日帳(寛永八年閏十月)廿日~廿三日
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| 廿日 加来二郎兵衛・河本瀬兵衛
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|一、修理・兵庫当番也
| (松井興長) (有吉英貴)
松井興長有吉英貴 |一、佐渡守殿ゟ、使者を以、被仰候は、今日は天気もよく御座候ニ付、頼母佐殿鷹之ばをかり候て、
ノ鷹場ニ狩ス | (大里、規矩郡)
| たいりまて参候間、其心得候へと、被仰越候事、
| (俵山、長門大津郡)
春木金大夫俵山へ |一、春木金大夫登城仕、被申候は、私事今程御用すきにて御座候間、中国たわらやまへ湯治仕度候、
ノ湯治願 | (脚気)
同行者 | 就其、私せかれ壱人、又、御鉄炮衆奈良崎理介・御馬夫・大工藤井八左衛門、此弐人ハかつけ・
家老ヘノ届 | 中風相煩申候間、召連可参哉と被申候、尤つれ被参候て可然通申候而、其段御家老衆へも被仰候
| へと申渡候事、
| 来ル十一月朔日ゟ、
金山ノ米大豆小豆 |一、御金山御米・大つ・小つ、金子壱匁ニ付、四斗宛ニ〇売せ被申候へと、加藤新兵衛と談合之上に
ノ価壱壱月朔日ヨ | て、春木金大夫・沢治吉右衛門へさしかミ遣申候也、
リ改訂ス |
金子壱匁ニ付四斗 |
唐津ヨリノ走者河 |一、唐津ゟ走り来候少蔵と申茂の、人留之ものつれ参候を、則、御家老衆へ召連参候へと、申渡候、
本瀬兵衛草履取ニ | 然処ニ、河本瀬兵衛、さうり取ニ拘申度と申ニ付而、則、瀬兵衛御家老衆へ申上候ヘハ、其方
望ム | (ママ)
| ■■相対ニてかゝへ候て被仰付候間、瀬兵衛召連申由、申候事、又、爰元ゟ、十四、五成男壱人、
筑前へ走リ捕へラ | 筑前へ走り申候を、是も人留之ものとらへ候て参候を、御家老衆へつれ参候へと、申候ヘハ、則、
レシ者ヲ町奉行へ | 御家老衆ゟ、吉田縫殿助ニ御渡被成候事、
渡ス |
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| 廿一日 河本瀬兵衛・加来二郎兵衛
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|一、兵庫・修理当番也
作事惣奉行大橋修 |一、和田伝兵衛登城ニて被申候は、はや大橋をも大形仕廻申候、左様ニ御座候ヘハ、私知行所之庄や
築完工ヲ告グ | 少シ出入御座候ニ付而、走り申候、就其、今迄すきにて御座候間、改ニ六、七日之逗留ニ、知行
給知ノ庄屋走ル | 所へ参度御座候、如何可有御座哉と被申候、尤被参候而可然と、申渡由申候、
| 〃
国東郡ノ大豆不作 |一、国東御代官衆ゟ、当年ハ大つ悪敷候由にて、松ノ丸衆へ包大つ壱つ被差越候、我々へも見候へと
| 候て、松丸ヨリ被差越候、殊之外悪敷候也、
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| 廿二日 加来二郎兵衛・河本瀬兵衛
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|一、助進・修理当番也、
| (ママ)
|一、
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| 廿三日 河本瀬兵衛・加来二郎兵衛
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|一、修理・兵庫当番也、
幕府横目へ諸白ノ |一、豊後御横め衆へ被進諸白、樽之指帋を調、明日ノ便ニ、大坂へ遣候へと、熊野半左衛門ニ申付候
用 | 事、
鷹匠ニ鷹師ノ現状 |一、明日、御中間十五人・御小人弐人、江戸へ遣候ニ付、河井権丞所へ、御鷹師之様子申上候へと、
ヲ言上セシム | 申遣候事、