸の佃煮である。娘は、富山の地酒、「風の盆」も買ってきてくれたが、これはまた後日飲むこととした。

   刺し身 背身と腹身は分けていないが、あいだの中骨は骨抜きでとってある

 目印がちょっと異様な動きをしたら、スナップのみで小さく合わせ、ググっときたら本格的に合わせる・・・・釣り糸や竿先を伝わって、その先にたしかに生き物がいる感触が全身を貫き、ハズレの無いようにうまく取り込む(渓流釣りの針には返しがついていない)。
 そして、手元に踊る釣果・・・・これまで釣行した幾つかの山河が記憶のなかでよみがえる。今はなき、徳山村での釣りも・・・・。そして、あの元気印だったK君のことも。
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第五福竜丸を撫で回した男

2024-09-28 00:05:06 | 歴史を考える
 
 
 私の友人、劉永昇氏が7月27日の「朝日」の朝刊(ただし東海版のみ)に写真のようなコラムを載せていらっしゃる。
 
 私自身は、第五福竜丸乗員の久保山愛吉さんが1954年のビキニ環礁の米軍の水爆実験で被爆し死亡したことをリアルタイムで知っていたし、そればかりか、1959年には、まだ分裂する前の原水爆禁止日本協議会の焼津大会に参加し第五福竜丸とも逢っている。

 その折、同船は、焼津港近くの大きな木造の小屋に収納されていた。大きいとはいえ、板目もはっきりみえる木造船で、こんな船で南太平洋までマグロを獲りに行くのだと感心した。
 船は無造作に置かれてたので、久保山さんらの乗組員のことを思って、船体を撫で回した。

 しばらくして、「あの船には残留放射能はまだあって・・・・」という報道に接し、オイオイ、そんなことはもっと早くいってくれよ、こっちはすっかり船体と触れ合ったじゃないかと思った。
 今日に至るも、私の言動がおかしいとしたら、それは残留放射能のせいである。

 ところで、この件に関して、「朝日」にはこんな報道もある。
 https://www.asahi.com/articles/ASS5G2RRBS5GUTIL015M.html

 それにもまして、NHKが健闘してるように思った。
 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240803/k10014520391000.html
 https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4928/


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名古屋へ出かけて帰ってきただけのなんでもない話

2024-09-24 15:05:05 | よしなしごと
 今月三回目の名古屋行き。
 毎回、行きなれ、見慣れた行程だが、今回は久しぶりに写真を撮ったのでそれを掲載。

         
      
       JR岐阜駅付近の高層ビルと岐阜のランドマーク岐阜城をのある金華山

 今回の目的は読書会。テキストは決まっていて、その場で黙読したあとのディスカッション。
 テキストの内容に関してもだが、今回は、最近ある雑誌の特集を巡って問題になり、「反対声明」まででているトランスジェンダーを巡る問題で話が盛り上がる。

      
      
      
          愛知県との県境木曽川と稲沢駅での貨物列車用機関車

 まだまだこの歳になって知る事柄も多いので勉強になる。そんなに歳とってからそんなこと学んでもということなかれだ。
 あの世へ行って閻魔大王に逢った折、たくさん土産話を持っていった方が、地獄へ回される時間を稼げるというものだ。

      
      
            名古屋駅プラットホームと名古屋駅バスターミナル
 
 え?極楽?そりゃ無理でしょう。この世でさんざん悪行の限りを尽くしてきましたから。
 でも、この世とあの世では、善行・悪行の基準が違うかもしれませんね。う~ん・・・・。

          
          
             名古屋駅前高層ビル群のなかから

 まあ、変な希望とは関わりなく、閻魔様への土産話を増やすのが私の残された人生で出来ることかな。

          
             岐阜へ帰着 駅のバス停付近

 読書会と懇親会を終えて岐阜へ帰り着いたら、肌に心地よいような霧雨が降っていて気持ちよかった。「暑さ・寒さも彼岸まで」という言葉がふとよぎったが、まだまだ油断できない。
 
 電話である訃報が入った。そんなに親しかった人ではない。ただ、それと関連して、自分がどのように死ぬのか、その死に様を少し考えたが、野垂れ死に覚悟の自分には、それ自身考えても無駄だと思った。

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あれから76年後の舞鶴を訪れる・・・・

2024-09-22 01:01:08 | 歴史を考える

 もう一週間過ぎてしまったが、この14日、校下のサークルの人たちと舞鶴を訪れた。
 
 舞鶴といえば私には特別の思い入れがある。1944年に満州はハルビン郊外へ兵士として出征してそこで敗戦を迎え、ソ連軍によってシベリアへ抑留され、そのまま生死すら不明だった父が、1948年、引揚船で帰ってきたのがこの舞鶴だった。

     

     
          
 
 舞鶴からの電報を疎開先で受け取ってはじめてその帰還を知った。それから幾日か後、3日間、毎日夜中に疎開地近くの大垣駅に停車する引き上げ列車で帰ってくるというので、その3日間、毎夜、大垣駅で待機した。

            
     
          
          
 
 一日目、姿は見えなかった。二日目、近くで再会を喜ぶ家族を見ながら目を見張ったがだめだった。三日目、何人かが降りてくるのに目を凝らした。・・・・最後の一人・・・・違う人だった。

      
         
     
                 
 
 母や母方の親族は皆うなだれた。考えてみたら、あの電報の名前は間違っていた。当時の電報事情からして、部分的な誤りだと思っていたが、電報そのものが間違いだったのか。

          
 
        
     
 
 そのとき、諦めずプラットホームをみていて私が叫んだ。「アッ、誰か来るっ!」

 それが父だった。父は、私たちの疎開先が駅の西方だったので、早く帰りたいあまり改札口のある東とは反対の方へ進み、ホームが途切れているのに気づき引き返してきたのだった。
 停電が日常的にあった電気事情の悪い中、夜の駅のホームもまた暗いなかでの出来事だった。

      
         
         
     


 舞鶴に話を戻そう。父が引き上げてきたその桟橋へ行きたかった。
 しかしそこは、現在の舞鶴港や、海上自衛隊の基地となっている軍港からも随分離れた場所で、往時の桟橋ももうない(復旧版はあるみたい)ようなので、私一人のわがままでサークルの人全体を動かすのもと思って諦めた。

     

     
 
 なお当日、舞鶴の海自軍港に停泊の戦艦の一般公開をしていて、周辺の駐車場はどこも入れず、そこから離れた市役所近くの赤レンガ倉庫群を見ることは出来た。

 写真はその他いろいろ、舞鶴近辺で撮ったものである。
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2024・名古屋今池まつり 街中騒然・面の祭り

2024-09-18 16:20:38 | 催しへのお誘い
 1989年、私が仲間たちとともに企てた今池祭りが、今年で35周年を迎えた。
 当時、今池は「雑然」としているといわれた。本当に雑然がいけないのだろうか?では、その雑然をそのままぶちまけてしまおうと居直って始めた祭りだった。
 
     
       今池公園 どちらかというとチルドレン主体の催し

     
        普段は魚屋さんのガレージがライブ会場に

           
          

                 裏方さんも大変
 
 だから、未だに時系列がはっきりしない祭りだ。これが済んだら次はこれといった直線的時系列はない。むしろ面の祭りなのだ。街全体が祭りのメインステージであり、同時多発的にどこかで何かが炸裂している。

      

    夜の野外ステージ 街中に10箇所近くあるうちで最大のステージ 

          

                 て、鉄腕アトム?
 
 だから、祭りに起承転結はない。ワッと始まりワッと終わる。どこで何に遭遇するかはいった人の運次第だ。

          

             あちこちの街角に大道芸人が・・・・

          

 
 何十万の人がやってくるのに、運営にプロのプロダクションが全く関与していないのも伝統だ。だから、どこへいっても手作り感がミエミエであり、それがまた味になっている。

          

     ナンカ良くわからん看板 覗いているのは着物姿の奥方風の女性

          

                 ある小ライブで
 
 私は今や全くの門外漢で、ただの老いたる見物客にすぎない。しかし、ヨロヨロ歩いているとけっこう面白いものに遭遇する。

          
         この人もう何十年も前から毎年セーラー服姿

          

        プログラムにも載っていないひとりパフォーマンス
 
 たまたま写真に収めたものをここに紹介する。
 祭りは15、16と二日間にわたって行われたが、写真はすべて16日のもの。

          
        今池プロレスのヒーロー 子供の時から知ってる人

     
 
 
【おまけの動画二題】
1)街角ロック@今池まつり
 15、16日と行われた今池まつりは街全体が祭りの会場となり、バザールの無数のテントがホコ天化された道路に広がる他、大小のライブ会場が10箇所近くもある。ここに挙げたのは東南の外れのコンビニ駐車場でのライブ。なかなか若くて生きの良いロックだ。観客の黄色いTシャツのグループは、今池パルチザン・ゴミ拾い隊(清掃ボランティア)。
 
2)こちらはブルースのバンド、「バレーボールズ」
 中央、サングラスは、現今池祭り実行委員長、「ライブハウス得三」のオーナー森田氏

 

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86歳の挑戦! 歌手大津美子と私。

2024-09-10 14:33:08 | よしなしごと
 歌手の大津美子が、デビュー70周年記念リサイタルをするという。
 大津美子といっても知る人はもう少ないであろう。だが、私は知っている。隣県、愛知は豊橋の出身であるということ、そして、年齢は私と同じ86歳であること(私は誕生前だからまだ85歳)などからだ。
 
           

 https://www.toyohashi-at.jp/event/performance.php?id=1671

 メディアから消えて久しいが、歌の上手い人だった。もっとも私がおぼえているのは「東京アンナ」と「ここに幸あれ」ぐらいだが。
 この人がデビュー70周年記念のリサイタルを行うという。そのリサイタルに行ってみたい気がするし、なんだか怖い気もする。86歳でのチャレンジ、どんな覚悟でどんなふうに進めるのだろう。

https://www.youtube.com/watch?v=KYs3OleDTZY

 同い年の私自身のビッグチャレンジとしては、ライプチヒ在住の畏友K氏を訪ねた今夏の旅が最後だと思っていた。しかし、正直いって私には心残りがないわけではない。
 それは、私が生まれ育った20世紀を仕切っていたアメリカを見たいという欲望だ。
 ワシントン、ニューヨーク、フィラデルフィアが具体的候補だ。

 大津美子のデビュー70周年記念リサイタルは私にこんな気持を想い起こさせた。
 豊橋にも友人がいるが、10月2日、私が行ったら付き合ってくれる人はいるだろうか。平日の水曜日だから、まずは無理だろうな。

 でも、私は行くかもしれない。そして、近い将来、アメリカへも。

 

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久しぶりの昼麺物語 冷たい麺ばっかり

2024-09-07 16:48:44 | グルメ

 7月の下旬になろうという頃、10日間のヨーロッパ旅行(ベルリン・ライプチヒ・ワルシャワ)から帰ってきたら、酷暑日を含めた連日の猛暑日。昼は食欲がわかぬまま連日の麺・麺・麺・・・・。しかもすべて冷たい麺。

 ただしそこにも私なりのルールがある。まず、それを記しておこう。

1)麺はすべて乾麺を湯がく。いま在庫の麺は、うどん、蕎麦、冷や麦、中華麺、それに細身のパスタである。夏の定番、素麺がないのは、どちらかというと豪快に啜り上げるひやむぎ派だからだ。
2)出汁はその都度作る。やや濃い目にして、氷をぶち込むか、鍋ごと冷凍室で冷ます。うどんと蕎麦は似ているが、みりんなどで蕎麦の方にややコクをつける。中華麺は、オイスターソース、豆板醤、ごま油などでそれらしくする。
3)具の基本は前日の夕餉の残り物に在庫のもの、それに薬味などだ。その内容によって、麺の種類も変わる。

 以下はそれらによって作ったものだが、何でどう作ったか自分でもおぼえていないものもある。

 冷や麦だがトマトを添えた。左上はわさび漬け。麺を啜り上げたあと、ちょっと口に運ぶとけっこううまい。

 豚肉が余ったので、他の具材を足して冷たいラーメン(冷やし中華ではない)。

 野菜多めの冷たいラーメン。赤いのは昔懐かしの赤ウィンナー。

 天ぷらの残りを中心にした冷たい天ぷらうどん。豆腐が入っているのは、賞味期限が迫っていたから。

 豚肉のソティのあまりを使った冷たいラーメン。

 これも豚肉の余りを使ったラーメンだが、豚を辛口のチリペパーで炒めてあったので、スープ全体を辛くした冷やしラーメン。

 大根、人参、ごぼう、鶏もも肉の味噌込みのあまりを用い、味噌のスープを足して冷たい味噌ラーメンに。

 これも昨夕餉の残り物を使った冷たいラーメン。切り海苔を多用。

 黒いのは、ワカメと海苔。ボロニアソーセージを添えた冷たいラーメン。

 冷たい天ぷらそば。青いのはネギの青い部分。

 鶏肉と小松菜とワカメの冷たい蕎麦。

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ヨーロッパは面舵(右方向)に転じるのか?

2024-09-03 16:48:30 | フォトエッセイ
       
先般のドイツ地方選において、極右政党が第一党に躍進した。
今夏の私の旅は、どちらかというと東独圏であった。
そのライプチヒに住む畏友K氏とドイツの政治状況について会話した際、彼はやはり東側に不満が蓄積していると指摘していた。
三十数年前、東西ドイツは統合されたが、平等になったわけではない。
K氏の指摘によると最近まで、同一労働についての東西の賃金格差は85%ほどであったという。むろん東が低いのだ。
この差は、是正されつつあるとはいえ、いまなお不平等は残る。
だから、東の勤労層にとっては外国人の導入などはますます危機と思われる。
アメリカでトランプを支持するプアーホワイトと似た立場といってよい。
加えて、東独時代を懐かしむ層もいる(極限すればナチズムとスターリニズムは類似点もある)。
そんなことでの今回の結果だが、ドイツはEUの核をなす国である。そこでのこの事態は、ヨーロッパ全体に、否世界全体に影響を及ぼしかねないともいえる。
この国のネット上にも、ヘイト画像なども含めた外国人排斥の記事がどんどん増えている。
私は操舵手としてはもう老いてしまったが、中立などという生ぬるいことを言っていないで、取舵をいっぱいに切りたい。
 
 
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レイシスト・小池百合子の本音

2024-09-01 15:35:39 | 歴史を考える
今年も小池百合子は関東大震災の際の朝鮮人虐殺への追悼文を出さなかった。8年連続だ。
理由は、彼らへの慰霊は大震災全体の犠牲者の慰霊に含まれているとのことだが、単なる自然災害の犠牲者と明らかに人為的に行われた殺人行為とが区別されていない。
ということは、再びそうした事態が起こった際、朝鮮人、ないしはマイノリティが殺されるのは「自然なこと」だとすることによって、自分がレイシストであることを告白しているに等しい。
なお、この事件の前提には、予め朝鮮人を劣等民族として強制連行や強制労働で痛めつけてきたマジョリティとしての日本人のなかに、彼らからの復讐を受けるかもという猜疑心(自らの強権的措置の反映)があったからであり、その意味では、往時の日本人全体、そしていま、その歴史に目を閉ざしている私たち全体の問題でもある。
なお、最近、日本に在留してる外国人へのいわれなきヘイトがネットで拡散している。昨日も川口市で、クルド人たちが「日本人は出てゆけ!」というプラカードを掲げている画像がネット上で300万人近い視聴数を得ているのを知った。
しかし、この映像はAI を駆使した偽造であることも判明している。
ただし、映像のもつ「事実」への判断誘導は強力である。上のようなもっともらしい偽造が素人でもAI で出来てしまう現実は恐ろしい。 
私たち自身の内部に、そうした情報に惑わされない確固たる核を形成する必要がある。
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